ほそかわ・かずひこの BLOG

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インド73~ラーマクリシュナ・パラマハンサとヴィヴェーカーナンダ

2020-04-23 10:11:21 | 心と宗教
●ラーマクリシュナ・パラマハンサ

 ローイが亡くなった3年後の1836年、ラーマクリシュナ・パラマハンサが、ベンガルの貧しいバラモンの家に生れた。本名はガダーダル・チャットーパーディヤーヤという。パラマハンサは、サンスクリット語で「至高の白鳥」を意味し、世間にあって真理を体得した覚者への尊称である。
 ラーマクリシュナは、類まれな宗教的な資質を持ち、幼時からさまざまな神秘体験をした。10歳代後半からヒンドゥー教の神殿で働き、20歳代の初めにトータープリという遊行者の弟子となって、本名からラーマクリシュナへと改名して修行生活に入った。世俗を離れて、ヨーガとタントラの行法を修め、ヒンドゥー教の神々との合一を体験した。その後、イスラーム教やキリスト教に接近し、スーフィズムの行法に従ってイスラーム教の奥義に触れたり、キリスト教の修行によってイエス・キリストの幻視を見たりしたという。
 こうした様々な神秘的な体験を通じて、ラーマクリシュナは、ヒンドゥー教、イスラーム教、キリスト教の精髄は一つであるという確信に達した。彼によれば、すべての宗教は、礼拝の方法や教義の言葉は違うが、突き詰めれば同じ一つの神を礼拝し、信仰する道である。各々の宗教は、真理の異なった局面を示しているにすぎない。
 ラーマクリシュナの思想は、すべての人やものの中に神が存在するという汎神論的一元論である。彼によると、従来の諸宗教は、神を人間から離れた遠い彼方に求めた。しかし、それは誤りであり、神は人間の内に存在する。そして、彼は、次のように説いた。
「必要なことはただ一つ、神を知ることである。 なぜ、あなたは世界、宇宙の創造、科学等に首を突っ込んで、 人生を無駄にしてしまうか。(略)人はこの世に、神を知るために生まれるのだ。他のことに心を奪われて、それを忘れてはいけない」と。
 ラーマクリシュナは、このように普遍的・原理的な神を説きながら、シャクティ派の信仰対象である女神カーリーを特別に重視し、その信仰はカーリーへの信愛を中心としたタントリズムの傾向があることが指摘されている。
 ラーマクリシュナは、宗教の本質は教義のうちにあるのではなく、愛情を持って人々に奉仕することのうちにあると説いた。彼がこうした教えを説くと、多くの民衆が集まり、1875年頃にはベンガル地方の大きな宗教勢力となった。その後、1886年にカルカッタで没した。この間、ムガル帝国は滅亡し、インドはイギリスの植民地と化した。
 ラーマクリシュナは、生家が貧困のため正規の教育を受けておらず、ベンガル語しか話さなかった。英語やサンスクリット語は満足にできなかった。そのため、彼の影響力は、一地方にとどまりがちだった。その教えが世界に広まったのは、弟子のヴィヴェーカーナンダによる。

●ヴィヴェーカーナンダ
 
 ラーマクリシュナの弟子、ヴィヴェーカーナンダは、1863年カルカッタに生まれた。本名はナレーンドラナート・ダッタという。
 ヴィヴェーカーナンダは、師とは対照的に、イギリスによる近代的な教育を受け、カルカッタ大学を出て西洋的な知識と教養を身に付けていた。ラーマクリシュナの教えを西洋人にも受け入れられる形で伝えたのは、彼の優れた才能と尽きることのない情熱による。
17歳の時、ラーマクリシュナと会って、その人格に打たれて帰依し、彼の下で学んだ。修行と托鉢の生活を行い、1892年からスワミー・ヴィヴェーカーナンダを名乗るようになった。
 ヴィヴェーカーナンダは、1893年に米国のシカゴで開催される世界宗教会議に参加した。キリスト教のユニテリアンが中心となって企画したもので、インドからは神智学協会、ブラーフマ協会、グジャラート州のジャイナ教、セイロンの仏教が参加した。彼が、この会議で講演を行うと、予期せぬほどの大反響を呼んだ。その内容は、ラーマクリシュナの教えに基づくものだった。
 ヴィヴェーカーナンダは、講演において、次のように説いた。「ヒンドゥー教のブラフマン、ゾロアスター教のアフラ・マズダ、仏教のブッダ、ユダヤのヤーウェ、キリスト教の天の父は、同じである。世界には様々な宗教があり、それぞれ道が定まっており、それを混ぜ合うことはできない。しかし、目指す方向は、みな同じである。あらゆる宗教の人々は最高の目的に向かって協力すべきである」、と。
 このような思想は、欧米人にとって初めて聴く思想であり、人々に強い感銘を与えた。
ヴィヴェーカーナンダは、世界宗教会議後、1897年まで、欧米各地で講演をつづけた。彼の雄弁で理路整然とした話は、聴衆を魅了し、啓発した。
 「すべての宗教の理想はひとつ、自由を得ることと、不幸のなくなることである」「人類の究極目標、すべての宗教の目的はただひとつ――神との、つまり各人の本性であるところの神聖との再結合である」
 ヴィヴェーカーナンダはこのような思想を以って、普遍宗教を説いた。しかしながら、普遍主義によってヒンドゥー教を解消するのではなく、ヒンドゥー教を中心とする姿勢を貫いた。彼は、あくまでヒンドゥー教の唱道者だった。基本にあるのは、シャンカラの不二一元論に基づくヴェーダーンタ哲学である。ラーマクリシュナと違って理論的に、伝統的なヒンドゥー教の梵我一如の哲学を説いた。
 彼によると、ヴェーダーンタ哲学は様々な思想や宗教に根拠を与えるものであり、他とは異なる原理に基づく。他の思想や宗教は互いに対立・矛盾するが、ヴェーダーンタ哲学は、どのような説とも矛盾せず、対立を超越している。彼はこのようにヴェーダーンタ哲学の優越を説き、その理論的な枠組みに基づいて、他の思想・宗教を位置づけようとした。
 帰国後、ヴィヴェーカーナンダは、ラーマクリシュナの教えを宣揚し、それを社会に活かすため、1897年にラーマクリシュナ・ミッションを設立した。
 ヴィヴェーカーナンダは、この団体を通じて出版、教育、厚生等の事業を行い、社会の向上に努めた。また、インドを訪れた岡倉天心と親交を結んだり、横山大観らにも精神的な感化を与えた。
 ヴィヴェーカーナンダは精神的には高邁な理想を説いたが、糖尿病、気管支喘息、慢性の不眠症等に苦しんだ。1902年に、わずか39歳で亡くなった。
 ラーマクリシュナ・ミッションは、今日も災害救助、学校や慈善病院等の事業を行う組織として世界的に活動している。

 次回に続く。

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