●シビックな要素とエスニックな要素の二重性
アンソニー・スミスは、すべてのナショナリズムの核心には、根本的な二重性があるという。一つはシビック(市民的)と呼ばれる要素であり、もう一つはエスニック(民族的)と呼ばれる要素である。前者は、一定の領域内において共通の法体系のもとに法的・政治的権利の平等性を確立し、人々を政治的市民と規定する。後者は、祖先にまつわる神話や伝統を土着的な言語や文化などにより人々の紐帯を生み出す。これらは別々のものではなく、すべてのナショナリズムには、市民的要素と民族的要素が併存している、とスミスはとらえる。
私見を述べると、これらの要素は単に併存するのではなく、シビックな要素が強い場合と、エスニックな要素が強い場合がある。シビックな要素だけを見ると、エスニックな要素を見落としてしまう。しかし、シビックなナショナリズムに分けられるイギリス、アメリカ、フランス、中南米等のナショナリズムにも、エスニックな要素がある。これらの国々のナショナリズムに相違があることが、そのことを端的に示している。エスニックなナショナリズムに分けられるドイツ、日本、ロシア等のナショナリズムにも、シビックな要素がある。西欧的近代法制度、市民的自由、合理的統治機構等がそれである。単純な二分法では、こうした要素を見落としてしまう。
注目すべきは、シビックなナショナリズムには、一見普遍的な価値を原理としているようでいて、実はエスニックな価値観を普遍的価値とし、自己の特殊的な価値を人類に普遍的な価値として、普及する場合があることである。特に国家発展段階の対外膨張型のナショナリズムは、自らの家族型的かつエスニックな価値を普遍的な価値とし、その伝播を啓蒙・進歩として主張する。
塩川伸明は、「わが国こそ普遍的な価値の担い手だ」という意識によって、普遍性の論理を掲げつつ、「その価値の卓越した、あるいは先駆的担い手が自分たちだ」という形で「ナショナリズムを正当化」する例を挙げる。
普遍的な価値というと、フランスの「自由・平等・友愛」が代表的だが、塩川は、イギリスの場合に、これに当たるのが自由貿易主義であるとする。塩川は、これは「あたかも普遍的な原則であるかに見えるが、不均等な発展の現実の中では、相対的優位に立つ国を利する効果を持つ」とし、「自由主義イデオロギーが特定国家の世界的優位を正当化する役割を果たし、そのような中心国家の一種独自のナショナリズム・イデオロギーともなるという構造は、19世紀から20世紀前半にかけてのイギリスで典型的に見られたものであり、その後、アメリカに引き継がれた」と述べている。適切な指摘である。シビックなナショナリズムがはらむエスニックな要素を見落とすと、それが打ち出す価値を普遍的なものとして受け入れることが進歩だという錯覚に陥る。
私見を加えると、イギリスの経済的自由はアメリカで政治的文化的自由へと拡大された。この自由主義(リベラリズム)の価値観の展開は、資本主義の発達と一体的に進行した。その過程において、アングロ・サクソン文化とユダヤ文化が融合し、アングロ・サクソン=ユダヤ的な価値観が世界を支配するようになった。この根底には、セム系一神教の世界観があり、ユダヤ教の選民思想と拝金思想がある。それらが近代資本主義市場経済の発達の中で、疑似的な普遍性を持つ価値観として、強力な影響を振るうに至った。
これに対抗する思想の一つとして、共産主義がある。共産主義は、19世紀半ばからマルクスらによって、国際主義の運動として展開された。だが、革命後のソ連において、ナショナリズムのイデオロギーとなってしまう。ソ連共産党は、共産主義の思想を普遍的な価値観と説くことで、ナショナルな利益追求をカムフラージュし、自国の権力の対外的な拡大・強化を行った。共産主義の根底にも、セム系一神教の世界観があり、ユダヤ教の選民思想と拝金思想がある。
自由主義と共産主義は、20世紀以降世界を二分する思想となったが、ともに真に普遍的な価値観ではなく、家族型的かつエスニックな価値観を疑似普遍的な価値観として、世界に広げようとしたものである。
次回に続く。
■追記
本項を含む拙稿「人権ーーその起源と目標」第2部は下記に掲載しています。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion03i-2.htm
アンソニー・スミスは、すべてのナショナリズムの核心には、根本的な二重性があるという。一つはシビック(市民的)と呼ばれる要素であり、もう一つはエスニック(民族的)と呼ばれる要素である。前者は、一定の領域内において共通の法体系のもとに法的・政治的権利の平等性を確立し、人々を政治的市民と規定する。後者は、祖先にまつわる神話や伝統を土着的な言語や文化などにより人々の紐帯を生み出す。これらは別々のものではなく、すべてのナショナリズムには、市民的要素と民族的要素が併存している、とスミスはとらえる。
私見を述べると、これらの要素は単に併存するのではなく、シビックな要素が強い場合と、エスニックな要素が強い場合がある。シビックな要素だけを見ると、エスニックな要素を見落としてしまう。しかし、シビックなナショナリズムに分けられるイギリス、アメリカ、フランス、中南米等のナショナリズムにも、エスニックな要素がある。これらの国々のナショナリズムに相違があることが、そのことを端的に示している。エスニックなナショナリズムに分けられるドイツ、日本、ロシア等のナショナリズムにも、シビックな要素がある。西欧的近代法制度、市民的自由、合理的統治機構等がそれである。単純な二分法では、こうした要素を見落としてしまう。
注目すべきは、シビックなナショナリズムには、一見普遍的な価値を原理としているようでいて、実はエスニックな価値観を普遍的価値とし、自己の特殊的な価値を人類に普遍的な価値として、普及する場合があることである。特に国家発展段階の対外膨張型のナショナリズムは、自らの家族型的かつエスニックな価値を普遍的な価値とし、その伝播を啓蒙・進歩として主張する。
塩川伸明は、「わが国こそ普遍的な価値の担い手だ」という意識によって、普遍性の論理を掲げつつ、「その価値の卓越した、あるいは先駆的担い手が自分たちだ」という形で「ナショナリズムを正当化」する例を挙げる。
普遍的な価値というと、フランスの「自由・平等・友愛」が代表的だが、塩川は、イギリスの場合に、これに当たるのが自由貿易主義であるとする。塩川は、これは「あたかも普遍的な原則であるかに見えるが、不均等な発展の現実の中では、相対的優位に立つ国を利する効果を持つ」とし、「自由主義イデオロギーが特定国家の世界的優位を正当化する役割を果たし、そのような中心国家の一種独自のナショナリズム・イデオロギーともなるという構造は、19世紀から20世紀前半にかけてのイギリスで典型的に見られたものであり、その後、アメリカに引き継がれた」と述べている。適切な指摘である。シビックなナショナリズムがはらむエスニックな要素を見落とすと、それが打ち出す価値を普遍的なものとして受け入れることが進歩だという錯覚に陥る。
私見を加えると、イギリスの経済的自由はアメリカで政治的文化的自由へと拡大された。この自由主義(リベラリズム)の価値観の展開は、資本主義の発達と一体的に進行した。その過程において、アングロ・サクソン文化とユダヤ文化が融合し、アングロ・サクソン=ユダヤ的な価値観が世界を支配するようになった。この根底には、セム系一神教の世界観があり、ユダヤ教の選民思想と拝金思想がある。それらが近代資本主義市場経済の発達の中で、疑似的な普遍性を持つ価値観として、強力な影響を振るうに至った。
これに対抗する思想の一つとして、共産主義がある。共産主義は、19世紀半ばからマルクスらによって、国際主義の運動として展開された。だが、革命後のソ連において、ナショナリズムのイデオロギーとなってしまう。ソ連共産党は、共産主義の思想を普遍的な価値観と説くことで、ナショナルな利益追求をカムフラージュし、自国の権力の対外的な拡大・強化を行った。共産主義の根底にも、セム系一神教の世界観があり、ユダヤ教の選民思想と拝金思想がある。
自由主義と共産主義は、20世紀以降世界を二分する思想となったが、ともに真に普遍的な価値観ではなく、家族型的かつエスニックな価値観を疑似普遍的な価値観として、世界に広げようとしたものである。
次回に続く。
■追記
本項を含む拙稿「人権ーーその起源と目標」第2部は下記に掲載しています。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion03i-2.htm
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