ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
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人権214~20世紀初頭への展開

2015-10-19 08:52:08 | 現代世界史
●19世紀末から20世紀初頭にかけての人権思想の展開

 本章では、近代西欧に現れた主権・民権・人権に係る思想について、人権を中心に述べた。17世紀イギリスにおける思想的展開、18世紀の啓蒙思想、アメリカ・フランスにおける市民革命期の思想、ドイツにおけるカント及び彼以後のドイツ観念論から現れたマルクスとナショナリズム、19世紀イギリスにおける功利主義と修正自由主義、最後に日本における近代西洋思想の摂取と独創的な展開という順に記した。
 ここで本章の結びに、19世紀末から20世紀初頭までの人権の思想の発達を書きたい。
17~19世紀の欧米における人権の思想史を振り返る時、最も重要な動きは、ロックの思想の普及であると考える。ロックは近代科学思想に通じ、中世的プラトニズムを排して生得観念を否定し、感覚に基づく経験論を説いた。ホッブスの理論を批判的に継承して、自由・平等な個人の自発的同意に基づく契約によって政府が設立されたとする社会契約論を発展させた。ロックはまた労働による所有を意義づけて、私有財産を肯定し、近代資本主義を正当化した。   
 ロックは、「人間は生まれながらにして完全な自由をもつ。人間はすべて平等であり、他の誰からも制約を受けることはない」と主張した。絶対主義王政に対抗して、リベラリズム、デモクラシーの思想を唱え、「民衆の信頼に反するような法律や政令を発見した場合は、民衆にはその法律を改廃させる優越的権利が依然としてある」として抵抗権・革命権を認めた。
 ロックの思想は、イギリス名誉革命を正当化する理論となり、アメリカ独立革命や独立宣言、合衆国憲法の理論的支柱となった。またフランスでは、ルソーや百科全書派によって急進化され、フランス革命の推進力ともなった。そして、イギリス、アメリカ、フランスが先進国・列強として発展するにつれ、ロックの思想は直接的または間接的に欧米の他の諸国へ、さらに非西洋文明の社会へと伝わっていった。この過程は、近代化の進行と西洋文明の非西洋文明諸社会への伝播と相即する。ロックの思想の浸透は、資本主義・自由主義・デモクラシー個人主義の普及と重なる。
 ロック思想が諸方面に浸透していった17~19世紀は、科学の発達によってキリスト教が権威を失い、世俗化が進み、科学的合理主義が支配的になった過程でもある。17世紀の「科学の世紀」、18世紀の「啓蒙の世紀」を経て、様々な分野で自然の研究が進み、実験と観察に基づく近代西欧科学的な世界観が形成された。それに加えて、ダーウィンが1859年に『種の起源』で、生物の種は神の創造によるという聖書の記述を揺るがす理論を説いたことは、重要である。ダーウィンの仮説は、天動説から地動説への転回以来の衝撃を、キリスト教文化圏にもたらした。   
 西方キリスト教文明は根底から揺らぎ出した。その動揺を最も鋭く、深く捉えたのが、ニーチェだった。ニーチェは、1883年の『ツァラトゥストラ』で、キリスト教によって代表される伝統的価値が、西洋人の生活において効力を失っていると洞察し、この状況を「神は死んだ」と表現した。彼は、西洋思想の歴史は、本当はありもしない超越的な価値、つまり無を信じてきたニヒリズムの歴史であると断じ、ニヒリズムが表面に現われてくる時代の到来を予言した。そして、ニヒリズムを克服するため、新しい価値を体現し得る超人の思想を説いた。
 ニーチェが予言したように、19世紀末の欧米では、ニヒリズムが蔓延するようになった。ニヒリズムは、広義の場合は従来の宗教的価値観の喪失や否定・破壊を意味する。
 だが、科学的合理主義の増勢やニヒリズムの浸透が進むなかにおいても、ロックの思想は普及し続けた。それはイギリス・アメリカ・フランス等での資本主義的な生産力の増大、軍事力の強大化、帝国主義政策の展開による。資本主義の発達によって、各国・各地域に自由主義・デモクラシー・個人主義が広がった。それとともに、これらを基礎づけるロックの思想が普及していった。そして、ロック思想の普及によって、人権の思想が発達し、各国において国民の権利が拡大されていったのである。

 次回に続く。

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