ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
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ヤルタ密約にチャーチルは疑義を抱いていた

2018-07-01 08:40:53 | 歴史
 ロシアは、旧ソ連時代からヤルタ密約を北方領土領有を主張する最有力の根拠としてきました。ヤルタ密約とは、ヤルタ協定のうちの極東密約をいいます。
 ヤルタ密約は、米英ソ三カ国の首脳が交わした軍事協定にすぎず、条約ではなく国際法としての根拠を持っていません。当事国が関与しない領土の移転は無効という国際法にも違反しています。日本政府は「当時の連合国の首脳間で戦後の処理方針を述べたもので、領土問題の最終処理を決定したものではなく、当事国として参加していない日本は拘束されない」(平成18年2月8日、国会答弁)との立場をとっています。
このヤルタ密約の有効性について、英政府が大戦終了後の昭和21年(1946)2月に、疑念を示していたことが、平成28年(2016年)12月英国立公文書館所蔵の英外交電報によって明らかになりました。
 電報は、米英ソ3か国が密約を公表する2日前の2月9日に、英外務省から全世界の在外英公館54カ所に「緊急かつ極秘」に一斉に送られたもの。電文は、冒頭に「ソ連のスターリン首相、ルーズベルト米大統領、チャーチル英首相が45年2月11日にクリミア会議(ヤルタ会談)でソ連の対日参戦条件について極秘に合意した密約内容の文書が含まれる」と記し、米英ソ3政府が合意から1年後にあたる46年2月11日に、それぞれの議会で合意文書を発表すると述べました。そして、「ソ連の樺太、千島列島の占拠は日本が敗戦するという文脈の中で取り扱われるべきだ」とした上で、「ルーズベルト大統領が権限を越えて署名したことや、米上院の批准もない状況下での有効性について米国内で論議が起こるかもしれない」として、「(英国は)その議論に巻き込まれないよう注意すべきだ」と警告しているとのことです。
 チャーチル首相は、昭和16年(1941)8月、ルーズベルト大統領と領土不拡大の原則をうたう大西洋憲章に署名しています。今回見つかった英国政府の電報は、昭和21年(1946)当時から、英国政府はヤルタ密約が大西洋憲章に反するとの認識を持っていたことを示唆しています。
 さらに、続いて、チャーチル首相が、ヤルタ密約について、「米ソ首脳が頭越しで決定した。両国との結束を乱したくなかった」と、不本意ながら署名したことを示唆する個人書簡が英国立公文書館で見つかりました。
 この書簡は、昭和28年(1953)2月22日付で、イーデン外相に宛てたもの。この中でチャーチル首相はヤルタ密約について、ルーズベルト米大統領とソ連のスターリン首相が「直接取り決めた」とし、「全ての事項がすでに(米ソで)合意された後に昼食会で知らされた」「私たちは(取り決めに)全く参加しなかった」と主張し、英国の頭越しに米ソ間で結ばれたと強調していると報じられます。
 チャーチルが密約に署名した昭和20年(1945)2月の時点では、連合国は欧州ではヒトラーのドイツとの戦いで最終局面を迎え、対日戦線でも結論が見通せなかったため、米ソ両国との「結束を乱したくなかった」と述べて、チャーチルは融和を優先したと釈明しているとのことです。
 これまで、ヤルタでの協議に参加した米国のハリマン駐ソ大使の「覚書」によると、チャーチル首相は密約の合意が成立すると、自分も文書に署名すると割り込み、会談最終日に署名したと伝えられていました。「極東における英国の権益保護」が目的だったとされていました。
 今回の書簡は、その実態をチャーチル自身が述べたものとなります。書簡が出されたのは、共和党のアイゼンハワー米大統領が昭和28年(1953)2月の年頭教書演説など、共産主義ソ連を念頭に「あらゆる人々の奴隷化」に同意せず、ヤルタ密約など外国との秘密協定の有効性を認めず、「あらゆる秘密協定を破棄する」と宣言した直後のこと。
 イーデン外相は昭和28年(1953)2月20日付でチャーチル宛てに書簡を送り、アイゼンハワーの方針を伝えました。チャーチルの書簡はこれに対する返信と位置づけられます。この返信でチャーチルは、「ヤルタで起きたことは詳(つまび)らかにすべきだ」「米国務長官だったステティニアス氏ですら、(密約に関して)相談されなかった」との見方を記しており、大戦中のルーズベルト米大統領が独断でスターリン首相の要求に応じたと考えていることを示しているとのことです。
 ロシア外務省は、平成23年(2011)2月、北方領土に対するロシアの主権は「合法」であるとの声明を発表し、その根拠を「第二次大戦の結果」とし、ヤルタ協定、ポツダム宣言、サンフランシスコ講和条約、国連憲章107条(旧敵国条項)で認証されたと強調しました。プーチン現政権は、「北方領土は第二次大戦の結果、ソ連(ロシア)領になった」といった主張を繰り返しています。
 しかし、米国は戦後、日本の立場を支持し、ソ連の法的根拠を認めない姿勢を示してきました。米上院は昭和26年(1951)にサンフランシスコ講和条約を批准承認する際、ソ連に有利となるヤルタ密約の項目を「含めない」との決議をしました。アイゼンハワー政権は、昭和31年(1956)に「ヤルタ協定はルーズベルト個人の文書であり、米政府の公式文書でなく無効」との国務省声明を発表し、ソ連の領土占有に法的根拠がないとの立場を鮮明にしました。また、平成17年(2005)ブッシュ子大統領が、ラトビアのリガで「ヤルタ会談は史上最大の過ちの一つ」と批判しました。
英国政府は、冷戦時代、フランスとともにソ連との正面衝突を回避するため、ヤルタ協定に対する立場を明らかにせず、これまでその姿勢を続けてきました。しかし、先に書いた電報で、当初からヤルタ密約の有効性を疑っていたことがわかりました。さらにチャーチルの書簡は、ヤルタ密約に署名したチャーチル首相自ら疑義を持っていたことを示しています。
 ヤルタ密約は米英ソ三カ国の首脳が合意したものですが、米国は既に無効としており、そのうえ英国も疑義を持っていたことが明らかになりました。この密約を根拠に北方4島の主権を主張するロシアには、何ら法的根拠がなく、不法占拠を続けていることはあきらかです。
 なお、私は、ヤルタ密約について、拙稿「日本を操る赤い糸~田中上奏文・ゾルゲ・ニューディーラー等」に書いていますので、ご参考にどうぞ。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion07b.htm
 第9章 ヤルタ会談にソ連スパイが暗躍

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