●伊藤をたたえる韓国人・外国人の言葉
安重根は、伊藤博文を韓国支配の元凶と思い込んで、殺害に及んだ。だが、伊藤は、今日も多くの人から誤解されているのとは正反対に、朝鮮半島の発展に最大の貢献をした政治家である。それを証すのは、伊藤が同時代の韓国人や欧米人から高く評価されていることである。
大韓帝国の外交顧問ド-ハム・スチーブンス:1908年3月帰米した時、サンフランシスコでの記者会見で~「韓国の王室と政府は、腐敗堕落しきっており、頑固党は人民の財産を略奪している。そして人民は愚味すぎる。これでは独立の資格はなく、進んだ文明と経済力を持つ日本に統治させなければ、ロシアの植民地にされたであろう。伊藤統監の施策は、朝鮮人民にとって有益で、人民は反対していない」。
(スチーブンスは、この発言に激高した韓国人に射殺された)
大韓帝国太皇帝(高宗):伊藤の死を惜しんで~「伊藤を失ったことで、東洋の人傑がいなくなった。公はわが国に忠実正義をもって臨み、骨を長白山(ほそかわ註 白頭山)に埋めて、韓国の文明発達に尽くすと揚言していた。日本に政治家多しといえども、伊藤のように世界の大勢を見て、東洋の平和を念じた者はいない。実に伊藤はわが国の慈父である。その慈父に危害を加える者があるとすれば、物事の理事を解さないこと甚だしく、おそらく海外流浪人であろう」
同上:明治天皇が、伊藤の後任として韓国皇太子の輔育役に、岩倉具視侯爵を命ずる勅語を発した報に接して~「伊藤を失ったことは、わが国といわず、日本のみならず、東洋の不幸である。その凶漢が韓国人とあっては、赤面のほかない。日本天皇は唯一の重臣にして大師の伊藤をなくされた。それなのに伊藤を害した凶徒を出した国の皇太子を、あくまでも輔育する誠意をみせた。山よりも高く海より深い恩義ある日本皇室にどう感謝の意を表すべきだろうか」
(ハーグ密使事件で伊藤に廃立された高宗は、太皇帝となった。その太皇帝が伊藤を評価し、皇室に感謝している)
エルヴィン・フォン・ベルツ博士:ドイツの新聞への「伊藤公の追懐」より~「韓国人が公を暗殺したことは、特に悲しむべきことである。何故かといえば、公は韓国人の最も良き友であった。日露戦争後、日本が強硬の態度を以って韓国に臨むや、意外の反抗に逢った。陰謀や日本居留民の殺傷が相次いで 起こった。その時、武断派及び言論機関は、高圧手段に訴うべしと絶叫したが 公ひとり穏和方針を固持して動かなかった。当時、韓国の政治は徹頭徹尾、腐敗していた。公は時宜に適し、かつ正しい改革によって、韓国人をして日本統治下に在ることが却って幸福であることを悟らせようとし、60歳を超えた 高齢で統監という多難の職を引き受けたのである」
(明治時代に来日し東京医学校、現在の東京大学医学部で教えた。同時代の日本を伝える証言者。「ベルツの日記」で知られる)
東清鉄道長官・ホルワット少将:ロシアの新聞 「ハルピン・ウェストニツク紙」より~「思えば思うほど情けない限りである。最後の大戦争(日露戦争)以前に伊藤公爵が言われたことを、もし、ロシアが聞いていたら、あの悲惨な戦争 も、ロシアの敗戦という不名誉もなかったのである。伊藤公爵のハルピン来訪目的は、わが大蔵大臣との外交上の空しい儀礼的なものでなかったことは、 誰もが知っていた。伊藤公は『ロシアは満州から去れ』などという、一点張りの主張をする人ではない。尊敬すべき老大偉人の逝去は、日本の損失であるばかりで なく、わがロシアの損失であり、韓国が大損失をこうむることは必至である」
フランシス・ブリンクリー:英字新聞「ジャパン・ウィークリー・メイル」の「伊藤公の性格」より~「公を泰西の政治家と比較するに、公はビスマークの如く武断的でなく、平和的であったことはむしろグラッドストーンに類するところである。 財政の知識が豊富であったことはビールにも比すべく、策略を行うに機敏かつ大胆であったことは、ビーコンスフィールドに似ている。公はすべての 大政治家の特徴を抜萃して一身に集めた観がある。殊に公は驚くべき先見の 明を有し・・・要するに四十余年の永きにわたって終始一貫、国家の指導者たる 地位を占めたのは、実に千古の偉観というべきである」
(明治時代に来日し、熱心な日本研究家として、日本の姿を海外に紹介し続けた英国人ジャーナリスト)
次回に続く。
安重根は、伊藤博文を韓国支配の元凶と思い込んで、殺害に及んだ。だが、伊藤は、今日も多くの人から誤解されているのとは正反対に、朝鮮半島の発展に最大の貢献をした政治家である。それを証すのは、伊藤が同時代の韓国人や欧米人から高く評価されていることである。
大韓帝国の外交顧問ド-ハム・スチーブンス:1908年3月帰米した時、サンフランシスコでの記者会見で~「韓国の王室と政府は、腐敗堕落しきっており、頑固党は人民の財産を略奪している。そして人民は愚味すぎる。これでは独立の資格はなく、進んだ文明と経済力を持つ日本に統治させなければ、ロシアの植民地にされたであろう。伊藤統監の施策は、朝鮮人民にとって有益で、人民は反対していない」。
(スチーブンスは、この発言に激高した韓国人に射殺された)
大韓帝国太皇帝(高宗):伊藤の死を惜しんで~「伊藤を失ったことで、東洋の人傑がいなくなった。公はわが国に忠実正義をもって臨み、骨を長白山(ほそかわ註 白頭山)に埋めて、韓国の文明発達に尽くすと揚言していた。日本に政治家多しといえども、伊藤のように世界の大勢を見て、東洋の平和を念じた者はいない。実に伊藤はわが国の慈父である。その慈父に危害を加える者があるとすれば、物事の理事を解さないこと甚だしく、おそらく海外流浪人であろう」
同上:明治天皇が、伊藤の後任として韓国皇太子の輔育役に、岩倉具視侯爵を命ずる勅語を発した報に接して~「伊藤を失ったことは、わが国といわず、日本のみならず、東洋の不幸である。その凶漢が韓国人とあっては、赤面のほかない。日本天皇は唯一の重臣にして大師の伊藤をなくされた。それなのに伊藤を害した凶徒を出した国の皇太子を、あくまでも輔育する誠意をみせた。山よりも高く海より深い恩義ある日本皇室にどう感謝の意を表すべきだろうか」
(ハーグ密使事件で伊藤に廃立された高宗は、太皇帝となった。その太皇帝が伊藤を評価し、皇室に感謝している)
エルヴィン・フォン・ベルツ博士:ドイツの新聞への「伊藤公の追懐」より~「韓国人が公を暗殺したことは、特に悲しむべきことである。何故かといえば、公は韓国人の最も良き友であった。日露戦争後、日本が強硬の態度を以って韓国に臨むや、意外の反抗に逢った。陰謀や日本居留民の殺傷が相次いで 起こった。その時、武断派及び言論機関は、高圧手段に訴うべしと絶叫したが 公ひとり穏和方針を固持して動かなかった。当時、韓国の政治は徹頭徹尾、腐敗していた。公は時宜に適し、かつ正しい改革によって、韓国人をして日本統治下に在ることが却って幸福であることを悟らせようとし、60歳を超えた 高齢で統監という多難の職を引き受けたのである」
(明治時代に来日し東京医学校、現在の東京大学医学部で教えた。同時代の日本を伝える証言者。「ベルツの日記」で知られる)
東清鉄道長官・ホルワット少将:ロシアの新聞 「ハルピン・ウェストニツク紙」より~「思えば思うほど情けない限りである。最後の大戦争(日露戦争)以前に伊藤公爵が言われたことを、もし、ロシアが聞いていたら、あの悲惨な戦争 も、ロシアの敗戦という不名誉もなかったのである。伊藤公爵のハルピン来訪目的は、わが大蔵大臣との外交上の空しい儀礼的なものでなかったことは、 誰もが知っていた。伊藤公は『ロシアは満州から去れ』などという、一点張りの主張をする人ではない。尊敬すべき老大偉人の逝去は、日本の損失であるばかりで なく、わがロシアの損失であり、韓国が大損失をこうむることは必至である」
フランシス・ブリンクリー:英字新聞「ジャパン・ウィークリー・メイル」の「伊藤公の性格」より~「公を泰西の政治家と比較するに、公はビスマークの如く武断的でなく、平和的であったことはむしろグラッドストーンに類するところである。 財政の知識が豊富であったことはビールにも比すべく、策略を行うに機敏かつ大胆であったことは、ビーコンスフィールドに似ている。公はすべての 大政治家の特徴を抜萃して一身に集めた観がある。殊に公は驚くべき先見の 明を有し・・・要するに四十余年の永きにわたって終始一貫、国家の指導者たる 地位を占めたのは、実に千古の偉観というべきである」
(明治時代に来日し、熱心な日本研究家として、日本の姿を海外に紹介し続けた英国人ジャーナリスト)
次回に続く。
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