ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
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中国はこうして核大国化した1

2006-12-19 11:35:23 | 国際関係
 平成9年(1997)にフランスで『共産主義黒書』が刊行された。本書は、20世紀の世界を席巻した共産主義の犯罪を厳しく検証している。著者たちは、共産主義による犠牲者を8000万から1億人とする。中でも中国の犠牲者は、6500万人にのぼると推計する。世界の犠牲者のうち、3分の2から8割までが、中国で発生しているというのである。
 この中国の惨禍は、毛沢東という冷酷非情の大量殺戮者、権力欲の権化、恐怖と恫喝の支配者、世界制覇をもくろむ誇大妄想狂によるものだった。毛の悪行は、スターリンやヒトラーを上回るものだった。
 ユン・チアンとジョン・ハリデイの共著『マオ―誰も知らなかった毛沢東』(講談社)は、新しい膨大な資料や多数のインタビューをもとに、このことを圧倒的な説得力で明らかにしている。さらに、そのすさまじさは、20数カ国で翻訳されている『九評共産党』(博大)が、生々しく報告している。

 毛沢東は、中国の軍事大国化をめざし、地球の支配者となろうとした。生前には、その野望は達成されなかったが、彼の死後、中国共産党は、超大国化の道を歩み続けた。そして、21世紀の今日、共産中国は日本への脅威となり、アジアへの、また世界への脅威となっている。その憎悪と謀略の反日思想によって。また、核ミサイル、原子力潜水艦、自然破壊、食料不足、エネルギー争奪、エイズの蔓延等によって。

 共産中国は、建国の初期から核開発を行い、核大国となった。核の開発・保有こそ、毛沢東が最も執着したことだった。現代中国の歴史は、核開発の過程を抜きには理解することができない。共産中国の歴史と核開発の過程を数回に分けて概観し、その後、戦後のわが国のあり方との対照を試みたい。

●核開発が中国を軍事大国にした

 中華人民共和国は、昭和24年(1949)、シナに誕生した。建国の初期に、毛沢東は、核兵器を保有して米国の世界支配に挑戦するという国家目標を掲げた。以来、半世紀を超える間、中国はその国家目標を実現するために、核兵器開発を最優先とした国家戦略を立て、国家の総力を集中して核兵器を開発してきた。
 国際社会で、中国が大国として発言力を持つようになった理由には、核兵器を保有したことがある。核を持ったことで、中国は、米ソが侮れない存在となり、台湾に替わって、昭和46年(1971)に国連での代表権を獲得した。
 核開発から始まった中国の国家戦略は、大陸から海洋・宇宙空間へと発展している。今日、共産中国の国家戦略は、核・海洋・宇宙という三つの領域に明確に焦点を定め、それらが総合的に機能し始め、アメリカに対抗してアジアでの覇権をめざすものとなっている。

●国家目標・国家戦略
 
 共産中国の歴史を見ると、反右派闘争、大躍進、文化大革命、毛沢東死後の四人組の粛清等、混乱や権力闘争が繰り返されてきた。その間、6500万の命が犠牲になった。しかし、こうした時期を経ながらも、核ミサイルの開発は、一貫して進められてきた。そこに共産中国という国家の特質がある。そのことを明確に指摘したのが、平松茂雄氏である。平松氏は言う。
 「中国という国は常に明確な国家目標を掲げ、その目標を実現するための国家戦略があり、その目標を実現するために強い国家意思の働く国である。そのためにパイの配分が行われ、よほどの政治的混乱、経済的停滞がない限り、それが実施される国である。中国の核ミサイル開発の過程はそれを教えてくれる」と。
 この過程を現代中国の歴史の中でたどってみよう。軍事的な側面は、平松氏の著書『中国、核ミサイルの標的』(角川Oneテーマ21)、共著『日本核武装の論点』(共著、PHP)に多くを負っている。

●毛沢東の決断

 昭和24年(1949)9月、毛沢東は、中華人民共和国の建国の意義を次のように語った。
 「中国人はもともと偉大な、勇敢な、勤勉な民族であるが、ただ近代になって落伍してしまった。こうした落伍は、まったく外国の帝国主義と自国の反動政府による抑圧と搾取の結果にほかならない。だが中国人民が立ち上がってつくった新中国は、国防は強化され、いかなる帝国主義者に対しても、われわれの国土を二度と侵犯することを許さない」と。

 中国共産党は、日中戦争、国共内戦の中から権力をつかみ取った。毛沢東は「鉄砲から権力が生まれる」と言い、政策の根本を軍事に置いていた。ところが、中国は建国後数年の間に、アメリカから核兵器で繰り返し威嚇された。昭和25年(1950)に勃発した朝鮮戦争、29年(1954)のインドシナ戦争、29~30年(1955)の台湾との大陳諸島解放作戦、同じく33年(1958)の金門島砲撃の際である。毛沢東は、アメリカの核攻撃の瀬戸際に立たされた。
 この経験から、毛は、アメリカに対抗するには核兵器を保有することが不可欠と考えた。そして、核兵器とそれを運搬する弾道ミサイルの保有を決断した。

 昭和31年(1956)4月、毛沢東は中共中央政治局会議で、「今日の世界で、他人の侮りをうけたくなければ、原爆を持たないわけにはいかない」と演説した。毛沢東は、現代の国際社会で政治的発言力を持つためには核兵器が必要であり、核兵器は中国を米ソが無視できない地位に引き上げる政治的な兵器であると認識した。
 独裁的な指導者・毛沢東の決断によって、中国は1950年代中半から、核開発を進めた。開発は、ソ連の援助と協力を受けて進められた。以来、中国は、国民生活の向上や通常戦力の近代化を後回しにして、核兵器の開発・保有を遂行した。その半世紀の過程は、戦力不保持・専守防衛・非核三原則を国是としてきたわが国とは、まさに正反対の歩みである。

 次回に続く。

参考資料
・共産主義については、マイサイトの次の項目の拙稿をご参照ください。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion07.htm


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