●地球環境の危機
21世紀における人類の課題は、環境・エネルギー・食糧・人口・核戦争等の地球規模の諸問題による危機を乗り越えて、物心調和・共存共栄の新しい文明を築くことである。現代の眺望を踏まえて、人類の課題と日本の役割について書きたい。
最初に、地球規模の諸問題について、地球環境破壊から述べる。
人類が、地球環境の危機を認識し、取り組みを始めたのは、まだそう古いことではない。
人類が、地球というこの惑星を自らの住まいと自覚したのは、宇宙から撮影した一枚の写真による。1968年(昭和43年)12月24日、アポロ8号が撮った宇宙に浮かぶ、青く輝く地球の写真である。この写真が世界中に報道されたことによって、人々は、はじめて「地球意識」とでもいうべき新しい意識を持つようになった。
翌69年(44年)7月20日、人類史上初めて、有人宇宙船が月に着陸し、アメリカのアポロ11号の乗組員が、月面に降り立った。まさに歴史的な瞬間だった。
以後、地球環境を考える運動や、宇宙や地球を意識した文化運動、自然回帰の生活運動等が、先進国を中心に叢生した。地球にギリシャ神話の大地の女神の「ガイア」という名前をつけ、地球を意識を持った存在のようにとらえる考え方も広がった。
地球規模の環境問題について、人類が最初に国際会議を開いたのは、1972年(昭和47年)だった。その年の6月、ストックホルムで、国連人間環境会議が開催され、114ヶ国が参加した。キャッチフレーズは、「かけがえのない地球 (Only One Earth)」。経済学者バーバラ・ウォードと生物学者ルネ・デュボスが、地球と人類の文明の危機を伝える報告をした。かけがえのない地球を守るために「人間環境宣言」及び109項目の「環境国際行動計画」が採択された。会議の初日だった6月5日は、「世界環境デー」に定められた。しかし、その後、人類は、地球環境やエネルギー・食糧・人口等の問題に、十分有効な取り組みをできていない。
国連人間環境会議が開かれた同じ年、ローマ・クラブの委嘱した研究グループが、『成長の限界』という報告書を発表し、世界的に大きな話題を呼んだ。研究グループは、マサチューセッツ工科大学(MIT)内に置かれ、ドネラ・H・メドウズ、デニス・L・メドウズ、ヨルゲン・ランダースの3人が中心となった。彼らはあらゆる分野からデータを集め、コンピューターを駆使し、システム思考に基いて総合的に地球の状態を把握し、21世紀の世界の人口および産業の成長を予測して、考えられるいくつかのシナリオを提示した。『成長の限界』は、具体的な政策と行動を求める問題提起を行った。本書は、人類はエネルギー、環境、食糧、人口等の危機にあることを明らかにした。また、西洋近代文明が目指すべき価値としてきた「成長」という概念に反省を投げかけた。
国連人間環境会議の20年後、1992年(平成4年)6月、ブラジルのリオ・デジャネイロで、史上はじめての地球環境サミットが開催された。この年、『成長の限界』を出したメドウズ等のグループが『限界を超えて』という新たな報告書を発表した。彼らは、この20年間、人類は危機に有効に対処できておらず、危機が一層悪化していることを告げた。「持続可能な成長」という概念を打ち出して、具体的な行動を提案した。「持続可能な」とは、自分たちの世代だけでなく、将来世代も経済発展が可能であるような、という意味である。
さらに、その12年後の2004年(平成16年)、メドウズらのグループは、3冊目の本を出した。『成長の限界~人類の選択』である。1972年の最初の報告書から30年以上たったところで、改めて地球規模のシナリオを提出したものである。1970年代から顕在化してきた温暖化、砂漠化、森林消失、大気汚染、土壌汚染、水質汚染、海洋汚染、種の大量絶滅等々を揚げ、事態の深刻さは、以前より増しており、待ったなしで人類に行動を迫まるものとなっている。
だが、人類全体で見る時、1990年代から2000年代にかけては、「持続可能な成長」の追求よりも、欲望を解放した貪欲な利益の追求を行う強欲資本主義の活動の勢いが大きく上回る時期となってしまった。
次回に続く。
21世紀における人類の課題は、環境・エネルギー・食糧・人口・核戦争等の地球規模の諸問題による危機を乗り越えて、物心調和・共存共栄の新しい文明を築くことである。現代の眺望を踏まえて、人類の課題と日本の役割について書きたい。
最初に、地球規模の諸問題について、地球環境破壊から述べる。
人類が、地球環境の危機を認識し、取り組みを始めたのは、まだそう古いことではない。
人類が、地球というこの惑星を自らの住まいと自覚したのは、宇宙から撮影した一枚の写真による。1968年(昭和43年)12月24日、アポロ8号が撮った宇宙に浮かぶ、青く輝く地球の写真である。この写真が世界中に報道されたことによって、人々は、はじめて「地球意識」とでもいうべき新しい意識を持つようになった。
翌69年(44年)7月20日、人類史上初めて、有人宇宙船が月に着陸し、アメリカのアポロ11号の乗組員が、月面に降り立った。まさに歴史的な瞬間だった。
以後、地球環境を考える運動や、宇宙や地球を意識した文化運動、自然回帰の生活運動等が、先進国を中心に叢生した。地球にギリシャ神話の大地の女神の「ガイア」という名前をつけ、地球を意識を持った存在のようにとらえる考え方も広がった。
地球規模の環境問題について、人類が最初に国際会議を開いたのは、1972年(昭和47年)だった。その年の6月、ストックホルムで、国連人間環境会議が開催され、114ヶ国が参加した。キャッチフレーズは、「かけがえのない地球 (Only One Earth)」。経済学者バーバラ・ウォードと生物学者ルネ・デュボスが、地球と人類の文明の危機を伝える報告をした。かけがえのない地球を守るために「人間環境宣言」及び109項目の「環境国際行動計画」が採択された。会議の初日だった6月5日は、「世界環境デー」に定められた。しかし、その後、人類は、地球環境やエネルギー・食糧・人口等の問題に、十分有効な取り組みをできていない。
国連人間環境会議が開かれた同じ年、ローマ・クラブの委嘱した研究グループが、『成長の限界』という報告書を発表し、世界的に大きな話題を呼んだ。研究グループは、マサチューセッツ工科大学(MIT)内に置かれ、ドネラ・H・メドウズ、デニス・L・メドウズ、ヨルゲン・ランダースの3人が中心となった。彼らはあらゆる分野からデータを集め、コンピューターを駆使し、システム思考に基いて総合的に地球の状態を把握し、21世紀の世界の人口および産業の成長を予測して、考えられるいくつかのシナリオを提示した。『成長の限界』は、具体的な政策と行動を求める問題提起を行った。本書は、人類はエネルギー、環境、食糧、人口等の危機にあることを明らかにした。また、西洋近代文明が目指すべき価値としてきた「成長」という概念に反省を投げかけた。
国連人間環境会議の20年後、1992年(平成4年)6月、ブラジルのリオ・デジャネイロで、史上はじめての地球環境サミットが開催された。この年、『成長の限界』を出したメドウズ等のグループが『限界を超えて』という新たな報告書を発表した。彼らは、この20年間、人類は危機に有効に対処できておらず、危機が一層悪化していることを告げた。「持続可能な成長」という概念を打ち出して、具体的な行動を提案した。「持続可能な」とは、自分たちの世代だけでなく、将来世代も経済発展が可能であるような、という意味である。
さらに、その12年後の2004年(平成16年)、メドウズらのグループは、3冊目の本を出した。『成長の限界~人類の選択』である。1972年の最初の報告書から30年以上たったところで、改めて地球規模のシナリオを提出したものである。1970年代から顕在化してきた温暖化、砂漠化、森林消失、大気汚染、土壌汚染、水質汚染、海洋汚染、種の大量絶滅等々を揚げ、事態の深刻さは、以前より増しており、待ったなしで人類に行動を迫まるものとなっている。
だが、人類全体で見る時、1990年代から2000年代にかけては、「持続可能な成長」の追求よりも、欲望を解放した貪欲な利益の追求を行う強欲資本主義の活動の勢いが大きく上回る時期となってしまった。
次回に続く。
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