2.民主主義と専制主義の比較
●基本的な概念の定義
民主主義と専制主義という対比を行うには、まず基本的な概念の整理が必要である。
民主主義と専制主義の違いは、政治参加の権利の所有者と集団の意思決定の仕方にある。
人類は集団生活を行う動物である。人間の集団は、集団の存続と繁栄のために意思決定をしなければならない。集団の構成員は、その決定に従って生活・行動する。集団の意思決定は、一人の指導者の判断で決定するか、少数者の合議で決定するか、多数者の合議で決定するかのどれかでなされる。
集団のうちの一人または少数者が政治参加の権利を占有し、一人または少数者が集団の意思を決定する制度・体制が、専制主義(autocracy、オートクラシー)である。絶対主義的な君主や独裁者が統治する国家や、革命で権力(註2)を掌握した共産党、クーデターで政権を奪取した軍部が支配する国家がその典型である。
オートクラシー(専制主義)の語源は、ギリシャ語の autos(アウトス、一人)と kratia (クラティア、権力) とが結びついたautokratía、アウトクラティア)である。オートクラシーとは、一人または少数者の集団が強大な権力を持つ政治体制をいう。独裁主義、独裁制等とも訳される。ここで独裁は、一人による個人独裁に限らず、少数者による集団独裁を含む。
これに対し、集団のうちの多数者が政治参加の権利を保有し、多数の合議によって集団の意思を決定する制度・体制が、民主主義(democracy、デモクラシー)である。集団の意思決定を多数決で行い、指導者や代表者を選挙で選ぶ制度がその典型である。権利の所有者は性別・年齢・財産等によって一定の制限がされることが多い。
デモクラシー(民主主義)の語源は、ギリシャ語の demos (デモス、人民) と kratia (クラティア、権力) とが結びついた demokratia(デーモクラティア)である。デモクラシーとは、民衆が政治に参加する制度である。民主政治、民主制、民衆参政主義等とも訳される。
民主主義は古代ギリシャに先例を持つが、今日世界に広がっている民主主義は、近代西欧で発生・発達したものである。この近代民主主義と深い関係のある概念に、自由主義(liberalism、リベラリズム)がある。リベラリズムは、国家権力から自由と権利を守るために権力の介入を規制する思想・運動である。デモクラシーは、これと異なり、民衆が政治に参加する制度である。ともに近代西欧諸国で発達したもので、発達の過程でリベラリズムとデモクラシーは一体化した。デモクラシーは、民衆が自由と権利を守り、それらを拡大することを目的として政治に参加する運動を起こし実現した制度である。
それゆえ、米英等の指導者が説く民主主義は、自由を価値とし、自由と権利の擁護や実現・拡大を目指すための民主主義という性格を持つ。その民主主義は、自由主義的な民主主義、自由民主主義(liberal democracy、リベラル・デモクラシー)である。これに対し、共産主義者が説く民主主義は、階級闘争を通して政治権力を獲得し、社会的な平等を実現するための民主主義という性格を持つ。その民主主義は社会主義的な民主主義、社会民主主義(social democracy、ソーシャル・デモクラシー)である。
民主主義は、今日、あらゆる形態の政治権力を根拠付けるために正統性を付与できるほとんど唯一の概念となっている。正統性を主張できない政治権力は、むき出しの力による支配になる。支配を正当化するために、あらゆる政治権力が、みずからの正統性の根拠として、民主主義を標榜している。政治学者カール・シュミットは言う。「民主主義は、軍国主義的でも平和主義的でもあり得るし、進歩的でも反動的でも、集権的でも分権的でもあり得る」と。まさに今日の世界における民主主義は、そのような多様性を示している。
自由主義的な民主主義を以て真の民主主義と信奉する勢力から見れば、社会主義的な民主主義は自由や権利を規制したり、抑圧するものであって、独裁者や共産党が権力を掌握する専制主義が、民主主義を詐称しているに過ぎない。一方、社会主義的な民主主義を掲げる勢力は、国家によってさまざまな民主主義があるとして、米英等による批判は民主主義の押し付けだと反発する。
実際、注意すべきこととしては、例えば中国は共産党の実質的な独裁のもとで人民民主主義を標榜し、人民の代表者による議会を運営している。また、ロシアは旧ソ連の共産主義を否定した結果として生まれた国であり、大統領を民衆による選挙で選んでいる。それゆえ、単に民主主義ではないと批判するだけでは、有効な批判にはならない。
註
(2) 権力と訳される西欧単語は、英語の power、独語の Macht、仏語の puissance 等である。これらはどれも力を表す言葉である。力は物事を生起させる原因に係る概念である。日常的な言語では、目には見えないが人やものに作用し、何らかの影響をもたらすものを力という。こうした力の概念に基づく権力とは、他者または他集団との関係において、協力または強制によって、自らの意思に沿った行為をさせる能力であり、またその影響の作用ということができる。詳しくは、拙稿「人権――その起源と目標」第1部第3章(1)「権力とは何か」をご参照ください。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion03i.htm
●権威主義と全体主義
次に、専制主義に類似の言葉として、権威主義(authoritarianism、オーソリタリアニズム)と全体主義(totalitarianism、トータリタリアニズム)がある。
権威主義は、もともと社会心理学の用語であり、ナチス・ドイツを支持し追従した人々の性格と行動を分析するために使われた概念である。それゆえ、政治体制を表わす言葉としては適当ではない。また権威(註3)は、宗教や伝統、制度、人格等に基づいて、人々に広く受け入れられて集団の求心力として働くものであり、必ずしも否定すべきものではない。すべての権威を否定することは、あらゆる価値の破壊になる。だが、今日では、専制主義的・独裁的に権力を行使する強権政治を批判する時に、しばしば使われている。
権威主義は、authoritarianismの訳語である。authorityを「権威」と訳すのが通例ゆえ、権威主義と訳すものである。だが、authorityは「権威」だけでなく、「権力(power)」「影響力」の意味を持つ。そこから、複数形のthe authoritiesは「当局」「官憲」を意味する。それゆえ、authorityを「強権」と訳し、その訳語に権威と権力を含ませることが可能である。そして、authoritarianismの訳語を「強権主義」として、権力を独裁的に行使する専制主義や、強い権力に裏付けられた権威主義の両方を含むものとするとよいと思う。なお、本稿では、私見と区別するため、報道で一般に使われている訳語「権威主義」を使用する。
全体主義は、個人の利益よりも全体の利益を優先し、全体に尽すことによってのみ個人の利益が増進するという論理に基づく政治体制である。特に一つの政党・結社が絶対的な権力を国家の全体あるいは人民の名において独占する制度・思想をいう。
C・J・フリードリッヒとZ・K・ブルゼンスキーの共著『全体主義的独裁と専制』によると、全体主義には、次のような特徴がある。①首尾一貫した完成したイデオロギー(世界征服を目指す千年王国論)、②独裁者の指導による単一大衆政党、③物理的・心理的テロルの体系、④マスコミの独占、⑤武器の独占、⑥経済の集中管理と指導――これらの6点である。旧ソ連やナチス・ドイツが全体主義の典型である。
米英等の指導者は、民主主義と専制主義を対比する際、民主主義には自由主義的な民主主義と社会主義的な民主主義があることを考慮しない。また専制主義の同義語のようにして、しばしば権威主義・全体主義を使う。主要なマスメディアやジャーナリストも、これらの概念を吟味せずに、同じような使い方をするので、理解に混乱を生じやすい。この点に注意して基本的な概念を整理することが必要である。
註
(3)権威とは、他者を内面的に信服させる作用を持つ社会的な影響力や制度、人格をいう。権威という言葉も、西欧言語の翻訳のために作られた。もとの西欧単語は、英語 authority、独語 Behorde、仏語 autorite等である。英語の authority は「権威、権力、影響力」を意味する。権威とともに権力をも意味することに注意したい。権力と権威の概念は、一部重なり合うものなのである。詳しくは、拙稿「人権――その起源と目標」第1部第3章(1)「権力とは何か」をご参照ください。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion03i.htm
次回に続く。
************* 著書のご案内 ****************
『人類を導く日本精神~新しい文明への飛躍』(星雲社)
https://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/cc682724c63c58d608c99ea4ddca44e0
『超宗教の時代の宗教概論』(星雲社)
https://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/d4dac1aadbac9b22a290a449a4adb3a1
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●基本的な概念の定義
民主主義と専制主義という対比を行うには、まず基本的な概念の整理が必要である。
民主主義と専制主義の違いは、政治参加の権利の所有者と集団の意思決定の仕方にある。
人類は集団生活を行う動物である。人間の集団は、集団の存続と繁栄のために意思決定をしなければならない。集団の構成員は、その決定に従って生活・行動する。集団の意思決定は、一人の指導者の判断で決定するか、少数者の合議で決定するか、多数者の合議で決定するかのどれかでなされる。
集団のうちの一人または少数者が政治参加の権利を占有し、一人または少数者が集団の意思を決定する制度・体制が、専制主義(autocracy、オートクラシー)である。絶対主義的な君主や独裁者が統治する国家や、革命で権力(註2)を掌握した共産党、クーデターで政権を奪取した軍部が支配する国家がその典型である。
オートクラシー(専制主義)の語源は、ギリシャ語の autos(アウトス、一人)と kratia (クラティア、権力) とが結びついたautokratía、アウトクラティア)である。オートクラシーとは、一人または少数者の集団が強大な権力を持つ政治体制をいう。独裁主義、独裁制等とも訳される。ここで独裁は、一人による個人独裁に限らず、少数者による集団独裁を含む。
これに対し、集団のうちの多数者が政治参加の権利を保有し、多数の合議によって集団の意思を決定する制度・体制が、民主主義(democracy、デモクラシー)である。集団の意思決定を多数決で行い、指導者や代表者を選挙で選ぶ制度がその典型である。権利の所有者は性別・年齢・財産等によって一定の制限がされることが多い。
デモクラシー(民主主義)の語源は、ギリシャ語の demos (デモス、人民) と kratia (クラティア、権力) とが結びついた demokratia(デーモクラティア)である。デモクラシーとは、民衆が政治に参加する制度である。民主政治、民主制、民衆参政主義等とも訳される。
民主主義は古代ギリシャに先例を持つが、今日世界に広がっている民主主義は、近代西欧で発生・発達したものである。この近代民主主義と深い関係のある概念に、自由主義(liberalism、リベラリズム)がある。リベラリズムは、国家権力から自由と権利を守るために権力の介入を規制する思想・運動である。デモクラシーは、これと異なり、民衆が政治に参加する制度である。ともに近代西欧諸国で発達したもので、発達の過程でリベラリズムとデモクラシーは一体化した。デモクラシーは、民衆が自由と権利を守り、それらを拡大することを目的として政治に参加する運動を起こし実現した制度である。
それゆえ、米英等の指導者が説く民主主義は、自由を価値とし、自由と権利の擁護や実現・拡大を目指すための民主主義という性格を持つ。その民主主義は、自由主義的な民主主義、自由民主主義(liberal democracy、リベラル・デモクラシー)である。これに対し、共産主義者が説く民主主義は、階級闘争を通して政治権力を獲得し、社会的な平等を実現するための民主主義という性格を持つ。その民主主義は社会主義的な民主主義、社会民主主義(social democracy、ソーシャル・デモクラシー)である。
民主主義は、今日、あらゆる形態の政治権力を根拠付けるために正統性を付与できるほとんど唯一の概念となっている。正統性を主張できない政治権力は、むき出しの力による支配になる。支配を正当化するために、あらゆる政治権力が、みずからの正統性の根拠として、民主主義を標榜している。政治学者カール・シュミットは言う。「民主主義は、軍国主義的でも平和主義的でもあり得るし、進歩的でも反動的でも、集権的でも分権的でもあり得る」と。まさに今日の世界における民主主義は、そのような多様性を示している。
自由主義的な民主主義を以て真の民主主義と信奉する勢力から見れば、社会主義的な民主主義は自由や権利を規制したり、抑圧するものであって、独裁者や共産党が権力を掌握する専制主義が、民主主義を詐称しているに過ぎない。一方、社会主義的な民主主義を掲げる勢力は、国家によってさまざまな民主主義があるとして、米英等による批判は民主主義の押し付けだと反発する。
実際、注意すべきこととしては、例えば中国は共産党の実質的な独裁のもとで人民民主主義を標榜し、人民の代表者による議会を運営している。また、ロシアは旧ソ連の共産主義を否定した結果として生まれた国であり、大統領を民衆による選挙で選んでいる。それゆえ、単に民主主義ではないと批判するだけでは、有効な批判にはならない。
註
(2) 権力と訳される西欧単語は、英語の power、独語の Macht、仏語の puissance 等である。これらはどれも力を表す言葉である。力は物事を生起させる原因に係る概念である。日常的な言語では、目には見えないが人やものに作用し、何らかの影響をもたらすものを力という。こうした力の概念に基づく権力とは、他者または他集団との関係において、協力または強制によって、自らの意思に沿った行為をさせる能力であり、またその影響の作用ということができる。詳しくは、拙稿「人権――その起源と目標」第1部第3章(1)「権力とは何か」をご参照ください。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion03i.htm
●権威主義と全体主義
次に、専制主義に類似の言葉として、権威主義(authoritarianism、オーソリタリアニズム)と全体主義(totalitarianism、トータリタリアニズム)がある。
権威主義は、もともと社会心理学の用語であり、ナチス・ドイツを支持し追従した人々の性格と行動を分析するために使われた概念である。それゆえ、政治体制を表わす言葉としては適当ではない。また権威(註3)は、宗教や伝統、制度、人格等に基づいて、人々に広く受け入れられて集団の求心力として働くものであり、必ずしも否定すべきものではない。すべての権威を否定することは、あらゆる価値の破壊になる。だが、今日では、専制主義的・独裁的に権力を行使する強権政治を批判する時に、しばしば使われている。
権威主義は、authoritarianismの訳語である。authorityを「権威」と訳すのが通例ゆえ、権威主義と訳すものである。だが、authorityは「権威」だけでなく、「権力(power)」「影響力」の意味を持つ。そこから、複数形のthe authoritiesは「当局」「官憲」を意味する。それゆえ、authorityを「強権」と訳し、その訳語に権威と権力を含ませることが可能である。そして、authoritarianismの訳語を「強権主義」として、権力を独裁的に行使する専制主義や、強い権力に裏付けられた権威主義の両方を含むものとするとよいと思う。なお、本稿では、私見と区別するため、報道で一般に使われている訳語「権威主義」を使用する。
全体主義は、個人の利益よりも全体の利益を優先し、全体に尽すことによってのみ個人の利益が増進するという論理に基づく政治体制である。特に一つの政党・結社が絶対的な権力を国家の全体あるいは人民の名において独占する制度・思想をいう。
C・J・フリードリッヒとZ・K・ブルゼンスキーの共著『全体主義的独裁と専制』によると、全体主義には、次のような特徴がある。①首尾一貫した完成したイデオロギー(世界征服を目指す千年王国論)、②独裁者の指導による単一大衆政党、③物理的・心理的テロルの体系、④マスコミの独占、⑤武器の独占、⑥経済の集中管理と指導――これらの6点である。旧ソ連やナチス・ドイツが全体主義の典型である。
米英等の指導者は、民主主義と専制主義を対比する際、民主主義には自由主義的な民主主義と社会主義的な民主主義があることを考慮しない。また専制主義の同義語のようにして、しばしば権威主義・全体主義を使う。主要なマスメディアやジャーナリストも、これらの概念を吟味せずに、同じような使い方をするので、理解に混乱を生じやすい。この点に注意して基本的な概念を整理することが必要である。
註
(3)権威とは、他者を内面的に信服させる作用を持つ社会的な影響力や制度、人格をいう。権威という言葉も、西欧言語の翻訳のために作られた。もとの西欧単語は、英語 authority、独語 Behorde、仏語 autorite等である。英語の authority は「権威、権力、影響力」を意味する。権威とともに権力をも意味することに注意したい。権力と権威の概念は、一部重なり合うものなのである。詳しくは、拙稿「人権――その起源と目標」第1部第3章(1)「権力とは何か」をご参照ください。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion03i.htm
次回に続く。
************* 著書のご案内 ****************
『人類を導く日本精神~新しい文明への飛躍』(星雲社)
https://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/cc682724c63c58d608c99ea4ddca44e0
『超宗教の時代の宗教概論』(星雲社)
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