ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

民主対専制6~民主主義の諸相:君主制と共和制

2021-12-26 08:58:51 | 国際関係
●民主主義の諸相

 次に、民主主義及び専制主義の諸相を順に見ていく。

・民主主義国家における君主制と共和制
 民主主義の国家体制には、君主制と共和制がある。また、民主主義には、君主制の民主主義と共和制の民主主義がある。君主制は、王や天皇が存在する体制である。共和制は、君主が存在しない体制である。
 国家の最高権力を意味する主権の所在については、主権が君主にあるとする君主主権と、主権が国民にあるとする国民主権がある。
 フランスは、18世紀後半まで君主主権の君主制国家だったが、王を廃止し、共和制に移行した。主権は国王から国民に移った。アメリカは、もとはイギリスの植民地だったが、イギリスから独立し、共和制の国家を建設した。これらフランス・アメリカは国民主権の国である。戦後のわが国では、フランス・アメリカのような国家体制を民主主義の典型と考える傾向がある。だが、主権の所在については、もう一つ、君主と国民の全体にあると見るべき形態がある。これを君民共治主権という。
 近代民主主義の発祥の地・イギリスは、17世紀半ばまで君主主権の君主制国家だったが、市民革命を経て、君主制のもとで国民が政治に参加する議会政治が行われるようになった。この体制は単なる君主主権ではない。君主と国民が主権を共有すると考えられる。西欧にはこうした君民共治主権の民主主義の国家が多くある。みなイギリスの体制の変形である。オランダ、スウェーデン、スペイン、デンマーク、ノルウェー、ベルギーがこの例である。
 日本は、明治維新後、近代国家を建設するにあたって、西欧の君主制国家を参考にした。イギリスは、国王は「君臨すれども統治せず」といわれるように、国王は直接政治を行わず、政治は議会によって行われる。議会は貴族院と庶民院の二院制である。貴族は中世以来の身分であり、王の下で貴族と平民が協力して政治を行う。議院内閣制を採り、内閣は議会に対して責任を負う。首相も同様である。成文憲法を持たない国であるので、慣習法によってこのような体制が採られている。
 これに比し、日本は、明治時代中ば、成文憲法を制定し、天皇を統治権者とする君主主権を規定した。また議会を設け、内閣が行政を担った。議会は貴族院と衆議院の二院制だった。イギリスの貴族に当たる華族が存在し、皇族・有識者とともに貴族院の議員を構成した。この体制は、君主と国民が主権を共有する君民共治主権の君主制民主主義と見ることができる。
 大東亜戦争の敗戦後、GHQの占領下において、憲法が改正され、天皇は国政に関する権能を失い、象徴と規定された。また国民主権すなわち主権在民が規定された。華族が廃止され、議会は参議院と衆議院の二院制となった。戦前の日本では、内閣は議会に責任を負うのでなく、天皇に責任を負った。総理大臣も同様だった。それゆえ、イギリス型の議院内閣制とは異なっていた。戦後は、内閣と総理大臣は議会に対して責任を負うイギリス型の議院内閣制に近いものになっている。
 戦後日本は、君主が存在する主権在民の国家である。君主が存在する点ではイギリスに似ており、主権在民である点ではアメリカに似ている。イギリス型とアメリカ型の中間と見ることが可能である。君主制と国民主権は矛盾しない。国民主権という時の国民には、天皇・皇族を含むと考えることができるからである。それゆえ、私は、戦後の日本は、主権が君主と国民の全体にある君民共治主権の民主主義国家であると考える。この点では、戦前の日本と現在の日本は、民主主義国家のあり方としては根本的に変わっていない。

 次回に続く。

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