ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
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インド69~ガンディーの非暴力・不服従運動

2020-04-14 10:27:26 | 心と宗教
●ガンディーの非暴力・不服従運動

 モーハンダース・カラムチャンド・ガンディーは、インド独立運動の指導者であり、インド独立の父である。マハートマ(偉大な魂)という尊称で呼ばれる。
 1869年にグジャラートに生まれ、敬虔なヒンドゥー教徒の両親のもとで,幼時より宗教に親しんだ。18歳でイギリスに留学し、弁護士資格を取って1891年に帰国した。1893年に商社の顧問弁護士となり、アフリカに渡った。英領南アフリカ連邦では、白人種による有色人種への厳しい差別政策が行われていた。ガンディーは、インド人唯一の弁護士としてインド人移民労働者への差別と戦った。その過程で、アヒンサー(不傷害・不殺生)を基調とする非暴力主義の運動を組織した。1915年にインドに帰国後、国民会議派に参加して、労働運動や反英独立運動に従事した。
 第1次世界大戦が起こると、イギリスは将来の自治を約束して、植民地統治下のインド人に協力を求めた。ガンディーは、当初イギリスによる自治拡大の約束を信じて、インド人に軍隊への志願を呼びかける運動を行った。だが、イギリスが態度を変え、弾圧を強めたので、1919年4月、全国的な同盟休業を指示して抗議した。この時、アムリッツァルで開かれたローラット法反対の集会で、イスラーム教徒らからなるインド軍部隊が非武装の民衆を無差別射撃し、死者379人、負傷者1208人を出した。このアムリッツァル虐殺事件の後、ガンディーは、一旦運動を停止した。
 大戦は、1919年11月に終結した。終戦後、イギリスは、対トルコ政策として、イスラーム教の宗教的・政治的指導者の称号であるカリフの廃止を図ろうとした。これに対し、インドのイスラーム教徒はカリフ制擁護を主張して立ち上がった。これをヒラーファト運動という。ガンディーは、ヒンドゥー教徒とムスリムの協調を進める好機ととらえ、国民会議派の組織を挙げて、この運動に合流した。そして、以前より徹底した非暴力・不服従運動を展開した。こうしてインドの反英闘争は、宗教の違いを超えて独立を明確な目標とすることになった。ナショナリズムが独立志向型に発展したものである。
 ガンディーの非暴力・不服従運動は、納税の拒否やイギリス商品の不買等の方法で、抵抗を示すものである。インド軍は武力でこれを抑えつけようとする。これに対し、銃砲を向けられ、発砲されても反撃せず、また逃げもしないという運動である。これを貫くには、大きな勇気と強い忍耐が必要である。その根底にあるのは、生き物を傷つけない、殺さないというアヒンサーの思想である。この思想は、ヒンドゥー教だけでなくジャイナ教や仏教にも共通する。
 不傷害・不殺生の思想は、伝統的には個人の行動に関するものだった。しかし、ガンディーは、それを社会的な運動の根本に置いた。そして、非暴力・不服従の運動を「サティヤーグラハ」と名付けた。この言葉は、「真理の把持」を意味する。人々が真理とみなすものを非暴力・不服従の手段で保持し獲得することである。
 中村元は、ガンディーのサティヤーグラハについて、次のように書いている。「彼の活動は政治的領域だけに限られていたが、それは真理の実現、解脱のための手段に他ならないと宣言した。彼によると、真理は神であり、非暴力はそれに達する手段である。完全な非暴力は完全な自己実現である」と。
 イギリスは、インドのナショナリズムの拡大に対応するために、インド統治法を改正し、21年に施行した。同法は、地方政治では部分的自治を認めたが、イギリス人知事が財政・警察を握り、インド総督が中央の議会に対して拒否権を持つというもので、インド人の自治を十分認めるものではなかった。大戦に協力したインド人は、自治拡大への期待を裏切られた。
 ガンディーは、非暴力・不服従運動を続けた。だが、1922年に農民が警察官を襲撃して殺害するという事件が起こり、再び運動の中止を決定した。彼自らも逮捕された。それによって、第1次非暴力・不服従運動は終息した。
 ガンディーはヒンドゥー教徒だが、同時に自分はイスラーム教徒でもあり、原始キリスト教に賛同するとして、宗教間の対話を呼びかけた。だが、イスラーム教の側では、1924年にオスマン帝国のカリフが退位したため、ヒラーファト運動が立ち消えになり、再びヒンドゥー教徒とムスリムが対立するようになった。ガンディーの運動中止と宗教対立の再燃によって、国民会議派の活動は停滞した。
 このような結果にはなったが、ガンディーの指導によって、インドの反英闘争は自治の実現を要求する大衆的かつ全国的な政治運動に拡大した。エスニックな民族運動というより、ナショナルな国家独立・国民形成の動きである。イギリスは、もはやこれを無視できなくなった。

 次回に続く。

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