ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

戦後賠償問題は、決着済み2

2007-08-08 10:10:22 | 歴史
●連合国は、政府も国民も請求権を放棄した

 国家間の戦後賠償は解決していても、個人に対する補償は別問題だという主張がある。アメリカでは、これから個人補償請求運動が再燃するだろう。しかし、個人の問題も含めて戦後賠償問題は、政府間で解決済みである。
 国家は、自主的な判断に基づいて何らかの行為をした場合、それが国際法に違反する行為であれば、国際法上の責任を負う。これを国家責任という。戦争をした国同士が戦後、講和条約を結ぶのは、この国家責任という考え方に基く。
 サンフランシスコ講和条約は、第14条(b) に、以下のように定めている。

 「この条約に別段の定がある場合を除き、連合国は、連合国のすべての賠償請求権、戦争の遂行中に日本国及びその国民がとつた行動から生じた連合国及びその国民の他の請求権並びに占領の直接軍事費に関する連合国の請求権を放棄する」

 これは、【賠償、在外財産】についての規定である。「連合国及びその国民の他の請求権」とあるように、請求権を放棄する主体は、「連合国」の他に「その国民」も含まれている。国民個人による請求権も含めて、連合国側は放棄したわけである。

 そもそも条約とは、国家間の取り決めである。だから、請求権の主体として個人が表われるのは、例外的である。先に引いた講和条約第14条(b)が「連合国及びその国民」といって、政府だけでなく国民にも言及しているのは、国民個人も含むことを明示したものと理解しなければならない。連合国の各国政府は、国家が蒙った損害と国民の受けた損害をひっくるめて、わが国に請求権を主張し、そのうえでそれを一括して放棄したのである。

 ここで注意したいのは、連合国は、請求権を放棄したといっても、放棄に見合うだけのものを得られるので、権利を放棄したのである。講和条約は、そういう取り決めをしている。

●わが国及び国民も、在外資産や賠償請求権を放棄した

 その一方、わが国は、わが国の在外資産をすべて放棄している。放棄したのは、個人の資産を含む。それを定めたのが、第14条(a)である。条文が長大で詳細ゆえ、引用は省く。また、わが国が蒙った損害に対する賠償請求権についても、わが国の政府及び国民が一括して放棄している。これは、第19条(a)【戦争請求権の放棄】に明記している。

 「日本国は、戦争から生じ、または戦争状態が存在したためにとられた行動から生じた連合国及びその国民に対する日本国及びその国民のすべての請求権を放棄し、且つ、この条約の効力発生の前に日本国領域におけるいずれかの連合国の軍隊又は当局の存在、職務遂行又は行動から生じたすべての請求権を放棄する。」

 上記の規定に同意せずにわが国に賠償を請求した国とは、わが国は個別の平和条約を締結した。このように、政府間で約束を決め、日本はそれを実行した。そえによって日本国としての戦後賠償問題はすべて決着しているのである。

 戦争による損害は、戦勝国と敗戦国では、敗戦国がこうむった損害のほうが当然はるかに大きい。わが国は、アメリカによって本土を攻撃され、主要都市は焦土と化した。資産の損失は莫大である。家・財産を失った国民は、数知れない。これに対し、アメリカは本土攻撃を受けていない。だから、双方が請求権を放棄したのは一見平等のようであるが、実際には敗戦国に不利な内容となっている。それは、戦争に負けた側が甘受するしかない。

●米兵元捕虜も、日本人被爆者も、相手国への賠償請求権は消滅

 講和条約によって、連合国もわが国も、ともども政府・民間の請求権を放棄した。だから、アメリカ人元捕虜が在米日本企業に対して損害賠償を請求する権利は、存在しない。彼らが訴訟を起こすなら、こちらも対抗して広島・長崎に投下された原爆による損害請求をしようという主張があるが、これも講和条約に根拠を持たないといわざるを得ない。
 わが国の政府及び国民が放棄した請求権には、原爆で蒙った損害についての賠償請求権利も含む。そう考えなければならない。それも含めて、わが国は一切の請求権を放棄したのである。
 ちなみに原爆投下に対して損害賠償請求訴訟をした裁判に、下田事件がある。その裁判において、原告側は、講和条約第19条でアメリカ政府への請求権は消滅したことを前提として、日本政府に国家賠償請求をした。原爆判決と呼ばれる東京地裁の判決は、請求を棄却した。

 講和条約は、国家間の戦争状態を法的に終結させるものであって、そこで各国が合意した取り決めを、後になって覆そうとすれば、収拾がつかなくなる。個人の権利というものは、国民の権利を超えるものではない。国民個人の権利は、政府が締結した条約の内容に限定されると考えるべきものと思う。

 次回に続く。