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●漫画・・ 「関東平野」..(2)

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 抒情劇画「関東平野」は、上村一夫先生の代表作の一つです。上村一夫先生といえば、やはりその絵のうまさでしょう。元々美大卒だから、絵画の基礎が出来ている上に、スタートはプロのイラストレーターです。「関東平野」の初出は少年画報社の青年誌、「ヤングコミック」の1976年10月から78年8月までの連載で、“昭和の絵師”上村一夫先生オリジナルストーリーの自伝的作品です。少年画報社のヤングコミックは1968年に月刊の青年コミック誌として創刊され、後に隔週刊、一時は週刊雑誌だった時代もあります。残念ながら、90年代に入って一時休刊し、その後は成人向け月刊コミック雑誌となって刊行され、現在でも発刊されている雑誌です。創刊から80年代までは青年劇画コミック専門誌として、コミック界ではそれなりの勇名を馳せていました。青年劇画誌時代は、例えば石井隆氏の「名美」シリーズなど、話題になった漫画作品も多々ありました。“昭和の絵師”上村一夫氏も数多くの作品を寄稿、短編・長編を連続して同誌に掲載し、話題作もいっぱい残して来ました。無論、同時代の他の青年劇画誌同様、「ヤンコミ」にも、当時の売れっ子作家の人気作品もいっぱい掲載されて来ました。

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 「関東平野」が掲載されていた「ヤングコミック」は青年誌ですが、僕が青年誌を読み始めたのは、多分、20歳くらいからです。僕が、児童・少年漫画雑誌を、読んでいたのは高校二年生までです。高校二年生三学期まるまるいっぱいまで、週刊少年マガジンと週刊少年サンデーを読んでいました。高校一年生までは、時々、週刊少年ジャンプと週刊少年チャンピオンを買って読むこともありました。高二ではマガジン&サンデーのみで、ジャンプ、チャンピオンは全くといっていい程、読まなかったですね。週刊少年キングに関しては、中学校を卒業して以降は、全然読んだことないくらいでした。少年画報社さん済みませんです。僕は、高校三年生になってからはほとんど、漫画を読まなくなりました。僕が再び漫画を読むようになったのは、多分、20歳を越えてからだと思います。そして今度は、青年漫画雑誌ばかり読むようになり、少年誌は全くといっていいくらい読まなくなりました。僕は20歳から25歳くらいまで、東京都保谷市、現在の西東京市に住んでいました。保谷駅前といってもいいくらいの、駅から徒歩5、6分程度に立つアパートで、独り暮らしを約5年間くらいやっておりました。まあ、独り暮らし自体は、その後もずっとやってるんですけど。夕食などの外食は、西武線沿線の飲食店で食べることが多く、江古田や石神井、大泉、保谷などのラーメン屋や定食屋で食べてましたね。レストランやとんかつ屋に入ることも多かったですけどね。ほとんど自炊はせず、ごくたまに、ご飯を炊いて何か炒め物でも作ることもありましたけど、たいてい毎日外食でした。まあ、独り暮らしだし、部屋でのパン食とか即席めん食で済ますことも多かったでしょうけど。そんな中で、よくラーメン屋や定食屋で、漫画誌を読んでいましたけど、あまり少年誌を取ることはなく、もっぱら青年誌を読んでました。青年コミック誌。

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 何か、当時、毎日のように通う幾多の飲食店で読むのは、「週刊漫画アクション」や「別冊アクション」、そして「ヤングコミック」「プレイコミック」でしたね。小学館の青年コミック誌「ビッグコミック・オリジナル」は何だか、最初から駅のキョスクで買って、退社後の通勤電車の中で読んでたみたいに記憶する。一番最初に定期購読的に続けて読み始めたのが、「ビッグコミック・オリジナル」だった。と思う。その内、「週刊漫画アクション」と「別冊アクション」は発売日に駅のキョスクで買うようになり、ある時からは毎号、ビッグ・オリジナル、週刊アクション、別冊アクションの三誌を、欠かさず続けて購読するようになってました。僕の保谷時代のけっこう早い時期から、ですね。こういっては当時のお店に失礼ですが、店自体が汚い雰囲気で値段の安そうなラーメン屋とか定食屋で読む、アクションやヤングコミックが印象深く記憶に残っています。最初、購読してなかったアクションを続けて読むようになったのは、確か、江古田の定食屋で初めて読んでからだと思います。そういえば、秋田書店の青年誌「プレイコミック」を続けて購読していた時期もありましたね。あの時代はよく喫茶店にも入ってたしなあ。喫茶店で青年コミック誌読んで、時間潰すの、多かったように記憶する。結局、どういう訳か、小学館青年誌の老舗、「ビッグコミック」だけはあんまり読んでないんですよねえ。

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 秋田書店発行の青年誌「プレイコミック」は当時、影丸穣也・作画、真樹日佐夫・原作のハードボイルド格闘アクション劇画、「けものみち」が毎回読みたくて、毎号購読していましたね。あの当時の「プレイコミック」には、居村真二・作画、芥真木・原作「銭狩り」とかも連載されてて、思えば、あの作品もけっこう好きだったなあ。居村真二さんは、60年代後半から70年代に、つのだじろうさんの作品のバックを描いていた方ですよね。つのだ作品によく登場する、つのだじろう先生の絵柄と全然違うタッチの登場人物たちの絵。「銭狩り」は、確か、フリールポライターかカメラマンか何かの美人記者が活躍する、サスペンスアクション劇画。小池一雄・原作で神江里見・作画の明朗青春劇画、「青春チンポジウム」は「プレイコミック」掲載作品だったんだなあ。後に「青春チンポジウム」はコミックスで全編全巻読んだ。あの作品も、メチャ面白い青春漫画の名作でした。「ヤングコミック」「別冊アクション」「プレイコミック」は隔週刊雑誌で、「ヤンコミ」だけはごくタマにしか購読してなかったなあ。昔々の、近所に貸本屋さんがあって毎日通っていた、僕の子供時代を除けば、保谷時代が僕の人生で、一番多く漫画を読んでいた時期だろうなあ。あの時代はコミックス単行本もよく購読してたし。人生で一番青年劇画を読んでた日々。

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 高校生の頃の僕は本当に貧乏で金を持っていなくて、高校二年生時、どうして毎週、サンデー・マガジン二誌が読めてたかというと、当時のクラスメートが毎週、サンデー・マガジンを購読していて、読み捨てでしたから、彼が一日で読んでしまった二誌を翌日、僕が半額で買い取って、家に持って帰って蒐集してました。僕としては、僕自身、幼少時から元々漫画本コレクターみたいな蒐集癖がありましたから、この児童漫画週刊誌二誌が毎号、手元に入るのは嬉しかった。貧乏高校生の僕も、途中から弁当をやめて、毎日昼食代百円を母親に貰ってましたから、昼飯さえ我慢すれば、週一度の漫画誌二冊の半額代くらい簡単に出る。働き出して稼ぐようになってからは、青年漫画誌やコミックス本は、もう、ばんばん買って来て読んでましたけど。なかなか本の捨てられない僕はいつでも、雑誌もコミックス単行本も漫画本がメチャメチャ溜まるんですけど、転勤とかの引越しがあるんでその都度、結局捨ててましたけどね。倉庫とか持ってたら、勿論、全部取っておいたんでしょうけど、転勤の多いサラリーマン暮らしだったし、まさか倉庫なんて借りられないしね。コミックス本は後々お宝になったやも知れないから、環境的に許されれば取っておきたかったけど、残ったのは実家に送った一部だけで、あとは勿体なくも捨ててましたね。あー、勿体ない。

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 今回の、このタイトル「関東平野」..(2)は、前回の「関東平野」..(1)の続きになりまして、2011年4月15日記事の「関東平野」..(1)の内容で、2000年当時頃発行分の、まんだらけのカタログ機関誌「まんだらけZENBU」に連載されていたエッセイ、「ヤングコミック風雲録」の文面内容を引用して、少年画報社の青年・成人コミック誌「ヤングコミック」黄金時代の上村作品や、当時の風俗・流行など、その時代に触れてみましたが、今回もそこからの引用というか「ヤングコミック風雲録」を読んで、いや、僕の所持してた「まんだらけZENBU」掲載分を読んで覚えてる記憶から思い出し、僕なりに何か書き込んで行くんですけど、あの文章群、内容の中には浅川マキさんなんかも登場してました。浅川マキさんは、当時のコミックにとても造詣が深く、「ヤングコミック」の愛読者でもあった。後の、昭和の異色のブラック・フォークシンガー、浅川マキさんは上京する以前の、地方在住の少女時代から当時のコミックの大ファンで、あの時代の貸本や少年漫画、産声を上げたばかりの青年劇画などまで、当時の漫画のかなりの読み手の方でした。「ブラック・フォークシンガー」って、僕が勝手に命名してるんですけど、あの時代の浅川マキさんは、いつも全身黒づくめの衣装で、日本土俗的な演歌テイストを含んだ独特のブルースを歌い上げる、あの時代であれば「フォークシンガー」に分類されてしまう、何ていうか一種魔女的な雰囲気を持つ独特なスタイルの、印象的な歌手でした。その浅川マキさんが、「ヤングコミック」掲載の真崎守氏の作品などについて語っているエピソードなんかも載っていた。

 浅川マキさんに関しては以前、何度か文章に起こそうとして、訃報ニュースのリンク記事を載せたり、思い出や感想を数行や十数行書き込んでは、ちゃんとした記事としては文章を成立できず、ボツにしたものがいくつかあった。それらは、まあ、みんなボツにして残ってないんだけども、浅川マキさんが2010年1月17日に亡くなられて、その訃報ニュースの関連情報から‥。 浅川マキさんのお別れ会が、2010年3月4日、東京新宿のライブハウス、新宿ピットインで行われ、有名人やファン、1500人もの参列があったらしい。ニュース記事では、代表者として山下洋輔氏の名前が上がっていたが、多分、ミュージシャン関係で訪れた有名人弔問客も多かっただろう。彼女をリスペクトして参列した人は多かったろうが、往年のファンや、また、昭和の時代の一つの証を確かめに行った人も居ただろう。記事には、70年代から親交のある山下洋輔氏は、「天才肌の芸術家。不器用でワガママな面もあったが、ほかのミュージシャンを受け入れる包容力もあった」と偲んだ。と、あった。ライブハウスの会葬で、1500人もの弔問では、店の並ぶ通りは長蛇の列だったろう。記事の写真では薄暗い店内のグランドピアノの前に大きな写真が掲げられ、その前に献花台が設けられていた。

 浅川マキさんが亡くなられた、と知ったのは、急性心不全の突然の死から4日くらい経ってからだ。ケイタイでインターネット情報をあちこち見ていて知った。名古屋の宿泊先ホテルで倒れているのが見つかって、病院で死亡が確認されたらしい。僕はもう長らく、浅川マキさんのことなぞ忘れていた。数年前一度、カラオケで「かもめ」を歌ったことがあるが、そのときでも今はどうしているんだろう?ということさえ頭に浮かばなかった。僕の中ではもうずっと昔の過去の人だった。それが突然頭をバンッて叩かれたような感じだった。驚いた。浅川マキさんは、僕が6畳一間の部屋で一人で好んで、彼女のレコードを聴いていた70年代後半からも、ずっと一途に、ジャズやブルースや、あの独特の世界を描く歌で、プロシンガーとして生きて来られていたんだ。僕は浅川マキさんの死を知って、自分のBlogで、思いを記事に書き込もうと思っていた。でも、日が経つばかりでとうとう書かないでいてしまった。

 僕が浅川マキさんをTVで初めて見たのは少年時代だった。全身“黒”という感じのいでたちだった。ヨーロッパ史の裏知識で知るジプシーのようだった。考えてみると、その当時の僕の家のTVはモノクロテレビだったし、12、3歳くらいの子供にジプシーの知識があったかどうか。ジプシーでなければ“魔女”かなあ。失礼な言い回しだけど、薄汚れた感の黒衣の魔女。“魔女”が歌った歌は初めて聞く不思議な歌だった。高度経済成長時代前期(高度経済成長期後半ですね)の昭和の小・中学生が聴く、全く新しい曲調。新鮮なメロディーとリズムに虜にされた。と思う。それまでに聞いて来ていた日本の歌謡曲や、50年代末から60年代初めのアメリカンポップスを邦訳して歌った洒落たノリの良い曲とは全く違う、不思議なリズムの曲。「夜が明けたら」という歌は、その歌詞もジプシーの流浪を歌うような曲だった。あの曲は何だか、あの当時の少年である、僕の心奥に感覚的に影響を及ぼした、という感じを持つ。その後、僕は青年となって「かもめ」や「前科者のクリスマス」などの名曲を知る。詩人で作家の寺山修司さんプロデュースの曲に魅了される。僕が寺山修司さんの数多くの著書を読んだり、氏の製作映画を見るきっかけは、やはり浅川マキの存在からだ。

 2000年頃当時の「まんだらけZENBU」掲載の、「ヤングコミック風雲録」を執筆されていたのは雑誌編集者で劇画原作者の岡崎英生さんですが、前回、「関東平野」..(1)でも触れましたが、多分2002年に飛鳥新社から上梓された「劇画狂時代-ヤングコミックの神話」というエッセイ本が、「まんだらけZENBU」の連載原稿をまとめて単行本化したものだと思います。その内容の中には、当時の「ヤングコミック」でも劇画作品を掲載していた、あの時代の気鋭の劇画作家、真崎守さんがとある劇場の席で、当時まだ駆け出しのフォークシンガーである加藤登紀子さんと偶然出会い、加藤登紀子さんが、「えっ、あなたがあの真崎守なの? 私も負けないわよ!」と言った、とかいうエピソードも語られています。「ヤングコミック風雲録」には、あの1970年代という熱き、混濁の時代の特徴的様々なエピソードが語られていて、なかなか貴重な時代情報本になっていますね。非常に面白いです。あの時代の、風俗・流行・文化を再発見するみたいで。

 60年代末から70年代10年間。学生運動から連合赤軍の各事件。ヒッピー・フーテン、アングラ文化。昭和元禄。サブカルチャー各文化の新しい才能と新しい波。エロ・グロ・ナンセンス・猥雑。激動の昭和の一断面、新しい文化が先鋭的に熱かった、あの象徴的時代。

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 上村一夫さんに戻りましょう。“昭和の絵師”上村一夫先生は、1986年1月、惜しくも45歳という若さで鬼籍入りをしてしまいました。上村一夫氏の作品は、オリジナル作品も原作付き作品も、昭和劇画の名作は無数にあります。美大卒イラストレーター出身の氏の独特のタッチで描かれる抒情は素晴らしいものでした。僕が大好きだった氏の作品はいっぱいありますけど、週刊漫画アクションに連載されていた、「60センチの女」や「星をまちがえた女」とか、真樹日佐夫原作の「おんな教師」や「ゆーとぴあ」。小池一夫原作の「修羅雪姫」などなど、印象的に今でもよく覚えてますねえ。上村一夫さんは、1970年代という昭和の一時代を象徴する劇画作家、という思いが強くしています。「関東平野」に限っていうと、実は僕、上村一夫氏の自伝的名作劇画、「関東平野」はちゃんと読んでいないんですね。コミックス単行本でまとめたものを、きちんとちゃんと読んではいない。それこそ、70年代の喫茶店やラーメン屋や定食屋の漫画誌の中の、ヤングコミック掲載分を断続的に読んでるだけです。Blog記事タイトルを「関東平野」と持って来ていて、随分インチキ臭い言い方ですが、上村一夫氏はあの時代の超売れっ子劇画作家で、あの当時の青年誌ではどの雑誌でも長・短編、掲載作品を必ず見ていたくらいで、僕もあの時代、いっぱい上村作品を読んで来てますし、何よりもあの独特のタッチで描かれる、なまめかしくもセクシーな美女の絵、あれにはあの当時、本当に魅了されたものです。

◆(2011-04/15)漫画・・ 「関東平野」..(1)
◆(2012-01/30)漫画・・ 「関東平野」..(2)

   

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●小説・・ 「じじごろう伝Ⅰ」 長いプロローグ..(3)

3.

 和也は、一歩また一歩と後ずさる内に、背中がどんと当たって、これ以上後ろへ退がれないことを知った。和也の背は、大きな樹木の幹に当たり、退路は阻まれていた。和也を追い詰めた通り魔の男は、右手に持つスタンガンを今一度、バチバチと電流発火させて見せた後、上着のポケットに突っ込んだ左手を出し、自分の顔の前にそれをかざし、左手に持った折り畳み式ナイフを、器用に片手で開いて見せた。

 泣き顔で、恐怖に慄いたままの和也は、退路を阻まれた樹木の幹を、無意識に背をずらせて横滑りに動いた。地表に浮き出た樹木の太い根っこに、足を捕らわれ転けそうになる。

 男の表情は、覆面から覗く両目部分でしか解らないが、笑っているようだ。卑劣な通り魔の男は、追い詰めた小さな子供の恐怖に駆られた姿を、猫が鼠をいたぶるように楽しんでいるのだ。

 「おい、ガキ。どっちがいいんだ? スタンガンの高圧電流でビリビリやられるのとよォ、こっちのナイフであっちこっち、切り刻まれるのとさあ」

 男は覆面の下で、ぐふぐふと声を出して笑った。しかし、すぐにどちらかの凶器で、和也に襲い掛かって来る気配はない。片手のナイフをひらひら遊びながら、また喋り出した。

 「あの転がってる長いライトはよう、アメリカ映画でよく見るヤツだろ? あっちの警察とか兵隊とかがよう、肩に乗っけて使って、いざとなれば武器にもなるヤツ。それがよォ、転がったまんまだ。ザマあねえな」

 ひとしきり喋ると、またくぐもった笑いを始めた。蒼白の顔で涙を流し、しゃくり上げ、全身で震えている小さな和也を、いたぶり続けるのが、楽しくて仕方がないという様子だ。

 「おっ。このガキ、漏らしたのか。汚ねえな。」

 和也は、今晩は公園の林や叢の中に入るので、長ズボンを履いて来ていたが、ズボンの股間から右側が濡れてしまっていて、靴下を履いていない足首部分から、靴に水が流れ落ちていた。和也は恐怖に、失禁してしまったらしい。

 「小便漏らす悪い子は、ちんちん切っちまった方がいいかもな」

 通り魔が、一歩二歩近付く。恐怖に失禁までしてしまった和也は、ついに、樹の幹に当てた背中をずるずると滑らせて、腰を抜かしたように、地面から浮き出た太い根っこの上に座り込んでしまった。そのままひくひくと、痙攣するように泣き続けている。

 「よし。おい、ガキ、座ったままでいいから、裸になりな」

 和也は泣き顔を上げて、覆面から覗く通り魔の目を見た。一瞬、何を言われたのか解らなかった。

 「おら、ぐずぐずするんじゃねえよ!」

 男は苛立って怒り、またスタンガンのスイッチを押して、バチバチと電流を飛ばして見せた。和也は言われたことの意味を理解した。裸になれ、と命令している。これからさらに、いったい何をされるんだろう? と、恐怖心はさらに強まった。心臓が停まりそうなくらい怖い。

 和也は視線だけを動かし、倒れたままの義行を見やった。ああ、目を覚まして、起き上がってくれないだろうか。和也は小さな胸の内で、一心に祈った。だが虚しい祈りだった。相変わらず義行はピクリとも動かない。義行兄ちゃんは死んでしまったのだろうか。和也は自分のことを置いて、ふと義行の身の心配をした。

 通り魔の男は、しばし動きを止めて何事か案じていた。

 「予定変更だ。おまえは一端、ここで眠らせて連れて行くことにする‥」

 通り魔がスタンガンを前に構えて、和也に一歩近付いた。和也の顔が再び、恐怖に歪む。

 その時、ガサリと叢の、笹の茂みで音がした。木々の間から、一匹の犬が出て来た。先程、義行と和也が居た外灯の下あたりだ。外灯の灯りの下だから、はっきり見える。やや小さめの中型犬。毛色は茶色っぽい。和也は声を上げそうになった。あの時の犬だ。幽霊の大きなお爺さんと一緒に居た、あの犬だ。和也は何だか心の中に、絶望の縁で、一縷の望みの光明を見いだしたような、そんな気持ちが起こった。犬が静かに近付いて来た。

 「ちっ。何でえ、脅かしやがって。貧相な野良犬じゃねえか。そういえば、思い出したぞ。俺はこの間の、体当たりされたワン公にも、仕返ししてやらねえと我慢ならねえんだ」

 通り魔の男は、ゆっくりとこちらへ歩いて来る、茶色の犬を見ながら独り言のように喋った。

 和也も、こっちへ近付いて来る、あまり大きくはない犬を見ていた。この間助けてくれた、白い大きな犬に比べれば、随分小さく見える。しかし、この犬には、あの時の白い大きな犬と似た雰囲気がある。同じ仲間のような雰囲気。何だろう、オーラとでも呼ぶものだろうか。何だか、何をも恐れぬふてぶてしさのような、そんな感じを発散しているように思えた。和也は、犬の目を見た。まるで人間のような目だった。知性の宿る目。和也は確信した。このワンちゃんは、あの白い大きな犬の仲間だ。

 通り魔の男も、近寄って来る犬に違和感を覚えていた。何か、いつも見る他の犬たちとは違う。まるで、誰か人間を前にしているような錯覚さえ起こしそうになる。

 「この野良犬の野郎、こっちへ来るなっ! ぶっ殺してやる」

 近付いて来る犬に、何とも知れぬ不気味さを覚え、男は焦燥感に駆られ、慌てて右手に持つスタンガンをバチバチいわせて、犬を威嚇した。

 「このクソ犬があっ! おまえもあの白い犬も、胴体切り裂いて内蔵ぶちまけてやるっ!」 

 男はもう、何か言い知れぬ恐怖感に駆られてしまい、自分の顔の前で、左手のナイフを振り回し始めた。だが、スタンガンの火花も振り回されるナイフも、近付く犬には何の効果もない。小さな犬は平然と、近付いて来ている。犬が、荒れ狂うように興奮状態の通り魔の手前、2メートル近くまで来た。そこで犬はピタリと歩を止めた。

 「ん?」 男が、犬の停止に不思議に思い、自分の動作を止め、じっと犬を見た。瞬間。

 ゴンッ というような鈍い音がした。突然、通り魔が前のめりに倒れた。和也の目の前に倒れ込んだ、通り魔は背中を見せたまま動かない。声一つ上げない。

 和也には、いったい何が起こったか、理解出来ずに頭が真っ白になり、呆然とした。

 和也は、今、目の前で倒れたまま動かない、通り魔の背中から、視線を動かし、2、3メートル程離れた位置で、じっとしている茶色い犬の目を見た。犬が、頷いて見せたように思える。助かったのかも知れない。和也の心の底から、喜びの感情が湧き起こって来始めた。思わず、和也の顔に笑みが吹き零れる。

 視線を戻した目の前の、通り魔の背中は微動だにしない。静かなままだ。きっと助かったんだ! 和也はもう一度、犬の方を見て目を確認した。また頷いたように見える。優しい目だ。まるで、思いやりのある優しい友達のような目だった。その犬が首を少し回した。それに連られ、犬の視線の先を、和也も追った。腰抜け状態で、地べたにへたり込んだままの和也からすれば、前のめりに倒れて動かない、通り魔の背中から、視線を上げた位置になる。

 「あっ!」  和也は思わず叫んだ。目が飛び出さんばかりに驚いた。口をあんぐり開けたまま、呆然とした。目の前には、怪物が立っていた。

 正に怪物だった。和也は少し前に読んだ、『世界の七不思議』という、子供向けのオカルト情報風の図鑑のような、カラーイラスト本を思い出していた。その中の図解イラストには、UMA(ユーマ)=未確認生物についても、多くのページ数を割いて解説されていたが、その中に中央アジアヒマラヤ山脈のイエティや、北アメリカ大陸山間部のビッグフットについて書かれた箇所があった。その記事とイラストを思い浮かべた。いいや、こんな日本の田舎の公園の奥なんかに、そんなものが現れる訳がない。アフリカのマウンテンゴリラだろうか。動物園から逃げ出して来た‥。いや、違う。やっぱり信じられないが、原始人か何かだろうか。

 不思議と、和也には恐怖心は湧いて来なかった。通り魔を相手にさんざん恐怖感に浸され、心の底から恐怖を感じた後だから、そういう感覚が麻痺したのか、ただただ驚きがあるばかりだった。和也は思わず叫んでしまった。

 「キングコング!」

 和也は、姉の借りて来たレンタルDVDやTV番組で、アメリカ映画の想像上の、巨大類人猿の怪獣を思い出し、つい叫び声となって、その名前が口から出てしまったのだった。

 「何じゃと? 失礼なやつじゃな」

 目の前の怪物が喋った。

 「あ‥」 目を凝らし、落ち着いてよく見ると、和也は、はっと思い出した。

 裸の大きな身体、大きな顔に禿げ頭。ようやく和也は気が付いた。あの、“幽霊のお爺さん” だ。髪は、おでこのずっと上まで禿げ上がり、側頭部にしかない髪の毛は、粗雑に切って揃えてあり、大きな両耳はちゃんと見えている。大きな耳といっても、動物のような形の耳ではなく、ちゃんとした普通の人間の耳だ。大きな顔の中にある鼻も口も大きいが、普通の人間の顔をしている。ただし、やはり皺の多い老人の顔だった。目だけが小さくて、上下の皺の間にショボショボしてある。しかしその眼光は鋭い。

 数日前、林に入る手前で見たときは、4、5メートル離れた位置で、昼間の中、薄ぼんやりしてボーッとしか見えず、姿形が見る見る消えてしまったが、今、離れた外灯二つの間だが、和也はしっかり、“幽霊のお爺さん” の姿を捉えていた。

 「ごめんなさい! 幽霊のお爺さんだ」

 目の前の老人は大きかった。全身裸で居て、お祭りの時に神輿を担ぐ、威勢のいい大人の男性たちがしているふんどしという、白い一枚布を腰に当てている。顔は老人だが、体格の良い体つきは強靭な肉体に見える。ぶ厚い胸板にはゴワゴワと胸毛が生えていた。

 和也は今度は、目の前の爺さんを人間なのだと認めた。そして、TVで見知っていた、外国人の大きなプロレスラーや格闘家を思い浮かべた。このお爺さんは幽霊なんかじゃなくて、格闘家の強い人なんだろうか?

 「そうじゃな。ワシのことを、幽霊なんぞと呼ぶ者もおるみたいじゃな。まあ、何でもいいんじゃけどな。別にな‥」

 大きなお爺さんは、そのいかつい容貌とは裏腹に穏やかに喋った。和也は、はっと気付いて、叫ぶように訊いた。

 「ねえっ! 義行兄ちゃんは死んでしまってるの?」

 老人は半身を回して、うつ伏せに倒れたままの義行を見下ろした。

 「いいや。どっちも気絶しているだけじゃ」

 「助かるんだ!?」

 「ああ。今、ハチに起こしてもらおうか」

 「ハチって誰?」

 老人は身体を回して、離れた位置の、茶色の犬を見た。犬は先程停まった地点で、じっと座っている。

 「ああ、このワンちゃんはハチっていうんだ」

 裸の老人は一歩動き、片手に長い棒を持っていた。杖代わりに使っているんだろうか。随分、丈夫そうな棒だ。大きなグリップで握っている、長さが百七、八十センチはある棒で、倒れた通り魔の尻のあたりをつついた。和也は初めて、老人が、この手に握る太い棒で通り魔の頭を殴って、気絶させたのだ、と理解した。

 「お爺さん、やめて。悪いヤツの方は起こさないで! お願い。義行兄ちゃんだけ、起こしてあげて」

 和也が老人を見上げて、懇願するように言った。そして、へたり込んだままの地べたから、おもむろに立ち上がった。よろよろとしながら前に歩き出した和也は、駆け出して、倒れたままの義行の元に屈み込んで、義行の背に手を置き、心配そうに顔を覗き込んだ。

 「義行兄ちゃん、ごめんね‥」

 ハチと呼ばれる犬が、和也と義行の元まで、ゆっくりと歩いて来て近寄った。ハチも、うつ伏せの義行の横顔を、覗き込もうとした。

 「待て」 老人が言った。

 犬がピクリと顔を上げた。和也も顔を上げて、老人を見ていた。訝しげな目で、訴えていた。

 「助けてくれないの!? どうして」

 「約束がある。坊やが約束をしてくれるなら、すぐにそのアンちゃんを起こしてやろう」

 「え、約束? 何なの? 何でも守るよ」 

 「ワシらのことは絶対に、他に喋らんで欲しい。坊やだけの胸の内にとめておいてくれ。ワシたちは静かに暮らして居る。人間どもにザワザワ騒がれるのは嫌なんじゃ。出来ればこの犬のこともあまり話さんでくれ。な、頼むよ、坊や。ワシらのことを秘密にしてくれ。それが約束ごとじゃ」

 「解ったよ。僕は何にも見てなかったことにする。僕も気を失ってたことにするよ。約束する。だから早く、義行兄ちゃんを起こして。でも、兄ちゃんが目を覚ましたら、お爺ちゃんとハチさんのこと知っちゃうんじゃないの」

 「それは大丈夫じゃ。すぐにワシらは消える‥」

 そして、大きな裸の老人は、グランド方向に首を向けた。

 「どうかしたの?」

 「坊やのお迎えが来たようじゃ。多分、坊やのお母さんだろう。それとお姉さんかな。ン? もう一人、大人の男が居るのう。グズグズ出来んの。ハチ、起こしてやれ」

 老人が犬に向かって指図をした。犬が、眠ったままの義行の顔を、舌を出してペロペロと舐めた。すると突如、義行の背中が振動した。ピクピクと何回か背中が、痙攣のように動くと、横を向いている義行の顔の口元から、小さく呻き声が漏れ出した。

 老人はグランド方向を気にしていた。

 「三人はこっちに来ておるみたいじゃの。坊や、じゃあな」

 老人はくるりときびすを返すと、木々の間の藪の中へと入って行こうとした。

 「待って」 慌てて、和也は老人の、裸の広い背中に呼び掛けた。

 「お爺さんの名前は何ていうの?」

 「そうじゃな。子供らの中にはワシのことは、“じじごろう” と呼んでおる者もおるな。じじごろうで良いよ」

 怪人じじごろうは叢の茂みの中に入って行った。

 「じじごろうさん、ありがとうっ!」

 老人の姿が茂みの中を数歩進むと、闇の中でフッと消えた。それは夜中の林の中の闇に紛れて姿が見えなくなった、というよりも、本当に突然フッと消えてしまった。

 和也は驚きと不思議さで、しばし呆然と真っ暗い林の中を見つめていたが、ハッと我に返り、犬のハチを探した。犬も、もう何処にも居なかった。和也はつっ立ったまま、首だけキョロキョロ回して周囲を探ったが、犬の気配は何処にもなく、離れた二本の外灯の明かりの間であたりは薄暗く、ただただ静かだった。しかし、義行は相変わらず背中が痙攣のように微動し、時折、呻き声を上げている。

 和也と義行とがやって来た、グランド方向の林から、自分を呼ぶ声が聞こえて来た。母親と姉・愛子の声だ。もう一つ、男性の声は、義行兄ちゃんの名前を呼んでいた。義行兄ちゃんのお父さんの声だ。ガサガサと藪を掻き分け叢を踏む音をさせながら、呼び声が聞こえて来た。確かに三人くらい居る音がする。呼び声が近付いてくる。

 「う~ん」 とひときわ大きな呻き声を上げて、気付いた義行が腕を立て首を上げた。まだ、うつ伏せ状態のまま、上げた首をぶるぶると振った。義行はふらふらしながら、体勢を起こして、立ち上がろうとしている。うまく行かず、どすんと尻餅を着いて、その場に座り込んだ。まだ呻き声を上げながら、掌で首筋をさすっている。スタンガンを押し付けられ電撃ショックを喰らった箇所だ。

 真っ暗い林の中から、幾つかのハンドライトの明かりが漏れて来ると、ガサガサと音を立てながら、三人の人間が遊歩道に出て来た。各々、懐中電灯を手に持った、吉川智美、吉川愛子、本田忠行の三人だった。  

※長いプロローグ..(4)へ続く。

◆(2012-01/01)小説・・ 「じじごろう伝Ⅰ」 長いプロローグ..(1)
◆(2012-01/19)小説・・ 「じじごろう伝Ⅰ」 長いプロローグ..(2)
◆(2012-01/26)小説・・ 「じじごろう伝Ⅰ」 長いプロローグ..(3)
◆(2012-02/06)小説・・ 「じじごろう伝Ⅰ」 長いプロローグ..(4)
◆(2012-02/10)小説・・ 「じじごろう伝Ⅰ」 長いプロローグ..(5)
◆(2012-03/02)小説・・ 「じじごろう伝Ⅰ」 長いプロローグ..(6)
◆(2012-04/02)小説・・ 「じじごろう伝Ⅰ」 長いプロローグ..(7)
◆(2012-04/25)小説・・ 「じじごろう伝Ⅰ」 長いプロローグ..(8)
◆(2012-06/01)小説・・ 「じじごろう伝Ⅰ」 長いプロローグ..(9)
◆(2012-06/16)小説・・ 「じじごろう伝Ⅰ」 長いプロローグ..(10)
◆(2012-07/06)小説・・ 「じじごろう伝Ⅰ」 長いプロローグ..(11)
◆(2012-08/04)小説・・ 「じじごろう伝Ⅰ」 長いプロローグ..(12) 

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●小説・・ 「じじごろう伝Ⅰ」 長いプロローグ..(2)

2.

 和也を後ろに乗せた排気量250CCのバイクは、市民総合運動公園の中の通路へと入って行った。野球用とサッカー用の広いグランド二面の他にも、遊具公園や散策用山道など備えた市民公園の敷地面積はかなり広く、公園メイン入口から中央を横断する通路は、楽々大型バス二台が通れるくらいに広い。バイクはメイン通路を滑らかに走って行き、ハンドルを切り、公園内の広い駐車場に滑り込んだ。横手に野球場グランドが見える。

 和也は、バイクの後ろの座席に跨がったまま、フルフェイスのヘルメットを両手で持ち上げて脱いだ。義行兄ちゃんのガールフレンドが、いつも被っているヘルメットだという。先にバイクの運転シートから降りた義行は、ヘルメットを被ったままで和也を両手で抱えてバイクから降ろした。和也は、脱いだメットを運転シートに置いていた。

 「怖くなかったか?和也」

 「ううん、ビュンビュン風を切って行って、気持ち良かったよ、義行兄ちゃん」

 「そうか。和也は強いな」

 「何ていうバイクなの?」

 「ヤマハのセローっていうんだ。本当はもっと大きなバイクに乗りたいんだけどな。まだ大型免許、取ってないからな」

 義行は、公園の駐車場の周囲をキョロキョロと見回した。義行は駐車場からすぐそこに見える、野球グランドの方を見やりながら言った。

 「さて、と。メットをどうしようかな」

 義行はバイクにヘルメットを置いたままにして、盗まれはしないかと心配しているのだ。

 「義行兄ちゃん、グランドの横までバイクで行ったら」

 「そうだな‥」

 高校生の義行は、あまりこの市民運動公園に遊びに来ることがなく、勝手を知らなかった。公園内の設備や通路の配置など、中の案内をよく知らない。数年前、この公園が整備された当初、学校から二度ほど来たことがあるくらいだ。

 再び、後ろのシートに乗るように和也に促しながら、熱したマフラーに足が触れないよう注意を言って、バイクに跨がり義行は、すぐ隣の野球用グランドのホーム裏、フェンス脇の通路までバイクを乗り付けた。

 グランドの周囲に外灯がぽつぽつとしかない。あたりはもう薄暗くなっている。

 「もうかなり陽が落ちて来たな。今にこのへんは、真っ暗くなるぞ。和也。怖くないか?」

 義行には少し、和也をからかって脅す気分もあった。

 「平気だよ」

 和也がきっぱりと答えて見せた。本当は和也は怖かったのだが、公園に連れて行ってくれるよう、義行に頼んだ手前、強がって見せて、そう言った。

 「和也。さっき、切り裂き魔に合ったとこ通った時、怖かったろう?」

 和也の家から市民公園までの道のりでは、必ずあの、通り魔に襲われた場所を通る。

 「いいや。あれからもう何度も、お母さんの車であの場所、通ってるもん」

 「そうか。じゃ、大丈夫だな」  と言って、義行はグランド奥に真っ黒い大きな塊のように見える、林の方をじっと見て我ながら、何だか少し緊張気分でいるのを感じた。

 陽は見る見る落ちて行き、あたりは暗くなる一方だ。

 和也は、全身に恐怖感が走り抜けるような感じを受けて、思わず身震いしていた。しかし、いくら夜になって暗くなったグランドで、これからさらにあの真っ黒い塊に見える、奥の林の中に入って行くとはいえ、義行兄ちゃんと一緒なんだから、と考えることで、緊張して凝固してしまいそうな気持ちを盛り返した。和也は隣に立つ、大きな義行兄ちゃんを見上げていた。

 和也は気が付いて言った。

 「ここの通りなら野球の練習が終わった後は、人が来ることなんてないからヘルメット、バイクに置いて行っても大丈夫だよ」

 「そうみたいだな」

 義行は二つのヘルメットをバイクのシートの上に置いた。

 「義行兄ちゃん、僕、バットか何か持って来た方が良かったかな?」

 「いや、大丈夫だ。和也、俺にまかしとけ」

 和也は義行兄ちゃんが頼もしかった。義行兄ちゃんは柔道二段で、高校柔道の県大会でもいつも上位入賞してるくらい強いのだ。実際、義行は上背があり体格が良く、肥満していない筋肉質な姿態は、見るからに強そうにしていた。

 義行はペラペラしたリュックサックを取り上げると、中から細長いハンドライトを出した。

 「うわあ、長い懐中電灯!」 和也が大袈裟に驚いた。

 「おっ、和也。“懐中電灯”なんて言葉、よく知ってるな。これはな、マグライトというんだ」

 「うん。お母さんがよく探し物してる時、懐中電灯て呼んでるもん。ウチにあるのはもっとずっと小さい、短いのだよ。そんなすごく長いの初めて見た」

 「このマグライトはな、アメリカとかで警察官とかガードマンとかが使ってる、いざとなれば武器にもなるライトなのさ」

 義行は自慢気に、持ち手の柄の部分だけで40センチくらいはありそうな、ハンドライトを自分の胸の前にかざして、頭のライト部分を空いた方の掌にぽんぽんと叩いた。

 「義行兄ちゃん、カッコいいね!鬼に金棒だね」

 「和也、おまえよく、いろんな言葉知ってんなあ。おまえ、学校の成績良いんだろうな」

 「そうでもないよ。漫画とか本読んでて知ったんだよ。もう、真っ暗になっちゃったね。そんな ライト持って来るなんて流石、義行兄ちゃん!」

 陽はすっかり落ちて夜になってしまった。

 「おだてるなよ。よし、行くぞ」

 二人は側溝を跨ぎ、道路とグランドの境界柵の、背の短いコンクリート柱で繋いだ鉄パイプ柵を跨ぎ越え、グランド内に入った。目指すは、グランド奥に真っ黒く小山の山脈みたいに見える林の中だ。ここからだと、気分も手伝って、ちょっとした森林にも見える。

 グランド周囲にはぽつぽつと外灯が点っているのだが、外野の向こう、グランド奥付近には外灯が立ってなく、ただ真っ暗い。夜空は、ゆるく流れる雲に半月が見え隠れしている。二人の歩く足音がザッザッと砂音を立てる。義行が右手に持ったマグライトのスイッチを入れて点灯し、光を前に向けた。和也は義行のすぐ後ろに着いて歩きながら、昨日の夕方のことを思い出していた。

                  *  *

 

 「あんた、馬鹿じゃないの? 母さんに言われたでしょ。公園の森の中に行っちゃいけないって。駄目、駄目。あたしはあんたと一緒に森の中なんか行かないからね。もう、あんた。あのワンちゃんのことなんて忘れなさい。その内、また出て来るわよ。」

 姉の愛子が部活を終え、学校から帰って来て、部屋着で寝巻きの、紅いスウェットスーツ上下の姿に着替え終えたところだった。和也はドアノックの後、姉の部屋に相談に来た。和也は、姉に一緒に公園の林の中に、白くて大きな犬を探しに行ってくれないか、と頼みに来たのだ。これで二度目だったが、またもけんもほろろに拒否された。

 「もう、あたしはあんな怖い目に合うのは金輪際、御免だから。しばらくはあんまり人通りのないところへは行かないって決めたの。母さんだって、そう言ってるでしょ」

 姉は、部活や塾や学校の友達のことでいっぱいで忙しそうだ。和也は、姉の愛子に一緒に行ってもらうのを諦めた。

 「何処行くのっ? もうすぐお母さん帰って来るわよ」

 「ちょっと、隣のお兄ちゃんのとこ行って来る」

 和也は姉の部屋を飛び出しながら叫ぶように行って、階段を駆け下りた。姉が部屋から何か怒鳴っていたが、和也はもう既に玄関まで来ていて、急いでズック靴に足を突っ込んだ。玄関のドアを勢いよく開閉して、家を飛び出した和也は、自分の家の庭に回り込み、すぐ隣の本田家を、間仕切りの低いブロック塀越しに覗いた。積んだブロック塀の、一番上段に嵌め込んだアーチ模様の鉄柵部分に、和也の頭上半分のところが来る。ブロック塀の向こうは、本田家の家庭菜園になっていて、小さな畑がある。畑の向こう、母屋の縁側前の庭では、本田家の長男、高校生の本田義行がバットの素振りをしていた。バットといっても先に錘を着けた、腕の筋力トレーニング用バットだ。通常の野球のフォームで振っていたかと思うと、剣道の竹刀のように縦振りを始めた。

 「義行兄ちゃん!」

 和也は大きな声で叫んだ。本田義行がこっちを向いて、「おうっ」 と一言、大きな声で応えた。和也はブロック塀に横付けして置いてある木箱の上に乗って、塀を這い上がり、上の鉄棒柵を乗り越えると、畑でも何も植わっていない場所を選んで飛び降りた。転げずにうまく着地すると、畑の間を通って、義行のもとまで駆けて行った。

 「どうしたんだ、和也?」

 義行は重量バットの素振りを止めて、縁側にタオルを取りに行き汗を拭いた。

 「重そうだね」

 「ああ。ざっと8キロくらいの重みはあるかな」

 「柔道の練習?」

 「まあな」

 本田義行は地元の県立高校に通っているが、高校柔道の猛者だ。体格も良い。義行は、慌てて塀を乗り越えやって来た、この小さな弟分のただならぬ様子に、訝しげな顔をして訊いた。

 「何か用があるのか? 和也」

 言い出しにくそうにもじもじしている和也に義行は、重量バットをまた高く持ち上げて言った。

 「男ははっきりしないと駄目だぞ。何だよ? 言ってみろよ」

 「実はね、義行兄ちゃん。明日なんだけどさ‥」

 和也は頼みごとをじわりじわりと話し始めた。バットを縦に一振りして、義行は練習を止め、バットを降ろしたまま和也の話を黙って聞いていた。和也は、二日前の少年野球の練習の時にグランド奥にボールを追って行って、林の中で奇怪なお爺さんと中型犬を見たこと。それが幽霊みたいに消えてしまったことや、その大きなお爺さんを見たことがある、と言っている子供が他にも居ることや、練習後の帰り道で姉の愛子と一緒のところを通り魔に襲われたこと、その時、白い大きな犬が助けてくれて、いつの間にかその犬が消えてしまったことなど、子供ながら順を追って詳細に、義行に話して聞かせた。義行は、隣家の姉弟二人が、近頃町でニュースになっている通り魔に襲われたことは、義行の母親や愛子自身から聞いて知っていたが、犬に助けられたくだりは知らなかった。また、子供たちの間で噂になっているという、運動公園に出没する老人の幽霊の話は初耳だった。

 義行は半分冗談話を聞いたように笑いながら、好奇心と、隣家の可愛い弟分の和也に付き合ってやろう、という気持ちから、和也の頼みを承諾した。義行にとって、和也と一緒に夕方の公園の森に入って行くのは、肝試しに行くような、ほとんど遊び気分だった。

 こうして和也と約束した義行は、翌日の夕方、少年野球の練習日でない和也が待つ吉川家の玄関前に、高校柔道部の部活を早めに切り上げて、自分の愛車であるヤマハのセロー250に跨って現れた。義行が学校から帰って来るのを今か今かと待っていた和也は、吉川家の玄関前を落ち着きなくうろうろしていた。義行のバイクが現れると、和也は飛んでバイクの前に出た。義行はヘルメットを渡し、それを被ってバイク後ろのシートに乗るように指図する。和也は言われたとおりにして、義行のたくましい胴部分に掴まった。発進したバイクは軽快に住宅地を抜けて、民家の途切れた田畑ばかりの道路に出て行った。

 「この辺だろ、和也たちが襲われた場所は?」

 運転席から大声で義行が叫んだが、風とエンジン音でよく聞こえなかった。しかし、勘良く、和也はこの前の通り魔に襲われた件だろうと思って、大声で「うーんっ」 と返事をした。義行がまた何か大きな声で叫んだが、今度は何と言っているのか解らなかったので返事しなかった。快速で走り行くバイクは、あっと言う間に、通り魔に襲われたあたりを走り去った。

 実は、和也はやはり、通り魔に襲われた場所近くになると、その時の恐怖心が呼び起こされて、背筋を中心に小さな身体全体が、ぶるっと震えたが、両手で掴まっている義行の胴体を、もっと力を入れて抱き締め、今、義行と一緒に居ることを確認すると安心した。

 家を出て来る時は、夕方でもまだまだ陽があったのに、市民公園の近くまで来ると、かなり陽が落ちて来ていて、あたりは、そろそろ夕闇が迫って来ようかという感じになった。もう、そんなに掛からないで暗くなってしまうだろう。和也は、ちょっと怖い気持ちも起きて来て不安になったが、義行の胴に回す両腕に力を入れて、義行を再度確認すると、大丈夫だ、と気持ちを盛り立てた。

                  *  *

 

 義行と和也は、人っ子一人のひと気もなく、外灯の明かり以外は真っ暗くて、ことさら寂しい夜のグランドを砂土を踏む音をさせて、グランド奥のこんもりと茂る林へと向かって歩いた。和也は、数歩前を歩く義行を追いながら、今夜ここに来るまでの、これまでのことごとをあれこれ考えていた。林の前で義行が停まった。グランド両サイドに外灯が点っているが、林を前にしたこの地点は真っ暗い。柔道二段、高校柔道県大会上位常連の猛者である、流石の、本田義行も緊張感があって、ちょっとぶるっと武者震いをした。林を覆う闇の不気味さに呑まれそうになったが、気持ちを奮い立たせて果敢に林の中へと踏み出して行った。右手に持ったマグライトの丸い光で前方を照らし、林の中へと進んで行く。和也は怖さに思わず、義行のジャンパーの裾をギュッと握った。

 二人は、除草や掃除など整理の全くされていない、林の中の木々の間を、マグライトの光を前方下向きに照らしながら、音を立てて叢を踏みつつ進んだ。数分程歩くと遊歩道に出た。しかし、このあたりは遊歩道でも、散策利用者があまり入って来ない山道である。一応舗装路ではあるが、何年も掃除されていなくて枯葉や泥で覆われていた。

 「このへんは、散歩する爺さん婆さんもあんまり入って来ない山道だな。静かだし、真っ暗いな。和也、気を付けろ、泥で足がすべるぞ」

 義行に注意を促され、和也は足もとを見ながら気を付けて歩いた。

 「あっちの方は明るいよ」

 和也が指差す方に、外灯が一本立っていた。

 「へえ~、こんなところまで外灯が立ってたんだな。そうか、あそこからもうちょっと行ったら遊歩道のメインロードなんだ。この道は引き込み路みたいになってるんだな。寂しいこっち側の道に、入って来る散歩者はほとんど居ないんだな。だから掃除も整理もされてないし、荒れ放題なんだ」

 「犬は見当たらないね。やっぱり、居ないのかなあ‥」

 二人は外灯の真下まで来た。すぐそこは遊歩道のメインロードの一角で、きれいに整理が行き届いているようだ。こちら側に一歩入ると大違いである。だが、この時間の市民公園内は何処にも人の気配が感じられない。もう少し遅い時間になれば、若いカップルの自動車が、ここからは離れているが、駐車場あたりに一、二台現れるかも知れない。だが、このあたりの林の中は普段は多分、一日中人が来ることはないのではないか。義行は、外灯の立つ周囲を少しうろうろして、あたりを窺ったが静かなものだった。首を上げ見上げると、上空を木々の葉が真っ黒く覆っている。枝葉どうしの間から雲間の半月が見えた。うっそうとした木々の下、義行は腕時計を見た。もう時間は午後八時になろうとしている。

 「おい、和也。もうそろそろ帰らないと、おまえんとこの母ちゃんが心配するぜ。何て言って家出て来たんだよ」

 「え? 隣のお兄ちゃんのとこ行って来るって。調度、お母さん居なかったから、お姉ちゃんにそう言って来た」

 「馬鹿だなあ。今頃、ウチの家に訪ねに来てるよ」

 季節は、五月の半ばに差し掛かろうとしている時季だ、和也が玄関前で、義行が帰って来るのをまだかまだかと待っていたのは、外はまだ明るかったが、あの時、もう午後七時近かったのだ。いかに日の長い季節といっても、午後八時が近い現在はもう完全に夜だ。

 「ワンちゃん、居ないのかなあ。どっちの犬でも良いんだけどなあ‥」

 「もう帰るぞ、和也。今度もう一度来よう。な。今度はさあ、もうちょっと早い時間に、明るい内に捜そうぜ。まあ、幽霊の爺さんというのは、夜中の方が良いのかも知れないけどな‥」

 最後の方は独り言のようにぶつぶつ言って、義行はマグライトの光りを遊歩道メインロードの方へと向けた。帰路は、外灯の比較的たくさん点った、普段よく市民が利用している遊歩道メインロードを回って、バイクのところまで行くつもりなのだ。義行は向こうに見える外灯を目指して歩き始めた。犬も爺さんの幽霊も、一目見掛けさえも出来ずに、このまま帰るのには不満だったが、和也も、しぶしぶながら後に続いた。この静寂の闇の中に一人残ることは、元々怖がりの和也にはとても出来なかった。

 義行が遊歩道メインロードへ出ようとした、その時、ガサガサと音がして和也の前に人が飛び出して来た。和也が「わあっ!」 と叫んだ。義行が振り返る。大人の人影だ。左側の木々の間の茂みから出て来たらしい。

 「誰だっ!?」

 義行が鋭い声を発した。義行の問い掛けには答えず、黒い影が、義行目掛けて襲い掛かって来た。義行は咄嗟に黒い影を掴んだ。そのまま腰を回す。黒い影の上着の襟と袖を掴んだ義行は、柔道の背負い投げを仕掛けたらしい。黒い影の身体半分が宙空に舞い上がるが早いか、稲妻のような光が発光してバチバチッと奇怪な音がした。奇怪な電気音と光は、義行の肩のあたりで起きた。

 「ぎゃっ!」

 甲高い悲鳴。義行のものらしい。義行の大きな身体が崩れ落ちた。宙空になった逆さ向きの黒い影が、義行の崩れとともに落下した。二人は一緒に地面に、音を立てて重なり落ちた。

 重なったままの二つの身体はしばし動かなかった。

 「ああ~、痛い、痛い。この野郎、びっくりしたぜ。いきなり投げ飛ばされそうになった。お蔭で、落ちたとき両膝を打ったらしい。くそっ!」

 くぐもった声を発しながら、上になっている方の影が起き上がった。立つと、膝をかばって二、三歩よろけた。パーカーのフードを被っている。顔にはスキー用の目出し帽。

 和也は叫び声を上げたかったが、恐怖で身が竦んでしまい、何も声が出なかった。和也の目の前に立つ黒い影は、あの通り魔に間違いなかった。再び、あの時の通り魔が現われたのだ。そして、あれだけ頼りにしていた用心棒役の義行はというと、地面にうつ伏せで倒れたままピクリとも動かない。和也は瞬間、状況を理解した。義行兄ちゃんは電気ショックでやられたのだ。

 立って体勢を直し、仁王立ちのように構え、目の前の和也を見下ろす通り魔は、覆面の下で笑っているようだった。

 「おい、ガキ。また会ったな。今日はオカッパの姉ちゃんはどうした?」

 通り魔が不気味にくぐもった声を発しながら、和也に問うた。和也は真っ青な顔のまま、相変わらず声が出て来ない。和也の姉、愛子は中学のバスケット部に入って髪を切り、ショートボブのようなオカッパアタマにしていた。和也は自然と一歩後ずさる。

 目の前の通り魔が右手を上げて、バチバチと電気音を立てて電流火花を見せた。

 「おまえの連れのウスラ馬鹿はよう、これでやられたんだよ。残念だったな。ガタイがでかいし、柔道でもやるんだろうが、こいつには適わねえやな。俺も油断したぜ。もう少しで投げられるとこだった。危ねえ、危ねえ」

 通り魔はなおも、右手に掲げたハンディーな黒い機械を、バチバチと鳴らして火花を飛ばしている。一歩、一歩と和也に近付いて来る。

 「これはなあ、スタンガンていうんだ」

 くぐもった声を出しながら、また一歩とじわり、和也との距離を縮めて来る。和也もそろりと後ずさりする。

 「アメリカ製でな。特別、強力な電撃のヤツなのさ。それでも、服の上からだと、失神まではなかなか行かねえんだが、この野郎が投げようとしたからよ、首筋に押し付けてやったのよ。そしたら、ふんっ!このザマだ」

 通り魔の男は振り返り、倒れたままの義行を見下ろした。ピクリとも動かない。完全に気を失っているようだ。男は思い出したように身体を回すと数歩戻り、義行の横腹を思いっきり蹴飛ばした。蹴られた義行は反動で身体が少し浮きこそすれ、意識の反応は全くない。うつ伏せに倒れたままの義行のすぐ近くに、長さ40センチ近くはあるマグライトが点灯したまま転がっていた。

 「ふんっ、よく眠ってやがる」

 男がくぐもった声で言う。男の態度は、何だか楽しそうな雰囲気だ。覆面の下は笑っているに違いない。和也は絶望感を感じていた。男がもう一度、義行の胴体を蹴っ飛ばした。また、蹴られた反動で義行の身体が浮くように動くだけだ。声一つ上げることはない。呻き声さえも出ていない。和也は義行が蹴られる度、「ひっ!」 と小さくあえぎ声を上げたが、身体中はぶるぶる震えるばかりで、他には何も声は出て来ない。蒼白の顔にはただただ涙が流れるばかりだ。和也は最近読んだ漫画で“絶体絶命”という言葉を覚えていた。和也の頭の中を「絶体絶命、絶体絶命」という言葉が繰り返し舞っていた。

 

※長いプロローグ..(3)へ続く。

 

◆(2012-01/01)小説・・ 「じじごろう伝Ⅰ」 長いプロローグ..(1)
◆(2012-01/19)小説・・ 「じじごろう伝Ⅰ」 長いプロローグ..(2)
◆(2012-01/26)小説・・ 「じじごろう伝Ⅰ」 長いプロローグ..(3)
◆(2012-02/06)小説・・ 「じじごろう伝Ⅰ」 長いプロローグ..(4)
◆(2012-02/10)小説・・ 「じじごろう伝Ⅰ」 長いプロローグ..(5)
◆(2012-03/02)小説・・ 「じじごろう伝Ⅰ」 長いプロローグ..(6)
◆(2012-04/02)小説・・ 「じじごろう伝Ⅰ」 長いプロローグ..(7)
◆(2012-04/25)小説・・ 「じじごろう伝Ⅰ」 長いプロローグ..(8)
◆(2012-06/01)小説・・ 「じじごろう伝Ⅰ」 長いプロローグ..(9)
◆(2012-06/16)小説・・ 「じじごろう伝Ⅰ」 長いプロローグ..(10)
◆(2012-07/06)小説・・ 「じじごろう伝Ⅰ」 長いプロローグ..(11)
◆(2012-08/04)小説・・ 「じじごろう伝Ⅰ」 長いプロローグ..(12) 

 

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●漫画・・ 「青春」..(1)

11

 今回の、この「Kenの漫画読み日記。」のお題、タイトル「青春」というのは、一つの漫画作品の題名ではなく、ある漫画誌の“誌名”です。これもまた古い古い話になりますけど、貸本文化時代の中の、一貸本誌の名前ですね。第一プロ発行の貸本誌「青春」は1963年創刊の、青春ものオムニバス誌です。だいたい120Pくらいから140Pくらいのページ数の1冊本中に3作から多くて5作くらいの、若者たちが主人公の青春もの漫画が収録された短編集でした。明朗学園もの、恋愛を織り交ぜた若者生活もの、純情純愛の生活漫画、時折シリアスな若者苦闘物語、涙を誘いそうな友情・人情もの、恋愛コメディー。どれもだいたい20Pから長くてもせいぜい40Pくらいの掌編ですから、当時の若者たち、比較的良い暮らしをしている者も、貧しく底辺で生きている者も、大学生も若年労働者も、苦学生も高校生も、あの時代のさまざまな若者の生活の断片を物語として描いてました。まあ、当時の貸本文化の中の漫画作品は玉石混交、どっちかといえば石ころの多い表現文化でした(失礼)から、何てことない漫画も、陳腐なストーリーも多かった訳ですけど、楽しく面白い漫画もいっぱいあったのも事実です。短編集誌「青春」で、巻頭カラーを飾ったり目立って人気のあったのは、恋愛テイストの明朗学園漫画、恋愛コメディーもの、恋愛風味の明るく陽気な若者の生活漫画でしたね。

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 「青春」は、貸本のオムニバス誌で編集・発行は第一プロでした。第一プロという貸本専門の出版社を作ったのは、「劇画」の名付け親、劇画草創期の立役者の一人、辰己ヨシヒロさんです。辰己ヨシヒロ先生は近年では、2008年に単行本コミック上下2巻で刊行された「劇画漂流」が、日本現代漫画史の資料的意味を持つ内容も相まって、ビルドゥングスロマン的大河漫画として評価があり、2009年手塚治虫文化賞大賞や、米国で漫画作品として権威のあるアイズナー賞を2010年に取った、かなり高名な作品ですね。辰己ヨシヒロさんは1963年頃から「第一プロ」として貸本出版を始め、途中「ヒロ書房」と名前を変え、60年代末頃か70年代初頭頃まで貸本出版社の代表社長として、「青春」やSF漫画専門誌「鉄人」や、幾多の貸本単行本を編集・発刊して来ました。「青春」は、その中でもシリーズ短編集として長年続いた人気貸本誌でした。この「青春」の発行期間の初期から前半の、表紙扉絵や巻頭カラー漫画を描いていたのが、みやわき心太郎さんです。貸本時代のみやわき心太郎先生の描く漫画は、明朗学園ものにしろ青年ものにしろ、まだまだ純愛テイストの、ほのぼの恋愛漫画が多かったですね。当時の僕はみやわき心太郎先生の青春漫画が大好きでした。僕が貸本屋さんに毎日通って毎回必ず貸本を2冊、あるいは別冊付録共の月刊誌を借りていたのは、だいたい小学一年生から五年生の途中頃までです。まあ、小五の半ば頃に、その、家の近所の貸本屋が閉店してしまったからですが。青春もの専門の短編集、第一プロ「青春」の創刊は1963年ですから、僕はまだ幼少時と呼んでもいい年頃から、ほのぼのほんわか純愛ドラマなんかに憧れちゃってたんですねえ。子供の頃、学校の勉強は全く駄目な馬鹿ガキでしたけど、頭の中の、そういうものへの関心部分は早熟ぎみでませくれていたみたいです。逆に思春期以降ウブになり、中学くらいから女生徒と口が利けなくなるんですけど。僕はもう、みやわき先生の明朗青春ものが楽しみで楽しみで、貸本屋さんに「青春」があったときは喝采もので喜んでました。みやわき心太郎さんの青春ものは、ごくたまにシリアスな厳しく暗いドラマのものもありました。こういう作品は僕は一応読んでたけど、好きではありませんでした。やはりほのぼのホンワカ純愛青春ものが大好きでした。時折、みやわき先生単独の青春ものの単行本も見つけて、そのときはもう、嬉しくてたまらなかったものです。みやわき先生の青春漫画は、「ハートコレクション」というシリーズもあって、これは、長編も短編もあったようですね。

 まあ、僕の子供の頃の貸本漫画には、他の劇画作家たち各々のヒーローアクションものも、カッコイイ漫画作品がいろいろとあって、そのヒーローたちの活躍にシビレルような感じで嬉々として読んでいたし、他にも佐藤プロが発行していた、楳図かずお学園純愛コメディー漫画メインの、青春純愛ものオムニバス誌「17才」もあったし、そういった作品を見つけて借りるときも、子供ながら、もうワクワクする喜び感でいっぱいでしたけどね。貸本屋さんで気に入った本を見つけたときは、正に欣喜雀躍で嬉しかった。僕の子供時代、貸本屋とはパラダイスそのものでした。あ、そうだ、「オッス!」もあった。これも明朗学園もの短編誌でしたね。日の丸文庫発行の、どちらかというと学園ものオムニバス誌ですが、学園ものに限らず、青春ものや友情ものテイストの作品を並べてるんだけど、第一プロの「青春」に比べると、読者対象を幾分低くしているような。まあ、決め付けられませんがオオザッパにいうと、雰囲気的に、「青春」が15歳以上くらいが対象だとすると、「オッス!」は中学生対象くらいかな。まあ、読む人は、子供も大人も読んでましたが。

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 みやわき心太郎さんといえば、僕に取っては子供時代に堪能した明朗青春漫画ですけど、60年代末に貸本消滅後、多くの貸本漫画家のようにメジャー雑誌界に移り、みやわき先生は集英社の週刊少年ジャンプに「革命児ゲバラ」を連載してました。僕はこの漫画でゲバラを知り、感動し、また憧れました。1969年ジャンプ掲載ですから、僕はもう中学生になってましたね。僕はこの作品は、当時のジャンプに少なくとも数ヶ月間くらいは連載が続いたように思い込んでいましたけど、調べたら実際は69年のジャンプにたった3回の短気集中連載だったんですね。昔の記憶とはあやふやなものだ。しかし、この劇画でゲバラを知った僕は、医者というインテリでハンサムで、極貧に苦しむ民衆という弱者のために、勇気と行動力でもって、富を一極集中させる支配者たちの最強軍に、果敢に立ち向かって行く、革命児チェ・ゲバラに感銘し、憧れ、めちゃリスペクトしました。その後、僕はハイティーン時、翻訳ものの「ゲバラ日記」や三好徹氏著作の「チェ・ゲバラ伝」などを読みました。まあ、僕は単細胞な青年でしたから、要するに、メチャメチャ・カッコイイ!と、単に憧れまくっただけなんでしょうね。ハンサムで医者というインテリで優しくて勇気と行動力がある、なんてもう、カッコ良さの極みじゃないですか。まあ、当時は女にモテたんだろうなあ、とかね、そういう憧れもあったんでしょう。まあ、時代的に、60年代70年代は、左翼がカッコイイ時代でしたからね。作家とかインテリ方向の有名人たちで、人気があるのは全て左翼傾向の文化人だったし。僕も70年代は、左翼的思想に見える、有名な知識人・文化人たちに憧れてたものです。まあ、しかし僕自身は、行動的には実は何も考えてなくてノンポリの、ボーっと生きてるだけの若者でしたけど。特別、運動に参加した訳でも何でもないし。でも18歳~20歳頃は、大江健三郎のエッセイや小田誠や小中陽太郎の書いたものなどを読んでいましたから、思想的には左翼かぶれしたかったんでしょうね。行動的には何もありませんでしたけど。

 その後、雑誌界へと進んだみやわき心太郎さんに関しては、僕は69年のジャンプの「ゲバラ」以降は、作品を見る機会がなく、勿論、70年代80年代と活躍されていたんでしょうが、僕自身はみやわき漫画をまるで見ませんでした。そしてみやわき心太郎さんは貸本終焉後、「ゲバラ」の中編以降の雑誌界では、僕が漫画作品をその後初めて目にしたというのが、ある意味問題作な「レイプマン」でした。「レイプマン」もけっこう大長編漫画ですけどね。連作大長編ですね。「レイプマン」もけっこう面白かったんだけど、成人漫画だし、まあ、いろいろと問題ある劇画作品ですからね(『レイプマン』は92年頃初出の作品かな)。僕は確か、古書店まんだらけのカタログ機関誌「まんだらけZENBU」で掲載のみやわきさんのエッセイ漫画を、あれは何年頃だろう?2003年頃かなあ(?)、読んだのを最後にみやわき先生の音沙汰を全然知らなかったのですけど、ついこの間、Blog「漫棚通信」さんのサイトを覗いて、みやわき心太郎さんの作品を紹介解説しているブロック、「貸本時代のみやわき心太郎」を読んで、みやわき先生が亡くなられていたことを知ってショックを受けました。調べると、みやわき先生は2010年10月に67歳という、まだまだこれからという年齢で亡くなられていました。漫画家という職業は実は大変ハードな職業です。売れっ子になると超過酷なほどにキツイ仕事です。漫画家さんに早死にが多い。あの素晴らしい青春漫画を、幼い頃の僕のアタマとハートに、ふわふわ甘く気持ち良くうっとり楽しく堪能させてくれた、みやわき心太郎さんが二度と戻らない遠いところへ行ってしまったのかと思うと、過ぎ去った昭和の時代が毎年毎年遠くへ離れ去って行くのもあって、本当に寂しさを感じますね。ちょっと遅れてしまいましたが、合掌。

※「青春」..(2)へと続きます。

◆(2012-01/05)漫画・・ 「青春」..(1)
◆(2012-03/08)漫画・・ 「青春」..(2)
◆(2012-04/25)漫画・・ 「青春」..(3)

※(関連記事)2009-1/13●漫画・・「影」

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●小説・・ 「じじごろう伝Ⅰ」 長いプロローグ..(1)

1.

 コーチの打ったフライは大きく、外野で構える和也の頭上を越えた。慌てて和也は後ろを向き、ボールを追った。高いボールを目で追って振り返る時の視界の隅に、明らかにフライを大きく打ち上げ過ぎたコーチのお兄さんが、片手を挙げて何か一言叫んでいるのが見えた。和也に打ち損じを一言詫びたのだろう。コーチのお兄さんは監督と違って、とても良い人だ。監督はすぐに怒鳴って、威張っててちょっと恐くて、苦手な嫌なオヤジだが、コーチのお兄さんは、バットの振り方やゴロの捕り方を、優しくていねいに教えてくれる。監督は和也にはいつも怒ってばかりだ。

 和也の追ったフライボールはグランドの端っこに落ちて、てんてんと転がってグランド奥の林の中に入って行ってしまった。和也の所属する少年野球チームが利用しているグランドは、市の管理する広範な総合公園の一区画にあり、広いグランドは野球用とサッカー用に二面があり、その周辺には小さな森林や小山が残されていて、遊歩道が整備されてあり、また、子供用にブランコやシーソーや、ジャングルジム系の簡単なアスレチックなどが設備された遊具公園の区画もあり、総合的な市民運動公園となって市民に利用されていた。野球用グランドの奥の一面がちょっとした森林然となっている。

 ボールはグランドと林の境目の側溝を越えて、草むらもバウンドして林の中へ消えていた。  

 「ええ~、もう。嫌だなあ」

 見るからに暗く、木々がうっそうと生い茂った林の中を前に、一度立ち止まった和也はひとりごちた。和也は人一倍怖がりだったのだ。和也は地元の公立小学校へ通う三年生の男の子で、三年生になったこの4月から、区域の有志の市民が主催してやっている小学生限定の少年野球チームに入った。元々、家の中でゲームをしたりテレビを見たり、漫画や児童書を読んだりして一人遊びの好きな和也は、野球チームになんか入りたくはなかったが、両親の半ば強引な奨めで断りきれなかった。特に、いつもは会社に行っていて夜遅くまで帰って来なくて休みの日は、やれゴルフだ付き合いだと家に居ないことの多い父親も一緒になって、子供は仲間と外で運動をしなければ駄目だ、球技はチームワークを学びながら身体を鍛えるから非常に良い、と強く言われては逃げようがなかった。和也は母親には甘えていたが、普段はあまり一緒に遊んだり過ごすことのない父親は、何となくよそよそしくもあり怖かった。そんな和也がチームに参加してもう一ヶ月以上経つ。

 意を決した和也が、うっそうとした暗い林の中へ入ろうと一歩出た時、林の暗い中からボールが転がり出て来た。おもむろにボールを拾った和也は、顔を上げてボールの出て来た方を見た。林は木々が生い茂り、その間は暗い。目を凝らしてよく見ると、薄暗い林の中にぼんやりと人影が浮かんでいる。かなり大きな大人の人影で、片脇の下方には犬のような動物らしき影がある。裸の大きなお爺さんとちょっと小さめの犬、薄ぼんやりして下手すると透き通って見えてしまいそうな、並んだ大きいのと小さい影は、和也がもっとよく見ようとボールを握った手で両目をこすって目を凝らすと、しっかり形をとらえるどころか視界から消えてしまった。

 それは、ふっと瞬間的に消えてしまい、和也はキョロキョロと首を回して当たりに人影を探した。しかし前面は覆い被さって来るような深い林で暗くて奥は見えず、周囲はシンとして静かで生き物の気配などない。背後からは遠い声で、チームのコーチや仲間の子供たちの掛け声の叫びか聞こえて来る。和也は我に返り、早く練習に戻らなきゃと、林を前にして不気味な恐怖心が湧き上がって来て、急いで振り返り、林の前から走り出た。グランドのまぶしい陽光のもとに戻ると、和也は遠いホームへと力一杯ボールを投げた。

 練習が終わって、チームの子供たちみんなとコーチで道具を片付け、コーチの前に二列で整列した。いつもはここで監督のお説教のような訓戒の話が数分間あるのだが、今日は監督が用事があるということで休んでいた。代わりのコーチのお兄さんは監督のように長々とお説教のような話をすることはなく、簡単に次の練習の予定日と、お風呂に入ってよく身体を洗ってよく温まるように、とだけ言って挨拶を終えて解散した。ちなみにいつもは威張ってる監督は後片付けは、見てるだけで一切手伝ってくれない。コーチのお兄さんは優しい。 ホーム後ろに広く張ってあるネット裏に、固定された長椅子に座って、スパイクをズックに履き替えている、同級生の勇人のもとへ和也は駆けて行った。

 「ねえ、さあ。勇人くん!」

 下を向いてスパイクの紐を一生懸命ほどいていた勇人が顔を上げた。勇人は、和也と同じ小学校の三年生だが、クラスは違う。

 何? と勇人が、顔を上げて応えた。和也はベンチの隣に腰掛けて、勇人の顔を覗き込んで囁き声で訊いた。

 「あのさ、この間、勇人くん、僕に話してくれたじゃない、裸の大きなお爺さんの話」

 「え?」 勇人は子供なりに、怪訝な顔をして聞き返した。

 「ほら、ホームレスのお爺さんの話だよ、何だか汚れた犬を連れてるんだって。見たことあるって言ってたじゃない。幽霊かも知れないって」

 「ああ、乞食のお爺さんの話。でも、お母さんに叱られたんだ。“乞食”なんて言葉を使っちゃいけない、って。貧乏でご飯の食べられないような可哀相な人だから、乞食とかホームレスとか言って、じろじろ見たりしちゃいけないって。近づいてもいけないんだって。あの人たちはあの人たちで一生懸命、生きて行ってるんだから、そっとしておきなさい、って。世の中が悪いんだって」

 「でも、幽霊なんでしょ?」

 「うん。お母さんにそう言ったら、また怒られちゃった。幽霊なんて言っちゃ駄目だって。可哀相な人たちなんだって。ご飯を食べてなくて身体に力が入らないから、うっすらとしか見えないんだって。元々は普通の人なんだから、事情があって貧乏してるんだから“幽霊”とか言っちゃ駄目だって」

 「勇人くんは裸のお爺さん、何度も見たの?」

 「ううん、一度だけ。でも、見たって言ってる子は多いよ」

 「僕も見たんだ」

 「えっ!?」 勇人は驚いて、まじまじと和也の顔を見た。驚きと共に疑いの様子も見せている。返事の、次の言葉が何も出て来ない勇人に、なおも和也は驚きの言葉を掛けた。

 「さっき、見たんだ。あの森の中で。うっすらしてた。本当に幽霊みたいだった」

 「ええ~っ!…」 驚くばかりの勇人は、返事の言葉が何も出て来ない。呆然とした態で、和也の顔をじっと見ているだけだ。

 「勇人くん、今から一緒に見に行かない? 林の中に」

 子供たちが帰り支度をし、グランド前の通路やすぐ傍の駐車場には、子供を迎えに来ている母親たちが話をしたりしながら待っていた。中には子供の隣まで来て帰り支度を手伝っている母親も居る。まだ陽は落ちていないがもう夕方だ、その内薄暗くなって行くだろう。勇人君は怯えた様子を見せた。

 「嫌だよ。もうすぐお母さんが迎えに来るもん。それに子供だけで人の居ない寂しいところや暗いところに行っちゃいけない、ってお母さんに言われてるし」

 勇人君は名前負けしている、と思った。和也はその名前の漢字の本来の意味を知っていた。和也が黙っていると、コーチがぶらぶらとやって来た。

 「ええと、池田くんと吉川くん、か。君たちはまだ帰らないのかい? もうちょっとしたら暗くなってしまうよ」

 コーチの問い掛けに勇人は応えた。勇人君はフルネームを池田勇人という。

 「あ、はい。お母さんがまだなんです。でも、もうすぐ来ると思います」

 コーチは笑顔で、「ん」と応え、和也の方に顔を向けた。

 「吉川くんところもお母さんが来るのかい?」

 和也はその問い掛けには応えずに、唐突にコーチに向かって訊いた。

 「コーチ。コーチは大きなお爺さんの幽霊って見たことありますか?」

 勇人君が咎めるような顔で和也を見た。おい、何てこと言うんだよ!と、和也に文句を着けたいような目つきで睨んだ。コーチは驚いた顔をしたが、笑いながら呆れた様子で言う。

 「どうしたんだい、吉川くん。幽霊の爺さんだって? そんなもの居るものか。さあさ、そんな話してないで、早く帰り支度しないと。君んとこもお母さんが来るんだろう?」

 コーチが笑うのをやめて、他の子供たちのところへ行った。迎えに来ている母親の一人と挨拶をしている。勇人君が少し怒ったような調子で咎めた。

 「馬鹿だな、和也くんは。あんな話を大人にしちゃ駄目だよ!」

 「どうして?」

 「どうして、って決まってるじゃないか‥」

 勇人の話の途中で、勇人のお母さんが声を掛けて来た。スパイクをズックに履き替え終えた勇人は返事をしながら、ユニフォーム姿のまま自分の用具を持って、後方に居る母親の元へ駆けた。コーチが勇人の母親のところへ行って挨拶をしている。残った和也はバッグにグローブなど自分の用具をしまいながら、遠くの林を見ていた。

 「あれは何だったんだろう? 幻かなあ?」

 和也は、幽霊の正体を確かめにもう一度、林の中に入って行きたい気持ちでウズウズしていた。だが、一人ではとても怖くて行けなかった。林の中へと冒険したい気持ちと恐怖心が和也の中で争っていた。しかし、やっぱり怖いので諦め気分だった。

 「和也、帰るわよ」

 後ろで呼ぶ声がした。姉の愛子だ。愛子は和也より五つ年上で、市内の公立中学校に通っている。学校帰りだろう、濃紺のセーラー服のままだ。

 「何してるの、急いでよね」

 「あれ? お母さんはどうしたの?」

 「お母さん、急用だって。車運転して芳江叔母さんのとこ、行っちゃったわ」

 「ええ~っ。どうするのさ? じゃ歩いて帰るの?」

 「仕方ないでしょ。私も急に言われたんだから。さあ、早く、あんたの荷物を自転車の後ろに乗せなさいよ」

 愛子は機嫌が悪く、イライラした調子で和也を急かした。和也は荷物を抱えて、グランドと公園内の通路との間の、低いコンクリの柱と鉄パイプの垣根を乗り越えて、姉の元へ走った。姉は通路の端に自転車を停めてある。

 姉は自転車の荷台に乗った自分の鞄の上に、和也のバッグを載せてゴムロープで括った。

 「僕、乗れないじゃん」

 「歩くのよ。決まってるでしょ」

 和也はオオゲサに驚いて見せたが、機嫌の悪い姉は黙って自転車を押し始めた。ユニフォーム姿のままの和也は、仕方なく後ろから追いて歩いた。だいたいチームの子供たちみんなは、ユニフォームのままで帰途に着く。和也は、いつもは母親が家の軽自動車で送ってくれているが、歩けば家まではけっこう距離はある。チームの仲間は大部分が帰ったようだ。ほとんどが迎えの車に乗って帰って行った。中には自転車をこいで帰る上級生も居た。コーチの姿も見えない。 

 もうかなり陽が落ちて来ていた。二人は黙って歩き続けた。自動車ではものの10分も掛からない距離だが、徒歩ではけっこうある。愛子は和也を連れているので、自転車を押して、乗ってこいだら早いのになあ、と思いながら辛抱強く歩き続けた。和也は、姉にも、裸のお爺さんの幽霊の話をしたかったが、機嫌の悪い姉に話すと怒鳴られそうで言えなかった。

 しばらく歩くと、民家が途切れ、前方の何箇所かに小さな林がポツポツと見え、間は畑と田んぼばかりの寂しい道路に出た。人けはまるでない。民家も林の間に2、3軒ほど見えるだけだ。陽はかなり落ちて来ていて、あたりはそろそろ薄暗くなり始めていた。突然、愛子は怖い思いに駆られた。

 「ねえ、和也。あんた知ってる? このあたりに出る通り魔の話」

 「知らない」

 「そうか、知らないのか。いつもはお母さんの車で走ってんだもんね。地方のニュースで出てたんだよ。確かこのあたり四方だよ。学校で友達も噂してた」

 愛子は朝のTVのワイドショーの、地方ニュースのコーナーで報道されていた、通り魔出没のニュースを思い出して、じわじわと恐怖心が沸いて来て、緊張しながら自転車を押していた。幼い弟を連れて、突然目の前に通り魔が現れて襲われたらどうすればいいのか、と不安でたまらない気持ちになった。逃げるにも、弟を置いたまま自分だけ逃げる訳にもいかない。愛子は、急用で自動車に乗って叔母のところに行ってしまい、自分に弟を迎えに行かせた母親を恨んだ。

 あたりはさらに薄暗さが増している。弟と歩く道路は寂しく、人影は全く見えない。と、突然、前方に自転車が現れた。こちらに向かって来る。何処から出て来たのだろう? 自転車に乗る人影が確認できた。フードを被っているようで顔は解らないが、肩幅が広く、がっちりして見える。大人の男だ。どんどん近づいて来る。愛子は戦慄した。自転車上の男は上背が大きく見えて怖い。そして、黒っぽい色のパーカー状上着のフードを被った下、顔の部分は覆面をしている。多分、スキーなどで被る毛糸の目出し帽だ。愛子は頭の中を瞬時に、ここ最近のこの近辺で起こっている事件が巡った。ひったくりに合って重症を負った中年のオバサンの事件、背後から襲われて、からくも逃げることが出来た小学生女児のニュース、そして自転車で向かって来て、女子高生を擦れ違いざま、切りつけた通り魔のニュース。そうだ、あれだ、あの通り魔だ。

 自転車は愛子を目掛けてまっしぐらに走って来た。目の前で、車上の男の左手が水平に上がった。何かを持っている。ナイフだ。愛子は咄嗟に身をかわした。愛子の自転車が音を立てて倒れる。愛子を襲撃した自転車が通り過ぎた。間一髪でナイフの攻撃を除けた愛子は振り返り、和也を見た。和也は無事だ。呆然と立つ和也。和也をやり過ごした通り魔の自転車は、少し先まで行ってブレーキを踏んで、ピタリと止まった。呆然と立ったまま動かない和也の顔は真っ青だ。恐怖に凍りついた表情。中学の部活動でバスケットをやっている愛子は運動神経には自信があった。しかし刃物を持った大人の男を相手に、格闘を出来る訳がない。だけど、弟を守らなければならない。愛子は和也が少年野球で使っているバットを探した。ああ、そうなんだ、バットはグランド脇の保管庫に置いて来てるんだ。愛子は恐怖心に絶望的になった。

 パーカーのフードを深く被り、その下に目出し覆面で完璧に顔を隠した男が、自転車を降りてこっちへ向かって来る。手袋をした左手にはナイフを持っている。刃渡りが7、8センチくらいの、多分折りたたみ式のナイフだ。ゆっくりと歩いて近づいて来る。和也が走って愛子の傍まで来て叫んだ。

 「お姉ちゃん!」

 「和也、あたしの後ろにっ、早く!」

 和也は愛子に並んで立ち、愛子は和也の腕を掴んで自分の後ろ側へと押しやろうとする。しかし、道路の端に立つ二人の後ろは土手で、その下は田畑だ。土手には草が茂っているが、田畑まで二、三メートルあり、ちょっとした崖だ。愛子は絶体絶命だと思い、覚悟を決めた。自分が切りつけられても弟を守る。愛子は右の拳をギュウッと握り締めた。

 ナイフを構えた男は、愛子たちにじわりじわりと近付いた。もう愛子の2、3メートル手前まで迫って来た。被ったフードの下の目出し帽からは、両目だけしか表情は解らない。愛子はきっと、男の見えない口元は、得物を追い詰めた猛獣のような表情で、ニヤニヤと笑っているんだろうと思った。愛子とその後ろの和也は一歩後ずさった。後ろは崖状の土手である。もう後がない。愛子は男の襲撃に対して、飛び掛って両手で相手の身体を押すか、右のパンチで頭部を殴ってやろう、と思っていた。後ろの土手下は畑だ。土は柔らかいに違いない。和也を後ろに落とそうかと愛子は思い、チラッと後ろを見た。

 「ぐわっ!」

 通り魔がのけぞった。三、四歩後ろに後ずさると、そのまま仰向けに倒れ込んで、通り魔は尻餅をついた。愛子には一瞬、何が起こったのか解らなかった。ただチラッとだけ後ろを向いた瞬間、後方から真っ黒い塊が、猛スピードで飛んで来たように見えた。何だかそれもはっきりしなかった。夢でも見ているようだ。しかし確かに、自分たちの後方から何かが飛び出して来て、通り魔にぶち当たったのは間違いなさそうだ。あたりはもう薄す闇だ。後方は土手の崖である。何か黒い塊は、崖下の畑から飛び上がって来たのだろうか。暗くてさっぱり状況が掴めない。では、通り魔にぶつかったものはいったい何処へ行ったのか? 

 通り魔が身体を起こした。ぶるぶると首を振って、意識を戻そうとしている。尻餅をついた状態から背中を起こして、自分の身にいったい何が起こったのか全く掴めずに、しばし呆然とした様子だ。愛子は薄暗い中、目を凝らしてあたりを見回した。後ろの弟が、「あっ!」と叫んで指差した。

 犬が居た。愛子たちから5、6メートル離れた、道路の向こう端に座っていた。大きな犬だ。薄す闇の中なので、色は解りづらいが多分白色っぽい。身体を起こし膝をつき、体勢を立て直しつつある通り魔の方を、犬は余裕で見ている。愛子には何だか、その犬が、通り魔を馬鹿にして見ているようにも感じられた。

 通り魔が覆面の下から、くぐもった声で何か言いながら立ち上がった。通り魔も今度は愛子たちではなく、犬の方を見て、ナイフを構えている。犬は動じない。愛子には、相変わらず犬が、通り魔を小馬鹿にした様子で見ているように感じられる。と、座ったままの犬は幾分、顔を上げ、愛子たちの向こう側に視線をやった。こちらの方へ自動車がやって来ている。離れた向こうの田んぼ側の道路に、スモールランプを点けた自動車が認められる。白い軽自動車が一台、スモールランプを点けてこっちへ向かって来た。

 「お母さんだ!」

 和也が弾かれたように叫んだ。通り魔は慌てて振り返り、後方へ駆けて自転車の元へ行き、すぐさま自転車にまたがり、そのまま、車とは反対方向へと自転車で逃げた。軽自動車は愛子たちの前で停まった。サイドウィンドーが開くと愛子と和也の母、吉川智美が顔を覗かせた。倒れたままの愛子の自転車や二人の子供の様子を見て、智美は血相を変えて叫んだ。

 「あんたたち、どうしたの!?」

 和也は泣き顔になってドアの方に寄った。愛子はホッと安心した、ため息をついて、そのままその場へ、へたり込みそうになって、身体を折って息をつく。両足を踏ん張って座り込むのをこらえると、後ろへ自転車を起こしに行った。愛子も自然と涙が出て来た。

 「いったい、どうしたって言うのよ?」

 泣いてドアへりに掴まる和也を見て、母親はもう一度叫んだ。言葉は愛子に投げ掛けられている。愛子も半分泣きながら、母親に事の顛末を全て話して聞かせた。見る見る智美の顔色は蒼白になって行った。

 「本当に怖かったんだからあっ!」

 愛子の叫びに、智美は、どうしてケイタイで警察を呼ばなかったのか? と問うた。愛子はハッと気が付き、自転車の荷台のゴムロープを外し、鞄を取って開いた。慌てて警察へ電話しようと、ケイタイを手にする愛子を制して、智美が言った。

 「いいわ。私が警察に電話する!」

 母が警察を呼ぶ間に、和也はあたりをキョロキョロした。

 「お姉ちゃん、助けてくれた犬がいないよ」

 その言葉に、愛子は初めて犬のことに思い当たり、愛子も首を回してあたり四方、犬を探したが、もうかなり暗くなってしまっているので遠くまで視界も叶わず、犬は見つけられない。

 「帰っちゃったみたいね。あの白いワンちゃんのお蔭なのにね。警察の表彰ものなのに。この辺の飼い犬かしら」

 「何処行っちゃったのかなあ。何か似てるんだけどなあ」

 「え? あんた知ってんの、あのワンちゃん」

 「いや‥。違うんだけどさあ。夕方、野球の練習の時、公園の森の中に居た犬に雰囲気が似てたんだよ。大きさとか色とか違うんだけど、何かさあ、不思議な雰囲気でさ。何か、人間みたいにものがよく解ってるみたいな‥」

 警察への連絡を終えた母が、話を引き取った。

 「何、言ってるの。普通の犬よ。それに、和也。近頃はぶっそうなんだから、野球の練習中でも一人だけ森の中なんかに行っちゃあ駄目よ。何処に変質者が現れるか解らないんだから。助けてくれたワンちゃんはきっと、警察が捜し当ててくれるわよ」

 智美は、和也に車の後部座席に乗るように言い、パトカーが来るのを待った。

 愛子も、危機を救ってくれた白い大型犬が、何だか普通の犬ではないよう思われた。通り魔を睨んでいた犬の目には、明らかに実力差の違う相手に対して、見下したような余裕があり、まるで相手を小馬鹿にしているような、そんなムードがあるようにも思われた。確かに大きな犬だったし、実際、飛び掛って行けば強いんだろうけど、人間のような表情に感じられた雰囲気は自分の思い過ごしだろう、と愛子は思った。

※長いプロローグ..(2)へ続く。

 

◆(2012-01/01)小説・・ 「じじごろう伝Ⅰ」 長いプロローグ..(1)
◆(2012-01/19)小説・・ 「じじごろう伝Ⅰ」 長いプロローグ..(2)
◆(2012-01/26)小説・・ 「じじごろう伝Ⅰ」 長いプロローグ..(3)
◆(2012-02/06)小説・・ 「じじごろう伝Ⅰ」 長いプロローグ..(4)
◆(2012-02/10)小説・・ 「じじごろう伝Ⅰ」 長いプロローグ..(5)
◆(2012-03/02)小説・・ 「じじごろう伝Ⅰ」 長いプロローグ..(6)
◆(2012-04/02)小説・・ 「じじごろう伝Ⅰ」 長いプロローグ..(7)
◆(2012-04/25)小説・・ 「じじごろう伝Ⅰ」 長いプロローグ..(8)
◆(2012-06/01)小説・・ 「じじごろう伝Ⅰ」 長いプロローグ..(9)
◆(2012-06/16)小説・・ 「じじごろう伝Ⅰ」 長いプロローグ..(10)
◆(2012-07/06)小説・・ 「じじごろう伝Ⅰ」 長いプロローグ..(11)
◆(2012-08/04)小説・・ 「じじごろう伝Ⅰ」 長いプロローグ..(12) 

 

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