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●音楽・・ 「Like a Rolling Stone -ライクアローリングストーン-」

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 カーラジオのFM放送から流れる曲がけだるい感じのスローな優しいアレンジで、原曲ポール・マッカートニーの「Silly Love Songs」だったので、「おっ!」と思い、心地良く聴いていたが、昔みたいに、即曲が欲しい!と次の日CDを買いに行くかレンタルしに行くか、という程のことはない。これも脳味噌の退化の一つなんだろうなあ。趣味嗜好であれ、欲望の減退。片方の耳鳴りはひどいばかしで治る徴候はなさそうだし。けだるい調子にふわっと優しいボーカルの発音がネィティブに聞こえて、外人女性が歌っているんだろうなあ、黒人女性かも知れないぞ、とか思っていたが、帰って来て気になって調べてみたら、これは、日本の企画アルバムで、ボサノバ調にアレンジしたカバーアルバムだった。BOSSA a.m.といって、メジャーなロック・ポピュラーの曲々をボサノバ調にアレンジしたコンピレーションアルバムの企画らしい。日本の有名曲のカバー盤もあるらしい。「Silly Love Songs」と、その後に流れたもう一曲聴いていて、後で思うに確かにボサノバ調だが、その時は、ミニー・リパートンの「Lovin’You」や、そのジャネット・ケイのカバーを思い出していた。BOSSA a.m.にはそのコンピレーションアルバム制作企画において、セレクトされてアレンジャーからミュージシャン、ボーカルなどが、そのアルバムごとに集められて作られているらしい。アルバムは何種かあるようだ。

 BOSSA a.m.を調べていると、僕がカーラジオで聴いた「Silly Love Songs」ともう一曲の入った「グリーティングス」なるアルバムのボーカルの一人である、櫛引彩香という人に行き当たった。しかし、「Silly Love Songs」ともう一曲の担当ボーカルではないようである。この櫛引彩香さんを僕は全く知らなかったのだが、シンガーソングライターで、もうデビューから11年くらい経つこの道ではベテランの域の人のようである。YouTubeで聴いてみたがけっこう良い曲ではないか。スロー調の優しい歌は、昔の竹内まりやとかを思い出させる。ルックスもけっこう可愛い。でももう35歳にはなるのか。プロフィルを調べてみたが、最初、メジャーレーベルでデビューしていて、メジャーの契約切れに伴い、インディーズ移籍とある。今や、欧米の音楽市場のように、シンガーソングライターで出て来るアーチスト(歌謡歌手)は多いんだろうなあ。でも、ポピュラーミュージシャンといえど、タレントと同じ訳だし、やはり毎年毎年出て来る新人が多ければ多いほど淘汰されて行く。デビューして2、3年で仮にヒットがあっても、それで安泰ではなく、続けて行く中で鳴かず飛ばずが続いたりする。歌もうまく、まあまルックスが良くてもヒットに恵まれず、埋もれているアーチストというのはけっこう多いのかも知れない。僕も昔ならFMラジオをよく聴いていたので、実はかなりいっぱい居るだろう、シンガーソングライターもある程度は名前を覚えるかも知れないけれど、TVばっかり見てては最近の音楽事情には疎い。今、歌番組って、懐かしの歌特集ものばっかりだもんね。たまに新しいミュージシャンの顔見れるのはフジ系のミュージックフェアだけだよ。シンガーソングライターも、ビッグヒットとビッグネーム目指してデビューしたは良いが、生き残って食べて行くのは大変だ。

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 かって名声の大御所たち、勿論現在も現役で有名なビッグネームも多いが、そういうかって一世を風靡したような大物アーチストの二世で、現在、シンガーソングライターとなって芸能界に身を置く息子や娘もけっこう居る。知らないだけで(解らないだけで)、けっこう次から次へと出て来ている。ただ、今の世の中は、TVの歌謡番組自体が少なく、余程のヒット曲に恵まれないとTV画面に映ることがない。昔のように日本の音楽市場のベストヒットのランキングに沿って、歌番組を構成するものがない。唯、テレ朝系のミュージックステーションだけのように見えるが、これも80年代90年代のヒット曲を、懐メロふうに並べて流してみたりするコーナーを、けっこう時間を取って入れたりしている。かってのヒット曲番組で、現在は懐メロがメインになってしまっている歌番組も複数ある。CDが売れなくなっている時代だという。現代の若者は、音楽配信で1曲づつダウンロード買いして、極小の携帯型音楽プレイヤーに入れて持ち運びヘッドフォンで聴く。まあ、勿論、部屋の中でパソコンや従来の機器で聴いている者も、昔どおりそれなりに居るんだろうけど。CDが売れないといえば、ちょっと前の芸能ニュースだけど、お笑いの大御所、明石家さんまの一粒種、タレントのIMALU、一応歌手メインらしいが、立て続けに3枚の新曲を、かなり早いペースでリリースし続けており、CD売り上げ枚数記録が、デビュー曲が1284枚でオリコン50位、セカンドシングルは何と423枚でオリコン163位だったらしい。デビューの50位は健闘した順位だと思うけど、それでも現代では1000枚少しなんだ。セカンドシングルの枚数は、IAMLUほどの知名度をもってしてもたったこれだけしか売れないんだ。大金持ちの実父が一人で買えば軽く1000枚は買えるんだろうけど。もう現在は、滅多なことではミリオンは出ない。ミリオンはおろか、50万枚まで売れたら奇跡的な数字の大ヒットなんだろう。ミリオンが続出したCD黄金時代の90年代が嘘のようだ。しかし次々と出て来るシンガーソングライターたちはやたらと多い。まあ、残酷な現実だけれど淘汰されて行くだけなんだろうな。これは若手お笑いというのと同じだろう。21世紀に入ってからのお笑いブーム。毎年毎年のM-1グランプリのエントリー組が、毎回4000組以上も存在するという現実。生き残るほんの僅か数組。まあ、芸能界とはどんなジャンルも昔からそういう世界なのかも知れないけど。

 売れないシンガーソングライターって普段、どうしてるのかな?1、2曲ヒットを出したが後は鳴かず飛ばずで、現在も一応、芸能界に在籍しています、って歌手はけっこう数居ると思うんだが。2世も含めて。無論、自分の才能と努力で、売り込んだり、コンテストで優勝して来たり、見出されたり、頑張って這い上がって来てる人たちがメインだろうが、芸能界の席の数は限られているだろうし。それはそれは数少ない極少の席を争う、過酷な椅子取りゲームなんだろうけど。そしてその黄金席に一度座っても安泰とは、絶対に限らない。次のヒットがなければすぐに次の者に席を明け渡さなきゃならない冷酷な世界だし。本当に選ばれし者の世界だよな。それでもやっぱ若者はアーチストの夢を見て挑戦する。いつの時代も。特に今の時代ではシンガーソングライターとして、メジャーな表現者になりたいんだろうな。昔の歌謡曲の歌詞を愛して来た老輩が、今の若者の作る歌は、普通に毎日書き込んでいる日記の文章みたいな歌詞、とちょっと馬鹿にして掛かるけれども、それでも若者は自分の言葉を自分のメロディーに乗せて、世間一般に発信して自分の存在を表わしたいものなんだろう。

 深夜の音楽番組でラブ・サイケデリコLove Psichedelico)が出ていて、佐野元春と一緒に演奏してディランの「Like a Rolling Stone」を歌っていて、良かった。う~ん、感動した、までいかないが良かったよ。カバーでも、ディランの曲を聴くのも久し振りだったし。ラブ・サイケデリコには気に入った曲が何曲かある。もう何年も前に、初めてデリコを聴いたとき、あの、英語詞の方が占める割合の多い歌詞の中の、日本語単語の発音に驚いたものだが、桑田圭祐が開発したJポップの日本語詞の歌い方を、究極まで元々欧米原産のロック・ポピュラーの曲調に乗せて歌えば、成程こうなるのか、と感嘆したものだ。納得はしてないな。聴いていて、日本語の部分は何て言っているか解らないもの。逆に英語が解る人が聴いていて、日本語の部分が邪魔になるだろう。もっとも、今のポピュラー音楽は歌詞はあまり意味がないのかも知れない。まあ、今の歌でも歌によっては、歌詞に感動する人も居るけどね。でもデリコのボーカル、KUMIの独特の歌いまわしも良いけどね。帰国子女の彼女の、英語のネィティブ発音の歌いぶりが良いしね。好きですね。ああ、そうか。もうデビュー10年くらいになるんですね。すると、僕がデリコを初めて聴いて、すぐにレンタルCD屋にアルバム借りに行ったのは、02年か03年頃かな。

 佐野元春さんは一番好きな曲は、「誰かが君のドアを叩いてる」ですね。佐野元春といえば代表曲とは一般的に「サムディ-Someday-」でしょうね。「サムディ」も良い曲ですけど、僕は、後は、「レインガール」が好きな曲ですね。ドラマの主題歌としてヒットした「約束の橋」は、う~ん、まあ良い曲ですがそれ程大好きという歌でもない。やっぱり、「誰かが君のドアを叩いてる」、「レインガール」、それから「サムディ」くらいかな。昔は「ガラスのゼネレーション」なんて歌も好きだったけど、今はちょっと何か青臭過ぎる歌に思えて。

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 「Like a Rolling Stone」は、僕が高校生の頃、五木寛之のエッセイ本の中で、「昔は“我が心は石にあらず”と言った。だが今の若者は“Like a Rolling Stone-転がる石のように”と言う」、という一文があって、何故かそれを印象深く憶えていて、それから2、3年後にボブ・ディランを知り、ディランの一番有名な曲のタイトル「風に吹かれて」が、五木寛之のエッセイ本の題名に借用されており、五木のエッセイのひとくだりの中の一文にあった語、「転がる石のように」は、ディランの次に有名な曲のタイトルだった。それから僕はディランに熱狂し、金の余裕がある限りディランのアルバムを買い、ボブ・ディランの伝記本を買って読み、最初のボブ・ディランの日本公演の、武道館ライブにも行った。

 ラブ・サイケデリコが出てた番組の後で、NHKで井上陽水の特集番組の再放送をやっていて、そこで、井上陽水が詩の創作でボブ・ディランの影響を受けた、ということを初めて知った。昔から、井上陽水がビートルズの影響を受けてミュージシャンの道を歩み始めた、ということはよく言われていて知っていたが、井上陽水にディランが出て来るとは思わなかった。しかし番組で、陽水さんが作る歌の詞の内容を説き明かすと、そこには成程と納得するものがあった。陽水さんの作る歌の詞を読んで、「ひねくれている」と説く識者が多いのだが、これもそれはそう感じる。何でも物事を一応、斜に構えて見る、というのか、勿論、反社会的ということまでは全然無いのだが、確かにひねくれた見方、表現の仕方をする人、と思える。陽水さんの詞の構成とディランの詞の作りは、成程、似てるな、と思った。決して同じではないけど、似ている。比較に出すのは違う、と言われるかも知れないけど、異分野でディズニーの真似から出発して手塚治虫が、ディズニーとは全然違う手塚オリジナルワールドを作り出したように、ディランを勉強し、ディランの影響を受けて創作詩し、独自の歌詞の世界、構成を作り出した井上陽水、という気がする。井上陽水さんがボブ・ディランを知ったのは、小室等さんから勧められて、ディランの数あるアルバムを聴いて虜になったから、なんだそうだ。だから、上京後なんですね。一応プロの世界に入ってからなんだ。まあ、この年代のミュージシャンといえば、ほとんどがビートルズとボブ・ディランの洗礼を受けている、と言っても過言ではない、という時代でしょうけどね。

 僕は佐野元春さんとかと同世代になりますけど、僕も中学三年生の頃、ビートルズにのめりこみ、70年代後半の10代末から20代でボブ・ディランに熱狂しました。当時は次から次へとボブ・ディランのアルバムを買って来ては何度も何度も聴き続け、付属の、LPジャケットと同じ大きさの当時の歌詞カードで、ボブ・ディランの歌詞を片桐ユズルさんの訳詩で読んでました。番組の中で、井上陽水さん自身も“難解”と言っていたディランの詩は、本当にとても難解でした。歌詞カードの訳詩で読んでも訳が解らない。訳者の片桐ユズルさんは、早大卒で米国大学留学経験を持ち、大学教授職も執ったプロの詩人です。文学詩人。読んでも訳解らないんですけどね、ディランの訳詩の羅列する文章が、また良いんですね。当時の10代末から20代前半の青年には、実に良い詩だった。それは多分、ディランのもう一つだけ古い世代、アレン・ギンズバーグジャック・ケルアックビートジェネレーションの詩人を経て、師匠格のウディー・ガスリーの多大な影響を受けて、ボブ・ディランの中で新たに作られたディランワールドなんだろうけど。

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 ボブ・ディランの曲の詞は、ありふれた普通の市民など、ごく一般的な人たちが送る、よく見掛ける日常生活の断片断片のシーンが何気なく羅列されて続き、その段落の最後のキメに突然、強調されたメッセージが一行あったりする。普通に読んで行くだけではとても難解な詞で、極めて比喩的、暗喩的で解りづらい。しかし雰囲気はビンビン感じる詞である。何か、現代の普通の市民の送る日常生活の、砂漠のような乾いた感じ。殺伐感も含んだ世の中の無味乾燥感。都市や郊外の町中に暮らしても味合う、砂を噛むような無味乾燥感。その中に若者たちの情熱があるが、熱くたぎるものもあるが、その情熱は結局空回りで終わり、情熱は結局は無意味で終わる。徒労感と空虚感。洗練された詞の世界は、ロックやフォークのビートの効いたメロディーに乗って、研ぎ澄まされた言葉の群れがディランのしゃがれたダミ声のボーカルに乗って、空間を、洗練されたカッコ良さで埋める。ディランのフォークロックの洗練された曲に乗る詞の世界は、そこに独特の世界を描いて見せるが、何か、結局最後には虚しさがあるような気がしてならない。10代末から20代の僕は、いつもいつも傷付いていて、弱々しく女々しい僕の精神は、ボリュームを上げたステレオのスピーカーから流れるディランの曲のビートに、荒っぽいメロディーに、意味の解らぬ言葉のシャウトに、叩き続けられて、いつも慰められ、励まされ、元気を出せよ、と声を掛けてもらった。ディランの曲の邦題には、良い日本語タイトルの付けられたものも多くて、「運命のひとひねり」とか「嵐からの隠れ場所」なんてホントに良い言葉のタイトルですね。「激しい雨」というタイトルの付けられたライブアルバムの中に入ったバージョンの、叩き着けるような激しい曲調の「嵐からの隠れ場所」が好きで、傷付いて一人部屋に居るときによく慰めてもらったものだ。て、この時代の僕はちゃんと仕事行ってたし、引き籠もり生活者ではないよ。

 上記のディランの詞の感想はあくまで僕個人の勝手な解釈で、僕は僕が個人的にある雰囲気を感じているだけだ。ボブ・ディランのことを“知識人”と評する後続のロックアーチストたちは多いが、ディランの創る詩は、何とノーベル文学賞候補にまで挙がっている。曲の詞が難解な訳だよ。そんなディランの高尚な世界観を僕が理解する筈がない。僕は僕でディランを感じて、楽しんで来たのだ。僕自身はこれで良かったのだ。

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 調度、この時期、僕が20代の初め頃かに、集英社から世界の新しい文学ということで、シリーズ版でなくて全集版だったか、はっきりしたタイトル名は忘れたが、集英社版の現代の世界文学、みたいなのが刊行された。その第1回配本が、アラン・シリトーの「華麗なる門出」で、僕はメチャ、この小説に魅了された。この「華麗なる門出」は、およそ堅苦しい文学らしからぬ痛快な小説で、ピカレスク的な物語でもあって面白かった。僕は一つの青春文学として読んでいたけど、当時の僕がボブ・ディランに熱狂していたときだっただけに、ディランの音楽と詩で描く世界観が、雰囲気的に、シリトーの表わす世界観と非常によく似ている感じを受けた。アラン・シリトーは「華麗なる門出」を読む前に文庫で「長距離走者の孤独」も読んでいたのだけど、どちらの作品にも、ディランの描く世界と共通するものを感じた。あくまで僕自身が雰囲気的に感じたものではあるけれど。その集英社版の現代の世界文学みたいな全集本は、あとはフイリップ・ロスくらいしか読まなかったけれど。まあ、僕のアタマの出来ですからね。

 僕が80年代後半に読んだとても面白かったSFで、アメリカの作家、GA.エフィンジャーの「重力が衰えるとき」というサイバーパンクムーブメントの傑作があるんだけど、これはアメリカSFの最高賞ヒューゴ賞候補に上がって惜しくも次席だったという名作だが、このタイトルの「重力が衰えるとき」はボブ・ディランの曲の一節の一語ですね。小説の巻頭に、この後を含む、ディランの詞の一節が献辞してある。

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 ボブ・ディランさんが来日していた。2010年3月の中旬入った頃から3月いっぱいくらいまで日本公演を行う。大阪・名古屋・東京のライブツアーだ。それも今回はライブハウスの公演らしい。これまで来たときのような大規模なホールツアーではなく、小さな小屋で行うライブなのだ。まあ、言ってみればディナーショーみたいな。ここの記事をアップする頃は、もうライブツアーの後期だね。終わりが近い。この日本ツアーに際して、チロルチョコとコラボしていた。ボブ・ディランの初のコラボ相手はチロルチョコ、と小さく話題になっている。50種類のボブ・ディラン仕様の小さなチロルチョコが、CDサイズのパッケージで2組。小さな包み袋の表がこれまでのディラン・アルバムの全ジャケットになっているらしい。2箱組で2000円らしいが、残念ながら、今のところ、ディランのライブ会場でしか売っていない。つまりZEPPライブハウスの東・名・阪でしか買えないんだ。でもやったね、松尾製菓。今は、東京に本社を置く、チロルチョコ株式会社。ボブ・ディランの来日公演はこれで6回目。けっこう親日派なのかも。

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※断片日記。2016-11/02「嵐からの隠れ場所」

 

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