goo

「愛の戦士 レインボーマン」-原作·川内康範 作画·小島利明-

 実写特撮等身大ヒーロードラマとして70年代前半、一世を風靡した感があるほどの人気テレビ番組だった「レインボーマン」。当時の子供たちに大人気の変身もの等身大ヒーロー·アクションドラマでした。

 「愛の戦士 レインボーマン」、戦後テレビ放送黎明期に「月光仮面」など数々の変身·等身大ヒーロードラマを、当時の子供たちに夢と希望と勇気を与えるために送り出して来た、作家·川口康範氏が原案-原作の、川口康範-正義ヒーローものとしては、後期も末期になるかな、子供向け超人ヒーロードラマですね。

 

 当時の特撮ドラマ「愛の戦士 レインボーマン」は、幼児から高校生くらいまでの幅広い少年少女に人気を得たテレビ番組でした。僕はもう高校生だったのですが、僕もけっこうこの子供向け特撮ドラマが好きで、多分毎週見てたと思います。

 「愛の戦士 レインボーマン」の初出テレビ放映は、1972年10月初めから1973年9月末までの調度一年間ですね。僕はこのとき高校二年生から高校三年生で年齢は16歳から17歳。もう青年としてはイイトシかな。

 僕は幼児の頃から、仮面·覆面の正義の超人ヒーローが大大好きで、子供のときからずっと、テレビの超人ヒーローの真似の一人芝居をして過ごしてたバカガキでした。

 

 幼児期~小学生時代いっぱいまでは、本当に正義の超人ヒーローに憧れてましたねぇ。中学生になると僕だって少しは成長するので、小学生時代ほどではなかったけど、常に夢見るようにヒーローに憧れていたと思う。

 子供向け等身大超人ヒーロー勧善懲悪ドラマ「レインボーマン」の特色は、主人公の青年·ヤマトタケシが、超人·レインボーマンに変身したとき、レインボー=虹というだけあって、7つの超人タイプに変身できる。

 だいたいレインボーダッシュ7(セブン)の太陽の化身で戦うんですが、ダッシュ1からダッシュ6までそれぞれ、月、炎、水、草木(緑の植物)、黄金、土の化身になり、名前の表す独特の超能力が使えて、戦闘場面に合わせてさまざまなタイプに変身して敵と戦う。

 

 致命的弱点があって、毎日必ずという訳ではないみたいだけど、敵と戦闘してレインボーマンの力をかなり使うと疲れきって、疲労困憊すると勝手に身体が座禅を組んで石みたくカチカチになる。確かにカチカチの固体になってしまうんだけど、このときは“ヨガの眠り”に入ってて5時間は起きない。

 石化して5時間眠った後は、目が覚めて後、身体がリフレッシュされて元の元気を取り戻す。“ヨガの眠り”の間に敵に襲われたらどうしようもない、という最大の弱点。

 東京~関東圏で満12年くらい働いて帰郷して、そこで一年ちょっとプータロー生活をしたんですが、今でいうニートというかこの一年ちょっとは仕事してなくて、母親の家で昼頃まで寝て、起きて原付バイクでぶらぶらして、夕方4時からアニメ「ゲゲゲの鬼太郎」の再放送、4時半から「スケバン刑事」の再放送見て、5時から「夕焼けにゃんにゃん」見てた。で、6時から再び原付バイクでうろつく。

 この時代に「レインボーマン」の再放送をやってたんですよね。「レインボーマン」再放送は多分毎日放送してて、何時頃からやってたのか記憶してない。午前中の10時11時台だったのか、夕方4時5時台だったのか。

 東京の会社辞めて戻って来て直ぐに「ゲゲゲの鬼太郎」「スケバン刑事」「夕焼けにゃんにゃん」見てたのはよく覚えてるんだけど。

 この超ヒマで毎日遊んでた一年ちょっとの間は、毎夜、夜中はずっと起きてて文庫本ばっかり読んでた。毎朝5時頃眠ってたと思う。昼間原付バイクで出て街に出たときに、ときおり文庫本7、8冊くらい買いだめして、1冊3、4日で読んでたなぁ。

 高校生時代も東京の仕事辞めて帰って来た30代初めも、ドラマ「レインボーマン」は面白く見て楽しかったなぁ。 

 主人公のヤマトタケシがレインボーマンに変身するときに唱える呪文の「アノクタラサンミャクサンボーダイ」は当時、流行語みたく流行りましたね。

 漫画版の「レインボーマン」は、週刊少年マガジン1972年39号から73年41号まで連載されました。東宝テレビドラマのコミカライズ版ですね。原作はドラマと同じく川内康範先生、脚色クレジットはテレビドラマの脚本家が5名いるんですが、その内の1人の伊藤恒久氏になっています。作画担当の漫画家は小島利明氏。

 漫画版「レインボーマン」のタイトルは、オリジナルテレビドラマのタイトル「愛の戦士 レインボーマン」と違って、タイトルの「愛の戦士」部分を削って、主役ヒーローの名前だけのタイトルですね。(マガジン連載時はタイトル『レインボーマン』の近くに小さく『愛の戦士』と入ってました。単行本化されたとき『愛の戦士』入ってない。)

 少年マガジンの連載期間は調度一年間ですね。テレビ放映開始よりも漫画の新連載の方がだいぶ早いですね。週刊雑誌の39号は夏場ですからね。発売は8月後半くらいじゃないかな。テレビ放送のオリジナル終了とマガジンの連載終了はまぁ、ほぼ同じだけどやはり漫画の最終回の方がほんの少し早いですね。

 僕はマガジン連載期間の前半3分ノ1くらいは連載リアルタイムでマガジン誌上で読んでる筈なんですが、あんまり印象に残ってないですね。僕も高校二年生16歳ですからね。いくら僕でもこの年齢で子供向け変身ヒーローに熱中はしないですね。

 高二になった4月5月くらいから、推理小説や中間小説など大衆小説を読むのが習慣化してたし。高二~高三は松本清張、五木寛之、野坂昭如、遠藤周作なんかの小説やエッセイ集にのめり込んでたなぁ。

 まぁ、高校生時代も、「帰って来たウルトラマン」「仮面ライダー」「レインボーマン」「ダイヤモンドアイ」などなどの子供向け特撮ドラマも見てましたけど。でも熱中して見てた訳じゃないなぁ。何か暇潰しで惰性でボーッとテレビ見てたよーな。

 やっぱり高校生の年齢だから、森田健作の「俺は男だ」や「おこれ男だ」とか「飛び出せ青春」とかの青春学園ドラマの方が、けっこう熱中して見てたかなぁ。

 

 ちなみにあの時代のウチはまだモノクロテレビ受像器だった。

 大貧乏な高校生時代だったし、絶望的な青春前期ではあったけど、まぁ、思い返せばそれなりに楽しさもあった若き青き時代だったかも。

 雨漏りがして冬場は寒風吹き荒ぶようなあばら家暮らしの3年間だったし、小遣いなんてないは、夏休みにバイトすれば全額母親に没収されるは、学生服は中学のそのまま着て、一度、二年生くらいのときに買い替えただけで、衣服は下着さえ買えずに中学のときのと、兄貴のお下がり着てた。ひどい貧乏暮らしの青春だったなぁ。

 マガジンの「レインボーマン」は新年特大号からの新連載と思い込んでいたけど、記憶違いだった。夏場の新連載だ。

 漫画の「レインボーマン」は、初めの頃の、レスリング少年の主人公·ヤマトタケシ少年が、妹の不自由な足の手術費を稼ぐためにプロレスラーになろうと決心し、強いプロレスラーになるためにインドの伝説の最強レスラー、ダイバダッタに教えを請おうと単身インドへ向かう。

 そして仙人のごときダイバダッタに出会い、ダイバダッタに弟子入りすることができて厳しい修行に明け暮れるけど、ダイバダッタの考えはヤマトタケシの希望とは全く違っていた。

 ダイバダッタは最後に、ヤマトタケシに、自分の金儲けのために強いプロレスラーになるなどの個人的な欲望は棄てて、この世の正義のために、この世の全ての悪と戦い、全ての弱い善良な人間たちを救え、という修行の最後の真の目的を教える。

 ヤマトタケシは最後の教えまで受けとめて、超人となって山を下り、インドを離れて日本へ帰って来る。・・・

 この辺までは、漫画の流れを何となく覚えているけど、その先のお話は全く覚えていなくて記憶にない。

 少なくとも、週刊マガジンは1972年中は読んでる筈なんだけどなぁ。73年も2月か3月までは読んでるかも知れない。

 その後の、漫画「レインボーマン」の単行本コミックスは読んでいない。単行本は講談社コミックスで全4巻で刊行されてる。新書判コミックスで1973年の連載終了前ですね。この4冊分を全2巻にまとめて大都社から1990年にB6判で刊行されてる。

 漫画版「レインボーマン」の内容はマガジン誌上リアルタイムで読んだ分は最初の方以外、もう忘れてしまっていて記憶してないけど、だいたいテレビドラマのお話の流れと同じみたいですね。

 テレビドラマの方では、レインボーマンの対敵組織が「死ね死ね団」で、「死ね死ね団」の目的は日本人を地上から殲滅することで、その目的を阻止しようと邪魔をするレインボーマンを排除するために、死ね死ね団の頭領はさまざまな殺し屋にレインボーマンの抹殺を指令する。

 まぁ、こういうドラマは「仮面ライダー」の幹部怪人1人につき、大勢のショッカーの戦闘員がいるように、死ね死ね団幹部1人につき、大勢の戦闘員がいましたね。

 殺し屋は、重火器などさまざまな武器で武装した「死ね死ね団」幹部たちだが、女性幹部三人がサイボーグ化されて強力な半ロボット人間としてヤマトタケシ=レインボーマンに襲い掛かる。

 死ね死ね団の武装戦士やサイボーグたちを、苦戦しながらも倒したレインボーマンに、今度は「死ね死ね団」アフリカ基地から、殺人プロフェッショナルチーム·レインボーマン暗殺部隊が送り込まれて来る。

 レインボーマンは7つの化身に変身しながらさまざまな超能力を使うが、殺人プロフェッショナル·暗殺部隊のメンバーも超能力や妖術を使う。苦戦に苦戦を重ねながらも何とかこの暗殺部隊メンバーを一人一人倒して行く。

 一番印象に残っているのは、もともと東宝の女優で50年代60年代の東宝のさまざまな映画に出演していた往年の女優、塩沢ときさんが、暗殺部隊のボス的な存在の、アフリカから送られて来たけど“アマゾンの魔女”イグアナという妖術使いの殺し屋を演じてたことですね。

 塩沢ときさんは昭和22年に東宝入りした女優さんで、1928年生まれ。計算すると「愛の戦士 レインボーマン」の悪役、イグアナを演じてたときは既に45歳のときか。けっこうな年齢であんな派手に不気味なモンスター悪役を演じてたんですね。

 魔女·イグアナは、塩沢ときさんが毒々しいメイクで肥満してて、不気味な妖術使いを演出してた。あのキャラクターだけはいつまでも記憶に残り続けましたね。あとの対敵モンスターたちはほとんど忘れちゃったけど。

 レインボーマンに倒されて敗れたイグアナの復讐に、イグアナの母親のゴッドイグアナという怪物キャラが登場するけど、メイクや容姿が似てたからゴッドイグアナの役は塩沢ときさんの一人二役とばかり記憶してたけど、間違ってた。ゴッドイグアナって曽我町子さんが演じてたんだ。

 曽我町子さんも往年の名女優だなぁ。テレビ放送黎明期からの声優で、黎明期モノクロアニメの声優もたくさんこなしているし、テレビドラマは時代劇からアクションもの、コメディ喜劇のドラマにも子供向け特撮ヒーローものまであらゆるドラマの脇役で出演している。勿論、たくさんの劇場用映画にも出演している、何でもこなせる、いわばマルチタレントの草分けですね。

 「愛の戦士 レインボーマン」は凝った作りの特撮ドラマで、大人の鑑賞にも耐えうる面白いヒーロードラマだったなぁ。子供向け特撮ドラマとしては高視聴率を取った、ヒットドラマになっただけのことはある。

 

 

愛の戦士レインボーマンVOL.1 [DVD]

愛の戦士レインボーマンVOL.7 [DVD]

「愛の戦士 レインボ-マン」ミュ-ジックファイル

レインボーマン 【コミックセット】

レインボーマン 1 (St comics)

レインボーマン 2 (St comics)

レインボーマン 1~最新巻 [マーケットプレイス コミックセット]

レインボーマン・ダイヤモンドアイ・コンドールマン大全―70’s川内康範ヒーローの世界

愛の戦士レインボーマンVOL.2 [DVD]

愛の戦士レインボーマンVOL.3 [DVD]

愛の戦士レインボーマン サイボーグ軍団編 [DVD]

サウンドシアターシリーズ『レインボーマン』

 かつて週刊少年マガジンに連載された漫画版の「レインボーマン」の作画担当の漫画家、小島利明先生は1945年1月生まれで、漫画家デビューは1969年です。1945年1月はまだ戦時中ですね。終戦はこの年の8月だから日本国民の生活が一番苦しかった時代かなぁ。

 小島利明氏のデビュー作は1969年の「少年画報」連載の「サッカー番長」となってます。僕は雑誌連載リアルタイムで「サッカー番長」を愛読してました。デビュー作となってますが小島利明先生は最初から絵がうまかったです。もう漫画が完成された絵のうまさでしたね。とても雑誌漫画のデビュー作とは思えない絵のうまさでした。

 小島利明氏の修行時代って、誰か有名な漫画家のアシスタントを長くやって腕を磨いた、というものではなく、雑誌漫画デビューの前にアニメーターをやっていたんですね。このアニメーター時代が絵が上達した修行時代なんでしょうね。

 でもアニメでセル画の絵を描くのと雑誌漫画をペンで描いて行くのは、かなり違うだろうに「サッカー番長」の漫画は初めから漫画として完成された絵のうまさだったな。雑誌漫画は原稿一枚一枚の画面構成とかありますからね。アシスタントに着かずに初めからプロとして普通にコマ割りとかできてたのなら凄いですね。天才的。

 「サッカー番長」はリニューアル「少年画報」の目玉作品として毎回100ページ連載でした。巻頭カラー掲載も多かった。

 戦後-昭和23年に「冒険活劇文庫」の誌名で刊行された少年画報社の月刊誌は、昭和25年から月刊「少年画報」に誌名を改めて刊行を続け、1950年代から60年頃までは、毎月6~10冊近く刊行される少年月刊誌の中でも、人気·販売部数共に少年雑誌の王者でしたが、1959·60年頃から「鉄人28号」「鉄腕アトム」を連載漫画に持つ光文社の月刊誌「少年」に王座を明け渡す。

 その後、「週刊少年マガジン」「週刊少年サンデー」の台頭で少年向け雑誌は週刊誌の時代になる。やがて「週刊少年キング」が創刊され、戦後の月刊少年誌の人気·販売部数が衰えて来る。月刊「少年画報」は1948年から21年間毎月刊行され続けて来たが、ついに1969年の秋季の例月号で、月刊誌としては終焉する。

 戦後創刊の月刊誌は1968年69年に続けて休刊(事実上の廃刊)に追い込まれるか、雑誌の中身をガラリと変えてリニューアルしましたね。

 月刊「少年画報」も1969年の9月号か10月号で月刊誌としての寿命を終えて、隔週刊(月二回刊)の雑誌にリニューアルされました。月刊誌時代から月二回刊リニューアル誌に連載がスライドしたのは「キックの鬼」だけでした。テレビアニメ放送している「キックの鬼」以外の月刊誌時代の連載漫画は全て終了。

 リニューアル月二回刊「少年画報」の看板漫画として毎回100ページ掲載の「サッカー番長」が創刊号から連載が始まった。

 隔週刊(月二回刊)のスマートになった「少年画報」だったけど、結局2年ちょっとの寿命で1971年に休刊(事実上の廃刊)になった。

味ラクルボーイ (1) (マンガ茅舎)

味ラクルボーイ (2) (マンガ茅舎)

タッチダウン 1 (アニメージュコミックススペシャル)

マンガ 伝説の相場師リバモア (PanRolling Library 7)

マンガ 伝説の相場師リバモア (ウィザードコミックス)

やったれ一発 3 (KOBUNSHA COMIC)

八丁堀 1 小池一夫選集 (秋田漫画文庫)

タッチダウン 4 (トクマコミックス)

海賊大名―村上水軍ものがたり (劇画・歴史再発見シリーズ 1)

「狂気か天才か」南方熊楠―エコロジーの先駆者 (コミック巨人再発見 1)

レインボーマン 1~最新巻 [マーケットプレイス コミックセット]

味ラクルボーイ (4) (マンガ茅舎)

 70年代前半、人気を博した特撮ドラマ「愛の戦士 レインボーマン」ですが、だいぶ以前から現代では“放送禁止”と言われてますね。ネットのSNSや動画でも話題になって来ました。

 90年代からこっち再放送されてないんじゃないかな?僕の見た再放送分は1986年か87年頃だと思います。ひょっとしてあの再放送が最後のテレビ放映?よく解りません。

 BSでも放映されなかったんだろうか?よく解らないですね。僕はもうずーっとBS引いたことないし、生涯でBS見たといえば、健康ランドみたいな温泉施設内か、入院先の総合病院内だけですからね。

 何しろ劇中挿入歌とエンディングの♪死ね死ね団の唄の歌詞がキョーレツな内容ですからね。「死ね」というフレーズが何十回と繰り返されてる。

 ヤマトタケシ=レインボーマンの宿敵-死ね死ね団の頭領、ミスターKが太平洋戦争時に日本軍に虐待され両親を殺されて、その復讐で日本人皆殺しを誓い、大組織でその実行に掛かっている、というストーリー設定ですからね。

 この悪役のストーリー設定の方が問題で、現代では再放送できない、という説も通ってますね。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「ブラック巨... 「鉄腕アトム... »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。