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「百物語」・「妖怪病院」

 TV放送で、日本の最近のホラー映画「着信あり」を見まして、とても怖かったです。と言っても、勿論、少年の頃みたいに怖くて怖くて便所にも行けない、夜眠れない、というような怖さはありませんでした。大人になり、歳を取るに連れ、こういう感受性はだんだん鈍っていくようで、近頃ではもう何か昔みたいに真っ青になるよーな怖さがなく、怖さを楽しめなくて、ホラー映画もちょっとつまんなくなくなって来ていますね。映画鑑賞する自分側の事情で。少年の頃の純粋無垢的な心に、大人になり、今はもう心に脂肪のヨロイみたいのがいっぱいついてて心がブヨブヨ肥満してる感じで、感受性みたいのが相当鈍くなってるみたいで。基本的に、何でも、そんな事は現実には先ずありえません!と解りきっている、大人の常識のせいが大きいですね。だから、今、ホラー映画を見て、僕が怖いのは、画面で突然出て来るお化け!に心臓がビクウッ!とする瞬間。これですね。後は次の画面を予見して、出るぞ出るぞっ!感ですね。ほとんどこの二つだけですかね。昔は、怖がりでしたねえ、少年時代。僕は小三か小四の頃、確か「四谷怪談」の映画を劇場に見に行って、映画が始まって、まだまだお岩さんが生きていて、容貌もそう変わってもいない、開始15分経ったかくらいで、怖い予感に負けて、映画館を出て来た事がありました。その劇場に、支配人への顔でタダで入れてくれた、父親の友人にあきれられましたが、今考えると随分ワガママな悪い事してますけど、そのくらい怖がりだった。

 昔の、少年時代では、ホラー映画は全部怖くて、それでも怖いもの見たさから、TVの洋画劇場のホラーものを、けっこう見ていました。ドラキュラにフランケンシュタイン、狼男やミイラ男。ああいう怪物もの映画は怖かったけど面白がってもいて、けっこう楽しみにもして見ていたと思います。でも、幽霊ものはどうだったろうか?あまり食指が動かなかったのではなかったか。まあ見てもいたのでしょうが。イイ大人になってからは、常識で、もうドラキュラもフランケンもミイラ男も現実には居ないもの、という事をよく知っているから、そういう映画はあまり怖くはない。けれども、まだ幽霊というものは居そうだ。だから幽霊ものは怖い、というものはあるでしょうね。基本的に、ゾンビ映画も、突然の怪物出現画面が心臓に悪いくらいに怖いけれど、ゾンビなんてものは居ないと知っているから、ゾンビ映画は面白がりとして見る。でも、怨霊というのはありそうだから、怖い。本当に怖い。だから、昔も今も、幽霊の出る方のホラー映画は、やはり怖いですね。でも、大人になってからも、洋画では幽霊ものはわりと見ています。キャサリンゼタジョーンズ主演の「ホーンティング」だとか。ニコールキッドマン主演の「アザーズ」という映画は、途中まで見てつまんなくて、面白くないと、全部見ないでレンタルビデオを返しましたが、後で、友人に、最後部分のどんでん返しを聞いて、ゾオッとしまして、全部見るべきだったと思ったものです。今も昔も、洋画では見ても、邦画の幽霊ものは見ませんねえ。やはり怖さが違う。逼迫している、という感じかな。より現実に近そうで。ひょっとしたら現実に怨霊に出会っちゃうかも知れない、という想像力が簡単に働いてしまうからでしょうね。「呪怨」なんて、1も2も絶対見たくない。と思っていたけれど、TVで「着信あり」を見たら、何だか少々、見てみたい気持ちもして来た。けど怖いかな。

 映画「着信あり」は、怨霊ものホラー映画です。今風アイテムの携帯電話が主軸で、ケイタイ電話の記録番号から次々と伝染する恐怖。ケイタイからケイタイへと恐怖が連続伝染して行き、そしてついにヒロインへ、次はあなたかも、みたいな怖さ。このパターンはちょっと前のヒット映画「リング」の、ビデオを見た人に次々と伝染して行く死の恐怖、というのに似ていますね。もうビデオも古くなりつつあり、今はDVDですけど、ビデオならまだフイルムに焼き付けるとか説明が着くけど、その、怨念をですね、DVDだとかデジタルものになって来ると、説明が複雑になりややこしくなりそう。「着信あり」は、無念に死んだ死体が自分を見つけて欲しさに、次々とケイタイの記録番号から、人から人へと電話を掛け続けていたという説明になっていましたが、それが自分が入れた事になってしまっている自分の最後の断末魔の叫びの留守電なのですけど、その未来の発信履歴までの期限までに捜してくれよ、という事なんでしょうが、物語はそれで落ちなくて、もうひとつ先がある二段落ちにして、けっこう凝ったつくりです。あ、これで終わりじゃなかったんだあ、と恐怖は続き、主人公も怨念に負けてしまい、解りにくいラストの落ちに持って行っていますが、決して解決のハッピーエンドでは無い。この「着信あり」も2が出来ているそうですが、これは続編で同じお話が引き続くのか、携帯電話主軸アイテムのまた別の恐怖エピソードなのか解りませんが、とにかく、やはり、怖いです。日本の幽霊もの映画は。まだまだ幽霊というのは怖い。

 最近はあまり本を読まなくて、TVばかり見ていて、続けて活字を読んでないと、文章書くのもちょっときつくなっていたりする。連続する読書していると、どうしてかラクに続けて文章が書けて行く。不思議ですが読み書きとは繋がっているものですねえ。でもホント、この頃はTV漬けで、馬鹿らしいバラエティー番組ばかり見ているので、いかんなーとは思っています。毎日馬鹿番組ばかりのTV漬けで、もともと馬鹿な頭が加速つけてダメ頭になって行っている感じ。まるで本読んでないから最近頭ダメ感強い。継続する読書していないとやっぱり駄目ですね。頭も他の身体部分と同じですね。毎日スクワットやって下半身鍛えたり、毎日の腕立て伏せで上腕筋を鍛えるとか、あるいは腹筋運動を毎日やるとかと頭も同じですね。以前、何かの雑誌かTV番組で言っていたのか、脳味噌も筋肉なのだ、ということでしたが、頭も毎日何か運動させていないと弱る、毎日何か使わないと、トレーニングしないといけない肉体の一機関だという事ですね。一番手近なのが読書だと思います。毎日の新聞でもいいですが、それよか本を続けて読んでいる方がいいと思う。本は別に何でもいいんです。これは腕立て伏せやるのと同じなのですから。ただ、続けないといけない。面白いと思ったら、ホラー小説ばっかりでもいい、続けて、ひたすら続けて読んで行けば。そう思います。僕も、ミステリ小説ばかりをひたすら続けて読んでた頃は、文章書くのは苦でも何でもなくひたすら続けて書けて楽しかった。最近はTV漬けで本読まないから、長々文章書くのがちょっと苦しかったりする。スラスラ書けません。だからって、以前そんな良い文章やお話を書けていたという訳ではありませんけど。ただ、毎日ダンベル運動して腕鍛えていたら、いざ力仕事となってもラクに対応出来るでしょ、それと同じにスラスラと文章が書き続けて行ける。継続読書していたら。そんなもんです。

 TV番組も良い番組も沢山あると思います。ドラマも含めて。ただ、TVで見るのはどうしても受ける一方だから、良い情報を得ているようでもあまり脳味噌自身は使っていない。受けるばかりでアタマそのものはラクしているから、脳の運動にはあまりなっていない。のだと思います。その点、読むのは違う。読むのはいろいろと、かなり脳味噌も苦労してやっています。実際、TV見て得た情報は細部は忘れてしまうけれども、読んで得たものはアタマに残っているでしょう?毎日やっている腕立て伏せは、毎日の事だから今日やっても苦にならない。読書も毎日だと、もう苦にならなくなっている。習慣化した読書は強い。僕は最近TVばかり見ていて、読書していませんが、これは理由の一つに、加齢による目の弱化があります。多分いわゆる老眼がついに来てしまい、目がかすむ、活字が読みづらい。活字が読みづらく我慢して読んでいると疲れるから、本読むの止めてTV見る。だらだら長時間TV見ている内に、いつの間にか眼精疲労でひどい肩凝り、頻繁な目薬と肩湿布とリゲインEB錠の日々です。


 もともと肩凝りは僕の子供の頃からの持病で、僕は小四くらいから近視で眼鏡を掛け始めましたが、何故かその頃からもうずううーっと今に至るまで、肩首ががちがちに凝る。自慢じゃないが小四からアリナミンA25を服用し、あんまマッサージをしてもらっていた。どうだ参ったか。話が相当ずれて来ました。ホラー映画の話をしていたのです。いや、今のジャパンホラーもたいしたものですね。映画の本家本元アメリカに輸出してますから。「リング」も「呪怨」もアメリカがリメイクしている。ジャパンホラー映画作った日本人監督がハリウッドに呼ばれて仕事する。いや今の若いビジュアル大衆芸術の才能達もたいしたもんだ。うん。

 という訳で漫画です。今までの話から、ここはもうホラー漫画しかないでしょう。「着信あり」が幽霊もの映画ですから、モンスターが暴れる恐怖漫画ではなくて、幽霊の怖い漫画。だいぶ前に楳図かずおさんの漫画の事をかなり書き込みましたけど、基本的に楳図漫画は怪物恐怖で、幽霊は出て来ない。う~ん、手塚治虫先生には幽霊の出る怖い漫画や感動漫画は沢山あるんだけどなあ。え~と、訃報です。亡くなられました。江戸文化研究家の、もともとは漫画家の杉浦日向子さんです。信じられないような感じで、まだ46歳の若さ、ついこの間までNHKのTVバラエティー「お江戸でござる」で江戸文化の解説を担当されていた、可憐な女性。昔から独特の漫画を描いていて、僕は昔の漫画雑誌で、この方の漫画家同士の対談を読み、そこに載る若き日の杉浦さんの写真に、まだ若かった僕は、わーっ可愛くて漫画家で良いなあー、とかって憧れたものです。ほんと、若い時は可愛く可憐でした。「お江戸でござる」の解説のたたずまいも清楚可憐の雰囲気でなかなか良かった。怪人アラマタンと半年間くらい御結婚されていたんですよねえ。荒又宏の方にもう一人女が居たんだとか、ゴシップ記事で読んだ記憶がありますけど。杉浦日向子さんは、白黒のはっきりした墨絵のような絵柄の独自の漫画を描かれていました。作品はそんなに多くはなかったと思います。若い頃からの江戸文化研究家で、やはり江戸庶民層舞台のものが多かったように思います。江戸の時代相が完璧身についた江戸時代のちょっと良いクラスの中から抜け出して来た女性、みたいな独特の雰囲気を持つ人だったようですね。

 杉浦日向子さんの漫画に、ちくま文庫から出ている「百物語」という短編連作の漫画集があります。けっこう厚い文庫で、勿論全編江戸舞台です。「百物語」とは、もともとの意味は、江戸時代の夏場の暑い夜の、お楽しみ会的な集まり行事の娯楽の一つで、部屋に集まる十何人かの人達が、自分達の持ちネタの怪談話を次々として行く。どんどん怖い話を続けて行き、百番目の話が終わると、本当に本物のお化けが出て来るという、そういう集まり会の夏場娯楽ですね。どういう層がやっていたのか知りませんけど、かなり裕福な方の江戸町民達でしょうね。確か、最初に百本ろうそくを立てていて、話一つ終える度にろうそく一本消して行くのでは。でもろうそく一本終わる時間て、あまりないですよねえ。


 ちくま文庫「百物語」の漫画本、持っていたのですけど、何処かにやってしまったのか所在わかりません。四、五ページで連綿と続く、墨絵の様な絵で簡単に描かれた簡単なエピソードの、ちょっとユーモラスさも交えた昔々のお化けの世界。本当に99話まで描かれている、彼女の力作です。ここには、水木しげるさんの時代物に出て来る、おなじみの妖怪も顔を覗かせている。あ、そうか。幽霊でなくちゃいけないんだ。今回は幽霊で行くんだった。99のお話の中には幽霊ものもあったと思う。自信ないが、あったろう、多分。という訳で、杉浦日向子さんの漫画「百物語」も江戸ものであり風情があってなかなかいいものですよ。
 杉浦日向子さん、御冥福をお祈りします。合掌。

 映画「着信あり」には廃病院が舞台のシーンがありますが、怖いですねえ~、廃病院。僕の住むところの近くにも一つ、廃病院があったんだけど、ここもウワサで、幽霊が出る、という心霊スポットになっていて、その手のTV番組でも全国的にも紹介されたのだと思う。最近、前を通ったことがないからよく知らないが、確かもう取り壊されたのでは。と思う。で、この廃病院舞台のホラー漫画に、記憶に残るのが、千之ナイフさんの作品「妖怪病院」。確か90年代初め頃の秋田書店の少女向けホラー漫画誌サスペリア掲載の「死太郎君シリーズ」の記念碑的第一作。死太郎君とは、正体不明のランドセル背負った不気味な小学生。怪奇物語の進行役。この死太郎君登場の第一作の「妖怪病院」では、廃病院に探検に行った中学生男女がそこに潜む妖怪達にひどい目にあわせられる‥。あ!これも幽霊ではなくて、妖怪的なお化けたちだった。

 漫画「妖怪病院」に出て来る怪物も、都市伝説のお化けたちからでしたが、映画「着信あり」のケイタイ恐怖のアイデアも都市伝説ぽいですよね。TV側が面白い番組作るためにワザと流す情報ではなく、自然発生的に出て来る、都会の一人暮らしの若い女の子を怖がらせるようなウワサ。都市伝説。だいぶ前に次々と伝わって行った怪奇話のウワサ、口裂け女。あれも都市伝説的なものでしたね。子供から子供へと全国的に伝播したウワサ。ケイタイ着信の死の恐怖というのも、子供たちのウワサから出て来た都市伝説にありそう。「着信あり」は、若者達のイマを捉えた今の怪奇映画でした。


 映画は良いですねえ。漫画読み日記なのだから、もっと漫画の事いろいろと褒め称えて書かなくちゃいけないけれど、映画は良い、面白い。ああーっ、面白い洋画見たいなあ。最近はTVの映画劇場で月に二本くらい洋画見てる程度だもんなあ。映画が見たいよ。

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「ザ・テラー ‐The FortuneTeller ‐」

   

 フジとTBSのゴールデンを取っている人気番組で、毎週2本のレギュラーを持つ、今や一方のカリスマ、超人気女性占い師、細木数子さんが、数々の有名タレント達を自分の占いの俎上に載せて一刀両断に斬り、今の女の子達若者を遠慮無く叱り飛ばす姿勢に、視聴者が痛快に思い、スター達の裏側の私生活の、覗き見趣味を満足させて、高視聴率を継続して取っているようですね。時に、傲慢不遜に見えるような事もありますが、それなりに知性も教養も持ち合わせておられるようで、卒が無く、人に付け込む隙を与えません。いつだかの番組のゲストの渡哲也さんの言葉の、「ちゃんと理論武装もしてらっしゃる」という細木さんに対する一感想にもあるように。今や一方のカリスマを担う勢いに、尊大な態度も伺えますが、もともと頭が良くしっかりしていてちゃんとしている方、なのでしょう。「私を誰だと思っているの。細木数子よ」のセリフに、今現在の時代のカリスマの自信が伺えますね。

 

 細木数子さんの占い方は六星占術といい、この六星占術を名乗っている占い師を僕は細木数子さん以外に聞いた事がありませんから、多分この六星占術とは細木さん自身のオリジナルの占術なのでしょう。いや、しかしすごいですね。自分で考案した占い方法なのですから。勿論、若い頃に昔からある世界のいろいろな占術を勉強されたのだと思います。そしてその古今東西の占いをベースに、自分で新しいオリジナルの占い方を作り上げたのでしょう。何という頭脳だろう、と驚きますね。太陽系惑星の名や十二支が出て来るところを見ると、やはり西洋占星術や四柱推命等を勉強されていて、その影響がかなりあるように伺えます。

 この細木数子さんの六星占術は、人間を誕生日から六つの惑星に振り分け、なおかつそれをプラスマイナスで分けています。そしてその各惑星の人達の運気を12年周期で読んで行っています。四柱推命では10年周期の運気の流れですが、細木さんの占術は12年周期。まあ、何でもだいたいそうでしょうが、良い時悪い時がかわるがわる訪れる、それがまあだいたい十年おきくらいの周期という事なんですね。昔、僕の読んだ本で誰か作家が書いていたのが、「人生、良いも悪いも50、50」という言葉がありますが、これは要約しますと、どんな人も誰も人生なんて良い事、悪い事が半々にあるものなんだ、今悪い事が続いていると言ったって、仕方ないんだ、だって人生は半分は悪いように出来てるんだもの、というものですけど、だからこの次には良い事が来るよ、と未来の希望が窺える仕組みになった格言めいた言葉なんですけど、僕はこの言葉が好きでずっと覚えてますが、まあ、だいたいの古今東西の占いもこういった運命の周期で、人の人生を語って行く仕組みになっていますね。特に細木さんの六星占術は人生を四季に喩え、冬の時季のいわゆる悪い時期があっても、通り越せば必ず春が来る、というように運命周期を読んで行きます。そしてこのいわゆる悪い時期、冬の時季の事を、「大殺界」と呼ぶんですね。


 この「大殺界」という真冬の時季はとにかく耐えなければならない。むやみに動いても徒労に終わる。厳しい風雪の中で、ただじっと我慢して待ちなさい、と教えていますね。そうすればやがて動ける時期が来る。そして運命が開けて来るチャンスが訪れて来ると。運命とは周期的なものなのだ、誰も良い時期、悪い時期があるものなのだから、その自分の運気の周期をよく見極めて行動しなさい、と言ってるんですね。まあ、僕達素人には運気の流れなんててんで解りませんが。

  この占いでは人は六つの星に分かれます。火、水、木、金、土と天王星、の人。僕は、これでは天王星人になります。天王星人は優柔不断ではっきりしなくて憎めない可愛げのある人。どちらかというとだらしがなく、快楽志向。大衆性を持っていて、大衆的な仕事で成功する。という事になっています。占い師細木さん自身は土星人で、なんだかこの星の人は厳しい人みたいですね。何かはっきりしている性格で現実的で強い。地に足着けて考え行動するとてもしっかりした人、という感じがする。土星人って天王星人の真逆に立つ人みたい。天王星人はおおらかな方で優しい。この天王星人というタイプが僕という性格に当たっているのかどうかよくは解りませんけど。金星人には金星人の周期、土星人には土星人の周期、僕の天王星人には天王星人の運命周期があるものなのです。だから僕にも12年に一度「大殺界」が来る。けれども僕はあんましこういうのを気に掛けていないので、いつ来て、いつ移り変わったのか、まるで知りません。だいたい僕に良い運命の時期なんて来てるのか?はっきり解りません。まあ、人は、自分は幸福そのものだ、と思いながら生きている人は少なくて、どちらかというと自分は不幸だと思いながら、日々けっこう安穏に暮らしている人の方が多いのではないでしょうか。だってちょっと考えて見ても、アジアアフリカや中南米の発展途上国の人達よりも、私達日本人はずうっと幸福でしょう?勿論、貧しい国で生きていても、自分の宗教を固く持っていて、精神的に充実していて、自分は幸せであるという人も大勢居るでしょうけど。日本人だって、昨年の自殺者は確か三万人以上居たのでしょう?先進国日本に生まれたからって、みんな幸せに生きているとは限らない。幸福感も人はそれぞれだという事でしょうが、未だに貧しさから人身売買が普通に行われている悲しい国だって、世界にはいっぱいある。やはり、今の日本人は日本という国に生まれたのは、基本的には幸せなんですよね。

 西洋占星術、四柱推命術、そしてこの六星占術のように、人の誕生日から人生を占っていく占い術は多いですね。また、手相、観相やカードで占うものもある。八卦や易というのもこういうものですね。六星占術は中国古来の四柱推命に似ていて、運命数表から自分の数字を探し出して誕生日と合わせて、自分が基本的に何星人かを割り出す。後は、火星人と出たら、十二支との関連等でいろいろと読んで行くみたいですね。ちなみに、火星人は「プライドの高いフィーリング人」、水星人は「クールな利己主義者」、木星人は「生真面目な努力家」、金星人は「せっかちな自由主義者」、土星人は「正義感あふれる頑固者」、そして我が天王星人は「優柔不断なロマンチスト」と、基本的な性格はなっているようです。何か天王星人だけ地に足着かずに浮ついて生きてるみたいで、白雪姫やシンデレラの世界で生きてるようで、何か馬鹿みたいに見えてしまい、嫌ですけども。あ、何星人と言ったって、宇宙人とは関係ありません。実際の太陽系には何々星人とかは居ません。太陽系での生命のある可能性は、地球以外では、火星かせいぜい土星の衛星タイタンくらいです。それも多分微生物。念のため。

 僕はだいたい昔から占いには興味はあったので、この細木数子さんの占い本も昔80年頃かに一冊だけ買い求めています。その頃から、多分、占い界では有名な方ではあったのでしょうけど、ここ数年の大メジャーぶり程の人気者ではありませんでした。知る人ぞ知る、の時期がだいぶ続いて、三年前くらいからのお笑いのウッチャンナンチャン司会の特番等でTVで活躍し始めて、昨年夏秋くらいからの大ブレイク。今やもう超人気タレントですね。もっとも、時に傲慢不遜ぽく見える態度には、この人の事を好きになれない視聴者もけっこう居るでしょうね。


 天王星人との相性で、恋愛や結婚運で一番良いのは、丑年生まれ、寅年生まれ、その次が申年未年となっています。こうやって相性は十二支との関係で見るみたい。でもまあ、どんな人間関係も運命の箱のシャッフルで、恋愛とかに限らず、どんな人とめぐり合うか解らないものだし、結婚生活とかだって最初良くても後は、忍耐忍耐また忍耐だっていうのもあるだろうし。西方向に凶の卦が出ても、どうしても行かなきゃならない時にはやはり行かねばならないし。人生、占いに翻弄されてもいけませんね。占いは遊び心でやる程度が一番ではないかという気がする。

  という事で今回は占いがテーマです。僕の大好きな占い師漫画があります。僕は全巻読んでいないので非常に残念なのですが、もう絶版状態で、多分文庫化再版もされないのでは。そのタイトルは「ザ・テラー」。作者は作画が村野守美さんで、原作が雁屋哲さん。86、87年頃にサンケイ出版からコミックスで出ていますが、連載が何という雑誌にされていたのかは知りません。月影仁という名の超能力者的な占い師が、悩める人達の人生模様を読み当て、また、その人の悩みの事柄の実際の現状に乗り出して行き、執事兼ボディーガードのような存在の相棒、松岡と共に悩みの元そのものの解決まで活躍する。占いプラスの人間模様サスペンスからの活劇もありで、なかなか読ませる、面白い作品でした。

  当時、このタイトルの「ザ・テラー」の意味がよく解らず、tellは言うだから、まあ言う人は人の運命を言う人とかで、tellerとはそういう意味合いからだろうと漠然と思っていました。英字の副題のFortuneTellerも、当時のヒット洋画「BackToTheFuture」からfutuerとfortuneは何だか似てるようだから、fortuneもまあ未来の事なんだろうくらいにいい加減に思っていました。そうしたら、この間英和辞典を開いたら、ずばりとFortunnTellerがあり、もうその二語続きそのもので、意味は占い師でした。副題の「TheFortuneTeller」とは、ずばり占い師の事だったのです。だから「ザ・テラー」とはミスター占い師みたいな意味合いのズバリタイトルですね。(単語fortuneの意味は運命とか運勢)。


 本当にこんな占い師が居たら、すごい!の一語に尽きる、もう超能力系占い師です。まるでヒーロー漫画です。当たり前、漫画なんだもの。この占いは、生年月日で占うものではありません。カード占いで人の過去未来を読む。確実に読んで当ててしまう。もう、超カッコイイです。いわゆる、タロットカード占いで、何十枚かの絵柄カードから五枚くらいを無作為に引いて、その数枚から過去現在未来を読み当てる。全部、当たっていて、困惑困窮する人達に、救いのアドバイスや実際に行動して手助けしてあげる。その行動面で力を発揮するのが、執事兼ボディーガード役の、ガタイの大きな屈強マン、松岡。超能力者的占い師月影の腕力面の右腕。後にこれに参加して来るヒロインが、月影が、相当な占い能力を持つと見た、美貌のやよいさん。やよいは自殺を月影に救われ、徐々に自分の能力やさだめに目覚めて行きます。まあ、この三人の活躍劇が各エピソードごとに短編連作形で続き、その中に、主人公月影がいかにして占い師となったのか、師ジョンシルバーとの出会いや関係等のエピソードを含みながら、物語が進んで行きます。

  タロットカードは普通一般にタロットと呼び、ここでもタロットと呼んでいますが、昔何かの本で、ヨーロッパでは本当はタロウカードと呼ぶのが正しい、というのを読んだ記憶がありますが、多分この占いは昔のヨーロッパのジプシー達の中で発展していった占いだろうと思います。でも、この占い方の、何十枚かの各絵柄のカードから無作為に抜いた五枚くらいの分カードから、占い相手の人生を読み解く、という事は常人には不可能なワザであると思います。この方法の占い師はやはり、霊感等の何らかの超能力的なものを持っていないと、人の人生をピタリ当てるなんて芸当は無理ですね。誕生日からの占い等は、詳しく書かれたマニュアル本があれば、誕生日から計算して本から読み出せば、ある程度の占いは誰でも出来る。そのまあ、こういったマニュアル本とかは、例えば四柱推命であれば中国4千年の歴史の中でのデータ収集から、確率として取捨選択されたものが残って、それを分類編集して行って、作り上げたものなのではないのでしょうか、とか思います。こういう完璧本があれば、誕生日の計算だけで、そこから出た記号だけでその本から読めばいいんですから、超能力的なワザはいらない。霊感なんか無くとも、普通人で占える。世の凡百の占い師とは、これでしょうね。だから最も重要なのは、積年のデータから確立計算され抽出されたこのような先人達の残してくれた、宝物の如きマニュアル本ですね。


 こう考えると、誰でも占い師になれそうで、はしょって言えば、占い師なんて接客業みたいなもの。占い相手の悩み等の話や態度から、いろいろと読んで行く力は必要ですけど、特に霊感なんて特異な力は無くとも出来る。

 
 僕は若い頃から占いには興味がありましたが、特にこの劇画「ザ・テラー」を読んで、占い師に憧れました。で、それまで四柱推命の本を一冊だけ買っていて、その他の西洋占星術の本とかと一緒に興味を持って蔵書していたのですが、漫画「ザ・テラー」の主人公のカッコ良さにしびれて、自分も占い師を目指して勉強してみるのもいいんじゃないか、とか思ったりして、タロット占いなんてちょっと出来そうにないから、昔から占いの帝王と呼ばれていると書かれている、四柱推命術を極めようと、それから何冊も四柱推命の本を買い求めては読んで行きました。けっこう難しくて、「ザ・テラー」の月影のように邸宅に住んで、そこに客を迎える占い師なんて、絶対になれっこなさそうだから、せめて60歳くらいになってから街角に座る辻占い師くらいにはなろう、なんてその頃は思っていました。


 四柱推命も計算がややこしいし、計算してもそこに出た沢山のものから運命や運勢を読んで行く事はとても難しい事です。それでも、何冊も読んだおかげで自分の命式は作り出せました。当たってるなあ、と思うものもあるけれど当たっていない事もある。その内、僕も四柱推命の事は忘れて行きました。

  
 四柱推命という占いは、甲乙丙丁…という十干と十二支から計算して、年月日時の四柱を割り出して、各柱に出た宿命星から意味を読んで行く占いです。この占いで一番重要なのがやはり十干ですね。四柱推命の一部を取って、十干だけで読む大雑把ですがコンパクトな占い方もあります。これは簡単ですが完璧な占いとは言えないでしょうね。ちなみに僕の日柱の十干は丁ですが、これだけで読むコンパクト版。四柱推命そのものは難しい。宿命星、吉凶星、十二運を割り出す。勿論マスターしてしまえば後は割りとラクに出来るものかも知れませんけど。でも、僕はとうとう、80年頃のTVで話題になった天沖殺と呼ばれるものは解らずじまいでした。これは空亡とも呼ばれるもので、多分、大殺界みたいな運の悪い時期のような意味のものと、思うのですが‥。今は僕も四柱推命もあんまし興味ないですねえ。ていうか、占いそのものに。


 劇画「ザ・テラー」の作画担当の村野守美さんは70年代後半頃現れた抒情漫画家ではないかな。何だかいつも、あすなひろしさんとか真崎守さんとかと混同しそうになる。あすなさんと同時期頃の漫画家で、真崎さんはもうちょっと早い。「漫画家残酷物語」や「柔道一直線」の永島慎二さんの絵柄にちょっと似ている。弟子すじか?村野さんの他の作品というと、僕には思い当たりません。ただ、優しい感じの抒情漫画を描いていたようなイメージはある。原作者、雁屋哲さんの方は、言わずと知れたあの国民的漫画「美味しんぼ」が代表作の、東大出身の劇画原作者ですね。
 村野守美さんの、この「ザ・テラー」は、僕は2巻4巻6巻しか持たない。いったい何巻まで続いたんだろ?全部読んでみたいな。

※(2013-11/13)お千代さん恐怖の黒歴史

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「グラップラー刃牙 -バキ- 」

 映画「宇宙戦争」が大人気公開中ですね。先週末あたりから「スターウォーズ ~ エピソード3」も先行上映されてるみたいだし、いよいよ映画興行の宇宙戦争突入ですが、タイトル「宇宙戦争」ったって、原作では何も宇宙空間で戦闘がある訳ではない。世界物語史上初めて侵略宇宙人が地球に攻めて来たんですね。今回の新作映画がどんな内容のストーリーになっているのか詳しくは知りませんけど。何でも、90年代末の米映画「インディペンデンスディ」のお話によく似ているとか、「宇宙戦争」の監督スピルバーグは以前から「宇宙戦争」の映画化の考えは持っていたが、異性人侵略物は「インディペンディンスディ」に先越されたから当時は映画化製作は止めていたんだとか、メディアで話を聞きますが。何はともあれ、面白そうで僕も見たい映画です。トムクルーズとスピルバーグが組んだというのも良いし。「インディペンディンスディ」の方はだいたい地球の上空の大空での空中戦が多いけれど、少しは宇宙空間も出て来ますね。

 僕が原作の「宇宙戦争」の小説の和訳版を読んだのは、小六か中一くらいの時で、読んだものは少年少女向けの冒険小説全集のようなものの一冊で、学校の図書館で借りたものでした。当時の僕は、漫画こそめちゃめちゃな量を読んでいましたが、活字の本はほとんど読まない少年で、この借りた「宇宙戦争」も全部読まずに図書館に返してます。物語の内容をよく知っているのは、それはこれが有名な小説だからです。後年あらすじをいろんなメディアでよく目にしたからでしょう。


 原作では、侵略宇宙人はそれ以降、宇宙人や火星人の定番パターンになる、タコのハッちゃん型のぐにゃっとした頭に幾本もの足がついてるヤツ。地球を攻めまくり、圧倒的優位にたってから地上に降りた円盤から、まるで戦車のハッチのようにパカンと開けて、外に顔出す、タコ型宇宙人。宇宙服や防護服は何も身に着けずに。これで、侵略宇宙人は負けてしまうんですよね。原作では、宇宙人は地球の風邪か何かの細菌に感染して自滅する。こういう終わり方の話って、以後いっぱいあるような気がする。


 昔、オーソンウエルズがラジオ放送でこのお話を読んで、ラジオを聴いた人々が真に受けて話を信じ、一時的に街がパニックになったという有名なエピソードがありますが。60年代くらいまでは、火星に知的生命体が居る、と言われたら、そうかも知れないなと半分は信じる風潮でした。今の時代に、火星人が攻めてくるとか言ったって、おまえアホか、と馬鹿にされるだけでしょう。もうNASAの火星探査機の着陸調査で、火星の大部分の表面には生物なんて棲めないって解りました。ただ火星の極地方では昔、水があっただろうと思われる痕跡があるかも知れず、氷の堆積があるかも知れない、そこに微生物のようなごく簡単なつくりの生物が居る可能性はあるかも、らしい。無論、知的生命なんて棲むはずがない。原作「宇宙戦争」が書かれたのは1898年ですよ。19世紀末。作者は、SFの開祖と呼んでいい人で、イギリスの作家で当時の間違いなく天才ですね。以前、小松左京さんも書いていましたが、H・G・ウエルズはその後のSFのパターンを一人でほとんど考え出していると。僕は、「タイムマシン」という映画を新旧作二度見ていますし、「宇宙戦争」「透明人間」は子供の頃小説でパラパラと半分近くは読んだし、また「モロー博士の島」も映画化を見ました。確かにそうですね、地球侵略、遺伝子操作による怪物創造、時間旅行etc...。

 H・G・ウエルズというと、僕が思い出すのは、同時代の同イギリスの作家、サマセットモームが、不思議とモテモテの中年男ウエルズの事を当時のウエルズの取り巻きの女の子達に訊ねて、「君達はどうしてまた、あんなハゲでデブのウエルズが好きなんだい?」と問うたところ、彼女達がモームに答えたのは、「それはね、あの人の裸の傍らに居ると、蜂蜜のような良い匂いがするからなの」と言ったとか。そういうエピソードがあるとか、何かの本で読んだ記憶があります。多分、それがモテモテ男の出しているフェロモンであろうと。その蜂蜜香が。もう十年以上昔の記憶だから違うかも知れない。ウエルズとモームのエピソードじゃなかったかも。でもやっぱりウエルズとモームの話だという気がする。間違いないような‥。


 サマセットモームは確かウエルズと同時期のイギリスの文学作家で、代表作に「月と六ペンス」があり、この作品は、40歳半ばくらいの中年になってから地位も富みも家庭も全て投げ捨てて、単身タヒチ島に渡り画家となったゴーギャンの伝記だったと思う。僕は20歳の頃、この小説を読んでます。細部はもう忘れたが、けっこう面白かったと記憶している、画家ポールゴーギャンのモデル小説です。読みやすくて面白かったですよ。ったって、二十数年前の記憶ですが。H・G・ウエルズはもう何てったって、世界SFの開祖と呼んでいい人です。ただウエルズは確か経済学者だったと思う。手元に資料がないからはっきりしないけど、そうだったと思う。多才なイギリス人で、やはりこの時代の天才ですよね。でも、ハゲでデブの中年でモテモテだったんですね、羨ましいな。このフェロモンのエピソードはコナンドイルじゃないよなあ、やっぱウエルズだよなあ。同じイギリスの作家であるドイルは同じ頃じゃないよなあ、もうちょっと後かなあ。作家ドイルの作品にも有名な「ロストワールド」というSFがあります。


 映画「宇宙戦争」の方の時代設定はどうなっているのだろう?見てみたい特撮SF映画ではあります。

 今年の女子バレーは強いですねえ。昨年のアテネ五輪メンバーからだいぶ変わってるみたい。残ってる人達も居ますが、昨年目玉のメグカナコンビとか居ない。長身の、登場当時は18歳だったか19歳だったかのアイドルコンビ。特に栗原恵は大きいが可愛いルックスで、人気があった。今回では、遅咲きの新鋭、菅山かおる。新鋭って、TVに出るのが初めてぽいだけで、26歳、キャリアはあるんだろうけど、色白美形で今回の目玉アイドルですね。ワールドグランプリがフジテレビ独占放送でアジアラウンドが続いていますが、一昨年や去年よりも何かぐんと強くなってるみたい、柳本ジャパン。大幅メンバーチェンジで活性化したか。菅山かおるさんて身長が169センチなのに活躍してますねえ、攻守に輝くかおる姫。諸外国チームに比べて身長差がもろある背の低いチームながら大躍進中です。がんばれ!にっぽん。

 また、話が唐突に変わりますが、この間、新聞に「匠の流失」とかいうような題の記事が載っていましたが、現在の日本にとっての脅威、隣の大国、中国関連の記事ですけど、日本が世界に誇る技術、それは町工場の熟練工の技術ですが、今のI T関連の電子機器、パソコンやケイタイ等の内部に使われている部品の一部に、日本の町工場でしか作れないものが使われている。極小の金型等ですが、欧米の最新の電子機器もこの日本の町工場の技術が無ければ出来上がらない。そんな大切な素晴らしいものが日本の中小企業の町工場から世界に送り出されている。熟練工の腕、ですね。日本の大企業は上から順番に請け負う下の企業の費用を買い叩く。末端にある中小企業の町工場の人達も金銭的に決してラクではない。今、日の出の勢いで躍進する大国、中国も電子機器に力を入れていますが、この製品内部のごく一部の部品を作る、その技術が自国にはない。日本の町工場の作る力に頼らざるを得ないのですね。だからこの中国の企業が日本の熟練工のスカウトに乗り出している。日本の町工場で働く、暮らし向きは決してラクな訳ではない熟練工の人達に、年収数千万の中国行きの誘いが掛かる。当然、その誘いに乗る、日本の熟練工の人達も多い。つまり、匠の流失ですね。で、この中国に渡った匠の人達はどうなるか、といいますと、何年か働いてその内、現地の中国人にその技術を持つ者が育ったら、もう放り出されてしまう。中国が自分とこのウチワで調達出来るようになればもう日本人になんか頼らなくていい。


 70年代とか80年代とかに、日本の頭脳の流失と、よく言われましたが、これは目先の事にしか金を出さない日本の学術研究や企業の体質からですが、研究費用が出ない日本にあいそをつかす、というより、自分の研究等を続ける為にはやむをえず、欧米に渡る日本の優秀な頭脳が多かった、という事なのですが、この匠の流失も、隣の、あらゆる意味において脅威となりうる大国、中国に日本独自の技術が流れて行き、しかもワザは盗まれて行く。これは僕は何だかとても由々しき問題に取れてしまうんですけど。韓国の企業等も、この匠の技術を狙っているそうなのですけど。

 日本人て、古来器用ですからねえ。お城を作った、昔からの大工さんの建築技術に見るように。同じ日本人の僕は残念な事に、その遺伝子を持っていないようで、不器用そのものですけど。日本人のそういった器用さが築き上げてきた独自の技術の伝統って残していって欲しいものですね。日本人独自の、器用さ繊細さていねいさ我慢強さという、性格が作り上げた、日本人職人達の持つ伝統。その伝統が残す、超繊細な、モノ。熟練工の作る金型等の部品も、勿論その伝統の成せるワザのひとつですから。それにしても僕などの素人がこう見るのも何ですが、何か中国って不気味ですね。ちょっと怖い気がするくらい。中国の弾道弾のいくつかは、やはり日本の方に向けてあるんだろうしなあ。

 と、いう事で漫画です。ってここから何を持ってくりゃあいいんだ?いったい何につないだらいいのか。う~ん、そうですね、このだらだら文章群の文頭、「宇宙戦争」から始まり、原作者ウエルズのこと書いて、それからちょこっとコナンドイルの事に触れましたが、ドイルが出たので、ドイルという名前の登場人物が出る、格闘漫画「バキ」。これにします。この漫画に出て来るドイルという人のフルネームは解りませんが、イギリス人で最凶死刑囚です。このドイルは凶悪殺人鬼で、大量に人を殺していて、正に電気椅子で死刑にされた筈のところ生きていて、死刑執行場から逃げ出して、日本に来て、他の世界各地からの逃亡最凶死刑囚達と共に、主人公バキ等、真の格闘技の世界最高峰アスリートメンバー達と死闘を繰り広げる。まあ、こういうお話の中の敵役の一人、ドイル。

 元々、「グラップラーバキ」として、少年漫画週刊誌「少年チャンピオン」に長く連載され続けている格闘漫画で、第二部からは「バキ」のみのタイトルで、今度は敵を世界の凶悪殺人鬼に移し変えてお話が進行してきました。今はまたお話は武道家や格闘技者同志の超人的技の応酬のしのぎ合い、優劣着け合いに戻りましたけど。「グラップラーバキ」でコミックス44巻だったっけか?もっとか。「バキ」でももうコミックス30巻は行ったか?まだか。もう大長編ですね。多分、漫画史では格闘技漫画史に残る大作でしょうね。もっとも少年向け娯楽で、もう話といったら、唯戦いだけ、みたいなものですけど。大袈裟に誇張された超人的格闘技者や武道家が超人的ワザを使って、相手を入れ替えながら延々、たいてい無手どうしの戦いがひたすら続く。娯楽誇張格闘技漫画にして、これもひとつのヒーロー漫画ですね。

  

 「グラップラーバキ」の頃は、少年チャンピオンの看板を背負って大人気作品でしたが、あまりに大長編なために、その作品世界がマンネリになって来てますね。これは、もうずっと、いろいろな武道武術や格闘技の世界中の一番の猛者達の、各々の誇張された技術を見せながら進む、トーナメントが延々続いている世界です。作者、板橋けいすけさんの、あらゆる武道武術、格闘技に関する知識が生きる、娯楽格闘漫画ですね。少年漫画なので、格闘トーナメント以外のエピソードは極力省かれております。ほんのちょこっとだけ、主人公バキの恋愛が話の中に入っている。また、主人公バキが死を賭してでも延々格闘をやり続ける理由が、超人怪物である父親との確執の為であり、地上最強の生物である父親を倒す、というのが延々続くトーナメントの果てにある、ひとつのテーマですね。


 
 まあ、馬鹿馬鹿しいといったらそうですけど、少年向けの娯楽だし、よく考えたらゲーム的世界ですね。トーナメント漫画だから、非常にゲーム的な進行の漫画。今の少年物にはこういうゲーム性が受けやすいのかも。僕は格闘ゲームも滅多にはしませんが、この漫画はけっこう好きでずっと読んでます。単純な作品世界ですけどけっこう熱いですからね、面白く読んでます。最近はやっぱちょっとマンネリかなあ。

※(2011-2/23)

 引用『----(前略)古本屋でマンガ『バキ』を買った。地下闘技場戦士が五人の死刑囚と闘う話の箇所を選んで買った。自分も捕まったら死刑囚になる。強くならないといけない。強い死刑囚を見て、自分を励ますためだった。(p94)』

 07年の、英国人英語教師・リンゼイ・アン・ホーカーさん殺害事件の犯人、市橋達也が裁判前に拘置所内で書き綴った、本人の2年7ヶ月の逃亡手記が2011年1月、刊行発売され、その本の中の一箇所に、上に記した文章があった。

◆(2005-07/04)「グラップラー刃牙 -バキ- 」
◆(2007-07/28)漫画・・ 「疵面 -スカーフェイス-」 

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