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●漫画・・ 「スパイダーマン」-犬丸博士の変身の巻-

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 日本の漫画家、池上遼一氏が描いた、アメリカの原作マーベル・コミックの、日本版コミカライズ、日本の漫画版「スパイダーマン」の「犬丸博士の変身の巻」は、1970年の講談社月刊誌、「別冊少年マガジン」3月号に掲載されました。本家マーベル・コミックでは、敵役の、悪役になる怪物や超人・怪人のことを“ヴィラン”と呼ぶらしいのですが、本家アメコミでは悪役・ヴィランの一人、「リザード」は爬虫類のお化け、怪物・トカゲ男ですけど、日本版「犬丸博士の変身の巻」で登場の怪物も、“トカゲ男”です。本家アメコミでは、科学者・コナーズ博士が爬虫類の怪物、リザードに変身しますが、1970年の日本版では、多分、医学生理学分野の科学者、犬丸博士が爬虫類の怪物=リザードに変身して、スパイダーマンと対決します。

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 日本版「スパイダーマン」は、メジャー雑誌界ではデビュー間もない、池上遼一氏が作画担当して、1970年の「別冊少年マガジン」1月号から連載が始まりました。後の、その圧倒的画力をリスペクトされて“絵師”との呼称でも呼ばれて、劇画界の大御所となる池上遼一先生は、昭和30年代後半の貸本で漫画家デビューしますが、その後一旦、水木しげる先生の専属アシスタント業を行いながら、貸本衰退・消滅後の雑誌界でのデビューを計り、60年代後半から60年代末に掛けて、週刊少年マガジンなどに短編読み切りや短期集中連載の中篇を発表していましたが、この日本版「スパイダーマン」でブレイク、そのすぐ後、小学館の「週刊少年サンデー」連載の「男組」が大ヒットして、押しも押されもせぬ一流売れっ子漫画家の一人となりましたね。70年代以降は、主に原作付きのリアル描写劇画を発表し続け、80年代90年代2000年代と、途切れることなくヒット作を生み出し続けて、今や、日本漫画界の大御所の一人ですね。この「スパイダーマン」時代では、細かい線と無数の点で緻密に描き込む、精緻な背景描写の水木しげる先生のアシスタントにしては、「スパイダーマン」や読み切りや中篇作品などは、まだ線描が荒いですね。背景も、荒い線で雑な感じを受ける。もっとも、逆に、師匠・水木しげるの影響を強く受けずに、自分の、池上遼一オリジナルのタッチでデビューすることに成功してますね。もう、雑誌デビュー時点で自分の線や絵柄を持っている。

 日テレ系列「金曜ロードショー」ワク、4月25日放送分で、2012年世界公開のハリウッドSF特撮ヒーロー活劇映画、「アメイジング・スパイーダーマン」を放映してました。2002年から07年に掛けてのサム・ライミ監督作品の「スパイダーマン」シリーズは、07年にシリーズ3作目を終え、企画的には、さらにもっと続く筈だったのですが、3作目終了後、企画メインスタッフのサム・ライミ監督が企画を降りる旨を発表し、以降の映画版「スパイダーマン」は、新シリーズとして受け継がれることとなりました。新たに監督にマーク・ウェブを据えて、スタッフ・キャストを一新し、無論、主人公の役者も恋人役も新たに配して、タイトルも「アメイジング・スパイダーマン」として、新シリーズ第1作を2012年に世界公開しました。この新シリーズのヴィラン(敵役の怪物)が、リザード=爬虫類の怪物人間でした。

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 日本漫画版「スパイダーマン」の、「犬丸博士の変身の巻」のストーリーをざっと書くと、医学・生理学の科学者、犬丸博士は、新薬開発の原料探索に、荒木博士ら研究スタッフと共に、南太平洋の島々を転々として、とある孤島でついに、画期的な新薬原料を発見した。しかし、成果を独り占めしたい荒木博士は、闇にまぎれて背後から、犬丸博士を谷底へ突き落とす。何とか命拾いした犬丸博士だったが、谷底は、島特有の巨大トカゲの巣窟だった。人間を喰おうとするオオトカゲから逃げては戦い、犬丸博士は文字通り必死のサバイバルを行い、その中で、ゾアントロピー=獣人化現象が起こってしまう。巨大トカゲの群れの中で必死で戦い抜く、犬丸博士の身体に起こった異変は、犬丸博士自身がオオトカゲ化してしまう、という恐ろしい、人間獣人化現象=ゾアントロピーだった。サバイバルを生き抜いた犬丸博士は、復讐を誓って日本に帰って来た。

 新薬原料を持って先に帰国し、製薬会社で新薬の開発に勤しむ荒木博士は、その結果、栄光を手にしようとしていた。犬丸博士は普段は元の人間の姿のままだが、過度の緊張や興奮を持つと、ゾアントロピーが起こって、猛獣の何倍という怪力を持つ、獰猛なトカゲ人間に変身する。自分の妻さえ食い殺し、復讐のため、荒木博士が所属する製薬会社の工場を襲撃し、ことごとく破壊する。荒木博士の、高校生の息子を誘拐し、荒木博士を、自分の実験施設に呼び出す犬丸博士。爬虫類の怪物=トカゲ男と化した犬丸博士は、復讐の相手、憎き荒木博士を殺そうと襲い掛かる。荒木博士の息子の、高校のクラスメイトである、本編の主人公、小森ユウは友達を救出するため、スパイダーマンに変身して、犬丸博士の実験施設に向かい、日本版リザード=トカゲ男と一騎打ちで戦う‥。という内容のお話ですね。

 アメリカ劇場映画版の新シリーズ、第1弾「アメイジング・スパイダーマン」の敵役怪物=ヴィラン、トカゲ怪人・リザードは、元々は遺伝子研究の科学者であり、主人公のピーター・パーカーがまだ幼い頃、家に置き去りにして‥、じゃなくて、叔父さん夫婦に預けて‥、かな‥、そのまま行方不明に雲隠れしてしまった、有能な科学者の実の父親の古き親友で、多分、遺伝子レベルの再生医療なんだろうな、その研究に勤しんでいる、中年か初老くらいの科学者で、スポンサーのオーナーサイドの男に、脅迫まがいで研究成果を急かされている。マウス実験で一応成功を見たが、まだ副作用が解らないレベルで、オーナーサイドの強行男に試薬をひっ盗られ、解雇を言い渡される。昔の実験事故で片腕を失っている科学者、コナーズ博士は、自分の腕に再生医療の新薬の人体実験を試みる。しかし大変な副作用があり、失ってた片手はまるでトカゲの尻尾のように生えて来たが、それで終わらず、博士の全身がトカゲになって行った。ゾアントロピーが起こった訳ですね。獣人化現象。人間に戻ったりトカゲ怪人になったりするんだけど、爬虫類の怪物になったときは理性を失い、凶暴化して残忍になる。市街地で傍若無人に暴れ回るリザードを制止しようと、ピータ・パーカー少年がスパイダーマンとなって、手ごわい強敵怪物に敢然と立ち向かう‥。というお話が、映画版「アメイジング・スパイダーマン」のだいたいの内容です。

 1970年の日本漫画版「スパイダーマン」は、月刊別冊少年マガジン1月号から始まり、新連載の最初は雑誌巻頭オールカラー16Pだけだったのですが、2月号からは毎号巨弾100ページ連載となりました。しばらくは、この時代の別マガ看板漫画として、巻頭カラー16Pからの全100ページ連載が続きます。多分、講談社マガジン編集部の企画作品だったのでしょう、作品クレジットに名前を挙げてませんが、実際は、この時代のアメリカンコミックの第一人者である、小野耕世氏がストーリー作りに関わっています。で、途中から、ストーリー制作を、SF作家・平井和正氏が担当する。それまでは、原作アメコミに倣って、敵役の悪者怪人を、原作アメコミに登場する怪物たちを置いて、日本版のストーリー作りをしているのですが、“原作・平井和正”になると、平井和正先生独自のストーリー展開となります。ストーリーが平井和正氏になった頃からは、巨弾100ページ連載は止めて、ページ数は1回60ページくらいの掲載になりましたね。それでも、毎回50ページ以上のボリュームの連載でしたけど。そして“原作・平井和正”のまま、1971年9月号まで連載が続いて終わり、1976年に朝日ソノラマから、サン・コミックスで全8巻にまとめられて刊行されました。

 池上遼一先生の日本版「スパイダーマン」が雑誌連載されていた当時、僕は中二・中三頃の時代で、僕はこのヒーロー漫画が大好きでした。だいたい、実年齢よりも精神年齢がかなり低い、幼稚な少年だった僕は、漫画のヒーローたちに憧れまくってました。できればヒーローになりたかった。実際、夢想・妄想の世界ですけど。特に、陰があり、青春の苦悩をする、どっちかというと暗い、重たい感じのある、ヒーロー漫画、「スパイダーマン」の世界にはメチャ熱中してましたね。あくまで、池上遼一作画の日本版「スパイダーマン」ですけど。両親を亡くし、叔母さん一人の家で暮らし、二階の勉強部屋で独りもんもんとして、ああでもないこうでもないと悩み続ける主人公の少年、小森ユウは、等身大の悩める高校生で共感というか好感が持てました。その悩める少年が実は、無敵のヒーロー、スパイダーマンだというのが良いんですね。そこがグッと来てた。当時はもう、漫画読んでワクワクしてました。

 僕が中二・中三頃となりますと、また暗く重たい話になりますが、ウチの家が、家庭崩壊に向かって傾いて行っている最中ですね。僕の中学卒業と同時に、親父が会社を辞めて家を出て愛人のもとへ行き、残った、母を中心とした家族は、秋冬は寒風吹きすさび梅雨どきは盛大に雨漏りする、隙間だらけのあばら家に引っ越し、大貧乏生活に入って行った時季ですね。僕が中三までは、毎週毎週、週刊少年マガジンは買えたし、月刊誌も毎月、「冒険王」なんか買ってた。無論、この時期はもう贅沢はできなかったし、行楽の遠出も行けず、衣服や趣味に費やすお金はほとんど無かったけれど、僕の漫画本くらいは買えてたんですね。だから、月刊誌「別冊少年マガジン」も買って来て、池上遼一版「スパイダーマン」もリアルタイムで読んでる。でも、親父が居なくなってからは、ロクに漫画本も買えなくなった。巨大借金を抱えた親父でも、大会社勤めの親父が居たのは大きかったんだなあ。まあ、実際は、この頃の親父は、愛人と放蕩三昧の日々で、家に帰って来ないときが多かったけど。ロクデナシの男親でも、働いてる男親が居るのなら、両親が揃った家庭は、子供にとっては経済面など色んな面で良いものですよねえ。虐待親や暴力夫・親は困りますけど。

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