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●漫画‥ 「のら犬の丘」 ..完全版③④巻

Photo_56 Photo_58 今回もねえ、寄せ集めオブニバス(omnibus-オムニバス)形式の記事になってるんですよねえ。今回のお題、この記事ブログタイトルは、カテゴリ分け70年代漫画で、ひとつの漫画作品「のら犬の丘」でして、その「のら犬の丘」の新しく、マンガショップさんより復刻された完全版なんですけど、下記の長い長い長文群は、いくつかのサブタイトルで区切られ、それぞれが独立した内容の記事になっています。その一つ一つは、漫画作品とは全然関係がなく、時事ネタや、最近のTV番組のネタ記事です。ニュースやTVドラマや芸能関係。それについてのベタ情報と僕の感想、思い、で構成された記事文です。それがいくつか、個々には関連なく、集められて並んでいる、といった構成です。ですが「Kenの漫画読み日記。」、やはりメイン記事は漫画作品についての書き込みです。ラストにあります、メイン記事、漫画作品解説と、僕自身の個人的思い、追想。その漫画の題名は「のら犬の丘」。秋田書店発行の当時の月刊少年漫画誌「まんが王」に1968年5月号から1970年12月号まで長期連載された、原作・真樹日佐夫氏、作画・石井いさみ氏による、熱血格闘青春漫画。青春といってもこの物語で語る青春は、熱い男の戦いや友情を描きながらも、暗いグレイトーンのネガティブな青春ですね。熱い滾りの中にも、全体にはエレジーが流れる‥。ここの記事群は、今月13日か14日頃からアップ日までに書き込まれた記事文章群です。では、先ずは、TV番組や芸能関係ネタの記事からです。※(厳密にいうとオムニバスではなく、一つ一つの記事に関連は何もありません。日を追って思い思いで書いた記事の寄せ集めです。) 

 ○バレンタインキッス
 13日のテレ朝系ロンブーで、国生さゆりさんが当時の衣装のまま、ポニーテールの髪型で、「バレンタイン キッス」を熱唱してました。何と21年ぶりだそうです。国生さゆりさんは40歳とはいえ、まだまだとてもお美しいですが、やはり昔に比べると少し太めかな、と思いました。いやあ~懐かしい、感激しました。熱唱を終えた国生さん自身も感激して泣いてました。年月を感じさせず、歌もうまかった。40歳って、熟女と呼ぶんだろうか?国生さん、大人の色気たっぷりで素敵ですね。僕はずっと、「バレンタインディキッス」というタイトルだと思い込んでいました。正確には「バレンタイン キッス」なんですね。いやあ~、ホント、良かったなあ。あの歌がヒットした年って86年なんですね。バブル突入期の時代ですね。夕方のスペシャル番組、バブル版「クイズ年の差なんて」では、僕が帰宅して調度番組終わり頃を見ていたら、当時のお金に対する異常な事実を、クローズアップして紹介していました。世界一の金持ち国家、日本。JAPANマネーが世界中を席巻する。日本企業がアメリカの象徴的物件を買い捲った。日本の土地代で面積数十倍のアメリカが買える。日本企業が百億以上の金を出して、名画を競り落とし、企業の会長が自分が死んだら棺に入れてくれと言ったとか、噴飯ものの有名な話がありましたねえ。本当にバブルだったんですねえ。宴の後は泡は果かなく消えてしまった。今、話題の日本映画「バブルへGO!タイムマシンはドラム式」はヒットしているみたいですねえ。これはあのホイチョイプロダクションの馬場康夫さんの監督作品なんですねえ。懐かしいなあ。ユーミンの主題歌で「私をスキーに連れてって」、サザンの主題歌で「彼女が水着に着替えたら」。当時、毎号買って読んでいた週間スピリッツの連載ショートギャグ漫画「気まぐれコンセプト」。これもホイチョイプロダクションの漫画作品でした。最近、週間スピリッツはまるで読んでいないんですけど、何でも「気まぐれコンセプト」はまだ続いていて、ビッグスピリッツの最長連載漫画らしいですね。

Photo_64  ○ヒミツの花園
 
13日はフジ系ドラマ「ヒミツの花園」第6回で、今回には、日本の出版社の漫画作成には、編集者の存在は本当に欠かせないものなんだなあ、と再認識させられるシーンがありました。日本漫画制作土壌に於ける、漫画作家と編集者の一心同体システムというか、この特殊な関係は日本の出版界特有のものらしいですけど。漫画出版編集者の存在は、ジャパン漫画文化盛況の重要な裏方というか、またある時には女房役というのか、無くてはならぬ存在のようにも思えますね。出版漫画制作においては編集者は一部、マネージャーのような役割を担っているようですね。漫画作品を生み出すクリエイター集団の一部という感じ。今ある多くの巨匠達を育て上げて来たのは、多分、陰の存在、名編集者達なんでしょう。「ヒミツの花園」、笑えます。コメディとして実によく作られています。真矢みきさんの存在が面白い。ホント、おかしいです。ドラマ、毎週、楽しみです。真矢みきさんは美人ですが、もう既に40歳くらいにはなられるみたいですね。僕はこの女優さんはあまりよく知らなかったのですが、上戸彩さんが主演していた、リメイクのフライトアテンダント修行ドラマ、「アテンションプリーズ」だったか「スチュワーデス物語」だったか、どっちかのタイトルのリメイク作品に出ていたのを、チラリと見た覚えがあるくらいです。今はスチュワーデスなんていわないから「アテンションプリーズ」のリメイクかな(?)。この時見た印象では何かおばさんくさかったけど、今回の編集長役では実に若々しくて素敵です。真矢みきさんは調べたら、誕生日が僕と一緒だったので好きになりました。単純です。同じ誕生日でも、動物占いだと、僕は「権力に立ち向かうサル」ですが、真矢みきさんは「野心と母性のコアラ」でした。別にドーデモイイ話でしたね。

 第7回の放送では、真矢みきさんはホント、コメディエンヌとして面白く、うまいなあと思いました。綺麗な人ですけど、真矢みきさんの演技、イイです。最近は「演歌の女王」と「キラキラ研修医」は番組、もうまともに見てないですけど、「ヒミツの花園」は毎回、放送が楽しみ。「演歌の女王」は何かドラマとしての評判、あまり良くなくて、テレ朝系、仲間由紀恵主演「エラいところに嫁いでしまった」も苦戦らしく、視聴率女王の名を欲しいままにした二人が、ここに来てパッとしない感じですね。潜在視聴率女王というのがあって、これの1位2位を争うチャンピオンは、仲間由紀恵と篠原涼子らしい。男優ならキムタクとかなんだろうけど。篠原涼子は結婚しているのに人気があるね。多分、女性の支持が多いんだろうね。「アンフェア」も人気高かったし。「ハケンの品格」も今の社会問題を扱っていて、話題性もあり、多分、視聴率もけっこう良いんだろう。僕は見たこと無いんだけど。何故だろう?裏番組、何だっけ?AUのCMは、この潜在視聴率女王(以前は松嶋菜々子がチャンピオンだった)2名の起用なんですね。AUは番号ポータビリティでも一人勝ちだったし、他二つに比べてAUのCM、何か光ってるもんね。孫さんのソフトバンク頑張れ!俺はドコモだが。97年からずっと‥。

 

Photo_60  ○リア・ディゾン
 
夕方のカーラジオのFM放送でDJの人が、今は世の男性の八割くらいは、リア・ディゾン、リア・ディゾンと言っていると思います、と話していたが、お昼の「笑っていいとも」でチラリと見かけたし、週間プレイボーイのグラビアでも出ていた。今、大変な人気の新人アイドルらしい。もう写真集なども出ているらしいけど、僕はリア・ディゾンという女の娘は、週間プレイボーイの写真で見るまで、無論、全然知らなかった。日本人風な可愛らしさを備えた白人、という印象で、どうなんだろう?ハーフかな?とか思っていたのだが、調べてみると、リア・ディゾンちゃんはネバダ州ラスベガス出身のモデル・レースクイーンで、現在20歳、父親が中国系フィリピン人、母親がフランス系アメリカ人の米国籍ハーフらしい。だから日本人ハーフではない。アメリカでの自分のウェブページに載せた写真から日本で話題になり、06年春に来日してタレントデビューしたものらしい。多分、本格的に人気に火が着いたのは最近なんだろうね。よく知らないけど。今度、歌でCDデビューしたらしい。日本語は出来なくてトレーニング中なんだとか。日本人ハーフの従姉妹が居て、その影響から元々好きなJポップの日本人歌手も多いんだって。リア・ディゾンてよくよく見るにやっぱ、日本人ハーフ顔というよか外人顔だね。

Photo_62  リア・ディゾンちゃん、王様のブランチにも出ていましたね。何かで見たんだけど、ポスト新ブログの女王、とかって書いてあった。調べて、リアちゃんのブログを見てみたんだけど、原文は英語で書いて翻訳しているみたい。ホントのこというと、ワシもこの年齢だし、いくら可愛いとはいえそんなにリア・ディゾンちゃんに興味がある訳でもないんだけど、何か、グラビア界に黒船の来襲とか言われてたんでしょ(?)。今やもう立派なアイドルタレントだな。黒船の来襲というと、僕は90年代終わり、日本格闘技界にグレイシー柔術が襲来して来て脅威となったのを思い出します。当時、格闘技メディアではそう騒がれた。ブラジリアン柔術とはいえ、ホイスもヒクソンもアメリカで活動していたからね。あんまり関係ない話だが。夜遅くのTV番組で、イチロー選手と椎名林檎が対談していて、びっくり。僕は椎名林檎さんは「歌舞伎町の女王」しか知らなかったのだが、番組中の映画「さくらん」の挿入歌など、その斬新な音楽にオドロキで、興味を掻き立てられました。

 ○奥田民生
 
深夜のカーラジオのFM番組にゲストで、リア・ディゾンが出ていた。やはりまだまだ日本語はよく解らないようで、通訳の女性が着いていた。その代わり英語の発音は正真正銘、外人だった。英語圏でのホームページだけに、世界各地からその掲載画像の美貌に呼び声があったろうに、どうして日本を選んだんだろう?一番、日本の芸能事務所の誘いが強かったのか?可愛い系だし、あんまり大きくないから日本人好みなのかな?まあ、別にどうでもいいコトではあるんだけど。土曜の深夜のNHK番組で、シンガーソングライターロッカー奥田民生さんの特集をやっていた。奥田民生さんは僕の妹と同い歳で僕よりも一世代、二世代下になるが、日本音楽芸能界では最早、巨匠の域に居るんじゃないだろうか。時折タッグを組む井上陽水さんの方はもう重鎮というか巨匠というか老師というか、何と呼ぶか、団塊世代だし。日本大衆歌謡音楽のJ-POP部門では実績からいっても40代とはいえ、奥田民生は、かなりの位置に居るんだろうな。でもやはり人気商売現状実力世界だから、相手にされなくなればそれまでの世界ではあるんだろうけど。今、僕はパソコンに取り込んだたくさんのビートルズ曲を編集したリストを小さな音で流しながら、これ書き込んでるんだけど、このNHKの奥田民生特集番組見てたら、奥田さんも少年時代にビートルズの影響を受けているようだ。かつて、井上陽水さんもビートルズの影響を受けたと話していた。65年生まれの奥田民生は、ビートルズ解散の時、5歳の計算になるが、ビートルズに影響を受けた日本のミュージシャンは数知れなく居るだろうが、せいぜい70年生まれくらいまでだろうなあ、と僕は思う。というのはそれより若い世代は、ビートルズの影響を受けて育ったミュージシャン達の作った新しい音楽を聴いて育っていると、思うからだ。ビートルズ達が使っていた楽器よりさらにずっと洗練された、新しい美しい変わった複雑な音を出す、電子楽器を使って新しい音楽を作り出して行ってるからだ。まあ、ビートルズ音楽はもうスタンダードだし、いつの時代でも聴いているだろうけど。でも、70年代まではビートルズのサージェントペッパーズロンリーハーツクラブバンドが世界最高のアルバムで、未だにこれを凌ぐアルバムは出ていない、なんてポピュラー音楽評論家が書いていたくらいなんだ。あくまで70年代までだけど。まあ、これも人によって評価は異なるもんだろーけど。だから奥田民生さんくらいの世代までは直接、ビートルズ音楽から影響を受けているのだ。

 奥田民生さんはお母さんが歌謡曲が大好きで、ものごころ着いた時から家の中に歌謡レコードがいっぱいあったらしい。奥田民生の音楽ルーツはムード歌謡にあったのだ。子供の頃から、母親に着いて行き、近所のスナックなどで当時の流行歌を歌っていたらしい。少年時代にビートルズに出会い、ギターを覚え始める。中学生でバンドを作る。奥田民生さんがプロデュースしたパフィーの第2弾シングルの大ヒット曲は、奥田民生のビートルズへのオマージュ曲だ。僕はパフィーの歌では、一番有名なデビュー曲「アジアの純心」よりも、この第2弾「これが私の生きる道」の方が好きだ。僕が初めて聴いた時、何だか聴いたことある曲みたいだなあ~、と思った「これが私の生きる道」には、ビートルズ前期の大ヒット曲の、数々のごく一部分が挿入されている。それは曲のつなぎ部分などの、ちょっとしたギター演奏部分などに入って、使われているのだ。だから僕みたいに少年時代にビートルズの曲を耳に焼き付けた、多くの大人たちには、何か聴いたことある懐かしさを起こさせるのだ。「これが私の生きる道」はフェバリットに僕の好きな曲の一つですね。奥田さんは同郷出身の吉田拓郎の影響を受けているのかと思っていたが、番組ではそのような話は全くなかった。むしろ後に井上陽水の方と繋がったワケだし。奥田民生ミュージックは何か吉田拓郎を思わせるものを感じたのだが、実は、奥田民生はバンド、ユニコーン時代はロックで、それもハードロック調が多かった。僕が初めて奥田民生の歌を聞いたのは「大迷惑」という変わった曲で、純粋なロックでもない不思議な変な速い曲に、ど~も単身赴任を悔やんでるよーな、変な詩が乗って歌われていた。僕は奥田ミュージックの特別、ファンでもなかったので、バンド時代のロックの曲調は全然知らず、番組で初めて、昔のそのハードロックっぷりを知ったのだった。その後、ソロ活動に移ってからの曲調は、僕の知る限り、どちらかというとフォーク調が強いという印象を受ける。独特の曲調だけど、古き良き昭和40年代フォーク調ティストがあるという気がしている。まあ、僕も実は特別、奥田民生のファンでもないから、ソロ後でも「息子」「野ばら」「イージューライダー」とかくらいしか知らないんだけど。あと、井上陽水との共作デュオ曲(ありがとうとかいう歌だっけか?)くらい。「野ばら」は僕が唯一、奥田民生さん曲でカラオケで歌っていた曲だ。

 ○ザ・グラジエーター
 
巨漢の白人プロレスラー、ザ・グラジエーターが死んだらしい。自殺だそうだ。ライブドアのスポーツニュースで見た。42歳はまだ若い。大仁田厚が現場監督のような役回りをやり、日本人覆面レスラー、ハヤブサがヒーローとして活躍していた頃のFMWで、僕はビデオで見ていたのだが、グラジエーターは大きな豪腕のレスラーであったとは憶えているが、細かな記憶があまりない。顔の目の辺りにペインティングをしていたような‥。あの頃のFMWのプロレスは僕は好きだった。女子では工藤めぐみが大人気だった。女子に、中山香里という小柄な可愛い選手も居た。FMWがまだ、エンターティンメント路線をやる以前の、一つ一つの試合に凄みがあった時代だ。ザ・グラジエーターはフロリダ州タンパの自宅で首吊り自殺したものらしい。自殺の理由など詳しいことは書かれていない。不謹慎なようだが、あの巨体がぶら下がるとは相当丈夫な梁とロープだ。当時のFMW外人勢にはグラジエーターの他に、チェーンソーを持って派手にパーフォーマンスを行う覆面レスラー(名前忘れた)や、レスラーとしては晩年時代のテリーファンクなどが出ていた。僕はその頃は全日本女子のプロレスビデオに嵌まっていて、そこからの流れだ。全女は第三期の黄金時代で、豊田真奈美が飛翔天女と呼ばれて、数多い日本人娘強豪たちと抗争を続ける、女王でいた時代だ。FMWというプロレス団体は数年前に倒産していて、大仁田厚引退後(後に復帰)に、社長を務めていた荒井昌一氏も倒産の責任を感じて首吊り自殺をしているらしい。大仁田後の次代のエースだった、ハヤブサは試合中の事故から重症を負い、レスラー業引退をやむなくされたらしい。僕は邪道姫と呼ばれて大人気だった工藤めぐみの引退試合を期に、FMWのプロレスを見なくなった。また女子プロレス興味も消えてしまった。僕がビデオで見ていた頃のFMWは、プロレス興行という見せ物的胡散臭さの中にも、因縁を含んだ抗争というストーリーが情念的に見事に連なっており、肉弾戦の過激な試合運びで、凄みがあって面白かった。キャラ的にも僕はハヤブサは好きだったが、今でも大仁田厚さんは何かあまり好感が持てないなあ。

 ○有罪ハーレム脅迫占い師
 
TVで、女性11人と同居するハーレム犯罪者の、被害女性の一人の追跡ドキュメントをやっていた。だいぶ前に聞いたニュースのハーレムオヤジ、渋谷博仁容疑者の判決が決まったらしい。懲役1年6ヶ月、執行猶予4年。何人もの女性に対する、脅迫強要容疑に対する審判だ。TV番組では、渋谷被告のハーレム住居に定着してしまっている、ある25歳の女性を連れ戻したい一心の母親と、元の常識的生活に戻ることを強く拒絶する娘とのやり取りを映していた。間に入っている、プロの連れ戻しの仲介屋だという、中年の男の人が居た。この人は洗脳されていると思われる被害女性をハーレム内より抜け出させ、精神病院に掛からせてケアさせ、正常な思考を取り戻させる為の、手伝いをする男性だ。あくまでメインの交渉、話し合いは家族に任せる。そこに肉親家族の信頼を復活させることが主目標だ。結果は失敗した。医師に掛からせることは出来ずに、25歳の女性は渋谷被告のハーレムに、仲間の同居女性たちと共に帰っていった。普通の大人である一女性の意思が通るのだ。洗脳されているといってもあくまでも疑いなのだろう。本人がその生活を望んでいる限りは、多分、強制連行のような奪還は難しいのだろう。渋谷博仁の作る、11人の女と暮らす、一夫多妻、あるいは一夫多妄の異常家庭。渋谷という男は元々、何人もの女性を心理的に陥れて支配したいという異常な考えの持ち主らしく、その為の教科書としていた催眠術のハウツー書など、異常な思考を裏付けるような怪しげな書籍が多数押収されていて、多分、その催眠術本などで、女性を精神的に撹乱して洗脳する為の勉強をしていたのだろう。とんでもない奴だが、渋谷という男は、自称占い師を名乗る胡散臭い58歳のオヤジで、同居女性たちの稼ぎで生活していたらしい。ハーレム内では男は、女性たちを支配する為に、時に脅し、恐怖心を植えつけることもしていたらしい。多分、11人の女性たちは精神的に、洗脳状態に置かれているんだろうが、それにしても腑に落ちないのは、一番上は52歳、後は29歳からそれより下と比較的若い被害女性たちは、みんな、渋谷ハーレムを安住の場所、憩いの場所とでも思い込んでいるかのような様子だ。好き好んでそこに居着き、離れたがらないように見える。番組で取り上げられていた25歳の女性などは、連れ戻そうとすると錯乱状態のように暴れていた。多分まともでない思考状態の彼女は、自分の心からの住処と信じている(されている)ハーレムの共同生活に戻っていった。渋谷は女を落とすときには時には、あなたはエイズに掛かっているから私の精液で肉体を浄化してあげよう、などと言っていたらしい。とんでもないふざけた爺ィだが、やすやすと洗脳されてしまう女性たちも、何とかならぬものか。人権侵害的にも、これは大きな問題だ。

 随分昔、イエスの箱舟だったか、エロ神父がやはり多数の女性と、一夫多妻、一夫多妄のような共同生活をしていた事件があったが、何人もの女性を囲っているエロ神父事件は別に、その後もあったように思う。こういう共同生活というのは宗教関係に多いね。かつてのテロ事件に見る、オウム真理教のサティアンという施設内での共同生活。何というか、修行の場における学校の共同宿舎のような機能、なのかな。共同生活している男女はみんな、そこが自分達の心からの本当の居場所だと信じて疑わない状態にあるんだよなあ。あの、白装束で有名になった、例の移動宗教集団、パナウエーブ研究所だっけか、あれもそうだし、最近の新興宗教団体にはそこが一つの結束された大きな家族になっているものが多い。恐いなあ、人間て。洗脳された女性たちは、中心に居る一人の男に、肉体的に弄ばれても何も疑問を持たず、性の奴隷に甘んじているんだろうし。一旦、是非を置いとくとして、渋谷のような男はあれも才能だよなあ。ハレムを作り上げるためには、熱心な勉強も果敢な行動力も発揮しているし。僕のようなキャラには絶対出来ません。実際、ハレムを作っても最初はいいとして、維持していくのは大変だ。僕はボスキャラじゃないしね。世の男性はハレムに憧れるが、空想と実際は、多分大違いだと思う。渋谷はハレム維持に恐怖支配も使っていたらしいが、それだけではないだろう。ハレムを率いる頭領としての、マメな面倒見の良さも必要なんじゃないか。いろんな性格の女、たくさんと一緒くたに生活して、性生活も含めて暮らしていく訳だし。しかし、監禁王子のようなSM虐待生活という場合もあるしな。とにかく虐待という人権侵害は絶対許されません。無論、暴力や脅迫を含んだ洗脳も、人権侵害であり、絶対許されません。SM虐待なんて憎むべき人権犯罪です。ひょっとしたら若い頃は夢想的に憧れを持ったかも知れないけど、今の僕はハレム共同生活なんて絶対御免蒙りますね。

 ○「のら犬の丘」完全版
 やっと漫画に来ました。のら犬の丘。少年熱血感動格闘青春漫画「のら犬の丘」については、このワタシのBlog初めて間もない05年3月の記事で一度書き込んでいるんですが(05/03/08-のら犬の丘2)、その記事にも書き込んでるコトですけど、僕は秋田サンデーコミックスでは1巻と3巻しか持たず、まとめたものはその2冊でしか読んでおらず、少年時代は当時の月刊少年漫画誌「まんが王」の連載で読んでいたのですが、それも前半部分だけで、後半部を長い間、未読のままでした。秋田サンデーコミックス版では全7巻で刊行されていたのですが、長らく絶版状態で、ずっと「のら犬の丘」後半部を読みたいと思っていたら、マンガショップさんから完全版として作品全編が全4巻にまとめられて発刊されました。それで、この度、後半部の収録された3巻4巻を読みまして、「のら犬の丘」全編のストーリーが解りまして、気持ちがスッキリして嬉しかったです。秋田書店発行の、何十年も前の月刊誌「まんが王」誌上で、時折は断片的に読んでいたので、だいたいの大まかなストーリーの流れは掴んではいたのですが、名作「のら犬の丘」がどのようにエンディングして行ったのかは全く知りませんでした。いやあ~、読めて良かった。良い作品です。ストーリーの流れが中途半端に変わっていく感じは少々受けますが、青春エレジーというような陰のある、ちょっと暗い雰囲気が全体に流れる、熱血青春漫画です。今回の復刻版、マンガショップさんの完全版「のら犬の丘」全巻には、当時の月刊誌「まんが王」連載時の毎号の扉イラストが紹介掲載されていますし、それもまた楽しめるんですけど、その例月号掲載の表紙絵にある、キャッチコピーのような、一行か二行の文句、一行惹句ですね、これがまた良くって、この漫画作品の内容を、端的に非常によく表わしています。「青春を生きる、男の友情と詩情を描く連載漫画」、「男の友情、男の詩情、男と男の戦い、男の世界を描く連載漫画」等等。この「男の詩情」という言葉が良いですね。何か、グッと来ます、「男の詩情」。

   「のら犬の丘」の漫画の解説文で、原作の真樹日佐夫氏、作画の石井いさみ氏、共に少年時代を過ごした大田区蒲田が物語導入部に描かれている、と書かれてましたが、物語で重要な役回りのハリケーン桜庭が、後半部で、自分のボクシングジムを開くところも蒲田ですね。京浜急行の京浜蒲田駅の近く。もともと原作・真樹日佐夫先生の書かれたものは小説でも劇画原作でも、大田区蒲田が舞台として出て来るお話が多いですね。石井いさみさんが蒲田の出身とは知りませんでした。僕も大田区蒲田の街には縁があって、若い頃、羽田空港で働いていた時、当時の国鉄蒲田駅から京浜急行のバスで羽田空港まで通っていました。よく蒲田の街で洋服を買ったり、映画を見たり、飲み屋に行っていたのを思い出します。後に浜松町からモノレールを使うようになり、蒲田に足を運ぶことはなくなるんですけど。まあ、いいですね、そんな何十年も前の大昔のコトは。僕は、この「のら犬の丘」を描いていた頃や、そこから先の石井いさみ先生の作品の絵柄が大好きでした。特に、この「のら犬の丘」の前半の舞台である、のら犬の丘と蔑称で呼ばれている少年院、天馬ヶ丘学院周辺の山や森や林を描いた風景、背景の絵が実に良いです。僕はこの背景の風景画が大好きでしたし、今見ても好きな良い絵です。縦割りのひょろ長いコマいっぱいに描き込まれた田舎の絵。て、田園じゃないんですけどね。山と林ですね、田舎道が一本あって。天馬ヶ丘学院の建物の一角と風景。好きです、この背景画が。街区の背景の絵はそうでもないんですけど。同時期の少年サンデー連載の「くたばれ涙くん」でもよく使われていた、山と林と田舎道の背景画です。時にセミが鳴く暗い林だった。背景といっても人物が入るのではなく、場面がパンして変わる時に使われていることが多い、時には一枚画の大きなコマに描かれた、牧歌的な筆致の風景画。良いです。この絵柄は、代表作の一つでもある「くたばれ涙くん」以後の、少年サンデー連載作品、「青い鳥の伝説」や「龍が斬る」などでもよく見られて、物語の作画に効果的に使われていました。尚、調べたら、石井いさみさんのお兄さんと真樹日佐夫氏は同級生らしいですね。僕は石井いさみ先生作画の少年サンデー掲載作品、「ケンカの聖書」や「龍が斬る」も連載当時大好きな漫画でした。

 タイトルの「のら犬の丘」とは、舞台の少年院の、世間での蔑称な訳ですが、原作者の真樹日佐夫氏も少年時代のある時期、鑑別所のような施設に入っていたことがあるそうです。真樹日佐夫先生の作品には、漫画原作では「のら犬の丘」を初め、「飛べない翼」や「ワル」等、若き一時代の実体験に基づいて、舞台にそういった収容施設を描いたものが多いです。真樹氏の世代からすれば戦後の混乱期ですし、硬派の不良でもちょっとしたことから収容された、というようなこともあったでしょう。実兄の梶原一騎氏が「空手バカ一代」の中でだったか、描いていた弟、真樹氏のエピソードですが、とにかく若い頃は毎日、喧嘩にあけくれる荒くれ者で、プロであるヤクザ者等ともよく喧嘩をしていたんだそうです。幹部格の、素手の喧嘩にめっぽう強い、骨のあるヤクザ者とも、デスマッチのような血みどろの喧嘩をやったとか。不良ではあったけれど真樹氏は、早稲田大学に入るほど頭が良くて、文才があり、小説で、1968年に文芸春秋社のオール読物新人賞を取っているほどです。兄、梶原一騎の紹介で大山倍達師範の極真会館の門を叩き、後に極真の総本部第三代師範代にまでなる程の空手の腕。その空手の腕を使って、空港だか酒場でだかの、トイレでの喧嘩で、当時の現役プロレスラー元AWA世界ヘビー級チャンピオン、キラー・バディ・オースチンを降参させたことは、有名な話です。キラー・オースチンといえば、狂犬や金髪鬼、殺人鬼と異名を取った、反則ワザだけでなくレスリングの技術も見せていた、往年の悪役レスラーですね。得意ワザの脳天杭打ち(パイルドライバー)は有名でした。知らなかったけど、キラー・オースチンは何でも本当に、リング上の事故で相手を死なせているというエピソードを持っているらしいですね(?)。硬骨漢、真樹日佐夫氏にはストリート喧嘩勝負では、武勇伝がいっぱいあります。真樹日佐夫氏には「ケンカの聖書」という、武術ワザ解説書というよりは、ストリート喧嘩の指南書みたいな著書がありますが、この中で僕が印象深く憶えている一文は、喧嘩でもやはり頭の良いヤツが強い、ということ(ひょっとしたら別の著書かも?)。現場の応用力ですね。何処で突然始まるかもしれないストリート喧嘩を、如何に、地の利を利用するなどして自分に有利に持って来るか、その咄嗟の判断力ですね。街中にはコンクリの壁もアスファルトの地面も、ショーウインドーもビール瓶も石ころやブロック片もある。何でもが凶器になる状況で、瞬時に判断してそれら周囲のものを、自分に有利に使う、というような頭の良さもそうですね。常識的世界から見れば、かなり危ない世界の話ですけど。勿論、胆力など精神力の強さは不可欠でしょうけど。この著書の中の話では、真樹氏は、日本ランキングのプロボクサーとのストリート喧嘩でも、相手を制しています。真樹氏は空手の腕前が強いだけでなく、その元々の頭の良さからストリート喧嘩も相当、強かったようですね。

 さて、漫画作品「のら犬の丘」のお話ですけど、主人公、団虎太は大人たちに裏切られ、少年鑑別所に収容される。その施設、天馬ヶ丘学院は、世間からはのら犬の丘と蔑称されていた。そこで大番長、剣持次郎と対決する。団虎太は得意の柔道ワザを使って、剣持次郎の剣を封じ、これを倒して大番長の座にすわる。新任教官、元プロボクサー、ハリケーン桜庭との対立。鑑別所に現れた新たなる強敵、元ボクサー、ジョニー市木田との決闘。ハリケーン桜庭の教えによる、院でのボクシング修行。剣持次郎との男同士の友情。新任教官として現れた、最強の敵、羽黒。羽黒豪介は無双怪力術の継承者であり、団は柔道技術やボクシング技術を用いても、全く歯が立たなかった。鬼教官羽黒の圧政下でイジメ同然にしごかれ続ける団。結局、羽黒と団虎太の再戦は無かったが、剣持が剣にて一矢報い、桜庭教官が左ストレートで倒す。そして、天馬ヶ丘学院の登場人物たちは皆、院を卒業して社会へと出る。まあ、ここから3巻の後半部から4巻終章まで、いろいろと事件等があるワケですが、やはり、この物語は、熱血少年漫画とはいえ、暗いですよ。だって少年院を出所した少年達の青春物語ですから。全編のバックには静かにエレジーが流れている、ネガティブな青春群像劇ですね。ハリケーン桜庭はボクシングジムを設立する。桜庭に距離を取り、快く思わぬ団虎太は、プロボクサーの道を拒み続けるが、ついに、やむを得ずボクシング界に身を置くこととなる。

 ハリケーン桜庭のジムで、あまりやる気もなく、ボクシング修行を続ける主人公、団虎太。鑑別所で教官達の補助的な仕事をしていた、桜庭の妹、リツ子もジムに身を寄せる。虎太は院に居た時からずっと、リツ子が好きだった。だがリツ子は、ジムにやっかいになっていた剣持次郎に恋していた。片思いに悩む虎太に、次郎は身を引き、突然ジムを去る。失恋に放心状態になるリツ子。リツ子は抜け殻のようになって毎日を送る。成らぬ恋と次郎への複雑な思いに、苦悩し続ける団虎太。しかし、「まんが王」っていったら月刊少年漫画誌の歴史の中でも、幼年誌に近い位置にあった児童誌だよ。この頃、その「まんが王」に、こんな複雑な物語が掲載されていたんだもんな。「少年」や「少年画報」「少年ブック」「冒険王」に比べて、「まんが王」「ぼくら」は弟分の雑誌だった。往年の月刊誌でも、子供の対象年齢がさらに低い。週間「少年マガジン」で「巨人の星」や「明日のジョー」が爆発的人気を博していた頃から数年、少年漫画誌はいづれも対象年齢がぐんと上がっていた。いわゆる、大学生が漫画を読む、と世間で騒がれた時代である。少年漫画の対象年齢がかなり高くなっていたのは、だいたい68年頃から73年頃だろうか。その頃くらいに、昔からあった月刊誌があらかた淘汰されて、しばらくして少年週刊誌の読者年齢をぐんと下げた。高校生くらいから大学生、20代の社会人層には、対象誌として「ビッグコミック」や「ヤングコミック」等の青年誌が登場し、隆盛して行ってたからだ。

 「のら犬の丘」は結局、悲しい結末で終わる。やはりこの物語は全編、暗い。副主人公になる剣持次郎はいつもギターを弾いていた。それは多分エレジーだったんだろう。でなければブルースか。ネガティブな青春群像劇。ですが、であるからこそ、名作です。前にこの漫画の事を記事に書いた時、成長物語だと解説したが、青春も若者の成長も、明るく希望に満ちて、太陽のように輝く、幸福が待つ愛にあふれたものばかりでは、決してなくて、実はその半分の裏サイドの青春は、暗く悲しく、虚しい怒りが立ち込めているのである、という、成長物語といってもどう成長したのか、その成長が手放しで喜ぶような成長であったのか決して解らぬ、社会の現実を突きつけられる、そんな若者の人生の歩みも絶対に存在するのだ、と負の側から訴えてくる物語でもある。僕はそう思います。やはり名作でしょう、「のら犬の丘」。
 「僕は20歳だった。それが人生で一番美しい季節だなんて誰にも言わせはしない」‥というポール・ニザンの一行を思い出させますねえ。

 余談ですけど、「のら犬の丘」の登場人物の一人、最強の教官、羽黒豪介が使う、無双怪力術なる、武術ですけど、これは僕が幼少時、貸本の平田弘史氏の時代・・・・。

※(OCN ブログ人から記事引っ越しの際に、『余談ですけど…』以降の文章の末尾10行くらいが消えました。goo blog に文字数制限があり、消えたことに私が気が付かず、気付いたときにはブログ人データから既に消滅した後で、その末尾10行くらいの文は復元出来ませんでした。)

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