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●漫画・・ 「どうどう野郎」 

 1968年7月に創刊された集英社の児童漫画誌「少年ジャンプ」は、創刊から一年ちょっとは、隔週刊というか月二回刊の雑誌でした。「週刊少年ジャンプ」となるのは、翌69年の10月発行分からです。川崎のぼる先生オリジナルの学園漫画作品「どうどう野郎」の連載が始まるのは、その、隔週刊誌が毎週発行の週刊誌となった第1号、週刊ジャンプ69年第20号からです。ジャンプが週刊誌となったと同時の新連載ですが、その後わずか半年足らずで連載は終了しました。60年代前半までの児童漫画の主役は、SFや探偵ものや時代劇も含めて、ヒーローもの全盛の時代でした。60年代後半に入ってからの児童漫画の主役は、熱血感動漫画、熱血学園漫画、熱血スポーツ根性漫画に取って変わりました。スーパー運動神経を持つとはいえ、読者と同じ等身大の少年が、学校の部活やスポーツで頑張りぬく感動漫画。川崎のぼる先生も代表作の「巨人の星」に見られるように、熱血スポーツ劇画が得意のジャンルでした。

 川崎のぼる先生の代表作の一つに、「いなかっぺ大将」があります。68年頃から小学館の学年誌各誌で連載された大人気漫画です。「どうどう野郎」と調度、同時期くらいの発表漫画ですが、短期で終了した「どうどう野郎」に比べて、「いなかっぺ大将」はかなり長期間連載が続きます。「いなかっぺ大将」は70年10月からタツノコプロ制作でTVアニメ化され、当時は国民的といっても過言でないような人気を誇るTVアニメでした。アニメ放送はフジ系列で72年まで二年間、大人気で毎週放送されましたし、また、その後も何度も再放送されました。学年誌の連載も発表から数年間、子供人気を維持して続きました。

 川崎のぼる先生の代表作というと「巨人の星」をはじめ、「アニマル1」や「フットボール鷹」のように熱血スポーツ感動漫画の秀作が多い。川崎のぼる先生も元々は貸本劇画の出身で、最初から得意ジャンルはアクション劇画でしたね。63年か64年頃から作品発表の主戦場を児童雑誌に移し、ほとんどストーリー漫画ですが、ジャンルは何でもござれで、スパイアクションものから西部劇、時代劇、SFまで各雑誌に発表してました。また、60年代は少女漫画も描いてて、当時の少女漫画誌にも作品を掲載してました。川崎のぼる先生のヒット作には原作付き漫画も多いのですが、原作に忠実な方で、原作付きのストーリー漫画では、ギャグを入れることがほとんどなく、漫画は、物語が比較的リアルにシリアスに進行していきます。

 雑誌移行後の川崎のぼる先生のオリジナル作品には、けっこうギャグ風味を入れた作風が多く、ストーリー漫画作品ではあるのですが、主人公がズッコケたり間が抜けてて失敗したり、ピエロ役のようなギャグ味を出すサブキャラクターが登場したりしています。アニメを見てもよく解るように、「いなかっぺ大将」は一応ストーリー漫画の体裁ですが、アニメの方はもうコメディというかほとんどギャグ漫画ですね。60年代半ばから70年代前半当時の川崎のぼる先生は、雑誌漫画で引っ張りだこで、多分この十年間は超多忙な漫画家生活を送っていたものと思われますが、長編連載の他にも、雑誌には短編読みきりもたくさん寄稿してました。中には一応ストーリー漫画の体裁で始まり、二枚目風にカッコ着けた登場人物が失敗ばかりする、内容はほとんどギャグ漫画の作品もありました。ギャグ風味を効かせた漫画作品も多い川崎のぼる氏ですが、元々デビュー時から画風そのものはストーリー漫画のタッチですからね。リアルに描けば劇画タッチだし。

 僕は本作「どうどう野郎」も雑誌連載時リアルタイムで読んでましたが、後に全1巻でまとめられたコミックス単行本での再読は果たしておりません。だから今回お題に挙げているのに、本当に申し訳ない、内容はそんなによくは覚えてはいません。ただ、この漫画の作風は一応学園漫画で、中学生の熱血少年が学校内で台風のように席巻し活躍する、熱血学園漫画ですが、ギャグ風味の強い漫画作品だったと記憶しています。だから70年から始まったTV放送の「いなかっぺ大将」を見たとき、「あ、『どうどう野郎』と同じだ」という感想を持ったことを覚えています。この時代の学園漫画によくある、学校の番長との格闘対決や各スポーツでの活躍を描きながら、随所に川崎のぼる流のギャグが散りばめられていたような‥、そんな作風だったように記憶しているのですが。

 68年69年70年というと、僕は中学生の時代ですね。僕は小四くらいから毎週毎週、週刊少年マガジンを必ず購読していて、中一くらいから、家の近所の幼馴染のFT君が毎週購読している週刊少年サンデーと交換して、毎週、マガジン・サンデーは必ず読んでました。68年からは創刊された少年ジャンプもしばらく購読していて、途中、ジャンプは買うの止めてたんですが、週刊誌になってから週刊少年ジャンプをまた購読してたと思います。でも小遣いがなく、母親にも漫画代を貰えなかったときは、ジャンプを買うのは我慢していたと思います。また、69年夏からは今度は、秋田書店発行の少年チャンピオンが創刊され、チャンピオンも、隔週刊というか月二回刊だった当初はもれなく購読してました。一年後の、週刊誌になってからの週刊少年チャンピオンはあんまり購読しなくなりましたけど。中三いっぱいまでは週刊少年マガジンだけは毎週必ず購読してたけど、中三になっての後半は僕もなかなか小遣い財政が厳しく、そうそうは漫画本も買えなくなって来ていた。

 中三の頃はクラスメートのKT君といつもつるんでいて、週刊少年ジャンプになってからは連載の「男一匹ガキ大将」が俄然面白くなり、大人気で、この時代のジャンプの看板漫画となってましたが、僕は中三の頃、毎日、KT君とビートルズの話をして、毎週お互い「男一匹ガキ大将」の話をしてました。僕の中三時代の楽しい思い出というと、KT君としょっちゅう語ってた、ビートルズと「巨人の星」と「男一匹ガキ大将」の話かな。もっとも、漫画の「巨人の星」は僕が中三のとき終了したけど。続編の「新・巨人の星」が週刊読売誌上で連載され始めたときは、僕はもう青年で社会人で働いてました。

 マルチな才能を発揮して活躍していたメディアの逸材、愛川欽也さんが、2014年4月15日、肺がんのため満80歳で亡くなられた訃報を受け、僕が高校生の頃、当時のTVで、「ベスト30歌謡曲」の司会や、TVアニメ「いなかっぺ大将」のニャンコ先生の声の声優をやられていたことを思い出し、当時大人気アニメだった「いなかっぺ大将」を懐かしく思い出し、またそこからの連想で、漫画世界のテイストがよく似た、ちょっと「いなかっぺ大将」の中学生版みたいなイメージのあった、当時のジャンプ連載の「どうどう野郎」を思い出して、コミックス単行本再読を果たしていないので、記憶はうろ覚えであいまいながら、誠に申し訳なくも、今回のお題に持って来て、まあ、ちょっとイロイロ文章書いてみました。肝心の「どうどう野郎」についての解説など記述が、あんまりなくて適当でごめんなさい。

 川崎のぼるさんは貸本漫画出身で、雑誌デビュー前は一時期、さいとうたかを氏のさいとうプロでアシスタントをやっていました。僕が初めて川崎のぼるさんの漫画を読んだのは、63年か64年頃の集英社の月刊誌、少年ブック誌上で、です。川崎のぼるさんの西部劇ガンアクション漫画「大平原児」が、当時の少年ブックの毎月号の別冊ふろくで掲載されてました。貸本劇画出身の漫画家さんは、園田光慶氏、南波健二氏、ながやす巧氏、みね武氏など、60年代の作品を見ると、皆さん絵柄が似てますね。さいとうたかを氏も含めて。細かく見ると違うんですけど、アクション劇画のタッチは60年代までは皆な似てる。

 「どうどう野郎」は、69年秋から連載が始まり、70年の春先には連載の終了した、比較的短期間連載の作品でしたが、カテゴリ分けは一応、「70年代漫画作品」としてUPしました。

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