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●漫画・・ 「マッハGoGoGo」 ..(2)

 本年7月5日から日本公開のアメリカ映画「Speed Racer -スピードレーサー-」ですが、あの「マトリックス」3部作を作ったウォシャウスキー兄弟を監督に、巨額の制作費を掛けて作り上げたメジャーなハリウッド映画で、レッドカーペットに多数のセレブを呼んで大々的にやる、何ていうんですか、プレミア試写会というのかな、発表会レセプションを盛大に行いましたが、本国アメリカの初動の興行成績は、予想した数字を下回り、イマイチの結果だったように、何かで読んだように記憶するのですが‥。それからの興行成績がどうなのかは、ちょっと今の僕には解りませんが。予告編のレースシーンのCG特撮はすごいですけどね。今の特撮はCGでもう、何でも出来ちゃう感じですもんね。カーレースシーンはもう全編ほとんどCG特撮で、迫力的にはすごいものに仕上がってると思いますよ。現代のCG特撮技術はすごい優秀ですからね。でも、ま、特撮部分がほとんどCGの映画って、見る方としては気分的には、アニメを見ているのと変わらねえじゃん、という気持ちはやっぱりありますね。ハリウッド映画「Speed Racer」の実写スタントに、実際の自動車を使い人間が行う、カーアクション、カークラッシュシーンがどのくらい入っているのか、ちょっと気になって、楽しみな気分はありますね。見ててやっぱり、CGアニメはCGアニメって解りますからね。

Photo_2  実写米映画「Speed Racer」のテーマ曲は、今風なカッコイイ、ヒップホップというのかラップというのか、だいたい僕、日本の若い人たちのヒップホップやラップ音楽があんまし好みではないもので、よくは知らないんですけど、リズム感溢れるヒップホップ系の歌に、ところどころ例の「マッハGoGoGo」の元歌のサビのメロディーが入って来る、という仕上がりになっているようですね。日本の60年代後半アニメ、「マッハGoGoGo」が70年代、外国へ輸出されて、アメリカでの放映では英語の歌が着けられた訳ですが、だいたいメロディーラインは一緒なんですね。でも英語の歌詞が乗せやすく、ちょっと間延びしたメロディーになっている。英語歌版は何かこう、緊張感というかメリハリがなくてね、やっぱり本家本元の「マッハGoGoGo」の歌が良いですね。主人公、三船剛の溌剌とした快活さ、躍動感、勇気を歌い上げているようで、歌詞もリズムもメロディーも良い歌です。 

    ♪マッハ ゴー ゴー ゴー
     風も震えるヘアピンカーブ
     怖いものかとゴーゴーゴー
     ホワイトボディ マッハ号
     負けじ魂親譲り
     走り出したら後には引けぬ
     行くぞ勝利のゴールまで
     マッハゴーゴー マッハゴーゴー
     マッハゴーゴーゴー

    ♪地球の果てまでアクセル踏んで
     若い命がゴーゴーゴー
     ナンバーファイブ マッハ号
     みんな見てくれ底力
     胸にデッカイファイトが燃える
     飛ばせ正義のハイウェイ
     マッハゴーゴー マッハゴーゴー
     マッハゴーゴーゴー

 僕は大人になっても、このアニメの主題歌を、出だしやサビ部分の歌詞やメロディーを憶えていたから、子供の頃、TV放送のアニメをけっこう見ていたんでしょうけど、ドラマ自体は印象が薄い方ですね。「マッハGoGoGo」のアニメは多分、それ程熱心には見てはいなかったんじゃないか、と思います。勿論、本邦初めてのレーサー・カーアクションドラマのアニメは、巷では子供たちに大人気だったでしょうが、幼年時からロボットの大好きだった僕は、「鉄人28号」「鉄腕アトム」「エイトマン」「ビッグX」等等のロボットの登場するSFアニメは、それこそ我を忘れて熱中して見ていたでしょうが、子供の頃から自動車にはとんと興味の無かった僕は、「マッハGoGoGo」は多分、そんなには熱心には見てなかったろうなあ。タツノコプロ制作アニメでは、第2作の「マッハGoGoGo」よりも、モノクロでアニメの出来はまだまだ多少悪くとも第1作の、地球にやって来た宇宙人の子供が、円盤やロボットや怪獣や侵略宇宙人と戦う、SFアニメドラマ「宇宙エース」の方が、僕は熱中したでしょうね。ビニールレコードのソノシートの「宇宙エース」を買ったのを憶えてるし。

 

Photo  漫画版の「マッハGoGoGo」は、タツノコプロ創業社長、吉田竜夫氏名義で、集英社の月刊誌「少年ブック」に連載されていました。67年頃の掲載ですから、クラフト組み立て付録と何冊ものB6版別冊付録を付けた、昭和30年代に隆盛を極めた少年月刊誌の末期頃の、看板漫画の一つですね。もう、67年、68年頃には月刊誌も、別冊付録の冊数を減らして、何々コミックスとか銘打ったりして1冊のぶ厚いA5版変型くらいの大きさの本に、4、5編の漫画が掲載されていました。だいたい昭和の月刊誌の別冊付録は、半分くらいは本誌カラーの看板漫画が付録に引き続く形でしたが、この当時のコミックス付録にもそーいうのも含まれていました。また、まるで1冊の単行本のように、ぶ厚いB6かA5変型の1冊に1作品の漫画で付録に着くことがありました。そーいうのは怪獣映画のコミカライズ版なんかが多かったですね。「マッハGoGoGo」は巻頭カラーによくなってましたけど、本誌掲載が多かったような気がする。あんまり別冊付録に続く形を取って連載してなかったよーに記憶するんだけど。

 上記文で述べているように、僕は子供の頃、ロボット大好きでしたが、スポーツカーだろうが何だろうが、自動車にはあんまり興味がなかった。幼年時、子供たちはだいたいバスでもトラックでも消防車でも何でも、自動車に興味を持って、そんな玩具が好きなものでしたが、幼年時代の僕はもう、絵本とロボットの玩具一辺倒でした。漫画本というものを知ってからは、小遣いはほとんどが漫画雑誌とお菓子に使っていたんですけど。だから、上記でも述べてますが、67年のアニメの「マッハGoGoGo」もそんなに熱心には見てはいないだろうし、それは、学校の勉強なんて全然やらない子供だったから、アニメは何でもボーッとでも見てはいたんでしょうが、「マッハGoGoGo」の漫画版も、たまに月刊誌「少年ブック」を買ったときには読んでいた、くらいでしょうね。

 僕は子供の頃、毎月、漫画月刊誌は「まんが王」か「ぼくら」を購入して、後は光文社の「少年」を買って読んでましたね。週間漫画誌は毎週、「週刊少年マガジン」を購読していました。そして自分の家から6、70メートルくらい先の角にあった貸本家に毎日通っていまして、たいていは貸本向単行本を2冊借りていました。その行き付けの貸本屋さんには、「まんが王」「ぼくら」はなかったけれど、「少年」「冒険王」「少年画報」「少年ブック」は例月号、置いてありました。だからそれは借りて読んでいましたけど、僕は子供の頃からマニア的読み手だったので、漫画本は読むだけでなく手元に欲しかった。それで小遣いに余裕があれば、出来るだけこういう月刊誌を購入していました。でも結局、母親に捨てられてましたけど。子供のときに、せっかく漫画本を100冊200冊と溜め込んでいても、学校に行っている間に処分されてしまう。家出してみたりして抵抗しましたけど、結局、母親には逆らえませんでしたからね。「マッハGoGoGo」が連載されていた頃はもう既に、その貸本屋さんはなくなってました。60年代後半に入ると全国の貸本屋さんは続々と消えて行きましたからね。だから、漫画版「マッハGoGoGo」は連載をあんまり読めなかった。

 月刊誌「少年ブック」に連載された「マッハGoGoGo」は、アニメ制作のタツノコプロ代表者、吉田竜夫氏名義で67年68年頃に、だいたいアニメ放送と同時期くらいに連載が続けられていまして、漫画の方も「少年ブック」の看板漫画の一つとして人気がありましたが、元々、吉田竜夫さんは同じような、というかほとんど同じシチュエーション、酷似したストーリーで6、7年前にカーレースアクション漫画を描いていました。少年画報社の月刊誌「少年画報」に連載された「パイロットA」ですが、これは1960年から64年まで「少年画報」に、大長編熱血レース・カーアクション漫画として連載が長期に渡って続き、当時の「少年画報」の看板漫画の一つとして大人気でした。「パイロットA」という漫画作品は、主人公の名前は違うけど、覆面レーサーも出てくるし、登場人物の配置や主人公の環境条件など、物語の基本構成、ストーリー展開まで、「マッハGoGoGo」とほとんど同じでした。「パイロットA」は、後にアニメ化する「マッハGoGoGo」のいわば、パイロット版と呼んでいいような作品でしたね。一時代の「少年画報」の、「0戦太郎」と「パイロットA」は2大看板漫画でしたね。辻なおき氏の太平洋戦争空戦ヒーロー漫画「0戦太郎」と、吉田竜夫氏の「パイロットA」はどちらもほとんど毎月のように、「少年画報」本誌のカラーページからぶ厚いB6別冊付録へと続く形で、連載が長期に渡って続いていました。

 

Photo_6  吉田竜夫さんが、60年代初頭、タツノコプロを作るんですが、この頃はまだアニメ関係の仕事を始めようとかいう意図はなく、漫画作画専門のプロダクションで、この時、紙芝居時代から親交の深かった、辻なおきさんもタツノコプロ(竜の子プロ)に参加する。だから「少年画報」で二大看板を取っていた「パイロットA」と「0戦太郎」の当時は、同じプロダクション内で一緒に同時に作画を行っていた可能性は高いですね。僕も幼少時、吉田竜夫と辻なおきは子供心にも絵が似ている感じだなあ~、と思っていました。現に「0戦太郎」の中のワキの登場人物に吉田竜夫系のタッチの人物が出ている。辻なおき氏は64年頃から、野球漫画、学園漫画、プロレス漫画などでブレイクする。勿論、その前からのアニメ化もされた戦記漫画、「0戦はやと」も有名でしたが、極め付けは、梶原一騎氏原作の「タイガーマスク」の大ヒットですね。もう、64年頃にはタツノコプロを離れていて、タツノコがアニメ作製事業に乗り出した時には関わってはいないのでしょうが。

 「パイロットA」が「少年画報」で連載が続くなか、途中から扉に原作者名が小さく銘打たれるんですけど、この丸山健二という名前が、勿論誰か解らず、まさか、綿矢りさ氏が受賞するまでの長い間、最年少芥川賞受賞者の記録を保ち続けていた純文学作家、丸山健二氏ではないだろう、と思ってはいたのですが、その丸山健二氏では全然なくて、同姓同名になるんですが、ペンネームなのか本名なのか、吉田竜夫氏の実弟の丸山健二氏、後の吉田健二氏だったんですねえ。だから、61年からの「パイロットA」の漫画制作には実弟の吉田健二(丸山健二)氏が加わる。吉田竜夫、吉田健二、九里一平の3兄弟が、後のタツノコプロの重役となり、時代により社長を交代で勤めて行くこととなる。ちなみに08年現在、アニメ制作専門事業のタツノコプロからは、吉田一族は完全撤退していて、現在のタツノコは、大部分の株式を持つ大株主がタカラトミーなんですね。あ、そうそう、60年61年当時の週間少年マガジンに、「マッハGoGoGo」のバイク版ともいうべき、レースアクション漫画が連載されていました。「マッハ三四郎」といってバイクレースのアクション漫画で、バイクに乗った覆面レーサーとか登場していました。同じようなシュチュエーションの物語の筈で、作者は、吉田竜夫氏の実弟の、九里一平氏でした。

Photo_7  正直、僕はマニア的には、60年代漫画オタであっても、アニメオタではないので、「パイロットA」と漫画版「マッハGoGoGo」にはすごく興味があるんですが、アニメ作品の「マッハGoGoGo」67年第1作と97年第2作にはほとんど興味ありません。また、何度も上記で言っているように僕は、昔から自動車には、便利な移動手段以外の興味がそれ程ない。だからTVで深夜に放映しているF1レースの中継録画とか見たことありません。モーターレースには興味がないんですね。だから、巨額の制作費を掛けて今年4月にロスのノキアシアターで大々的にワールドプレミアを行い、また日本では08年6月29日に東京ドームで世界最大級のスクリーンでスーパープレミアを行って、7月5日からロードショー公開となるハリウッド映画「Speed Racer」も、確かに世界第1級のCG特撮の迫力や、ストーリーの探偵アクション的な部分や人間ドラマには興味がありますが、ごく僕個人的な興味としては、娯楽映画としてはあんまり期待はしていないですね。好みの問題で。ただ映画「Speed Racer」は、原作「マッハGoGoGo」とはだいぶ内容を変えているでしょうから、原作と比較してみたい楽しみは興味持ってますけど。

◆(2008-06/24)漫画・・ 「マッハGoGoGo」 ..(1)
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●漫画・・ 「マッハGoGoGo」 ..(1)

 ♪Go Speed Racer,Go Speed Racer,Go Speed Racer,Go~‥ という英語の歌を、聖飢魔Ⅱのデーモン小暮さんが口ずさんで見せて、幼い頃、アメリカのTVで見て、後に日本へ帰って来て、これが日本の国産アニメの主題歌で、アメリカで熱中して見ていた「Speed Racer」というアニメドラマは、実は、原題が「マッハGoGoGo」という日本でも大人気放映されていた、熱血カーアクションレーサー漫画だと知ったらしい。デーモン小暮閣下は帰国子女だったのだ。

 TV番組の中で、アメリカで幼少の頃見ていた、と話していたのは確かに記憶しているんだけど、これが何の番組だったのか、全く憶えていない。まだ、聖飢魔Ⅱを解散していない頃だ。TBS系の「テレビ探偵団」だったかな~?とも思うんだけど、「テレビ探偵団」が放送されていた頃、ボーカルのデーモン小暮さんがこの番組のゲストに呼ばれる程、聖飢魔Ⅱというバンドはメジャーになっていただろうか?とも考えるし。

 僕は86年頃かに、東京でのサラリーマン生活を辞めて、生まれ育った故郷に帰って来て、多分その頃の深夜TVの放送で、「蝋人形の館」という不気味な歌を歌う、明らかにアメリカのハードロックバンド、KISSの模倣をしてるであろうビジュアル系の、悪魔と怪奇というはっきりしたコンセプトで、自分らのライブをミサと呼ばせ、独自のロック歌謡を演奏してステージを展開する、聖飢魔Ⅱという名前のバンドを初めて見たんだと思う。「オカルト・悪魔」というテーマを持ったビジュアルバンドの存在に驚いたが、その時は、まだ聖飢魔Ⅱはインディーズに居て、小さな会場でライブ演奏が話題になっている、という情報紹介だったが、それから少ししてゴールデンなどの時間帯のメジャーな音楽番組に出るようになった。米米クラブが出て来たのと同時期くらいじゃなかったかなあ。

 僕が東京から帰って来て少ししてから「テレビ探偵団」は始まったと思う。まだ若かったのに、当時から既に懐古趣味な僕は、僕が幼少時の頃の、モノクロTVの番組が紹介されるのが嬉しくて毎週必ず見ていた。かなり長い間、放送されてたんじゃないかな。5年くらいは続いたんじゃなかったか?長年月を通してのメイン司会はコメディアン・俳優の三宅裕司さんで、解説が朝井泉の別名で出ていた泉麻人。マスコットガール的レギュラーが山瀬まみ。途中から、マスコットガールは西田ひかるに、解説は林家こぶ平に変わった。僕は当時、レギュラー解説は泉麻人のままが良い、と切に思ったものだったけど。泉麻人さんは、番組前から、渡辺和博さんの独特のイラストとタッグを組んだ、週刊誌のコラムが話題になり人気があって、単行本はベストセラーとなったので、よく知っていた。多分、この「ナウのしくみ」という連載は、当時、雑誌では読んだことはあるが、僕はコラムをまとめた「ナウのしくみ」単行本を、買ってまでは読んではいない。

 「テレビ探偵団」の番組を調べてみたんだけど、TBS系列で、1986年から92年まで足掛け6年も放送されているんですね。解説等のレギュラーが西田ひかる・林家こぶ平に入れ替わるのは、89年からなんですね。三菱電機単独提供で、番組のサブタイトルに「三菱タイムトリップ」と付いていたらしい。三菱タイムトリップ-テレビ探偵団。テーマ曲があって、番組冒頭に流れる、昔懐かしい「少年探偵団」のメロディーの替え歌で、「♪ぼ、ぼ、ぼくらはテレビ探偵団。今も昔もテレビ好き‥」というフレーズ。山瀬まみちゃんも西田ひかるちゃんも初々しかったなあ。ところで、「テレビ探偵団」の番組のことをあれこれ思い出しても、6年近く続いた長い間のゲストの一人に、デーモン小暮閣下が果たして居たのかどうかは、僕には解りません。だから、デーモン小暮さんが、幼少時にアメリカで見ていた、歌もナレーションも全部英語セリフの「スピードレーサー」という、今で言えばヨーロッパの優秀な競泳用水着みたいな名前のタイトルのアニメが、後に帰国して「マッハGoGoGo」という国産アニメだったと知って驚いた、という自分の子供の頃のエピソードを語っていたのが、いったい何の番組だったかは、今現在、僕には解りません。 

 

Photo  「テレビ探偵団」の話ではないのだ。その、「マッハGoGoGo」なのだ。つまり、60年代後半の日本の初期の国産アニメ、「マッハGoGoGo」はアメリカに輸出されて、「Speed Racer」として外国でも大人気を博していたのだ。勿論、70年代の昔からですね。本家、と呼ぶのも、同じものだから変な話ですが、タツノコプロの制作長編アニメ第2弾、「マッハGoGoGo」は1967年4月から放送開始され、30分ワクの連続アニメドラマとして、68年3月まで調度1年間、大人気放映されました。タツノコプロとしては65年の、長編テレビアニメとして初作品の、連続モノクロアニメSFヒーロードラマ、「宇宙エース」に続く第2弾作品で、タツノコはこの「マッハGoGoGo」からカラーアニメ作品となりました。調度、同時期に、タツノコプロ創業社長である、吉田竜夫作者名義で、まあコミカライズという形になるんでしょうが、集英社の月刊誌「少年ブック」に、カーアクションレース漫画「マッハGoGoGo」が連載されていました。戦後の物資の無い貧しい時代に、ニョキニョキと創刊されたページ数の薄い貧相な児童雑誌が、本誌厚みやカラーページを増やし発行部数を伸ばしして、だんだんと成長して行き、昭和30年代に児童出版界で隆盛を極めた、クラフト組み立て付録やたくさんの別冊付録を付けた少年月刊誌。昭和40年代に入って、その少年月刊誌の末期にある、「少年ブック」の看板を勤めたのが、大人気レーサー・カーアクション漫画「マッハGoGoGo」でした。タツノコプロは元々、雑誌漫画のプロダクションとして、後の巨匠クラスの漫画家を配して始まったのですが、60年代中頃からは創業者である人気漫画家、吉田竜夫氏がテレビアニメに重点的に力を入れ始め、「宇宙エース」やこの「マッハGoGoGo」を皮切りに、日本の国産TVアニメ界で次から次へと多くの名作アニメドラマを世に出して行くことになります。日本アニメ制作会社の一方の主力基地となったタツノコプロは、後にアニメ・映像界の巨匠となる優れたクリエイターたちを、多数育て、輩出して行きます。

Photo_4  海外に輸出された日本の60年代後半のアニメ、「マッハGoGoGo」は、アメリカで大人気を博します。日本の国産アニメ「マッハGoGoGo」は90年代に入って、リメイクというか、第2作目が制作されます。97年にテレ東系で9ヶ月間放送され子供たちの人気を博し、これも後にアメリカへと輸出されます。日本の長編アニメドラマ、これら「マッハGoGoGo」はアメリカへ渡り「Speed Racer」というタイトルで放送されて彼の国で大人気となり、アメリカ国内でもオリジナルのアニメドラマまで制作される始末、という程のセンセーションを起こして、ついにこの度、ハリウッドで実写映画化がなされました。映画制作国アメリカ、韓国は5月上旬から既に公開、原作国の日本公開は08年7月5日からですね。

 この度の漫画お題、「マッハGoGoGo」は今回を(1)として、次回へ続きます。「マッハGoGoGo」..(2)へと続く。それにしても、「マッハGoGoGo」のアニメ輸出先アメリカの付けたタイトル、「Speed Racer」やて、そのまんまやないかい。日本人の僕からすると、スピードレーサーという題名はもう、何も考えてない、そのまんまのタイトルにしか見えないですね。

◆(2008-06/24)漫画・・ 「マッハGoGoGo」 ..(1)
◆(2008-06/28)漫画・・ 「マッハGoGoGo」 ..(2)

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