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リ・インカーネーション

 BIGLOBEウェブリブログ-BIGLOBEの提供するブログサービスのウェブリブログが2023年1月31日13:00時をもって終了するということで、僕が自分の書き込んでアップしてたブログ「断片日記。」の各記事を、削除されるというか消滅してしまう前に、僕の別のブログ「Kenの漫画読み日記。」と「うろ覚えライフ。」に「断片日記。」のアップ記事を全部移しちゃおうと、記事移行を果たした訳ですが、「断片日記。」のウェブリブログ内部の記事作成サイトには、幾つか書き掛けて途中でやめてアップほど遠いものもあって、それも、書き掛け分をそのまま移行して、その続きを移行したブログで書いて、記事を完成させて、「Kenの漫画読み日記。」や「うろ覚えライフ。」でアップしようと考えた次第です。

 
 ウェブリブログの完全終了は来年1月末ですが、ウェブリブログ事務局のサイトに「2022年1月18日以降新規記事投稿のないブログについては2022年12月1日に閲覧を終了させていただきます」とあるから、もうウェブリブログのブログでは、つまり僕の場合「断片日記。」ではとっくに新規記事はアップできなくなってたんだ。「断片日記。」では僕の投稿記事アップは2020年3月10日が最後の記事アップだもんね。だからウェブリブログの「断片日記。」は今年の12月1日にネットから消滅してしまう。
 
 しかしまぁ、「断片日記。」にはあんまり文章書き込んでないけどね。文章って記事のことだけど。僕の「文章を書く」というのは僕の大きな趣味だから。ウェブリブログの「断片日記。」開設は随分前で、はっきりは解らないんだけど、2010年~2013年頃だったのかな?よく解らない。2015年頃までにまばらに細々書き込んでた記事を、一度全部FC2ブログの僕が書いてるブログ「雑想バラエティーライフ」に、どういう訳か全部移した。多分、2015年のことなんだろうな。そこで一度ウェブリブログの「断片日記。」は空になった。
 
 空になった「断片日記。」を再開したのが2015年の10月13日で、新規一発目の「断片日記。」の記事のタイトルは「断片の再開」でした。
 
 で、次に、下の行から、その新規「断片日記。」一番最初の記事「断片の再開」をここに掲載します。
 
 「断片日記。」の再開です。もともとは、僕は2005年から他のサイトですが、ブログを書き続けていて、ブログだと、何というか、記事文をちゃんときちんと、一つのエッセイ文みたく構成しなきゃいけないじゃないですか。記事の始まりから文章の終わりまで、ちゃんとまとめて一つの構成された文章にしなくちゃならない。これが面倒で、言いたい事をくどくど説明しながら、詳しく書き込む長文の記事ではなく、その、2005年から始めてたサイトのブログで、途中で、「Short&Danpen ‐ショートアンドダンペン-」というカテゴリを作って、思い付きを短い文で簡潔に書き込む、そういう趣旨のワクを作って、幾つか短い記事を書いたんだけど、これが続かない。やはりそのサイトは、そのブログの特色は、詳しく説明を入れた長文の記事のブログで、いつの間にか「Short&Danpen」は我ながら忘れ去ってしまった。そこのブログの記事内容の傾向で、どうしても詳しく説明した文章の長文記事になってしまう、というのも大きかった。
 
 
 その内“Twitter”が始まって、最初、Twitterには抵抗があったんだけど、始めてみれば、Twitterは使い勝手が良い。僕みたいに、記事文を書き込み出すと、放っておけばどんどん長くなってしまう者に取って、「140字制限」というのは非常に良いんですね。140字で強制的に止めてくれる。やたらくどくど長くならずに済む。
 
 
 でも“Twitter”だと140字制限が掛かるから、やはりものたらない。言いたい事を140字で言い終えないときは、どんどん回を重ねて書き込み続けて行くか、最初の書き込みをメインとして、それにどんどん続けて自分でコメントして行く。自分自身で、メイン書き込みに返信を重ねて行くんですね。言いたい事が長文でしか表せない場合は、そうやって同じ件で何度も何度も投稿してた。
 
 
 でもやっぱり“Twitter”じゃなあ~、ツギハギを続けて行くよーな感じだし。と、Twitterではなく、短文書き込み要旨でブログを書こう、と思って始めたのが、ここのウェブリグログの「断片日記。」だったんですね。Twitter書き込みの不満を解消するために、簡潔に言いたい事をごく短く書き込むブログ、事柄の断片でも良いから、Twitterよりも、もう少し長い文章を書き込んで行こうと、ウェブリグログで開設して「断片日記。」始めたんですね。
 
 
 でも、一度、このウェブリグログの「断片日記。」を閉鎖して、全記事をFC2ブログへと引っ越した。ごく一部だけは、例の2005年から続けてるブログへと記事を移して。
 
 
 “Twitter”よりも長い文章で、言いたい事を短く簡潔にを要旨として、開設した「断片日記。」だったのですが、僕の文才の無さか、頭そのものが悪いからか、僕の悪癖で、最初は短く簡潔に書こう、と思って書き始めた記事文が、書いてる内にどんどん長くなって行く。やたらくどくどした言い回しと、「連想」ですね。連想から思い付いた事柄まで書いて行ってしまう。つまり頻繁に横道にそれる。書いてる物事を詳しく説明してしまう。そんなこんなで、短く簡潔に事柄を表現しようと思って書き始めた文章が、どんどん長くなってしまう。
 
 
 で、書き込んでる記事が、タイトルの「断片日記。」に相応しくなくなってしまった。やはり僕の文才の無さと頭の悪さでしょうね。情けなかあ~、情けなかあ~。
 
 
 けどまあ、やはりTwitterよりも長く、あんまり長文にならない程度で、ブログで表現したい。言いたい事の断片、断片でも良いから。というコトで再開しました。「断片日記。」です。
 
 
 上記文中で、2005年から続けている他サイトの僕のブログを、ちゃんときちんと構成して書いて行ってるような言い回しで書いてますが、あそこの記事はほとんどが長文ですが、そんな出来映えの良い記事文ではなく、あそこの長文記事も、思い出し思い付きでどんどん継ぎ足し書き込んで行ってる記事文で、そんな、ちゃんときちんと構成して書いているような長文では、そんな立派な文章記事では、とんでもないです。いやいや本当に、文章書くのがヘタクソで恐縮してます。
 
 
 FC2ブログに移した記事群、元の「断片日記。」の記事たちですが、おいおいこっちに戻して行こうかな、とも思っています。カテゴリ「思い付き断片エッセイ」とかですね。
 
 
 まあ、僕の勝手な思いばかりで、他人様からすれば「好きにやれよ」ってコトばっかりなんですけど。それにしても「断片日記。」と言いながら、また、くどくどと長くなってしまった…。
 
 
 以上の上記がリニューアル「断片日記。」の再開第1回目の記事でした。2015年10月ですね。ワシは59歳くらいかな。もう爺さん域に入ってますね。FC2ブログに移行した記事を戻そう、とか書いてるけど結局戻さないままでした。
 
 続いて、ここの記事のタイトル「リ・インカーネーション」の記事。これも「断片日記。」からの移行記事です。2018年5月に書いた記事ですね。そっくりそのままアップです。
 
 
 
 

 ユーミンの14枚目のオリジナルアルバム「REINCARNATION」の発売は1983年なんですね。僕の記憶の感覚的にはこのアルバムを聴いていたのは保谷市(現在の西東京市)在住の頃だったような気がしてたんですけど、83年ならもう熊谷·行田に住んでた頃ですね。勿論この当時、ユーミンオリジナルアルバムの「REINCARNATION」は当時のレコード屋さんに並ぶや否やの勢いで買って来て聴いてると思う。

 
 

 ネットであちこち見るに「REINCARNATION」のタイトルはカナ表記では「リ·インカーネーション」と呼んでますが、当時のアルバムLP 盤レコードの紙ジャケットに掛かった長ひょろいオビには大きくカタカナで「リ·インカーネイション」と表記してありますね。まぁ本来英字の日本語読み表記だからどっちでも良いんでしょうが。

 
 

 1975年公開のアメリカ映画に「リーインカーネーション」というタイトルのスリラー映画があって、僕は当時劇場でこの映画を見てるんですが、内容を全く覚えてない。ただ映画の舞台によく湖が出てたなー、ということだけは何か覚えてる。当時のロードショー公開で、休日の僕が街をぶらぶら一人歩いていて暇つぶしに映画館に入ったものだと思います。別に見たくて見た映画ではなかったように思う。

 
 

 後で当時の親友だったKY 君にこの映画の話をしたとき、僕が「リーイン カーネーション」とリーインとカーネーションを区切って発音すると、KY 君もその発音と違うイントネーションで「リーイン カーネーション」な、とやはりリーインとカーネーションを区切って発音して僕の発音を正した。だがこれは二人とも間違っていた。「RE」と「INCARNATION」を区切って発音しなければいけなかったのだ。正しい発音で書けば「リ·インカーネーション」になる。

 
 

 まぁドーデモイー話ですけどね。歌でも映画でも「REINCARNATION」と聞くと、この、当時の親友KY 君との何でもないやり取りを思い出す。

 
 
 
 
 

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 タイトル「リ・インカーネーション」の記事はすごく短い。この記事は書き掛けですからね。だから「断片日記。」ではアップしてなかった。途中で記事書くのやめて放っておいたままの記事です。
 
 
 
 若い頃に都会のロードショー映画館で見た、洋画「リーインカーネーション」ですが、多分、僕が20歳前後で見た洋画だと思いますが、だいぶ前にネットで洋画の「リーインカーネーション」を調べたら、けっこう詳しく内容が書き込んでありました。
 
 記憶している内容を述べて行くと、主人公の若い男は毎晩怖い同じ夢を見る。ボートに乗って湖に出てそこで誰か女性に物で頭を殴られ、湖に落とされて沈んで行く。夢のその場面が気になってしょうがない男性。
 
 偶然、夢の中の舞台である湖を現実に知る。男はその湖を訪ねて行って見る。男は湖で撲殺される男性のことが気になり、湖周辺でその男が実在するのか捜す。男は捜索の中で若い女性と知り合う。
 
 男と若い女性は恋に落ちる。男は女性の家に行くと美人の母親が出て来た。母親は男の話を聞いている内に血相を変える。男の話す内容は、母親が昔、湖で恋人の男を殺した場面そのままだった。
 
 母親は内心慌てふためく。この若い男は、あの自分が撲殺して湖に突き落とした恋人の男なのか?しかし顔や姿は全く違う人間だ。勿論、年齢も違う。
 
 男は昔、恋に落ちた若い女性の母親が殺した恋人の生まれ変わりだった。ここがリーインカーネーションなんですね。主人公の男は自分が湖に沈んで死んだ男の生まれ変わりだって気付くんだっけかな?だいぶ前に調べて読んだ内容なので忘れました。(調べ直さないでごめんなさい。)
 
 結末は、母親がこの男は、年齢や容姿は全く違うけれど、自分が昔殺した恋人の男に違いない、と思い込み、過去の犯罪の隠蔽のためにもう一度殺害を企て、湖のボート上で、今度は銃殺されるんだっけかな?哀れ、主人公の若者は殺されて湖に沈む。
 
 つまり昔殺された男の魂がリーインカーネーションにて生まれ変わり、その生まれ変わった若い男も、魂としては二度殺害される。そこで終わるのか、その後、母親が殺人罪で捕まるのか、母親は逃げおおせたのか、結末を記憶してません。
 
 ネットで調べるまで、僕はこの洋画を若い頃、20歳前後に見たことと湖が舞台で湖のシーンがいっぱい出て来てたことしか覚えておらず、内容は全く忘れてました。ネットで内容読んで、ああ、そういうストーリーだったのか、と思った次第でして。
 
 「リーインカーネーション」という題名が着いていても、リーインカーネーション=生まれ変わりという現象について科学的に探って行くとかいうSF的な物語とは全然違っていて、生まれ変わりをテーマに取ったミステリー映画ですね。ジャンルとしてはミステリー·サスペンス。
 
 ただ、若い頃、多分平日の昼間、都会の街のロードショー館で一人で入って、この映画見たなぁ、そしてその後、その日の夜か次の日くらいか、当時の親友のシモにこの映画のことを話したなぁ、という何でもない思い出を、ユーミンの歌の♪リ・インカーネーション のタイトルから思い出した、とそれだけの話で。
 
 
 松任谷由実さんの14番目のオリジナルアルバム「リ・インカーネーション」は1983年のリリースで、僕は27歳の年齢ですね。埼玉県の熊谷市~行田市に在住していた頃ですね。
 
 このアルバムで好きで印象に残り続けた曲は、最初の♪REINCARNATION と二曲目の♪オールマイティー ですね。アルバムではこのレコード冒頭二曲はメドレーみたく繋がって演奏が続く。勿論、1983年ですから僕はLPレコード盤で買ってます。多分、熊谷駅近くの商店街で買ったんでしょうね。
 
 ♪REINCARNATION も♪オールマイティー も好きな曲でしたが、松任谷由実初のベストアルバム「ノイエ·ムジーク」にはこの二曲は収録されてませんね。「ノイエ·ムジーク」の前にユーミンのベストアルバムは1976年に「ユーミンブランド」がリリースされてます。「ノイエ·ムジーク」は二枚組CDで、「ユーミンブランド」初リリース時は勿論レコード盤です。
 
 僕が購入したユーミンのベスト盤は、1998年リリースの「ノイエ·ムジーク」と2000年リリースの「スーパーベストオブYumi Arai」だけですね。
 
 荒井由実~松任谷由実のオリジナルアルバムは1974年リリースの2番目のアルバム「ミスリム」から85年リリースの17番目の「ダディダ」までだいたいずっと続けて買って来て聴いてましたね。5番目の「孔雀」と11番目の「水の中のアジアへ」は買ってないかな。この中には好きなアルバムは幾つもありましたね。
 
 しかしユーミンの才能は凄いなぁ。凄いを3乗しても足らないくらい凄い才能ですね。70年代から何とおよそ50年間も日本の女性シンガーソングライターの女王の座に君臨し続けてるんですから。一貫してタッグを組んで来たアレンジャー、ご主人の松任谷正隆さんの助力もあるでしょうが。あらゆる曲調の楽曲を紡ぎ出して仕上げて来た才能は、音楽の超天才ですね。(音楽プロデューサー·編曲者としての松任谷正隆さんの才能も超凄い。)
 
 ネットに松任谷由実の楽曲数は、全55アルバム、642曲とありました。
 
 ここのブログのタイトルが「Kenの漫画読み日記。」ですから、漫画のことも書かないといけません。
 
 ここの記事のタイトルが「リ・インカーネーション」だから、漫画でも輪廻転生=生まれ変わりがテーマの漫画作品ですね。
 
 ネットで調べたら、輪廻転生=生まれ変わりがテーマの漫画作品はもの凄くいっぱいありました。ほとんどが比較的新しい時代の漫画で、僕はほとんどの作品を知りませんでした。勿論、知らないんだから読んだことありません。
 
 
 何十とある、輪廻転生=生まれ変わりがテーマの漫画の中で題名だけ知っていた作品はたった二つだけでした。一つは日渡早紀さんの「僕の地球を守って」。この作品は白泉社の少女漫画誌「花とゆめ」に80年代後半から90年代前半に10年近くも連載が続いた人気漫画で、僕はこの漫画を知ってはいましたが読んだことはありませんでした。「花とゆめ」誌上でパラパラと絵を見たくらいです。ストーリーも知りません。
 
 当時から「僕の地球を守って」はSFだと知ってたんですが、子供の頃からずっと少女漫画が苦手で敬遠して来た僕は、ほんの一読もしてませんが、ネットにある解説でストーリーのざっとしたあらすじ見ると面白そうですね。ちょっと読んでみたい気もするけど、何しろ新書判コミックスで全21巻もあるからなぁ。目の悪い爺さんの身としては敬遠したまんまになりそうだなぁ。
 
 あとの一つはあまりにも有名なあの「火の鳥」です。“神様”手塚治虫先生の言わずと知れた代表作です。
 
 僕は子供の頃から「鉄腕アトム」「ビッグX」「マグマ大使」他、数多の手塚治虫作品を愛読して来て、ずーっと大ファンで、70年代からの青年コミック誌に連載された、大人向けの手塚治虫作品もいっぱい愛読して来ました。少年漫画·青年コミックの短編作品もみんな大好きで、手塚治虫先生は“神様”と崇めて来ました。
 
 その僕なんですが、どうした訳か、「火の鳥」だけは読んでない。何故でしょう。僕は基本、馬鹿だから難しそうで敬遠したのかな。「火の鳥」は雑誌·COM掲載分を何回か読んだことはあると思うけど、作品を通して読んだことはないんですね。「火の鳥」は舞台背景がいろんな時代に移り代わって行ってるから、輪廻転生=生まれ変わりものといえばそうなんでしょうね。
 
 “神様”手塚治虫先生の代表作の一つ「火の鳥」に関してのことを何も書けませんね。ほとんど読んでないんだから。
 
 僕は正直言って“輪廻転生”なんて信じてません。まぁ、漫画のテーマでも面白いのかも知れませんが、そんなに輪廻転生には興味はないですねぇ。よく、昔から雑誌の記事なんかで、前世の記憶を持つ少年·少女の話なんて載ってて読んで来ましたけどねぇ。何か眉唾で読んで本気で信じてはいないなぁ。
 
 10歳満たない少女が見知らぬ土地の話をするので、そこを探して行って見ると、少女の述べたとおりの地形や景色があったとか。それがアメリカの少女で話す内容の実際あった土地はインドだったとか何とか。ホントかよ?と眉唾で読んでましたねぇ。
 
 何か輪廻転生とか生まれ変わりとか宗教くさくて嫌いですねぇ。宗教とか、今のあなたが不幸なのは前世で悪行を働いたからで、その悪行を払拭するには神様にお願いするしかありません、とか言いそうじゃないですか。神様へのお願いとはすなわち御布施だったり。
 
 何か前世とか来世とかを言う宗教って多そうですよね。特定の宗教に帰依していなくとも前世とか来世とかを本気で信じている人もけっこう多そうですね。
 
 
 輪廻転生といえば、少年時代、僕がそういうものを信じていたことがあったのを思い出しました。
 
 中三のときですね。音楽の時間です。僕は小学1年生の頃から、からっきし音楽が駄目で、ずーっと音楽の授業がさっぱり解りませんでした。あの、よく、先生がオルガンの鍵盤の音弾いて、今のは何の音か?って訊くでしょ、あれ、一度も当たったことありません。
 
 音楽はもう、勿論、楽譜は最後まで全く読めないし、音階だの記号の意味だのさっぱり解りませんでした。高校生のとき、音楽の授業は多分、選択科目で受けたことないんで、義務教育まで受けた音楽の授業、さっぱり解らずでした。とうとう楽器は何一つ演奏のエの字もできず終いでした。
 
 そのくせ、高校生になって、吉田拓郎や泉谷しげるが登場するとシンガーソングライターに憧れてなりたいと思った。本当にアホーな少年でした。
 
 中三のある日の音楽の授業で、音楽担当の女性の先生が、レコードプレイヤーで昔の邦楽を懸けました。多分、江戸時代頃の和楽器の音楽で、何かよくテレビや映画の時代劇で、お殿様とか高級武士のお屋敷や、江戸の大店(オオダナ)の大金持ちの商人の豪華な座敷で奏でられる、昔の邦楽の曲ですね、琴とか三味線とか尺八など和楽器の笛とか、そういう楽器で演奏される江戸時代からそれ以前を彷彿させる曲、これのレコードを懸けて生徒に聴かせてた。
 
 僕は、その時間、耳を塞いで聴かないようにしてたんですね。そうすると、音楽担当の女性の先生が怒って僕を注意した。当たり前ですね。多分、僕はしぶしぶ耳に突っ込んでた指を外したんじゃないかな。それから多分、なるべく聞こえないように両耳に手を当てたり外したりしてたんじゃないかな。
 
 このとき女性の音楽の先生は、僕が授業ボイコットの反抗的態度を取ってる、として怒ってました。割としつこく怒られたから、先生も女性だといってナメられてはいけない、というのもあったんじゃないかな。
 
 僕は黙ってて、どうしてそんな態度を取ったのかは、先生に話さなかったんだけど、僕自身はこの江戸時代頃の上級国民~富裕層が聴いてたであろう演奏曲が、自分が聴いてると何か悲しいような、気持ちがずーんと落ち込むような、とても嫌な気持ちになって、とにかくこういう昔の邦楽がひどく嫌だった。
 
 だから聴きたくなくて耳を塞いでた。
 
 僕としては、自分がどうしてこういう和楽の楽曲を聞くと嫌な気分になって、こういう曲が非常に嫌いなのか、いろいろ考えてた。そして思い至ったのは、僕は前世でこの楽曲が演奏されてた頃、そういう現場に居て、とても嫌な思いをしたのだ。
 
 つまり、自分は前世で、江戸時代の何処かのお屋敷に居て、豪華な座敷で演奏される催しの場で、非常に嫌な目に合っていて、その前世の記憶が、今回生まれ変わって来た昭和の自分の脳ミソに断片的に、嫌な記憶のイメージとして非常に嫌いなメロディーが残ったのだ、と思ったんですね。昭和の中学三年生の少年はそう思い込んだ。
 
 そういう理由で授業ボイコットみたいな真似をした訳だけど、決して先生や級友に自分のボイコット理由は話さなかった。多分、先生に、どうして耳を塞いだりするの!と怒られて割りとしつこく理由を訊かれただろうけど、とうとう話さなかった。
 
 僕はアホーな少年だったけどある面賢くて、そんな前世の嫌な記憶がそうさせる、とか話したら、教師たちにも学校の友達にも、頭がおかしいと思われるぞ、と解ってたので前世の嫌な思い出だとか絶対言わなかった。多分、先生に対しても下を向いてただ黙り通したんだと思う。
 
 でも、この当時、江戸時代からそれ以前の邦楽の曲がかなり嫌いだったというのは事実です。そういう昔の邦楽を聴くと何とも嫌な気分になっていた。少なくとも気持ちがずーんと落ち込んでたまらなかった。
 
 後々、大人になってそうでもなくなったけど。でも昔の邦楽は好きではないですね。大人になってからも今も。
 
 ということで、14歳15歳頃の僕は、まぁ、ボヤッと輪廻転生=生まれ変わりを信じてたんですね。アホーな少年がファンタジーぽく前世とか生まれ変わりとか信じてたんでしょう。
 
 勿論、はっきりと前世の自分はいつの時代の何だった、とか脳ミソの中で解ってた訳ではないでしょうが。ボヤッと江戸時代頃、身分の高い武家や大金持ちの商人とかのたいそうなお屋敷で、何か屈辱的な目に合う、何か役目をしてて、壮絶な苛めか何かに合ってたのかも知れない、とか14、5歳の頃の僕は、思い込んでたのでしょう。
 
 前世とか生まれ変わりとかは子供の頃から青年時代まで、ボヤッと信じてたのかも知れないけど、今は全く信じてません。
 
 僕は6歳から11歳までほとんど毎日、近所の貸本屋に通っていて、毎日のように当時の貸本漫画を借りて来て読んでたけど、その中には時代劇漫画も多くて、当時の貸本時代劇漫画には残酷描写の劇画も多かった。
 
 
 平田弘史さんや臣新蔵さんなどの時代劇劇画には、武士の時代の城中で凄絶な苛めに合い、虐待され、残酷なリンチや屈辱的な目に合わされ、その後、復讐の鬼となって、苛めた主君など身分の高い鬼畜のごときカタキを、残酷な目に合わせて復讐を遂げる、残酷描写満面の作品があって、そういう時代劇劇画も読んでたので、そういうイメージが頭に残ってたのかな。
 
 平田弘史さんの「つんではくずし」とか、その残酷さと凄絶さで当時の貸本漫画で有名だったけど。
 
 「カムイ伝」「忍者武芸帳」とかでも当時の武家階級の、自己中心的で残忍で鬼畜な面とかを、地方の藩など地域の城の殿様とかを鬼畜キャラクターとして描いてたから、そのイメージもあったかな。
 
 
 楳図かずおさんにも時代劇の中·短編で、城中で壮絶な苛めに合い、鬼畜殿様に残酷な復讐を果たす漫画もありましたね。
 
 何かそういう武家時代のお城の中の嫌なイメージが頭の中にこびりついてて、昔々の邦楽のメロディーを聴くと、嫌なイメージがよみがえって来て気分悪くなってたのかも。
 
 まぁ、僕は一貫して封建時代って嫌いですからね。
 
 こういう子供の頃読んだ、貸本漫画の時代劇劇画で残忍·残酷に描かれた、封建時代の厳しい主従関係や身分制度とかは、後の僕の思想的な部分に大きな影響を残したと思う。基本的に僕は主従関係は嫌いですもんね。
 
 時代劇好きやNHK大河ドラマ·ファンの人は多いけど、僕はあの時代の農民の方の立場で考えるので、武家階級は嫌いだし、本当は信長も秀吉も家康も大嫌いですね。当時の殿様とか武家階級を描いた時代劇も嫌いだし。
 
 こういうふうなことを書いてると、僕がまるで左翼青年であったかのようですが、どっちかというと、僕は思想的には左側だったと思う。理想的には左側的ですが、今の僕は現実的に考えるので愛国保守ですね。まぁ、現実的というのは難しいですけど。愛国保守を突き詰めるのも現実的でない気がするし。まぁ、第一に日本人であり、第一に国益かな。日本人が豊かに生活して幸せになって欲しい。それに尽きる。
 
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