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●漫画・・ 「アンドロイドV」

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 僕が小学生の頃、少年週刊誌は「少年マガジン」「少年サンデー」「少年キング」の3誌があり、少年月刊誌は6誌ありました。小学生の僕はある時期、この9誌を全部読んでいた幸福な時代があったのですが、近所の貸本屋がなくなってからは、読んでいたのは週刊誌は主に、サンデーとマガジン、月刊誌は「ぼくら」「まんが王」「少年」の3誌でした。今回取り上げたSF活劇漫画「アンドロイドV-ブイ-」は、秋田書店発行の少年月刊誌「冒険王」に、1965年、10ヶ月間掲載されました。作者は、日本漫画史に残る偉大な漫画の星、石ノ森章太郎先生です。

 今から考えると、あの時代、週刊誌3誌月刊誌6誌、だいたい小学生対象なんですけどね、少年週刊誌の読者対象が、年齢層的に一番高かったように思えます。小3か小4くらいから中学生までも対象になるかな、って感じですかね。少年週刊誌は時代の流れと共に、読者対象年齢が上がって行くんですけどね。つまり本に着いている、調度僕らからもうちょっと上の世代、もっと上までもが、その世代たちが成長するに合わせて、掲載漫画の内容も少しづつ高度になって行く。雑誌が既に着いている読者ごと持ち上げて、内容がより複雑になりながら成長して行く、というところでしょうか。

Photo_2 で、一番対象年齢層が低いのが、月刊誌の「ぼくら」と「まんが王」。だいたい小学生全般対象だけど、まあ、小2から小5くらいかな。月刊誌6誌の読者対象年齢はそんなに変わりはないんだけど、強いて比較を出せば、先に上げた2誌よりも少々高いのが、「少年」「少年画報」「冒険王」「少年ブック」の4誌。これがだいたい小3あたりから中1くらいまでかなあ。当時は、中学生にもなって少年漫画誌を読むのは、幼稚でおかしいと馬鹿にされる雰囲気はありましたね。当時の大人たちの常識から見て、ということですけど。ニュアンス的に言えば、「ぼくら」と「まんが王」は、そこまで下げるのはどうか、という気もしますが、「幼年誌」という呼び方に近いくらいの内容だったかも知れない。まあ、自慢じゃありませんが、幼年誌と位置づけてもいいようなレベルの、児童誌「ぼくら」を、中一か中二まで毎年毎月購読していた僕は、要するにそういうレベルの低脳児だったんですね。

 その他の、「少年」他4誌も小学生対象漫画誌ですね。これら月刊誌は、看板漫画が、SFヒーロー漫画や、単純に勝ち負けや活躍シーンだけを主に描く、野球漫画、戦記漫画などが主流だった時代は、内容も比較的幼かったのですが、やがて学園漫画や、スポーツ漫画でも主人公の精神的成長までも描こうとするお話が看板漫画に喰い込んで来ると、漫画雑誌の内容の程度がぐんと上がって来て、中学生以上の年齢層でも娯楽的に漫画内容が耐えうるようになって来る。特に顕著なのはやはり、梶原一騎氏の登場でしょうね。その象徴的なのが週刊少年マガジンに連載され始めた「巨人の星」です。「スポコン漫画」と呼ばれるジャンルの走りであり、スポーツを通して主人公の少年が人間的に成長していく過程までも描く。それまでの野球漫画でも主人公の少年は、一度負けて落っこちるが努力して這い上がり復活勝利することで、漫画内容が、精神的な鍛錬や成長を語ってはいるんですが、すごくはしょった単純な語りなんですね。読む側の幼い読者は勝ち負けや活躍シーンばかりに眼が行って、そういう人間的成長シーンはスルーして特に何も感じなくて読み終えてしまっている。これが梶原一騎氏の登場から、スポコン(スポーツ根性)漫画が子供漫画の花形となり、各誌の看板漫画を飾るようになる。そうして、主人公の精神的成長までもを比較的複雑な物語として描くようになる。

 ああ、済みません、「冒険王」掲載のSFヒーロー漫画、「アンドロイドV」の話でした。つい、余計なことを長々書いて行ってしまう。僕の悪い癖です。思い出し始めるとつい懐かしくなって、過去の過ぎ去りし時代の甘い思い出に、うっとり感からベターっと浸り切ってしまう。いかんなあ。過去の美しい思い出に甘く浸り続けていると、アルツハイマー病のようないわゆるボケが来るのが早くなる、と新聞記事で読んで蒼ざめたばっかりなのに。「巨人の星」が週刊少年マガジンに連載が始まったのが1966年ですから、「アンドロイドV」はまだまだSFヒーロー漫画が少年雑誌で看板の花形で居れた時代ですね。しかし、あの医科学トピック記事通りなら、僕は他の人よりもかなり早く、ボケが来てしまうことになるな。嫌だなあ。

Photo  さて、「アンドロイドV-ブイ-」の話です。アルファベット戦隊の一員、Vは出来損ないアンドロイドで、訓練では失敗ばかりしている。ある日、訓練の最中に近くに落ちた隕石の傍までVが近づくと、Vは、隕石落下被害者の飼い犬ともども、漂着した宇宙生命体に憑依される。宇宙生命体の力でその能力が格段に優れたものとなったVは、自分の身体に棲まわせることで高文明の宇宙生命体と共生関係になる。同じく憑依された犬も高度な知性を持ったスーパー犬となる。

 ここからがSF漫画の、アンロイドVと相棒の犬、ロボとの、太陽系宇宙空間と惑星上での、大活躍です。舞台は木星の衛星上と火星と水星。人類が太陽系を制した遠い未来の、活劇掌編ですね。第一話、事件の指令を受け、アルファベット戦隊は、木星へと向かう。物語、初めの方で、アンドロイド部隊であるアルファベット戦隊は壊滅的打撃を受けます。生き残って、木星の第4衛星に降り立ったのは、アルファベット戦隊の、見た目かなり高齢のサイボーグ改造人間の隊長と、アンドロイドVと犬のロボのみ。

 木星の第4衛星は、全ての機械やロボットが一斉に反乱を起こし、星を支配し住んでいる人間たちを抹殺に掛かり始めた。人間よりはるかに強く優れたロボットたちは、次々に人間たちを殺戮して行き、星に住む大部分の人間が殺されてしまった。そしてその後、本当の敵がやって来た。本当の敵、太陽系外の遠い惑星からやって来た侵略者は、宇宙電子頭脳だった。遠い太陽系外の機械だけの惑星から送り込まれて来た、人間の作った機械類を全て自由自在に操る電子頭脳対アンソロイドVの対決。

 この「アンドロイドV」は中篇連作ですし、当時の子供向け雑誌のSF活劇漫画ですから、ロボット対決の活劇破壊シーンは多いものの、お話は比較的単純で事件は割りと簡単に解決を見ます。同じ作者に寄る、同時期の、週刊誌連載「サイボーグ009」のように、お話や内容が複雑ではありません。「サイボーグ009」などのように、物語にメッセージ性もありません。「サイボーグ009」こと島村ジョウは、自らがサイボーグであることや、同じ元は生身の人間であったサイボーグたちと、敵対し殺し合うことに苦悩するけれど、「アンドロイドV」には、そういうシーンやエピソードなどは皆無です。アンドロイドVは人間型とはいえ、ロボットそのものですしね。

 ご存知の方も多いでしょうが、サイボーグとは機械人間ですね。厳密に言うとね、人工心臓などの機械臓器を生身の身体に組み込んでいる人も、定義的にはサイボーグになるんだそうです。ちょっとした機械を身体に入れて身体機能を補っている人は、みんなサイボーグとなる、というのがそもそもサイボーグの定義であるらしい。漫画に出て来る超人サイボーグは、脳味噌以外は全部、スーパー機械装置に置き換えていますけど、あれもサイボーグ。僕なんか頚椎手術行ったとき、チタンか何かの鉄板が何枚か入ってますが、僕はサイボーグなんだろうか?補強だけだから違うのかな?作動機能する機械装置ではないし。済みません、ここのところ、詳しいことは知りません。アンドロイドは人間型ロボットのことですね。人間の形状をしたロボット。だから、二足歩行するホンダのASIMO君なんかは、アンドロイドなんでしょうね。厳密には、人間の男性型が、アンドロイドで、女性の形状をしていると、ガイノイドと呼ぶらしいですね。そうすると、古い小説で、平井和正氏のSF「アンドロイドお雪」なんて、厳密にいうとガイノイドお雪、となる訳ですが、歴史的に日本に「アンドロイド」という言葉が入って来たときから、日本では「アンドロイド」で統一して使っているらしいです。だから、特別、「アンドロイドお雪」が間違った使われ方、とは意識されていませんね。現在の日本では、アクトロイドと呼ばれる女性型ロボット=女性アンドロイド(ガイノイド)が有名ですね。アンドロイドはヒューマノイドという呼び方もある。厳密にはね、少々定義が違うんですけど、普通一般にSFなどで用いる意味では、同じ人間型ロボットのことですね。アメリカSF映画「スターウォーズ」シリーズに出て来るロボットは、「ドロイド」と呼ばれてましたね。昔々、「鉄腕アトム」が雑誌「少年」に連載されてた頃、一番人気の高かった「地上最大のロボット」の巻の、次の連載のお話が「ロボイド」の巻でした。手塚先生の考えたSF、ロボイドとは、文明の進んだ惑星で、その星の宇宙人が作ったロボットが、生みの親の宇宙人が滅びた後も、ロボットだけが独自に進化し、ロボットが子供を産むまでになった、という設定でした。

 「アンドロイドV」の話に戻らなきゃいけませんね。60年代の子供向け雑誌、「冒険王」に中期連載された「アンドロイドV」はSFヒーロー漫画で、SFでも比較的単純明快な勧善懲悪ヒーローストーリーでした。ですが、作者は、漫画の王様の名を欲しいままにした才人、石森章太郎先生。第2話はちょっと凝ったお話です。第2話、「火星の花の巻」。これは、惑星間の政治的なお話です。アンドロイドVが活躍する時代、人類に開拓された火星は殖民星なんですね。しかし、反乱が起き、火星大統領の娘が誘拐される!黒幕は、超意外な相手だった!というお話です。65年に10ヶ月間連載された「アンドロイドV」の最終第3話では、この時代の刑務所惑星とされている、水星の収容服役犯罪者たちが秘かに地球支配を謀ります。犯罪者側に着いたマッドサイエンティストの造り上げた水星人間は、何万度という超高熱を発する強敵です。このお話の中で、水星は、半球は永久に太陽にさらされた高熱面、もう半球は永久凍土、として描かれています。そして刑務所施設があるのは、その両面の境界線上。つまりね、水星は自転していないことになっている。それはありませんね。小さくて質量のない水星に大気はありません(実際はものすごく薄く、あることはある)が、小さいながらも自転はしている。水星は太陽を向いている面がセ氏4百何十度もあり、反対側の面が零下180度と凍っているんですね。太陽を向いているかどうかで温度変化して行く訳です。火星が舞台のお話のときも、火星の地表上に草花が一面咲き誇り、生身の人間が普通に活動していたし、まあ、60年代の小学生向けの漫画ですから、その辺はイイのでしょう。04年のハリウッド制作のSF映画「リディック」の刑務所惑星のアイデアは、これと全く同じものですね。

 60年代の月刊少年漫画誌は、300ページ超くらいのB5版本誌に、B6版30~80ページくらいの別冊付録が3、4冊から多いときには6冊くらい付いていました。「アンドロイドV」は65年10ヶ月の連載期間に別冊付録になったのが2回で、後は本誌掲載のようですね。この当時の看板漫画は本誌の巻頭カラーページから別冊付録へと続く形式でしたが、「アンドロイドV」は看板漫画になるまでの人気は持ち得なかったようです。この時代の月刊誌の連載陣は、大人気の看板漫画は別として、連載期間が半年から1年弱くらいの中期連載の漫画が、入れ替わりをけっこう頻繁に数々連載されて行っていたようですね。石森章太郎先生も、さすがはギネス記録級の全編500巻の超膨大な漫画量を誇るだけあって、50年代60年代には、少年少女各誌にたくさんの中篇漫画を描いているようですね。

◆(2005-09/28)「サイボーグ009」
◆(2008-12/12)漫画・・ 「アンドロイドV」
◆(2005-04/04)「番長惑星」
◆(2006-05/22)漫画・・ 「ミュータント・サブ」

 

 

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