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●漫画・・ 「ジロがゆく」

 講談社の月刊漫画誌「月刊別冊少年マガジン」に1969年から71年(休載期間もある連作)、好評連載された「ジロがゆく」は、真崎守先生の代表作の一つです。この時代、週刊少年マガジンの方には、もう一方の代表作とも言える、「キバの紋章」が連載されていました。 「キバの紋章」のマガジン連載は1971年1月から5月までの期間ですね。「ジロがゆく」と「キバの紋章」は雑誌連載期間が重なり、同じく青春漫画ですが、「ジロがゆく」の主人公が割りと普通の少年で等身大の青春ものであるのに対し、「キバの紋章」の主人公はとんがった、乱暴で型破りな主人公が騒動を起こす、ピカレスク的な味付けの漫画ですね。

 「ジロがゆく」の内容は、主人公の少年、中学生の森ジロが雪山の山村に転校して来て、田舎の子供たちの苛めに合い、山の子供たちと衝突して殴り合いの喧嘩などをしながらも、やがて打ち解けて行き、仲間となった子供たちの中で、淡い初恋や、性の目覚め、思春期のもんもんとした気持ち、葛藤などを描く青春漫画。「キバの紋章」は主人公のキバ狂児が暴力的で、荒々しいストーリー展開の、これもまぁ青春漫画と呼んでもいいのかな。物語の始まりは、主人公の少年、キバ狂児が、母親の投身自殺を報せに死刑囚の父親に面会に行く、なんて非日常な激しい場面から動いて行く。 

 僕は小学校二、三年生頃から中学生時代いっぱいまで、ほとんど欠かすことなく、週刊少年マガジンを愛読してましたが、高校生になると家がとても貧乏になり、漫画本を買って読むほどの経済的余裕がなくなって、高一の一年間はマガジンを読んでなくて、高二になるとクラスメートが買って読んだマガジン·サンデーを、友達から半額で買って読んでました。高二の頃は毎日、昼食代に百円貰ってたので、昼飯を抜けば、ときどき漫画本くらい買えた。それで「キバの紋章」はマガジン連載リアルタイムで途中まで読んだ。「キバの紋章」で何故か記憶に残っているのは、主人公のキバ狂児が激しく叫ぶ「ギラギラだアっ!」てセリフ。このセリフだけはどうしてかずっと印象深く覚えてる。

 「ジロがゆく」の雪山の山村舞台のエピソードは、終盤、山の寂しい峠でガールフレンドのサヨが、会社の金を持ち逃げして逃亡している、カップルの犯罪者の男の方に捕らえられ、人質にされ、危機に陥ったサヨに気付いたジロが勇気を振り絞り、サヨを救出するために逃亡犯アベックの元へ向かい、返り討ちに合って倒され、ナイフを突き付けられて脅される。ジロもサヨも人質に捕られ、逃亡犯カップルの女性の方の心変わりで二人は窮地を逃れ、やがて駆け付けた警察に逃亡犯は逮捕される。 

 自分のごくごく個人的な、何でもない思い出だが、「ジロがゆく」と聞くと、真っ先に思い出すシーンは、学校帰りに小学生時代からときどき月刊漫画雑誌を買いに来てた、B書房という駅近くの小さな本屋さんで、店頭に並べた雑誌の中から、当時の月刊別冊少年マガジンを取ってパラパラ立ち読みしてて、その別マガの巻頭カラーで、「ジロ!ジロ!」が掲載されてた、そのシーン。シーンて、漫画の物語の一部分のシーンでなくて、僕自身の少年時代の何でもない一場面なんだけど。

 調べたら、どーもこの別マガは1971年の6月号の、巻頭カラーページのようですね。ジロが転校して来た海辺の町で、砂浜でクラスメートの女の子が数人の不良に捕らえられている。そこに海辺を走って来たジロが、女の子を救おうと一人で、不良学生たちと殴り合いの喧嘩をする。そのシーン。

 何か、ここの画面とB 書房の店頭で立ち読みする俺、という構図を記憶している。勿論、後々、「ジロがゆく」は全編コミックスで読んでるから、この場面も何度も見てるんだけど。この71年6月号の別冊少年マガジンは買って読んだんだろうか?僕は長時間立ち読みができるような厚かましい(図太い)性格じゃないし、多分、このときはもう高一で、僕の高校生時代の家庭は大貧乏で、日頃小遣いなんて持ってなくて、とても本屋で漫画本買う余裕なんてなかったから、このときは立ち読みでパラパラやったくらいで済ませた気がする。

 僕は中二·中三の頃は、月刊誌の別冊少年マガジンをよく購読してた。特に池上遼一作画の「スパイダーマン」が連載されてからは「スパイダーマン」読みたさに、毎号続けて買って読んでたと思う。中三の終わりまではウチにはまだけっこう、僕が漫画本買って来る余裕があった。借金まみれだったとはいえ、大企業である電力会社に勤めていた親父の給料は大きかったんだな。高校生になって親父が居なくなって母親が働き出したけど、ウチの生活は大貧乏になったもんな。

 講談社の漫画雑誌「別冊少年マガジン」は、僕が小学生の頃は季刊誌で、新年号、春休み号、夏休み号、秋の特大号と、だいたい子供の長期休みに合わせて発刊してた。秋の発刊は学校の休みとは関係なく、一応季刊誌として年4回で出してたんでしょうね。僕の小学校中学年くらいまでは児童漫画雑誌の主体は月刊誌で、その当時六誌あった月刊誌はそれぞれ、子供の長期休みに合わせて増刊号を出してた。お正月増刊号、春休み増刊号、夏休み増刊号(これも出版社に寄って出したり出さなかったりだったけど)。僕が小学校高学年くらいになると、児童漫画雑誌の主体はマガジン·サンデー·キングの週刊漫画雑誌の時代になった。週刊漫画誌もお正月·春休み·夏休みに合わせて増刊号を発刊してたんですね。だいたいこの時代の別冊とか増刊とかの漫画雑誌は、収録漫画が全部、短編の読みきり漫画でしたね(母体誌の連載をまとめ掲載とか一度掲載した短編読みきりの再録とかも多かった)。

 季刊誌だった「別冊少年マガジン」が月刊誌として毎月発行の雑誌になるのは、1969年からです。ちなみに季刊の別冊少年マガジンの創刊は1964年。69年から別冊少年マガジンは誌名も「月刊別冊少年マガジン」となる。池上遼一先生の日本版「スパイダーマン」の連載が始まるのが70年1月号から。「スパイダーマン」連載の終了が71年9月号まで。僕は漫画の「スパイダーマン」大好きだったので中三時は小遣いに余裕がある限り、この時代の月刊別冊少年マガジンを毎号購読してました。高校生になってからは家が貧乏になり、漫画本を買う余裕がなくなったので、「スパイダーマン」の後半部は後々コミックスで全編読みました。

 「月刊別冊少年マガジン」連載の「ジロがゆく」は、ジロシリーズとしてタイトルを変えながら、1969年10月号から始まり、71年9月号まで連載が続きました。タイトルは「ジロの行く道」「青葉の季節」「ジロがゆく」「ジロ!ジロ!」と変わっています。月刊誌の毎号連載ではなく、半不定期連載形体で、休載期間を挟んでタイトルが変わって連載が数回続く、という連載形式だったようですね。まとめてコミックスや文庫で刊行されたときは、タイトルは統一して「ジロがゆく」ですね。

 月刊別冊少年マガジンは70年代に入って一度休刊し、1974年から復刊してまた毎月発行になり、75年に誌名を「月刊少年マガジン」に変えて、その後ずうっと毎月刊行して現在に至るのですが、「スパイダーマン」と「ジロがゆく」の連載終了が両方とも1971年9月号なので、月刊別冊少年マガジンが一度休刊したのは、71年9月号が当時の最終号だったのかな?月刊別冊少年マガジンの休刊時期がよく解らないのですが(どうも済みません)。

 真崎守さんて本名が“森柾 -モリマサキ-”さんなんですね。ペンネームは本名をひっくり返して着けたんだ。ペンネームは真崎守の他に真崎·守と、名字と名前の間に中黒点を入れて表記してる作品もある。1941年生まれの真崎守先生は貸本デビューなんですが、僕自身は貸本で真崎守さんの作品を読んだ記憶はないんだけど、資料を見ると貸本オムニバス誌の「青春」や「刑事」に短篇を掲載してるから、僕が覚えてないだけで、多分、読んだことはあるのでしょう。

 貸本を経て、もう1963年には虫プロダクションに入社してる。虫プロ製作の「鉄腕アトム」のアニメTV 放送は63年1月からですからね。「青春」や「刑事」に短篇作品を載せているということは、虫プロに在籍しながらもときどき漫画も描いてたんでしょうね。虫プロ在籍時にいろいろなアニメ作品の制作に関わっている。

 虫プロダクション退職が67年で、この年から本格的に漫画執筆に入る。67年68年頃から隆盛になって来た、青年コミックの分野でさまざまな短篇作品を発表し始め、少年誌に描いたのは69年の「ジロがゆく」が初めてなのかな(?)。この時代は漫画アクションやヤングコミックの他、さまざまな青年·成人漫画誌に作品を発表してますね。SF やヒーローやアクションものというテッパンの娯楽漫画ではなくて、ちょっと考えさせるような人間ドラマを短篇で多数描いているようですね。感覚的に鋭く突いて来るシリアスな人間ドラマ、この時代の新鮮な、新しいスタイリッシュな作風。

  僕がアクションなどの青年コミック誌を読み始めるのって、70年代後半に入ってからで、せいぜい75年76年くらいからだから、この頃の青年·成人コミック誌に載った真崎守さんの作品は読んだことはない。後々、コミックスで刊行された真崎守短編集とかで読んでるのかも知れないけど。60年代後半から70年代前半の真崎守作品で僕が読んだのって、「ジロがゆく」と「キバの紋章」以外は、せいぜい週刊少年マガジンにときどき掲載された読みきり短篇が幾つかくらいだ。

 中三·高一頃の僕は真崎守にリスペクト感を持ってたなぁ。勿論、青年になってからもあったけど、特にこの少年後期に入った時代、僕は、今までの児童漫画で見たことない、新しい作風とタッチで、まだ少年の僕なりに、真崎守の描く漫画には、何か感覚的に深い(濃い)ものがある、と感じていた。それは、漫画というある種芸術分野で、アーティストの表現方法として、何か貴重なものであるように、まだ少年である僕が感じ取っていたものだったように思う。何かややこしい書き方でごめんなさい。とにかくこの時代、真崎守の漫画は何か「凄い!」と思ってた。

 貸本劇画から出発した真崎守さんが、黎明期のアニメ界に身を投じて新しい技術を身に付け、再び漫画表現の世界に戻って来て、今までにない全く新しい作風とタッチで、独特の漫画表現の作品を商業雑誌に、シリアスやリアル味をまとって新たな時代にマッチした、いわばニューウエーブのように、感覚的に鋭いものを内包した人間ドラマを開陳して(表現して)見せた。

 僕は高校生くらいの時期から青年期、感覚的なものを身に付けたいと意識して思っていた。青年期にATG の映画作品や日活ロマンポルノの映画を積極的に見に行ってたのはその一環だ。ATG 映画作品はあの時代のニューウエーブの如く、映画表現の実験的な作品が多かった。日活ロマンポルノは若き映画監督の登竜門的な場でもあった。日活ロマンポルノでは一時間ちょっとの上映時間制限の中で、10分に一回、性的濡れ場シーンを入れさえすれば、後は作風はかなり寛容だった。後に日本映画界を代表するような名監督となる、当時の若き才能は日活ロマンポルノの場でさまざまな自分の作品を作って表現していた。当時の日活ロマンポルノの中には、欧州近代文学や日本文学のストーリーをベースにして、ロマンポルノ映画として作った作品もけっこうあった。あの時代の僕は、ATG やロマンポルノ映画から何か感覚的なものを学びたいと思っていた(別の面、本音にはエッチなシーン見たさが、勿論あった)。

 当時、本もよく読んでたけど、活字で書かれた小説やエッセイ集は、毎日何ページかでも読んで、論理的に頭に入れて、いわば左脳を鍛えるような意味で、もともと頭が悪いなりに遅読でも読書に寄って、何か左脳的なものを身に付けようとしてたんだけど、当時、漫画を読んだり絵画を見たり、さまざまな映画を見たりしていたのは、いわば右脳的な感覚的なものを身に付けようとしていた。無論、当時は“右脳·左脳”という脳内領域の役割能力的な考え方は知らなかったろうから、後付け的な解釈になるけど。

 で、そういう、感覚的な能力を身に付けたい、磨き上げたい、という向上心的な気持ちを持ち始めたのは、実は真崎守の漫画を読み始めた頃から無意識的に気持ちに根付いて行ってたんだろうな、と後々から考えるとそう思う。青年時、当時のヒット曲の洋楽レコードばかり買って来て、余暇に部屋に籠ってずうっと同じ曲ばかり聴き続けていたのも、何かそういう感覚的なものを鍛えるみたいな効果を狙ってるんだ、みたいな気持ちがあったように思う。まぁ、本を読むのも映画見るのもポピュラー音楽聴くのも漫画読むのも、結局、みんな余暇の娯楽ではあった訳で、娯楽を楽しみながらも本人は向上心を持って有意義なコトしてるんだ、という言い訳みたいなものを持って、当時、日々送ってたんだろうな。普通の凡人の青年である僕が、当時仕事して余暇を過ごして、という何てコトない日常生活を送る日々に、何か有意義な意味合いを着けようとした自意識、みたいなもんですね。若いときの僕なりに何かプライド持ちたかったんでしょう。それか、自分が変化のない日常を生きるコトに対して、自分が生きるコトは意味があるんだ、と一生懸命思いたかったのかも知れない。平々凡々な毎日を生きる自分の人生に、「哲学」を見出そうと、何か模索してたのかな。

 僕は、真崎守先生、村野守美先生、あすなひろし先生の三人の漫画家は、イメージ的に一つの括りで覚えている。三人の先生方がだいたい同世代だし、僕の見方ではタッチが似ているように思うし、作風は三人三様違うんだけれど、少しづつずれてるかも知れないけどだいたい同じ時代に活躍した漫画家だし、何か60年代末頃から70年代、少年·青年漫画の世界に当時としては新しい新鮮な作風を持ち込んで話題になった漫画作家の人たちだし。 

 真崎守先生の代表作というと、「ジロがゆく」「キバの紋章」の他に、「はみだし野郎の伝説」シリーズがあります。これも僕は完読はしていない。断片的にしか読んだことない。真崎守先生には60年代末から70年代いっぱい、もの凄い量の長編・中編・短編の作品がありますが、僕はあの時代に描かれた珠玉のたくさんの短編作品を読んでみたいですね。残念ながら現在は絶版になった短編漫画集ばかりなんですけど。真崎守先生の漫画本は今は、古本でないとなかなか手に入らないかな。

 真崎守さんの仕事は膨大な量の漫画作品執筆の他に、アニメーション制作の分野で監督や脚本などの仕事が多数あり、当時のTV・映画のアニメ作品の制作で活躍されてます。虫プロから漫画実験誌、COMが出版されていた折には、同誌の中で漫画評論的なコラムを担当したり、後に評論本を執筆・刊行したりもしてますね。真崎守先生も日本漫画史の中の一場面に足跡を残した、一時代を表現した屈指の漫画(芸術)創作アーティストですね。60年代末から70年代に描かれた、時代を鋭く突いた珠玉の短編集を読みたいですね。

ジロがゆく完全版 1 (宙コミック文庫 漢文庫シリーズ) 文庫 真崎 守 (著)

ジロがゆく完全版 3 (宙コミック文庫 漢文庫シリーズ) 文庫 真崎 守 (著)

ジロがゆく〈中〉 (1976年) (講談社漫画文庫) 文庫 真崎 守 (著)

ジロがゆく〈下〉 (1977年) (講談社漫画文庫) 文庫 真崎 守 (著)

風漂花―マインド・ワーク 1 (五柳叢書) 単行本 真崎 守 (著)

風のたより―マインドワーク2 此岸現視行 (五柳叢書) 単行本 真崎 守 (著)

男たちのバラード (真崎守選集) コミック 真崎守 (著)

わたしの手塚治体験〈1〉 (宝島コレクション) 単行本 真崎 守 (著)

エデンの戦士 1~2巻(文庫版) コミック 真崎 守 田中 光二 (著)

キバの紋章 [マーケットプレイス コミックセット] コミック 真崎 守 (著)

真崎守選集 1~最新巻 [マーケットプレイス コミックセット] コミック 真崎 守 (著)

もう一つの劇画世界 [マーケットプレイス コミックセット] コミック 真崎 守 (著)

 

 僕が読んだ「ジロがゆく」は、月刊別冊少年マガジン連載時の前半部と、後にまとめて読んだのは講談社文庫版の全3巻です。今手元に講談社文庫版の下巻があるんだけど、奥付けの初版発行が1977年になってます。僕が「ジロがゆく」シリーズ、別冊少年マガジン掲載分を全部読んだのは77年なんですね。僕が、保谷駅近くのアパートに住んでた時代ですね。はっきりしないけどこの文庫本は大泉学園駅傍の本屋さんで買ったものじゃないかな。あの時代、僕は暇なときはよく西武池袋線の各駅の街をウロウロしてましたからね。特に、江古田駅、大泉学園駅、石神井公園駅、ひばりヶ丘駅は、用もないのによく降りて街をウロウロしてた。僕が東京を中心に関東で暮らしていた若き時代、喫茶店巡りが趣味だった。昭和の時代は喫茶店が多くていっぱいあった。どんな田舎でも喫茶店があったしね。あの頃、何か喫茶店で落ち着くのって好きだったなぁ。いろんな喫茶店の外装·内装を見るのも好きだった。

 今は地方では本当に喫茶店がなくなりましたね。都会でも減ってるんじゃないかな。純喫茶とかって激減したんじゃないかなぁ。ファーストフード店とか大型スーパーのフードコート、軽食喫茶のレストラン化。ファミレス·チェーン店。パン屋さんの横に軽食コーナーとか置いてる店もありますね(都会ではカフェとかあるのか)。やっぱり喫茶店はファミレスとファーストフードに圧されてなくなって行ったのかな。高齢者時代、爺婆は喫茶店でゆっくりくつろぎそうだけど、高齢者も多くはそんなに金持ってなくてあんまり飲食店で金遣わないのかな。外出したら喫茶店でゆっくりよりも、食事目的でモロ飲食店(食堂)に入るのかな。

 「ジロがゆく」はシリーズとして、月刊別冊少年マガジン掲載分の他にも、続編や関連作がある。僕は別マガ掲載分しか読んだコトないしよく知らなかったんだけど、学研がかつて長年に渡って出版し続けていた学習雑誌、「高二コース」の72年4月号から73年3月号まで一年間、別マガ連載分の続編が連載されてたようですね。僕は読んだコトありません。この分の作品には、「十二色のさすらい」というタイトルが着いていたそうです。

 また、 同じく「高一コース」の73年4月号から74年3月号まで、「ロマン歳時記」というタイトルで連載されてた分があり、この作品の形式は、どうやら見開き2ページで描いたイラストだったようですね。詩的な情景みたいなイラストかな。青春の一場面みたいな。これも僕は見たコトありません。

 他にも、小学館のグラビア青年誌「GORO」や集英社の「週刊プレイボーイ」に掲載された、「ジロがゆく」の関連作品があるようです。この分も僕は記憶にないなぁ。僕は青年時、GORO やプレイボーイを愛読してましたが、僕の読んでた時代よりも少し前の掲載だったみたいですね。

  僕は学生時代はずうっと劣等生だったので、学研の中学生コースシリーズや高校生コースシリーズは一冊も買ったことはありません。旺文社の中学時代シリーズや高校時代シリーズも読んだことありません。だいたい僕は小学生の頃から活字を読むのが苦手で小学生のときはほとんど活字の読み物は読まなかった。漫画は大好きだけど、漫画はセリフが短いからで、ときどき出会う漫画の中の比較的長い説明文は読まなかった。貸本漫画は毎日借りて来てたけど、例えば水木しげるの怪奇時代ものとか、漫画としてはかなり長文の説明文が入るのでそういう文章は全部読み飛ばしていた。少年漫画でもセリフの活字が小さくて長い漫画は苦手で、読み飛ばすものも多かった。

 僕は、大人になって気が付いたんだけど“隠れ斜視”なんですね。子供の頃からふだんは正常な眼球の並びなんだけど、目の筋肉の力が抜けると知らぬ間にいわゆるロンパリに近くなってる。元気の良いとき、まぁ普通は目の並びが揃ってるんだけど、疲れて来て眼球回りの筋肉の力が抜けると、左目の方が外側に行って斜視になる。子供のときも遊んでる友達によく「お前、目が変だぞ」と注意されて、慌てて目に力を入れると正常な並びに戻る。大人になって解ったんだけど、こういう症状を「隠れ斜視」と呼ぶらしい。

 多分、これのせいなんだろうと思うんだけど、子供の頃から活字の並んだ文章読んでると、よく行が重なったり一度読んだ行を二度読みしたりしてた。だから子供心に活字だけの本が苦手だった。中学生になってボチボチ活字文章だけの少年少女向けの小説本を読み始めたが、やっぱり同じ行を二度読みしたり目が疲れて来たら行が重なって見えたり苦労してた。高校生になって、正確には高二になってからだけど、本格的に読書始めて、同じ行を二度読みしたり行が重なって見えるので、無地の栞を用意して、その紙で左側を隠して読み、一行読む毎に無地栞をずらして一行づつ出して読んで行くようにした。こうすると同じ行を二度読みすることもなく、左横は隠れてるから行が重なることもない。まぁ、だからヒトよりも遅読なのかも知れないけど。縦行で書かれた本に比べると横行で読み降りる本の方がラクですね。だからネットのニュース記事はよく読む。ネットの文章は九割方横行綴りでしょ。

 ブロンズ社·真崎守選集の中に「ジロがゆく」の完全版が全3巻で入ってて、これは1979年80年あたりの刊行なんだけど、これには別マガ以外の「ジロがゆく」シリーズ分も収録された完全版になってるみたいですね。また、2007年に刊行された宙出版漢文庫「ジロがゆく」完全版·全3巻にも、別マガ以外の分も全部収録されてて、シリーズはこれで全部読めるようです。ただ、今はどっちも絶版で古本でないと手に入らないのかな。

 上記文中の、高齢者時代に爺婆は喫茶店入ってくつろいで時間潰さないのか、って話の関連エピソードなんだけど、まぁ、それにしては昔の話だけど、プータロー(ニート)時代か、もっと後の働いてたがウィークデーの休みの日か、ウィークデーに午前中のけっこう早く、九時か十時くらいに暇潰しに市立図書館行ったら、驚いた、本棚がズラリ並んだ広い図書室の手前の前室に、長いソファや単椅子ソファを幾つか置いて新聞や雑誌を各種用意した、何ていうかサロンみたいな部屋があり、そこに何人もの爺さんが各人、新聞や雑誌を取って読み耽り、くつろいでた。みんなおじさんというより爺さんと呼ぶ方が相応しい年配で、僕はその光景を見て、ああ~リタイアした爺さんは朝早くから図書館で新聞とか読んで時間潰してんのか、と思ったものだった。もうかなり以前の話だけど。図書館だと解ってるからなのか、爺さん同士は誰も話をせずに黙々と新聞や雑誌を読んでた。ただ、図書館には飲み物がなかったと思う。勿論、喫煙もしてなかった。今も暇な爺さんたちは朝早くから図書館利用してんのかな。どうなんだろう。昔は図書館に自販機とか置いてなかったけど、今はどうなんだろうな?自治体に寄っては企業とコラボしてカフェを隣接した図書館とかもありますよね。飲食店とか小物売り場を隣接して、図書館利用者がお金を落として行くようにしたり、また企業に場所を貸して家賃取って自治体の収入にしたりとか。カフェが直ぐ隣だとカフェとかではダベるし、図書室に対して若干騒音が入るかな。借りた本を隣接カフェに持ち込んで良いのなら、本が汚れる心配もあるかな。

 「ジロがゆく」宙出版·漢文庫-完全版第二巻が押し入れから出て来ました。この文庫サイズ漫画本を買ってたことをすっかり忘れきってました。奥付けを見ると2007年6月初版発行になっています。今から約10年前に買って忘れてた本だったんですね。多分、宙出版·漢文庫版はこの第2巻しか買ってないと思います。

 当時行き付けの本屋さんで、往年の青春コミックの傑作「ジロがゆく」の、当時新たな文庫版の第2巻だけ見つけて買って帰って、積ん読状態で忘れてて、そのまんま押し入れダンボール箱行きになってたんでしょう。買ったとき、パラパラ読むくらいはしたろうけど。押し入れに入って忘れきってたんですね。

 僕は遅読なので基本、積ん読状態になります。頭のデキが良くないから遅読なんだけど、以前は知的好奇心だけは旺盛だったので、暇さえあればブラリと本屋に立ち寄って、あれこれ本を見て回って、単行本でも文庫でも新書でもコミックでも雑誌でも何か一、二冊買って帰るが、家には読んでない本がいっぱいあって、結果そこにまた一冊積み上げる。「積ん読」って言い方は、結果読むのか読まないのか、読まなければ結局積み重ねてるだけですよね。まぁ最近は知的好奇心もかなり減少したし目も悪いし、本もあんまり買って来ないけどねぇ。

 この宙出版·漢文庫版「ジロがゆく」第2巻には、「ジロがゆく」の続編というより、番外編的な、「ろまん歳時記」と「白い蜃気楼」「げんやこう」が収録されてます。「白い蜃気楼」「げんやこう」は1976年のGORO と週刊プレイボーイに掲載された短篇ですね。「ろまん歳時記」の方は高一コースの1973年から74年に渡る一学年間に連載された、まぁ“連作”かな。見開き二ページの何コマかの中で、青春の一ページというか、切り取られた青春の一場面を叙情的に、詩的に描く掌編。掌編というよりまだ短いか。ときには見開き一枚イラストに詩が乗せられたものもある。青春の一ページ切り取り一場面漫画だね。

 

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