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●漫画・・ 「がらがら」

 「がらがら」は、秋田書店発行の少年漫画雑誌、少年チャンピオンの1970年第7号から始まり、週刊少年チャンピオンの71年第3・4合併号まで連載が続きました。この時代の連載漫画の連載期間としては、割りと短い方ですね。1969年7月に創刊された、秋田書店初の月二回刊というか隔週刊誌、少年チャンピオンは、約一年間を経た後、翌70年6月から週刊誌化され、週刊少年チャンピオンとして毎週発行されるようになりました。秋田書店初の週刊雑誌ですね。「がらがら」の初登場新連載はまだ隔週刊誌だった70年第7号からで、この、チャンピオンの隔週刊は70年の第13号まで続き、次の第14号から週刊少年チャンピオンとなります。「がらがら」の連載は71年の新年号までですから、連載期間は約7ヶ月間くらいかな。

 当時のチャンピオン誌上では、巻頭カラーで掲載されたり、カラー扉大増ページ掲載があったりと割と看板漫画扱いだったのに、そんなに人気は出なかったのか、比較的短期間で連載が終了したし、多分、この後コミックス単行本化していないですね。本元の少年チャンピオンコミックスで見たことないし、多分他の出版社のコミックスでも発行されてないと思います。ネットでも単行本を全く見掛けない。さいとうプロ制作の漫画作品はたいてい、さいとうたかを氏のリイド社でコミックス化するのですが、リイド社でも何も単行本は出ていない。何しろ、ネットの漫画オークションで、少年チャンピオン連載時本誌切り取り、全連載時オリジナル分がオークションで出てたくらいですし。

 当時の少年チャンピオン連載時、僕はこの漫画が大好きで、けっこう毎号楽しみにしてたんですけど。当時の一般的チャンピオン読者人気は、あんまりなかったのカモ。僕がこの漫画が好きだったのは、何となくこの作品が、僕が小学校時代慣れ親しんだ、この時代もう消滅していた貸本漫画の雰囲気を持っていたように、僕が感じていたからだと思います。まあ、あくまで僕の個人的な思いですが。何だか、貸本時代のさいとうプロ発行の貸本オムニバス誌、「ゴリラマガジン」に掲載された短編・中篇作品によく見られたような雰囲気、匂い、ですかね。

 貸本出身のさいとうたかを先生は、貸本時代、当時の貸本トップクラスの売れっ子でしたが、60年代後半に入って、本格的に当時の月刊冒険王や週刊少年マガジンのような、雑誌漫画へと移行して行きます。60年代末には、この当時、雨後の筍のようにニョキニョキと次々創刊された、青年コミック誌にも進出し、さいとうたかを氏を代表とするプロダクション漫画制作システムとして、さいとうプロは、70年代80年代と、その先もずっと、日本のコミック界を代表する劇画制作プロダクションとして、日本の出版文化で活躍を続けます。

 50年代末から60年代半ば過ぎまで、当時の貸本界を代表する貸本漫画作家として活躍した、売れっ子のさいとうたかを氏は、当時いち早く、漫画制作に分業制の流れ作業システムを取り入れ、代表者さいとうたかを氏を漫画制作の監督とし、脚本から下書き、背景、ペン入れ・べた塗り・仕上げ等々、分業して流れ作業で作品を創り上げる、合理的な制作システムで漫画の量産態勢に対応しました。やがて貸本は衰退期に入り、1970年頃には貸本が完全になくなるのですが、さいとうたかを率いるさいとうプロダクションは、雑誌の世界でも引っ張りだこの売れっ子となり、児童漫画・青年コミック問わず、当時のどの雑誌にも作品が掲載されているように量産システムで活躍を続けて行く訳です。

 「がらがら」は、さいとうたかを先生が貸本時代から得意とする一方の作風で、陽気でタフな主人公の青年が、おっちょこちょいや早とちりの間抜けな部分で笑いを誘いながらも、その豪快な腕力を武器に、アクション全開で活躍する、コメディ味の探偵ものアクション劇画ですね。まあ、そういう感じの漫画かな。河川敷にブリキかトタン造りのような一見工場みたいな建物で、鉄クズみたいな廃品の機械部品とか粗大ゴミみたいなガラクタの山に囲まれて、独りで生活する、廃品回収かリサイクル業者の青年が、その河川敷に遊びに来る子供たちによって、トラブルに巻き込まれ、初めは不本意ながらも探偵さながらの活躍で、ちょっとした犯罪事件を解決する、というようなコメディ味付けのサスペンス風アクション劇画かな。この漫画の雰囲気、当時は僕、大好きでした。

 僕は秋田書店から少年チャンピオンが創刊されて、初めの月二回刊、隔週刊だった頃は毎号欠かさず購読していたのですが、約一年経って週刊誌化されて週刊少年チャンピオンになってからは毎週は買わなくなりました。というか続けて読みたかったのですが、この頃から家が貧乏になって来ていて、というか少年チャンピオンが隔週刊だった頃から家は貧乏に向かっていたのですが、漫画本くらいは何とか買えていた。だいたい少年時の僕は小遣いといえば、ほとんどが漫画本に使っていましたからね。週刊少年チャンピオンになった頃は、もう漫画代さえままならぬようになって来ていた。僕が高校生になってからは小遣いなんてゼロですからね、漫画本なんて一冊も買えなかった。高校生時は途中から、弁当を毎日百円の昼食代に変えて貰って、時々昼食抜いて、時折漫画本を買って読んだりしてた。

 秋田書店の月刊児童誌「冒険王」での60年代後半、大人気だった看板漫画「夕やけ番長」が、69年に新しく創刊された少年チャンピオンに、「冒険王」本編とは少しテイストを変えた別エピソードが、チャンピオン初期の看板漫画として連載され、僕は「冒険王」の「夕やけ番長」が大好きだったので、少年チャンピオンが隔週刊誌だった約一年間連載された「夕やけ番長」読みたさに、隔週刊時代のチャンピオンを購読していたというのもありましたね。勿論、週刊誌化して毎週購読は、お金が続かなくなった、っていうのが大きいのだけど。

 今回は、僕が中学生時の後半から終盤に、愛読した初期チャンピオンに連載されてた、認知度では多分、かなりマイナーな方になる、痛快コメディ・アクション劇画「がらがら」をタイトルに持って来ましたが、この漫画は僕が当時、雑誌掲載分を読んだ記憶しかなく、多分、この漫画は後にコミックス単行本化されていないと思うし、また僕自身雑誌初出リアルタイムで読んだ以外では、再読したことがないので、数十年前の記憶だけで記事文を書いています。

 でも、「がらがら」はその漫画の雰囲気、テイストが、僕が小学生時代にどっぷり浸かった“貸本”の名残を残していたように感じられて、今でも妙に印象に残り続けている。貸本時代から雑誌移行期の60年代から70年代はじめ、さいとうたかを先生がよく主人公に描いていた、タフで陽気で正義感が強く、おっちょこちょいで幾分間の抜けたところがあるが、人情深く、怒り出したらその自慢の腕力で大暴れする、さいとうたかを氏オリジナルのキャラクター、貸本時代の代表作「台風五郎」でも見られた痛快キャラクター、そのさいとうたかを劇画の主要キャラが大好きで、昔々の懐かしさで、今回の記事タイトルに「がらがら」を持って来た次第でした。

 

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●小説・・ 「じじごろう伝Ⅰ」狼病編..(11)

11.

 吉川愛子は玄関を入ると、上がり口で思わず立ち止まり、廊下から続くリビングを眺め回した。懐かしいような気がして仕方ない。実際は、この家を母・智美と弟・和也と三人で出てから二十日くらいしか経っていない。六月の終わり、梅雨真っ最中の季節だったが、家を出た日は今日ほどではないが、よく晴れていた。ぼんやりしていて、真後ろに客人が立っていることを忘れていた。はっと我に返り、ふり向いて「済みません」と頭を下げた。真後ろに立つ真理は、「いいのよ」と微笑みながら言った。

 「何だかつい、ぼんやり家の中見回しちゃって」

 靴を脱いで上がりながら愛子が話し、そのままリビングへと進み、感慨深げに、家の中をぐるり眺め回す。一階のリビングとダイニングは、もう最初の頃から間仕切りの壁を取っ払っていて、広々とした大きな空間を作っていた。リビングのソファの後ろに立って、天井から四方の壁からダイニングの方と見ている内に、愛子は感極まって来て、自然と涙が溢れて来た。父親のことを思い出したのだ。

 リビングの端に立つ真理は、愛子の様子を優しく見守っていた。

 「座っていい?」

 ダイニングのテーブルの前に立った真理が訊いた。

 「あ、済みません、どうぞ。あ、こっちのソファの方が良いんじゃないですか?」

 真理は、テーブルの椅子の背を掴んで引きながら、応える。

 「ううん、ここでいいわ。ありがとう」

 隣のリビングの方に立ち、ソファセットを勧める愛子の方を見ながら、真理がダイニングのテーブルの席の一つに腰掛けると、慌てて愛子が冷蔵庫の方へと駆ける。

 「何かあるかな? しばらく来てないからな‥」

 「あ、いいのよ愛子ちゃん。私は何もいらないから。私こそ何か飲み物でも買って来るべきだったね」

 ドアを開いた冷蔵庫の中を眺めて、愛子はがっかりした様子で真理の方を振り返り、済まなさそうに言う。

 「済みません。何にもないみたいです。お父さん、ここで暮らしてないのかなあ‥?」

 後半は独り言のように言って、表情を曇らせた。

 「外行って買って来ますね。近くに自販機があるから」

 「いえ、いいわ、愛子ちゃん。それよりお話を聞かせて。私もいろいろと知りたいことがあって」

 真理が首を回して、愛子に自分の傍に座ることを、自然な態度で促した。

 「でも‥。喉、渇かないですか?」

 「いいわ。あ、あなた、喉渇いてるんなら‥」

 真理は、座っている椅子の足元に置いてある、自分のバッグから500ミリのペットボトルを取り出した。

 「ごめんなさい。飲みかけだけど‥。良かったら、飲む?」

 真理は、ボトルの胸あたりまで入った、オレンジジュースを持ち挙げて示し、愛嬌を作って訊く。

 「あ、いいえ。私はいいんです。済みません、良かったらそれ、飲んでください」

 愛子が申し訳なさそうに言った。

 「お互い気を遣い合っていても、話が進まないわね。良ければ座って。ってゴメン。よそ様の家なのに」

 愛子はそっと真理のはす向かいの席の椅子を引いて、おそるおそるという様子で腰掛けた。

 「おかしなコト言って頭がおかしいんじゃないかって疑われるかも知れないけど、もうはっきり言うわね。あたしはちょっと普通の人たちと違う力があるの。力って言うかな、俗に言う霊感が強いって言う、ほらあれなのよ。変に思うでしょ。この人、頭がおかしいって思った?」

 真理がそれまでと調子を変えて、おどけを交えながらも真面目な様子で話し出した。

 「いいえ。大丈夫です。私の弟もちょっと変ですから。変って言うか多分、お姉さんと同じようなものだと思います」

 愛子も同じように幾分調子を変え、真面目な表情になって応える。

 「あ、そう」

 真理はホッとしたように肩の力を抜いて、椅子の背に体重を預けた。

 「そこの部屋は…?」

 真理が一階の奥にあるドアを示した。

 「父が使ってる部屋です。もともと夫婦の寝室だったんですけど」

 「ふーん」

 真理が何か思惑ありそうに、夫婦の寝室で今は父親の部屋だと、愛子が説明した部屋のドアを凝っと見ていた。

 「何か?」

 愛子が、真理の様子に不思議そうにして訊ねた。

 「あたしね、今言ったように、ちょっと霊感みたいなのがあるの。だからね…」

 真理がボソリと、独り言のように言って応えた。

 「あ、何か感じるんですか?」

 驚いたように愛子が真理の様子を見る。

 「いや、幽霊が居るとか妖怪が潜んでるとか、そんなんじゃないの。ただね、ちょっとその何て言うか“妖気”みたいのを‥。頭がおかしいって思われるかも知れないけど」

 真理の説明を愛子は真剣な顔つきで聞いている。少し緊張した面持ちで居る。

 「いえ、そんなこと思いません。ここ何ヵ月かで、いろんな不思議なことがあったから」

 真理は、元は夫婦の寝室で、今は吉川和臣が一人で寝起きしている筈だという、部屋のドアを凝っと見つめていた。

 「開けてもいいかしら?」

 真理はドアを見詰めていた視線を愛子に向けて訊いた。

 愛子が「はい」と返事をすると、真理は椅子を立ち、吉川和臣が使っているという寝室の方へ歩いた。愛子も真理の後ろに立ち、真理の動作を見守った。

 真理は部屋の前に立った。斜め後ろから見守る真理の表情は、何だか緊張した様子で居る。顔が強張っているようにも見える。一度大きく呼吸して、真理は思い切り、横滑りのドアを開けた。照明の灯っていない部屋の中は暗い。

 昼間の窓からの明るさと、愛子が点けた天井の灯りで明るいリビングの光が、部屋の中を窺わせたが、愛子には暗くて部屋の奥の方までよく見えなかった。いつもは寝室の灯りが点ってなくとも、うっすらと奥まで見えるのだが。

 「どうしたんだろう? 何だか中が白っぽい‥」 愛子は思わず声に出した。

 寝室の入り口の真ん前に立ち止まったままの、真理の様子が変だ。驚きと緊張感が入り交じった表情で、真理は喰い入るように部屋の中を覗いている。後ろの愛子がおもむろに歩き、真理の横に並んで、部屋の中をよく見ようと覗いた。

 「あっ!」 愛子が叫んだ。

 部屋の中がボーッと、靄が掛かるようにほのじろい。愛子は中をよく見廻して、驚いて思わず後ずさった。

 「何、これ…?」 愛子が恐怖に歪んだ顔で、言葉を漏らした。

 中を覗き込んだままの真理が、静かに応えた。

 「蜘蛛の巣だわ‥。蜘蛛の糸」

 何年もほったらかしにした空き家の中でも、こんなには蜘蛛の糸が張らないだろうというくらい、部屋の中を縦横に蜘蛛の糸が張っている。

 愛子は恐怖に顔を歪めたまま、両の目が部屋の中に釘付けになり、言葉が出なかった。喉がからからに乾くような感じだ。一度口を閉じると、ごくりと唾を飲んだ。

 驚いたまま凝っと部屋の中を見詰めていた真理が、ふと心配になって後ろの愛子を振り返ると、愛子はまた叫び声が出てしまいそうな口を押さえて、今にも泣き出しそうな目をして肩を震わせていた。真理が片手を伸ばして愛子を抱き寄せた。小刻みな震えが真理に伝わる。

 

                *                * 

 

 その少し前。

 大佐渡真理が吉川愛子に続いて、一ヶ月前までは吉川家一家四人が普通に住んでいて、現在は主の吉川和臣だけが寝泊まりしてるであろう、一戸建て二階家の玄関の中に入って行って表から見えなくなった、正にその直ぐ後、家の前の道路の後方、十数メートルくらい後ろに、一人の大きな男が、吉川家の方を向いて悠然と立っていた。

 この真夏の、正午前くらいの時刻に、明らかに異様な身なりで居て、頭は深くソフト帽を被り、真冬に着るようなトレンチコートに身を包んで、顔もマスクとサングラスで隠していた。両手はコートのポケットに入れている。男は真理と愛子が入った家の方を窺いながら、前に向かって一歩二歩と、焦げ茶色をした大きな革靴で踏み出した。

 「待て」

 男はびくんと肩を揺らして、歩を止めた。ゆっくりと男が振り返る。

 真夏の昼前の、もう強くなっている陽が照らす道路には、右も左も誰も人の姿はなかった。男は後方や両脇の周囲をキョロキョロと見回した。何の変哲もない普通の住宅街には、この時間、人の姿は見えない。真夏の昼近くの暑さのせいか、猫の子一匹見えないし犬の吠える声も聞こえない。晴天の下で太陽の照らす真夏の通りは、遠くで蝉の鳴き声が聞こえる以外、静かなものだ。

 正体を隠すように全身をすっぽり包んだ大きな男は、前方も見回して首を傾げた。今、男が立つ昼前の住宅街の道路には、人影は誰も出ていない。一台の車も通らない。気を取り直して、男がまた一、二歩前進した。

 「ここじゃよ。ここじゃ」

 また声が聞こえた。

 間違いない。誰かが自分に話し掛けてる。やはり後方からだ。男は振り返って、またキョロキョロと辺りを見回した。

 「こっちじゃ」 年配の男性の声だ。少々ダミ声のような、少しひび割れたような声だ。その声が自分を呼ぶ。

 自分に声掛けてるダミ声の先が解った。一戸建ての住宅が規則正しく列を作って並ぶ先の二軒の家、その二棟の住宅の間が引き込みの路地になっているようだ。声は、その路地から聞こえて来たようだ。

 男は二軒の家の間に向かって、ゆっくりと歩き出した。

 「そうじゃ、そうじゃ。その先じゃ」

 また声が聞こえ、男の歩みを促した。癇に障るようなダミ声だ。全身を隠すように包んだ大男は、少しイライラとして来ていた。

 二軒の家とも見た目が新しく、建ってからそれ程は年月が経っていないように、外観が綺麗だが、戸締りの具合から見ても空き家のようだ。このあたりの住宅地は、建て売りを買ったり家を建てたりしても、その後、ローンが払えずに家を空ける者が多かった。世の中の景気の悪さに、計画通りに家のローン返済がうまく行かず、夜逃げ同然で出て行く者も居るらしい。

 空き家の間の狭い路地は、二軒の家の陰になり暗く静かだった。夏日が照りつける表通りの道路に比べると、ひんやりした印象も受ける。

 男は、狭く薄暗い通りを、真ん中あたりまで進んだ。奥は、人の身の丈まであるブロック塀で、行き止まりだ。この辺りの住宅地は、低い山々を切り開いて造った新興住宅地で、ブロック塀の向こうには、切り崩した山肌が見えている。

 ブロック塀の前には、誰も居ない。通路の両側の家は空き家のようで、静かなものだ。男は首を傾げ、立ち止まったまま、またキョロキョロと辺りを見回す。男は仕方なく、身体を回して、通路へ入って来た方へと戻ろうとした。そのとき、また声が聞こえた。

 「ここじゃ。ここにおるわい」

 同じダミ声だ。慌てて、男が振り返る。今見たときには誰も居なかった奥の、ブロック塀の前に、自分と同じくらいか、もっと大きな男が立っていた。

 男は驚いて、たじろいだ。確かに、今見たときは、そこには誰も居なかったのだ。ソフト帽を深々と被り、サングラスに鼻と口元はマスクという、男の表情は解らないが、かなり驚いて慌てている様子で、ポケットから出した両手を構えた格好で、二、三歩後ずさった。

 真夏に冬物のようなロングコートに身を包み、完全に顔を隠した男も異様だが、突如姿を現した男も、異様だった。先ず、全身ほとんど裸だ。腰にだけ、白っぽい少々汚れたフンドシを宛てている。大きな身体の顔の部分は禿げ頭で、老人のようだ。だが肉体は筋肉が盛り上がり、まるで外国人のプロレスラーのように、立派な体格をしていた。そして杖がわりか、八尺以上ありそうな、まっ直ぐな棒を左手に持って立てている。

 男は茫然と立って、裸の異様な老人を見ていたが、思いきったように言葉を出し、問い掛けた。

 「おまえは何だ?」

 突如現れた裸の大きな老人は、普通のまともな人間には見えず、つい、「誰だ」と言わず、「何だ」と口から出ていた。

 「おい、トカゲ男」

 男の問いには答えず、逆に老人は、全身の正体を隠した男を、ぶっきらぼうに呼んだ。

 男は自分の名前を呼ばれて、ぎくりとしてたじろいだ。“この男はどうして俺の正体を知っているのだろう?” といぶかしみ、男は焦っていた。

 禿げ頭の大男は、呆れたような顔をして言った。

 「しかし、おまえはそれで姿を隠したつもりだろうが、この真夏の陽の照り付ける暑いときに、そんな真冬のような格好で、顔も全部、隠しとったら、人間たちから見れば、こんな怪しい奴はおらんと、目に付いてしょうがないぞ」

 トカゲ男と呼ばれた男は狼狽しながらも、ここは、この変な大男に一撃喰らわせて、ひとまず退散するべきか、と考えていた。トカゲ男はおもむろに、両手にはめた厚手の白色の手袋の片方を、脱がせに掛かった。それを、ニヤニヤと笑いながら見ている裸の怪人は、余裕しゃくしゃくの態度で言った。

 「よせよせ。両手の鋭い毒爪は、おまえの十八番(オハコ)の得意技じゃろうが、そんなものはワシらには通用せん。早よう帰って、おまえの主(アルジ)に報告せい。そして、この辺りには二度と来るな」

 「う、うるさいっ! 黙れ!」

 トカゲ男は気力を振り絞って、怒鳴り声を上げた。老人に対して、圧倒されるような威圧感を感じていた。トカゲ男の身体の内奥にある、いわば野獣の本能みたいなものが、とびきりの警告音を発している。一刻も早く、この場から逃げよと。

 片方の手袋を脱がせようとして、止めたままの手指が小刻みに震え、動揺しながらも、トカゲ男は本能的に覚っていた。この、正体の解らぬ裸の大男と、今ここでまともにやり合っても、勝ち目はないと。しかし、このまま黙って一目散に逃走するのも、格好が着かない。トカゲ男は、野獣的な逃走本能と、妖魔としてのプライドの狭間で迷っていた。

 トカゲ男の態度にはかまわず、裸の老人は話し続ける。

 「ワシじゃから良かったものの、これがジャックじゃったら、あっと言う間じゃ。ジャックは、今おまえが狙うていた小娘に、深い思いを掛けとる。あの娘に対して、ほんの少しでも変な真似をしてみい。相手が誰じゃろうが何じゃろうが、許されんじゃろうて。さあ早よう行け。そしてお前らは、二度とこの辺りに近づくな」

 トカゲ男はジリジリと後退する。“そうだ!このことは奥方様に報告せねば”と、頭の中にひらめいた。妖魔のプライドとして、この得体の知れない爺ィに一撃喰らわせてやりたくはあったが、自分の主に連絡することが先だ。悔しくもあったが、トカゲ男は身を翻し、反転すると一目散という勢いで、通路の出口に向かって走った。冬物のコートに身を包んだ大きな身体にしては意外と素早く、あっと言う間に家と家の間の狭い通路から道路へと出て、姿を消してしまった。

 逃げ去ったトカゲ男を見送った、禿げ頭の大きな老人は六尺以上ある長い棒を左に持ち、悠然と立っていたが、無表情のまま、杖代わりの左手の棒で地面をトンと突くと、裸の巨体がふわりと浮いた。浮いた裸の巨体が、スローモーション撮影のようにゆっくりと上昇する。

 この住宅地全体は、低い山々を切り開いて開拓し、整地した後、建売や注文建築など、一戸建ての個人住居を密集して立ててある、比較的広範な郊外住宅地だ。住宅地の外郭には、ところどころに切り開いた低い山々の、開拓あとの名残が見える。全身をコートやソフト帽ですっぽりと包んで正体を隠した、トカゲ男と、不思議な巨漢の老人、じじごろうが対峙した、空き家の住宅間の狭い通路の奥の、ブロック塀の後ろの山肌も、その開拓あとの名残で、ちょっとした丘になっている。

 怪人・じじごろうは丘の上に降り立った。丘の上からは住宅地が一望できた。正午近い時間だが、住宅地の中は何処の通りにも人影が見えない。たまに一台、軽自動車が通る。だがその一台だけだ。この住宅地の住人は若夫婦が多く、夫婦共働きで住宅ローンを返済している住人が多いのだ。だから日中は、大人は仕事に出て、子供たちが学校に行っている。ましてや真夏の晴天の太陽の下、焼けるアスファルトの通りに出て来る人も居ない。

 じじごろうの隣には、濃い茶色の洋犬らしい雑種の小ぶりな犬が居た。ハチだ。

 「トカゲ男は車に乗って行っちゃったよ」

 ハチがじじごろうの方を見上げて話した。犬のハチは、人の言葉を実際発したのではなく、テレパシーでじじごろうの中に語り掛けた。

 「あいつは自分の主(アルジ)に報告に行くんだろうけど、あいつら、もうこの辺りには来ないかな?」

 ハチが続けて語り掛ける。

 「あれのボスは多分、よく解っとるじゃろうから、ヤツらはもうやって来ることはなかろう」

 じじごろうが応じて話した。じじごろうは低くつぶやくような声だが、声に出している。

 「ただ、ヒトオオカミがあいつらを狙ってるね。トカゲ男の主の方を、だけど」

 ハチの方はテレパシーだ。

 「ヒトオオカミとトカゲの主(アルジ)とは因縁があるみたいじゃからの」

 「ヒトオオカミはもうこの辺りには居ないみたいだから、そいつの元へ行ったみたいだね。夜になるのを待ってるんだろうね」

 「まあ‥、ヒトオオカミにやれるかどうかは解らんがの。ヒトオオカミの方は良いんじゃが、問題はあの娘の親父の方じゃの」

 「手遅れだね‥。和也も可哀相に」

 じじごろうはハチの言葉には応えず黙っていた。少し間を置いて、ハチがまたじじごろうを見上げて問うた。

 「ジャックは?」

 「うん。ちょっと外してもろうた。ワシが見て来るからと言ってな。でないと、あのトカゲと顔を合わせた瞬間、直ぐに殺してしまうからな。まあ、この辺りではなるべく殺生はせん方が良いからの」

 「実際、八つ裂きにするにしろ、殺しちゃうと死体の始末とか面倒だからね。それに、トカゲの主人がどう出るか解らないし。トカゲの主人の方はある程度手強いんじゃないの?」

 「さあな。ただ、トカゲの敵討ちにその主の方が乗り込んで来ても、ジャックは喜んで戦うじゃろうからな。そうなると、相手の戦闘力がある程度強ければ、この辺りも騒動になるじゃろう。家々の何件かもぶっ壊れるかも知れん。人間たちが大騒ぎするのは良くない。ワシらに取ってイロイロと困ることになる」

 「そうだね。人間が大騒ぎして、パトカーや消防車やマスコミがいっぱい来るのは困るね」

 「ああ‥」

 二人は黙って、丘の上から住宅地を見下ろしていた。

 「じじごろうさん、僕は和也のトコへ行って来るよ」

 「まだ学校じゃろうが。ハチも和也のことが気に掛かるらしいの」

 「うん。あいつは友達だ」

 「そうか‥」

 ふっとハチの姿が消える。

 じじごろうはしばらく丘の上から景色を見渡していたが、その内いつの間にか姿を消した。

 

 ※この「じじごろう伝Ⅰ」..狼病編(11)は続きます。次回、狼病編(12)へ続く。

●小説・・「じじごろう伝Ⅰ」..登場人物一覧(長いプロローグ・狼病編)2013-05/28

●小説・・ 「じじごろう伝Ⅰ」 狼病編 ..(1)2012-08/18

●小説・・ 「じじごろう伝Ⅰ」 長いプロローグ..(1)2012-01/01

 

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