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●小説(ミステリー)・・ 「高校殺人事件」-松本清張作品-

  主人公の高校三年生の少年は、クラスメート内の仲良しグループの一員だった。そのグループ内の友達の一人、変わり者でポーやランボーに心酔する、少年詩人が自分の創作詩の構想を練るために近隣の山々に散策に入り、夜間の山中の沼近くで妙な笛の音を聞く。

 翌日、その話を主人公の少年にして、ちょっとした言い合いになり、笛の音の確認のために少年詩人は再び、次の夜も山の中に入り沼にまで行く。少年詩人はそのまま帰って来なくて行方不明となった。

 クラス担任の教師や仲良しグループが中心となり、警察も出動して大々的に山々の捜索を行う。友達の少年詩人は見つからず、仲良しグループや担任教師は独自に捜索を続けた。捜索の途中、沼付近の森の中で、怪しい素振りを見せる若い僧に出くわす。

 やがて警察は沼の中の捜索を行い、沼の水中から二つの死体を引き揚げ、その内一体が行方不明になっていた友達の少年詩人だった。

 担任教師の提案で仲良しグループは、寺に保管される非常に珍しい草花の写生を口実に、例の怪しい若い僧が勤める、沼近くの寺に訪問し中の様子を探る。だが何も解らなかった。

 その内、独自に事件の謎を追っていたらしい担任教師が失踪し、乗っていた自転車だけが少し離れた川で見つかる。担任教師は行方不明のままとなる。

 主人公少年は寺近くの山で浮浪者然とした中年の男と出会う。身体の悪そうなこの男は海外の戦地帰りで、寺の住職と旧知のようだ。男は少年に寺付近の山々の案内を請う。友達の死体が揚がった沼や防空壕跡の山麓の穴などを案内させる。

 寺は若い僧も不気味だが住職も態度が怪しい。少年はクラスの仲良しグループと事件について話し合いを繰り返す。その内、寺の直ぐ隣に郷土記念館ができた。住職と旧知の身体の悪そうな男は、この郷土記念館の管理役となる。管理役にはもう一人サブの男も居た。

 やがて戦地帰りの身体の悪そうな男は、郷土記念館の中で死亡する。警察は建物内部での首吊り自殺と見るが、記念館の内部を念入りに観察した少年は、自殺死因に不自然さを覚える。

 そうこうする内に夏休み中に九州の同年代の従姉妹が遊びにやって来る。この従姉妹は活発な性格で行動力もあり、探偵小説マニアだった。彼女は従兄弟や従兄弟のクラスメートたちの抱える謎の事件に興味を抱く。

 主人公少年と推理マニアの従姉妹の少女の殺人事件の捜査が始まった。沼から上がったクラスメート親友の絞殺死体、突然建立されたあまり意味のなさそうな郷土記念館、その記念館の管理役に納まっていたのに自殺してしまった戦地帰りの身体の悪そうな男、失踪したまま行方の解らない担任教師、不気味な寺の若い僧、不審な動向の寺の住職や記念館のサブ管理人…。

 少年探偵団的な様相の仲良しグループに主人公少年の従姉妹少女が加わり、怪事件の謎は一気に解決へと向かって行く…。

 というのが、日本ミステリ小説界のレジェンド、松本清張の1960年の作品、「高校殺人事件」のおおまかなストーリーです。単行本上梓は61年ですね。

    

 この間、松本清張のミステリー小説「高校殺人事件」を読んだ。この小説は僕が松本清張の作品で一番初めに読んだ小説で、高二の春に読んだ。だから実に四十年以上の間を開けた再読になる。

 「高校殺人事件」は松本清張唯一のジュヴナイルと言われる小説で、1960年当時の学研の「高校コース」に連載された長編推理小説です。

 高二の初めに転校して来た不良の文学青年、まだ高二くらいだから文学少年かも知れない、MT 君が僕に文庫本の小説を二冊貸してくれて、その内一冊は五木寛之の短編集、もう一冊が松本清張の短編集だった。

 高二の春、16歳の僕はそれまで活字の本は児童向けの本しか読んだことなかった。高一のときに学校の図書館から、新しく出てた江戸川乱歩全集の分厚いの三冊くらい借りたことがある。中のカラー挿し絵を横尾忠則が描いてたヤツ。頭のデキのあんまし良くない僕は当時三冊とも挫折して、ろくに読まずに返却してる。

 せっかくMT 君の貸してくれた大人が読むような文庫本を、頭のあんまし良くない僕がちゃんと読めるのか自信がなくて、学校の帰りに子供の頃からよく通ってた書店に行って、松本清張の小説で一番読みやすそうなのを捜した。

 光文社の新書版カッパノベルスに、少年少女用に書かれた推理小説「高校殺人事件」があった。僕はこの本を買って、MT 君が貸してくれた松本清張の短編集を読むにあたってのウォーミングアップに「高校殺人事件」を読むことにした。

 もう、このときMT 君が貸してくれた五木寛之の短編集と松本清張の短編集に、どんな短編作品が収録されてたのか覚えてはいない。松本清張の短編集は「黒い画集」だったか「黒地の絵」だったか、それとも他の短編集だったかはっきりしない。

 もともと頭のデキがあんまり良くなくて活字本の読書慣れができてない僕は、ジュヴナイルである「高校殺人事件」でさえ読むのに手間が掛かってた。だから借りた二冊を読み上げるのにかなり時間が掛かって、MT 君に本を返すよう言われて、まだ読み終わらないのかと呆れられながら文句を言われたのを覚えている。

 その後、もう一回くらいMT 君から文庫本を借りていると思う。やはり五木寛之と松本清張の短編集だと思う。長編の大人の読むような小説本を読み上げる自信がなかったのだ。MT 君から小説の文庫本を借りて読んだのはせいぜい二、三回で、後は自分で本屋で買って読むようになった。文庫本は買っても割りと安価だと気付いたのだ。

 しかも文庫本の中に五木寛之の作品も松本清張の作品もいっぱい出ていた。頭が悪くて遅読だからせいぜい一週間に一冊ペースだ。これなら安価な文庫本は買って読める。また、不良の文学少年 MT 君と学校で毎日話す内に、いろんな作家の話も聞いた。太宰治の話などもしていたが、当時の流行作家のエピソードが多かった。だから、そこから五木寛之·松本清張以外の作家の文庫本を買って来て読み始めたのもある。

 高校生時代、僕の家は大貧乏だったから、当然のように小遣いなどなく、途中から母親手作りの弁当持って行くのをやめて、昼食代として月曜から金曜まで毎日百円を貰うようになった。高校生時代は昼飯を抜いて百円を貯めて文庫本を買ってた。当時は文庫本なんて二百円台くらいであったから週に一冊読み上げるとして充分だった。通ってた高校は家から近かったから、別に昼食べなくても帰宅部で4時頃家に帰れば、朝の残りの味噌汁と生卵がある。家帰って直ぐ、毎日のようにどんぶり飯に味噌汁と卵掛けて掻き込んでた。

 後々から思えば、この時代、市の図書館を利用すれば良かったのにな、と思った。歩き通学だったし学校と家からだと反対方向に遠回りになるが、距離的にはいつもの通学路の二倍半くらいの歩きになるだけだし。

 高校の図書館で借りた本は高一のときの江戸川乱歩全集の中の二、三冊と忍者の解説本と漫画の「のらくろ二等兵」くらいだけだったな。多分、高二·高三時は学校図書館で借りてない。乱歩全集の二、三冊はろくに読んでないし。ただ忍者の解説本は、エンターテイメントの忍者ではなくて、戦国時代の実際の忍者について実在した上忍の名前と共に、階級社会や道具や鍛錬などあれこれ解説していて面白い本だった。

 僕が高校生時代読んだ本、特に文庫本は当時の流行作家のものばかりだったから、多分当時通ってた高校の図書館にはあの時代先端の流行作家のものは置いてなかったんじゃないかなぁ。文庫本くらい昼飯抜けば買えたし、途中からもう昼飯抜いて帰宅して4時頃味噌汁ぶっかけ飯を食うのに身体が慣れたんだろうな。

 松本清張が「高校殺人事件」を執筆したのは59年末頃から61年の初春くらいまでで、初単行本化は光文社の新書判、カッパノベルスで61年の12月。

 当時の高校生の少年が主人公で、1960年当時の高校生や大人の生活が背景に描かれてるけど、2019年から考えて今から60年近く前に書かれた小説といっても、読んでてそこまで違和感はない。まぁ、昭和の風景感はあるけど。僕は四歳五歳の時代だけど、僕は昭和を知ってるもんな。パソコンもネットも携帯電話もスマホもSNS もない時代の現代を描いてると、今の若者が読めば、やはり大昔感があるのかもな。僕が高校生だったのは70年代前半だから、物語中の高校生たちと特に変わりは感じないもんな。ただ物語中には、まだ戦後感が残っていて、太平洋戦争中に海外の戦地に行っていて敗戦後日本に帰って来た大人たちのエピソードとか出て来るけど。

 カッパノベルス版の1961年初版本の定価は230円で売り出されてるけど、ネット画像で見た73年版カッパノベルスの定価は430円だった。僕がこのカッパノベルス版で購入したのが71年だから値段は410円くらいだったのかな?あの時代の僕がよくこんなお金持ってたな。60年代~70年代の雑誌や書籍って毎年だいたい10円づつくらい値上がりして行ってたもんな。

 この僕の拙ブログ、「Ken の漫画読み日記。」は、僕の読んだことある漫画作品のコトゴト、仮に読んだことなくても知っている漫画作品のコトをイロイロ書いて行ってるブログなんですが、松本清張の小説作品のコトを書き込むにあたって、基本「漫画読み日記」だから、もし松本清張作品にコミカライズされた作品があれば、建前にそれを挙げて、主要内容は小説「高校殺人事件」の話を書いて行こうとしたんですが、調べても、松本清張の小説で漫画化された作品はありませんでした。だから、まぁ、カテゴリを小説(ミステリ)にして記事アップすることにしましたが。

 僕は高二の春にクラスメートの MT 君から、五木寛之と松本清張の短編集の文庫本二冊を二回くらい借りて読んで、後は商店街の本屋で買って、五木寛之も松本清張も主に文庫本で次々と読んで行きました。松本清張作品は高校生時代にけっこう多数読んだのですが、当時面白かった作品を順位付けでいうと、1位「影の地帯」2位「蒼い描点」3位「ゼロの焦点」4位「黒い樹海」といったところですかね。

 「高校殺人事件」はTVドラマ化されてるそうで、1977年にNHKで、ドラマタイトル「赤い月」で、夕方6時台の20分ワクで全20回で放送されたようです。無論、僕はドラマ版を見たこともないし知りませんでした。小説で読むとそこまで長く感じなかったけど、20分を20回というのは随分長い時間掛けてドラマを描いたんですね。当時の「少年ドラマシリーズ」という番組ワクの中での放送で、このシリーズは当時、夕方に毎週3、4回(日)放送していたようですね。

 

高校殺人事件 (光文社文庫) 文庫 松本 清張  (著)

影の地帯 (新潮文庫) 文庫 松本 清張  (著)

蒼い描点 (新潮文庫) 文庫 松本 清張  (著)

黒い樹海 (講談社文庫) 文庫 松本 清張  (著)

高校殺人事件 (光文社文庫)Kindle版 松本 清張  (著)

ゼロの焦点(2枚組) [DVD] 広末涼子 (出演), 中谷美紀 (出演), 犬童一心 (監督)  形式: DVD

砂の器 デジタルリマスター版 [DVD] 丹波哲郎 (出演), 加藤剛 (出演), 野村芳太郎 (監督)  形式: DVD

黄色い風土 (講談社文庫) Kindle版 松本清張  (著)


 「高校殺人事件」が初出連載されたのが、1959年から61年までの学研発行の「高校コース」。昔は学習·学年誌という教育系児童雑誌は、小学館の「小学一年生」から「小学六年生」まであり、学研発行の「一年の学習」「一年の科学」から「六年の学習」「六年の科学」まであった。また中学生以上向けの教育系雑誌になると、学研からは「中一コース」から「中三コース」が出ていて、旺文社からは「中一時代」から「中三時代」が出ていた。

 高校生向けには旺文社から「高一時代」から「蛍雪時代」、学研からは「高一コース」から「大学受験·高三コース」が刊行されていた。

 子供の頃の僕は、小学館の学年誌はタマに買うことはあっても、中学生からの「時代」や「コース」は、中学·高校とも一冊も買ったことはない。僕が小学生や中学一年生頃、親戚の家に泊まり掛けで遊びに行ったとき、親戚の家の僕より三つ四つ歳上の従兄弟の「時代」だったか「コース」だったかがあって、パラパラ捲って見たのは記憶している。

 僕の小学生時代は、学研の「学習」「科学」は小学校の中で予約販売していて、僕は「学習」の方はタマに購読することはあった。購読ってあの頃の馬鹿ガキの僕は活字はほとんど読まず、一本だけの何ページかの漫画と綺麗な図版(写真)を見てただけだったな。

 小学校時代の「学習」「科学」の購読って、発売日に小学校に雑誌が来てたけど、支払いってどうしてたんだろうな?どういう支払い方法してたのか全く記憶してないな。

 松本清張作品は、高校生時代にけっこう読んで行ったし、特に短編集はいっぱい読んでると思う。長編も読んで行ったけど、「波の塔」と「けものみち」が当時、読み上げるのは最後まで読んだけど、小説があんまり面白いと思わず、その辺から松本清張は読まなくなったのかな。松本清張をいっぱい読んでたのは高二までで、高三になってそんなに読んでないと思う。高三は野坂昭如·遠藤周作·柴田翔·庄司薫·北杜夫·柴田錬三郎とかかなぁ。五木寛之は高二までは短編集をいっぱい読んでて、高三は五木寛之の長編小説を読んでたな。

 あ、高三時は吉行淳之介の長編小説も何作か読んだな。エッチな内容で驚いたが文章表現がとても綺麗だった。こういう“文学”もあるんだなぁ、って思ったな。松本清張は高校卒業して大人になってからは、読んだのは「Dの複合」と「湖底の光芒」の二冊だけだな。

 「Dの複合」は浦島太郎伝説になぞらえた現代の謎解きの面白さが光る長編推理小説で、当時楽しく読み上げたと思うが、「湖底の光芒」の方は下請け中小企業の経営の苦悩を描いていて、謎解き部分があんまりなくて、当時は僕は小説がそんなに面白いと思わなかったと覚えている。まぁ「Dの複合」も「湖底の光芒」もあらすじも内容はほとんど忘れてしまってますけど。

 

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「キングコング」「ミスター巨人」-伊東章夫-

 

 東宝怪獣映画の「キングコング対ゴジラ」の初上映が1962年、同じく「キングコングの逆襲」の初上映が1967年、連続テレビ·アニメ「キングコング」の放送が67年4月から10月。幼少時、僕がモノクロ·テレビで見たアメリカ映画の「キングコング」は、1933年制作のアメリカ実写映画です。日本で67年に放送されたアニメ版は、東映動画も参加した日米合作。伊東章夫さん作画の「キングコング」は、このアニメ版のコミカライズで、当時の講談社の月刊誌「ぼくら」に連載されました。

 アニメ版「キングコング」は昭和30年代40年代のアメリカ輸入アニメがみんなそうだったように、連続放送の一回の内、二本のお話があって、真ん中に別のギャグものアニメが挟まれていた。あの時代のアメリカ·アニメはみんな10分もない短編動画で、「キングコング」も30分放送の内、一回目のコングが約10分、次に「親指トム」というギャグ·アニメが約10分、そして二回目のコングが約10分という放送でした。CM やオープニング·エンディングがあるから一本正味7、8分かな。

 67年はこのアニメ放送「キングコング」に夏場の東宝実写特撮「キングコングの逆襲」、週刊少年マガジン連載の一峰大二版「キングコング」、月刊誌「ぼくら」の伊東章夫版「キングコング」と、キングコングの年でしたね。週刊少年マガジンの「キングコング」は原作を梶原一騎氏が担当し、一峰大二さんが劇画タッチで描いた、いわば劇画版「キングコング」でした。アニメ版やそのコミカライズの伊東章夫版は、見るからに児童向けにデフォルメされた漫画·アニメ絵柄でユーモア仕上げでしたが、一峰大二版の「キングコング」は梶原一騎が脚本書いてるだけに、ユーモアを廃したシリアスタッチだった。

 僕は小学二年から中学二年くらいまで、毎月、月刊児童雑誌「ぼくら」を購読していたので、伊東章夫さん作画の「キングコング」もリアルタイムで全編読んでます。伊東章夫さんの見るからに当時の少年漫画の絵柄で描かれた「キングコング」も毎月楽しく読んでましたが、漫画の内容までは記憶していません。

 伊東章夫さんの絵柄は、まだ劇画が少年漫画に浸透して来る前の、手塚治虫ストーリー漫画に由来する、デフォルメされた丸っこい、可愛い優しい絵柄でしたね。伊東章夫さんの作品はユーモア味も存分に入ってるけど、ストーリー漫画が多かったですね。少年マガジン連載の「モン吉くん」とかギャグ漫画もありましたけどね。

 伊東章夫さん作画版「キングコング」の月刊誌「ぼくら」連載は67年5月号から12月号までの間ですね。たいてい「ぼくら」のB5判か 変形B5判 の大型別冊付録で掲載されてました。 ひと月の一回一話でお話が終わる連載形式で、内容は子供向けに、勧善懲悪のシンプルなストーリーだったように思います。

    

 「ミスター巨人-ジャイアンツ-」は当時の秋田書店の月刊少年誌「冒険王」の、1962年後半頃から63年~64年に掛けて連載されて人気を博した少年野球漫画です。小さく可愛らしい牛若太郎という少年が、プロ野球·球団の巨人軍に入団して、長嶋選手·王選手と共にクリンナップを打って、プロ野球で活躍するという、まぁ痛快少年野球漫画かな。

 当時は「冒険王」巻頭付近のカラーページから続いて、B6判別冊付録で連載されていた、誌の看板漫画扱いの人気作品でした。

 見た目小学五、六年生かせいぜい中一くらいの子供が、プロ野球の世界に入って活躍するとか、あり得ない突飛なストーリーでしたが、50年代後半から60年代の児童漫画では、この、大人の世界に入って子供の主人公が活躍するお話は、普通にありました。50年代後半から60年代前半のストーリー漫画の代表作の一つ、「鉄人28号」の主人公、金田正太郎は半ズボン穿いたモロ子供でありながら拳銃バンバン撃って、警察と一緒に大量殺人も厭わない犯罪組織と戦ってましたしね。

 僕が伊東章夫さんの作品で思い出深く記憶に残ってるのは、64年65年頃の秋田書店の月刊誌「まんが王」に連載されてた「ピンチくん リリーフくん」。もう細かなストーリーなんて覚えてませんが、好きな漫画でした。双子の中学生少年、ピンチくんとリリーフくんが犯罪に巻き込まれて、活発なピンチくんが悪人に捕まるもリリーフくんが助けに回るような、双子の特性を活かして犯罪解決に協力する、少年探偵漫画でした。

 ネットを回って調べると、どーも「ミスター巨人」は冒険王62年9月号から連載が始まって、連載終了がいつかよく解らないのですか63年いっぱいは連載されてたようですね。「ピンチくん リリーフくん」の連載はまんが王65年1月号から5月号となってます。何かぼんやりした記憶に64年12月号のまんが王にも掲載されてたような気がするんだけどなぁ。意外と短期間の連載だったようです。

 伊東章夫さんを調べるとデビュー作は1954年の児童雑誌「漫画少年」掲載の「子熊物語」となってますね。伊東章夫さんは1937年生まれだからこのとき17歳くらいかな。ここから「漫画少年」誌上での発表が続いてますね。57年58年から59年くらいまで当時の貸本の単行本で多数作品を出してます。59年から児童雑誌で作品を描き初め、この年、初期の代表作の一つ「モン吉くん」を週刊少年マガジンで連載する。

 59年から60年代前半の伊東章夫先生は、当時の売れっ子漫画家の一人と言っていいと思います。この時代の月刊·週刊の少年誌や少女誌·学年誌のそれぞれに、ストーリー漫画·ギャグ漫画の連載や読み切り短編を発表し続けています。冒険王連載の「ミスター巨人」もこの時代の代表作の一つですね。ギャグ漫画の作風は、等身大の小学生たちを面白おかしく描いた生活ゆかい漫画が多いかな。

 伊東章夫先生の60年代の代表作は、何といっても、この時代にテレビ放送のアニメで大人気だった「狼少年ケン」のコミカライズかな。月刊誌「ぼくら」の64年6月号から65年9月号まで、だいたいアニメの放送期間中連載が続きました。

 伊東章夫さんの絵柄は50年代~60年代児童漫画のデフォルメされた丸っこい可愛い絵柄だったから、少年漫画雑誌が週刊誌の時代になり劇画が台頭して来ると、68年頃からは少年誌で見なくなったかな。少年誌では月刊ぼくらの「キングコング」が最後頃の作品になるかな。

 60年代後半に入ると、伊東章夫先生の作品は小学館の学年誌でよく見るようになりますね。講談社の幼年向けのウルトラセブンのコミカライズ本とか。

 70年代に入ってからは、学習漫画シリーズのような書き下ろし単行本が多くなりましたね。伊東章夫先生のデフォルメされた丸っこい可愛い絵柄は、少年少女向けの漫画で解説された、科学や歴史の子供向け教養書の漫画絵にピッタリだったようですね。学者や専門家が著者で、原作脚本の担当に着いて、伊東章夫氏が漫画を作画したシリーズと、学者や専門家が監修に着いて、ほとんどの作画を伊東章夫氏がこなしたシリーズとありますね。伊東章夫氏の学習漫画シリーズは、科学分野や日本の歴史を細かく解説した分野や、古代の様々な恐竜に関して細かく解説したシリーズなど多岐に渡っています。

     

 伊東章夫氏の「ミスター巨人-ジャイアンツ-」は1963年頃の作品ですが、この時代、一時は少年雑誌の王者だった光文社の月刊誌「少年」の末期、67年頃にもう一つ「ミスター·ジャイアンツ」という作品が連載されます。こちらの作者はギャグ漫画家の森田拳次氏。

 こちらの「ミスター·ジャイアンツ」の主人公、ミスター·ジャイアンツは物語中、プロ野球·巨人軍の選手で他の実在する長嶋選手や王選手らと共にプロ野球の試合で活躍するんですが、実際に、この時代の読売巨人軍のマスコット·キャラクターでもあります。

 森田拳次さんは本来ギャグ漫画専門の売れっ子漫画家ですが、この「ミスター·ジャイアンツ」という作品はコテコテのギャグ漫画ではなく、野球少年たちとミスター·ジャイアンツや実在する巨人軍選手たちとの交流を描くような、ほのぼのしたゆかい漫画ですね。ちょっとイメージ的には作風は同じく「少年」に連載されてた、わちさんぺい氏の「ナガシマくん」に近いような。

 元·巨人軍スタープレイヤーであり巨人軍のレジェンド監督だった、今でも身分は終身名誉監督ですが、長嶋茂男さんは、読売ジャイアンツ現役選手時代に“ミスター·ジャイアンツ”と呼ばれてました。今でも長嶋茂男さんを“ミスター”の愛称で呼ぶ人は多いですね。長嶋さんはいつ頃から“ミスター·ジャイアンツ”と呼ばれるようになったんだろうな?児童漫画の世界では「ミスター巨人-ジャイアンツ-」は牛若太郎だし、モリケンの漫画では“ミスター·ジャイアンツ”ってキャラクターが居るし。

 

 

まんが 冒険恐竜館〈5〉大絶滅をこえて 大型本 伊東 章夫 (著), 真鍋 真 (監修)

◆狼少年ケン-マンガショップシリーズ単行本 伊東章夫·著

◆講談社テレビコミックス·ウルトラセブン(上)KC デラックス 伊東章夫 他·著

◆まんが冒険恐竜館(1)恐竜の世界へ 大型本 伊東章夫·著

◆まんがとカメラで歩く奥の細道(1)伊東章夫·著

◆学研まんが人物日本史 北条時宗-元寇のあらし 伊東章夫·著

◆学研まんが人物日本史 武田信玄と上杉謙信-川中島の戦い 伊東章夫·著

◆恐竜まんが·ファイトくん(1)よわむし恐竜の巻 伊東章夫·著

◆恐竜まんが·ファイトくん(2)冒険の旅への巻 伊東章夫·著

◆まんが冒険恐竜館(3)鳥になった恐竜 伊東章夫·著

◆講談社テレビコミックス·ウルトラセブン(下)KC デラックス 伊東章夫 他·著

原始・大和・奈良時代 (まんが日本史年表) 単行本 うめだ ふじお 伊東 章夫 立木 じゅん

先祖をたずねて億万年 (科学まんがシリーズ)単行本  伊東 章夫 (イラスト)

いきなり長嶋茂雄―名作マンガで読むミスターの怪演! 単行本 長嶋マンガを発掘する会 (編集)

 1933年アメリカ制作の映画「キングコング」を僕がモノクロテレビで見たのって、僕が4歳5歳6歳のときだろう。「キングコング」は当時何度もテレビで放映された。終盤、コングがニューヨークのエンパイアステートビルに登ってアメリカ空軍の戦闘機に攻撃されて、最後はビルから落下して死んじゃうヤツ。今調べたらエンパイアステートビルって本体381メートルもあるんだな。1931年によくそんな高いビル作れたな。「キングコング」の制作年が33年だからコングはできて直ぐに登ったことになる。まぁ映画だけど。

 日本の東宝特撮映画「キングコング対ゴジラ」を見たのは僕が小一の夏休み。六歳ですね。円谷特撮映画·ゴジラシリーズの三作目。キングコングが正義サイドでゴジラが悪役でした。夏休みということもあって僕はこの映画を7回見てる。当時住んでた家の斜め前が邦画ロードショーの映画館で三回か四回見に行って二度くらいは映画館に残って同じもの二回見てる。それで「キングコング対ゴジラ」は7回見た。

 当時の邦画の新作封切りはほとんど二本立てで、調べると塀映がザ·ピーナッツ主演の「私と私」っていう映画になってるけど、この同時上映の映画、全く覚えてない。一回映画館に入って「キングコング対ゴジラ」二度見てるということはこの「私と私」も見てる筈なんだけどまるで記憶にない。まぁ僕も六歳だし興味のない映画だからただぼんやり見てただけだろうけど。ザ·ピーナッツ主演だから若者向けの青春映画か何かだったんだろうし。六歳じゃなぁ…。

♪ ウッホウホウホ ウッホッホ~ 大きな山をひと跨ぎ キングコングがやって来る 怖くなんかないんだよ キングコングは友達さ 火山も津波も恐竜も キングコングにゃ敵わない 戦えキングコング ぼくらの王者

♪ 頭を雲の上に出し キングコングがやって来る 逃げなくって良いんだよ キングコングは友達さ 嵐も地震も怪獣も キングコングにゃ敵わない 負けるなキングコング 世界の王者

 67年当時テレビ放送されてたアニメ「キングコング」の主題歌は、今でもYouTube とかで聴けるけど、僕はずっと覚えてたから、当時は多分僕は毎週「キングコング」の放送を見てたんだろうな。でも僕にはそこまで好きなアニメ番組でもなかったと思う。この時代の僕のご執心テレビ番組はやっぱり「ウルトラマン」~「ウルトラセブン」だろう。ただ「キングコング」の主題歌は今でも好きだから当時も好きでよく口ずさんでいたんだと思う。

 「キングコング」の主題歌の作詞·作曲は小林亜星さんなんだな。

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