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●漫画・・ 「みどりの魔王」..(2)

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 SFロボット冒険漫画「みどりの魔王」は、小学館の学年誌「小学4年生」~「小学5年生」に連載されました。もう今からはおっそろしく古い漫画で、1965年から66年の雑誌連載です。後のコミックス化はなかったようで、1993年に一度復刻がされているようですね。作者はこの時代の活劇児童漫画の超売れっ子、横山光輝先生です。横山先生の代表作、「鉄人28号」が光文社の漫画雑誌「少年」に大人気連載中の時代でした。この時代の児童漫画はSFロボット漫画ブームで、先生の代表作の一つ、「鉄人28号」は雑誌「少年」に10年間も看板漫画として連載が続いており、当時のロボット漫画ブームを引き起こし、牽引する、時代の名作漫画作品でした。「鉄人28号」は、その後の巨人型ロボット漫画の開祖的存在であり、横山先生は、「鉄人28号」の他にも巨人型ロボット活劇の漫画をいくつも描いています。巨人型ロボットSF探偵漫画は、バラエティー性に富む多才な漫画家、横山光輝先生の最も得意とした分野の漫画でした。

 この時代の少年漫画誌の看板漫画には、どの雑誌にも巻頭カラーページに、SFロボット漫画が掲載されていました。月刊誌は、今のぺーパークラフトのような厚紙製組み立てモデル付録等とたくさんの別冊付録が着いていましたが、子供に人気のある看板漫画は、本誌の巻頭カラーページから別冊付録に続くスタイルになっていました。一大ブームになっていたSFロボット漫画は、「鉄人28号」や「みどりの魔王」のような、主人公の正義の少年が操縦器や直接の声掛け命令で遠隔操作する、巨人型ロボットもの、「鉄腕アトム」に代表されるヒューマノイド型と言いますか、自分で考え喋って行動する少年型ロボットものがありまして、桑田次郎先生の「8-エイトマン」などは成人男子型ヒューマノイドですね。集英社の雑誌「少年ブック」に横山先生が連載していた「サンダーボーイ」などは、少年型ですが、人間そのものほどの自立思考行動型ではなく、主人の声掛け命令で言う通りに動くヒューマノイド型ですね。50年代末から60年代前半の少年雑誌の王者、光文社の「少年」には、看板漫画に「鉄人28号」「鉄腕アトム」という、ロボット漫画の2タイプの代表作が両方連載されていたんですね。この時代には後にロボットものの主流となる、乗り込み式の巨人型ロボットものはまだ見なかったようですね。乗り込み式タイプは、やはり永井豪氏の「マジンガーZ」が最初でしょうか。「マジンガーZ」は乗り込み飛行ポッドが、パイルダーオン(頭部組み込み)する訳ですが。

 「みどりの魔王」も鉄人型ロボットが主人公の少年の言う通りに動いて、悪人たちを退治して活躍するSFロボット活劇漫画でしたが、掲載が学年誌だったためか、「鉄人28号」ほどの広い人気は得なかったようですね。でも、当時の「小学4年生」「小学5年生」では巻頭カラーページを飾り、本誌中間部のモノクロページへ続く形で連載漫画としては大増ページ掲載をされて子供人気を得ていたようです。

 という訳で「みどりの魔王」編の(2)を終わります。それでまだまだ続きます。「みどりの魔王」..(3)へと続く。

 

◆漫画・・ 「みどりの魔王」..(1)-2009-10/30
◆漫画・・ 「みどりの魔王」..(2)-2009-10/31
◆漫画・・ 「みどりの魔王」..(3)-2009-11/01
◆漫画・・ 「みどりの魔王」..(4)-2009-11/01
◆漫画・・ 「みどりの魔王」..(5)-2010-02/26
◆漫画・・ 「みどりの魔王」..(6)-2010-05/13
◆漫画・・ 「みどりの魔王」..(7)-2011-01/10
◆漫画・・ 「みどりの魔王」..(8)-2011-10/22
◆漫画・・ 「みどりの魔王」..(9)-2011-12/20 

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●漫画・・ 「みどりの魔王」..(1)

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 大手の出版社、小学館が歴史ある学年誌、「小学5年生」と「小学6年生」を平成21年度末で休刊すると発表した。10月26日のことだ。小学館の学年別学習雑誌「小学5年生」「小学6年生」は創刊が、小学館創業の年1922年であり、何と87年という偉大な歴史があるんだそうだ。87年!小学館の学年別学習誌とは小学館の歴史そのものなのだ。1922年というと大正生まれのウチの親父が生まれたのが1921年で、漫画史に残る偉大な漫画家、水木しげる先生が生まれたのが1922年その年になる。出版に於ける雑誌の“休刊”とは、ほとんどが事実上の“廃刊”である。日本の雑誌出版制度上の事情があり、出版社が“廃刊”を決定した雑誌でも一応“休刊”としておくのだ。小学5年生・6年生が一番売れたピークというのが1973年の4月号で、5年生が63万7千部、6年生が43万部出たんだそうだ。最近はその十分の一、5~6万部程度しか売れてないらしい。それでも、少子化でパソコン・TVゲームの現代に5、6万部も読まれているのか。

 最近は本屋さんに行っても店頭に小学館の学年誌が目に付きません。店頭のブックスタンドに刺してある雑誌に、ディズニーの絵本や幼年誌に混ざって、「小学1年生」だけは見ます。部数が2冊程度で非常に少ないように思えるけど。正直、僕は小学館の学年誌は、21世紀に入ってここ最近で、「小学1年生」以外は、「小学2年生」から「6年生」まで事実上の廃刊になったんだろう、くらいに思っていました。近所の本屋さん何軒かに行っても、「小学1年生」以外は目にしなかったからです。このニュースで、逆に、失礼にも「あ、まだあったんだ!」と驚いたくらいでした。

 僕は子供の頃、小学館の学年学習誌にはあまりなじまなかったんですが、つまりこの類を購読することはあまりというか、ほとんどくらいになかったんですが、記憶に残る印象深い漫画作品もいくつかあることはあります。

 横山光輝先生の「みどりの魔王」は、その数少ない記憶に残る思い出のある漫画作品の内の、一つです。

 という訳で、「みどりの魔王」..(1)を終わりまして、(2)に続きます。待たれよ、ワシの「みどりの魔王」の感想エッセイ文、の続き。まあ、僕の思い出ばかりでたいして内容はありませんが‥。

◆漫画・・ 「みどりの魔王」..(1)-2009-10/30
◆漫画・・ 「みどりの魔王」..(2)-2009-10/31
◆漫画・・ 「みどりの魔王」..(3)-2009-11/01
◆漫画・・ 「みどりの魔王」..(4)-2009-11/01
◆漫画・・ 「みどりの魔王」..(5)-2010-02/26
◆漫画・・ 「みどりの魔王」..(6)-2010-05/13
◆漫画・・ 「みどりの魔王」..(7)-2011-01/10
◆漫画・・ 「みどりの魔王」..(8)-2011-10/22
◆漫画・・ 「みどりの魔王」..(9)-2011-12/20

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●音楽・・ 「あの素晴らしい愛をもう一度」

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 10月16日の訃報を受け、本当に驚いた。まさか加藤和彦さんが首を吊って自殺をするなんて。もう、信じられない、の一言だけしかなかった。最近というか、ここ3、4年の音楽活動の断片をTVで見ても、いつもニコニコしていて、スマートで知的で皮肉屋の紳士で、歳を喰ってもカッコイイ姿だけだった。何よりもバンドの仲間と楽しそうに音楽をやっている。“自殺”なんて言葉とはおよそ無縁のスタイリッシュな爺さんに見える。爺さんは失礼な年齢か。カッコイイばかりの初老の紳士。一人の友人ミュ-ジシャンかのコメントで、「これくらい自殺とは似合わない男もいない」という言葉があったが、正にそのイメージで、それは、取り巻きの親しい友人らにしてみてもそうだったのだろう。62歳、加藤和彦さんの自殺に寄る死は、僕自身が子供の頃から最近まで、その音楽に親しんで来ただけに、ショックなものだった。

 やっぱり最初に、僕たちのその幼いアタマにドカンと鮮烈に衝撃を与えたのは、全く新しいコミックソング、「帰って来たヨッパライ」だった。僕は小学生で、学校でみんなと毎日口ずさんでいた。その次のフォークルのヒット曲はガラリと変わり、しっとりと訴えて来る、小さな胸が初めてキュンとなりそうでもあった、実際そういう気分にさせられてたのかも知れない、「悲しくてやりきれない」。心優しいバラードで、まだ幼いながら僕はこの歌が大好きだった。「イムジン河」の曲の話は聞いたような気がする。でもよく解らなかったのか、気にも留めなかったのだろう。発売禁止になった「イムジン河」の曲の逆回転メロディーから、「悲しくてやりきれない」が出来たというのは後年知ったエピソードだ。フォークルは、TVで「悲しくてやりきれない」を何度か歌うのを聴いた後、すぐ解散する。その後確か、ズートルビーというグループを作るんじゃなかったかなあ(?)。メンバーが変わってズートルビーで何か一曲。違ったかなあ。調度当時、世界を席巻する大人気のビートルズのパロディーネームで。「水虫の歌」は、ズートルビー名義で歌っていた記憶があるのだが‥。「笑点」の座布団運びでおなじみになる山田隆夫が昔在籍したコミック系アイドルグループ、“ずうとるび”とは別の。“ずうとるび”は“ズートルビー”の何年か後結成の、全然別口のグループですね。

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 70年代半ばになって知る曲、小説家の五木寛之作詞の「青年は荒野をめざす」も、フォークル時代の曲なんですね。僕はねえ、16、17歳の頃、五木寛之にメチャ心酔してたんですよ。勿論、「青年は荒野をめざす」も、他の好短編群と共に17歳の頃読んだ。後に、こんな歌があったなんて知って驚いて聴きました。それから今回知ったのは、「悲しくてやりきれない」の作詞はフォークルのオリジナルメンバー、北山修だろうと思っていたんですが、サトウハチロー作詞だったんですね。北山修さんが現在、九大の大学教授だというのも今回知りました。

 ちなみに、フォーククルセダーズのデビュー曲にしてそれまでの日本歌謡界空前の大ヒット、「帰って来たヨッパライ」ですが、超特大ヒットを受けて劇場版映画化されたんですが、興行は全くダメで、上映館は毎日閑古鳥が鳴く状態で、何処の上映館もわずか1週間で上映を取り止めてしまった、というような客の入らぬ様のひどい不人気だった、という話を昔聞いたか読んだかしました。1968年の映画ですが、僕が見たのは70年代後半です。見たと言っても、都内ローカルの小さなホールで10日間か2週間だけ、ATG映画の特集上映会を開いていて、興行と言うよりも自主上映会的な小さなイベントの中の、ATG系映画何十本かの内の1本で、僕は、しかも、仕事が終わってから会場に急いで向かい、開映時間に大幅に遅れて上映ホールに入ったので、最後の方を20分くらい見ただけでした。

 68年の映画、「帰って来たヨッパライ」はおよそコミックソングの歌の、タイトルや歌詞のイメージとは遠く掛け離れた、政治思想色が強いような難しい映画で、多分、僕は、僕の小六か中一頃の時代に家の斜め前にあった邦画ロードショー専門館で上映され、その看板は目にしている筈だとは思うんですけど、映画そのものは見ていなく、またまさか内容がこんなにも深刻そうな難しい映画とは、アタマの悪い子供だった当時の僕は夢にも思わず、きっと爆笑の青春喜劇なんだろうな、くらいにイメージしていたのだと思いますが。確か舞台は朝鮮半島の国境線みたいなトコロで、戒厳令下みたいな機関車内で、軍服にライフルを構えた軍人が何人も出ていたシーンがあったよーな微かな記憶があります。だいいち、監督が大島渚だし、調べてみると、脚本が佐々木守や足立正夫になっている。3人とも当時の左翼系の知識人じゃないですか。左翼知識人と決め付けられないけれど、思想的には反体制派の人たちですよね。足立正夫さんはもう、もろ当時の左翼でしょう。足立さんとか、行動派の、過激派に近い立ち位置みたいな、新左翼に属するんじゃないのか的な人ですよねえ。こういうメンバーのスタッフなら、そら政治思想色の強い難しい映画になるし、娯楽目的で見に来る客は入らんわなあ。大島渚がこういうふうな映画にしたのは、フォークルが「イムジン河」を歌って、レコードが発売禁止になったからかなあ(?)。確かに映画エンディングの、タイトルロールBGMは「帰って来たヨッパライ」でしたね。

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 アタマの悪い中高生で居た僕は、「イムジン河」と当時の韓国の反体制詩人“金芝河”を混同していて、フォークルの出した「イムジン河」のレコードが発売禁止になったのは、金芝河が原曲の作詞をした歌だからと思い込んでいた。そうしたら後年知るのだが、全然関係なかった。「イムジン河」は元々、朝鮮の曲で、フォークルが歌ってたのは、原曲に加藤和彦や北山修の仲間内の作詞家、松山猛が日本語詩を着けたもの。あの時代、反体制的左翼知識人というのはヒーローでスターでカッコ良かったから、当時のアタマの悪い少年~青年だった僕も、若手の左翼系思想の文化人に憧れた。大江健三郎とか小田実、小中陽太郎とかね。当時愛読していた流行作家の五木寛之や野坂昭如も、エッセイとか評論の随所に垣間見れるのは何となく、反体制的反権力的左翼的思想らしいようなものだったし。まァ、僕がズッポリ、左翼思想にのめり込むことなぞはなかったけどね。実際の本当は、ずうっと政治的にはノンポリでした。情けない。

 

 そうして迫り来るフォーク大ブームの中、あの名曲が生まれ、ヒットする。僕は中三か高一かの頃ですね。「あの素晴らしい愛をもう一度」は素晴らしい曲でした。あの曲のヒットの後を受けるかのように、吉田拓郎や泉谷しげるたちフォークソングのシンガーソングライターたちがうじゃうじゃと現れて来て、若者たちのヒーローとなる。その才能の原石たちを新進気鋭のフォークソングのスターシンガーとして世に出す、裏方プロデューサーとして力を発揮したキーパーソンが加藤和彦だった。今はパナソニック住宅なんだろうが、当時のナショナル住宅のCMテーマソングの「家をつくるなら」が流れていたのも、70年代初めくらいですよね。音楽のパイオニア、加藤和彦さんは、あの時代のフォークソングミュージックの、優しく和やかな新しいメロディーをたくさん、紡ぎ出していましたね。

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 次に加藤和彦さんの曲を聴いたときは驚きでした。メチャメチャ、ロックです。ビートが効いて強くて早い、シャウト気味の力強い女性ボーカル。僕は神奈川県川崎市の郊外の喫茶店あたりでよく聴いていて、あんまりノリノリのロックの良い曲なんでアルバムで買ったら、他の曲はバラエティーに富んでいて僕にはちょっと難解で、ヒット曲のロックだけ何度も何度も聴いていた。世代を越え何度も歌われ継ぐ名曲、「タイムマシンにお願い」です。衝撃的な、日本で誕生した本格的ロック。加藤和彦さんは自分も重要なポジションで加担、開拓して行った、日本のフォークソングミュージックを卒業して、また新たな日本ポピュラー音楽の未分野の開拓に乗り出したのです。この、ヒット曲「タイムマシンにお願い」を含む、サディスティックミカバンドのファーストアルバム「黒船」は、バラエティーにいろいろな種類の曲が入っていて、加藤和彦の新たな、日本ポピュラー音楽の実験場でもあったんじゃないか、という気がする。このサディステックミカバンドは当時、後の日本の音楽界を代表するようなミュージシャンとなる、錚々たるメンバーで形成されていたんですねえ。

 加藤和彦さんは1977年に、これも日本ポピュラー音楽史に名を残した、昭和後半の超売れっ子作詞家、安井かずみさんと再婚します。ここから作曲・加藤和彦、作詞・安井かずみの黄金コンビで、日本歌謡史に残る、フォーク・ロック・Jポップの先駆けの名曲を量産して行きます。それらには、第一線の有名歌手たちが歌い上げたヒット曲もたくさんあります。僕がこの時代で一番好きな曲は、女優・岡崎友紀さんがYuki・Okazaki名義で歌い上げた、フォークロック調の軽快な曲、「ドゥユリメンバーミー‐Do You Remember Me」です。吉田拓郎の最初のヒット曲「結婚しようよ」や、泉谷しげるのデビューヒット「春夏秋冬」のプロデュースが、加藤和彦さんだとは今回初めて知りましたが、70年代後半に泉谷しげるが衝撃的な、良く出来たギンギンのアルバムを一枚出すんですけど、これに含まれる巻頭曲「翼なき野郎ども」などやフォークロックのバッチリ良い曲がいっぱい入っているんですけど、このアルバム「80のバラッド」の総プロデューサーが加藤和彦ですね。加藤和彦さんは、日本歌謡史の、新たな土地の開拓のパイオニアであり、また音楽においては文句なく天才ですね。Jポップの重要なパイオニア。僕の大好きな「Do You Remember Me」や「悲しくてやりきれない」などの名曲は、何世代にも渡りいろいろな歌手に歌われ続けていますね。

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 2006年、サディスティックミカバンドは加藤和彦により、新たなボーカルに木村カエラを迎え、突然復活します。新生サディスティックミカバンドは、その中心に目立つ、若手実力派美形ボーカルの木村カエラちゃんの名前から、サディスティックミカエラバンドとも呼ばれてました。それはキリンビールのTVのCM映像から始まりました。キリンラガービールのCMでの屋外ライブ場面。木村カエラちゃんボーカルで演奏するロック、「タイムマシンにお願い」は抜群の出来でした。加藤和彦も、サディスティックミカバンドはイロイロな女性ボーカルがやったがカエラが一番良い!と言ってました。カエラちゃんのはっきりした張りのある声量。加藤和彦はボーカルを、日本語をはっきりと歌わないと認めないそうです。バックミュージシャンに錚々たる実力派メンバーを揃えた新生サディスティックミカバンドのアルバム、「ナルキッソス」もヒットしました。映像で見る、このバンドで、ギターを操る初老の加藤和彦の姿もカッコ良かったですね。解散後の08年だったか、NHKスペシャル番組で加藤和彦らミュージシャンたちが、ボーカルに尾崎亜美さんを迎え、尾崎亜美のピアノ弾き語りを入れての、サディスティックアミバンドの演奏も良かったです。何しろ尾崎亜美さんの夫はバンドオリジナルメンバーのギタリスト(ベース)、小原礼さんですもんね。僕はデビュー時代頃の木村カエラちゃんは知らなかったけど、セカンドシングルの「Happiness!!!」の曲に魅了され、可愛いカエラちゃんのすっかりファンになったんですが、メジャーになるに連れそれ程興味もなくなって行ってたけど、このサディスティックミカバンドのボーカル姿で再度魅了されてました。その後まァ、醒めたけど。ミカエラバンド後、まあまあ気に入った曲は、「スノードーム」くらいかな。

 加藤和彦さん、どうして自殺なんてしちゃったんだろうなあ。まだ62歳。「もう自分には音楽でやることは何も残っていない」と言っていたのか、遺書に書かれていたのか、ということで自分の人生の重要なライフワークである、音楽で行き詰っていたと言うし。また遺書には、「これまでに自分は数多くの音楽作品を残してきた。だが、今の世の中には本当に音楽が必要なのだろうか。『死にたい』というより『生きていたくない』。消えたい」という旨が書かれていたと報道にあった。このところはうつ病に罹患した状態で、うつ病で通院していたそうであるが、何とか出来なかったのか?と思われるが、僕ら凡人は、もう日本の音楽の世界ではそれ相応の功績は充分残したのだから、もう隠居して後の老齢の自分の時間は、お金もあることだし、内縁でも連れ合いの良い人も居るようだし、音楽を離れて悠々自適に、寝たいだけ寝て美味しいものを食べて映画をたくさん見たりしてあちこちの温泉にでも旅して、何でもいいから好きなことしてゆったりのんびりとお迎えが来るまで過ごして行けばいいのに、と考えちゃうんだけど。お金はいっぱい持ってるんだし。数々の名曲の印税も入って来るんだし。「企業戦士」という言葉を生んだ、団塊世代を含む戦後すぐの世代の厳しい価値観、というものを考えさせられるなあ。盟友・北山修氏の言葉、「彼の中には2人の加藤和彦がいました。1人はいつもニコニコ笑ってステージに立っている加藤。もう1人は作品作りにかける厳しい加藤。この2人のバランスが彼の天才を作っていた。いつもみんなにいろいろと相談していたが、今回だけはだれにも相談せずに1人で逝ってしまった」という感想が表わす通り、日本のポピュラー音楽の天才、加藤和彦は本当は、自分の人生にとても厳しい人だったんだろう。死ななくてもよかったのに勿体ない、くらいに凡人の自分は考えるが。この死は、何か「人はパンのみにあらず」みたいな、すごい真面目さを感じるなあ。御冥福をお祈りします。天国でジョン・レノンとセッションをやって欲しいですけど、音楽はとりあえず置いて、美しい天界で悠々自適にのんびりゆっくり楽しく過ごしてください。最後に拓郎の言葉。「『日本の若者のポップシーン』を作ったさきがけとなったのは、フォーク・クルセダーズであり、加藤和彦に間違いない。ギターが本当にうまい。指が長いので、俺たちが不可能な指が届いているから、やわらかく弾く。天才肌のセンスとテクニックをもった男・加藤和彦、永遠なれ」。

 

※(09-12/11記)○500人で追悼唱!加藤和彦さんに届け

 

 10月に長野県軽井沢で自殺した音楽家・加藤和彦さん(享年62)のお別れの会となる「KKミーティング」が10日、都内で行われ、精神科医で「ザ・フォーク・クルセダーズ」の盟友・きたやまおさむ(63)、吉田拓郎(63)ら500人が集結した。発起人のきたやまは、加藤さんと来春に「ザ・フォーク-」の再結成を約束していたことを初告白。会の最後には全員で加藤さんの代表曲「あの素晴しい愛をもう一度」を大合唱した。

  ◇  ◇

 ♪あの素晴しい愛をもう一度-。拓郎、市川猿之助(70)、松任谷由実(55)ら、ジャンルを超えて集まった仲間たちが、料理と美酒、そして音楽で加藤さんに最後の別れを告げた。

 生前の加藤さんは、自殺の翌日に届くよう近しい人に“遺書”を送っていた。きたやまは「文書の始めは『ごめんね。約束を破ってごめんね』でした」としんみり。生前の加藤さんと2つの約束をしていたことを語り始めた。1つは、大学教授の職を辞するきたやまの退職を記念して来春、「ザ・フォーク・クルセダーズ」を再結成すること。そして、もう1つは「絶対に死なないこと」だったという。

 「あいつが死んで2、3週間は泣いて過ごしましたが、だんだん腹が立ってきた。あいつは、文書の最後に『追悼式やしのぶ会はやるな』とまで書いてたんです。それをぶち壊してやりたいと思い、今回の会を開きました」ときたやま。愛情を込めて、天国に皮肉をぶつけた。

 会場には、グルメだった加藤さんが常連だった飲食店が屋台として出店。加藤さんの好きだったワインが振る舞われた。きたやまは「騒いでいたら、あいつが慌てて帰ってくるんじゃないかと思って」。会場の中央では、写真の中の加藤さんがギターを抱えたままほほ笑み続けていた。

 加藤和彦さんが亡くなっても、「あの素晴らしい愛をもう一度」他の名曲は残り続ける。訃報の後の週刊誌記事で、加藤和彦さんは、生前、若い時分から数えて、福井ミカ、安井かずみ、中丸三千絵という三人の女性と結婚して、死別も含め、いずれも離縁している訳であるが、とにかく女房に尽くし続けた男ということで、どれも夫婦関係は加藤さんの隷属だったと書いてあった。自分の本質は真面目でストイックな性格でありながら、どのケースも、強い女房たちに対してひたすら尽くし続ける隷属的夫婦関係。多分、結婚生活も恋愛も含めて、自分の好きな女性に対して非常に優しい、優し過ぎる人だったんだろうな。音楽という自分の仕事には厳しく、多分、自分自身にも厳しい人だったのだろう。反面、そのあり余る才能から音楽を、自由自在に楽しみもして来たんだろうけど。自身には、ミスターストイックな一面を持ちつつ友達や知人に優しく、スマートでスタイリッシュでカッコイイばかりの人だった。スーパーカッコイイ爺さんになって来てたのに。たくさんの人たちに愛されてて勿体ないけど、加藤和彦さんというキャラクターは間違いなく、60年代後半からの長い時代の一面を作った人たちの、重要な一人だったろう。

 

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●TVドラマ・・ 「探偵物語」

 深夜のTVで昔の「探偵物語」をやっているが、以前、NHKのインタビュートーク番組でリリー・フランキーが、この「探偵物語」を絶賛していたので見ている。リリーさんは少年時代、このドラマの松田優作に憧れ影響されていたらしい。

 昭和色満載の変形刑事ドラマ。昭和の時代にはこのドラマみたいに、あえて警察刑事ではなくフリーランスの探偵屋を主役に持って来た事件刑事ドラマがけっこう多かった。平成に入ってからか最近は、こういう趣向のドラマは見ない。刑事ドラマは全て、主人公はガチガチの警察人だ。みんな官権警察機構の組織に所属する刑事だ。フリーの一匹狼的探偵屋なりを主人公に持って来たドラマが一編もない。つまり主人公がアウトサイダー的なモノが全くなく、主役はみんな体制に属してるんだよね。推理ドラマの2時間サスペンスだって主役はほとんどが弁護士とか検事とか体制的においプンプンのガッチリしっかりきちんとしたスクェアな職業だし。昔のドラマの“探偵”なんていかにもアウトサイダーだよね。悪いことしてなくても、フリーター的な、社会の底辺の胡散臭い雰囲気たっぷりの職業。まァしかしだからこそハードボイルドのカッコ良さがあったんだけど。


 オープニングのタイトルバックに“原案・小鷹信光”とあった。この人確か英語圏ハードボイルドの翻訳やってた人じゃなかったか・・(?)と思って調べたら、やっぱりそうだった。日本のハードボイルド探偵小説界では有名な人らしい。僕も若い頃一時、“ハードボイルド”に憧れてハヤカワミステリのそーいう趣向の、何冊も読んでた。どっちかというと翻訳モノは苦手でジキやめちゃったけど。


 連続TVドラマ「探偵物語」はとても面白いドラマです。コミカルに仕上げた刑事アクションドラマ。松田優作扮する主人公の探偵は、ちっとも強くなくて間抜けな面もあるユーモラスで楽観的な都会の底辺に生きるそれなりにスマートな都会人で、実は精神的タフガイなアウトサイダーだ。そしてそーいうのがだからこそカッコ良い。逆説的にカッコ悪さがカッコ良いんだよね。
このドラマのオリジナル放送は1979年から80年だそうだが僕はオンタイムでは見てない。この時代僕はテレビを持ってなかったからだ。

 このドラマ見てると、ハードボイルド劇画の名作、「事件屋稼業」と物語全般的雰囲気が非常によく似ている。

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●音楽・・ 「Fallin' For You」

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 今年春頃、運転する車のカーラジオで流れる音楽で、久々に僕が、「おっ、良い曲!」と思って、走る車内でメモ紙とボールペンを探して素早く書き留めた、DJの語るタイトルと歌手名、「フォーリンフォーユー、コルビーキャリー」。最近は、とんと僕が、「うわっ、良い曲だ!」と感じる曲に出会わない。若い頃は、大好きだった洋楽も、日本のフォーク・ロック、歌謡曲にもめまぐるしく、いつもいつもという感じで「良い曲」に出会っていた。だから昔は、ドーナツ盤やLP盤のレコードを、いつもいっぱい買っていた。此の頃は自分が良い曲に出会う感動が少ないなあ。これは多分、昔と比べて、現代現在は「良い曲」がガクンッと減少したということでは、決してなくて、ひとえに僕自身の衰えだろう。加齢に寄る聴力の衰え。聞こえてるけど、片方の耳の耳鳴りは鳴りっ放し、さっぱり良くならないし。最初は耳鼻科に行ったし、飲み薬も塗り込み薬も試したけどねえ。聴力もだいぶ落ちているように思われる。老いは僕に取ってのハードロック類を騒音にしつつある。最近、ギンギラギンのロックはやかましい、と感じるばかりになって来たもんねえ。嫌あねえ、オールドに歳喰うのは。

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 で、この春に初めて聞いて本当に久々感動したGood!な曲、「フォーリンフォーユー、コルビーキャリー」は、Follin’ For Youというタイトルで、日本語での呼び名も、コルビー・キャレイになる、Colbie Caillatというアメリカの若い女性アーチストで、彼女の歌う、ビートの効いた明るくポップなラブソングであり 、そしてその後、初夏頃のフジ系列で放送していた女子の世界バレーで、全日本選抜の女子選手のプロフィルを紹介するときに、BGMで流していた、ゴキゲンな曲だった。この時点で、YouTubeでは聴けたが、日本でのCDリリースはまだだった。リリースになったのは8月後半くらいだったっけか。この初夏からここのところまでのTVの、軽め明るめ前向きのドキュメンタリー番組で、テーマ女性を紹介するときのバックに流すことが多い曲だね。良い曲だねえ、“Follin’ For You”。僕が、今のところ一番、大好きな曲です。

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 コルビー・キャレイ(Colbie Caillat)さんは85年生まれのアメリカのシンガーソングライターで、お父さんは音楽プロデューサーという家で、幼少よりピアノを習い、19歳でギターを弾き始め、曲作りも始める。インターネットに自作の曲を載せ続け、Bubblyという曲がネットで評判になりプロの道へ。07年に“Bubbly”は大ヒットしたんだそうな。07年に出したデビューアルバムはビルボード最高5位までにランクされ、08年までに120万枚以上を売り上げたんだとか。僕が今一番お気に入りの「フォーリンフォーユー」が入っているのは、今年8月後半くらいに出たセカンドアルバムの“Break Through”の中の1曲です。本国ではシングル発売されているようですが、日本ではシングルCDは出てないのかな。アメリカの音楽販売事情もどうなんだろう?現代は、世界音楽市場はネット配信が主体なんでしょうからねえ。日本でもネットでアルバムから単品買い出来るし。コルビー・キャレイさんは、女ジャック・ジョンソンと呼ばれているらしいが、ジャック・ジョンソンて誰だ?現在の僕はホント、洋楽に疎いからねえ。昔は、というか、大好きで慣れ親しんだ70年代から80年代(正確には60年代末から80年代後半頃)には、例えばウエストコーストサウンドだとか何とかかんとか、色々と、欧米のロック・ポピュラーには好きだから、それなりに詳しかったものだ。今の洋楽についてはさっぱりというくらい解らない、知らない。

 音楽続きの話で、テレ朝系の深夜番組「タモリクラブ」で、9月9日に全世界同時発売となった、ビートルズのリマスターCDの特集をやっていた。途中から見たんだけど、ビートルズの各曲の、旧盤とリマスター盤との聴き比べをやっていて、TVから聞いていても確かに音が違った。リマスター盤の曲は明らかに、旧盤に比べて音というか音楽そのものが相対的に澄んでいると思った。すごいよね、日本では、ビートルズの全アルバムのリマスター盤、全16商品が9日の発売から2週間内で200万枚以上の受注になったんだとか。初めから、予約だけでもう百万枚とかいってたからね。1970年に解散したビートルズが、それからもう約40年経つというのに、ビートルズファンというのは本当にすごいの一語だなあ。ビートルズの実質的活動期間て、賞味7年間だけらしい。プロデビューしてからということだろうけど。リンゴ・スターが加入する前のクォリーメンとかいうアマ・バンドの時代を入れるともっとになるんだろうけど。NHKのTV放送でも、リマスター盤発売を記念して、9月の6日と12日に「よみがえるビートルズ」とか何とかいうタイトルで特集番組を放映していた。元々本国イギリスで制作した番組だったけど。

 僕がビートルズの曲を初めて聴いたのは小三か小四のとき。当時高校生になったばかりくらいの兄貴がビートルズのアルバムを友達から借りて来ていて、兄貴がそれを毎日聴いているのを傍で何となく聞いていた。多分、日本でビートルズのレコードが発売になったばかりくらいの頃だろう。日本でのビートルズ人気が出始めた頃か。日本でのビートルズ旋風というのはいきなり舞い上がったのかな?時代は火が着いた頃だろう。あの頃、兄貴の傍で聞いていたり、兄貴が居ないときに、ただ興味本位ばかりでこっそり一人で聞いたりしたが、印象的に記憶に残ったのは「プリーズプリーズミー」だけだったような気がする。「シーラブズユー」もかな?あのとき聞いた初期のアルバムに「シーラブズユー」が入っていたろうか?当時小三か小四くらいのアタマの悪いガキには、まだとてもビートルズは解らなかった。

 中学生になって、僕はTVで放映したビートルズの映画、「ビートルズがやって来るヤァヤァヤァ」と「Help!四人はアイドル」を見た。モノクロTVで見た。中三になっていたと思うけど、僕がお金が無くて映画館に行けないのを、クラスの仲の良い友達が映画のチケット代を出してくれて、その友達と二人でユナイト映画「Let It Be」を見た。中二の後半から中三くらいの僕はビートルズキチガイみたいになっていたが、僕の家庭は小学生時代に比べるとガクンと貧乏になっていて、なかなかおいそれとビートルズのレコードが買えなかった。その親切な友達からビートルズのレコードを貸してもらってポータブルプレイヤーで聴いていた。ビートルズの曲群は一つ一つ聴く度に、僕は心奪われて行く状態だった。中三時代の僕は、もうビートルズの曲群の虜のようになっていた。

 まあ、いいか。大昔の話は。現在25歳になるアメリカのポップフォークロックのシンガーソングライターねえちゃん、コルビー・キャレイの歌、「フォーリンフォーユー」が僕が最近、本当に久々に感動したGood!な歌だったってコト。

 ああ、それからちょっと前の話になるんだけど、YouTubeでボブ・ディランの曲の本人の動画を捜し聴きして、ずうーっと行ってたら、僕の好きなディランの曲で、70年代末のディランの名アルバム「血の轍」の中の1曲で、「Tangled Up In Blue」というフォークの名曲を、KT Tunstallという女性シンガーが歌っていて、カバーアレンジのフォークロックがとても良く仕上がっていて感動した。ケーティー・タンストール。弾き語りの歌い方もカッコ良かった。

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