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●小説&漫画・・ 「冷たい密室と博士たち」

 僕が始めて森博嗣さんの小説を読んだのは、90年代半ば頃だ。森博嗣さんの小説デビュー作、「すべてがFになる」。調べてみると「すべてがFになる」の単行本、初版発行が96年の4月だから、僕が当時の書店で買い求めて読み始めたのも、だいたいその頃だろう。単行本というか、新書版の講談社ノベルズだ。初めて知る作家の本をどうして買ったかというと、多分、その本の著者紹介で、作家の森博嗣さんが当時、本職は国立大学工学部の助教授だったからだ。“理系ミステリ!”、この言葉に惹かれた。生まれついてのアンポンタンで脳味噌の出来の悪い僕は、この言葉にひどく弱いのだ。元来SFに憧れてた僕は、ミステリ小説大好きなのだが、特に僕の“理系コンプレックス”から、「理系」という言葉にメチャクチャ憧れててモノ凄く弱い。かつては大阪府立大学工学部出身の、東野圭吾さんのミステリ小説とか。ベストセラー作家・東野圭吾さんの小説にも、理系出身らしいトリックが使われている作品がけっこうありますね。85年デビュー作「放課後」から何作か続けて、僕が東野圭吾作品を読んだのは、東野圭吾さんが理系出身だった、ということが大きかったように思います。まあ、デビュー作「放課後」が、抜群に面白かったからですけどね。「放課後」初出単行本は、腰巻オビの推薦文を遠藤周作が書いてた。懐かしい。東野圭吾さんの大人気シリーズの主人公、湯川学を僕が大ファンで、「ガリレオシリーズ」が大好きなのは、探偵役の湯川学が理系の大学教授で、天才学者だという設定からでしょう。これもウスラバカな僕の、理系コンプレックスに寄るものですね。まあ、「探偵ガリレオ」シリーズはどれも、作品自体メチャ面白いですけどね。

 96年に初めて森博嗣さんの小説を読んで、「すべてがFになる」の作品世界に魅せられた僕は、「すべてがFになる」以降、続けて刊行される森博嗣さんの本を、本屋で新刊を見つける度に即買い求めてました。96年内発刊の「冷たい密室と博士たち」「笑わない数学者」、97年発刊の「詩的私的ジャック」「封印再度」「幻惑の死と使途」、その後が98年発刊の「数奇にして模型」「有限と微小のパン」。実は森博嗣さんの講談社ノベルズ版小説は、98年刊行作品に「夏のレプリカ」と「今はもうない」という本が出てるんですが、もともと遅読の僕が、当時はやはり毎日の仕事は忙しいし、マイカー通勤の片道は早くて1時間、ヘタすれば1時間越えてしまうような通勤時間が掛かってたし、土日に出勤することも多かったし、当時は余暇の付き合いもけっこうあったし、96年から読み続けてた森博嗣作品も、「幻惑の死と使途」で行き詰ってしまってた。まあ、当時は僕も他に、例えば落合信彦の国際政治レポート本だの、精神科医・香山リカの心理学エッセイ本とか、好んで何点も読んでたし、まあ、当時は毎日のように本屋に寄ってたから、何か目に付いた真新しい本は他にも買ってたんですね。だから、そういう評論・エッセイ本に寄り道していたのもあったと思うし、ついに森博嗣さんの執筆即リリースのスピードに、読む方の僕が追い着いて行けなくなった。で、ようやく「幻惑の死と使途」読み終えたら、もう二巻飛ばして三巻目の、というか9作目の「数奇にして模型」が出ていて、「夏のレプリカ」と「今はもうない」も気になったけど、新刊の「数奇にして模型」を買って読み始めて、二冊は飛ばして、結局その後もこの二巻は読んでない。という訳です。

 96年からこっち、年間三作の単行本をリリースするという、小説家・森博嗣先生は、この当時、本業の国立大理系工学部助教授職を全うしながら、恐るべき執筆スピードだと思います。メチャクチャ早い、創作・執筆力の超スピード。それがみんな、小説作品として面白いんですからねえ。正に、質と量の驚くべき能力。理系大学助教授・博士という頭脳にプラスする、プロ小説家で売れて行く文系才能。もう、才能的にはこの上なし、言うコトなし、ですね。素晴らしいアタマ。90年代後半、森博嗣さんのS&Mシリーズに熱中してた頃から、僕は作者の、そのプロフィルに凄く興味があったんですけど、キャラクターはオタク的に多趣味ですね。漫画同人誌で自分でオリジナル漫画描いてたり、鉄道模型に凝ってたり、オーディオなんかの趣味もあるようだし。とにかく、イロイロな趣味がオタク的に深い。頭脳明晰で面白いキャラクター。

 森博嗣さんは文壇プライベートで、京極夏彦さんと仲が良いようなんですが、そういえば僕が京極夏彦の「百鬼夜行シリーズ」の初期の作品を読んでたのも調度、S&Mシリーズに嵌まってた頃だったなあ、と思って調べてみました。僕が読んだ京極夏彦さんの小説作品は、初期の「姑獲鳥の夏」「魍魎の匣」「鉄鼠の檻」の3冊だけなんですね。「姑獲鳥の夏」の講談社ノベルス初版発行が1994年、「魍魎の匣」のリリースが95年、「鉄鼠の檻」が96年の発刊だから、僕が森博嗣作品を読み始める前に、京極夏彦作品を読んでいたことになりますね。まあ、ドーデモイイっちゃドーデモイイ話ですけど。ただ、超分厚い講談社ノベルス、「鉄鼠の檻」は途中で挫折して、ちゃんと最後まで読み上げたのは何と、本を買ってから15年後の2011年か2012年のコトです。ココのタイトルは森博嗣さんの話なんだから、これもドーデモイイっちゃドーデモイイことなんだけど。90年代僕の読書遍歴は、京極夏彦から森博嗣へと行ってたんですね。その後が船戸与一か。

 大人気作家、森博嗣さんの作品で、僕が読んだのは初期作品となる「S&Mシリーズ」だけなんだけど、僕の読んだ8作の中で僕が特に面白かった作品は、「封印再度」と「数奇にして模型」ですね。シリーズの重要な登場人物、女性天才科学者、真賀田 四季博士が登場する、デビュー作「すべてがFになる」と、S&Mシリーズの一応最終作になる「有限と微小のパン」は、それ程は印象に残ってないかな。90年代後半に読んだ作品群なので、もう内容は詳細は忘れてる作品が多いのも事実ですけど。「冷たい密室と博士たち」は、何となく内容のアウトラインはボヤッと憶えてたけど、「詩的私的ジャック」や「幻惑の死と使途」はもう内容はすっかり忘れてますね。ただ、「幻惑の死と使途」はマジック界か奇術そのものがベースだったよーな、とかボンヤリ記憶にありますが。僕は滅多に一度読んだ本を再読しないのですが、「封印再度」は確か面白かったよな、と2年くらい前に再読しました。ぼんやりアウトラインは憶えてたんですけど、読み返して見ると、ああ、成程こんなお話だったんだな、と細かな部分を思い出し思い出しして、十何年ぶりで、面白く楽しく読んだものでした。

 小説家・森博嗣さんのS&Mシリーズ、「すべてがFになる」と「冷たい密室と博士たち」は2007年にコミカライズ作品が出てます。両方とも作画は、浅田寅ヲさんという漫画家さんです。この方、ペンネームが浅田寅ヲという名前ですが、女流漫画家さんですね。女性。確かに絵柄・タッチは線が細くて、少女漫画・レディースコミックのタッチですね。青年コミックの劇画・漫画の絵柄に慣れきっている僕からすると、僕のようなド素人がこんな言い方は失礼極まりないんですが、はっきり言って漫画がヘタに見えますね。タッチはイラスト的なタッチですが、ちょっと、人物の体格のデッサンが少し狂ってるように思われるし、そういう手法で描いてるんでしょうが、やたら人物のアップと引きを繰り返し過ぎるし、無駄に凝って、いろんなアングルから捉えて人物を描いている。映画的手法なのかも知れないけど、一人の人物をセリフごとに、そんなにやたら、いろんな角度から描かなくってもいいだろ、とか思ってしまう(映画的手法というか、シンガーやバンドのプロモーションビデオ・ミュージックビデオ・ビデオクリップの撮影手法みたいな)。背景描写は簡素に思えるし。大きな背景描写も、簡素な線で簡単に描いてる、って感じで。しっかり描きこんだコマも幾つか、あることはあるんだけどね。こういう言い方は本当に悪いんだけど、僕にはヘタな漫画に見えたなあ。スクリーントーン多用で誤魔化してる感。ゴメンナサイ。まあ、少女漫画やレディースコミックの描画では、だいたい、あんまり背景は描き込まないけどね。青年コミックみたいに、リアルに細かくビチッと、背景描きこまないよね。だいたい女流の描く線は細いし、少年漫画や青年コミックに比べると、少女漫画やレディースコミックの背景は、簡素化して描かれてるのがほとんどだと思えるけど。僕はこのS&Mシリーズのコミカライズ作品は、2007年に「冷たい密室と博士たち」だけ買って来て読んでます。僕が青年コミックの構図やタッチに慣れきってるからかも知れないけど、この漫画の描き方は、物語の進行が少し解り辛かったヨーナ。無論、原作の小説で読んだ方が面白いな。と僕は思った。

 漫画家・浅田寅ヲさんは、96年デビューなんですね。コミック界で現在まで活躍中の、どちらかと言うと寡作の作家さんではあるようですが、もうキャリアのある漫画家さんですね。上記の文で、僕は、「すべてがFになる」と「冷たい密室と博士たち」のコミカライズが2007年と記述しましたが、これは僕の間違いで、文庫化が2007年ですね。コミックスでの初出は「すべてがFになる」が2001年、「冷たい密室と博士たち」の方が2002年の発刊ですね。

 

 森博嗣先生の傑作理系ミステリ、小説S&Mシリーズは、2014年10月21日からフジテレビで全10回で放送されました。お話は、S&Mシリーズ原作から五話で、各話が毎週放送2回完結で続いて行きます。「冷たい密室と博士たち」「封印再度」「すべてがFになる」「数奇にして模型」「有限と微小のパン」の原作小説をベースに、若干アレンジした脚本で、TV連続ミステリドラマとして毎週放送ですね。だいたいお話の内容は原作に忠実ですが、原作からはしょった部分や多少アレンジした部分など、ピッタシ原作どおりではないですが、物語のコアの事件部分はほとんど原作と同じですね。主人公の犀川創平准教授(原作では助教授)は俳優の綾野剛さん、もう一人の主人公、西之園萌絵ちゃんは若手女優の武井咲さんが扮してます。

 僕は森博嗣さんの傑作ミステリ小説、S&Mシリーズに熱中して読んでたとき、主人公の一人、国立N大学工学部建築学科の女子学生、西之園萌絵ちゃんというキャラクターに、まるで恋してるみたいに夢中になってました。僕は小説を読むとき、主人公や重要な登場人物に感情移入して読み耽って行くことが多いのですが、例えば、2005年頃読んだ、逢坂剛さんの「牙を剥く都会」に出て来るヒロインの女性なんて、勝手にフジテレビ女子アナの島田彩夏さんをイメージしちゃって、何だか惚れたような気分で読んでました。S&Mシリーズの西之園萌絵ちゃんもそうですね。特にタレントや女優など誰か有名人をイメージしてた訳ではありませんが、TV放映が始まったとき、西之園萌絵は武井咲ではないなあ、と思いました。まあ、武井咲さんも悪い訳ではないですが、小説を読んでイメージするヒロイン、西之園萌絵ちゃんではなかったですねえ。超売れっ子女優、武井咲さんも可愛くて良いですけどね。でも、何か西之園萌絵のイメージではない。身長や体格からキャラクターまで、およそ全てで。

 僕は、物語冒頭で西之園萌絵がコミケにコスプレ姿で出て来るのは、第5作目の「封印再度」だとばかり思い込んでたのですが、二年くらい前に「封印再度」を読み返して、この物語ではなかったんだと気付きました。TV放映の第7回、12月2日放送分を見て解りました。「数奇にして模型」の冒頭部分で、しかもコミケではなくて、モデラーズフェスティバルという模型交換会の会場なんですね。しかも、TVドラマでは萌絵ちゃんはコスプレをイヤイヤさせられてるんですが、原作小説では確か、本人が意識的に、自分からコスプレを着て、しかも楽しんでたと思う。何ヶ月か前、「数奇にして模型」読み返そうかなあ、とか何となく思ってたんですが、TVドラマを見て、事件の内容とか真犯人や動機まで、物語の概要が解ってしまったので、再読するのはあんまり面白みがないですね。再読気分は失せちゃいました。「数奇にして模型」は謎解きミステリというよりもどっちかと言うと、サイコサスペンス的ですね。サイコスリラーぽい雰囲気。物語内容をすっかり忘れきってる「詩的私的ジャック」を読み返してみようかなあ。ちなみに全く未読なんですが、森博嗣先生が2004年から書き始めた「Gシリーズ」に西之園萌絵ちゃん、登場してるんですね。「Gシリーズ」は2013年まで9作が上梓されている。

 TVドラマ版「数奇にして模型」前編で初めて、シリーズの主人公、犀川創平助教授の母親違いの妹、儀同世津子が登場しますが、原作小説では「封印再度」の中で既に登場してますね。

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