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●漫画・・ 「スーパージェッター」..(2)

 SF漫画作品「スーパージェッター」は久松文雄氏作画で、小学館の週刊少年サンデー65年第1号より連載が開始され、66年第2号まで大人気連載されました。他にも、この時代のサンデー別冊誌や集英社の月刊少年ブックなどに読みきり短編作品が掲載されたようです。TVアニメはまだまだ国産長編アニメ黎明期と言っていい時代で、モノクロ放映で、65年1月7日から66年1月20日までTBS系列で全52話が放送されました。だから、漫画連載とアニメ放送は一緒に、ほぼ同時期にされてますね。この作品はTVアニメ放映先行企画作品ですね。

 あの時代の子供たちに人気沸騰、当時のSFスーパーヒーロー大好きな子供たちに、新しいSFアイテム、タイムトラベルやタイムマシンというものを教えて、子供たちのアタマに“時間”という概念を刷り込んだ、タイムトラベルヒーローSFアニメ、「スーパージェッター」の漫画版は当時の週刊少年サンデーに連載されていました。一般的には漫画人気よりもやはりTV放映のアニメの方がメイン人気でしたね。それまでの「鉄人28号」「鉄腕アトム」「エイトマン」といった、スーパーロボットが現代の都市で悪を退治するドラマではなく、「未来と過去」という“時間”の概念が主要テーマとしてある、当時の子供たちには新鮮なSFドラマでした。勿論、漫画の神様、天才手塚治虫の描く「鉄腕アトム」の舞台は未来社会だし、「アトム」の数多くのエピソードの中にはタイムマシンものもありましたが、特別、主要テーマという程のものでもない。30世紀の未来から、未来の犯罪者を追い駆けて20世紀の現代へやって来た「スーパージェッター」は、30世紀文明の科学武器等を駆使して、未来から逃亡した犯罪者を追跡しつつ20世紀の悪人たちを懲らしめる。ジェッターの言うことを何でも聞く、流星号には憧れましたねえ。欲しかったなあ。流星号はジェッターの腕時計型の“無線機?”で操縦するのかな。操縦って口で言って呼ぶんだけど。流星号はタイムマシンであり、マッハ15で飛ぶロボットカーでもありますね。反重力ベルトでゆるくだけど空中を飛んで移動出来る。またあの腕時計はこれも“時間の概念”になるけど、タイムストッパーといって30秒間だけ時間を止められる。ンな馬鹿な!?ってスーパー道具ばかりを使うジェッター少年だけど、今から考えると30世紀という、現代から900年も先の未来の科学力としてはちっとチャチかな、という気が大人になった今、しない訳ではない。だって20世紀の初めから考えて21世紀に入って10年経った現在の文明はどうよ?という感じでしょ。今から900年先の文明の科学なんて想像も着かないよ。特に武器らしい武器としてジェッター少年が持っていた銃、あれはパラライザーと呼ぶ麻痺銃だった。効果的には、現代のスタンガンとあんまり変わりはないし。まあ、果たして、900年先に人類が生存しているかどうかも疑問だろうしね。

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 久松文雄氏描くSF漫画作品「スーパージェッター」の復刻単行本はマンガショップさんより、雑誌掲載全作品と新作描き下ろし作品を含めて全3巻にまとめて収録されて、2007年4月に発刊されております。そこの商品紹介ページに「スーパージェッター」作品のあらすじや解説文が端的にまとめられて掲載されていますので、抜粋転載しましょう。 マンガショップさんも販売商品の宣伝になるし、許してくれるでしょう。

『30世紀のタイム・パトロールであるジェッターは、犯罪者ジャガーを追跡中、事故を起こし20世紀にタイムスリップしてしまう。タイムマシン“流星号”の時間航行機能の故障で30世紀に戻れなくなったジェッターは、国際科学捜査局の西郷長官の要請を受け、犯罪捜査に協力し20世紀の平和を守ることを決意した。一方、ジャガーもタイムマシンの故障で20世紀に降り立ち、20世紀の悪人と接触していた……。

1965年より放映された「スーパージェッター」は原作 久松文雄、製作 TCJ(後のエイケン)のSFアニメ作品である。主人公・ジェッターの愛機として多機能を誇るタイムマシン・流星号、流星号との通信機を兼ね、30秒だけ時間を止めることのできる腕時計・タイムストッパーなど魅力的な秘密道具が視聴者の心をワシ掴みにした。タイムストッパーは腕時計に特殊機能を持たせる設定の元祖であり、ジェッターと同じ頃にアニメ化されていた「鉄腕アトム」や「エイトマン」と同様、後世のSF作品に大きな影響を与えた作品の一つといえよう。今回の復刻は、アニメ放映と時を同じくして久松文雄が各雑誌に連載した漫画版の他、ファン待望の新作書き下ろし『深き闇より来たりしもの』『黄金のタンポポ』の二編を収録。40年ぶりに復活したジェッターを満喫してもらいたい!! 』 ・・・マンガショップ

 久松文雄氏は50年代末から60年代に活躍された人気漫画家で、主にSF漫画作品が多かったですね。忍者漫画などの時代劇ヒーローものも中にはありましたが、あの時代では、ロボットやスーパーヒーロー系のSFジャンルでは、横山光輝、手塚治虫、桑田次郎らに次ぐ、人気漫画家さんでした。同じジャンルには他にも一峰大二なども居て人気がありましたけど、まだ少年誌の世界で劇画が出て来て幅を利かせる前の時代の人気漫画作家でした。久松文雄さんはSFものでも、TVや映画の特撮系やアニメのコミカライズ(漫画化)の作品が多かった人ですね。忍者漫画ではアニメ作品であり、月刊誌「ぼくら」に連載された「少年忍者・風のフジ丸」があります。後はこの時代の少年誌各誌にいろいろなSFヒーロー漫画をいっぱい描いています。中には65年頃だと思いますが、アメリカ輸入変り種西部劇「0088ワイルドワイルドウエスト」の漫画化作品を当時の月刊冒険王に描いていますね。漫画は記憶してます。僕は、このTVでの輸入ドラマの方は見たことないんですけど、この作品は後にハリウッド映画化されていて、黒人の人気俳優ウィル・スミスが主演して99年に映画「ワイルドワイルドウエスト」として公開されてますね。久松文雄さんは60年代後半も末頃になると、少年誌も劇画全盛時代に入って来て、こういう言い方はとても失礼になるんですけど、絵柄やストーリー的に着いて行けなくなり時代に淘汰された感じで、70年代以降は久松氏の漫画を見掛けなくなりましたねえ。久松氏のあの、もろに昭和のストーリー漫画という絵柄は、久松文雄さんはそのデビュー初期に手塚治虫先生のアシスタントもやっていたそうですね。僕は子供の頃、久松文雄先生のその絵柄も含めて漫画作品が大好きで、どれも毎月毎週の雑誌で読めるのを楽しみにしていたものです。

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◆漫画・・ 「スーパージェッター」..(1)(2010-11/15)
◆漫画・・ 「スーパージェッター」..(2)(2010-11/20)

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●映画&小説・・ 「ゼロの焦点」..(1)

 僕が小説「ゼロの焦点」を読んだのは16歳の冬です。6歳の頃から漫画に夢中になっていた僕は少年期、漫画浸けの日々でした。とにかく子供の日々、漫画本はよく読んでました。また、アニメでなく、本の漫画が大好きでほとんど熱中していました。中学生の頃、活字の本、子供向けの小説ですね、これは「シャーロック・ホームズ」ものは長編・短編ほとんど読みましたが、義務教育時代の僕の読書体験なんて、ほとんどそれだけです。もう少しだけ、少年少女向けの推理小説本を読んでるかも知れませんが、とにかく子供時代は活字の本は読まなかったですねえ。小学生時代は学業成績著しく悪く、いわゆる劣等生で、勉強に繋がるよーな「活字だけの本を読む」なんてことは全然しなかったのです。また、活字だけの本を読むのは苦手でした。それでも中学生になって、幼馴染の友達の勧めで「シャーロック・ホームズ」だけは読んだんですけど。ホームズもの推理小説は長短編全作に近いくらい読んではいますけど。まあ、義務教育期間の9年間はそれだけと言ってもいいくらいの読書体験ですねえ。激しく情けないけど。

 で、高校一年生の時に学校の図書館で江戸川乱歩の小説本を借りた覚えがある。けれど、僕は活字を読み進むのがひどく苦手で本を読むのがとても苦労していた。ものすごく遅読だし。だから、確か比較的新しく刊行された江戸川乱歩全集の中の1冊で、表紙の装丁や挿画が横尾忠則さんの全集本ですが、装丁そのものまでやってたかどうか表紙イラストが横尾さんだったかどうか、済みません記憶にないし調べてもいませんが、ぶ厚いB6(A5だったかも?)全集本の間に3枚くらいカラーイラストが挟んだ製本の全集本でしたが、その1冊を借りたはいいが、なかなか読み進めずに苦労していました。小学校の頃から勉強というものをやって来てないし集中力がなく、また小学3年生くらいで急激に落ちた視力は小四の時は0,1ピタリで止まってその後はずーっとそのままで視力そのものも悪くすぐに眼精疲労してしまう目だったし、まあ、小中学校の時代、国語の教科書さえまともに読んで来ていない読書苦手でしたからね、その高一で借りた江戸川乱歩の小説本も、到底まともには読めなかった。でも高一の時代には学校図書館でその全集本を2回くらい借りてるんですよね。無論別の本ですけど。どっちも到底読了出来てない。また他に、まともに全部読んでないけど、リアルに忍者の歴史を解説した本を借りています。こっちは興味を持ってけっこう読んだ。無論、完読はしてません。これは同じ本を2回借りた記憶がある。

 高校二年生になって一人の転校生と仲良くなりました。いつも一緒につるんで居るようになってました。この転向して来た友達が、ある意味不良少年のクセに、読書家だったんですね。ある意味不良とは、高校生のクセに喫煙は勿論のこと、学校帰りに神社で私服に着替えてパチンコをやるは、土日は転向して来た元の学校、元の地元に帰ってそこの仲間とマージャンしたり飲酒したりしているという。それでいて一人で居る時は本ばかり読んでいる。本って小説ですが、話を聞いてると太宰、芥川、漱石などを読んでいて、この当時の流行小説まで広く読んでいる。高校二年生で、大学生の女の娘と付き合ったりもしながらかなりの読書家でもある。家庭が裕福らしくいつでも充分に小遣いを持っている。まあ、だからパチンコもマージャンも出来るし、飲酒やタバコ買う金もあったんでしょうけど。田舎育ちの劣等生だった僕には、この転校生は都会的で洗練されて見えて、とても新鮮だったんですね。僕は学校の中ではこの転向して来た不良ぽい文学少年の友達とつるんでいたけど、下校してからの学校の外では一緒には居ませんでした。というのが、こいつは家が裕福なんでしょう、小遣いをいっぱい持ってたけど、この時代の僕は本当に貧乏で小遣いどころじゃなかった。

 僕は子供の頃から周囲に比べて比較的裕福な家庭に育っていましたが、15歳のとき家が破産して、その前と比べると雲泥の差の生活レベルの大貧乏になってしまっていた。高校に行けたのが奇跡的なくらいの貧乏でした。住んでいた家も中学校のときまでの玄関構えのしっかりした広い裏庭のある比較的大きな、まあ、あの当時じゃ割りと立派な構えの家から、それはもうボロボロのあばら家住居に移り住んで、隙間だらけの家は風通しが良過ぎて秋冬は寒いは、春も早春は寒かったでしょう、雨の日は盛大に雨漏りするは、強風でも吹こうもんならバタンと倒れてしまいそうなボロ家で生活していて、幼馴染やそれまでのかつて知ったる人たちに移り住んだボロボロ住居を見られるのが恥ずかしくて恥ずかしくて、極力、中学の頃までの友達や知人に会うのを避けたし、街で出会おうもんなら逃げ隠れしてました。それは当時の高校のクラスメートたちも同じで、絶対に生活する住居を見られまい、としていました。だからこの、クラスでは仲良くしていた不良の文学少年も、僕の家には絶対に連れて行かなかった。一度僕の家に遊びに来たがったんですが、とにかく阻止しました。「何だ、貧乏だからって、家がオンボロだからって、友達に家を見せるのを嫌がらなくたっていいじゃないか。貧乏はそんなに恥ずかしがることじゃないぞ」とおっしゃる方も多いと思いますが、これが小さな子供の頃から貧乏だったら馴れっこでそうでもないと思いますが、15歳という思春期に比較的良い方の生活レベルからいきなり、どーんっと大貧乏に落ちてしまうというのはこれはキツイですよ。貧乏落ちたての頃は明日食べる米がないといって家にない金目の物を何とか捜して捜してかき集めて、質屋に行ってわずかな現金を作ったりして凌いでたんですから。

 もともとは僕はとてもシャイですがとにかく面白いことをしてみんなにウケたいという自己顕示性も持ち合わせていましたし、小学生の頃は劣等生でも友達は多かった。反面ヒトミシリが強くて内気だけど反面はけっこう明るくて友達付き合いが良かった。そんな僕は思春期に大貧乏に落ちて雨漏りと寒風吹きすさぶあばら家に住んで、内気が増幅し自分に籠もる方の性格ばかりが強く成ってしまった。とにかく自分に籠もるばかりの性格にかなりシフトしてしまったんですね。高校生の頃は学校では友達は居ましたし、みんなイイヤツばかりでしたが、僕は学校外では全く人付き合いしなくなった。休みのアルバイトとかは行ってましたけどね。でも、自分で言うのも何ですが、何処でも心を閉ざしがちになりましたね。だから高二になってすぐに「読書」を覚えたのは、自分に閉じ籠る世界を作る絶好のものでした。自分の籠もるべき世界を見つけて有り難かった。

 この高二の学年始めに転向して来た不良の文学少年M君は仲良くなって間もなく、僕に2冊の文庫本を貸してくれました。はじめ2冊、その次にまた2冊。これで僕は大衆小説の虜になった。正に自分に籠もりきる世界の発見です。4冊の作家はどちらも松本清張と五木寛之。このときM君が貸してくれたのが堅苦しい日本文学なんぞではなかったのが良かったんでしょうね。はじめの2冊は五木寛之の方は短編集で、松本清張は多分「黒い画集」という短編集だったと思います。相変わらず僕は読むのが遅くて何度もM君に「何だ、まだ読み終えないのか!?」と呆れ気味に文句を言われました。僕は、目が悪いのもあるんでしょうけど、小学校のときから活字が苦手で、漫画でもコマの中にかなりスペース割いて説明文が入るのは読み飛ばしてました。出来るだけ活字のない、極力簡単なセリフだけの漫画が好きでした。まあ、生まれながらのアタマの出来が解ろう、というもんですけど。で、苦労しながら読んだぶ厚い松本清張の短編集は面白かった。やっとのことで2冊読んでM君に返して2回目貸してくれた。1冊は松本清張の「点と線」。もう1冊の方はよく覚えてないけど、多分、五木寛之の別の短編集でしょう。それかひょっとしたら松本清張の別の短編集、「張込み」だったかも知れない。「目の壁(眼の壁)」かな?

 読み上げるのは遅いが僕は、松本清張の世界にどっぷり浸かって行きました。清張や五木寛之の小説を読んで、その世界に入り込むとなかなか奥深い。僕は完全に松本清張と五木寛之の世界に魅了されてしまった。M君から小説本を借りたのは最初の数冊までで、後は自分で買って読みました。田舎の公立高校の学校図書館には流行小説本なぞ置いてなかったのです。市立図書館、というのはアタマに浮かばなかった、思い付くことがなかった。え?どうしてそんなに貧乏な家の学生なのに流行小説の本が買えたのかって?それはね、僕は最初、母親が朝作ってくれる弁当を持って学校へ行ってたんだけど、途中から毎朝昼飯代に百円玉1個貰って行くようになったんですよ。あの時代は公立高校の食堂で百円1個あればカレーライスでもうどんでも定食でも食べれた。僕は本代欲しさに毎日昼飯を抜いたんですね。それで学校帰りに、新潮文庫、角川文庫、講談社文庫の小説本を買って読んだ。貯めた百円玉が増えればハードカバー書籍も買って読んだ。松本清張は文庫本で続けてかなり読んで行きましたねえ。五木寛之もカッコ良くて大ファンになった。他には、遠藤周作や野坂昭如が多かった。遠藤周作はあの時代、狐狸庵山人という仮名を冠したエッセイ本がベストセラーで大流行でしたが、僕は遠藤周作は小説本はいっぱい読んだけど、エッセイ本は読んだことないですね。遠藤周作さんは大衆文学の娯楽小説も純文学も書き分ける、とても器用な作家さんだった。娯楽小説も抱腹絶倒系もホラーもあれば、思わず涙する悲哀な感動小説もあった。野坂昭如さんは高三のときには僕は、何だか野坂信者のようになっていましたね。野坂昭如のエッセイ本や評論にはかなり影響された。

 高二の始めに転向して来たM君とも僕が高三になるとクラスも違い、一緒に居ることもなくなった。高三のクラスではまたいっぱい友達が出来、親友も居た。高二の頃はかたくなに殻に籠もったように、学校から出ると友達付き合いはほとんどしなかったけれど、高三の頃は学校が退けての校外でも友達とつるんでることも、けっこうありましたね。M君とは高三になってからはほとんど付き合いはなかったですね。

 ※という訳で、今回のお題タイトルの「ゼロの焦点」にまだ全然触れることなしに、どこが「ゼロの焦点」なんだ!?というくらいに上記の話に「ゼロの焦点」が入って来ない、状態の中で今回の記事は終わりを告げて、終わりを告げるって、要するに次回へ「続く」んですけど、そういう訳で次回へ続く。この記事は、「ゼロの焦点」..(2)へと続きます。待たれよ次回。

◆(2010-11/19)映画&小説・・ 「ゼロの焦点」..(1)
◆(2010-12/16)映画&小説・・ 「ゼロの焦点」..(2)
◆(2012-08/25)映画&小説・・ 「ゼロの焦点」..(3)

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●漫画・・ 「スーパージェッター」..(1)

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 「スーパージェッター」はあの当時、TVアニメで大人気で、僕は町内の子供会の夏休み海水浴バスハイクの時に、勇気を出してジェッターOPのテーマソングを歌った。多分3番まで全部歌詞を覚えてて歌えたと思うんだけど、恥ずかしいから1番だけ歌った。また、途中に「自動操縦スタンバイ!」というセリフが一言入るんだけど、これも恥ずかしいからカットして言わなかった。僕は目立ちたい目立ちたい、という気持ちはあるのだが、それ以上にシャイな子供だった。小学校3年生か4年生の時の子供会の日帰り海水浴だ。町内の子供たちばかりでなく、みんなの親御さんも来ていて、多分僕の親父も来ていた。多分、あの当時、町内子供会の役員か何かをしてたんだろう。子供会の海水浴の思い出というと、往路の貸し切りバス内で、恥ずかしいけど勇気を出してマイクで「スーパージェッター」のテーマソングを歌ったという、しかも1番だけでセリフはカットした、というそれだけだな。勿論、まだカラオケなんてとんでもない、旅行のバスで歌うのはガイドのお姉さんでもアカペラの時代だ。

 「スーパージェッター」は、日本のTV動画放送長編アニメの黎明期の、「鉄腕アトム」「鉄人28号」に続く第3番目くらいの、大人気アニメ放送「エイトマン」の後続放送アニメ番組ですね。1963年1月放送開始の「鉄腕アトム」から数えて、TV放送長編アニメの3番目か4番目の作品が当時のTBSの「エイトマン」で、その放送が終了してすぐ次の後番組が「スーパージェッター」だった。制作スタッフはほとんど「エイトマン」と変わらなかったんじゃないかな。「エイトマン」のストーリー作成には当時バリバリの日本のSF作家陣が関わっていて、「バリバリ」って、みんな若かったが、日本SF界も見ように寄ってはまだ黎明期とも言えるような時代だったし。後の日本SFを代表する錚々たるメンバーといってもいいか。僕は「スーパージェッター」でしか覚えてないけど、TV放送の正式な番組タイトルは「未来から来た少年‐スーパージェッター」だったそうですね。

 「エイトマン」は当時の週間(週刊)少年マガジン、「スーパージェッター」は当時の週間(週刊)少年サンデーに連載されました。幼少時から児童漫画狂だった僕は、当時の貸本漫画も含みますが、漫画熱狂少年だった僕は、当然のように「8マン~エイトマン」も「スーパージェッター」も憧れましたが、成りたいかというと、エイトマンはロボットだったから機械であるロボットに成るのはやはり少々抵抗があり、その点、生身の人間であり万能的なスーパー道具を自在に使うスーパージェッターには、本気で成りたいと憧れたものでした。小三か小四の時代ですが。

 YouTubeでTVアニメ「スーパージェッター」OPの歌を聴きなおしたんですけど、そうでした、思い出した、歌の冒頭、イントロ部分に長いセリフがあるんです。子供会のバスハイクではこれも多分カットして歌ったでしょう。恥ずかしいから。また1番の中セリフは「自動操縦スタンバイ!」じゃなくて「エネルギー全力噴射!」でした。懐かしいね。

 今回のお題タイトル「スーパージェッター」は続きます。「スーパージェッター」..(2)へと続く。

◆漫画・・ 「スーパージェッター」..(1)(2010-11/15)
◆漫画・・ 「スーパージェッター」..(2)(2010-11/20)

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