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「深夜の校内放送」-浜慎二ホラー漫画作品-

 この三年くらい前から、漫画は全部と言っていいほど電子書籍で読んでいる。今は電子書籍のサブスクにも入ってるから、30年·40年以上前の漫画作品はサブスクの無料で読める漫画も多い。サブスク電子書籍でも新しい漫画や比較的新しい漫画、20年くらい前の作品でも、紙の本と変わらない値段の漫画だらけだけどね。

 電子書籍のサブスクでも、人気の高い漫画って大長編~長編漫画が多いけど、1巻~3巻くらいまではサブスク無料だけど、4巻5巻以降は紙の本と変わらない料金を取る、という電子書籍漫画も少なくない。面白いとつい4巻以降を金出して買っちゃうんだよね。

 今のワシは料金払って読む電子書籍漫画もけっこう多いが、月々のサブスク定額代もったいないから無料漫画もいっぱい読んでる。

 そんな中、浜慎二先生のホラー漫画は無料のものが多いんだよね。

 小学生時代、毎日近所の貸本屋に通ってた僕は、貸本漫画のホラー短編オムニバス誌「オール怪談」や「怪談」を愛読してた。「オール怪談」「怪談」の常連作家だった浜慎二さんのホラー短編漫画は、当時貸本漫画の中で人気も高かったと思うが、僕も好きな作家さんだった。「オール怪談」「怪談」に寄稿する常連作家の中では、古賀しんさく(古賀新一)さんと浜慎二さんは特に好きだったな。

 サブスク月定額の中で無料で読める、浜慎二先生のホラー漫画作品を何作か読んだけど、特に印象に残る「深夜の校内放送」のお話の割りと詳しいあらすじと、浜慎二先生のホラー短編集「SF恐怖入門」の中の巻末短編作品「白骨の使者」の割りと詳しいあらすじを書き込みます。先ずは長編ホラー漫画「深夜の校内放送」のあらすじから。

 街の一角にある木造二階建ての早瀨医院の長女、早瀨恵ちゃんは小学六年生で放送委員。将来の夢はテレビのニュースキャスターで学校では火曜と木曜の校内放送の担当。両親共に医師だが医院の仕事は父親がやっていて、お母さんはほぼ専業主婦。大学病院に勤務する年の離れた兄がいる。

 早瀨医院は三代続く町中の古い病院で、お父さんは婿養子らしく、家の正統跡継ぎの母親はこのまま早瀨医院を存続したく、息子に大学病院を辞めてモダンに立て替えるつもりの病院を継いで貰いたい。医院業務を行う父と長男は、父親の代で医院を廃業したい意向でいる。

 同業の親しい医師が、病院を大きく豪華に建て替えて自分の息子に継がせるパーティーをホテルで盛大に開催し、招待された早瀨医院の母親は悔しい思いをした。恵の母親も医院を建て替えたいが、その資金がないのだ。

 パーティーの帰り、恵の母親は喫茶店で怪しい男と会って密談し、男に何事かを急いで欲しいと懇願されている。

 校内放送当番の早瀨恵が放送した日、放送に恵の声に混ざって「わたし、わたしよ、助けて」という声が小さく入る。下校時にもその声は小さく流れる。恵たちが放送室に駆け着けても誰もいないし鍵も掛かっている。

 その日から早瀨恵自身に異様な現象が続くようになる。

 恵が1人で街を歩いているのに、街で恵を見掛けた複数の人たちが、恵は見知らぬ女の子と一緒に歩いていたと証言される。遠足の日の友達とのスナップ写真に恵の上に見知らぬ女の子の顔が写っている。しかしその写真を母親に見せると、少女の顔は消えて木の幹のウロしかない。

 極めつけは、恵が外出して電車に乗ると車内は恵以外無人で、電車の中に1人ポツンと写真に写り込んでいた顔の少女が座っていた。慌てて降りた駅も街の中も無人で誰にも会えない。気持ち悪くて急いで帰宅すると家の中の母親と父親の顔が崩れ歪み、お化けのようになった。

 恐怖におののいた恵は、怪物になった両親から逃げるように走って家を出て、公衆電話ボックスに入り、大学病院の兄に電話を掛ける。兄にこれまでの異様な状況を話した恵。兄が急いで帰宅すると約束してくれて電話ボックスから出ると、普通の日常に戻っていて、両親もいつもどおりの優しい父母だった。

 恵の母親が頼まれていたのは、有力政治家の心臓の悪い一人娘の心臓移植手術だった。手術を請け負って貰えれば先方は莫大な料金を支払うと言う。そのお金があれば自分の代々続いた医院を建て替えることができるのだ。

 早瀨医院の患者の1人に、病気に掛かって半分寝たきりのような祖母と二人暮らしの貧しい少女がいる。この女の子は生まれつき病弱で成人するまで生きながらえる望みはない。早瀨恵と同じか少し上くらいの影の薄いひ弱な女の子。

 早瀨の母親は病院再建~建て直しのための莫大な資金を得るために、有力政治家の使者の頼みを受け入れ、政治家の子供の心臓移植手術を、秘密裏に早瀨医院の中で行いたい。

 深夜、早瀨の家の子供部屋で眠っていた恵に「助けて、助けて…」という声が聞こえる。この何処からともなくはかなく聞こえて来る声のために恵は眠れず、ベッドから起きて声を辿って家から深夜の戸外へ出て行く。

 うめき声のような気味悪い声を辿って深夜の街中を歩くと、恵の通う小学校に着いた。さらに校舎の中を行くと、何と声は学校の放送室から出ていて、気持ち悪いうめき声のような「助けて…」は、放送室の校内放送のマイクに向かって話す、1人の女の子が声を出しているのだった。

 マイクに向かう影の薄い少女は、恵の夢に出て来たり、恵の入る集合写真で恵の頭の上に写り込んだ心霊写真のような顔の、そして無人の電車内でポツンと1人座ってた、あの不気味な女の子だった。この少女こそ、街中で1人で歩く恵を見掛けた人々が、恵が知らない少女と一緒に歩いていたと騒がれた、その女の子なのだった。

 実はこのはかない少女は、早瀨の母親が依頼されてる、有力政治家の娘の心臓移植手術の、生きた唯一ドナー候補の少女なのだ。

 勿論、ひ弱な少女も保護者の病弱な祖母もそのことは知らず、手術も早瀨医院の中で秘密裏に行うつもりなのだ。つまり殺人を伴う違法行為を。・・・

 というのが「恐怖·深夜の校内放送」のあらすじですね。

 このお話の怪異は幽霊ではなくて生き霊ですね。自分の知らぬ間に心臓を抜き取られる、つまり殺される薄幸な少女の、自分でも気付かぬ内なる訴えが生き霊として現れ、自分を殺害しようとする夫婦の娘に特に強く訴える。

 終盤、クライマックス、いざ心臓を抜き取る手術をされようとする無理やりドナーの薄幸少女が、いつの間にか恵と入れ替わっていたりする怪異が起きる。済みません、終盤のネタバレはしないでおきます。

 この浜慎二先生のホラー漫画は、立風書房レモンコミックス·レーベルの1989年7月刊行の長編作品ですね。僕は70年代に描かれた作品かなと思ってたけど、けっこう後の作品でしたね。1936年生まれの浜慎二さんの53歳の頃の作品ですね。この漫画が雑誌連載されたものをまとめてレモンコミックスで刊行したものか、レモンコミックスの単行本描き降ろしか、僕には解りませんけど。

 

 次に「SF恐怖入門」からの一編「白骨の使者」のあらすじ。

 深夜、古賀葬儀社の老店主のもとを1人の紳士が訪ねて来る。目深に被った中折れ帽にトレンチコートに革手袋、スラックスに革靴の紳士は表情がよく見えない。

 紳士姿の男は店主に棺桶を10個も注文し、代金も前払いで払って去る。男は帰りしな、10個の棺桶の内一つは自分のものだ、と語って深夜の街中に消える。

 老店主は近くで10人もの死人の出た大事故でもあったのか?と思い、一つは自分の棺桶だと話した紳士をいぶかしむが、前金で料金も貰ったし商売になればそれでいいと、それ以上深く考えないことにする。

 翌日から葬儀屋店主は、数人の使用人でフル回転で夜遅くまで10個の棺桶製作に取り掛かった。

 深夜、葬儀屋を後にしたトレンチコートの紳士は、川岸の濡れた着物姿の女性や工事現場の泥で汚れた作業服姿の男などを訪ねて、言伝てをして去って行った。

 約束の晩、遅くなっても紳士が注文した棺桶を取りに来ないので、老店主は夜もふけたし葬儀屋の二階でもう寝ることにした。深夜も深夜の遅くに店玄関の呼び出しベルが鳴り、老店主は起きて店のシャッターを開けた。

 棺桶10個を注文した紳士が店に入って来たが、その後ろにぞろぞろと数人の人たちが続いて入って来た。全員で10人いて、みんな異様な姿をしている。泥を被って汚れたり、びしょ濡れだったり、ボロボロの服装だったりしている。

 葬儀社の店内が異様な風体の客でいっぱいになると、リーダー格になる棺桶注文の紳士が、店主に向かって、葬儀を上げてくれと頼み出す。自分たちを綺麗に洗ってから汚れた服装を綺麗なものに着替えさせてくれ、と依頼する。

 客の1人はびしょ濡れで寒い寒いと言い出し、他の1人は泥だらけでもう5年も土の中にいたので綺麗な服装に着替えたいと言い出す。驚いている店主の近くに来た客は顔が白骨だった。

 リーダー格の紳士は、この人たちは自殺や事故で遺体が水の中に沈んだままや土中に埋まったままで見つからず、葬儀を上げて貰えなかった気の毒な人たちばかりで、ここにいる全員を葬儀を上げて納棺して欲しいと頼む。

 紳士が顔を近付けて帽子を取ると、紳士の顔も白骨化していた。悲鳴を上げて店主は、出て行け化け物め!と怒鳴り散らす。

 亡霊の群れに囲まれた店主が絶叫すると、店内のお棺や棚や家具などがガラガラと崩れて倒れ出す。

 深夜の町内では街の一角から炎が上がり、火事だ火事だと大騒ぎになる。やがてサイレンが響き消防車が集まって来る。

 葬儀社が建物ごと炎に包まれる大火事となる。消火活動する消防士のもと、命からがら店主が逃げ出して来る。炎の中に白骨が踊っている。白骨によっては、気持ち良いなどと言いながら炎を浴びている。

 やがて火が治まって、全焼した葬儀屋建物の焼け跡に、不思議なことに十個の棺桶だけが燃えることなく残っていた。消防隊員と店主が一緒にお棺の蓋を開けると、どの棺にも白骨遺体が納まっていた。・・・

 …というのが短編集「SF恐怖入門」の中の巻末の最後の作品「白骨の使者」のお話のあらすじですね。

 僕が貸本漫画を読み始めたのは1962年の暮れか63年初頭頃で、近所の貸本屋が閉店してしまって貸本漫画を読めなくなったのが66年の春ですね。貸本漫画の最盛期は1958年頃から62年頃で、63年はまだ貸本漫画もいっぱい刊行されてましたね。65年頃に衰微期に入り、66年はもう貸本漫画の衰退期でしたね。

 66年頃から貸本漫画の各出版社が、貸本漫画の刊行スタイルA5判128~136Pをやめて、貸本漫画も新書判コミックス(後に出るB6判ではない)196~約250Pの漫画単行本を出版し始めました。

 貸本漫画「オール怪談」を長年刊行し続けた、当時は貸本漫画専門出版社·ひばり書房も新書判コミックスのスタイルで漫画単行本を刊行します。その中に浜慎二先生の短編集「SF入門-SF嫌いの若者のために」もありました。1967年6月のことです。このコミックスは後にタイトルを変えて「SF怪奇入門」として再版されます。さらに76年に「SF恐怖入門」と改題されて再版されました。

 「SF恐怖入門」のもともとのコミックスが初めて刊行された1967年はもう貸本漫画終焉の時代ですね。戦後の貸本漫画そのものが67~68年に完全になくなりましたね(戦後の貸本漫画システムと言っていいかな)。

 「SF恐怖入門」の中身は漫画そのものが、貸本時代の作風·画風などを色濃く残してますね。というより貸本漫画そのものの内容ですね。

 僕が、ひばり書房の「オール怪談」やつばめ出版の「怪談」という貸本ホラー·オムニバス誌を愛読した小学生時代を思い出して懐かしいですね。

 今の僕は電子書籍で今の漫画もけっこういっぱい読んでいるのに、こうやってブログ記事として取り上げるのが、ほとんど古い古い昭和漫画ばかりなのは、今の漫画を読んだ感想書いても本人があんまり楽しくなく、昔々の僕の子供時代や青年時代に愛読した漫画のことをあれこれ書くのは、昔を思い出してノスタルジック気分にどっぷり浸かって自分が楽しいからです。

 文藝春秋社が文庫本で“文春文庫ビジュアル版”というシリーズを刊行していたのですが、その中に分厚い文庫本にたくさんの漫画を収録したシリーズがありました。80年代後半の出版ですね。

 60年代~70年代の漫画からジャンル別に選んで、分厚い文庫本1冊に10作以上収録してた。「懐かしのヒーロー漫画大全集」などは50年代の漫画作品も収録してた。

 そんな中、1987年に刊行された「幻の貸本漫画大全集」には50年代·60年代の貸本漫画の短編作品が幾つも収録されてた。多分、この文庫本に収録されてたと思う、浜慎二さんの「8階の客」という怪奇短編、この掌編はお話を貸本漫画時代から印象深く憶えてた。 

 ネットの「幻の貸本漫画大全集」の簡単な紹介ページに収録作品の漫画家ラインナップがあったんですが、その中に浜慎二先生の名前が見当たらないので、「8階の客」の収録は他の漫画文庫かも知れません。

 1986年に刊行された「マンガ黄金時代-60年代傑作集」か、89年刊行の「怪奇幻想ホラーマンガ傑作選」か90年刊行「妖怪マンガ恐怖読本」か。「8階の客」はどれかに収録されてたと思うのですが、他の漫画集本だったのかも知れません。

 小学生時代に貸本漫画で読んで記憶していた「8階の客」を、僕の30代前半に何かの漫画集本の再録で読み返して懐かしく思った覚えは間違いないです。

 浜慎二さんの怪奇掌編「8階の客」が収録された貸本漫画誌は、ネットで調べて回ったら、つばめ出版の1967年発行「怪談」第95集の巻頭収録でした。これが初出なんだと思います。

 僕が近所の貸本屋に通っていたのは66年の5月頃までです。でも僕は貸本で「8階の客」を読んだ記憶を持っている。時間的につじつまが合わない。長年月の貸本集のシリーズ本でも何年か前のを再び収録というのもやってたから、この「怪談」95集の分は再録なのか?すると初めて発表されたのはいつ?という謎になるし。

 近所の貸本屋が閉店した後、少し離れた貸本屋にタマに行くこともあったし、もっと遠い貸本屋に自転車で行ったこともあったから、67年に他の貸本屋で借りて読んでるのか?解りません。数十年前のことだから全く記憶してません。

(『漫画黄金時代-60年代傑作集』『懐かしのヒーロー漫画大全集』『幻の貸本漫画大全集』『怪奇幻想ホラー漫画傑作選』『妖怪漫画恐怖読本』みんな僕は80年代後半~90年代アタマに買って所持してたけど、後々、引っ越しの際とかに全部廃棄してしまいました。)

 「8階の客」のお話は、強盗や窃盗など悪いことを稼業としている若い男が、とあるビルに逃げ込み、8階の部屋に入ると子供が1人で住んでいた。ここで時間を潰してビルを出ると警察を撒くことができて逃げおおせた。

 味をしめた犯罪者の男は悪事を働いて警察に追われるたびに、このビルの8階の部屋に逃げ込み、時間を潰して警察から逃げおおせる。

 ネットを回ってて、この「8階の客」のお話のあらすじを簡単に書いてくれてるサイトがあって、僕は記憶してなかったけど、このビルは建築中の不慮の事故で死亡者が出てビルが完成したとき7階の次は9階と表示して8階をなくしてるビルらしく、ビル入り口の表示板にそう書いてあるらしい。おかしいと思いながらも犯罪者の男はいつも8階に逃げていた。

 ある日、警察に追われる男がいつものようにこのビルの8階に来ると、いつもの部屋は鍵が掛かっている。拳銃で鍵を壊して部屋に飛び込むと、いつもは少年の住むその部屋は、実際にはなくてドアの向こうはビルの壁面で、急いで飛び込んだ男はそのままビルの壁面を地上に落下して行った。・・・

 これが浜慎二先生の1967年発表の怪奇短編「8階の客」の内容です。何かこのホラー短編が印象に残ってるんだよなぁ。

 浜慎二先生のホラー漫画というと、僕が記憶しているのが1967年の週刊少年マガジンに連載された「悪霊車」です。僕は小学校六年生のときかな。

 「悪霊車」は短期集中連載作品で、週刊少年マガジン1967年33号から37号までの4週連載でした。ずっと浜慎二先生のオリジナルストーリーの漫画と思っていたのですが、原作者がいらしたんですね。

 僕は小学校三年生頃から中学校三年生の終わりまで、多分ほとんど毎週欠かさず週刊少年マガジンを購読し続けていて、だから昭和42年のマガジンも多分全冊欠かさず読んでます。だから浜慎二先生作画の「悪霊車」もリアルタイムで読んでます。

 けど、その後再読したことがないのでストーリーの詳細は忘れてます。ただ悪霊の取り憑いた昔の高級車が災いを起こして回るお話で、最後はこの悪霊車自ら海に入って行って消えたような…、というのはおぼろに記憶してました。

 貸本時代の浜慎二さんの漫画が好きだったので、このマガジン連載の作品も印象に残ってたんですよね。

 終戦後直ぐくらいの日本の都会で自動車販売の仕事してるセールスマンが主人公なんだっけか?焼け跡のボロボロ中古販売店にあるクラシックカーというか古いビンテージカーを見つけて手に入れて、これがいわくつきの元·高級車で、悪霊が憑いていると言われる呪われた乗用車で、この車の行くところ必ず悲惨な死に方で人が死ぬ、みたいな何かそんなストーリーなのかな?貸本誌と違って、大人気メジャー市販誌に描く浜慎二先生の描写は緻密に描き込んでて、貸本漫画よりもいっそう恐い絵柄になっていた。何かこの悪霊車は人が乗って運転しなくても、誰も乗ってないのに車が独りで勝手に動く恐い乗用車だったような。

 原作付きだったとは知りませんでした。原作担当の吉岡道夫さんって、もともと映画会社の大映に入社して映画の脚本を書いてた方なんですね。大映を辞めた後、フリーの作家としてシナリオライターや漫画原作の仕事をして、その後、小説家となられたようです。現代ミステリー小説を書いていたけど、時代劇小説が有名なようですね。

 

百年少女 (ゴマブックス×ナンバーナイン)

恐怖!深夜の校内放送 (ゴマブックス×ナンバーナイン)

◆恐怖 深夜の校内放送 浜慎二·作画

◆SF恐怖入門 浜慎二·作画

◆SF恐怖入門 浜慎二·作画 kindle版

◆恐怖 深夜の校内放送 浜慎二·作画 kindle版

◆百年少女 浜慎二·作画 kindle版

 このところ、電子書籍で浜慎二さんのホラー漫画を何作も読んだのですが、中でも長編怪奇漫画として秀作だなぁ、と思ったのが「百年少女」でした。この作品は僕が子供の頃読んでたら、きっとかなり怖がったと思います。

 子供の頃の僕は本当に怖がりで、怖がりのくせに恐いもの好きがありまして、小学生~中学生時代にはテレビで放送されてた外国のホラー映画なんて、怖い怖いと思いながら興味津々で見てました。そして決まってその晩は怖くて眠れなかった。小学生時代は怖い漫画も好きでしたねぇ。

 単行本「百年少女」は1982年発行の立風書房レモンコミックスですね。

 ネタバレしてしまうけど「百年少女」のあらすじは、主人公の母子家庭の小学校中学年くらいの女の子が転校して来て、友達ができなくてひとりぼっちだったところに、下校途中、同じくらいの年頃の女の子が現れ、二人は仲良くなる。

 主人公の女の子はやがていつも一緒に遊ぶようになり、不思議な女の子の自宅まで行って自宅前の広い庭や周辺のうっそうとした森で遊ぶ。その内、学校を休んで(サボって)、学校に行ってないらしい怪しい女の子と遊ぶ。女の子は古い古い洋館でお手伝いの婆やと暮らしている。

 女の子の自宅の直ぐ近くの森には動物の白骨死体がいっぱいある。ネタバレしてしまいますが、この怪しい女の子と婆やが百年以上生きている怪物なんですね。少女が生き続けるためには、動物や人間の生き血が必要で…。主人公·女の子が危険にさらされる。助けに洋館に踏み込んだ、担任の若い男の先生は…、というお話ですね。

 けっこう凝った内容のお話でよくできてて面白いです。1982年の作品か。僕が小学生の頃読んでたらかなり怖がったと思います。小学生の頃読んだ、貸本時代の浜慎二さんの絵が怖くて好きだったし、短編のホラー漫画自体好きでしたね。

 貸本時代の浜慎二先生の漫画は、僕は「オール怪談」「怪談」の短編ホラー漫画しか今は記憶に残ってませんが、貸本の長編漫画も描いて刊行してたし、またホラー作品だけでなく私立探偵が主人公のアクション漫画も描いていたようです。

 浜慎二先生は貸本の末期~貸本消滅後、市販の雑誌に作品を寄稿しています。月刊·週刊の少年誌や少女漫画誌、小学舘の学年誌などに主にホラー漫画が多いのですが、ホラーだけでなくテレビドラマのコミカライズも含めてさまざまな内容の漫画を載せてますね。

 70年代以降は、ひばり書房や秋田書店、立風書房からホラー漫画の長編·短編のコミックス単行本を多数刊行してますね。

 

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「カッコ2分の1」ー新田たつおー

 月並高校のあるクラスに森野カッコという美少女が転入して来た。稀に見る美少女ルックスでスタイル抜群、性格も素直でしとやか。クラスの中は大騒ぎ。特に男子生徒は興奮しまくりで転校生の席取り合戦になる。二人の、女の子に目がないスケベイ男子生徒が隣の席に誘い合って、キャバクラのキャバ嬢指名合戦のような騒ぎになる。

 男子生徒ばかりでなく女子生徒たちも、おしとやかな転校生·カッコを守ろうとカッコの周りに集まる。挙げ句は男性教師がカッコに首ったけになる。

 下校時も通学路をクラスの男子生徒·女子生徒が周りを囲んで帰路に着いてる。そこへ高三の巨漢·凶暴番長が登場し、カッコに一目惚れする。凶暴番長が怖い生徒たちは男子も女子も全員、カッコから離れて逃げてしまう。

 

 番長の取り巻き不良たちがカッコに、番長に抱かれるよう勧める。下半身丸出しで寝転んだ番長に、子分たちがカッコを乗せようとするが、純粋無垢·天真爛漫な美少女、カッコは番長の一物を「何これ?」と握る。

 怒った巨漢番長がカッコを弾き飛ばす。空き地の土管置き場の中に落ち込むカッコ。土管群にぶち当たった衝撃で、カッコの頭部が吹っ飛んだ。カッコの首のない長身·スタイル抜群の、セーラー服姿の身体が転ぶ。

 カッコの頭部は土管群の中から這い出て来た。可愛い顔のカッコの頭には、小さな身体が着いていた。カッコは2頭身半の体躯で、エラい丈の短い身体は男子の学生服を着ていた。ずんぐりむっくりでもない、大きな頭に丈のない小さな身体カッコの本体は、長身·スタイル抜群の身体の中に納められていたのだ。

 1人だけ逃げなかった男子学生が見ていると、土管群の中から出て来たチビ男が、いとも簡単に巨漢番長をのしてしまった。チビ男こそカッコの本体だが、この時点ではまだバレていない。長くスマートなロボット足に入った小柄な老人が、カッコを抱えて連れ去る。

 押し潰されたように扁平な森野研究所がカッコの自宅で、連れ帰ったチビな爺さんこそ父親の森野博士だった。

 やがてカッコが入っていたセーラー服姿のノビールスーツが自動で帰って来る。ノビールスーツを追い掛けて来たスケベイな男子生徒二人は、森野研究所に入って押し潰されそうになる。森野博士の家の中は常に8Gの重力が掛かっていた。だから森野親子はずんぐりむっくりに近いようなチビになってるが、ひとたび家から外に出ればもの凄く力が強い。

 乱暴者の女の子、カッコを女の子らしくするために、森野博士が開発したノビールスーツは、カッコを納めると、カッコの性格を優しく女らしい、しとやかな女の子に変えてしまう。

 森野博士のライバル科学者がカッコを息子の嫁にとやって来た。科学者オジサンは脳移植のロボットになっていたので、超重力下でも平気。息子も科学力でバリヤーを張ってて平気。アンポンタンなブサメン息子を嫌うカッコ。ここに、8G重力に耐えるため、ブロックや鉄板で重装備したスケベイ·クラスメート二人がやって来る。

 ライバル科学者の変態息子が我々は婚約してると迫って来て、拒むカッコとバトルになり、研究所の重力をどんどん上げる中で建物も中に居る人間も全部ペシャンコになり、研究所の建物は崩壊し変態息子はノビてしまう。二人の男子生徒は逃げて去る。

 朝礼でナンパな学校内を硬派にシメようと先生たちを吹っ飛ばして壇上に立つカッコ。そこにタカラヅカ·ビューティーグループなる一団が現れてカッコを拉致連行する。これは宝塚歌劇団のパロディーですね。

 みんな宝塚歌劇団のような格好をした、番長連合の変態版みたいな、このグループは学園内をシメる不良集団だった。不良グループの番長は変態スケ番で、ベッドにくくりつけたカッコを襲う。レズろうとする訳で、そもそもこの漫画はシモネタ全開のギャグ漫画ですからね。エッチな場面はいっぱい出て来る。みんなシモネタ·ギャグとして。

 そしてカッコの宿敵としてノストラダムス撲滅会なる組織が現れる。ノストラダムス撲滅会は先ず、初弾攻撃でモスラの幼虫みたいな巨大な怪獣を出現させて暴れさせ、カッコは失神する。

 学校の保健室で寝ているカッコの前に父親の森野博士が現れ、カッコの出生の秘密を語ろうとするが、苦悶の表情を浮かべてやはり喋れないと走り去る。

 その頃、孤島に立つビルにノストラダムス撲滅会の本部があり、幹部老科学者たちが打倒カッコの策を練っていた。ノストラダムス撲滅会は死に掛けた超高齢の老科学者の集まりだった。

 カッコ打倒の次なる手段として、十数匹の怪獣にいっぺんにカッコを攻撃させる。しかし怪獣たちはみんなチビたちで全部、子供等身大くらいの大きさ。

 朝、登校したカッコが教室に入ると、教室の机に着いて並ぶのはガクラン着たミニ怪獣の数々。たちまちカッコを囲んで襲い、ミニ怪獣たちはカッコを制圧する。しかし、カッコの服を脱がせに掛かった怪獣たちは、カッコの尻のアザを目撃し、カッコの前にひれ伏す。

 そこへ父親の森野博士が現れ、カッコの出生の秘密を語り出す。カッコのお尻のアザは、怪物ランドの女王さまの印しだった。

 こうやってストーリーを語るのも馬鹿馬鹿しいギャグ漫画なんですが、ギャグ漫画とはいえムチャクチャなストーリー展開で、パロディー·ギャグとシモネタ·ギャグに溢れた馬鹿馬鹿しい漫画ですね。

 カッコの父親が語るには、その昔、世界の優秀な科学者ばかりの調査隊が絶海の孤島に探検に行くと、そこは怪獣だらけの島で、そこに超美女な怪獣ランドのお姫さまがいたが、その美女はもの凄くデカかった。怪獣なみにデカい。

 若き森野博士は巨大美女のアソコに飛び込み、やがてカッコが生まれたというムチャクチャな話。巨人美女は調査隊の科学者たちに機銃掃射で撃たれ殺される。科学者たちは女王の子供も始末しようとしたので、森野博士は赤ん坊を抱いて孤島を脱出し命からがら逃げ延びた。

 というのが、実は怪物ランドの女王さま、森野カッコの出生の秘密だった。

 ムチャクチャなお話の設定、ムチャクチャなストーリー展開の、エロエロ·シモネタ·ギャグ満載のパロディー味付けたっぷりギャグ漫画「カッコ2分ノ1」の、これが前半ストーリーのあらすじです。あらすじというか、けっこう詳しくお話内容を書き込みましたが。

 

 新田たつお氏のギャグ漫画作品「カッコ2分の1」は、80年代前半時代の、双葉社発刊の青年コミック誌「月刊スーパーアクション」に連載されてました。「月刊スーパーアクション」は1983年6月に創刊され、多分「カッコ2分の1」は創刊号から連載されていたと思います。「月刊スーパーアクション」自体の休刊(事実上の廃刊)は1987年9月ですが、「カッコ2分の1」の連載は1984年中には終了してますね。

 「月刊スーパーアクション」の編集方針はSF漫画主体の内容で、ギャグ漫画でさえSF趣向の漫画が多かったです。板橋しゅうほう氏の「アイシティ」や「Hey ギャモン」のような異世界や未来舞台のモロSFや、藤子F不二雄氏の「裏町裏通り映画館」のような不思議味付けのファンタジーぽい作品、諸星大二郎氏のダークファンタジーぎみな伝奇漫画「西遊妖猿伝」など、SFやファンタジー趣向の漫画作品で揃えてた。

 「カッコ2分の1」もギャグ漫画ながらも、主人公の父親が科学者で、人為的に重力を発生させた家で暮らしていたり、ロボットが登場したりとSFアイテムで満ちている内容だった。それでも舞台は学校内で学園漫画の様相を帯びていたが、お話の随所にパロディ·ギャグがふんだんに使われ、学園ドラマのパロディになっていた。

 「スーパーアクション」が青年漫画誌なだけに、「カッコ2分ノ1」はエロエロ·シモネタ·ギャグで溢れてましたね。エロエロったってエロはあんまり感じなくて、シモネタがただ馬鹿馬鹿しくて可笑しいだけですけど。

 新田たつお先生のシモネタ·ギャグ漫画というと、何といっても「怪人アッカーマン」ですね。「怪人アッカーマン」は宇宙舞台でロケットや円盤が出て来て、宇宙人も怪獣も出て来るSF漫画ですが、シモネタ超満載のギャグ漫画です。宇宙舞台といっても、何処かの惑星や地球上や巨大宇宙船の中が舞台だったりしますけど、SF映画や特撮ドラマやSF漫画のオールスターがパロディーで登場します。

 「怪人アッカーマン」は双葉社の別冊漫画アクションの1978~80年頃に連載されてたのかな?当時、双葉社アクションコミックスで全6巻で刊行されて、この漫画が大好きだった僕は勿論、全巻持ってました。SFマインドに溢れた、超お下劣·低俗·シモネタ·ギャグ漫画でした。

 「怪人アッカーマン」の中のSFマインド溢れるパロディーは、ウルトラマン、ウルトラセブン、鉄人28号、鉄腕アトム、宇宙戦艦ヤマト、エイトマン、月光仮面、ジェーン·フォンダ主演のバーバレラなど50年代60年代のアメリカSF映画、ゴジラなどの日本の特撮映画などがギャグ要員として漫画にふんだんに登場します。

   

 漫画家·新田たつお先生というと、何といっても代表作は「静かなるドン」ですよね。実にコミックス単行本で全108巻、青年雑誌というか成人雑誌というか大人の漫画週刊誌「週刊漫画サンデー」にて、1988年11月から2013年1月初頭まで24年間近くも連載されました。一応、ヤクザ社会舞台の、ギャグ調コメディ味のバイオレンス有りのストーリー漫画です。マンサン·コミックスで全108巻という大長編ボリュームはとにかく凄いですね。

 「静かなるドン」は大人気コミックとして雑誌連載でもコミックス単行本でも愛読され、オリジナルアニメビデオ化もされたし、劇場版実写映画にもなったし、実写テレビドラマに複数回なってます。また販売用ビデオ実写ドラマ化もされてます。

 昔、雑誌のインタビューや記事で読んだのですが、新田たつおさんというと、元は中学校の美術科の講師で、漫画を描いていることが学校にバレてクビになったというエピソードがありました。中学校で美術を教えているとき、既に漫画作品投稿で収入を得たんでしょうね。また、新田たつおさんが漫画家を目指した動機は、少女漫画家の女性と結婚したかったから、というエピソードもありました。実際に少女漫画を描いている女性と結婚して、目的を果たしたそうですが。

 僕は10代末頃に新田たつおさんのプロ·デビュー作の「台所の鬼」を当時の月刊少年マガジン掲載リアルタイムで読んだのを覚えてます。その直ぐ後の週刊少年マガジン連載の「学園遊び人」も連載リアルタイムで読んでました。劇場版実写映画化もされた「ビッグマグナム黒岩先生」も、当時は毎号購読していた別冊漫画アクションで読んでて、後にコミックスでも再読してますね。別冊漫画アクションに連載された「怪人アッカーマン」は当時大好きな漫画でしたしね。

 新田たつお先生は、デビューから先、大ヒット作というと「静かなるドン」くらいですが、とにかく雑誌掲載の作品の切れ目がなく、常に複数の雑誌に連載を抱える、やはり売れっ子漫画家ですよね。とにかくこれまでの作品数が多い。一応、ギャグ漫画やギャグ調のコメディ味ストーリー漫画が主体ですが、ギャグ味を抑えたストーリー漫画の作品もいっぱいあります。コテコテのギャグ漫画とリアル味のストーリー漫画を描き分けてますね。ストーリー漫画もハラハラ·ドキドキなシリアス調、アクション·バイオレンスものなど多いですね。シリアスなストーリー漫画だけど、随所にギャグを散りばめた作風が多いかな。

 随分前に雑誌のインタビュー記事か何かで読んだのですが、漫画家·新田たつお先生をして業界や世間では「B級漫画の王様」と呼ばれているという話で、本人はこの称号を「“B級漫画の王様”なんて失礼ですよねえ」と嫌がってました。新田たつおさんの作品は、娯楽漫画として飽きずに読ませ続けさせる面白さを持ってますよね。僕もこれまでいっぱい新田たつお漫画を読んで来てますが、面白く読んだ作品はいっぱいありますねぇ。「サラ忍マン」とか好きだったなぁ。

     

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静かなるドン―Yakuza side story (第1巻) (マンサンコミックス) コミック – 新田 たつお  (著)

静かなるドン(108)(完) (マンサンコミックス) コミック – 新田たつお  (著)

怪人アッカーマン~新田たつお傑作選~ (マンサンQコミックス) コミック – 新田 たつお  (著)

チェン爺(1) (ビッグコミックス) Kindle版新田たつお  (著)  形式: Kindle版

静かなるドン コミック 全108巻完結セット (マンサンコミックス) コミック – 新田たつお  (著)

怪人アッカーマン 1―和製スペースオペラギャグ (マンサンコミックス) 単行本 – 新田 たつお  (著)

サラ忍マン(1) (ビッグコミックス) Kindle版新田たつお  (著)  形式: Kindle版

隊務スリップ(1) (ビッグコミックス) Kindle版新田たつお  (著)  形式: Kindle版

静かなるドン 文庫版 コミック 1-54巻セット (小学館文庫) 文庫 – 新田 たつお  (著)

サラ忍マン コミック 全4巻完結セット (ビッグコミックス) コミック – 新田 たつお  (著)

ビッグ・マグナム 黒岩先生 : 1 (アクションコミックス) Kindle版新田たつお  (著)  形式: Kindle版

     

 新田たつおさんのSF調ギャグ漫画、「カッコ2分の1」が創刊号から連載された双葉社の青年コミック誌「月刊スーパーアクション」は、当時大好きな雑誌でした。当時僕は20代後半の年齢で月刊誌だったし、この雑誌を毎号購読してました。僕は20代10年間が人生で一番多く青年コミックを愛読した時代で、スーパーアクション以外にもたくさんの青年コミック雑誌を買って来て読んでた訳ですけど。中でも“SF”を基本的な編集方針とした青年コミック誌「月刊スーパーアクション」は、取り分けリスペクトぎみに貴重な漫画雑誌として読んでたと思います。

 ネットで拾った数々の青年コミック雑誌の表紙を眺めてると、自分の青年時代、十代末頃から30歳までの10年間余りをイロイロ思い出して懐かしいです。とにかくいつもコミック雑誌を買っていて、会社帰りの電車の中、ほとんど外食だった昼飯や夕食のレストランや日本そば屋やとんかつ屋、ラーメン屋に軽食喫茶で読んでたコミック雑誌。若い頃は喫茶店が大好きで、いつもいつも喫茶店に入ってコーヒー啜りながらコミック雑誌を読んでた。

 二十歳くらいから30代の僕は、一応SFフリークで、SFを大リスペクトしてたから、“SF”を基本的な編集方針とした「月刊スーパーアクション」は思い入れの深い雑誌だった。SFフリークといっても、勿論、当時はハヤカワや創元の翻訳SF小説も読んでますが、主体は日本のSF作家の小説でしかも短編集が多かったし、本当のこというとSF小説よりも、ミステリー·探偵小説の方が多く、ミステリ小説の方がSFよりも3倍くらい多く読んでる。しかし劇場版のSF洋画もよく映画館に見に行ったりしてましたね。だからスーパーアクションは漫画誌でも何かリスペクトぎみな雑誌だった。

 ネットに誰かが上げてくれてる「月刊スーパーアクション全収録作品リスト」というサイトがありまして「カッコ2分ノ1」の連載期間は1983年6月創刊号から84年5月号までの調度1年間となってます。

 ちなみに、新田たつお先生の代表作の「静かなるドン」ですが、僕は90年代にコミックスで15、6巻くらいまで読んでます。派生作品の映画やドラマやアニメなどは一度も見たことはありません。最近「静かなるドン」を電子書籍で8巻あたりまで読み返しましたが、面白いですね。続きが読みたくなるストーリー展開です。ギャグ風味の利いた娯楽ストーリー漫画です。さすがに25年ぶりくらいで読み返すと内容、ほとんど忘れてましたね。だから初めて読む感じで面白かったです。

 「静かなるドン」はコミックス単行本が108巻も刊行された超大長編コミックですが、2021年10月時点で日本の漫画作品でコミックス単行本が100巻越えしてる作品は全部で18作品もあり、「静かなるドン」はこの時点で「釣りバカ日誌」と共に12位タイですね。「釣りバカ」は連載が続いてるからまだ巻数は増えそうですが。第1位は「ゴルゴ13」の202巻で、第2位が「こちら葛飾区亀有公園前派出所」のコミックス全201巻ですね。他に続編とか外伝とかシリーズもので全部合わせて100巻越えしてる漫画は12作品くらいあるようです。

   

 

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「僕たちの疾走」

  

 僕が一番青年コミックを読んだのが20歳代の十年間で、双葉社の青年コミック誌「週刊漫画アクション」を初めて読んだのが多分、1976年の秋頃なんじゃないかと思う、77年頃から僕はほとんど毎週、「週刊漫画アクション」を購読するようになりました。多分、「週刊漫画アクション」の愛読は85年まで続く。86年頃までまだ読んでたかも知れない。

 僕が「週刊漫画アクション」を読んでいた十年間が、漫画アクションの黄金時代だったんじゃないかな、と思う。僕が漫画アクションを読み始めた76年77年頃はまだモンキーパンチ氏の「ルパン三世」が連載されてましたね。小島剛夕氏の「子連れ狼」や芳谷圭児氏の「高校生無頼控」はもう早くに終了していて、まだどおくまん氏の「嗚呼·花の応援団」やバロン吉元氏の「柔狭伝シリーズ」が連載されており、長谷川法世氏の「博多っ子純情」は絶賛連載中でした。

 この当時の漫画アクションだと、上村一夫氏の「60センチの女」や小島剛夕氏の時代劇「春が来た」など人気の高い漫画だった。78年になると梶原一騎氏と影丸譲也氏コンビの「武夫原頭に草萌えて」や小島剛夕氏の傑作時代劇「ケイの凄春」が連載される。この時代のアクションにはよく大友克洋氏の短編作品が掲載されてましたね。

 「武夫原頭に草萌えて」の連載が1978年なら、ひょっとしたら僕が「週刊漫画アクション」を毎週購読し始めたのは78年からかも知れませんね。このあたりの記憶はあやふやで。隔週刊(月二回刊)の「ビッグコミック·オリジナル」は76年頃から毎号購読していたと思うんだけど。この時代の僕は青年コミックはコミックス単行本もいっぱいしょっちゅう買って来て読んでましたからね。愛読漫画の記憶がゴチャゴチャしてる。

 この時代の漫画アクションで忘れてはならないのがはるき悦己氏の「じゃりん子チエ」ですね。そして79年頃から高橋三千綱氏原作でかざま鋭二氏作画の「我ら九人の甲子園」が始まる。

 そんな中、アクション誌上に1981年から長期連載されたのが、山本おさむ氏の爽やか味多めの青春漫画「僕たちの疾走」。

 「僕たちの疾走」は双葉社の青年コミック誌「週刊漫画アクション」に1981年から85年まで5年近くも大長編連載された、ハイティーン世代の青春コミックです。主人公やそのガールフレンドや仲間たち、主な登場人物が高校生で学校舞台の場面も多いから、ミドルティーンやハイティーンの青春漫画ですね。主人公の高校生少年を通してさまざまな若者たちの日常を描いているから、青春群像劇と言っても良い。

 ユーモアでくるんでコミカルに学園生活や友達仲間との触れ合いを描きながらも、時には深刻に青春時の悩みや、刹那の暴走、それぞれの若者の生活環境が抱える問題なども描いて行く。思春期の男の子の性への強い関心などを含みつつ、ガールフレンドとの付き合いや恋愛模様も描き、等身大の十代後半の若者たちの生活を、コミカルにときにリアルに描いた青春群像。

 高校生の主人公少年がアルバイトなどで現実社会と関わり、怒りや戸惑いを覚えるシーンなんかも多く描かれてますね。明朗な学園生活を描いただけの青春コミックではない。

 主人公の高校生の少年の名は「下山くん」で、下山くんの仲が良くていつも一緒に居るガールフレンドが風間妙子。下山くんのクラスメートで学校でいつもツルんでいる仲間の男子二人が、田代輝喜と圭介。

 

 主人公少年はみんなからいつも「下山くん」や「下山」と呼ばれているけど、なかなか下の名前が出て来ないんだよね。他の仲の良い同級生は風間妙子や田代輝喜はフルネームで出ているのに。「下山くん」と校外で絡む、ガリ勉秀才女子で、両親揃っているけど家庭に問題のありそうなクラスメートの女の子も小島和子とフルネームで出て来るし。

 下山くんと小島和子が校外で絡むって別に性的なコトじゃなくて、小島さんの憂さ晴らしに下山くんが付き合うってだけのコト。下山くんのダチの圭介も、ふだん「圭介」か「圭介君」だけど、上の名前も出て来てたように思う。

 主人公の高校生少年·下山くんはガールフレンドの風間妙子と居るとき、しょっちゅう妙子を性的な目線で見ていて、いつも先ずキスしてそこから、ガールフレンドから次のステップに進んで早く恋人関係になりたい、って願ってるし、小島和子と一緒のときもオッパイの大きさを想像していたりする。

 まぁ、だいたい現実にも男の子は、思春期に入って中二くらいから高校生いっぱいくらいまでは、もう頭の中は女の子や女性と性的な興味·関心でいっぱい、というふうになってますからね。勿論、男性はその後も20代いっぱいや30代に入っても、性的興味·関心や性欲そのものも強い訳ですが。

 まぁ、とにかく男の子の十代後半はいつもいつも女の子や女性のことばっかり考えてますからね。まぁ、物語では主人公少年のそういう面も描いている。勿論、普通の男の子だから事件なんか犯す訳じゃないけど。理性と自身でちゃんと処理してるけど。

 それに比べると同世代のガールフレンド·風間妙子はクールですね。思春期·青春期の男の子と女の子の性的興味·関心や性欲に対しての温度差もしっかり描いている。

 考えて見ればこういう面でも受験勉強なんて男の子の方が不利ですよね。女の子の方がより勉強に没頭できる。まぁ、思春期·青春期の悩みは性欲だけじゃないでしょうけど。

 「僕たちの疾走」のメイン登場人物たちは基本不良ではないので、高校生でもヤンキー·DQN 高校ではなくて、多分都内の公立高校あたりでしょうね。特に勉強ができる優秀な学生たちでもなく、何かレベルは平均値のフツーの子、って感じの生徒たちですね。不良じゃないから基本犯罪は犯さないけど、コミカルに描いた青春期の暴走みたいのはあるかな。バイクのスピード違反とかみんなで飲酒とか。初恋的な恋愛の失敗とかね、やっぱり青春群像漫画ですね。

 僕自身はこの時代、アクションやスピリッツなどなど何冊もの青年コミック雑誌を読む中で、趣味だったのは殺し屋が出て来るような拳銃·ナイフのアクション劇画や、侵略宇宙人の出て来るSF 漫画、空手や中国拳法の達人が活躍する格闘技漫画やミステリー系の事件コミック、ギャグ漫画なら腹を抱えて笑うようなギャグ漫画、エッチなシーンもたっぷりな奇抜なストーリーの劇画など、物語の起伏が大きく娯楽性の高い漫画が好きだったので、正直なところ、等身大の高校生たちの日常を描いた青春漫画は、漫画アクションは毎週買って来てだいたい全部読んでたけど、「僕たちの疾走」はあんまり熱中しては読んでなかった。だから雑誌連載を読んだ後々コミックス単行本で再読することはなかったですね。

 同系統の学園明朗青春コミックに、77年から80年の秋田書店のプレイコミックに連載された「青春チンポジウム」があって、あっちの方がもっと娯楽漫画として徹底してたかな。「青春チンポジウム」の主人公たち三人は中学三年生で、ちゃんとストーリー漫画だけどギャグ性の強い青春コメディ漫画として描いてましたね。やはり頭の中は女の子や女性と性的な興味·関心でいっぱいで、それが元でイロイロとやらかしてしまい騒動になって笑いを誘う。

 僕は当時は漫画の趣味として娯楽性の強い漫画を好んだので、「僕たちの疾走」よりは「青春チンポジウム」の方を面白く読んだかな。小池一雄·原作-神江里美·作画の「青春チンポジウム」はプレイコミック誌上で読んだ後、コミックス単行本で全巻買って読み返してるし。ただ、ミドルティーンからハイティーンの青春物語としたらリアリティーがある「僕たちの疾走」の方が文学性が高いかな。

 十代半ば頃から後半の男の子の頭の中は、女の子や女性と性的な興味·関心ばっかりというのは、「僕たちの疾走」よりも「青春チンポジウム」の方が何倍も強く訴えてます。まぁ、タイトルからしてそういうタイトルだし。

 「僕たちの疾走」主人公の下山くんとその仲の良いガールフレンド·風間妙子さんが夏休みにお互いバイトして、下山くんが6万円、風間さんが4万円稼いで共同の通帳に10万円預金するんだけど、そのときの通帳の名義が「シモヤマヤスオ」になってるから、下山くんのフルネームは下山ヤスオなんですね。下山安夫。

 80年代というとヤンキーやツッパリといった高校生不良もの全盛時代だけど、この漫画ではヤンキーも竹の子族も絡まない、フツーの男の子·女の子の十代青春ライフで、修学旅行エピソードもあるし、下山安夫と風間妙子の一進一退の恋模様に、一喜一憂しときに激情する高二の下山安夫クン。携帯もスマホもパソコンもインターネットもラインもなく、TVゲームがやっと出初めてまだそんなに世間に行き渡ってない時代の十代の青春ライフ。

 80年代·90年代とヤンキー高校生漫画大流行の時代だけど、でも現実の高校生って大半はフツーの男の子·女の子たちで、不良高校生って実は一部ですよね。フツーの高校生ワクの男の子だけど、ファッションやカッコ着けたスタイルだけ不良高校生の真似してる、って男の子も中にはけっこう多かったのかも知れないけど。

 昔、雑誌連載で読んでたときはそんなに面白いとは思わず熱中して読むこともなかったけど、今、電子書籍で読み返したらけっこう面白くて漫画読書が進む。今から三十数年前~四十年近くも以前のフツーのミドルティーンからハイティーンの若者の青春ライフを知るのもイイですね。

 山本おさむ先生は1954年のみずがめ座だから学年は53年生まれの人たちか。すると高校生時代は60年代末から70年代初め頃ですね。「僕たちの疾走」には山本おさむさんの十代後半の青春時代も投影されてるだろうから、80年代というよりも70年代頃の時代背景への思いも入っているのかも。

  

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 今になって電子書籍で「僕たちの疾走」読むと、面白く読むんだけど、80年代の雑誌連載当時は僕は「僕たちの疾走」をそんなに熱心には読んでなかった。だからしばらく経って「僕たちの疾走」の内容は漠然としか覚えてなかった。山本おさむさんという作者の名前と絵柄と高校生たちが主人公の、まぁ学園青春漫画だったみたいな感じだけの記憶かな。

 僕はコミックス単行本では読み返したことないけど、「僕たちの疾走」は週刊漫画アクションに5年近くも連載が続いてアクションコミックスで全15巻発行された人気漫画だった。実は実写でテレビドラマにもなっていた。僕は当時ほとんどテレビを見ない生活をしてたので、長らく「僕たちの疾走」のテレビドラマ版は知らなかった。

 「僕たちの疾走」のテレビドラマ版は1984年にTBS 系列で全16回で放送されてるんですね。主人公の下山安夫を宮川一朗太、風間妙子を大沢逸美が演じている。ドラマにはアクションコミックス1~2巻で描かれたエピソードも入ってるみたいですね。勿論、僕はドラマは見たことありませんが。

 僕は漫画アクションは85年か86年で購読をやめちゃったし、その後も92年か93年頃まではビッグオリジナルとビッグスピリッツは毎号購読してたけど、90年代はそれ以降は漫画はコミックス単行本を買って読むようになった。僕は90年代以降はあんまりというかほとんど漫画雑誌を買って読まなくなった。

 だから僕は山本おさむ先生の作品を「僕たちの疾走」以降、というか以外読んだことがないんですね。山本おさむ先生の作品を「僕たちの疾走」以外知らない。80年代当時の僕の漫画読書の趣味趣向と「僕たちの疾走」のような作風はあんまり合わなかったんで、「僕たちの疾走」以後の山本おさむさんの作品をフォローすることがなかった。漫画雑誌も92、3年頃まで小学舘のスピリッツとオリジナルしか読まなかったし。80年代後半以降の山本おさむ先生の作品を全然知らなかった。

 山本おさむ先生は「僕たちの疾走」以降も今日までたくさんの作品を描いて来ていらっしゃる。僕は85年·86年くらいまでしか漫画アクションを読んで来てないから全く知らなかったけど、漫画アクション誌上に86年以降も作品を発表して来ていた。

 80年代後半の作品から、ろう障害にスポットを当てた漫画作品を描いていて、こちらの方が表現者·山本おさむさんの真骨頂という感じですね。88年から90年まで漫画アクションに連載された「遥かなる甲子園」、91年から92年に秋田書店·ヤングチャンピオンに連載された「わが指のオーケストラ」、93年から97年まで小学舘·ビッグコミックに連載された「どんぐりの家」と、「遥かなる甲子園」と「わが指のオーケストラ」は原作ノンフィクションや原案となる小説があるものの、ろう障害やろう障害を含む重複障害を抱えた社会的弱者を描いた、社会派的でヒューマンな内容の作品に力を注いで来られていますね。

 最近の山本おさむ先生の作品では、2017年からビッグコミック·オリジナルに「赤狩り The red rat in Hollywood 」という、第二次世界大戦後の冷戦時代のアメリカ社会を背景に、この時代の映画制作に苦心するハリウッド映画人たちを描いた力作があるようですね。2020年夏現在も連載中のようですが。恥ずかしながら僕は山本おさむ先生の作品は「僕たちの疾走」からこっち一作も読んで来てないので、この傑作漫画も全く知りません。

 山本おさむさんって、修行時代、あの「5年ひばり組」シンカンセ~ンの巴里夫先生のお弟子さんというかアシスタントを勤められていたんですね。

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「セニョール・パ」-別冊漫画アクション・連載-

   

 芥川賞受賞作家の高橋三千綱氏が原作を担当して、かざま鋭二氏が作画担当した痛快プロ野球劇画「セニョール·パ」は、双葉社発行の隔週刊(月二回刊)漫画雑誌「別冊漫画アクション」の1982年の年頭くらいの早い時期から連載が始まり、1984年いっぱいくらいまで満三年間好評連載されました。

 掲載雑誌の誌名は「セニョール·パ」が始まった当時は「別冊漫画アクション」で、84年には「別冊アクション」に名前が変わってました。まぁ、いつ頃か雑誌名に“漫画”というのが抜けただけなんですけど。「別冊漫画アクション」の創刊は古く、1968年から刊行されてるんですけど、83年頃に誌名を「別冊アクション」に変え、85年に「comic アクションキャラクター」に改題して編集内容もリニューアルしたんですよね。その後、「アクションキャラクター」は91年に青年漫画雑誌から成人向け漫画誌「アクションピザッツ」に変わったということですが、「別冊漫画アクション」は一度85年に終わって、91年に本格的に終了してしまった、っていう感じかな。

 僕が「別冊漫画アクション」~「別冊アクション」を読んでいたのは85年頃までですね。「セニョール·パ」の連載が終了してからは、あんまり「別冊アクション」は読まなくなったかな。僕は「アクションキャラクター」を読んだ覚えはありません。また、「別冊アクション」の姉妹誌というか母体誌「週刊漫画アクション」の方も、最後に読んだのは1985年までだと思います。「週刊漫画アクション」の姉妹誌は「スーパーアクション」とかイロイロありましたけど、僕が双葉社発行の漫画雑誌を読んでたのは85年まででしょうね。まぁ、86年まで読んでたかも知れないけど。

 80年頃のメキシカンリーグでプレイしていた、東京大学野球部出身で日本プロ野球にも居たことのある野球選手、立花香織をこの時代の西武鉄道グループの総帥·堤義明氏が、西武ライオンズのオーナーということで独断で、当時の西武ライオンズにスカウトする。

 長身·筋肉質で体格の良い居丈夫の立花香織は、長打力を有する優秀な打撃能力を持つが、性格がムチャクチャで、豪放磊落で度を越したポジティブで、細かいコトを全く気にせずデリカシーの欠片もなく、マイペース過ぎる性格が常に周囲の者たちに迷惑を掛け続ける。

 西武のチーム内でも、公式試合で9打席連続ホームランを打ったりひと試合中に全ポジションの守備に入ったり桁外れの才能を見せるが、同時に32打席連続三振や、ピッチャーの投げる何十球という球をぶっ続けて左右の観客席にファウルボールを打ったりする。

 豪快な性格だが全く他人に気を遣わないので、西武チーム内の緒先輩選手や、監督·コーチやベテラン級の名選手たちでも対等に絡み、平気でからかったりする。漫画の描写の中にも、当時のちょっと肥満ぎみの田淵選手に「やぁタブタくん」と呼んだり、南海·ロッテを経て西武入りした球界レジェンド·野村選手にからかいぎみに話し掛けて睨まれるシーンがありますね。

 日本のプロ野球界で“セニョール·パ”の愛称で呼ばれる、立花香織選手には実は男の子が居て、一緒にメキシコから日本にやって来たが、立花香織が我が子なのに全く面倒見ず、未就学のまま浮浪児然と居場所がなく、あるお寺に寝泊まりしている。親がどうしようもない親なので子供ながら自立しようと一生懸命である。

 他にヒロイン役でロングヘア美人の石神恵子。西武ライオンズのファンで、ケガをした立花選手を何度か実家の石神病院に入院させたことで、立花との縁ができ、実家を勝手によく行方知れずになる立花の連絡先にされたり何かと迷惑掛けられ放しになる。けれどだんだんと立花香織に心惹かれて行く。

 僕が青年コミック雑誌を読み始めたのは、1976年か77年頃からで、この時代、基本的にテレビを見ない生活をしていた僕は、一番の余暇の娯楽は青年コミックを読むことでした。毎週「週刊漫画アクション」「週刊ビッグ·スピリッツ」(スピリッツは80年代前半までは月二回刊)を購読し、隔週刊(月二回刊)の「ビッグコミック·オリジナル」「別冊漫画アクション」を購読し、毎号毎号でなくとも他に「プレイコミック」「ヤングコミック」を購読してました。週刊「プレイコミック」は一時期は毎週買って読んでました(記憶違い。プレイコミックは月二回刊)。他にも月刊の「スーパーアクション」や「アクションヒーロー」も買って読んでいた。また単行本のコミックスもしょっちゅう買って来て読んでました。毎度毎度漫画本が溜まる溜まる。青年コミック超愛読時代が85年か86年まで十年間くらい続きましたね。

 そんな青年コミック雑誌愛読時代に毎号購読してた「別冊漫画アクション」の中でも大好きな漫画で毎号楽しみにしてたのが、高橋三千綱·原作でかざま鋭二·作画のプロ野球劇画「セニョール·パ」です。「セニョール·パ」は熱血スポーツ漫画とはまた趣向の違う、爆笑を誘うコメディ味たっぷりのユーモア劇画でした。ギャグ漫画に近いようなユーモア味にときどき熱血スポーツ味も入っている。終盤はシリアスな雰囲気や感動味もありましたね。隔週刊(月二回刊)雑誌連載でほぼ満3年間続いてコミックス単行本で全6巻完結。雑誌連載で毎号読んでコミックスでも多分全編読んでると思います。

  “セニョール·パ”こと立花香織選手は試合や練習時でもふだんでも、おふざけムード満々の態度で居て悪ふざけも多いのですが、行方知れずになったときは人知れず山奥みたいな場所に単身入り、鬼気迫る表情で真剣にバットを振り続け、秘かに厳しい練習をしている。

 また東大出身の立花香織は頭も良く、国際的な弁護士資格も持っていて、最後は立花香織は両目の病でボールを捉えることができなくなり、野球を辞めて西武ライオンズ及びプロ野球の世界から去ることになる。そして多分アメリカの何処かの州で弁護士としてやって行くため日本を去って渡米する。

 んだと思う。「セニョール·パ」を読んだのはもう何十年も昔のことで、コミックス単行本も昔に手放してるし、「セニョール·パ」のお話内容も詳しくはよく憶えてません。実は「セニョール·パ」の内容は今回けっこうネットを回って調べてここに書き込んでいます。確かに昔愛読したことは間違いないんですけどね。

 ネットを回ってて「セニョール·パ」のことを書き込んでる方のサイトを覗かせて貰って知ったんだけど、物語ヒロインの石神恵子は弁護士目指して法学の勉強してるけど、迷惑掛けられ放しの立花香織に途中から心惹かれ始め、結局立花香織に惚れてしまう。ソープ通いが大好きな立花香織(漫画の中ではこの時代『トルコ』となっています。『トルコ風呂』)に、石神恵子自身の真剣な愛の告白と覚悟を伝えるために、石神恵子はソープ嬢(トルコ嬢)になってソープランド浴室の中で、立花香織と対峙する。ヒロイン役がムチャクチャなストーリー展開ですね。

 この辺の終盤の内容はすっかり忘れてましたね。多分このあと、石神恵子は立花香織に着いて一緒に渡米するんだと思う。息子の太郎はどうしたんだろうな?多分まだ小学生くらいの年代の子供だけど、親父に着いて渡米したのか?自立のため日本に残ったのか?最後どうしたのか解りませんでした。

 印象的に覚えてるシーンで立花香織が飛行機の中か新幹線の中で、私服の背広姿の長嶋茂雄に出会う。長嶋茂雄さんが読売巨人軍の監督をやっていたのは1980年までなんでこのときは野球界に身を置いてないフリーの時代ですね。長嶋茂雄を畏敬の念で敬愛する立花香織は席を立ち、直立不動で震えながら挨拶する。長嶋さんが「やぁ、パーか」と言うと「いえパです」と返し「だからパーだろ」とかいうやり取りがある。ちゃんとしたセリフを覚えてないけど立花香織がそのあと、「俺、子供の頃から長嶋茂雄選手の大ファンで大尊敬してたんだよね」とかいうセリフを独白する。ほとんど内容を忘れてた「セニョール・パ」の中でも、ココはどういう訳か記憶してたなぁ。

   

Dr.タイフーン : 1 (アクションコミックス) Kindle版 高橋三千綱 (著), かざま鋭二 (著)

Dr.タイフーンJR : 1 (アクションコミックス) Kindle版 高橋三千綱 (著), かざま鋭二 (著)

Dr.タイフーン : 2 (アクションコミックス) Kindle版 高橋三千綱  (著), かざま鋭二  (著)

Dr.タイフーン : 25 (アクションコミックス) Kindle版 高橋三千綱 (著), かざま鋭二 (著)

セニョール・パ 1 (アクションコミックス)  コミック (紙) 高橋三千綱 (著), かざま鋭二 (著)

セニョール・パ 1~最新巻 [マーケットプレイス コミックセット] コミック (紙) かざま 鋭二 高橋 三千綱 (著)

セニョール・パ 5 DX版 (アクションコミックス) コミック (紙) 高橋 三千綱 (著), かざま 鋭二 (著)

セニョール・パ [コミックセット] -高橋三千綱・かざま鋭二

九月の空 (角川文庫) (日本語) 文庫 – 高橋 三千綱 (著)

さすらいの甲子園 (角川文庫 緑 458-3)  文庫 – 高橋 三千綱 (著)

真夜中のボクサー (角川文庫 (5561))  文庫 – 高橋 三千綱  (著)

我らが仲間 (集英社文庫)  文庫 – 高橋 三千綱  (著)

我ら九人の甲子園 : 1 (アクションコミックス) Kindle版 かざま鋭二 (著), 高橋三千綱 (著)

我ら九人の甲子園 1~最新巻(文庫版)(竹書房文庫) [マーケットプレイス コミックセット] コミック (紙) かざま 鋭二 高橋 三千綱 (著)

 この時代、僕が「セニョール・パ」の漫画が大好きで愛読してたのは、リアルな自分自身は、内気で内省的で引っ込み思案であんまり自己主張せずに他人に気ィばっかり遣ってるネガティブな臆病者だったので、自分と正反対を強調し過ぎた性格の、豪快で豪放磊落でめちゃめちゃポジティブで、他人を全く気にしないマイペース過ぎるくらいマイペースなキャラクター、主人公の“セニョール・パ”にめっちゃ憧れていたからなんでしょうね。

 “セニョール·パ”のキャラクターは、その後の「週刊漫画アクション」連載の「Dr.(ドク)タイフーン」に引き継がれます。僕は「ドク·タイフーン」も読んでたけど「セニョール·パ」ほどは熱中せずにコミックスも何巻かまでしか読んでないと思う。「ドク·タイフーン」の主人公は「セニョール·パ」の立花香織に似たキャラクターだけど、“セニョール·パ”ほどはムチャクチャな性格の主人公じゃなかったな。同じ作画者のかざま鋭二氏が描いてるので顔もそっくりなんだけど。僕自身がゴルフというスポーツがあんまり興味がなかったというのもあったかな。

 「セニョール·パ」のお話の中によくトルコ風呂が登場して、主人公·立花香織の実家がトルコ風呂を経営してたという設定になってますが、「セニョール·パ」が雑誌連載されてた時代、今のソープランドは“トルコ風呂”という名称で呼ばれてました。「セニョール·パ」連載終了後の時期に、留学生だったかあるトルコ人の青年が、自分の母国の名前を売春やってるカモないかがわしい施設の名称に着けられてることに怒り、当時の日本の大臣に申し立てた。大臣は話を聞き入れてこのことを公言したのかな、当時の特殊浴場協会みたいな組織が大臣の話を受け入れて、全国のトルコ風呂に名前を変えるよう促した。全国のトルコ風呂経営者たちは業態の名前を変えるために、これは公募したらしいですね、それで名前がトルコ風呂から“ソープランド”に決まって、全国一斉に名前をソープランドにした。ということがあったんですよね。そういえば僕はトルコ風呂時代は何度か行ったことあるけど、ソープランドに名前が変わって一回も行ったことないですね。つまり30歳からこっちソープランドには行ったことない。

 初めてトルコ風呂に行ったのは18歳のときで当時の親友のシモ君(またの名をユーケイ君)に誘って貰って行った。最初は怖くてガチガチに緊張してたな。懐かしい。その後も会社の先輩とか同僚と飲み屋で酔っ払った後に行ったりしたな。優しくておおらかで良いお姉さんばかりだった。

 「セニョール·パ」の原作者、高橋三千綱氏はもともと小説家で、1978年に「九月の空」で芥川賞を取ったときは、僕は受賞記念掲載誌の文藝春秋を買って来て同作を読んだ。剣道三段だっけか二段だっけかで空手も二段か初段の有段者で、サンフランシスコ州立大中退というアメリカ留学経験があり、ざっくばらんで爽快なエッセイとかを書いてた高橋三千綱さんを、当時の僕はカッコ良い!と憧れて、70年代末から80年代前半、小説作品やエッセイ集を何冊も読んだし、「我ら九人の甲子園」など、劇画作家·かざま鋭二先生とタッグを組んだ人気コミックを愛読した。

 高橋三千綱氏は小説やエッセイなどの文筆作品の数ももの凄く多いけど、漫画作品の原作提供もいろいろな漫画家とタッグを組んだ作品が数多くて、特に人気が高かったのはやはり、かざま鋭二氏とのタッグ作品ですね。漫画原作の代表作も「我ら九人の甲子園」「九番目の男」「Dr. タイフーン」とかざま鋭二氏とのタッグ劇画ですね。

 芥川賞受賞でブレイクした高橋三千綱先生は、もともと純文学出身だから小説作品は、真面目な、というとまた語弊があるカモだけど、シリアスな青春文学小説も多い。またブレイク後は、かざま鋭二先生とタッグを組んだ青春劇画「我ら九人の甲子園」が大人気を得て、独特な、ユーモア感のある爽快なエッセイも人気があり、同時にエンターテイメント分野の小説も書いて流行作家となった。

 思い返して見ると、僕は高橋三千綱氏の著者はエッセイ集を三、四冊くらい読んでるけど、小説作品は多分、純文学では「九月の空」と「真夜中のボクサー」だけで、娯楽小説は「さすらいの甲子園」と「我らが仲間」という、全部で四作品しか読んでないですね。いずれも長編小説だけど。

 小説作品の「我らが仲間」は、「セニョール·パ」ほど過激じゃないけど、漫画原作作品の内容に通じる、あのユーモア雰囲気が作品に溢れてる小説でしたね。思わず笑ってしまうユーモア小説だった。「さすらいの甲子園」の方はほとんど内容を覚えてないんだけど、多分、ユーモア雰囲気が覆った小説だったと思う。

 全く知らなかったんだけど「さすらいの甲子園」って中村雅俊主演でテレビドラマ化されてるんですね。1980年8月にスペシャルドラマとして放映されたらしい。僕は70年代後半から80年代前半はほとんどテレビを見ない生活をしてたから、この時代のテレビ番組は正直かなり疎いです。

 高橋三千綱先生の著作物は僕は80年代後半以降は読んでないし、漫画原作作品も「Dr. タイフーン」以降のものは読んだことないです。最後に「Dr. タイフーン」のコミックスを読んだのが87年とか88年頃じゃないかな。勿論、高橋三千綱先生の作品は80年代後半以降も90年代以降も小説もエッセイ本もたくさん書かれて刊行されてるし、かざま鋭二先生とのタッグ作品も他に何作もあるし、他の漫画家とタッグを組んだ作品もいっぱいあります。また2000年代以降に入ってからは時代劇小説も目立つようですね。

 僕は76年頃から約5年間、東京都下保谷市(今の西東京市)に住んでいて、当時は、西武鉄道保谷駅から西武池袋線を利用して、池袋駅から転勤によっては山手線や地下鉄に乗って都心に出てました。だから当時は毎日池袋駅を通るので暇があれば池袋の街をぶらぶらしてたものです。

 元·西鉄ライオンズが九州を離れて関東へ移り、西武ライオンズとなったのが78年。九州出身で毎日西武池袋線に乗っている僕は、当時の西武ライオンズのファンとなりました。でも、球団事務所を池袋の街の高層ビル、サンシャイン60の中に開設し、埼玉県所沢市の球場を本拠地とした初めは、もの凄く弱かった。実際、公式戦は79年からですが毎日負けているようなイメージでした。

 79年のシーズンの成績はぶっちぎりの最下位でした。プロ野球パ・リーグは73年から82年まで前期·後期の2シーズン制で前期は最下位、後期は頑張って5位でした。80年も前期は最下位でした。

 西武線の池袋駅には当時、西武ライオンズのポスターが柱や壁にあちこちいっぱい貼ってあったのですが、実際の試合は毎回負けてばかりの印象でしたが、球団ニュースポスターはそれでも良いところばっかりピックアップして、西武ライオンズがいかに活躍してるかをアピールしてました。だけど西武線利用者の人たちのイメージは相当悪くて、今でも覚えてますけど、若い二人連れの女性がポスター見ながら「ねえーっ、恥ずかしいねえ」って、顔をしかめて話しながら駅構内を歩き去って行きました。

 西武ライオンズのファンだったと言っても、僕自身、子供の頃から別にプロ野球ファンでもなかったし、子供どおしの遊びのソフトボールもそんなに面白いとも思って遊んでなかった。魔球の出て来る野球漫画は好きだったけど、野球自体はたいして興味もなかった。だから西武ライオンズのファンと言っても知れていて、一回も試合を見に行ったこともなければ、当時はテレビ見ない生活してたから、特にパ・リーグの試合をテレビで見るでもない。

 でも82年、広岡監督に変わってから、西武ライオンズは見違えるように強くなり、この年リーグ優勝を果たし、ついでに82年プロ野球日本一になる。「セニョール·パ」が始まったのがこの82年ですね。「セニョール·パ」は創作の劇画作品だけど、連載毎回の漫画の中に、当時の西武ライオンズの選手たちや監督が出て来てました。立花香織以外の選手や監督はみんな実在したプロ野球選手です。実在の選手たちだけどセニョール·パにからかわれてユーモア感いっぱいに描かれてましたね。

 83年はね、今度はぶっちぎりで強くてダントツでリーグ優勝して、球界の盟主たる読売巨人軍を日本シリーズで破って二年連続で日本一になった。当時の写真週刊誌に西武ライオンズの選手たちが二次会のクラブで大喜びで祝杯を上げる様子が写り、ベテラン田淵選手が「あの巨人を破って日本一になったのだ」という歓喜の言葉が載ってました。

 82年83年となると僕はもう保谷市には居なくて、転勤で群馬県太田市や埼玉県熊谷市に居た時代になりますが、強くなった西武ライオンズは嬉しくて日本一になったのは本当に喜びましたね。多分、対巨人の日本シリーズは見れるときは何とかしてテレビで試合見てると思う。この頃はスポーツ新聞で西武の勝ち負けとか見てたんじゃないかな。

 その後の、森昌彦監督になり清原が新人で入って来て、秋山や石毛、デストラーデ、渡辺投手·工藤投手という、西武黄金時代の数年間は、文句なく西武ライオンズのファンでしたね。その後、僕は帰郷してしばらくして福岡ダイエーホークスのファンになるけど。でもホークスファンになったのって、王監督で優勝した頃からだから90年代末くらいからかなぁ。でも井口選手が好きだったから、そのちょっと前からか。

 

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ブッキラによろしく

 「ブッキラによろしく」は、ストーリー漫画なんだけど、ギャグ漫画みたいにかなり誇張した表現で描く、コメディー調の不思議ミステリー漫画。主人公は二人、女優·タレントなんだけど、どうしようもないドジで間抜けで気の利かない、グズでノロマの女の娘、根沖トロ子と、もともと職業は三流雑誌のルポライターだが、裏稼業で金貸しやユスリ·タカリもやっている、胡散臭いチンピラみたいな間久部録郎。

 東西テレビでは何故か、局制作のドラマやバラエティーなどの番組に、ドジで間抜けで気の利かない、グズでノロマの女優·タレントの根沖トロ子を積極的に起用している。トロ子のあまりのひどさに番組がメチャメチャに壊されることもしばしば。局の番組プロデューサーにたくさんの記者たちが、どうしてあんな超ダメなタレントを各番組に使い続けるのか問うが、プロデューサーは切羽詰まった様子で、どうにもならない理由があるんだと答えるだけ。

 根沖トロ子の番組起用には、局のごく一部の番組制作陣幹部だけが知る極秘があるらしい。三流ルポライターの間久部録郎、通称ロックは、その秘密を解き明かそうとする。番組プロデューサーを脅し着けて“13号スタジオ”というヒントを得る。ロックは直接、喫茶店で根沖トロ子を問い詰めて“ブッキラ”という言葉を引き出す。

 間久部録郎とは手塚治虫作品スターシステムの常連、ロックですね。物語ではチンピラ然としてますが、サングラスに黒いスーツ姿でカッコ良いです。「バンパイヤ」他、手塚漫画によく出て来てますが、ロックはだいたい悪役で、ハンサムな都会派ワルですね。昔は良い役もやってたけど。

 ロックは東西テレビの13号スタジオを、使用してない無人のときに単身調べ、ついに“ブッキラ”に遭遇するが、その不思議な力によってロックはあえなくスタジオから追い払われる。

 実はブッキラとは妖怪で、東西テレビ13号スタジオに棲み着いており、ブッキラは中型犬程度のペット大の小さな妖怪だが超能力を持ち、いたずら好きで不思議な力で撮影の邪魔をする。テレビ局は番組制作の仕事にならなくてブッキラに手を焼いていたが、トロ子にブッキラがなつき、ブッキラはトロ子の言うことを聞いておとなしくなる。

 まるで恋人どおしのように仲の良いトロ子とブッキラの関係で、テレビ局側が根沖トロ子をぞんざいに扱うと、ブッキラが怒って不思議な力で撮影を妨害して番組制作の仕事ができなくしてしまう。だからテレビ局側は根沖トロ子を丁重に扱い、どうしようもなくダメな女優·タレントであっても、いろいろな番組に起用している。

 「ブッキラによろしく」は、秋田書店発行の週刊少年チャンピオン 1985年第20号から第33号まで連載されて、秋田·少年チャンピオンコミックスで全2巻で発行され、後に講談社の手塚治虫漫画全集で全2巻で刊行され、また手塚治虫文庫全集で文庫版全1巻で発行されました。

 現代日本漫画界の創設者と称しても過言でない“漫画の神様”手塚治虫先生が亡くなられたのが1989年2月ですから、後期も後期の作品ですね。僕は「ブッキラによろしく」を雑誌連載で読んだことはなく、読んだのはコミックス単行本で90年代に入ってからですね。

 手塚治虫先生は、ほとんど途切れることなく、週刊少年チャンピオンに創刊号からずっと連載を持ち続けてますね。チャンピオン創刊第1号の「ザ·クレーター」から、連載と連載の間をあんまり置かずに連載が続いている。月二回刊の少年チャンピオンが週刊誌になって直ぐ始まったのが「やけっぱちのマリア」。次が大長編の「ブラックジャック」。そして「ドン·ドラキュラ」から「七色いんこ」と続く。それから「ブッキラによろしく」で、何でも「ブッキラによろしく」は連載打ち切りだったという話ですね。手塚先生の都合だったのか読者人気が芳しくなく出版社側の判断だったのかよく解りませんが。チャンピオン連載最後の作品が「ミッドナイト」。これは86年から87年の連載ですから手塚先生の最晩期の作品の一つですね。

 調べたら「ブッキラによろしく」のチャンピオン連載打ち切りは、手塚先生がアニメの仕事が忙しくなったためらしいですね。でも翌年また直ぐ「ミッドナイト」の連載を始めてるんですが。

 小さな妖怪 ブッキラと恋人どおしのような仲良しになってる根沖トロ子ですが、トロ子は怪奇現象を呼び寄せる体質を持ってるようで、トロ子とロックはいつも不思議な怖い事件に捲き込まれる。トロ子は大事にしてる山羊の縫いぐるみに話し掛けて妖怪のブッキラを呼び出すことができる。たいていの奇怪な事件はブッキラの登場で何とか解決する。

 お話途中からテレビ局にはブッキラとは別の妖怪が出現して荒らし捲って、誤解からトロ子は局を放り出されて女優·タレントの仕事がなくなり部屋に引き籠り状態となる。その内、小悪党のロックの奸計に嵌まり、ブッキラは窮地に陥るが、ロックが改心してトロ子と一緒にブッキラ救出に乗り出す……。

 といったところが「ブッキラによろしく」のおおまかなストーリーですかね。上記で書いてるように連載の途中打ち切りで一応この漫画は未完の作品な訳ですが。 

 僕も「ブッキラによろしく」をコミックス単行本で読んだのは90年代くらいのことですから、物語の後半がどういう内容だったのかはあんまりよく憶えてないですね。ただ物語が連作方式で一話一話、トロ子が怪奇現象を呼び込んで、ブッキラとは別の妖怪もイロイロ登場するのですが、トロ子とロックとが怪奇現象に見舞われて窮地に陥る中、ブッキラの超能力も使って何とか事件を解決するような話が続いたように思う。終盤はロックの悪だくみからブッキラが干物にされて実験材料にされかかったりするんですが…。

 まぁ、何しろ手塚先生が途中で描くの止めちゃった未完の漫画ですしね。

 「ブッキラによろしく」の中で印象深く覚えているお話が、「猿の手」が出て来るお話。「猿の手」をモチーフにしたお話。

 

 「ブッキラによろしく」のお話の中に、イギリスの小説家·ジェイコブズの20世紀初頭のホラー短編「猿の手」をモチーフにした漫画作品があります。評論家の呉智英さんがご自分のエッセイ集の中で書かれてたんですけど、文芸仲間たちと「古今東西一番怖いホラー小説は何か?」を話し合っていて結局、短編だがジェイコブズの「猿の手」が一番怖い、と落ち着いたという逸話のホラー作品が「猿の手」です。

 「猿の手」のおおまかなストーリーは、年老いたイギリス人夫婦の元に訪れたインド帰りの軍人が、会話の成り行きからインドから持ち帰ったいわくのある“猿の手”のミイラを、老夫婦に渡してしまう。

 この猿の手のミイラは、三つの願いごとを叶える妖力があるが、ただしその願いは叶うには叶うが何か代償を伴うものらしい。何とも怪しげで不気味な猿の手のミイラだが、老夫婦は興味津々だった。老夫婦には一人息子が居て、この息子が借金を抱えてた。

 息子の抱える借金といってもそんなに大きな借金じゃなくて、確か家のローンか何かだったかな?最後の一、二ヶ月分が残ってたんだっけか?忘れた。たいした額じゃないけど、猿の手の三つの願いの内一つを、このたいしたことない額が手に入って借金を終わらせたい、と猿の手のミイラに願いごとした。

 一人息子は工場で働いていて、ある日、仕事中に大きな機械に挟まれて死んでしまった。昔のことだから労災なんてなくて、工場の会社からわずかな見舞金というかお悔やみのお金というか、お金が出た。そのお悔やみ金の額が調度、家のローンの残りの金額全部だった。

 つまり猿の手への願いごとは叶った訳ですね。調度借金の額だけ会社から降りた訳だから。ただしとても大きな代償として一人息子の命を失ってしまった。

 一人息子を溺愛していた老母は気が狂わんばかりに嘆き悲しむ。老母は猿の手のミイラの三つの願いの内、まだ二つ残ってるから、その願いごとを使って死んだ息子を生き返らせようと言う。老亭主の方はそんなことをしてはいけない、と必死になって老妻を止める。だが半狂乱の妻は譲らない。亭主はとうとう妻の尋常じゃない熱意に負けて、猿の手に願いごとをするのを承諾する。つまり、猿の手に、死んだ息子を生き返らせて、と頼む。

 「猿の手」は映画にもなっていて、僕の見た作品は怪奇もののオムニバス映画で、つまり短編のホラー映画を四つくらい合わせて、一本の劇場用怪奇映画にしているものの中の一編が「猿の手」だった。この映画の中の他の短編作品はどんな内容だったか全く記憶してないけど、「猿の手」だけは覚えている。

 映画の中で、老夫婦のお婆さんの願いで、土に埋めた死体が土の中から出て来る。海外だし昔の話だから土葬なんですね。この映画では効果的に敢えて生き返る息子の姿を見せないんですね。墓石が倒れ、湿った地面に足跡が着いて行く。やがて家の玄関の開く音がする。老夫婦の居る二階まで階段を登って来る音がする。決して人の姿を映さず背景と音だけで描写する。これがメッチャ怖かった。

 映画の方は、確か、生き返った死人がドアに手を掛けてガチャリとやったトコで終わったと思う。後は想像にお任せします、で映画は終わった。と思う。小説の方は、墓場から家に入って来て階段登って来るトコロをどう描写してたのか記憶にないが、二階のドアをガチャガチャやるのか、ドアをノックするのか、とにかく二階への階段を登り詰めて、生き返った死体がドアを開けようとする寸前、老夫婦の親父の方がストップする。

 小説の方は、死人を生き返らせるなんてこんなことをしてはいけない、と強く思った親父さんが、猿の手に三つ目の願いを言う。最後の三つ目の願いごとは、息子を墓に戻せか何か、二つ目の願いの取り消しだった。恐怖心でいっぱいのお父さんが慌てて、死体を元に戻せ、と三つ目の願いごとを叫ぶと、ドアをガチャガチャやってたのがピタリと止む。ここで物語は終わる。これがメチャメチャ怖い。階段登って来るところが本当に怖い。

 昔々のホラー短編「猿の手」はこういうお話ですね。手塚治虫先生の「ブッキラによろしく」の中の「猿の手」はだいぶアレンジされたお話になってる。「猿の手」を題材に使ったホラー風のダークファンタジー·コメディの妖怪アクションの短編漫画みたいな感じかな。

 「ブッキラによろしく」の中での「猿の手」は、猿の手のミイラが願いごとを三つ叶えてくれて、その代償に悲惨なことが起きるとこは同じですが、原作小説と違うのは、一度自分のものにした猿の手を手放すと、その人は死んでしまうということになっています。

 中国人の肥満した醜い富豪のオバハンが、ムリムリ猿の手のミイラを根沖トロ子に渡した。ボーッとしてるトロ子は何も考えずにミイラを受け取る。この時点で根沖トロ子は落ちぶれてアパートの狭い部屋で暮らしてるのかな?

 富豪のオバハンは猿の手に願いごとをして巨万の富を得たが、代償として容姿が醜くなった。そしてオバハンは猿の手を根沖トロ子に渡すことで、猿の手のミイラを手放し、東京で不慮の死を迎える。このことを知ったロックが事件に乗り出す。

 トロ子がどんなに猿の手のミイラを手放そうとしても、猿の手は必ずトロ子の元へ戻って来る。ロックはトロ子を救おうと考えるがどうにもならない。猿の手のミイラは強い妖力を持っている。ロックは小妖怪であるブッキラを猿の手にぶつけることを考えた。

 ロックによってトロ子のアパートの部屋へ招き入れられたブッキラは、猿の手のミイラと対峙する。ブッキラ対猿の手のミイラの妖力合戦が始まった。猿の手の妖力はもの凄く強い。確かトロ子の部屋での戦いではブッキラは負けるんじゃなかったかな?どうだったろう?

 僕は確かにコミックスで「ブッキラによろしく」は全編読んでるんですが、もうだいぶ前のことなんで細かい内容は忘れてますね。押し入れの段ボール箱漁ったらコミックスが出て来るかも知れないけど、背骨悪くしてから足腰悪くて、重たい本の詰まった箱々をあれこれ動かして捜すのが大変で。以前はこのブログ書くときも持ってる漫画本や資料の本を出して来て調べて書いてたんですけどね。

 ごめんなさい、「ブッキラによろしく」の第6話になる「猿の手」のお話の終盤、難問題の猿の手のミイラの呪いというか、何処に捨てても戻って来てしまって手放してしまうと死が訪れるという恐怖の掟を、いったいどう解決したのか?すっかり忘れてて解りません。妖怪対決で結局ブッキラが勝ったのか?解りません、済みません。終盤の成り行きを記憶してない。

◆ブッキラによろしく! (手塚治虫文庫全集) 文庫手塚 治虫  (著)

 

 手塚治虫漫画作品で妖怪の登場する作品というと有名なもので時代劇の「どろろ」がありますが、短編作品でも妖怪の出て来る短編漫画は時代劇·現代劇けっこうありますね。もともと手塚治虫作品にはホラー漫画も多いですからね。特にホラー漫画の短編は多い。

 手塚治虫作品に出て来る妖怪は、化け猫など有名なものの他は、キツネが化けるものもありますが、手塚治虫が考えたというか手塚治虫が創造した妖怪が多い。このあたりは妖怪漫画の大家·水木しげると違うところですね。

 水木しげるの漫画に出る妖怪たちは、昔からの地方地方に伝わる伝承のような、昔の時代の地方の田舎の伝説のような妖怪ばかりじゃないですか。民俗学的というか、各地方の民間伝承の妖怪を登場させてる。

 手塚治虫のホラー系の漫画に出て来る妖怪は、猫やキツネが化けて超自然的な力を使う以外は、手塚治虫の作った妖怪ですね。妖怪を扱った代表作の「どろろ」でもそうです。民俗学的な民間伝承の妖怪とかは使わない。

 手塚治虫のホラー系漫画には怖いばかりのものでなくて、泣かせるような感動的なお話も多いですけどね。

 手塚治虫の怪奇漫画の内、中国古来の怪談を集めて短編小説集に編んだ、17世紀頃·清代の怪奇短編集「聊斎志異」を題材に扱った、手塚治虫のホラー漫画シリーズもありますが、あれには中国の昔々の怪談だから昔の中国の妖怪話もあったかも。

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