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●漫画・・ 「炎のファイター」

 熱血感動ボクシング劇画の傑作、「炎のファイター」は昭和の児童漫画月刊誌「少年画報」の末期、1967年9月号から連載が始まり、翌68年6月号まで好評掲載が続きました。原作はこの時代の劇画原作の王者、梶原一騎氏の実弟になる真樹日佐夫氏、作画は終末期を迎えようとしている衰退期の、貸本漫画から雑誌に移って来たばかりの、昭和劇画の一方の雄、佐藤まさあき氏です。内容はプロボクシングに、泥まみれの青春の怒りをぶつけるような、熱血感動劇画だったと記憶しています。貧しさと逆境からボクシングに怒りをぶつけて這い上がろうとする、熱血青春劇画だったように思います。

 昭和の劇画作家、佐藤まさあき氏は、辰巳ヨシヒロ氏やさいとうたかを氏らと共に、日本の“劇画”草創期からのメンバーの一人です。佐藤まさあきさんは劇画界きってのハンサムで、相当モテたらしいですね。雑誌漫画界で赤塚不二夫さんが青年時、紅顔の美少年で相当モテたという話の、劇画版でしょうね。佐藤まさあき氏はもう古くから劇画の立役者、辰巳ヨシヒロ氏やさいとうたかを氏らとは共に、“劇画”を振興させようと戦って来た盟友で、氏らは1959年(昭和34年)に貸本劇画界で「劇画工房」なるグループを結成して、お互い切磋琢磨しながらも協力して劇画躍進に全力を注ぎます。「劇画工房」そのものは、参加メンバー作家各人の劇画の作風に対する考え方の違いなどから、結成から1、2年の間にメンバーが何人も抜けて行き、やがてそう時を経ずに解散してしまうのですが、60年代前半までは、まだまだ貸本劇画も隆盛の内にあり、佐藤まさあき氏も精力的に劇画を描き続け、独自の貸本出版社「佐藤プロ」を起こして貸本漫画本の発行までしていました。60年代も半ばに入って来ると、世の中が豊かになって来て週刊誌が台頭し、漫画は雑誌で読み捨てされるようになって来ました。1966年頃から貸本は衰退期に入って行きます。貸本の最盛期っていうのは1958年頃か59年頃から、まあ、63年くらいまででしょうか。その後は徐々に徐々に、貸本は衰退して行きましたね。貸本消滅が69年か1970年くらいですね。

 衰退期に入って来た貸本から、多くの漫画作家が雑誌漫画へと移って来ました。けれど数多くの貸本漫画家が、雑誌移動に失敗したんじゃないですかね。雑誌に移動して成功したのは、オオゲサに言えば指折り数えるくらいの、一握りの実力のある漫画家だったんじゃないでしょうか。佐藤まさあき氏も66年67年くらいから、雑誌へ作品を発表し始めます。一応雑誌デビューは、1967年週間少年マガジン連載の「でっかい奴」となってますね。この漫画は僕も当時、毎週購読するマガジンで毎回読んでました。「炎のファイター」は同じ年67年の月刊誌9月号からですが、確か「でっかい奴」は、週刊少年マガジン新年第1号から新連載ですね。上京した坊主頭ガクラン姿の、バンカラ田舎青年の奮闘譚でしたね。「でっかい奴」は、いつもマガジンの後ろの方のページ掲載でカラー扉もなかったし、あんまり人気は出ませんでしたね。少年画報の「炎のファイター」はメチャ面白かったけど。「炎のファイター」は、血沸き肉踊る熱血青春ボクシング巨編でしたからね。僕の記憶に僕の子供時代に読んだ、週刊少年サンデーに読みきり掲載された、氏の短編作品がおぼろにあって、タイトルは「夕映えの丘に」と覚えてるんですが、内容は確か自伝的作品だったようにかすかな記憶しかありませんでした。ちょっと暗く重たい内容の、短編だけど感動漫画だったように、あやふやに覚えてたんですけど、この漫画を僕が読んだのは小六の頃だとばかり思ってたら、タイトル「夕映えの丘に」でネットで調べてみると、この作品が掲載されたのは1970年の週刊少年サンデーでした。僕は中二か中三ですね。多分中二だろうと思います。内容はやはり、戦時中の疎開生活で苦労した子供時代を振り返るような、重たい内容の話みたいですね。

 僕は昔何かで読んだ記憶で、佐藤まさあき氏は戦災孤児で、少年時代、随分苦労した境遇を持っていて、その実体験が作品の内容というかムードに反映されている、と勝手に思い込んでいたのですが、改めて調べてみると、実際は、戦時中の火災で父親を失い、戦後まもなく母親も失っているようですね。少年時代の境遇は、貧しくいろいろと苦労しているようです。僕は子供時代に近所の貸本屋に毎日通っていましたから、子供の頃から佐藤まさあき氏の劇画作品も読んでいましたが、得意とするアクションものには、主人公が少年時代の貧しく苦しい逆境から、ヤクザ者から殺し屋稼業になってしまったような、暗く重い殺伐ムードな作風が多かったように記憶します。僕の子供の頃の記憶ですから、あるいはもうちょっと歳取ってから読んだ、「日本拳銃無宿・影男シリーズ」の数々の作品の記憶と、混同して覚えてるのかも知れませんが。

 佐藤まさあきさんが仕事の主戦場を雑誌に移した当時、68年69年当時は、青年コミック誌の勃興期でした。雨後の筍の如く、次々と青年コミック誌が誕生した。劇画家・佐藤まさあき先生の作風・画風はどちらかというと、児童漫画よりも青年漫画誌の方がマッチした。佐藤まさあき先生は、60年代末から70年代、青年コミック界で大活躍しました。貸本時代からの代表作シリーズの「日本拳銃無宿・影男シリーズ」の数々の作品、小学館のボーイズライフに好評連載された「Zと呼ばれる男」、そして一方の異色の代表作「ダビデの星」。70年代は佐藤まさあき先生は、数多の青年コミック誌から引っ張りだこ状態だったと言ってもいいくらいの活躍だったと思います。「ダビデの星」は僕もコミックスで昔、多分2、3巻くらいは読んでると思うけど、キラーサイコパスの主人公が女性陵辱犯罪を犯しまくる、エログロSM度満載の問題劇画でしたね。問題劇画って、別に何か騒動が持ち上がった訳ではありませんが、衝撃作で、当時はコミック人気も高く、日活で映画化もされた程でした。ハイティーンの頃、コミックスでまとめて読んだ「Zと呼ばれる男」は、国際スパイアクション劇画で面白かったと覚えてます。アクションものの「影男」も面白かったんだけど、舞台がどっちかというと無国籍ギャングものというより、ヤクザものっぽい雰囲気で、僕には、それ程は馴染めなかったかな。梶原一騎氏が原作担当した、「若い貴族たち」も人気作品でしたねえ。「若い貴族たち」も、志保美悦子さん主演で映画化された。

 月刊誌「少年画報」で「炎のファイター」が人気を博していた当時は、梶原一騎原作の「巨人の星」が大ヒットして以降、少年漫画誌は月刊誌も週刊誌も、いわゆるスポ根ものや、学園番長もの、格闘技・球技の熱血スポーツ青春ものが、漫画の主流を占めていました。僕が中二か中三当時、僕はよく学校で級友たちと雑誌漫画の話をしていましたが、特に僕の方が熱く語っていたんだと思いますが、「炎のファイター」についても、クラスメートのMS君と話したのを覚えています。多分、中三のときだと思うのですが、担任の先生がクラス全員に各々、「将来の夢」を語らせてたんですが、多分ホームルームの時間だと思う、まあ、そういうことがあったんですが、MS君が、将来は“新聞記者”と話していたと憶えています。僕自身がこのとき、何て語ったのか、イマイチはっきり記憶してないんですが、少年時代の僕のことだから多分、将来は“漫画家”と話したんじゃないでしょうか。この時代の14歳頃のことでみんな、具体的な現実的な将来は語らなかったように思うんですが。みんな漠然としていたような気がする。“会社員”とか応えた子は居なかったように思うなあ。

 熱血感動ボクシング劇画「炎のファイター」の中で、僕が印象深く記憶しているシーンは、主人公の青年が、宿敵ライバルのチャンピオンを倒すために行う衝撃特訓。コーチ役の男に、かつてアメリカボクシング界でチャンピオンになった男の話をして、そのチャンピオンの特訓方法、プールの中でパンチを打ち込む練習を教える。プールの水の大きな抵抗に逆らってパンチを打ち、筋力を向上させる訓練ですね。主人公の青年はこれを真似して、さらに過酷な特訓を考え着く。ただの水じゃなくて、重油のプールでパンチを打ち込む特訓を行うんですね。このエピソードを、中学のクラスメートMS君と話したのを記憶してる。僕が中学生の頃、歳の離れた兄貴は当時大学生で、兄貴は空手で大学に入ったが、大学では空手部に入部せず、その内、大学のボクシング部に入部した。中学生の僕は二年生の一学期までで剣道部を辞めていて、中二の途中頃から、大学でボクシングを覚えた兄貴に、家の庭でボクシングの基礎を教えて貰った。ナワトビの跳び方とフットワークの足の運び方、各種パンチと、ジャブとストレートのワンツーの打ち方。中学生の僕は兄貴にボクシングの基礎を習ってから、毎日、家の庭で独り練習で、シャドーボクシングを行った。この当時の僕は毎日の日課で、スクワットと腹筋と腕立て伏せと、戸外で、うさぎ跳びとナワトビとシャドーボクシングを行っていた。小遣いで本屋でボクシングの本を買って来て、技術の研究を勝手に独りでやってみていた。で、ね、「炎のファイター」に影響されて、夏場、何度か市民プールに朝早くから行って、人の居ないプールでシャドーボクシングをやってみていた。水の抵抗は想像以上に強くて、とてもパンチなど打てるものでもなかった。でも僕は、大好きな漫画の主人公と同じような練習が出来て、これは独りで嬉しかった。少年時代から、トレーニングも独り遊びが好きだったんですね。

 「炎のファイター」は、僕は連載リアルタイムで月刊誌・少年画報誌上で読んでいるし、またその後、少年画報社発行のキングコミックスでまとめて全編読んでますが、何しろコミックスで読んだのが何十年も前ですから、お話の内容はほとんど忘れています。月刊誌・少年画報で10ヶ月間連載されてますが、月刊誌連載分でコミックス分厚い1冊で発刊されました。キングコミックスでの初版発行は1969年になってますね。僕が読んだのは、70年代初め頃でしょうね。熱血感動ボクシング劇画で、ドラマの雰囲気は覚えています。貸本時代よりその作風に“復讐ドラマ”が多かった佐藤まさあき氏だけに、やはり漫画のドラマの主軸であるボクシングに懸ける情熱には、主人公の背負う暗く重たい境遇があったように思います。何せ、原作担当の作家が、この時代、「ワル」や「のら犬の丘」という代表作で、不良少年たちの殺伐とした青春ドラマを描いて、漫画をヒットさせていた真樹日佐夫氏ですから。このタッグでは、物語は青春の激しい怒りが迸るようなドラマになって、当然ですよね。大人になってからの記憶で、僕はこの漫画の原作は梶原一騎だと思い込んでいたのですが、最近になって「炎のファイター」の原作が真樹日佐夫だと知って驚きましたが、ああ、確かにそういう感じのストーリーだったようだったな、と納得したものです。兄弟で、同じようなテーマの原作が多くても、兄と弟では作風に微妙な違いがあります。どう説明したら良いのか、描く主人公のヒーローのタイプが違うんですね。極端な話、ステロタイプの正統派ヒーローと、もっと人間くさかったり無頼派だったりする、より等身大に近いキャラかな。兄と弟では、描くヒーローのキャラクターが、内面的な性格が、タイプがちょっと違いますね。主人公のキャラに作家の個性が出るんでしょうね。

 「炎のファイター」というと、アントニオ猪木のリング入場テーマ音楽の方が有名でしょうね。70年代後半、プロレスラー・アントニオ猪木選手が当時のプロボクシング世界ヘビー級チャンピオン、モハメド・アリと戦った異種格闘技戦。世紀の凡戦と揶揄された試合の後、モハメド・アリから猪木選手へ送られた、元々はモハメド・アリのテーマ曲。それから以降は、プロレスを引退した現在まで、猪木寛至さんの登場テーマ曲は、この「炎のファイター」ですね。通り名の「イノキ・ボンバイエ」の名前の方が有名でしょうけど。無論、佐藤まさあきさんの劇画「炎のファイター」と、「イノキ・ボンバイエ」は全く関係ありません。 

 70年代のコミック界で、フル回転で劇画執筆し、大活躍した佐藤まさあき氏は、巨万の富を築きました。“巨万の富”はオオゲサでも、多分、億単位で相当稼いだものと思われますが、80年代に入って事業などで失敗し、財産を失い落胆し、再起を懸けて、再び劇画執筆や自作の出版を行い、90年代何とか立ち直ります。少年時代から苦労に苦労を重ねた佐藤まさあきさんは、浮き沈みの激しい人生を送り、その生涯は波乱万丈だったようですね。96年に自伝エッセイ集「劇画の星をめざして」を上梓してますが、この本に佐藤まさあきさん自身の仔細なプロフィルというか、それまでの人生の歩みが細かに綴られており、また、氏の人生の背景として、昭和の劇画勃興期から雑誌の劇画ブームの時代まで、氏のバックグラウンドである、日本漫画史の中の劇画史が、詳細に描かれているようです。だから日本漫画史の一面を知る、重要な資料となる評論文にもなっているようですね。この本は96年単行本発刊以降は絶版となって久しいようですが、辰巳ヨシヒロ先生の角川文庫版「劇画暮らし」のように、文庫版で復刻発行してくれれば良いんですけどね。

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●小説&漫画・・ 「冷たい密室と博士たち」

 僕が始めて森博嗣さんの小説を読んだのは、90年代半ば頃だ。森博嗣さんの小説デビュー作、「すべてがFになる」。調べてみると「すべてがFになる」の単行本、初版発行が96年の4月だから、僕が当時の書店で買い求めて読み始めたのも、だいたいその頃だろう。単行本というか、新書版の講談社ノベルズだ。初めて知る作家の本をどうして買ったかというと、多分、その本の著者紹介で、作家の森博嗣さんが当時、本職は国立大学工学部の助教授だったからだ。“理系ミステリ!”、この言葉に惹かれた。生まれついてのアンポンタンで脳味噌の出来の悪い僕は、この言葉にひどく弱いのだ。元来SFに憧れてた僕は、ミステリ小説大好きなのだが、特に僕の“理系コンプレックス”から、「理系」という言葉にメチャクチャ憧れててモノ凄く弱い。かつては大阪府立大学工学部出身の、東野圭吾さんのミステリ小説とか。ベストセラー作家・東野圭吾さんの小説にも、理系出身らしいトリックが使われている作品がけっこうありますね。85年デビュー作「放課後」から何作か続けて、僕が東野圭吾作品を読んだのは、東野圭吾さんが理系出身だった、ということが大きかったように思います。まあ、デビュー作「放課後」が、抜群に面白かったからですけどね。「放課後」初出単行本は、腰巻オビの推薦文を遠藤周作が書いてた。懐かしい。東野圭吾さんの大人気シリーズの主人公、湯川学を僕が大ファンで、「ガリレオシリーズ」が大好きなのは、探偵役の湯川学が理系の大学教授で、天才学者だという設定からでしょう。これもウスラバカな僕の、理系コンプレックスに寄るものですね。まあ、「探偵ガリレオ」シリーズはどれも、作品自体メチャ面白いですけどね。

 96年に初めて森博嗣さんの小説を読んで、「すべてがFになる」の作品世界に魅せられた僕は、「すべてがFになる」以降、続けて刊行される森博嗣さんの本を、本屋で新刊を見つける度に即買い求めてました。96年内発刊の「冷たい密室と博士たち」「笑わない数学者」、97年発刊の「詩的私的ジャック」「封印再度」「幻惑の死と使途」、その後が98年発刊の「数奇にして模型」「有限と微小のパン」。実は森博嗣さんの講談社ノベルズ版小説は、98年刊行作品に「夏のレプリカ」と「今はもうない」という本が出てるんですが、もともと遅読の僕が、当時はやはり毎日の仕事は忙しいし、マイカー通勤の片道は早くて1時間、ヘタすれば1時間越えてしまうような通勤時間が掛かってたし、土日に出勤することも多かったし、当時は余暇の付き合いもけっこうあったし、96年から読み続けてた森博嗣作品も、「幻惑の死と使途」で行き詰ってしまってた。まあ、当時は僕も他に、例えば落合信彦の国際政治レポート本だの、精神科医・香山リカの心理学エッセイ本とか、好んで何点も読んでたし、まあ、当時は毎日のように本屋に寄ってたから、何か目に付いた真新しい本は他にも買ってたんですね。だから、そういう評論・エッセイ本に寄り道していたのもあったと思うし、ついに森博嗣さんの執筆即リリースのスピードに、読む方の僕が追い着いて行けなくなった。で、ようやく「幻惑の死と使途」読み終えたら、もう二巻飛ばして三巻目の、というか9作目の「数奇にして模型」が出ていて、「夏のレプリカ」と「今はもうない」も気になったけど、新刊の「数奇にして模型」を買って読み始めて、二冊は飛ばして、結局その後もこの二巻は読んでない。という訳です。

 96年からこっち、年間三作の単行本をリリースするという、小説家・森博嗣先生は、この当時、本業の国立大理系工学部助教授職を全うしながら、恐るべき執筆スピードだと思います。メチャクチャ早い、創作・執筆力の超スピード。それがみんな、小説作品として面白いんですからねえ。正に、質と量の驚くべき能力。理系大学助教授・博士という頭脳にプラスする、プロ小説家で売れて行く文系才能。もう、才能的にはこの上なし、言うコトなし、ですね。素晴らしいアタマ。90年代後半、森博嗣さんのS&Mシリーズに熱中してた頃から、僕は作者の、そのプロフィルに凄く興味があったんですけど、キャラクターはオタク的に多趣味ですね。漫画同人誌で自分でオリジナル漫画描いてたり、鉄道模型に凝ってたり、オーディオなんかの趣味もあるようだし。とにかく、イロイロな趣味がオタク的に深い。頭脳明晰で面白いキャラクター。

 森博嗣さんは文壇プライベートで、京極夏彦さんと仲が良いようなんですが、そういえば僕が京極夏彦の「百鬼夜行シリーズ」の初期の作品を読んでたのも調度、S&Mシリーズに嵌まってた頃だったなあ、と思って調べてみました。僕が読んだ京極夏彦さんの小説作品は、初期の「姑獲鳥の夏」「魍魎の匣」「鉄鼠の檻」の3冊だけなんですね。「姑獲鳥の夏」の講談社ノベルス初版発行が1994年、「魍魎の匣」のリリースが95年、「鉄鼠の檻」が96年の発刊だから、僕が森博嗣作品を読み始める前に、京極夏彦作品を読んでいたことになりますね。まあ、ドーデモイイっちゃドーデモイイ話ですけど。ただ、超分厚い講談社ノベルス、「鉄鼠の檻」は途中で挫折して、ちゃんと最後まで読み上げたのは何と、本を買ってから15年後の2011年か2012年のコトです。ココのタイトルは森博嗣さんの話なんだから、これもドーデモイイっちゃドーデモイイことなんだけど。90年代僕の読書遍歴は、京極夏彦から森博嗣へと行ってたんですね。その後が船戸与一か。

 大人気作家、森博嗣さんの作品で、僕が読んだのは初期作品となる「S&Mシリーズ」だけなんだけど、僕の読んだ8作の中で僕が特に面白かった作品は、「封印再度」と「数奇にして模型」ですね。シリーズの重要な登場人物、女性天才科学者、真賀田 四季博士が登場する、デビュー作「すべてがFになる」と、S&Mシリーズの一応最終作になる「有限と微小のパン」は、それ程は印象に残ってないかな。90年代後半に読んだ作品群なので、もう内容は詳細は忘れてる作品が多いのも事実ですけど。「冷たい密室と博士たち」は、何となく内容のアウトラインはボヤッと憶えてたけど、「詩的私的ジャック」や「幻惑の死と使途」はもう内容はすっかり忘れてますね。ただ、「幻惑の死と使途」はマジック界か奇術そのものがベースだったよーな、とかボンヤリ記憶にありますが。僕は滅多に一度読んだ本を再読しないのですが、「封印再度」は確か面白かったよな、と2年くらい前に再読しました。ぼんやりアウトラインは憶えてたんですけど、読み返して見ると、ああ、成程こんなお話だったんだな、と細かな部分を思い出し思い出しして、十何年ぶりで、面白く楽しく読んだものでした。

 小説家・森博嗣さんのS&Mシリーズ、「すべてがFになる」と「冷たい密室と博士たち」は2007年にコミカライズ作品が出てます。両方とも作画は、浅田寅ヲさんという漫画家さんです。この方、ペンネームが浅田寅ヲという名前ですが、女流漫画家さんですね。女性。確かに絵柄・タッチは線が細くて、少女漫画・レディースコミックのタッチですね。青年コミックの劇画・漫画の絵柄に慣れきっている僕からすると、僕のようなド素人がこんな言い方は失礼極まりないんですが、はっきり言って漫画がヘタに見えますね。タッチはイラスト的なタッチですが、ちょっと、人物の体格のデッサンが少し狂ってるように思われるし、そういう手法で描いてるんでしょうが、やたら人物のアップと引きを繰り返し過ぎるし、無駄に凝って、いろんなアングルから捉えて人物を描いている。映画的手法なのかも知れないけど、一人の人物をセリフごとに、そんなにやたら、いろんな角度から描かなくってもいいだろ、とか思ってしまう(映画的手法というか、シンガーやバンドのプロモーションビデオ・ミュージックビデオ・ビデオクリップの撮影手法みたいな)。背景描写は簡素に思えるし。大きな背景描写も、簡素な線で簡単に描いてる、って感じで。しっかり描きこんだコマも幾つか、あることはあるんだけどね。こういう言い方は本当に悪いんだけど、僕にはヘタな漫画に見えたなあ。スクリーントーン多用で誤魔化してる感。ゴメンナサイ。まあ、少女漫画やレディースコミックの描画では、だいたい、あんまり背景は描き込まないけどね。青年コミックみたいに、リアルに細かくビチッと、背景描きこまないよね。だいたい女流の描く線は細いし、少年漫画や青年コミックに比べると、少女漫画やレディースコミックの背景は、簡素化して描かれてるのがほとんどだと思えるけど。僕はこのS&Mシリーズのコミカライズ作品は、2007年に「冷たい密室と博士たち」だけ買って来て読んでます。僕が青年コミックの構図やタッチに慣れきってるからかも知れないけど、この漫画の描き方は、物語の進行が少し解り辛かったヨーナ。無論、原作の小説で読んだ方が面白いな。と僕は思った。

 漫画家・浅田寅ヲさんは、96年デビューなんですね。コミック界で現在まで活躍中の、どちらかと言うと寡作の作家さんではあるようですが、もうキャリアのある漫画家さんですね。上記の文で、僕は、「すべてがFになる」と「冷たい密室と博士たち」のコミカライズが2007年と記述しましたが、これは僕の間違いで、文庫化が2007年ですね。コミックスでの初出は「すべてがFになる」が2001年、「冷たい密室と博士たち」の方が2002年の発刊ですね。

 

 森博嗣先生の傑作理系ミステリ、小説S&Mシリーズは、2014年10月21日からフジテレビで全10回で放送されました。お話は、S&Mシリーズ原作から五話で、各話が毎週放送2回完結で続いて行きます。「冷たい密室と博士たち」「封印再度」「すべてがFになる」「数奇にして模型」「有限と微小のパン」の原作小説をベースに、若干アレンジした脚本で、TV連続ミステリドラマとして毎週放送ですね。だいたいお話の内容は原作に忠実ですが、原作からはしょった部分や多少アレンジした部分など、ピッタシ原作どおりではないですが、物語のコアの事件部分はほとんど原作と同じですね。主人公の犀川創平准教授(原作では助教授)は俳優の綾野剛さん、もう一人の主人公、西之園萌絵ちゃんは若手女優の武井咲さんが扮してます。

 僕は森博嗣さんの傑作ミステリ小説、S&Mシリーズに熱中して読んでたとき、主人公の一人、国立N大学工学部建築学科の女子学生、西之園萌絵ちゃんというキャラクターに、まるで恋してるみたいに夢中になってました。僕は小説を読むとき、主人公や重要な登場人物に感情移入して読み耽って行くことが多いのですが、例えば、2005年頃読んだ、逢坂剛さんの「牙を剥く都会」に出て来るヒロインの女性なんて、勝手にフジテレビ女子アナの島田彩夏さんをイメージしちゃって、何だか惚れたような気分で読んでました。S&Mシリーズの西之園萌絵ちゃんもそうですね。特にタレントや女優など誰か有名人をイメージしてた訳ではありませんが、TV放映が始まったとき、西之園萌絵は武井咲ではないなあ、と思いました。まあ、武井咲さんも悪い訳ではないですが、小説を読んでイメージするヒロイン、西之園萌絵ちゃんではなかったですねえ。超売れっ子女優、武井咲さんも可愛くて良いですけどね。でも、何か西之園萌絵のイメージではない。身長や体格からキャラクターまで、およそ全てで。

 僕は、物語冒頭で西之園萌絵がコミケにコスプレ姿で出て来るのは、第5作目の「封印再度」だとばかり思い込んでたのですが、二年くらい前に「封印再度」を読み返して、この物語ではなかったんだと気付きました。TV放映の第7回、12月2日放送分を見て解りました。「数奇にして模型」の冒頭部分で、しかもコミケではなくて、モデラーズフェスティバルという模型交換会の会場なんですね。しかも、TVドラマでは萌絵ちゃんはコスプレをイヤイヤさせられてるんですが、原作小説では確か、本人が意識的に、自分からコスプレを着て、しかも楽しんでたと思う。何ヶ月か前、「数奇にして模型」読み返そうかなあ、とか何となく思ってたんですが、TVドラマを見て、事件の内容とか真犯人や動機まで、物語の概要が解ってしまったので、再読するのはあんまり面白みがないですね。再読気分は失せちゃいました。「数奇にして模型」は謎解きミステリというよりもどっちかと言うと、サイコサスペンス的ですね。サイコスリラーぽい雰囲気。物語内容をすっかり忘れきってる「詩的私的ジャック」を読み返してみようかなあ。ちなみに全く未読なんですが、森博嗣先生が2004年から書き始めた「Gシリーズ」に西之園萌絵ちゃん、登場してるんですね。「Gシリーズ」は2013年まで9作が上梓されている。

 TVドラマ版「数奇にして模型」前編で初めて、シリーズの主人公、犀川創平助教授の母親違いの妹、儀同世津子が登場しますが、原作小説では「封印再度」の中で既に登場してますね。

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