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●じじごろう日記。・・ 「2016年・新年ご挨拶」

じじごろう:  あけましておめでとう、じゃ。

ハチ:  皆さん、あけましておめでとうございます。

じじごろう: わしの武勇談、「じじごろう日記。」が再開されたと思ったら、新年のご挨拶になるとはのう。しかも元日ではなく、何と1月5日じゃ。

ハチ: 1月7日までは、まだ松の内だよ。

じじごろう:  じゃが長い休載じゃった。もうわしの「じじごろう日記。」が載らんのかと、心配したぞ。

ハチ: そうだね。随分、長いお休みだったよね。この「じじごろう日記。」カテゴリじゃ、2013年3月以来のアップになるもんね。

じじごろう: しかも、あれじゃろ。休載前の記事は何か変てこりんな、俗物の暴露記事、みたいなもんじゃったろ。世界的な、地球規模ヒーローの、このワシに関しては全く記述されることない、つまらん記事じゃった。「じじごろう日記。」のタイトル着けといて、ワシが出て来んのはおかしいじゃろ!

ハチ: まあ、そうだね。でもあれは何ていうのか、「じじごろう日記。」の中身解体っていうのか、裏側暴露っていうのか、敢えてベースの説明っていうのか、何かそんな内容だよね。

じじごろう: 何が中身解体じゃ。何が裏側暴露じゃ。このスーパースターのワシとは、チーとも関係ない事柄じゃ。

ハチ: でも何か、じじごろうさん創造のモデル、とかって書いてたじゃん。じじごろうさんには、モデルが存在するとか何とか、さ。

じじごろう: この世紀のスーパースター、地球46億年の歴史が生んだ、全能の知能、ワシにモデルがおるじゃと。たわけめっ! 責任者、出て来いっ!

餅賢次: はい、出て来ました。

じじごろう: ん? おまえは何じゃ?

餅賢次: 責任者です。皆様、あけましておめでとうございます。

じじごろう: 誰じゃ?

ハチ: ああ、この人は、このブログの管理人の人だよ。「じじごろう日記。」も初めの頃、ときどき出て来てたよ。名前がさ、Kenとかさ、naojiiとかさ、そんな英字の名前で。あの人だよね? Kenさんとかnaojiiさんとか、ね。

餅賢次: ああ、ハチさん。憶えといてくれて、どうもありがとう。

ハチ: いいえ、どういたしまして。久しぶりに出て来るじゃないですか。「じじごろう日記。」に。

餅賢次: ああ、どうも。

じじごろう: そのケンとかナオジーとか何とかが、何しに出て来た?

餅賢次: いえ、呼ばれましたんで。

じじごろう: 誰が、おまえみたいの、呼ぶか。

餅賢次: いえ、呼ばれました。「責任者、出て来い」って。

じじごろう: 何?おまえは責任者なのか?

餅賢次: ええ。まあ、一応、このブログの管理人でして。ここのサイトで、漫画のこと、あれこれと書いてますし。

じじごろう: ふん、くだらん。 知ったかぶりして漫画のことを評論みたく、ヘタクソな文章で書きおって。内容がショーモナイぞ。何が漫画ブログじゃ。

餅賢次: まあ、確かにおっしゃる通りで、返す言葉もありませんけど。でも、漫画のことが好きで、まあ、好きで書いているブログ、ただそれだけでして。

ハチ: ねえねえ、じじごろうイラストギャラリーとかって、やってたじゃん。あれはもう終わったの?

餅賢次: ハチさん、よくぞ訊いてくれました。あのシリーズは「5」までやったんだけど、実は「6」を書いてて、「6」には、残ってた昔の紙片落書きの「半魚人ママ」の、まあ、落書きイラストを幾つか載せてたんですけど、もう残ってる落書きイラストがそれしかない。みんなヘタクソ落書きイラストなんだけど、特にもう、簡単な「半魚人ママ」イラストがちょっとしかない。これじゃあ、あまりにも芸がない、ってんで、私の昔の若い頃描いてた、割とちゃんとしたイラスト、これが幾つか残ってたんでね、このペン画イラスト載せて、まあ、お茶を濁そうか、と、まあ、そう思いましてね。

じじごろう: えらい長く喋るな。ペラペラ自分のことを、よう喋る奴よの。

ハチ: 自分のことをペラペラ長々喋るのは、じじごろうさんもヒトのコト、言えないけどね。

じじごろう: 何じゃと!

ハチ: まあまあ‥。この人の話、まだ終わってないみたいだから、続きを聞こうよ。

餅賢次: ああ、ありがとうございます。それでね、確か、私が二十代の頃描いてたペン画イラストが、まだ少し残ってた筈と捜したんですが、不思議なことにないのでございます。

じじごろう: 不思議ってことはないじゃろう。無いもんは無いんじゃ。それより、そんなシリーズを勝手に、ここのワシのトコロに載せておって。何じゃ、あれは!?ええと、何とかギャラリーとか何とか。

ハチ: うんーと、確か、じじごろう日記。に番外編て付いてたよね。「じじごろう“昔ルーツ”イラストギャラリー」だっけかな。

餅賢次: よくご存知で。フルでタイトル名、憶えててくれて嬉しいです。じじごろう日記。番外編「じじごろう“昔ルーツ”イラストギャラリー」ですね。これが「1」から「5」まで続いてた訳で。

じじごろう: たわけめっ!何がじじごろうの昔のルーツじゃ。このワシにルーツなんかあるか。ワシが地球のルーツじゃ!

ハチ: まあまあ‥。じじごろさんの歴史は北京原人より古し。ジャワ原人よりも古し。昔々のアフリカ大陸の猿人よりも古いのかな‥。

じじごろう: 誰がアフリカの猿人じゃ。

餅賢次: おかしいな、確かに一冊、20代に描いたスケッチブックが残ってる筈と捜したが、結局見つからず。「イラストギャラリー」とタイトル名打ちながら、肝心のイラストが揃ってないのなら、「6」の記事は挙げられないな、と、このシリーズは中断した次第でして。

ハチ: もしイラストがあったなら、文章は何を書くつもりだったの?

餅賢次: シリーズ「1」~「5」で、私の親父のことを書いたので、もう、紙片落書きイラストも「半魚人ママ」しか残ってないことだし、今度は私の母親のことを書こうかと。

ハチ: ふう~ん。じゃあ、もう「じじごろう日記。番外編」のイラストギャラリーの続編はやらないんだ?

餅賢次: はい。載せるイラストがないもので。あのシリーズは終わりました。

じじごろう: そうか。では、管理人とやら、ここはこのワシの専門サイトじゃ。

ハチ: 専門サイト、でもないけどね。カテゴリがね。

じじごろう: つまらん俗物暴露記事なんか書くのは辞めて、このワシの武勇伝でも英雄譚でも何でも、ワシのことを書いて行け。解ったか。

餅賢次: ははあ~っ。かしこまりましてございます。

じじごろう: それでよろしい。

ハチ: そんなかしこまって、しゃちほこばるコトないよ。もっと気楽にさあ、その、昔のスケッチブックが見つかったらまた「イラストギャラリー」の続き、書けば良いじゃん。

じじごろう: 誰がスケベエッチじゃ。

ハチ: スケッチブックって言ったんだよ。じじごろうさん、馬鹿なの?

じじごろう: 何じゃと!この野良犬がっ。このワシを何と思うとるかっ!

ハチ: はいはい。とにかく、皆さん2016年、今年もよろしくね。

じじごろう: そうじゃの。下々の庶民たちよ、2016年の今年もよろしくなのじゃ。

餅賢次: 皆様、2016年、本年もどうぞ、拙ブログ「Kenの漫画読み日記。」をよろしくお願いします。皆さん、読んでね。 

 

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●じじごろう日記。(番外編)・・ 「じじごろう“昔・ルーツ”イラスト」ギャラリー(5)

 僕のキャラクター、“じじごろう”の原型イラスト、第5弾です。カッコ良く、イラストなんて呼んじゃってますが、まあ、落書きです。暇つぶしでボールペンで、大学ノートや裏に印刷された紙片に、チャチャッて描いた、落書きイラスト。それももうノートに描いたものは残ってなく、あと、出て来たのは紙片にテキトーに描いたものばかりです。紙片の貼り合わせスキャンの第2弾ですね。僕の実の親父モデルで、“じじごろう”はここから始まりました。

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 多分、89年か90年頃に描いたものばかりで、左上がタイガーマスクじじごろう、その下がミッキーじじごろう、右上はダイヤル式電話の受話器で話すじじごろう。右下は、劇画調じじごろう。隣の女性は多分、妹でしょうね。当時、妹は美しくか可愛く描かないと激怒してたから。ミッキーじじごろうは、リボンがあるから、ミニーじじごろうなのかも。

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 じじごろう七変化。小鳥と狼と、何か大きな鳥とかたつむり。まあ、暇つぶしの落書きですから、面白がって、テキトーにいろいろと描いてましたね。最初は一応、親父モデルですけど、このへんの落書きイラストになるともう、親父から離れて単にギャグ気分で描いてるだけですね。

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 禿げワシじじごろうと犬じじごろう。この当時の落書きイラストじじごろうには、犬仕様で描いたものが多いのだが、残っているものも少ない。やっぱ、昔、超愚かしい、色ボケ放蕩で母親を泣かせた親父を馬鹿にしていたから、軽蔑を籠めて“犬”にして描いてたんですね。まあ、動物の犬のサカリは、種族保存の繁殖行為だから、一緒にしたら犬に悪いですけど。親父が色ボケに狂ってた頃、噂では、親父は会社もサボって、昼間から愛人の家へ行き、それは凄まじい痴態を繰り広げていると評判になり、会社の若い人たち、元は直属の部下だったような若い社員たちなどが、みんなで覗きに行っていたとか、そういう噂話も母や僕たち親子の耳にも届いて来ました。あー、恥ずかしい。覗きは、窓やカーテンの隙間から、時には肩車して覗いていたんだとか。この当時、親父は電力会社のこの地域の本部みたいな事務所の一角で、一応肩書きが付いてたけど、何か閑職に居たみたいですね。まあ、当時、もう50歳くらいなってたろうから窓際だったのかな(?)。相手の女は生涯ホステス業で、夜の仕事だから昼間は家に居るし、親父も会社の机でジーッとしてらんなかったんでしょうね。あー恥ずかしい。けっこう親父は高給取りだったから、これから一、二年で中途退社したのは、毎月給や満額の退職金が勿体無かったですね。それでも、電力会社を50歳ちょっとで辞めた退職金は、けっこうな額あったんでしょうが、母親は一銭も貰わずに、無一文で子供を連れて家を出てあばら家に越したから、その退職金を数多居る債権者たちで分けたんでしょうね。兄貴に聞いた話だと、示談で中に入ったある人も、ドサクサに紛れて、そこからかなりな額を持って行っちゃったんだとか。横取りですね。今の時代なら、弁護士を入れて法的に解決してたんだろうし、母親の取り分もあったかも知れない。まったく、親父はどうして、あんな馬鹿なことをしでかしたんだろう?

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 じごろうアップ4種。考えに耽るじじごろう。でも考えてるのは肉のことか。カラオケじじごろう。オカミサンじじごろうと、これはセーラー服を着た女装じじごろうですね。考えるじじごろうは、チンチン強調。でも考えてるのはエッチなことではない。あの騒動の当時、間に入った人の一人が、親父は狂ってるんだから、精神病院に入れた方が良い、と母親に勧めていたけど、実際、あの頃の親父は「性依存症」状態で病気だったのかも知れない。「性依存症」は通俗的な別名を「セックス中毒」と言われていて、現代では内外で精神障害として認知された症例も多い。特に、この「性依存症」の症例が出た有名人として、アメリカの俳優で、マイケル・ダグラス、チャーリー・シーン、デビッド・ドゥカブニーとかが有名ですね。「Xファイル」のデビッド・ドゥカブニーは、一度、ネットのニュースで話題になった。あの時期、会社を休職して親父を入院させておけば、また、事態は変わって行ってたのかも。まあ、親父は抜け出して愛人のところへ行こうとするだろうから、隔離病棟に入れてもらって。それで何とか会社を辞めずに弁護士を入れて解決に当たってもらっていたら、その先の僕たち家族の将来もだいぶ変わったものになってたんだろうな。まあ、親父を精神病院に入れるなんて、当時は、親戚連中が絶対許さなかっただろうけど。

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 これは親父モデルのじじごろう以外に、“半魚人ママ”。「ギャラリー3」で記したように、僕の母親は魚の鯛に似ていると言われていて鯛焼きが好物だったから、僕は母親を“半魚人”ふうに描いた。半魚人ママのおでこのあたりに、チンチン様の角が生えているのはご愛嬌。特に意味はなく、ただ、僕がシモネタ好きなので、半魚人ママの頭にチンチンを付けただけです。深海魚のチョウチンアンコウの、頭の先の角と同じですね。あれがチンチン状になってるだけ。チョウチンアンコウの角は“誘引突起”と呼ぶのか。僕の母親の好物は甘いものでしたから、上の絵ではペロペロキャンデーを舐めてます。驚く、じじごろう。特にお袋の好物は鯛焼きとか、関東で言う今川焼、こちらでは回転焼とか太鼓饅頭とかいうヤツ。

 下の絵は、半魚人ママに殴られるじじごろう。僕が子供の頃は夫婦喧嘩は見なかったけど、僕が小六か中学に入る頃になると、親父とお袋はよく喧嘩してましたねえ。親父は飲みには行ってたけど、社交的で人付き合いの良い親父は、みんなでワイワイやるのが好きで、先ず、一人で飲み屋に行くことはなかったのですが、僕が中学生になった頃には、女目当てで行くようになってたんじゃないかな。また、昔は午後十時頃までには帰宅していた親父も、僕の小六頃からはよく、午前一時頃酔っ払って帰って来るようになった。この頃、僕は「午前様」という言葉を覚えた。僕の小六頃には家に借金も出来ていて、「午前様」で裏口から帰って来る親父を、母親が箒で叩いたりしていた。一度、深夜に裏口から入って来た親父の頭を、母が、いきなり、茶碗や皿が山盛りで入った目篭で殴りつけたことがあった。当然、茶碗や皿はグシャグシャに割れた。親父の頭は大丈夫だったように思う。あの時は僕はまだ起きていて、親父が裏の倉庫で寝て、お袋が、夜中の午前二時とか三時頃に呼びに行ってた。倉庫でまたひと悶着やってたけど。あの頃までは親父もまだ、おかしくなってなかった、という感じだったけど、つまり、それまでとは別に、性格的に、人格的に違和感はなかったけど、僕の中三時ではもう、明らかに親父は変わっていて、別人みたいにおかしくなっていた。

 僕の中学卒業前頃に親父がオイオイ号泣してて、それを見て、あそこで、僕は完全に親父を軽蔑しきったように思う。見下しきった、というか、馬鹿にしきった。僕の児童期から小学校時代の優しくて頼もしい親父は、僕の中学生時代にだんだん変わって行き、ついに落ちるところまで堕ちた。あれが精神的な親父との別れだったなあ。完全な決別。僕の小学生時代までは、人当たりが良くて社交的で、外でも家の中でも変わらず穏やかで、仕事熱心で責任感のある真面目な親父。大きくて、とても頼もしい親父が‥。人は変わる。

 と、まあ、いろいろと書き込んで来ましたが、ここで述べて来たウチの家のコトは、もう何十年も前の話で、一番の当事者の親父も何年か前に死に、多分、あの頃、この件に関わって来た人たちも大半は亡くなっているだろうと思う。ウチの家が借金で火だるまで、当時、毎晩ウチに集まっていた親戚の人たちも、ほとんどが死んでしまっている。個人的なコトとしては、遠い昔の話。はるか昔の話です。キャラクター、じじごろうは残ってるけど。

◆2013-03/06「じじごろう“昔・ルーツ”イラスト」 ギャラリー(1)
◆2013-03/07「じじごろう“昔・ルーツ”イラスト」ギャラリー(2)
◆2013-03/10「じじごろう“昔・ルーツ”イラスト」ギャラリー(3)
◆2013-03/15「じじごろう“昔・ルーツ”イラスト」ギャラリー(4)

 

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●じじごろう日記。(番外編)・・ 「じじごろう“昔・ルーツ”イラスト」ギャラリー(4)

 僕の創ったキャラクター“じじごろう”の原型イラストとなる、80年代末頃当時の、ボールペン描き・落書きイラストの第四弾になります。ここで紹介する分は、大学ノートの落書きではなく、紙片にテキトーに描いたものです。裏が印刷された紙片に、暇つぶしでボールペンで気ままにチャチャッと描いたもので、ぺらぺらしてるので、厚紙画用紙に張り合わせてスキャンし、ここにアップしました。

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 ギャラリー(3)のところで書き込んだように、80年代後半に描いた、僕の親父をモデルにした原型“じじごろう”の絵では、掛けている眼鏡にヒビが入っています。これはギャラリー(3)での説明通りです。当時僕は、正直、親父はよく、愛人の息子に殺されなくて済んだなあ、とか、ヤクヅケにされなくて良かったなあ、とか思ってました。まあ、いわゆる“ヤク”なんてものは相当高価なものでしょうから、自分の母親の情夫に使うくらいなら、自分が使用するでしょうからね。息子は、入所出所を繰り返してたヤク中だったし。親父が愛人と離れていた時期に、一度、親父がウチに来て、この“ヤク中”息子の話をしてたことがあって、親父の話に寄ると、禁断症状が出たひどい時には、家の中で、バットや斧までも持ち出して振り回し、室内をメチャクチャに破壊したそうです。「神様があ~、神様があ~!」と叫びながら、斧を振り回して、壁や家具を叩き壊していたとか。幻視や幻聴に苦しめられていたんでしょうね。ヤクブツとかトルエン等の劇物とは、恐ろしいものですね。また、人間とはモロくて弱いものだ。いろいろな意味で。

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 続けて、“じじごろう”のアップ・シリーズ。劇画調じじごろうやウルウルじじごろう、号泣じじごろう。左上はイエティぽいじじごろう、かな。親父の顔の特徴は鼻の下が長かったこと。昔の人としては大男の親父は顔もデカくて長くて、鼻の下が長かったので、漫画調似顔絵にしたとき、鼻の下をデフォルメで異常に長く描きました。実物の顔の本当の鼻の下は、人並みよりもちょっと長い程度ですよ。お化けじゃないんだから。

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 ゴミを漁るじじごろう。生ゴミの中から食べ物を探しているトコロですね。親父が放蕩に明け暮れていた時代、親父が湯水の如く大金を、場末のバーの年増ホステスに注ぎ込むもんだから、一介のサラリーマンだった親父自身には当然、そんな金はなく、貢ぐ大金はほとんどが借金して得ていた。この場合では“不幸”なことに、それまでの親父は顔が広く、信望が厚かった。親父はあちこちの知人から、どんどん借金を作っていった。で、その後、巨額に膨れ上がった借金の催促に、数多の借金取りたちが毎日毎晩、ウチの家に来訪して集まっていた。騒動にまでなってしまっている、金の揉め事の解決のために、示談に入ってくれた人が何人か居て、今だったら、弁護士に頼んで中に入って貰って解決にあたるんでしょうが、当時はどうだったんだろう?法整備とかまだ整っていなかったのか、両親や親戚たちに金銭問題の解決の知識がなかったのか、弁護士に頼まずに、知り合いの示談屋みたいな人、あるいは素人でも示談解決出来そうな、頭のキレる人に中に入って、問題解決に当たって貰っていた。昭和40年代半ば頃の話だから、一般庶民的には、金銭問題のこじれなどは、弁護士に頼んで解決する方法は取っていなかったのかも知れない。また、会社を辞める前の親父は顔が広くて信用があったから、個人的な“信用貸し”の借金が多かったですからね。

 で、親父の債務問題で中に入ってくれた人の一人に、元は同じ電力会社の社員で親父よりも年長で、元は職場の先輩にあたり、何らかの事情で既に中途退社していた、I さんというオジサンが居て、この方が、当時の憔悴しきった僕の母親に話していたことが、「Mさん(僕の親父)は、今の会社を辞めて、奥さんとも別れると、落ちぶれ果てて、街の中のゴミをどんどん漁って回るような生き方になりますよ」という言葉で、これを僕が印象深く憶えていて、80年代末頃、暇つぶしの落書きで描いてた親父モデルのイラストで、「ゴミ漁り・じじごろう」を描いてました。まあ、完全に馬鹿にしきっていますが、当時は、僕には、親父が、別に特に美人でも何でもない、小太りの場末のバーの年増ホステスに、しかも噂では男から男を渡り歩いて、離婚歴があり子持ちの生涯水商売女に、あちこちあらん限り金を借り回って、サラリーマンとしては巨額の借金を作ってまで、貢いで、注ぎ込んで、家庭も仕事もメチャクチャに壊した親父の色ボケ行為を、これ以上ない愚かしい行為を取った、“馬鹿”そのものに見えてました。だから、この当時、僕は、軽蔑の意味も込めて、落書きで「ゴミ漁り・じじごろう」を描いちゃった。

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 猛スピードで走るじじごろう。全速・じじごろう。左側の絵は、ジョイナー・じじごろう。アメリカの陸上選手、フローレンス・ジョイナーがクローズアップされたのは、1988年開催のソウルオリンピックで、陸上競技で3個の金メダルを取ってからですから、この、紙片の落書きイラストは88年以降に僕が描いたものですね。まあ、じじごろうを使ったパロディーです。じじごろう七変化。やはり、親父の放蕩の象徴である“チンチン”は、強調して描いてますね。

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 この頃の落書き“じじごろう”イラストでは、犬仕様で描いたものも多い。じじごろう犬。左上の絵は、犬になったじじごろうとムク犬が戯れてる場面。左下はゴミ漁りじじごろうの変形版で、てんとう虫になったじじごろうがゴミ山に向かい、ゴミ漁りしているシーン。上に乗っているのは僕の妹で、親父の末っ子の娘です。この当時、どーも、僕の頭の中で親父をイメージすると、ついつい、I さんの言った、「奥さんと別れると、どんどんゴミ漁りするようになりますよ」のセリフが頭から離れなくて、何枚も、ゴミとじじごろうを描いてしまっている。右はヤモリになったじじごろう。住まいの窓ガラスにはよく、ヤモリ=カベチョロがやって来て張り付くので、窓に張り付くカベチョロ見ながら、“カベチョロじじごろう”を描いてしまいました。

◆2013-03/06「じじごろう“昔・ルーツ”イラスト」 ギャラリー(1)
◆2013-03/07「じじごろう“昔・ルーツ”イラスト」ギャラリー(2)
◆2013-03/10「じじごろう“昔・ルーツ”イラスト」ギャラリー(3) 

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●じじごろう日記。(番外編)・・ 「じじごろう“昔・ルーツ”イラスト」ギャラリー(3)

 1987年頃に僕が暇に任せて、大学ノートにボールペンで落書きした、“じじごろう”の原型イラストの第三弾です。僕の創り出したキャラクター・じじごろうは、僕の親父がモデルです。

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 女装(オカマ)じじごろう。実在モデルの親父には、女装癖やカマッ気はありませんでした。面白がって描いただけです。

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 セーラー服じじごろう。これらはあくまで落書きの範疇で、下書きなしでテキトーに描いてるものですから、絵は粗いし、まあ、ヘタクソです。でも、我ながら、この当時は、下書きやアタリもなしによくここまで描けてたな、とも思う。

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 女装じじごろう。僕は女性ファッションに疎いから、洋服スタイルはテキトーです。アイドルみたくドレスアップのつもり。

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 背広じじごろう。昔、親父も時には、フォーマルな姿で出掛けることもありました。巨大なチンチンは、色ボケ・放蕩で母を泣かせた親父の象徴です。87年頃、キャラクター“じじごろう”の原型となる、親父の落書きイラストはいっぱい描いてるんですが、残っているものはあんまりありません。半分以上はチンチンが描かれています。巨大化しているか、棒のように、ニョロニョロ蛇のように、長く伸びたチンチンの先で皿を回す姿。色ボケ・放蕩の象徴ですが、意外と「交接」シーンはありません。僕は、生々しいのは嫌なんです。巨大チンチンは、ある意味、皮肉や冗談で、まあ、「色ボケ・放蕩」を馬鹿にしてるんですけど。

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 ギャラリー(1)で述べたように、親父は動物で言うと「ゴリラ」なので、この当時の落書きじじごろうには、ゴリラのように体毛で覆われた姿がいっぱいあります。もともと親父は、毛深くて若禿げでした。左の老婆の絵は、母方の祖母です。親父の行き過ぎた女遊びで僕の母を泣かせたので、怒った祖母が幽霊となって出て来たのです。87年当時はもう、母方の祖母は亡くなっていました。親父の「女遊び」は行き過ぎ、というよりはもうムチャクチャでした。この当時僕は、松田聖子のヒット曲 ♪「ああ~、私の恋はァー、南の~風に乗って走るわ~」という歌を、鼻歌で、♪「ああ~、ワシの恋はァー、家も仕事もメチャクチャに壊してしまったわ~」と、親父バージョンの替え歌で、字余りで歌ってたものです。

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 婆ちゃんの霊に怒られますが、母方婆ちゃんの幽霊、裸バージョン。だから、この当時は、原型じじごろうばかりを描いていた訳ではなく、もっとイロイロあったのですが、あくまで暇つぶし落書きだったので、多分、当時捨ててしまってて、残ってるのは一部だけなのです。そして前に述べたように、落書きイラストは何枚か繋がりで、簡単な一つのストーリーがありました。

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 親父の一家。左から親父、妹、兄貴、母、兄嫁。妹は可愛く描かないと激怒するので、顔だけは出来るだけ可愛く、身体はチンパンジー。兄は一応、精悍タイプのハンサム。親父のDNAを受け継いで、長く伸ばしたチンチンで、皿を回してます。深い意味はありません。テキトーに描いただけです。僕の母親は昔から「タイタイジジコ」に似ている、つまり魚の鯛に似ている、と言われていたので、また鯛焼きが好きだったので、思い切って「半魚人」にしてみました。半魚人ママ。兄嫁は、もの凄く食欲旺盛な女性で太ってたので、申し訳ないけど「豚」仕様で描きました。

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 この当時、女優の斉藤由貴が人気アイドルで、シャンプーのTVコマーシャルに出てました。「朝シャン」ブームの時代で、学校の教室でクラスメートに「おはよう、朝のシャンプー娘!」と呼ばれて、斉藤由貴が「違うってば違うってばー、そんなんじゃないってばー」と、焦って否定するシーンが、TVで流れてました。その、お袋版パロディー。半魚人ママの“朝シャン娘”。

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 セーラー服女学生じじごろうと妹。妹は、顔を可愛くしないと激怒していたのです。鼻の下の長いのは親父似。昔々、実は親父はハンサムだったんだそうです。親父は復員傷痍軍人で、太平洋戦争の前線で爆撃に合い、生死の境を彷徨い、九死に一生を得て助かり、復活しました。親父は一度は破壊された顔だったのです。昔、僕はよく母に、「親父の耳元で『あんたみたいな怖い顔は、私以外に女は出来ないわね』とか囁いたから、親父は『馬鹿にするな!』と、年喰ってから、俺にも出来ると、“女遊び”なんかしたんだろう」と、冗談で言ってました。無論、母親は否定してましたが。あの時代、色ボケとはいえ、親父がどうしてあんな破滅行動を取ったのか、僕には解らず終いです。男から男に渡り歩いて、水商売人生を生きて来た場末の年増ホステスに、家庭も仕事もメチャメチャにして、地位も信用も全部、捨て去ってまで、飲み屋の女にのめり込んだのか、僕にはさっぱり解りません。

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 丸禿げじじごろう。まあ、冗談で描いてるんですが、チンチンだけは強調しています。親父の髪は脇と後ろはいっぱいあって、前頭部から頭頂の禿げでした。戦争で受けた顔のゆがみを少しでもソフトに見せるために、親父はサングラスに近いような、色の濃い眼鏡を掛けてました。一時は、レンズ面の割れた眼鏡を掛けてました。愛人の、別れた亭主との間の息子が、入所出所を何度も繰り返す、ヤク中で、禁断症状が出た折り暴れて、親父はその被害に合い、眼鏡を割られたんだそうです。だから、この当時の“じじごろう”の絵のキャラは、眼鏡のレンズ面にヒビが入ったものが多い筈なんだけど、残ったイラストを見てみると、意外とヒビは入ってませんね。「落書き」ですから捨ててしまった絵も多いですからね。それらに描いてたんでしょう。ヒビ。この息子もウチの親父が大嫌いで、自分の母親(愛人)から引き剥がそうと苦労したそうですが、親父がとうとう居着いちゃった。まあ、この息子も入所出所を繰り返すから、家に居ない間も長かったでしょうからね。その後、親父はこの愛人とも離れていた期間があり、親父の姉、僕の伯母にあたる人が、親父にアパートを借りて独りで住まわせていたら、禁断症状の息子から逃げて来た愛人がアパートに入って来て、また一緒に住みだした。伯母はカンカンになって怒ってましたが。そして、自分の母親(愛人)を追っ掛けて息子がやって来て、伯母が借りたアパートを親父が追い出されて、愛人親子が住み着いた。どこまでもヒトノイイ親父でした。

 と、まあ、何だかんだと書いて来ても、僕自身の実父であることは間違いありません。でも、親父が色ボケの狂行で大借金を作って、母親を苦しませ泣かせていた、あの時代、14、15歳の調度思春期頃だった僕に、何らかのトラウマを植え付けたことは間違いありません。色ボケ狂行の真っ只中の親父の口癖、「毒を喰らわば皿までも」を実行・実践してしまった訳ですが、その後、家族はもとより、自分自身も随分苦労したようです。「ヤケクソ」だったんだろうけど、その当時の親父の心情や、詳しい理由は解らないまま終わりました。長年勤めて一度は出世を見た電力会社を辞める前に、一度、号泣してる姿を見ました。僕は、15歳で親父と別れてから、何度かしか会ったことはありません。ロクに会話もなく。もし仮に何かちゃんと話をしてても、親父は理由や心情の吐露なんてしなかったでしょうしね。社交的で人付き合いの良い人でしたが、自分の内面は語らない人だったから。もともとは穏やかな温情主義で、社交的で人付き合いが良く、真面目で仕事熱心な親父は、善良な一サラリーマンでした。あの時、騒動の間に入った人に寄っては、「戦争の爆撃の後遺症が今頃、脳に出たのだ」という人も居ました。本当に狂ったのか(?)。今となっては何も解りません。「魔が差した」、人間にはこれがあるし、「魔が差す」ことは誰にもありうることです。僕が、自分の人生・一生で幼児期から小学生の時代が、一番好きで最高だと思うのは、実は親父が、怖い面もあったけど、優しくて頼もしくって無敵の味方みたいに思えてたからかも知れない。僕が子供の間は‥。その親父も、何年か前にあの世に行っちゃってるし‥。人はどう生きても、一つの人生。

◆(2013-03/06)じじごろう日記。(番外編)・・ 「じじごろう“昔・ルーツ”イラスト」 ギャラリー(1)
◆(2013-03/07)じじごろう日記。(番外編)・・ 「じじごろう“昔・ルーツ”イラスト」ギャラリー(2) 

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●じじごろう日記。(番外編)・・ 「じじごろう“昔・ルーツ”イラスト」ギャラリー(2)

 僕が1987年頃に暇に任せて、大学ノートにボールペンで描いた落書きイラスト、今から思えば“じじごろう”というキャラクターの原型・ルーツとなる、落書きイラストの第二弾です。

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 じじごろう日記。(番外編)・・ 「じじごろう“昔・ルーツ”イラスト」ギャラリー(1)で述べたように、87年当時に僕の描いた大学ノートの落書きイラストでは、それぞれに一応、単純なストーリーがありました。ここでの設定では、じじごろうの股間の“本”チンチン の根元から、まるでサボテンのように子チンチンが生えて来るんですが、それを同居の愛人がもいでソテーにしてしまったので、その料理を見て、じじごろうが驚いている様子です。

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 自分が寝ている間に、同居愛人に、可愛い子チンチンをもがれてしまって、悲嘆にくれて泣くじじごろう。

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 子チンチンの墓を立てて、墓前で泣きじゃくるじじごろう。
 前回述べたように、「じじごろう」原型のモデルは僕の実父で、当時の僕は、家庭も仕事もブチ壊して大借金を作ってまでして、場末のバーの年増ホステスに湯水の如く大金を注ぎ込む親父を馬鹿にしていたので、この当時の僕の落書きイラストのストーリーには、よく、同居する“愛人”も登場してた。

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 これはまた、お話が違うんですね。当時のノート落書きの、じじごろうの得意技は、自分のチンチンを巨大化して強力な武器に変え、それを振り回して何でもブチ壊してしまう力です。これはその、スーパージャンボチンポハリケーンで街ごと破壊する様子です。

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 続きで、じじごろうの暴挙に、ついにウルトラマンが出動。じじごろうの自慢の巨大チンチンと、ウルトラマンが戦います。背後でじじごろうの破壊した街が焼けてます。

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 これはまたエピソードが違い、じじごろうが長崎オランダ村で行われる、世界の大道芸人大会で、自分の皿回しの演技を披露している様子です。じじごろうの本職は大道芸人で、当時はまだハウステンボスが出来る前で、長崎には、ハウステンボスの前身とも言える、“長崎オランダ村”というテーマパークがあり、そこで毎年“世界の大道芸人大会”という催しが行われていました。大道芸人・じじごろうの設定は、特技として、棒のように大蛇のように伸ばしたチンチンの先で皿回しをして見せる、という超人ワザを持っている、普段はフンドシ一枚で居る裸の大道芸人、というプロフィルでした。無論あくまで、全部フィクション設定です。お話では、この超人ワザは、他の追随を許さぬ凄技ですが、興行や大会の人前で披露すると、公然猥褻で警察に捕まるという、アンビバレンツな両面性を持ち、大道芸人・じじごろうに取っては致命的な悩みの種でした。

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 普段のじじごろうアップ。だいたいいつもフンドシ一枚姿設定ですが、僕の落書きイラストでは、“色ボケ”の象徴であるチンチンもいつも強調して描いてました。もともとのモデルがゴリラ似なので、ついセリフも「ゴッホ、ゴッホ」が多い。

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 まあ、ヘタクソな僕の落書きボールペン画ですが、これは、じじごろうが人前で、にょろにょろと伸ばした自慢の“蛇”チンチンで皿を回している一場面。ボールペンで下書きなしでササッと描いた落書きですから、まあ、ヘタクソで勘弁してください。

じじごろう日記。(番外編)・・ 「じじごろう“昔・ルーツ”イラスト」ギャラリー(3)へ続く。


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