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「ロマンスの神様」




 先週のTV歌番組「歌の大辞テン」で、久しぶりに見るシンガー広瀬香美さんが御自分の最大ヒット曲「ロマンスの神様」を歌ってました。平成6年か平成8年だかのナンバー1ヒット曲でミリオンをどんと越えた大ヒット曲ということでした。それにしてもこんな高音曲を歌いこなす声量がすごい。僕はこの歌が流行っている頃、カラオケで皆の前でこの歌をそのまま歌いました、最後まで、普通に男の声で。歌えるわけがないのに。酒が入っていて恥知らずに輪を掛けていたのでしょうね。尚、「歌の大辞テン」は先週の特番をもって終わったようです。中山エミリちゃんの前に、飯島直子さんが司会に居たんですね、全然憶えてないなあ。

 
 
 さて、漫画です。「ロマンスの神様」。この題名の漫画があります。これは、紙に印刷された漫画のことメインの記事ですから、「ロマンスの神様」の歌でなく、漫画です。まあだいたい何か、古い漫画作品の紹介のようになってますね、このブログ。この「ロマンスの神様」って漫画もおっそろしく古いです。平成の若い女性シンガー広瀬香美さんが、よくこんな「ロマンス」なんて言葉使いましたよね。死語じゃないけどロマンスなんて言葉、今の人は普通、使ってるかなあ。僕の中じゃ「ロマンス」って言葉は、50年代の終わり頃から60年代に使われた言葉ですね。その頃流行っていうかよく使われていた言葉という気がする。だから僕の紹介する「ロマンスの神様」も何と1964年の作品です。

 

 漫画の「ロマンスの神様」は、昔まだ貸本という世界があった頃のものです。貸本という流通形式は、貸本専門の出版社があり、貸本専門の漫画家が居て、各地方に貸本屋という漫画本の一泊賃貸しの本屋の小店があり、毎日借りに来る若い工員や少年などの読者が居て、成り立っていた1950年代から60年代の中ごろまで隆盛をある程度極めた娯楽媒体です。70年くらいにはもう消えたのではないでしょうか。貸本はA5版でだいたい一冊130ページくらいで1作者1作品、中にはオムニバス形式の複数作家短編集もありましたが、レンタルブックで雑誌に比べてずっと厚い良質紙使用で、各本は次から次と貸本屋さんを回ってました。当時の漫画界メジャーは勿論雑誌ですが、雑誌に描いている作家は一握りで、貸本界は玉石混交状態で、いろいろな作家が居ていろんな作品を描いていましたし、また、メジャー界の有名漫画家も過去に貸本で作品を出したりしていました。1950年代60年代のTV番組がまだ充実していなかった頃の、主に中学卒の若い工員や作業員や少年達の夜の余暇の娯楽の一つだったのだと思います。貸本誌全盛は、50年代半ばから60年代半ば頃まででしょうね。60年代後半に入って、大手出版社がB6版新書版コミックスという自分とこの雑誌などに連載したものをまとめて刊行するという形式を取り、貸本誌もA5版からコンパクトな新書版スタイルに変えて出したけど、貸本界も衰微期に入っていてもうどうにもなりませんでした。やがてあれよと衰退、70年には貸本界は姿を消しました。

 

  「ロマンスの神様」は、その貸本出身の大巨匠、この間の僕の記事で藤子不二雄さんを漫画の神様の一人と呼びましたが、無論この人も漫画の神様の域、楳図かずおさんの貸本期後期の作品です。今の楳図かずおさんの最後の作品というと、もう十年以上前になるが、あのチキンジョージ博士の出てくる、最大長編で難解な漫画「14歳」になるのかなあ。


 漫画家楳図かずお先生というと、先ずは、絶対にこれ、恐怖漫画の第一人者。誰もが納得するそれだったのですが、実は、才人楳図かずおさんの作品はバラエティーに富んでいて、ご承知のようにギャグ漫画の代表作、「まことちゃん」があります。他にギャグ系は「アゲイン」なども。そしてSF作品。楳図さんは1960年創刊の日本初のSF専門誌「SFマガジン」を初期の頃、愛読していたそうです。楳図さんの初期にあたる貸本誌発表作にはけっこうSF漫画が多い。64年発表の未完のSF大作「ガモラ」はその代表作です。そして貸本衰退とともにメジャーである少年漫画誌、主に少年少女週刊誌に作品発表を開始しますが、これから漫画原稿描き忙殺状態生活に入りますが、ここで本家、怪奇漫画で超人気を得、特に少女フレンドに掲載して行く一連の少女恐怖もの、「猫目の少女」「ママが怖い」「まだらの少女」「へび少女」「黒い猫面」と中期の一方の代表作を次々と描いて行きます。そしてその頃、少年誌には「半漁人」「ひび割れ人間」「首なし男」「地球最後の日」などのSFホラーを発表しています。それからその後の「おろち」などで見せた心理ホラー。ちょっと怪奇ものとしては高度な、ホラーの実態が心理劇のものなんですね。深い人間心理が恐怖の因果であるホラー物語。これは、この頃の代表作、僕は当時少年マガジンの「ゲゲゲの鬼太郎」に対抗した少年キングのこの「猫目小僧」なのだと思ってますが、妖怪ものとしての「猫目小僧」にも見られる、人間心理の奥底による因果と取れる解釈の怪物もの。そして後期では難解ですが高度な作品のSF。「漂流教室」「私は真悟」「神の左手悪魔の右手」「14歳」。この後期のSFやホラーは文学に対峙する高尚なビジュアル文学芸術、とでも言いたくなります。本当に楳図かずおさんは多岐に渡る表現者としての天才ですね。また、その精緻な絵が実に良い。 

 そして「ロマンスの神様」はラブものです。初期の恋愛もの。初期のこの頃の作品にはラブコメが多いんですね。当時、60年代初め、貸本オムニバス誌に佐藤プロ出版の「17歳-セブンティーン-」という青春明朗恋愛系短編誌があり、当時の楳図さんはこれに、表紙絵と明朗学園恋愛ものを描いていました。僕は物心付いて一二年か、やっとひらがなが読める頃でしたが、この楳図ほんわか純愛ラブコメがもう大好きで、相当ませくれていました。いつもいつもこの「17歳」ともうひとつの学園青春誌「青春」の新刊を待ちに待っていた状態でした。その当時、小学一年(小二かも?)で僕は同級生の女の子にラブレター出してその子の母親が学校に怒鳴り込んできた事件があったくらいです。今だったら、ほほえましいくらいの事ですが、当時は時代が違い、男の子の幼児がこんな事するのは許し難い行為でした。貸本誌に50年代終わりから60年代前半、楳図さんは怪奇短編とともに少年少女明朗ロマン連作を描いていました。僕はもう本当に楳図さんの描くセーラー服の女の子が大好きで、ラブコメお話も好きで愛読していました。ただ、当時の貸本は賃貸し一泊二日の短期間だけで、手元に置いて何度も愛読するという事は叶わぬ夢状態でしたから非常に残念でした。もうせいぜいニ三読くらいで脳裏に焼き付けねばなりませんでした。残念!昔のことながら。

 

 その当時の明朗青春純愛コメものをざっと上げると、「福白髪」「ロマンスの薬あげます」「城跡に秘かに集まれ」「ロマンスの神様」などなど。幼児期の上の方だった僕はストーリーをはっきり憶えている訳ではありませんが、そのほんわか楽しい雰囲気は感覚としてはまだよく覚えています。「城跡に秘かに集まれ」は後に少女週刊漫画誌にリメイクで発表されています(月刊誌だったっけか?)。それから、幼少の頃ませくれていた僕ですが、思春期を迎えると何故かひどく奥手になってしまいました(でも元々は脳味噌内はひどいスケベでしたけど)。

 ちなみに僕の一番好きな楳図かずおさんの漫画作品は、「猫目小僧」です。その次が「おろち」ですね。美少女おろちは今でも大好きです。

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「アタックNo.1」

 


b00009xcwy 19日でTVドラマ「ごくせん」が終了しましたが、最終回は何と32.5%の視聴率だったそうです。関東地区のデータですが。第二期で、ヤンクミリターンズ、と銘うたれてましたが、高校学園青春ドラマ「ごくせん」は高視聴率を上げるだけに、面白かったです。今回は全十回だったんですね。ところどころ何か雑事をしていて目にしないシーンはあったが、全回見てますね。単純明快なドラマだけに、欠かさず見たぞ!なんて威張って言えるものでもありませんが、あの仲間由紀江さんがよくあの役をこなしたものです。育ちが、代々続く、関東ヤクザの家元っていうヒロインが、地を出して男のお行儀の悪い言葉で、悪人(不良高校生やヤクザもの)たちを一喝するシーンが、良かったですねー。華奢な女がむちゃくちゃ強いのが、ちょっと納得いかなかったけど、毎回ラスト近くの、ヤンクミ対悪者十数人の活劇が何とも良かったですねえ。やられっぱなしの教え子を救いに正義の味方登場!って感じで。前にも書いたけど、ホント何か「水戸黄門」のお話作りに似ている。単純明快。でも最終回はひとひねりあって良かった。面白かったです、ヤンクミ。見ていた人はけっこう感動した人も多かったでしょう。



 「ごくせん」のTV人気で、コンビニで漫画「ごくせん」単行本も並んでますねえ。集英社のYOUでも巻頭カラーになったり、表紙がヤンクミ仲間由紀江だったり。D-51のエンデェング曲のOneMoreTimeでしたっけ?ドラマにぴったしのなかなか良い歌ですね。(OneMoreTimeではなくNoMoreCryが正しい!でした。D-51ファンの皆様すみません)学園ドラマって、もうずっと昔からありましたが、以前は、森田健作とか中村雅俊あたりまで主役の熱血漢は勿論、男性でした。今は、強い女性が熱血で出てくる。華奢な若い女性、ヤンクミの強さをシリアスに見たら、敵の攻撃をかわすのは鋭い動体視力を持ったボクシングのディフェンスで、使う技は古流柔術や合気道の敵の勢いを利用して逆関節を取るワザが多いですね。ヤンクミのあの強さは、少女の頃から達人の師匠に付いて運動神経抜群の才能を持って、古流柔術や合気道などの武道を相当鍛錬して来ている、ということになるでしょう。まあ、作り事の世界ですけど。ヤンクミが威勢が良いだけで腕力が無ければ、お話が成り立たないもんねー。その場合は、あまり目立たぬ影のような、静かでニヒルで屈強な男性の登場人物が必要です。主人公ヒロインのピンチを救うためだけの、相当腕の立つ男の役。実家の組の者のテツとかをもっとクールにして、影のボディガード的キャラとして作るとか。そうしたらもっとシリアスになる。けどまあ、これはコメディでもあるし、いいか、別に作り事のお話の世界なんだから。結果大人気なんだし。

 女教師主役学園青春漫画では他に、確か講談社のBe-Loveあたりに「生徒諸君!」の、主人公が大人になり今度は教師として学園に帰ってきた続編が連載されていますね。ナッキーリターンズです。昔の学園漫画で当時大人気の「生徒諸君!」では、主人公ナッキーは高校生でしたが、今や少女漫画家の大御所、庄司陽子さんの代表作の主人公成長成人後の新エピソードです。昔の「生徒諸君!」は大長編大人気で当時、小泉今日子さんが主演して映画化もされました。キョンキョンが歌う主題歌「スターダストメモリーズ」もヒット曲になりました。キョンキョンも若かった。もう20歳にはなってたんだろうか?高校生役だが。十代の終わり近いくらいかな?あの当時、小泉今日子さんはけっこう映画のヒロインやってますね。「怪盗ルビー」に「俺の女に手を出すな」だっけか、アルフィー高見沢さんが作曲したヒット曲「木枯らしに抱かれて」がエンディングに流れてた映画。




 という訳で、リバイバル漫画。というか、リメイク漫画で、現在の隔週刊(月二回刊)マーガレット連載、「新アタックNo.1」。ナッキーは続編ですが、鮎原こずえはリメイクです。4月初めからTV実写放映になる、今の人気アイドルタレント、上戸彩主演「アタックNo.1」の新番組に合わせた集英社の企画なのか、何十年という歴史を持つ少女週刊誌マーガレットにて好評連載中で、今現在隔週十回目くらいの掲載で、TV放送初回に合わせてもうコミックス1巻も出る予定。もともとの漫画「アタックNo.1」は今から30年くらい前かな、そんな昔にやはりマーガレットに連載されてた、当時大人気少女スポ根バレーボール漫画。


 東京オリンピックで東洋の魔女と呼ばれて騒がれた日本女子バレーボールチームが優勝、金メダル獲得で、一躍女子バレーボールが脚光を浴び、漫画でも少女フレンドに「サインはV」、ライバル誌マーガレットに「アタックNo.1」が好評連載されました。両方ともTV放送され、「サインはV」は実写、「アタックNo.1」はアニメで人気を博しました。勿論当時少年の僕も毎週見ていました。「アタックNo.1」はアニメ放送の方が有名ですが、漫画の方が先行ストーリーで、当時の作者は少女漫画家浦野千賀子さん。今の「新アタックNo.1」にも原作ということで浦野千賀子さんの名前が入っています。漫画作画は新たに、小沢花音さんという人です。お話は新旧作ともにだいたい同じようなアウトラインの学園スポーツものです。登場人物の主人公鮎原こずえにその同チームライバル早川みどりも変わらないし。でも内容のストーリーは少々変えてあるみたいですね。今現在も旧作「アタックNo.1」はホーム社漫画文庫で全ストーリーが読めますからね。全く同じお話にはしないでしょう。僕は昔、借りて一巻だけ「アタックNo.1」を読んだという記憶があります。僕は少女漫画は読まないのですが、多分アニメ人気から一冊だけ読んだのでしょうね。アニメは僕も多分毎週見ていたと思いますが、細かい内容は憶えていません。

 今年度新放送実写「アタックNo.1」の主演上戸彩は今やトップアイドルタレントですが、ドラマや映画の主役をいっぱいこなしてますね。TVではテニスもの「エースをねらえ!」が多分そうだったろうし、映画の「あずみ」、それから最年少芥川賞受賞の綿谷りささん作品「インストール」の映画化も主演。「あずみ」は続編も主役です。インストールって、僕、パソコン買ってネットやるまで意味が解りませんでした。椅子の事をストールって呼ぶから、インストールは椅子の一種だろう、くらいに思ってました。阿呆みたい、我ながら。


 最後に「ごくせん」の話に戻りますが、初めに、ヤンクミの強さが不自然だ、って言いましたが、僕がストーリー考えるなら、華奢な若い女ヤンクミの異常なほどの強さを納得するために、話のプロローグで、教え子をヤクザものから救う段階でそのヤクザものから刃物を使われ命を落とすが、祖父の知人にロボット工学の天才がいて、愛する愛孫を蘇生してくれと科学者に懇願して、ついにヤンクミはスーパーアンドロイドとして蘇えり、再び高校の教壇に立つのであった、とSF好きの僕ならそういうストーリー展開にしてその強さを納得させます。そうなると相手が普通の人間の不良やヤクザ者では面白くないから、敵側にも強力なロボットを出す。ヤクザ組織がマッドサイエンティストに作らせた殺人ロボット。スーパーアンドロイドヤンクミ対殺人破壊ロボの超人どうしのビルからビルを飛んで巨大建造物を壊しての大スケール空飛ぶ超人格闘戦。こうなるともはや青春学園ドラマではなく、SF学園特撮。現在のCG特撮技術を駆使しての「スパイダーマン」顔負けのSF大作。


 こんなこと書いてたら、「ごくせん」の作者や編集部、TV企画者に怒られるな。「ごくせん」ファンの人から殴られるぞ。皆さん変な事書いてどうもすみません。「ごくせん」は感動的な素晴らしいドラマでした。変な事書いてバツ悪いからこのあたりで終わります。みなさんごきげんよう。 

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「スリーZメン」

 先週金曜日で、アニメ「どらえもん」の声のメンバーが、旧メンバーの最終回でお役御免になったというか、次の金曜日回からは新たなメンバーに総入れ替えになり、長年続いてきた長寿アニメの旧メンバー声優さんたちが「どらえもん」から引退し、新しい声優メンバーに世代交代したそうです。長年のお勤めのメンバーたちの平均年齢は何と60歳以上だったとか。主役どらえもんの声をやっていた大山のぶ代さんはもう68歳におなりになるとか。静香ちゃんの声の方は、「サザエさん」のワカメちゃんの声もやっていて、そっちも降りたらしい。もうかなりな年齢になられるのでしょうが、よくもあんな可愛い声で小学生の静香ちゃんやワカメちゃんが出来るものです。ほとんど60歳以上って、これで声優を引退されるのかなあ?この間、ラジオのニュースで聞いた話で驚きは、現在90歳以上のお年寄りが100万人を越えるらしいという事です。日本はもうびっくりな高齢化社会ですね。少子化が危惧され続けだし。若い女性の方々、どうぞ子供を沢山生んで下さい、なんて勝手な言い草だね。元気なお年寄りは80歳くらいまで働かないといけないのかも知れない。高齢でも脳味噌が元気で、何か職業に就いていれば生きがいやまだまだ希望が持て、精神的にも若く生きて行けて、とても良いのかも知れないけど。でもまあ、確実に衰え行く身体というのは仕様がなくありますからねえ。あ、そうだ、今、日本には100歳以上の方が、二万人を越えるとか。という事は、98万人の方は90歳代でお亡くなりになられるという事ですね。このあたりがやはり今の限界なんでしょうね。命を救う、医学、科学、生命学、健康学などの。

 「どらえもん」の作者、藤子F不二雄さんが亡くなられてからもう数年経ちますが、怪物長寿アニメ、「どらえもん」は健在です。何十年か前、この漫画を作られた時は、こんなにも超ヒット作品になるとは、思いもしなかったでしょうねえ。僕は、「どらえもん」の漫画を読んだことがありません。幼年誌で二、三ページのワンエピソードのものをちょっと見たことくらいしかありません。「どらえもん」が毎週TVで放送されるようになった時は、僕は多分もう青年で子供向け漫画は読んでなかったでしょう。僕の世代だと、藤子F不二雄さんの漫画作品は、「どらえもん」前の、「21エモン」とか「パーマン」、もっと前の僕の幼年期なら「すすめロボケット」、それから雑誌少年ブックに載ってた「チンタラ神ちゃん」に確かぼくらマガジンの「もじゃ公」、それに「ウメ星殿下」もあったな。古い少年サンデーに「海の王子」というのがあった。思い出すものは、相方、藤子不二雄Aさんの作品の方がぐんと多いな。藤子F不二雄さんの短編SF漫画作品に秀作がいっぱいある。このSF短編を読むとあのF不二雄さんの才能が良く解ります。ああ、すごいクリエィターだったんだな、って。

 僕が愛読していた頃の二人の作品は、全部、藤子不二雄の単一名義でした。似てはいるが明らかにタッチの違う絵柄で、藤本弘さん安孫子素雄さんの両作品はいわば共有の一名義作品になっていました。ビートルズ時代の歌がどちらが作っていてもLennon‐Mccartney名義で、作詞作曲が共有作になっていたのと似ていますね。そして子供の頃の僕の印象は、安孫子素雄さんの方、つまり藤子不二雄Aさんの方の漫画の方が強く、思い出に残る漫画が多い。「怪物くん」、「忍者ハットリくん」、「笑うセールスマン」…ときりがありません。「笑うセールスマン」は最初「黒いセールスマン」というタイトルで確か初期のビッグコミックに掲載されていて、僕はもう青年になっていたのでは、と思います。確か、「オバケのQ太郎」は共作と言っていたと思う。「オバQ]のタッチが、もっと線が太くて絵柄が黒っぽい我孫子氏のものと違う、どちらかといえば藤本氏のものという気がする。確かに「オバQ」の線は藤本氏の方ですね。

 

 我孫子素雄さんは初めは地方で安定した会社員をしていて、その定職に満足していたそうですが、同窓の親友、藤本弘さんに誘われて断りきれずに上京し、漫画家の卵としてやっていったんだそうです。そうしたらその後、退職した会社はつぶれたとか。安定した職に就いていたと思っていたのに。人生とはどうなるのか先の解らない手本のような話ですね。人生行路に於ける運の占める割合は大きいです。勿論、努力も勉強も大事だけど、どんなに頑張っても何が待ってるのかは誰にも分からない。頑張らないと、まんま終わる。また幸運に救われる人もいる。あれ、話が何かそうとうずれていってるぞ。いかん。


 「漫画の神様」とは故手塚治虫先生ですが、藤子不二雄さんも「漫画の神様」の一人と言っていい往年の大巨匠ですね。藤子不二雄Aさんと聞いて僕が真っ先に思い出すのが、僕が子供の頃毎月購読していた少年漫画雑誌「まんが王」に連載されていた「スリーZメン」ですね。「プロゴルファー猿」や「魔太郎が来る」など、異色の作品も多い不二雄Aさんですが、何故か先ずこれ。その次が「忍者ハットリくん」かな。


 「スリーZメン」は、ゼン、ゼブラ、ザンバという三人の正義のサイボーグが、悪の怪人たちと戦う、SFヒーロー漫画です。雑誌まんが王の巻頭カラーページを飾り、当時の別冊付録へと続いた、それ以前の、雑誌少年に連載されて好評だった「シルバークロス」を思わせる、マスクマンスーパーヒーロー漫画。実際、「シルバークロス」と「スリーZメン」は絵柄タッチがよく似ています。黒ベタを多くし線を太く強くして陰影をつけた絵柄は、ヒーローものをさらにカッコ良くした。主人公があくまで人間で、正義の結社の一員の「シルバークロス」よか、僕は主人公が超人サイボーグの「スリーZメン」の方がぐんと好みの漫画でした。ゼン、ゼブラ、ザンバの頭文字からZメンなんですねえ。これは石森章太郎さんの超人戦隊もの「サイボーグ009」の藤子不二雄A版みたいなものですね。

 中央公論社からだったかな?忘れた。知らない。大手出版社から80年代後半からだったか、新書版コミックスで「藤子不二雄ランド」という全集が発刊されて、僕はそれの「スリーZメン」の第一巻を持っていたが、何処かへやってしまった。らしい。もしかしたら押入れのダンボール箱の中かも。まんが王連載終了後、一度B5版大型別冊付録でまとめたものが、その後のまんが王の付録で付いた。あれは欲しかったなあ。今でも欲しい。


 藤子不二雄Aさんの絵柄は、ゆかい漫画(ギャグもの)とストーリー漫画(シリアスもの)とは、タッチを変えていたようですね。ギャグものの「忍者ハットリくん」「フータくん」「わかとの」「怪物くん」や、共作だという「オバQ」の線、そしてシリアスものの「魔太郎が来る」「怪奇商会変奇郎」「笑うせーるすまん」「シルバークロス」「シスコン王子」「スリーZメン」「プロゴルファー猿」などなどの線。線とタッチ陰影が違う。

 あ、そうだ、不二雄A(我孫子氏)さんには何か難しそうな、毛沢東の伝記ものがありましたね。中国の共産主義指導者の歴史もの漫画。勉強しているんでしょうねえ。誰か評論家が不二雄A漫画を「知的」と称していた。確かに頭良くて知的ですよねえ。今のその風貌も。あ、自伝漫画の「まんが道」というのがありましたねえ。


 「藤子不二雄ランド」は何巻まで行ったんだろう?勿論有に百巻は越すだろうが、講談社の「手塚治虫全集」第一期三百巻だったが、そのくらいは行ってるだろうなあ。三百巻は。今の若い漫画ファンの方たちは「ときわ荘」伝説なんて知ってるんだろうか?手塚先生藤子先生石森先生赤塚先生などなどが漫画の神様の域なら、ときわ荘の話なんて、神話だよなあ。時はどんどん経ってしまったよなあ。僕の少年時代のヒーローたちを作り上げてくれた、往年の大巨匠の漫画家の方々が次々と他界されてゆく…。時代は移り変わってゆく。無常観だなあ。  

   

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「鉄腕バーディー」⑧

 バーディーシフォンって、後姿はほとんど裸なんですね。二巻から七巻まで読んでて気が付かなかった。八巻の表紙絵で分かりました。宇宙人の彼女のユニフォームは嬉しいカラフルコスプレで半裸ですが、後姿は気が付かなかったなあ。今まで、彼女の戦闘シーンいっぱい出てたのに、俺としたことが不覚。でした。この八巻に出ている、バーディーの同僚カペラティティスも見た目男の子ですが、バーディーと同じコスチューム姿だから、この半裸が連邦警察の捜査官の制服なんですね。もっとも見た目可愛い男の子、カペラは実は残忍でしかもバーディーより年上だそうですけど。


 という訳で「鉄腕バーディー」の最新刊第八集が出たので、早速買ってきまして読み上げました。面白かったです。バーディーの追って来た、宇宙の凶悪テロリスト、クリステラレビの右腕だというゴメスという見た目ナイスミドルなおじさんはものすごく強いみたい。クリステラレビ一味が使っている「人形」というのがまた、強い。この「人形」はいったい何なのだろう?ロボットなのかなあ?今回では、バーディーよりも強いんじゃあー(?)って思わず思ってしまう(何じゃあー?)カペラティティスが、人形の一人にやられて敗退する。「鉄腕バーディー」も登場人物が多くてお話がけっこう錯綜していてちょっとややこしくもあります。でも今のSFヒーロー漫画ってお話が複雑ですよねー。もうひとつの愛読、今四巻までの「Zマン-zetman-」なんかも読んでいると難解だもんなー。「Zマン」は展開が、どひゃっびっくりっ、の世界ですからね。「Zマン」のは場面急展開でややこしいです。ああ~、昔のSFヒーロー漫画は単純で大変解り易かったものだが。あの手塚治虫先生の作品でさえ。

 あ、「鉄腕バーディー」でした。集英社の「Zマン」という漫画の事はまた書きます。我らが、コスプレナイスバディの美人お姉さんバーディーは、宇宙連邦の捜査官で、いわば特務婦警さんですね。僕には、これが少し気に入らない。まあ、そういう物語だからいいんだけれど、僕はどっちかというと、主役が警察官というのはなんかいまひとつ好きでない。昔から。別に僕の過去、警察にお世話になり痛い目を見た経験がある、それで警察が嫌いだから、という訳ではありませんが、な~んか昔から、推理小説でも警察官が主人公のはあまり気が進まない。だから小説も刑事ものはあまり読んでないですね。刑事がいっぱい出てきても、主人公が私立探偵なら良い。それが名探偵ならもう大好き。警察官がいっぱい出ても、主人公が素人探偵とか普通一般の人なら許せる、読む。どうしてかよくわかんないんだけど、権力がバックアップの刑事が主人公なのは面白くないんでしょうね。国家警察という強大なバックの力の犬みたいのより、一匹狼とか痩せた一匹の野良犬の方が応援したくなる、という何かそんな心情ですね。こんな事書くと、警察小説の書き手や敏腕刑事の推理物のベストセラー作家や、警察そのものに怒られそうですけど。野良犬探偵のハードボイルド味の小説、好きですねえ。だから、素敵なお姉さんバーディーのその身分がちょっとひっかかるが、まあいいか、面白い漫画だし。あと、犬さんごめんなさい。「権力の犬」とかに使って。僕はけっこう犬好きで、ワンちゃんは可愛いです。独裁者が、凶暴な犬をいっぱい飼ってて、反政府主義者に「やれ!」とかって襲い掛からせたら、それは間違いなく「権力の犬」のような気がする。

 敵方親玉クリステラレビって、地球の日本で新興宗教団体やってて、スピリッツって宇宙の麻薬で人間を狂猛な獣人にして私設最強兵団を作ろうとしているみたい、どーもそんなふう。え~と続き9集は05年6月3日発売予定だって。


 レンタルDVDで「バイオハザード‐アポカリプス」を見ました。面白かったです。部屋で一人で寝転がって映画見てると、疲れちゃって途中止めて眠ってしまうんだけども、これは途中トイレ以外続けてみた。だいたい家で寝てレンタ洋画見てると、2時間ものを三回くらいに分けて見てるね。まあ四回分けもあるけど。これは面白かったです。B級SFだのB級ホラーだのいわれるかも知れないけど、そのスピード感にずんずん引っ張られ、引き込まれ、ラストまで続けて見通しました。初めのよか2の方が面白かったです。


 アポカリプスって何の事かと思ったら、和訳すると黙示録なんですね。「バイオハザード」の続編2ですが、これのラストも次回作を期待させて終わる。次のエピソードへとお話は展開しますよと、思わせて終わる。最近のハリウッドSF大作は三本目四本目と続編が続くシリーズ物が多いですね。
 「バイオハザード」の1は、ゾンビホラーもので、勇ましい女主人公が二挺拳銃で戦うけど、だだっ広いが閉ざされた地下空間内での、ゾンビ怪物から逃げ続ける、いわばサバイバルドラマ。こちらはホラーです。でも2作目の方は、ぐんとSF色が強い。ゾンビの素ウイルスを作った大企業が、うようよいるゾンビの中に故意に作り上げたまるでエイリアンやプレデターみたいな最強怪物を殺人破壊力効能試験の為に放つ。前回の女主人公もその大企業にぐううーんとパワーアップされてスーパーウーマンとなって登場。今度は閉ざされた空間が、もっと広くなってひとつの町の地域全部ですが、今回は怪物から逃げ続けるサバイバル味よりも、SF超人活劇もの感がすごく強い。
 世に名作と呼ばれる映画はいっぱいあって、それをこよなく愛する良識家の人たちは、「なんだくだらないB級映画で、子供だましじゃないか」と言うかも知れないけども、僕は好きです「バイハザ‐アポカリプス」、とても面白かった。


 僕は高校生の頃、松本清張さんの社会派推理小説を愛読してて、「点と線」から「時間の習俗」から、刑事が主人公の推理ドラマをけっこう沢山読んでます。けど大人になってからはそういうのは読まないですねー。でも探偵ものも警察が捜査して行く方がリアルは確かにリアルですよね。清張さんの小説も主人公が、何でもない普通一般の民間人が事件に巻き込まれるものがけっこうありますよね。

※(2005-12/18)「鉄腕バーディー」第11集
※(2007-1/31)「鉄腕バーディー」第13集14集
※(2005-3/14)「鉄腕バーディー」⑧
※(2005-9/19)「鉄腕バーディー」第10集
※(2005-2/13)「鉄腕バーディー」
※(2006-5/1)「鉄腕バーディー」第12集
※(2005-06/19)「鉄腕バーディー」第9集

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「兎が走る」

 

 座右の銘という言葉があります。こういうのって、自分を律する言葉だと思います。人間とは弱いものだから、いつも自分に言い聞かせていなければならない。だからいつも心のひとつの場所に置いている、自分を律する一つの言葉。自分が思う自分で決めた道でも、つい外れそうになる、きちんと歩くのを忘れふらふらしてしまう、長くなれば知らず横道に逸れる、そういう事のないように、そうなりそうな自分をしゃんと元に戻すために、常に心の隅に置く、その人自身の持つ一つの言葉でしょう。と思います。座右の書とは、そのもっと詳しい、書物版です。自分で決めた自分の道を歩くために、自分が共鳴した書物、あるいはその道を考えついたもともとの感動した本。自分が道を「これだーっ!」って見つけた時の本とか、「これは同じだ!」って共鳴感動した本。座右の書というものを持っている人は幸せな人だと思います。自分の人生の道って、そんな大袈裟なものでなくとも、ライフスタイル、もっと簡単に日々の生活の生き方とか、自分への戒め、などでもいいです。

 もう二、三十年も前から、本が読まれなくなったといわれ続けていますが、活字の書物、思想書など難しそうなものから小説エッセイなどまで、「座右の書」候補はさまざまあるでしょうが、沢山の今の人たちが読んでいる「漫画」でも、座右の書的なものはあると思います。いや、「座右の書」になりうるものはありますし、きっとそれを持つ人も沢山いるでしょう。
 そういう訳で、漫画です。僕も幼い頃から漫画はとにかくすごい量を読んで来ています。記憶に刻み付けられた漫画はもう、いっぱいあります。多くの皆さんも忘れられない思い出の漫画を沢山お持ちの事と思います。漫画好きの人って、読む漫画の量が半端じゃないですもんね。いくら速読技術を身に着けても、小説好きの人って好きな小説を速読で読まないでしょう?まあ、ナナメ読みとかで書物をどんどん読んでる読書家って人もいるんだろうけど。それでも、漫画読みの人の読漫画量には叶わないのじゃないかって気がします。近頃の漫画は大長編連載でコミックス十数巻てざらだから。

 突然ですが、今晩のTV「うたばん」で、中島美嘉さんが出演していて、映画版「NANA-ナナ-」の主人公役をやるそうです。この前のというか先月のブログのひとつの表題で「ナナ」書いたけど、その中で何と1千万部売れたと書いてますけど、もっとでした、1千6百万部突破。訂正します。「うたばん」でも少女漫画と呼んでました。レディコミの範疇ではない(?)。
 話を戻します。で、僕の「座右の書」的、漫画作品。「座右の書」ってちょっと、やっぱ大袈裟ですね。自分でここまで書いてきて、何を今さらですが、う~ん、何ていうか心に残り続ける漫画作品。子供の頃の「鉄人28号」のようなもうめっちゃノスタルジーというのでなく、もっと自分の実人生に影響与えるような名作、そういう意味では座右の書に近い意味合いの本の漫画、それは僕の場合、「兎が走る」です。


 「兎が走る」は小池一夫さんの原作、弘兼憲司さんの漫画で小学館のビッグコミックかオリジナルに、70年代終わりか80年代初めに連載された感動劇画で、コミックスで二巻で終わるあまり長いものではない、人間を描いたいわば人生劇画です。人生劇画なんてちょっと変な呼び方ですけど、主人公男女は若い二人だけど青春ものというと、ちょっと違う気がする。青春というといろいろなものがあるんだろうが、この物語はもっと重い。重いからこそ実人生に教えてくれるものがあるという気がします。感動ものです。いってみれば、確かに男女の恋愛を描いていて、純愛ものですが、その純愛がシリアスで重いのです。純愛とはかくも重たくかくも大変なものなのだろうか。誰でもこの物語の主人公の立場になったら逃げ出したくなります。逃げずに前向きで真っ直ぐでしかも耐え抜く主人公の「ウサギ」に教えられるからこそ、人生劇画なのです。僕だったら先ず逃げます。でも逃げない主人公「ウサギ」の態度に涙して、逃げてばかりいてはいけない、と教えられるのです。

 この漫画は、僕は三、四年に一度くらいかな、の割合で読み返しています。別に、よし今読もう、とか思うのでなく、意識せず何気なくついまた読んでます。そしてその度、涙を流します。二冊のコミックスのいくつかの箇所で。勿論、面白いです。70年代後半から80年代、劇画原作者小池一夫さんはものすごく良い仕事をしたのだと思います。僕には「兎が走る」はその珠玉です。この漫画は、自分の人生は自分なりでいいから、もっと真摯に生きて行かなくては駄目だぞ!と教えているようです。良い漫画ですねえ。そういう事で、座右の書にちょっとニュアンスが近い漫画本ですね。


 多分、雑誌連載中も読んで泣いたりしてたんだろうな、これ。サラリーマン時代は電車通勤だったから、車中で立って。まあ、別に小池原作劇画でなくとも人それぞれ、感動した漫画は沢山あるでしょうから、皆、感性も共鳴も好みも違うだろうから、とにかくひとつでも多く感動漫画に出合う事は幸せだと思います。でも、活字書物も読んでた方が良いですね。

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