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●映画・・ 「スピーシーズ」シリーズ

Sunny_mabrey

 映画「スピーシーズ」シリーズの「3」、サブタイトル「禁断の種」を見ました。アメリカ映画作品のDVD。この「スピーシーズ」のシリーズは全部見てます。「1」を見たのが、もうだいぶ前になるので、細かいところはよく憶えていません。だから、このお話の先ず最初の発端がはっきりしませんが、タイトル名のSpeciesの意味が種子の事ですからね。お話の、どうして狂猛エイリアンが地球上で暴れて、殺人を繰り広げる事になったのか?の、そのもう一つ前の、どうしてエイリアンが地球上に出奔したのか?の前の、一番最初の端緒、どうしてエイリアンが地球上で誕生する事になったのか?の疑問が、宇宙から飛来して来た細胞片から培養されて、完全体へと育って行ったのか?それとも、(確か)DNA内容が地球に届いて、そのDNA設計図から組み立てて細胞を作り上げ、そこから培養して完全体へと育てて行った、というのだったか?が、ちょっとはっきりしない。多分、後者だったような気がする。それが、電波信号等で、地球上に送って来た信号をキャッチし、解読したものか?それとも、隕石かUFOみたいのかで、地球に落下、不時着したものの中にあった物に記された記号で、それを解読したものだったのか?これもはっきりしません。ここのところがよく憶えていない。映画のストーリーの流れはあらかた憶えているけど。

Awdkapbxs  ボイジャーは今はどの辺りを飛んでいるのだろうか?もう、冥王星軌道くらいへは到達しているのか?あるいはそのまだ外側か?もうカイパーベルト(?)と呼ばれる、太陽系の一番外側、俗にいう彗星の巣くらいまでは届いているのか?そこまでは行ってないかなあ。木星や土星に接近したのも、もう随分前の話だしなあ。最近はもう、ボイジャーの話題なんて全く聞かないしなあ。忘れられてしまってるよなあ。太陽系外へ出たかしら?電波信号的にもう追跡不能状態になっちゃってるんだろうなあ。多分。あまりにも遠距離まで飛び去っちゃってるんで。調べりゃいいんだけど、「スピーシーズ1」もボイジャーの行方も調べてなくて、はっきりしなくて、茫漠とした記憶でいい加減に書いていて、どうも済みません。「スピーシーズ」の「1」のサブタイトルが、確か「種の起源」だったのかな。「2」のタイトルは忘れたけど、「2」でクローンで2世が誕生する。「1」作った時にはもう、シリーズ化するつもりだったんだろうな。あ、そうだ、ボイジャーの話だ。 
(註=太陽系を一番外側で包む彗星の巣は、カイパーベルトではなくて、呼称『オールトの雲』でした。カイパーベルトって何だ?)・・・
(註Ⅱ=僕の記憶にあった『カイパーベルト』でも、それ程間違ってもいない。短周期彗星の起源らしいし。この環状領域は太陽から30天文単位から100天文単位くらいのトコまで。一方、『オールトの雲』となると、太陽から1万天文単位から10万天文単位の厚みの球状領域で、直接観測された訳でなく、推測の域をでない仮説。冥王星はカイパーベルト天体であり、惑星ではないとする説もある。…これ以上はご自分で調べてください。)

Ulxhdvmd  で、そのボイジャーに載せた金属板に、人間のDNAの絵が描いてあるんだ。確か、簡単な絵で、それ見て、DNA復元出来る程、詳細に記号を書き込んである訳でなくて、こういう形ですよという、あくまで略式画。だいたい、地球人類の今の科学で、詳細なDNA設計図見て、本物のDNAを復元して、細胞を作り出すなんて事が出来るのか?おそらく無理でしょう。ボイジャー積載板に精密な人間DNA詳細図式を書き込んでいたとして、いつかボイジャーを拾う、あるいはめぐり合う、何処かの宇宙の知的生命が進んだ科学で、人間そのもの完全体を作れるのか?無論、僕にはそんな事、さっぱり解りません。

 いい加減状態で話が進んで来ましたが、とにかく、映画の「スピーシーズ3」は面白かったです。3作目で、前2作に比べてしょぼいかな‥、って思って見たけど、大作性は前2作に比べれば、ぐんと落ちていて、お金もそうは掛けてないようで、ちょっとこじんまりした作りで、退屈するかと思ったけど、どうして、サスペンス味がありけっこうスピーディでセクシャルな場面展開もあり、面白くて一気に見ました。勿論、B級映画かも知れないけど、面白かったよ。「3」の方は、まんまDNAを受け継ぐ完全体と、人間との合いの子のハイブリッド体が居て、ハイブリッドは細胞が壊れやすくて長生きが出来ない。まあ、そういう設定も面白かったですね。科学史に残る名声を手に入れたい大学教授達の研究施設へ、次々とやってくる混合種の不完全体エイリアン。女性ハイブリットがスポーツカーを駆けて来るんだけど、これがたまらん程セクシー美女。狂猛で、不完全体だから肩や顔が崩れて来ちゃうけど。主役3世代完全体エイリアン美女は、サラと呼ばれ、最後まで生き残る。僕は、こっちの主演完全体ネエチャンよか、不完全体しびれるセクシーネエチャンの方が好みですね。物語とあんまし関係ないけど。

 スピーシーズ「1」「」の主演エイリアンは別の女優さんだと思っていたけど、調べたらどちらも、ナターシャ・ヘンストリッジだった。「」のセクシー美女エイリアン役がナターシャ・ヘンストリッジだったって事は憶えてたけど。美人でイイネエチャンだよなあ、超セクシー。「2」の方ではクローン体だという設定だった。「3」のサラは、「3」の初めの場面で、死に掛けているクローン2世から産み落とされる、という設定。ナターシャ・ヘンストリッジは、ホラーの巨匠ジョン・カーペンター監督のSFホラーの傑作「ゴーストオブマーズ」でも主演していて、実に良かった。変形ゾンビものホラーだったけど、あれも面白かった。終わり方が不満だったけど。え~と、それから、調べたら、エイリアン発生は、やはりDNA情報信号からの細胞創造でした。SETIグループが宇宙に向けて送るメッセージに、ある日、未知の存在から返事のメッセージが届く。それはDNA情報で、これを人類のDNAに組み込んだのか、これを復元して人類のDNAと結合したのかで、新たな細胞を誕生させた。やがて新しい生命体が、少女の姿となり、大人の美女へと育つ。で、解らないのが、ここでもう、人類とエイリアンDNAのハイブリットな訳じゃんか。何故に、「」では別にハイブリットと呼ばれる不完全体が居るんだろう?僕には、この辺がよく理解出来なかったな。

 あ、そうか、成程。鍵は「2」だ。「」のストーリーは、新展開で、火星探査にやって来た宇宙飛行士の男が、火星の土中にあったDNAの生命体に侵されて、帰還ロケット内で変身する。地球に戻った男は姿は人間だが実はモンスターで、時々正体現して人間殺して、女性を見つけては性交して、子を作る。もう沢山沢山子を作る。そうして、その子達は育つ過程で、人間に殲滅されるんだけど、多分、ハイブリッドって、その男エイリアンの子供達の生き残りなのだろう(?)と思う。男エイリアンは、完璧な次世代を残す為に、ナターシャ・ヘンストリッジとHする為にやって来る‥。というようなストーリーだった。しかしどうして火星の土くれの中に、エイリアンのDNA生命体(細胞片?)があったのだろうか?(都合よく。)

Henstridgenatashaphotoxlnatashahenstridg  まあ、何がいいかってこの映画は全編、セクシャルなのがいいですねえ。ヒロインエイリアンは皆全裸になるし、性交場面もあるし。SF活劇でも、昔だったら子供達には見せられないトコロ。これもエイリアンデザインはあの有名なH・Rギーガーなんですけど。1979年の「エイリアン」の衝撃の、新たなBEMデザイン以来、宇宙モンスターのデザインはH・Rギーガーのものが決定番的に多いですね。21世紀に入って、H・Rギーガーって今や米SF特撮界の巨匠でしょうね。


 SF映画好きの僕には、このシリーズは3本とも面白くて楽しめました。

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●漫画・・ 「中春こまわり君」 ~ 「がきデカ」 ・・・(3)

 

 小学館ビッグコミック06年6月10日号=11号、掲載3部作完結編、「中春こまわり君」ジュンの巻、後編。大反響、禁断の3部作、ついに完結!、なんだそうです。2004年に25年ぶりに、ビッグコミック誌上で2回分載にて復活した、大人になったこまわり君。今回はその2年後の短期集中連載の、40歳こまわり君の、いよいよ最終回。でも、ページ終わりには、「次に会えるのは年末の予定です!」の一文が。おお、まだまだ続くぞ!こまわり君ワールド。昭和最強のギャグ漫画、と呼ばれる山上たつひこギャグワールドが復活して、不滅である、という事は嬉しい限りです。さて今号のお話展開は‥。

 シュールなギャグワールドが続いていますが、40歳になっている不幸のどん底ジュンちゃんの、元夫で今内縁(?)の性悪男の愛人というか、若い女、この若い女の義兄が、栃の嵐の孫の栃の光の小料理屋で働く板前、危険な土佐犬。土佐犬の襲撃を恐れる元夫の性悪男は、こまわり君と西城君に助けを求める。昔、西城の父の小説家のトコへ原稿を取りに来ていた白熊書房の編集者の息子、南極タクシーの課長の白熊。こまわりの案じた一計は、狂猛になっている土佐犬に、白熊を噛み合わせる事であった…。
 という、相当シュールな展開のお話です。何か、もう、ネタもストーリーも全部バラして行っちゃってますけど、サラリーマンの白熊さんは弱いです。最終的に勝利するのは、「アフリカ象が好き!」変身を遂げた、こまわり君です。何か訳解らん世界ですけど。

 世間のGWに合わせて、もしかしたらパチンコ新型機CR新がきデカの登場に合わせて、こまわり君再登場、そして、その雑誌中年前期こまわり君登場に合わせて、コンビニ版と呼ぶのか、あの雑誌紙質のB6簡易単行本で選集版作品集が登場。これは、2001年夏に出た小学館マイファーストビッグ「がきデカ」夏休みは死刑編の再版です。これは勿論、少年チャンピオンコミックス全26巻からの数編選び出し作品集です。この続刊でもう一冊、近々出るようですけど。このコンビニ版の巻頭見開きに登場人物紹介が載っています。


 ○こまわり=空前絶後、笑激の少年警察官。自らの姿を変え、あらゆる手段を使って、みんなを理屈抜きの笑いの世界へ引き込む。もう誰も止めることは出来ない!?
 と、あります。確かに、こまわり君はそれまでのギャグ漫画の主人公達とは違って、シュールに即その場で変身する。芸者、オヤジ、クラブ歌手、象、熊、犬、毒虫…。あらゆる者に変身し、場面も突然変わる。基本ギャグ設定のボケとツッコミに、デフォルメ度を場面まで変えてしまう大きさで、ボケを超非常識なまでに持っていった、山上たつひこ氏の開発した新たなるギャグ形式と、シュールだが爆笑するギャグワールド。

 このコンビニ版のね、巻中に山上たつひこ氏自身のコラムがあり、元々は劇画家出身の氏の絵柄変更の苦心談が書かれています。漫画家山上たつひこ先生は、貸本時代の貸本出版の老舗であり大手だった、大阪日の丸文庫の出身です。元々は日の丸文庫の編集者であり劇画作家です。貸本世界の衰退消滅と共に雑誌世界へと移り、少年マガジンでは名作「光る風」等を残しています。劇画絵のままに近い形で描いた大人のギャグ漫画、「喜劇新思想大系」という名作がありますけど、あれはギャグ漫画というよりは、艶笑ストーリー漫画とでも呼ぶ方が相応しい作品です。あるインタビュー記事で、江口寿史氏が「山上たつひこ氏の『がきデカ』を見て、ストーリー漫画の絵でもギャグ漫画が描けるんだと発見し、プロ漫画家になる決意を固めた」、というような事を語っていましたが、その「がきデカ」の絵でさえ、山上先生は自身の劇画絵を相当壊して、もっとずっとイージィな絵柄に改良して、新しいギャグ漫画ワールド「がきデカ」の絵を誕生させた。それは、このコラム文によればかなり苦労されて生み出したもののようです。

 

 復活、山上たつひこギャグワールド、「中春こまわり君」の絵柄は、70年代後半からの「がきデカ」に比べると、劇画的というか、もう完璧ストーリー漫画の絵ですね。こまわり君自体がデフォルメされているくらいで、後はもう、劇画調にリアルっぽい絵。それでもギャグ世界をやっている。ビッグコミックという青年成人漫画誌掲載でよかった絵だと思います。少年漫画誌の絵では絶対に、ない。あそこまでないけど、ちょっと昔の笠間しろうさんの絵を思い出させる。年齢を重ねたといってもまだまだ、あの絵が枯れて来ている傾向は全くない。しっかりした構図の中で、あの「がきデカ」の絵が成熟してうまくなっているんです。これもある種洗練なのでしょう。劇画調といっても、「喜劇新思想大系」の絵とは明らかに違う。やはり成熟、洗練された絵ですね。元々うまい絵が、さらにうまく見える、大人向けの絵です。山上たつひこさんは、1990年に一度、漫画家現役引退しています。90年漫画家廃業の後、山上龍彦として、小説を執筆されている。今回の、2004年の、こまわり復活までの間は、絵的なものは何か描いたりする事は、やってたんだろうか?公的な復活はやはり、2004年「中春こまわり君」のようですねえ。

 僕は小説家山上龍彦の作品は短編を1本しか読んだ事がなく、ちょっと感想は何とも言えないです。元々漫画家であり、マルチクリエイターのみうらじゅんさんが、随分前ですが、ご自分の著作の漫画評論の中で、山上龍彦氏の長編小説「太平」について、漫画と同じ事を小説でやろうとしている‥、というふうに評していたのを読んだ記憶があります。確か、クリエイターは漫画と小説では違う事をしないといけないのに、やっている事が同じだと、批評していました。僕はこの長編はおろか、山上龍彦さんの小説はさっきもいったように、短編たった1本しか読んだ事がないので、みうらじゅんさんのいう事がはっきりとは確認、理解出来ないのですが、多分、漫画も小説も同じような作風であったという事でしょうね。僕が読んでないのは、「太平」他の山上さんの著作刊行本を近所の本屋で見掛けず終いだったからですけど。短編1本はノベルズ版の怪奇小説アンソロジーの中でです。この1本が、一応怪奇作品集本に収められた1作だったのですが、ギャグものなどでは全く無く、シリアスに書かれた小説でした。はっきり、僕にはよく解らなかった。解らないし怖さも感じなかったので、その時は僕は、これは僕の未熟さ故の(頭の悪さ故の‥)読解力の無さだからだろう‥、と思ったものです。その小説の印象は、決して、「がきデカ」執筆前後の作品の焼き直しを小説でやっているというようには思えませんでした。もう一度、みうらじゅんさんの当時の漫画評論を読み返さないと、はっきりした事がいえませんが。また、小説家山上龍彦の作品をこれ以外に知らないので、他の作風や、あるいはジャンルは全く解りません。だから、僕は小説作品に関しては何もいえません。でも、多分、山上先生ならではの独特の作風が、感じられそうな気がする。済みません、勉強不足で‥。

(※07-9/30..今頃訂正で大変申し訳ないんですけど、今頃気づきまして、上記の文中に間違いがあったので、訂正します。上記文の中で、『みうらじゅん』さんがご自分の著作の中で書いていた意見、というようなくだりがありますが、あれは『みうらじゅん』さんではありません。間違ってました。正しくは『いしかわじゅん』さんです。僕は、よく『みうらじゅん』と『いしかわじゅん』を混同して間違うんです。どちらも、漫画家の肩書きの他にもいろいろな肩書きを持ってマルチに活躍されている有名人なので、相貌は全く違うのですが、つい、よく間違ってしまいます。みうらじゅんさんといしかわじゅんさんは細かくは全然違う人、なんですけどね。上記文中の引用は、正しくは、95年刊行された、いしかわじゅん氏著作の漫画評論書籍『漫画の時間』からの、『いしかわじゅん』さんの意見からです。いえ、昨日、押入れからこの本が出て来て、パラパラやってて、あっ!と思って。今頃訂正でどうも御免なさい。) 

 今、俄かに「がきデカ」ブームがあるように思います。本当に、昭和最強のギャグ漫画ですよ。天才赤塚不二夫氏の「天才バカボン」と並ぶ、昭和ギャグ漫画界の金字塔。「がきデカ」のジュンちゃん、モモちゃんも可愛かったけれど、担任のあべ先生も好きだったなあ。当時、ジュンちゃんのモデルは風吹じゅんで、あべ先生は阿部静江だったとか。西城君のモデルは本当に西城秀樹だったのかなあ?モモちゃんのモデルは誰だったんだろう?コンビ二版選集「がきデカ」の登場人物紹介欄の、あべ先生のトコ。
 ○あべ先生=こまわりのクラスの担任。こまわりを指導すべき立場なのに、自分が止まらなくなる事しばしば。
 と、あります。キテレツ超ギャグワールドの開始のきっかけを、こまわりがポンッと作れば、何時の間にかあべ先生も脱線してしまう。こまわりの両親も一応常識人そうに見えて、よく脱線してしまっている登場人物です。

 山上先生は、1947年のお生まれですから、一応団塊世代になりますね。65年に漫画家プロデビューとありますけど、これは日の丸文庫の貸本誌「影」で短編を描いていた頃の事だろうか。この当時は勿論、ストーリー漫画ですけど、デビュー当時から各短編に鬼才の片鱗が現れていて、ストーリー構成も優れていた。しかし、先ずは今年暮れあたり、と、21世紀に入ってからも、鬼才のギャグの代表作の続編が、見れる、読める、というのはファンに取っては嬉しい限りですね。暮れのビッグコミックが今から楽しみです。往年の「がきデカ」ワールドが、大人向け漫画として、作風を少々チェンジして微妙に味付けも変え、「中春こまわり君」としてまたまた読めるし、笑えます!
 ついでに、「喜劇新思想大系」もやろうと思いましたが、もうひとつの代表的傑作「喜劇新思想大系」については、また別にお題を取って改めて書く事にします。

 

◆(2006-05/02)「中春こまわり君」 ~ 「がきデカ」 ・・・ (1)
◆(2006-05/14)「中春こまわり君」 ~ 「がきデカ」 ・・・ (2) with「喜劇新思想大系」
◆(2006-05/28)漫画・・ 「中春こまわり君」 ~ 「がきデカ」 ・・・(3)

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●漫画・・ 「ミュータント・サブ」

 

 このブログの掟、タイトルには絶対、一つの漫画作品名を冠し、いろいろな事柄に関する私、Kenの思いを書き連ねても、必ず、最終的には漫画作品に収斂して、最後の締めは漫画で終える、というこのブログ固有の約束事を解則し、もっと簡単に私、Kenがいろいろな種々雑多な事柄を、今までの一記事よりも短くラクに書き込んで行けるように、私もブログタイトル「漫画読み日記。」に縛られぬよう、ブログ書き込み基本姿勢を容易に、「カテゴリ分け」で記事を書き込む事にしました。掟解則!ブログタイトル「漫画読み日記。」による記事内容呪縛の解除。これで、もっとラクに、ひとつひとつのいろいろな事柄についての僕の思いが、容易に書いて行ける事となった。はあ~、ラクになったど。

 という事としましたが、ブログタイトルそのものは変えません。やはり一応は主体は漫画作品の紹介とその作品に対する僕の思い、感想などの記事とします。が、漫画作品とは関係無い事柄もカテゴリ分けして、日記としていろんな事も書いて行きます、と。こういう事に今回からは変更しましたという、大袈裟にいえば声明文です。今後ともよろしくお願い申し上げます。でも、このブログのワシの固有の特異性、何が何でも、漫画にもって行くんじゃ、漫画にこじつけるんじゃあー、が失われてしまうので、ちょっと本人としては寂しいかな…、感もありますけど。(まあ、これからはラクにいろいろと書けるから‥)。

 という訳で、書き込み基本姿勢変更後の、一発目は、やはり漫画です。このブログ「Kenの漫画読み日記。」主体の、一漫画作品情報、感想。で、カテゴリ分けは、60年代漫画。今回のお題、「ミュータント・サブ」。勿論、作家は、98年惜しくも60歳の若さでこの世を去られて天に輝く漫画の巨星となった、現世では漫画の王様の呼び名を欲しいままに、日本コミック界を半世紀に渡り活躍され、現在の日本漫画文化を作った立役者の一人でもある、天性の天才漫画家、故石ノ森章太郎氏。その、当時は石森章太郎先生の60年代少年漫画にあっては「サイボーグ009」に次ぐ位置の如き、代表作の一つ、僕の好きな石森作品のベスト3に入る佳作、「ミュータントサブ」です。いやあ、ホント、何故か、僕はこの「ミュータント・サブ」が好きなんですよねえ。石森先生というと、どうしてか僕は、「009」の初期と、この「サブ」です。

 角川グループ60周年記念事業という、石ノ森章太郎萬画大全集の全500巻という凄まじい数字が語るように、この世に残された故石森章太郎氏の、その作品点数も原稿量も膨大なものなら、その描き分けたジャンルの広さも驚くべきものです。そういう意味でも、とにかく天才。デビュー時から亡くなられるまで第一線の漫画家のプロ、という厳しい立場を支え続けた才能を、この幅広いジャンルを描き分けぬいた仕事量が示しています。もう、絶対の漫画家プロの鏡、の圧倒的存在感ですね。亡くなられても、今尚、全集500巻の膨大な量が証明する。

 で、その幅広いジャンルの中でも、初期中期の大得意分野であった、SF。もともと小説家になりたかったという石ノ森章太郎氏は、外国のその当時のSF小説もかなり読んでいるようで、SFの勉強もかなりされてSF的素養も万全に身に着けられているかのように、御自身のSF漫画内の各ジャンルもあまねく抑えてある。サイボーグ、アンドロイド=ロボット、時間旅行etc.…。その中でも「ミュータントサブ」は超能力ものです。

 60年代SF漫画の傑作「ミュータント・サブ」は、1965年に小学館の少年サンデー、別冊少年サンデーで短編連作の不定期掲載で始まりました。もっと前に遡れば、少女誌で、1961年に「ミュータント・サブ」のタイトルで連載された作品がありますが、これは僕は全く知りません。この分は解らないけれど、65年の少年サンデー掲載分なら、子供時代に間違いなく読んでます。その時分には、全作ではないけれど。また、その後の65年末から66年の、月刊少年誌「ぼくら」掲載分は、当時、僕は毎月「ぼくら」を購読していたので、その分は全作リアルタイムで読んでいます。どうして今回の記事に「ミュータント・サブ」を選んだのかというと、別の本を押入れの中を探している時に、たまたま双葉漫画文庫の「ミュータント・サブ」下巻が出て来て、この下巻収録分が、「ぼくら」掲載分だったので、また懐かしい気持ちが湧き、パラパラ再読したからです。それで今回取り上げました。僕はこの双葉文庫版の上巻は持ちません。少年サンデー掲載分も、僕は多分20歳頃コミックスで読んでいる筈ですけど、内容の詳細は憶えてはいません。

 手元の双葉文庫下巻収録分の中で印象に残るのは、ずっと憶えている内容ですけど、タイトル「原始少年サブ」の巻。これは、人類がまだ猿人から原人へと移り変わろうとする頃のエピソードです。だいたい「ミュータント・サブ」シリーズというのは、漫画形式が短編連作なので、作品によっては設定が異なります。だいたいがサブの生業は探偵業とか(あるいはニート?若年放浪者?)何がしかの機関のスパイ的探偵だったりしていますが、こういう特異な設定もありました。まだ人類全体が全身に体毛を有する時代に、ある女性に特異な男の子が生まれ、差別されて育ちました。今の人類と同じ姿で生まれた白い子は、ずば抜けた知恵を持ち、やがては他の猿人姿形の原人達を先導し、文化へと導きました。道具を使い武器を持つようになる。最後には、火を起こす事を発見する。その火は、万年単位の未来には、核兵器と変わる。結びはこれでした。漫画の誕生の元々の形同様に、このお話も風刺ですね。人類の文化の風刺。兵器の開発と共に発達する人類の文明への風刺。火を発見した事が皮肉にも、全人類を何十回と滅ぼす量の核を世界中に設置する事に繋がった、愚かな人類への風刺。

 この「原始少年サブ」の巻の、お話には、人類の発展には、地球外の文明知性の力が、働いているのだ、という説が組まれています。これは、石森先生が海外SF文学の熱心な読者であった証拠です。この一つのテーマ、地球人類の文明開化のきっかけを与えたのは高度文明知性を持つ宇宙人である、という説は、世界SFのもう古典ともいうべき、世界名作SF「2001年宇宙の旅」や「地球幼年期の終わり」のテーマそのものです。世界文学史に名を刻む天才、アーサー・Cクラークの名作二点の代表作です。また、「サイボーグ009」の各エピソードの中の「地下帝国ヨミ編」のラストの、宇宙空間から地球引力圏でお互いに抱き合い落下する009と002の有名なシーン、あれももう古典といえるSFの名作短編集「刺青の男」所収の短編傑作「万華鏡」のラスト場面そのものです。「刺青の男」の作者はクラークらSF大御三家と並ぶ当時の文豪、レイブラッドベリです。こういう事柄が、石森章太郎氏が優れたSF文学の読み手であったという証左ですね。

 他にも、この双葉文庫版Ⅱ巻の方には、超能力を使って打撃記録を伸ばす、あるプロ野球選手に試合に超能力を使用しないように注意し、断られたサブが同じく超能力を使って勝負を挑み、野球を止めさせようとする、「スイッチピッチャー・サブ」の巻、少女誌に断続連載を続けた「おかしなおかしなあの娘」のさるとびエッちゃんがゲスト出演する「エッちゃんとサブ」の巻。などなどが収録されています。「ミュータント・サブ」の誕生編は、初出掲載は65年の少年サンデーお正月増刊号らしいんですが、このお話を僕は全く記憶しておりません。後にコミックスで読んでるかも知れないのですけど、内容は、事故にあった母親を持つサブは、同様な境遇のマリから輸血された事で、特殊能力に目覚める。また病弱であったマリもサブから輸血される事で、テレパシー能力が使えるようになった‥。というような話らしいです。僕が近年、読み返したのは、双葉文庫版のⅡ巻だけで、Ⅰ巻は読んでいませんから。

486188104801  それで、僕の昔々のあやふやな記憶をたどると、この事情有りの母親、サブのお母さんですね、確か、広島の被爆体験がある人なんじゃなかったかなあ(?)と、思うんですけど。はっきりとはしませんけど。つまり、サブは被爆二世で、マリも被爆二世だったんじゃあ‥(?)。あやふやな記憶なのですけど。と、いうのは、子供の頃、阿呆なガキだった僕は、SFの超能力は放射能を浴びる事で身に着くかも知れないと、半分信じていたような思いがある。僕が小学校低中学年当時のSF漫画の中の超能力は、安易に、放射線被爆により、突然変異的に何がしかの超能力が身に着く、というシチュエイションの、いい加減ネタの作風のモノが多かったような気がする。そういう安易な設定のSF漫画が多かったような気がする。今の時代にこんな設定でSF漫画描いてたらエライことですけど、僕が子供の頃の漫画なんて社会的価値はぐんと低いメディアで、世間的には、子供だましのいい加減な胡散臭い世界って思われてたし。今は違いますけどね。

 漫画の王様、石森章太郎先生からにして、まさか‥、と思いがちですけど、石森章太郎氏は、海外のSF小説やSF映画に影響を受けている作家だし、その当時のアメリカSFにはけっこう多いんですよね、核爆発の放射線から怪物や特殊能力を持つ超人に変わってしまう話って。現に、この間のハリウッド映画、「ファンタスティック・フォー」(2005年劇場公開)がそうじゃないですか。宇宙船の故障から船外からの宇宙空間の放射宇宙線を浴びて、身体が突然変異を起こし、超能力が身に着き、一人などは相貌姿そのものが怪物化する。ハリウッドのエロカワと呼ばれるジェシカ・アルバは透明人間能力が身に着く。こんななら放射線、浴びてみてぇーなあ、とか思いますよねえ。現に阿呆なガキだった僕も、当時は多分、放射能浴びて超能力者になりたいとか大馬鹿な妄想を思っていた筈です。ホント、どうしようもないアホだったから。

  

 石森先生の代表作の一つ、「サイボーグ009」の1エピソード「移民編」はあらすじが、第三次世界大戦の核戦争後の汚染された後の地球から、変わり果てた姿の未来人達がタイムマシンに乗って現代地球を侵略に来る、というお話ですが、これも、初出雑誌掲載時と、今のコミックスや文庫版、愛蔵版などでは、描写を描き換えてあります。多分、この「ミュータント・サブ」の誕生編エピソードも、話を少々変えている筈。はっきりとはしませんけど、そう思います。いろいろとおもんばかって。多分、被爆という恐ろしい症状、障害の事実に、大きく配慮して。放射線を浴びるという事は、事実はそれは恐ろしい事です。先ず死ぬ。二世は病気になる。いろいろな障害が起こる。超能力なんかが着く訳が、絶対無い。このアイデアというものは、単純に、放射線によるDNAの変化による突然変異種発生、という考えなのでしょうけど。まあ、50年代60年代まではこの安易なアイデアに頼るSF作品が多かったという事でしょうけど。

 

 と、いうような事を長々書いて来ましたけど、後半部は、多分そうだったと思う‥風なはっきりしないあやふやな記憶をたどった思いの記事になりまして、読んでくださった方々には、とても申し訳ない気持ちなのですけど、調べがつかず確実なところが書き込めませんで、済みません。僕も機会があれば、少年サンデー掲載の「ミュータント・サブ」前半部エピソードを読んで、確認したいな、とは思っています。はい。出来れば、修正された今の現在版作品集よりも、昔々のオリジナル分を確認したいな、と思うけど、難しいだろうなあ。66年67年刊のコダマプレス社ダイヤモンドコミックス版でも見る事が出来れば‥、だけど、難しい。という訳で、カテゴリ分け、60年代漫画=「ミュータント・サブ」記事書き込みでした。はい。
 いやあ~、カテゴリ分け書き込み体にして、ラクに短い記事を書いて行くつもりが、変更後初めから、ものすごく長くなってしまった感じ。結局どうしても長々になってしまった。



(※ミュータント・サブのmutantは訳すと、突然変異体の事です。突然変異はmutationとなり、遺伝子レベルの出来事ですね。つまり、ミュータント・サブとは、何らかの作用で、遺伝子・DNAレベルで変異してしまった、突然変異体のサブというヒトです。多分、最初の物語設定では、放射能照射作用が細胞レベルで突然変異を引き起こし、超常能力を生む結果となったとしてあったのでしょう。ちなみに、書物の解説によれば、突然変異はほとんどの場合、生存に有害であるが、まれに有益なものが生じる場合もある、とあります。しかし、放射能被爆では、勿論100%有害です。 ・・・拙ブログで、石ノ森章太郎先生関連記事は、05年4月「番長惑星」と05年9月「サイボーグ009」があります。よろしければ、どうぞ。) 

◆(2005-09/28)「サイボーグ009」
◆(2008-12/12)漫画・・ 「アンドロイドV」
◆(2005-04/04)「番長惑星」
◆(2006-05/22)漫画・・ 「ミュータント・サブ」

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「中春こまわり君」 ~ 「がきデカ」 ・・・ (2) with「喜劇新思想大系」

 

 カムバックこまわり!「がきデカ」ワールドの記念すべき再開。二十数年の時を経てよみがえる、一時代のギャグの王者、こまわり君。そのこまわり君達が、実時代の経た年月同様、歳をくって中年前期世代として、社会人となりそこでも繰り広げているドタバタギャグワールド。2年前に二十数年ぶりの続編リヴァイバルを果たした「がきデカ」ワールド、「中春こまわり君」は04年ビッグコミック誌上で2回に分けて掲載され、話題を呼びました。今回もパチンコ新ソフトCR新がきデカ登場とコラボ企画なのか何なのか、関係あるのかないのか、しかしあのパチンコソフトの総登場人物の動きはよく出来てるぞ、CR新がきデカ。なのだけども、とにかく同時期登場、パチンコのこまわり君と、今回の3回分け連載で登場、ビッグコミックの「中春こまわり君」2年ぶりの第2部。で、今回、ビッグコミック10号、5月25日号掲載分、その後のジュンちゃんの巻、第2回。

 

 相変わらずシュールな展開のドタバタギャグですが、40歳ジュンちゃんの貧窮困苦な状況。母親は見離し、姉は雲泥の差のリッチそうな暮らしぶり。何もかもうまく行っているような姉、昔はツッコミ役のモモちゃんと、ボケ役ひとすじ、二度の離婚の末、薄情な前夫の元へ戻り介護に明け暮れる、絶望のジュンちゃん。今回読むと、昔の「がきデカ」時代に比べると、何か、スピード感はかなり落ちた気がします。でもまあ、あの世界は生きてます。変なお笑い世界です。面白くて笑えますよ。んでもって、前号で、栃の嵐の孫、栃の光の小料理屋で新人板前さんとした働いている、いかにも獰猛そうな土佐犬なんですけど、今回では、その犬が、ジュンちゃんを弄ぶ前夫の、愛人の義兄なのだと解る。シュールな展開ですが、ジュンちゃんの前夫は人間です。前夫の愛人も人間です。でもその女の娘の義兄は土佐犬なのです。まあ、秋田犬雑種の栃の光の女房は人間ですからね。いいんでしょう。で、ジュンちゃんのこの状況に、こまわり君と西城君が絡む。さて、この後の展開は如何なるか?待たれよ、次号。で、次のドタバタは5月25日発売のビグコミ11号ですね。6月10日号。

 それでは、「中春こまわり君」の元マンガ、1974年から81年まで、大人気で連載が続いた、山上たつひこ先生のギャグ大作「がきデカ」の話に移ります。


 当時の少年チャンピオンコミックス「がきデカ」を何冊か取り出して、パラパラ繰り、何話か読んでみたら、やっぱしおかしくて笑いました。漫画史に残る爆笑漫画「がきデカ」。本人はそう、思ってはいないかも知れませんが、やはり山上たつひこと言ったら「がきデカ」ですよ。本人が例え、いや違うと否定しても、一般世間的には、大きく、日本の漫画史的には、山上たつひこの代表作と言えば、それは「がきデカ」だと誰もが言うでしょう。シリアスな劇画作品に、SF的な異色作「光る風」という秀作もありますが、陰の代表作と言えば「喜劇新思想大系」だと思う。「喜劇新思想大系」とは、漫画史に残るギャグの名作「がきデカ」創造のきっかけとなった、艶笑ストーリー・ギャグ青春群像お笑い大傑作漫画ですが、これはまた追って書きます。

 僕は、多分、少年チャンピオンコミックスの「がきデカ」全26巻、全部持ってると思う。押入れのダンボール箱のどれかに、分かれて突っ込まれてるでしょう。数冊は探し出して、手元に出して来たんですけど。前の「中春こまわり君」と「がきデカ」書いたトコのコメント蘭で、僕は、2千年代になって読み返したら笑えなかった、と書き込んでますが、訂正します。今度は、笑いました。今回、何話かパラパラと読んで行ったら、数箇所でおかしくって、笑ってしまった。確か、3、4年前に読み返した時は、笑えなかったと記憶してたんだけど、おかしさや笑い感、面白さとかいうものは、多分、その時々の本人の立場、環境、精神状態、精神的状況などによって、変わって来るものではないかと思う。それは、笑いの傾向って、絶対、時代によって違うでしょうけどね。僕の前の世代、僕の後の世代、今のヤングの世代、好きなギャグ系漫画の笑いの傾向は違うでしょう。勿論、個人差もあるでしょうけど。

 僕の個人的な、漫画史的なギャグの流れはね、つまり、僕の幼少時からの、初めてギャグ漫画というものに触れて、その時大笑いしてからの、結局僕的な趣味という事になってしまうけれど、ギャグという言葉で呼ばれてなかった時期から、最初、先ずは「よたろうくん」の山根あかおに、次が「丸出だめ夫」「ズーズーC」の森田拳次、「おそ松くん」「天才バカボン」の赤塚不二夫、そして山上たつひこ、その後が「うる星やつら」の高橋留美子となります。ギャグ漫画と呼ばれ始めたのは、赤塚不二夫氏からですね。「よたろうくん」「丸出だめ夫」あたりまでは、ゆかい漫画と呼ばれていました。勿論、ワタクシの極く個人的意見でして、50年代から80年代まで、ギャグ漫画を描いて来た漫画家は数限りなく居ます。僕的な、漫画史に残るギャグの流れ、の思いです。僕は90年代からは、よく知りません。90年代からは解りません。僕的には、毎週の少年チャンピオンで「がきデカ」で大笑いしていた時、同時期に連載されていた「マカロニほうれん荘」は全く笑えませんでした。あんまりきちんと読んでないんですけど、「ドクタースランプ」も笑えなかった。まあ、個人的な趣味の問題も大きい事ですけど。

 「がきデカ」の笑いの基本は、関西漫才のボケとツッコミです。それを漫画誌面の画面において誇張させて、オドロキと同時に爆笑させる。テンポも速く、スピード感もあります。「天才バカボン」「がきデカ」が出現する前の、ゆかい漫画の時代には、もっとずっとゆっくりしていた。時代そのものが昭和30年代でしたし、漫画誌的にも月刊誌の時代だった。これは大きいと思います。赤塚不二夫というギャグ漫画家が登場したのは、週刊誌の時代になってからなんですね。無論、赤塚先生は月刊誌でも沢山、作品を描いて来ています。でも、その個性、ギャグ漫画家としての特性を発揮したのは、週刊誌連載の「おそ松くん」からだと思います。そして「天才バカボン」から「レッツラゴン」へ。時代の流れを掴み、合わせて行ったのか、それとも時代の流れが赤塚ギャグを迎合したのか。それまでの、ゆかい漫画に比べて、赤塚ギャグ漫画はとにかくテンポが速い。それは勿論、まだまだ、ゆかい漫画からの昔ながらの、じいーんと来る、情に訴える面は、「天才バカボン」や「もーれつア太郎」に見られるような親子の情や家族愛、あるいは仲間との友情などの、ほほえましく心暖かな部分が、お話の味付けにかなりウエイトを持っていますけど。これがかなりドライになって行くのが、「レッツラゴン」からですねえ。または、「天才バカボン」の後半部に突入してからの、シュールなお話構成。というか、あの時代からは「天才バカボン」は明らかに、赤塚ギャグの実験場でしたけど。あ、天才、赤塚不二夫氏の話ではなかった。「がきデカ」の話だった。

 

 長期間に渡り、月刊誌連載を続けて来た、山根あかおに氏の「よたろうくん」は言わば落語でした。お笑いが落語で進んでいた。タイトルからして、落語の定番登場人物、のろまでゆっくりぼんやりボケという、キャラの与太郎の名前から取っていますもんねえ。「よたろうくん」て、1956年の講談社少年クラブからの連載なんですねえ!僕が幼少時愛読したのは「ぼくら」誌上です。どのくらい続いたんだろうか?多分、12、3年間か、それ以上。この漫画も、僕はおかしくておかしくて大好きでした。で、「がきデカ」は漫才。それもスピード感ある速い漫才です。だから、だいたい舞台は一箇所ですよねえ。せいぜい2箇所。漫才的ギャグ進行だけど、登場人物は多彩で、漫才というより、吉本新喜劇的。シュールと言えるような誇張されたオドロキのボケと、デフォルメされたツッコミで織り成す、漫画誌面上拡大吉本新喜劇。という感じですかね。この「がきデカ」世界開花のきっかけとなった、これもすごい秀作なんですが、「喜劇新思想大系」これについては、また書きます。

  

◆(2006-05/02)「中春こまわり君」 ~ 「がきデカ」 ・・・ (1)
◆(2006-05/14)「中春こまわり君」 ~ 「がきデカ」 ・・・ (2) with「喜劇新思想大系」
◆(2006-05/28)漫画・・ 「中春こまわり君」 ~ 「がきデカ」 ・・・(3)

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「魔物語 -愛しのベティ-」

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 またまたDVD映画鑑賞ネタになってしまうんですけど、それにしても、ニコール・キッドマンは素敵ですねえ。さすがはハリウッド第1級女優、違いますねえ。どんな役もこなす。「ザ・インタープリター」も「アザーズ」も、この前見た「ステップフォード・ワイフ」も、そして今回の「奥様は魔女 -Bewitched-」も。シリアスもコメディも性格を全く変えて役作りをこなす。知性的な美しさと、今回見たコメディでの可愛さ。どんな役でも、魅力を十全に発揮する。いやはやたいしたものです。ハリウッドではもはや大女優と呼ばれる一人なんだろうからなあ。とても楽しい映画でした。ニコール・キッドマンの「奥様は魔女」。

B0009b16te01  1960年代のTVドラマ、「奥様は魔女」は日本でも大人気の、不思議ホームドラマ・コメディでした。主演エリザメス・モンゴメリーが魔女サマンサ役をやって、50年代60年代のアメリカの家庭の専業主婦をこなし、楽しくおかしいホームドラマ・コメディをアメリカで、1964年から72年まで大人気で続け、日本でも66年から放送、人気を博し続けました。特に魔女の主婦、サマンサがばれないように魔法を使うときにやる、ピクピクピンて口の動き、流行りましたねえ。意外とあれ、難しいですよねえ。僕も子供の頃見た覚えがあります。向こうのサラリーマンの主人ダーリンと主婦サマンサが営む家庭に、サマンサゆかりの魔法使いが現れて織り成す、コメディーのホームドラマでしたから、子供時分の僕は熱心に見るファンではなかったけど。でも、両親と一緒にけっこうよく見ていたと思う。「可愛い魔女ジニー」って、似たドラマ設定のアメリカ番組がやってたけど、同時期の放送なんですねえ。記憶的にはもっと後かと思っていたけど。日本での放送は、こっちも66年からとなっている。同時期です。僕は、再放送で見ているのかしら。「可愛い魔女ジニー」の方が、ジニーそのものが色っぽくて、もうそろそろ色気でも覚えようかって年頃になる子供には、興味があったかも。でもまだやはり子供だったからやはり、そんなには熱心に見てはいない。ジニーは今でいうエロ可愛い、だったのかな。「奥様は魔女」は日本でもTV放送史に残る、輸入ドラマです。

  

Img7fcec03f34xszk  今回の2005年アメリカ映画「奥様は魔女 -Bewitched-」は、エリザベス・モンゴメリーのやったサマンサ役を、新たにニコール・キッドマンがやる、というのとは違って、前作を踏襲した別ドラマです。リメイクだけども、お話自体はちょっと違う。60年代大人気のTVドラマのリメイクで、人気回復を謀ろうという落ち目の俳優ジャックが、新人女優を探し出す。魔女の主婦役に抜擢された新人女優は、実は本物の魔女イザベルであった‥。それから織り成すコメディの恋愛ドラマです。60年代前作を踏まえたお話で、同じ劇中登場人物は出て来るんですけどね、微妙に配役が違う。まあ、見てのお楽しみですけど、面白いです。モチ、主演ニコール・キッドマンは美しいし、役柄的に可愛いし、ホント、イイ!です。イザベルの口を動かす、ピクピクピンが見もの。僕は洋画を見ても、ニンマリすることはあっても、声を上げて笑う事は滅多にないのですけど、この映画では笑いました。おかしかった。まあ、もっとも、僕は洋画はサスペンスやミステリー専門だから、あまり声を上げて笑わないのも当然ではあるのですけど。

10002153281  というところで、漫画です。出た、いよいよ漫画作品。「奥様は魔女」のTV放映も映画も、扉に、箒にまたがって飛ぶ、魔法使いの帽子を被ったサマンサ役E・モンゴメリの似顔漫画アニメが流れました。扉タイトルバック絵アニメ、です。それとは関係ないんですけど、日本の魔女漫画。あ、そういえば、最近、日本のTVドラマで、日本版「奥様は魔女」、やってましたね。魔女主婦役が女優の米倉涼子で。ダーリン役が原田泰三。2004年の放送です。1回も見てないけど、あれはヒットしたのかな(?)。はい。TVドラマでなくて漫画ですね。漫画作品。漫画で、魔女を扱った漫画は多分いっぱいあると思います。魔女が主役の漫画で、僕がすぐにポンッと思いつくのは二つ。一つは三山のぼるさんの「メフィスト」。もう一つが原作・小池一夫、作画・叶精作の「魔物語」。今回は、「奥様は魔女」がコメディだったという事で、シリアス味が強くホラー系の「メフィスト」ではなく、「魔物語 -愛しのベティ-」の方で行きます。

 劇画「魔物語 -愛しのベティ-」は小学館ビッグコミックオリジナルに1980年から85年まで連載されて、同社のビッグコミックスでは全17巻で刊行されています。勿論今は絶版でしょうが、原作者の小池一夫氏の出版元から文庫とコンビニ版とでも呼ぶ軽装単行本で、新たに出ています。これも今現在、新刊で買えるのかどうか‥、ですけど、劇画物語としてはもう大長編の部類ですねえ。稀代のストーリーテラー小池一夫さんの、油の乗りきったというのか、一番活躍されていた時代の、多くの傑作を生んだ時期の、その傑作のひとつです。この頃の小池作品には、男女恋愛の「愛」をテーマにしたものが多い。もともと小池ストーリーは、初期はともかく中期からの数多い傑作陣には必ず一本、テーマに「愛」が通っていました。青年漫画・少年漫画に、真面目に考える「愛」というものを導入した、初めての人なのではないでしょうか。小池一夫原作劇画に通る「愛」のテーマは、ちょっと大袈裟に聞こえますが、ある種、哲学的なものでした。さまざまなシチュエイションの小池「愛」論が、各物語を通して展開されているのです。

 少年漫画に「愛」を初めて持ち込んだ人は、小池一夫よりも早い時期に、60年代からの漫画原作の王者、梶原一騎が居ます。「巨人の星」「あしたのジョー」等の代表作にもそれとなく、エピソードの一つとして、梶原流青少年向けの「愛」が挿入されていました。実際に「愛」をテーマにしたかの如き、「愛と誠」や「朝日の恋人」などの少年漫画原作作品も連載されました。しかしその説く「愛」は画一的で古臭い、男のロマンの付け足しのような愛だったように思えます。あくまで主役は男で、それを支える愛、あるいはもっと違う広い意味での理想的愛、だったように感じます。やはり、男女の仲の真面目に考える「愛」を劇画に持ち込んだのは、小池一夫でしょう。梶原の説くような、しょせん物語中の、そのまま行けば神の愛だとか人類愛にでも繋がりそうな、無理な理想的愛ではなく、そう、はっきりと男と女の恋愛の「愛」です。この「魔物語」も悪魔や妖怪、魔法の世界を描いて、テーマは男女の「愛」なのです。

 ヤクザ者の肝川胆平が仇討ちの殴りこみに出掛ける途中で助けた可愛い女の子は、実は魔界の次期女王候補ベティ‐バレンタインであった。最初、ベティが人間胆平にベタ惚れするものの、お話はいろいろな方向へと展開する。やがて魔界が舞台となり魔界の掟なぞあって、人間胆平の愛が試され、二人に試練が訪れる‥。長い長い物語中、ハラハラドキドキや活劇シーンありで、ファンタジーの中にもあくまで愛を描く、コメディー味の大長編劇画です。作画は叶精作さん。非常に絵のうまい漫画作家さんです。小池一夫とのタッグを組んだ劇画名作は数知れず。初め、さいとうたかをプロで、アシスタントを4年間やって、小池一夫のスタジオシップへ。後に独立。漫画作家だけでなく、プロのイラストレイターとしても定評があり、Macを使った精緻なCGイラストも作画する。僕が、小池一夫原作・叶精作作画で一番好きな作品は、SF劇画「ブラザース」ですね。いつかここで、「ブラザース」を書こう。

 

 僕は、「魔物語 -愛しのベティ-」は雑誌連載で、多分ほぼ全編読んでるんじゃないかなあ。と思う。後にコミックスでも読み返しているけど、とても全17巻ではない。コミックスでは読んでても、10巻までくらいですね。似たお話傾向の作品に、同じ小池一夫原作で、作画を永井豪氏がやった漫画、「花平バズーカ」というのがある。これも、人間花平と魔女との恋愛の「愛」を描く作品。青少年に考えさせるところがありますよ。尚、知らなかったんですけど、小池一夫氏の制作で1986年にアニメ映画が作られているんですねえ。これはオリジナル原作のコミックス1~3巻のお話を脚色したストーリーらしいです。一応、成人向け指定ビデオになっている。

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