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●漫画・・ 「関東平野」..(1)

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 日本漫画史に残る偉大な“昭和の絵師”、上村一夫氏が惜しくも45歳の若さで1986年に亡くなられてからおよそ20年が経ち、2005年に没後20周年記念として、氏の往時に残した名作の数々が豪華版として復刻刊行された。その中に出版社小池書院発行の、氏の自伝的名作「関東平野」がある。2005年時の復刻本ではタイトルを「関東平野-わが青春漂流記」と題して上下巻分冊(訂正→上中下3巻分冊)で刊行されている。「関東平野」の初出雑誌掲載は、少年画報社の「ヤングコミック」に76年から78年の約2年間の連載ですね。

 4月初めの日曜の深夜番組で、芸人タレントたちが多数出ていて、自分たちの読んで感銘を受けた漫画の一節を披露していたのだが、というか、番組内容の主旨が、ゲストの芸人やタレントの抱える悩み、というのが概ねフェイクだのネタなんだが、その悩みを解決に導く言葉を、ひな壇席のコミックに造詣の深い、多分レギュラー出演者たちが自分のリスペクトする漫画作品の感銘を受けた一部分を引用して、そこのセリフで救いの言葉を授ける、というような内容のバラエティー番組だが、この中で多分レギュラー回答者の一人であろうビビル大木が、今ではもう昔々の作品となる昭和青年抒情劇画の巨匠、故上村一夫氏の作品を2作、紹介していた。いずれも上村得意の、大人の男と女のある面どろどろした複雑で猥雑な、欲望と愛憎絡まる恋愛の、人間模様を描写してのけた、昭和劇画黄金期の傑作抒情劇作品らしいが、ビビルの紹介した2作の扉には上村一夫オリジナルのストーリーではなく、原作者名が記載されていた。いわゆる、漫画の原作付き、の作品なのだ。そしてその原作者名は“岡崎英生”名義になっていた。

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 「あれ?岡崎英生って‥」と思って、傍らの今から11、2年前に発行された、「まんだらけ」の機関誌というかカタログ誌、「まんだらけZENBU」の1冊を取って、かのページを開いてタイトル「ヤングコミック風雲録」というエッセイの著者名を見ると、「あ、やっぱり!」と“岡崎英生”名義だった。ここの連載エッセイ記事を読むと、岡崎英生さんはその昔、少年画報社発行の成人・青年誌「ヤングコミック」の一編集者だった。その、本人が「ヤングコミック」編集者として活躍していた時代を、自伝的エッセイとして書き表わし、連載を続けているのだ。ネットで調べてみると、岡崎英生さんは早稲田出身で少年画報社に入社し、「ヤングコミック」の編集業務に当たっていたが、その後、少年画報社内での組合争議があって、詳しいところは解らないのだが何でもかなり激しい争議だったらしく、その組合闘争を契機に会社を退職して、仲間有志と共同で新たな漫画誌を創刊発行して編集出版業にあたっていたが、売れ行きが芳しくなく数号で廃刊の憂き目に合ったものらしい。そして、漫画原作者としても活躍して、“昭和の絵師”上村一夫氏とタッグを組んで出した作品も多いらしい。ということみたいです。

 あんまり確かな情報でなくてどうもごめんなさい。漫画原作者としての岡崎英生さんの作品が、上村一夫さんの作画作品以外にどういうものがあるのか?全然解りません。この、「まんだらけZENBU」の10年少し前の号に毎号連載されていた「ヤングコミック風雲録」は、だからその当時、つまり2000年頃に執筆されてた回想録風エッセイなんでしょうけど、劇画家・上村一夫さんとタッグを組んだ作品を書いていたのは70年代からまあ、80年代アタマくらいでしょうし、80年代以降はどういう仕事をされているのかは、済みません、解りません。調べが半端で申し訳ありませんが、ただ、2002年に飛鳥新社という出版社から「劇画狂時代-ヤングコミックの神話」という書籍を上梓されているのは解りました。確かなことは解りませんけど、もしかしたらこの書籍が「まんだらけZENBU」に連載され続けた、自伝的エッセイをまとめて単行本化して出版したものなのかも知れません。

 冒頭に記した4月初めの日曜深夜のバラエティー番組の中で、芸人タレント、ビビル大木がリスペクト漫画に上げた上村一夫作画の2作品、「しなの川」「蛍子」ですが、大長編作品の「しなの川」は岡崎英生さんの原作で、「蛍子」の方はTVドラマの脚本で有名な久世光彦さんの原作になっています。ちなみに岡崎英生さんが上村一夫作品の原作を初めて書いたのは、岡崎さんが少年画報社を辞めた71年で、作品は当時の「劇画タッチ」に3回連載された「花言葉」というタイトルの中篇作品みたいですねえ。ああ、そうだ。少年画報社を辞めた岡崎さんが創刊した漫画誌が「劇画タッチ」なんだ。そうして、上村一夫劇画の原作担当で最後の仕事が、あくまで僕がネットで調べたところだけでは、1979年の作品ですね。ちなみに、ネットで調べて知ったんですが、岡崎英生さん原作の上村長編劇画「しなの川」の掲載誌は、岡崎氏が辞めた少年画報社ヤングコミック誌なんですね。岡崎さんは少画社を労働争議で辞めたようですけど、退職後もけっこう良い関係は持てていたんですね。

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 岡崎英生さんの書いた「まんだらけZENBU」連載の「ヤングコミック風雲録」の中では、月刊誌で出発した青年誌「ヤングコミック」が隔週刊化して後たちまち売れ行き不振に陥り、どうしようもないと表現していいくらいに部数が出なくなり、このまま行けば廃刊もやむなしかというくらいに落ち込んで、編集長を交代したらしいのですが、この新編集長が辣腕選手で、ヤングコミック誌をあちこち模様替えして内容を斬新に切り替えて行き、月刊誌時代以上の発行部数を誇る状態にまで持ち上げてリニューアル成功させてのけた。少画社一社員で、ヤングコミック編集部のスタッフの一人だった岡崎さんも、仕事人としては腕利きではあったのでしょうが、この新編集長とは折りが悪くよく衝突していたらしいし、新編集長は、週刊少年キングの一編集者だった時代に「俺がヤングコミックに行ったら真っ先に岡崎を切ってやる」と言っていたくらいに岡崎さんとは合わなかった仲だったらしいのですが、新生ヤングコミックの編集部ではそれまでの数倍も会議のディスカッションが旺盛になり、スタッフどおしが喧々諤々ああでもないこうでもないと議論をやり合っていたらしい。「ヤングコミック風雲録」の中にはそういうエピソードも書いてある。労働争議を契機にそういう事情の仲のあった編集部を、会社ごと退職してしまった岡崎さんが、よく、辞めてすぐの古巣と仕事をやったなあ、やれたなあ、と感心した次第でして。

 少年画報社の成人・青年漫画誌「ヤングコミック」は1967年に創刊されていて、類似の雑誌、小学館の「ビッグコミック」や秋田書店の「プレイコミック」よりも、世に出たのは早い。双葉社の「週刊漫画アクション」が最も早く出版されているのだが、「ヤングコミック」よりひと月早いだけだ。ここから60年代末が、日本漫画界の青年漫画誕生の黎明期だ。それより以前は、少年少女の子供向け漫画と、大人が見る四コマや艶笑漫画とエロを前面に押し出した成人誌しかなかった。小学館が「ボーイズライフ」というヤング誌を出してはいたが、ライフスタイル記事中心で漫画作品は、せいぜい2つか3つしか掲載されていなかった。60年代後半に入って、貸本が衰退して潰れ、漫画雑誌界に、ハイティーンから20代を読者層ターゲットにした青年コミックが誕生、旺盛に開花して行き、70年代初頭までは雨後のタケノコがニュキニョキ生え伸びるように、青年漫画誌の創刊が目立った。貸本劇画出身の漫画家たちは、貸本という自分らのフィールドがなくなって、成人誌や青年雑誌に大挙移動して来た。それでも青年雑誌に移ることが出来たのは、数限りのある劇画の実力者たちだけだけど。「ヤングコミック」の内容にも、ヤング向けとして若干のお色気を盛り込みつつも、やはりストーリー主体の劇画で誌面を揃えた。「ビッグコミック」に比べても、「ヤングコミック」や「プレイコミック」はお色気色投入は若干強かったですね。「ヤングコミック」や「プレイコミック」には、巻頭グラビアに若い日本人女性や外人金髪女性のヌードモデルのピンナップが必ず付いた。

 

※実はココの記事「関東平野」..(1)は4月4日に書き上げていたのですが、何故かwebアップが4月15日になったしまった。すると、ワシはその間パソコンに触れていない訳か‥。まあ、どーでもいいんだが。で、ココの記事、「関東平野」..(1)は続きます。漫画作品「関東平野」についての文が全くといっていいくらいに出て来ない内に(1)を終わってしまい、(2)に続いてしまってどうも済みませんが、という訳でココの記事文は完結なんか全然せずに、「関東平野」..(2)へと続いてしまいます。待たれよ続編(2)を。ではでは。

◆(2011-04/15)漫画・・ 「関東平野」..(1)
◆(2012-01/30)漫画・・ 「関東平野」..(2)

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