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●小説・・「じじごろう伝Ⅰ」狼病編..(25)

25.

 昔ながらの田畑が敷き詰められた盆地から、都市部へ向かう県道は、深い峠に登って行く。その峠は幾つもの連山を掻い潜って続いている。山々はいずれもそこまで高さがある訳ではないが、とにかく山と谷が幾つも連なっている。谷々にはメインの県道の他にも小さな道が幾つか走っていた。

 連山の中の一つの山から下るけもの道も、谷を走るどれかの舗装された道路に降りる。そろそろ深夜に差し掛かろうかという、山地の闇の中の舗装路の端に、一台の乗用車が止まっていた。ステーションワゴンだ。

 「もうそろそろだよ、浩司お兄さん」

 ステーションワゴンの後部座席から和也が言った。

 「そうかい。早くしないと、もう夜も遅いからなぁ」

 運転席の岡石浩司が応える。浩司は腕時計を見た。

 「何しろ、もう10時が近いよ」

 岡石青年は少し不機嫌そうだ。

 「ごめんなさい。浩司お兄さん、もう直ぐだから」

 「済みません」

 後部座席で和也の隣に座る愛子が、和也の言葉に被せるように、少々声を張って申し訳なさそうに、運転席の岡石青年に詫びた。

 岡石浩司は黙ったまま、フロントガラス越しに、ヘッドライトに照らされた山の中の舗装路を見ている。

 岡石浩司青年は、吉川愛子·和也姉弟の住む地域の郊外に立つ、総合大学の理系学部の大学院生である。かつて和也が所属していた地域の小学生までの子供の草野球チームのコーチを、ボランティアで行っている。自分の乗用車でチームの子供たちの送迎などもやっているので、和也や愛子とも親しい間柄だ。

 停めたままエンジンを掛けて内部をエアコンで冷やしている、乗用車の側面の窓から、山の方をじっと見ていた和也が一言、言った。

 「来た」

 「えっ?」と言って愛子が和也の方に乗り出し、窓から外を見た。闇の中で何も見えない。運転席の岡石青年も和也の見ている方向を見る。勿論、闇で何も見えない。

 ドアを開けて和也が車から降りた。愛子が身体をずらせて窓に寄る。岡石が自動車の窓を降ろして開けた。

 ガサガサと草を分ける音がして、闇の中に二つの小さな光が見える。

 「ハチさん!」

 和也が小さく叫ぶ。二つの光は目が光って見えたのだ。

 愛子が車の中からハンドライトで照らすと、小柄な犬がいた。茶色い体毛の中型犬よりもやや小さな犬。ハチだ。

 「あのお姉ちゃんは?」

 和也が犬に向かって喋ると、ハチは首を曲げて山の方を振り返った。

 やがてガサガサとさっきより大きな、草々を掻き分ける音がして、真っ暗い中に人の影が現れた。愛子がハンドライトで照らす。

 人の影は女性の姿をしている。小柄な女性で、そして何と、裸のようだ。ハンドライトで照らしていた愛子は驚いて車から降りた。岡石も窓から首を出して驚いて見ている。

 和也も愛子も普段着で、和也はボタンの半袖シャツに長ズボン、愛子は黄色い半袖ブラウスにブルージーンズの格好だ。

 裸の小柄な女性は、草むらの山の斜面から降り着いて、道路のアスファルト面を踏むと、力尽きたようにへなへなと倒れてアスファルトに両手を突いた。

 愛子がハンドライトで照らしながら、四つん這いの女性に寄り添った。

 「大丈夫ですか!?」

 愛子の叫びに、四つん這いの女性は息が荒い。女性は素っ裸だ。ライトで照らし出された裸の身体はあちこち汚れて、草の葉で切ったのか血が滲んでいる。

 「大佐渡さんですよね?」

 愛子がしゃがみこんで裸の背中に手を置いて、強い言葉で訊いた。女性はこくりと頷いて見せた。和也も横に立って心配そうに女性の顔を覗き込んでる。

 いつの間にか岡石浩司が車から降りていた。

 「とにかく、彼女を車の中へ」

 岡石が指図する。和也が愛子のハンドライトを受け取り、愛子が力を貸して大佐渡の身体を起こして立たせた。

 愛子が大佐渡を後部座席に乗せた。和也は助手席に乗る。岡石が運転席に戻ると、いつの間にか小型犬が和也の膝に乗って座っていた。

 岡石浩司が首を回し、驚いた顔で後部座席の二人を代わる代わる見る。

 「大丈夫なの?」

 大佐渡真理は両腕を組んで胸を隠し、うつむいている。小さな声で「大丈夫です」と応えた。愛子は真理の身体を抱きかかえるように両腕を回し、真理の顔を覗き込んでいる。

 和也も後ろを振り返り、黙って真理を見ている。

 「浩司お兄さん、何かないですか?着るものとか、身体にまとうようなものとか」

 愛子が訊ねると、浩司は、後ろの荷台に毛布がある、と応えて一度車を降りてステーションワゴンの後ろへ向かった。和也がハンドル横のエアコン操作板をいじってエアコンの冷風を止めた。

 岡石浩司は、まだ初秋の季節で、半袖の白っぽいポロシャツを着て紺色チノパンの長ズボンを穿いていた。

 浩司が後部座席のドアを開けて、愛子に毛布を手渡した。浩司自身も裸の女性が相手なので戸惑っていて、直接何もできないでいる。愛子は毛布を拡げて真理をくるむように身体に掛けた。真理はうつむいたままだ。

 「ありがとう」

 消え入るような声で真理が礼を言った。

 助手席の和也が岡石青年に話し掛ける。

 「浩司お兄さん、車を出して。とにかくこの山から降りて街に戻って」

 「ああ。しかし彼女は病院に連れてった方がいいんじゃないか。裸だし、あちこち傷着いてるみたいだし。この時間なら救急になりそうだけど」

 「病院はやめてください。身体は大丈夫ですから」

 岡石の提案に、真理が頭を上げて強い調子で応えた。真理の言葉があまりにはっきりしていたので、浩司はちょっと驚いた。

 岡石青年は、全裸の真理の状況を山林の中でレイプ犯罪に合ったのではないか、と推測したようだ。

 真理がもう一度懇願するように浩司に向かって言った。

 「本当に大丈夫ですから。だから私の家まで送ってください。お願いします」

 しっかりした一言だ。重ねて和也も言う。

 「浩司お兄さん、お姉さんの言うとおりにしてあげて。とにかくもう降りようよ」

 「ああ、解った」と応えて浩司は自動車を進めた。道幅のふくらみのあるところまで行くと車を切り返して、山に登って来た舗装道路を戻って降りて行った。

 山間の少し離れた山の頂きで火の手が見える。遠くで消防車のサイレンが鳴っている。

 「警察には行かなくていいのかい?」

 「大丈夫です」

 浩司の問い掛けに真理は小さな声で応える。

 浩司はフロントガラス越しに、少し遠くの山火事の火の手を見上げながら、この全裸で山から降りて来た若い女性と、あの山火事は関係があるんだろうか?と考えた。だが、後部座席の娘があまり事情を話したがらない様子なので、問い掛けるのは控えた。

 しばらく誰も喋らなかった。車の中は静かになった。ふだん、車を運転するとき、岡石浩二はラジオを点けるか何か音楽を掛けてるのだが、このときは忘れていた。

 浩司は、今から一時間ちょっと前のことを思い返していた。

 陽が落ちてだいぶ経って夜も更けて来ようかというときに、吉川姉弟が訪ねて来た。浩司は調度、風呂に入ろうかとしていたときだった。大学院生の浩司は二階建てアパートの2DKの部屋で独り暮らしをしている。

 学校の友人とファミレスで夕食がてらダベリをして、友達と別れ、先ほど帰って来たところだ。吉川姉弟は、姉の愛子も弟の和也も何か緊張した様子で、いつもの、小学生草野球チームのコーチのお兄さん、浩司と接するときと態度が違う。そして、思い切ったように、今から山間部の峠まで車で連れて行ってくれと、突飛なことを言い出した。

 子供の願いごとだとは思えぬ、ただならぬ様子に浩司は、一度は脱いで掛けた上着を被りなおして、とにかく外に出た。アパートの下には小柄な犬がいた。中型犬としては少し小さな茶色い犬だ。多分、洋犬の雑種だろう。

 二人の子供の切羽詰まった様子に圧倒されて、浩司は自分のステーションワゴンを駐車場から出して、二人の子供と一匹の犬を乗せて県道へと出た。

 車中で浩司は、二人にどうしてそんなに慌てているのか訊ねた。二人は、これから行く峠にとても危険な目に合っている人がいるので、その人を助けるために一刻の猶予もない、というようなことを言う。

 浩司は驚き、警察に届けた方が良いのではないか、というと、それは駄目だと、弟の和也の方が強く否定した。

 最近の和也はまだ小学三年生のくせに、何だか随分しっかりしていて、まるで大人のようにはっきりと自分の主張を表現できる。このときも、とても子供だと思えない力強さがあって圧倒されてしまった。

 浩司は姉弟、特に弟の和也に言われるままに、もう深夜になろうという遅い時間に車を峠へと向かわせた。そこから小一時間、愛車を走らせ、山間部の峠を登り、今に至る。途中、脇目に、山火事らしい、連山の一つの山の山頂付近の炎を見て驚いた。

 峠道を下りながら、少し遠くに、消防車やパトカーらしきサイレンの音や山火事の警鐘の鐘の音が聞こえる。峠を下る道路では行き交う車は一台もなかった。この連山を越えて都市部へと行く峠の幹線道路は別にある。

 大佐渡真理は疲労困憊していて、力を抜けばふっと眠ってしまいそうだった。しかし、眠るまいと必死で目を開けて耐えていた。後部座席で素っ裸に毛布でくるまって、膝の上の両拳を強く握っていた。腕に入れた力を抜くと、意識を失うように眠ってしまいそうだったからだ。

 大佐渡真理は心配していた。もし病院などにこのまま連れて行かれたら、病院スタッフが事件性を心配して警察に通報するかも知れない。もし警察が関われば、折しも山火事が発生している場所から降りて来た、丸裸の傷付いた人間だ。警察の取り調べは深く追求されるだろう。

 自分を拉致して山の中まで連れて来て拘束した連中が、あの大きな山火事の中、どうなったのか解らない。蟹原智宏は焼け死んだかも知れない。人が死んでるかも知れないような事件性がある。とすれば自分は徹底的に取り調べを受ける。

 その後で、自分のおかしな能力が発覚したら大変なことになる。世間から普通の人間として扱われなくなるどころか、自分は実験材料にされるだろう。

 何しろ、人間の身体の筈なのに、肉体が信じられないような高熱を発して、これが一番の問題だ、女性器の陰部から火の玉を放つのだ。まるで人間火炎放射器みたいに、下半身の秘部から火球を飛ばしてしまう。

 普通の人間としてはとても考えられない。まるで人間兵器だ。日本国内だけの研究材料にされるだけでは済まないだろう。アメリカ·中国·ロシア他、各国のなにがしかの機関があたしを探りに来るだろう。誘拐されるかも知れない。そして何処か他所の国で実験材料だ。

 真理はそう考えると、毛布を深く被って裸の両肩を抱いて、下を向いたまま小刻みに震えた。

 隣の愛子が真理の様子に心配して声掛ける。

 「大丈夫ですか?」

 真理は声を出さずにこくりと首を垂れて返事をした。愛子が尚も心配そうに真理の顔を覗き込んだので、真理が小声で「大丈夫よ」と応えた。

 運転している岡石浩司は、本当は救急病院へ連れて行くべきなのではないだろうか、警察へ届けなくていいのだろうか、と迷いながらも黙って、真理の住まいのある地域へと幹線道路を車を飛ばしていた。深夜の幹線道路は空いていて、スピードが出せた。

 浩司はチラリと助手席の和也を見た。和也は膝の上の茶色い犬を抱いたまま、黙っている。

 浩司は思う。中学二年生の吉川愛子はしっかり者のお姉ちゃんだが、小学三年生の弟、和也の方はおとなしくてどちらかと言えば気弱な方で、甘えん坊な感じの子供だったが、この6月に小学生草野球チームをやめて、この二、三ヶ月はあまり見なかったが、まるで別人のように変わった。

 何と言うか、今の和也はとてもわずか小学三年生の子供とは思えないように落ち着いていて、何かこう威圧感を持っている。浩司は、和也をこれまでのように“可愛い子供”というふうに見れない、一目置いて大人として見てしまうような雰囲気を感じていた。

 浩司は前を向いて黙ったまま運転を続け、隣席の和也も黙ったままだ。浩司はカーステレオの音楽やラジオを点けるのも忘れていた。後部座席の二人も黙っていて、車内は静かなままで、ステーションワゴンは幹線道路から真理の住まいのある地区へと県道に入った。

 やがて住宅街に入ると、浩司の運転するステーションワゴンは一軒の二階建てアパートの前に止まった。モルタル造りの普通のアパートだ。貸し家式アパートで真理の部屋は二階だと言う。素っ裸の真理だが、合鍵をドアの端に二つ積んだブロックの下に隠してあるから大丈夫だと言った。

 自分の住むアパートの前に停まると真理は元気を取り戻し、浩司に毛布はこの次に洗濯して返すと告げ、何度も頭を下げながらお礼を言って、勢い良く車を降りた。部屋まで送るという愛子を大丈夫だからと遮って、真理はアパートの外階段を上った。

 毛布をマントのように肩に掛けた真理がドアの中に消えると、安心したように浩司のステーションワゴンはアパート前から離れた。

 「本当に大丈夫なのかな?」

 浩司が独り言のように誰にでもなく問い掛けると、隣の和也が応えた。

 「大丈夫だよ、浩司お兄さん。車から降りるときあんなに元気だったじゃない」

 大人のようにしっかりした返事をする小三の和也に、焦りのような妙な気分を覚えながら浩司は「うん」と一言応えた。後部座席から運転席の両端を掴んで身を乗り出して、愛子がはきはきした声で浩司にお礼を言う。

 「浩司お兄さん、ありがとうございます。こんな夜更けに無理を言って済みません。真理お姉さんも本当に助かったと思います。あたしも和也も助かりました。真理お姉さんが無事で良かった」

 「浩司お兄さん、どうもありがとう」

 愛子の礼の言葉に続けて、隣席の和也がお礼を言うと、和也の膝の上の犬がワンッとひと吠えした。

 岡石浩司は照れたようにはにかんで、吉川姉弟を自宅まで送って行った。

          *                

 一方、その間の宇羽階晃英たちは…。

 深夜の闇の中を先に進む事務長、吉高春美のハンドライトの灯りに、宇羽階晃秀は草藪を掻き分けながら、事務長の後を追って獣道を下る。二人とも急ぎ足で山道を降りている。前を行く事務長-吉高の息も荒くなって来ている。

 宇羽階晃英は上はシャツを着ているが、下半身は裸だ。草藪を両腕と腰で掻き分けて降りるので、草で切った小さな傷が両足にいっぱいできている。闇の中だが、チクチクと両足のあちこちが痛いのでよく解る。

 藪の葉で股間のサオの付け根近くも切った。チクッとしたので解る。股間や大腿を触ると多分、掌にベタベタと血液が着くに違いない。晃秀は、先を行く事務長は長袖シャツと長ズボンを穿いていて良いな、と羨ましく思った。

 前を行く事務長が止まった。下向きのハンドライトの光が獣道の、土が剥き出しになった地面を照らす。山道が片面が土手で片面は切り崩しの草むらだ。ハアハアと息を吐きながら、事務長-吉高春美が振り返った。遠くに山火事の炎が見える。消防車などのサイレンや鐘の音も遠くなっている。山火事の火の手はこちらには向かって来なかった。

 「ここまで降りて来れば大丈夫ね」

 荒い息を吐きながら春美が宇羽階に声掛けた。

 「はい」と宇羽階が返事した。思ったよりも運動靴が濡れている。獣道を歩いて草藪や草むらを踏んで来たからだ。靴の中で足がぬるぬるする。晃秀は裸足でなくてスニーカーを履いていて良かった、と思った。裸足だったら足を何ヵ所も切って歩けなくなっていただろう。

 吉高春美が腰を降ろして土手の土面に背中を預けた。上着が汚れても構わないほど疲れたのだろう。宇羽階も腰を降ろすが、せめてパンツでも穿いていればと思った。

 何分か沈黙して二人とも休んだが、宇羽階がおもむろに言葉を掛けた。宇羽階としては、少し思い切った質問だった。

 「事務長。事務長は僕たちがあの山の頂きに行ったことを知ってたんですか?というか、今晩の副施設長以下、僕らの行動は解ってたんですか?」

 事務長はしばし黙ってたが、何と答えようか考えてるふうだった。そして、意外にもはっきりと答えた。

 「そうよ。解ってたわ」

 「ということは、僕らは尾行されてた訳ですか?」

 「まぁ、そんなところね」

 事務長はあっさり答えて身体をラクにするように体勢を崩した。後頭部を後ろの土手の土に預ける。

 「宇羽階くん。この際だからはっきり言うけどね。副施設長は別として管理部は職員の動きは全てお見通しなのよ。管理部というか、あたしと施設長だけだけどね」

 宇羽階は驚いた様子で言葉が出ない。事務長が話を続ける。

 「あたしはね、施設長の、まぁ、何ていうか、影の実働部隊なのよ。部隊って1人だけどね」

 「実働部隊…、ですか?」

 「そうよ。施設長はとても用心深い性格でね。あなたたち職員のことは信用してないのよ。それは副施設長のこともそう」 

 「と、いうことは、僕らは常に見張られている、ということですか?」

 「見張っている、というかあなたたちも監視されてるのよ。施設内には到るところに超小型の監視カメラが仕掛けてあるわ。小型の録音機もね。それは施設長室の地下のモニター室に繋がってるの。地下の15面モニターに、あなたたちが施設内の何処で何をしているか全部、見ることができるのよ」

 宇羽階は驚きで言葉が出て来ない。その驚きは恐怖心を伴う驚きだった。宇羽階のこめかみに、山道を下って来た疲れの汗ではなく、冷や汗がたらりと垂れていた。

 事務長が吹き出すように小さく笑って、話を続ける。

 「だからね。あなたたち男子職員が男性のシンボルの大きさの競い合いをしてたことも初めの頃から知ってたわ。みんなで男子トイレで比べっこしてたでしょ。その内、リネン庫だとか裏の用具倉庫の中だとか。男子職員どおしで自分で大きくして比べっこして。あたしと施設長と二人で大笑いしながら地下モニターで見てたのよ」

 宇羽階は驚きと恥ずかしさでいっぱいだった。と、いうことは施設長と事務長は施設所属の全男子職員のチンコのことを知っているということになる。宇羽階は羞恥心から下を向き思わずあらわな股間を両手で隠した。

 「何もしょげることはないじゃないの。宇羽階くんのは立派なモノなんだし。あたしは、ただやたら大きいだけの蟹原くんのモノよりも宇羽階くんのモノの方が凄いと思うわ。あなたたち二人が全男子職員のファイナリストなんでしょ。あたしは宇羽階くんの持ち物の方が好きよ」

 事務長はそういうと、急に恥じらうように宇羽階から顔を反らして他を向いた。まだサイレンも鐘の音も鳴っている。山火事の火の手も見えている。顔を巡らせた事務長は話を変えた。

 「幸い、火の手は向こう側に流れてるみたいね。こちらには来てないわ。助かったわ、誰もこっちの方角には人は来ない」

 宇羽階が顔を上げて再び事務長の方を見て訊いた。

 「今回の副施設長の件はどうなるんですか?その、副施設長と蟹原くん山崎くんと。それから大佐渡くんと」

 「四人で自滅したことにするしかないわね。あたしも施設長も今回のことは全て解っているわ。とんでもないことよ。1人の女子職員を4人の男で襲ったんだからね。最後は未遂でも拉致や拘束は犯罪よ」

 「はい」思わず宇羽階は頷いて返事した。

 「だから、1人の女子を輪姦しようとして内輪揉めして殺し合いに発展した、とするしかないわね。どうして火事になったか知らないけど、山火事は幸いしたわ。あんな凄い火事なんだから蟹原も大佐渡も生きちゃいないでしょ。あなたは最初からあそこにいなかったことにして、施設長他全職員は明日の朝、警察の連絡を受けて知るのよ」

 宇羽階は納得した。二人とも腰を降ろしてもう充分休んでいた。宇羽階が、そろそろまた山を下るのかな、と思って事務長の方を見た。事務長の考えを探るような意味だった。

 すると事務長もこちらを見返して来た。深夜の月明かりしかない山の中で、他に明かりといえば事務長の足元の懐中電灯と遠くの山火事の炎の明かりだけだ。事務長は動かないし黙っている。顔付きが解らないので宇羽階もどうしていいのか判断に困る。宇羽階が黙ったまま顔を向けていると、事務長がおもむろに喋り出した。

 「宇羽階くん。さっきも言ったけど、あたしはね、あなたの“物”に興味があるの。勿論、あなたの性格も好きよ。でも、その、あたしもあなたの“物”をね、何度もモニターで見て非常に関心をそそられたわ」

 「は?」宇羽階は事務長が何を言いたいのか解らず、きょとんとした。

 事務長が草の上に突いた両手を使って、座ったまま腰を動かし、宇羽階に寄って来た。お互いの手が届く距離に寄り、肩を並べるような間隔になった。事務長が宇羽階に顔を寄せる。

 「宇羽階くん。解るでしょ」

 事務長の掛ける言葉が変になまめかしい。ちょっと甘えたような声音だ。宇羽階の頬の直ぐ近くまで事務長の顔が来た。はっ、という事務長の吐息が宇羽階の鼻のあたりに掛かる。何ともいろっぽい吐息で、さすがに宇羽階も状況を理解した。しかし宇羽階はこころもち顔を退いた。

 事務長が『どうしたの?』と言うようにコクリと横に首を傾げた。中年の年齢なのに妙に可愛らしかった。

 宇羽階はドギマギしながらも「い、いけません、事務長」と拒否の仕草で両手の平を前に出した。焦って言葉がどもる。

 「宇羽階くん。これはね、何でもないの。ただあたしは純粋にあなたの特別なあそこに興味があるだけなの。施設内の録音機であなたの自慢する話も聞いたわ。あなたは興奮時に水のたっぷり入ったやかんをぶら下げて持ち上げるんですってね。それだけ長くて硬いって。これはあたしの好奇心と探究心なの。お願いだからあなたのモノをあたしに試させて」

 事務長は懇願しながら宇羽階ににじり寄り、左手でギュッと宇羽階の一物を掴んだ。下半身裸のまま、山火事から急ぎ足でかなりの距離下って来た宇羽階は疲れていて、いつもは自慢の自分の息子も縮こまってしまっている。

 「あら、ちいちゃくなってるわね」

 事務長が少し落胆するように言った。しかしまた明るさを取り戻すように笑顔になって、今度は力強く言う。

 「でも大丈夫よ、宇羽階くん。あたしが元気にしてあげる」

 事務長は黒っぽい色のスラックスの腰回りにポシェットを提げていた。先ほどはこれからハンドライトを出した。身体をねじるようにしてポシェットを探ると、小さなプラスチック容器を出した。

 事務長は顔を仰向けて口を開け、片手に持った小さな容器の突端を押した。シュッシュッとノズルから音がする。携帯用の口内洗浄液だろうか。その後、首を降ろして宇羽階の下腹を覗き込むような姿勢で、宇羽階の股間に小型容器の突端を三度ほど押した。ノズルから噴霧されて宇羽階は股間が冷たかった。

 「あっ」いきなりひんやりとして宇羽階は声を出した。

 事務長は笑っている。

 「緊急時の消毒よ」

 ポシェットにふだんから消毒液まで準備しているとは、事務長は用意周到な人だな、と感心した。だが宇羽階はそこでハッと気付いた。『副施設長を撃ち殺した拳銃もあのポシェットに準備していたに違いない』。そう思うと宇羽階は急に怖くなった。ちょっとぶるぶると震えが来た。深夜の山中で真っ暗だから解らないが、このとき宇羽階の顔は蒼ざめていた。

 「あたしが大きくしてあげる」

 事務長の甘い声。

 事務長がニヤニヤしながら、頭を宇羽階の股間に近付けて来た。宇羽階はドキドキして腰が退ける。宇羽階のこめかみあたりから脂汗がしたたる。

 「あんた、何お尻を引いてるのよ。こうなったら覚悟しなさい。その内気持ち良くなるんだから」

 事務長は今度は少し怒ったような調子で言った。

 宇羽階は草の上に尻餅を着いて両腿を開いた格好で固まってしまっていた。何せ事務長は先ほど、上司になる副施設長を無表情で射殺した人だ。例えこんなハレンチなことでも断ったらどういう扱いを受けるか解らない、と怖くて震えた。

 日頃、宇羽階は同じ職場の管理部門の事務長を、中年女性だが昔の若い頃はさぞ綺麗な人だったんだろうな、と思い、いわば“美魔女”認定して見ていた。だから今のこのシチュエーションはこれまでの気持ちならば、願ってもない本当に嬉しい事態なのだろうが、目の前で副施設長を冷徹に殺したことを思い返すと、ただただ怖かった。

 「宇羽階くん、大丈夫よ。緊張しなくていいんだから」

 今度はまた甘い声音になって言い、事務長は宇羽階の股間に顔を近付ける。

 恐怖心も相まって極度の緊張から、宇羽階のそれは縮こまってしまっていて陰毛の中に隠れ、まるで下腹の腹の中にめり込んでいるかのように見えなくなっていた。

 口を持って行った事務長もどうしようもなく、片手で陰毛の中を探って、宇羽階のチンチンを見つけ、小さな小さなキノコのようなそれを引っ張り上げた。

 「いてててて…」

 思わず宇羽階が声を上げた。まるでキノコを引き抜くように事務長が引っ張ったのだ。

 「あらまぁ~、しょうがないわねぇ。どうしたのよ宇羽階くん。いつもモニターで見ていた、あの立派な一物はどうしたの!」

 事務長が責めるような調子で強く言った。事務長は頭を上げて宇羽階の股間から顔を離した。が、片手は指で宇羽階のチンチンを摘まんだままだ。

 「はい。済みません…」

 宇羽階が申し訳なさそうに小声で応えた。事務長の顔から笑みが消えている。

 「もーう、時間がないのに。いろいろあって疲れているのは解るけど、どうにかならないのかしら」

 そう言いながら事務長は親指と人差し指で摘まんだ宇羽階のそれを前後に何度も擦っている。まるでキノコのシメジの株の中の小さな一本を、指に挟んで素早く上下に擦っているようだ。

 「あなた、あんなに立派なものなのに、よくこんなに小さく縮こまるものねぇ」

 事務長が力を入れて擦り続けるものだから、宇羽階の小さなキノコは摩擦熱で真っ赤になった。心持ち大きくなったようだが、宇羽階のふだんの大きさには程遠い。

 宇羽階も事務長がこれだけ一生懸命擦り続けているのだから、自分も協力して大きくしなければと思うのだが、やはり、平然と副施設長を殺した事務長に対しての恐怖心と緊張が強くて、とてもこれから女の人とエッチなことをするのだ、という気持ちが起きて来ない。

 あまりに激しく凄い速度で擦り過ぎて宇羽階のチンチンから煙が立って来た。

 「じ、事務長、痛いです!」

 宇羽階が叫ぶ。

 「あつっ、あつっ、あちちっ」

 と声を上げて事務長が宇羽階のチンチンから手を離した。事務長が指を振るう。宇羽階は「熱い熱い、痛い」と声を上げながら、自分の股間を両手で押さえている。宇羽階は歯を喰い縛り、涙が出ていた。

 「も~う、今日は駄目みたいね。また今度、落ち着いたときにしましょ」

 宇羽階は両手で股間を押さえたまま顔をしかめている。相当な熱さと痛みを堪えている。宇羽階は氷や冷水があれば、自分の一物を冷やしたかった。

 「ちょっと激しく擦り過ぎたみたいね」

 と言いながら事務長は腰のポシェットを探って小さなチューブを取り出した。

 「はい、これを塗っときなさい」 

 事務長が宇羽階にチューブを手渡した。宇羽階がチューブを目の前まで持って来たが暗闇の中でラベルの文字が見えない。

 「オロナインよ」

 事務長が言った。宇羽階は、何でも入っているポシェットに、事務長は本当に用意周到な人だな、とまた感心した。

 宇羽階は事務長に礼を言って自分の一物の根元から先端までオロナインをたっぷりと塗り込んだ。

 携帯電話のバイブの音が鳴った。事務長が慌ててポシェットを探る。スマホを取り出すとサッと立ち上がり、宇羽階から離れた。何だか神妙な様子でペコペコと頭を下げている。

 スマホを耳元から離すと宇羽階に向かって言った。

 「宇羽階くん、行くわよ」

 事務長の言い方が何だか厳しい調子になった。宇羽階がぽかんと見上げてると、事務長はさっさと歩き始めた。山道を降る。

 宇羽階が慌てて立ち上がってよろめきながら踏み出した。焦って事務長の後を追う。

 事務長が振り向いて強く言葉を投げ掛けた。

 「グズグズしないで、急ぐわよ」

 宇羽階は急ぎ足で進む事務長に追い付こうと数歩駆け足になった。宇羽階は、事務長の態度から電話の相手は施設長だろうか、と考えて事務長の背中越しに訊いた。

 「今の電話は施設長なんですか?」

 「そうよ。施設長が下で車で待ってるのよ」

 宇羽階は驚いた。施設長自ら、山の下の道路まで来てたのだ。事務長と施設長は車で一緒に来て、事務長だけが山の頂きまで登って来たのだろう。

 宇羽階は急ぎ足で降る事務長に着いて行き、事務長の背中の直ぐ後ろを進む。宇羽階は疑問を思い切って訊いて見た。

 「あの、事務長の今回の仕事は、施設長の命令なのですか?」

 宇羽階はドギマギしながら訊ねたのだが、意外にも事務長はあっさりと答えた。

 「当たり前じゃない。あたしが副施設長を始末して何のメリットがあるのよ。あたしの影の仕事は施設長が表立ってできない汚れ仕事の遂行よ。会計や経理、事務管理は表の仕事。さっきのが裏の本職ね」

 それを聞いて宇羽階は何も言えなかった。今日は一日、驚くことばっかりだ。宇羽階が黙ったまま事務長の背中を追っていると、続けて事務長が話し始めた。

 「そりゃあ、副施設長はあの性格でしょ。腹の立つことも多いわよ。あたしが副施設長を始末するなんて日常の中でも簡単なことよ。完全犯罪にする自信だってあるわ。でもね、あたしはそんなヤワな精神はしてないの。人を殺めるなんて仕事でしかやらないわ」

 事務長は前を向いたままで、後ろの宇羽階に話し掛ける。聞いている宇羽階は戦慄した。今の言葉は、事務長が『自分は殺し屋だ』とカミングアウトしたのだ。宇羽階は後ろに着いて歩きながらも、心は凍り付くような気分だった。

 宇羽階はさらに考えた。ここの施設は同族経営で、施設長と副施設長は親族関係にある。施設長は親族である副施設長を始末するように、事務長に命じたのだ。施設長も冷酷な人だ。“殺し屋”の事務長に着いて恐ろしい施設長のところまで行っていいものだろうか、と宇羽階は恐怖心でいっぱいになった。

 「あんたも山の上で副施設長に聞いたでしょ。副施設長はあの狭い施設内での自分の権力を勘違いして、いつの間にか妄想的なことを考え始めたのよ。施設の地下にまた別の娯楽施設を建造するってね。しかも一番トップの施設長を無視してね。賢明な施設長からしたら、もう副施設長の存在は要らないもの、邪魔なものになったって訳。だからあたしに副施設長の始末を命じたの」

 事務長が自分の行為の理由を話して聞かせた。

 宇羽階は今から全力で走って逃げて行きたい気分だったが、そんなことしたら即座に事務長に殺されそうで怖くて、ただただ事務長の後を着いて山を降って行くしかなかった。

 「あ、あの、事務長。事務長はこれまで施設長の命令で、その、何人を始末して来たのですか?」

 宇羽階が恐怖心の中から、つっかえながらも、後ろから事務長に訊く。

 「あんたの想像に任せるわ。それより…」

 宇羽階はもう頭の中が真っ白になっていた。自分は社会福祉施設の一現場職員として就職し、仕事を続けて来たのに、今日1日のこれは何だ?ここまでの時の流れは現実だろうか?夢でも見てるんじゃないのか?今日の夕方まで一緒に仕事をしていた職場の同僚が何人も死んだ。宇羽階はぶるぶるぶるっと頭を振った。宇羽階は訳が解らなくなっていた。

 黙って後ろを着いて来る宇羽階に、事務長が振り向いて声掛けた。

 「あんた、しっかりしなきゃ駄目よ。施設長はあんたを連れて来い、って言ってるんだから。何か良い話かも知れないわよ」

 そう言われても、自分を連れて降りる事務長は先ほど人を射殺したし、施設長はそれを命令した人だ。どちらも中年女性だが、恐ろしい人たちだ。今から、自分は車の中という閉鎖空間でその恐ろしい女性二人と一緒になるのだ。宇羽階の頭の中は真っ白だったが、恐怖心だけは宇羽階の心を支配していた。怖くてガチガチと歯がなりそうになる。

 「施設長、副施設長、今回のこと、あたし、とウチの施設の裏側のことごとをこれだけ知ったんだから、あんたもこれからの自分の身の上のことは解るでしょ。今から施設長に会うんだから、これまでの施設オーナーと一介の現場職員との関係とは行かなくなるわよ。そのへんは覚悟しなさいよ」

 事務長のこの言葉が宇羽階にトドメを差した。宇羽階はヨロヨロと足がもつれてその場にへたり込みそうになった。宇羽階はかろうじて失神せずにいた。

 その場に座り込みそうになる宇羽階の片腕を持ち、事務長が宇羽階を引っ張り起こして、強い調子で叱咤した。

 「ほらほら、しっかりしなきゃ駄目じゃないの!下の道路までもう直ぐよ。施設長が待ってるわ。急がないと施設長のカミナリが落ちるわよ!」

 甲高い声だが、事務長が怒鳴る。宇羽階はふらつきながらも立ってまた歩き始めた。

 もう、山火事の火もだいぶ遠い。消防車のサイレンや警鐘の鐘の音も小さくなった。気のせいではなく、火事の火の手の大きさも小さくなったように見える。

 宇羽階にももうそろそろ下の道路に出そうだと解った。事務長-吉高春美の背中を追って、宇羽階晃英は施設長の待つ自動車へと山道を降った。

 

「じじごろう伝Ⅰ」狼病編(25)はこれで終わります。この物語はまだ続きます。次回、狼病編(26)へ続く。

 

※この物語はフィクションであり、実在する団体·組織や個人とは全く関係がありません。また物語の登場人物に実在するモデルはいません。

 

※「じじごろう伝Ⅰ」登場人物一覧(2024-2/2)

(2013年版)「じじごろう伝Ⅰ」長いプロローグ編・狼病編-登場人物一覧 2013-5/28

◆じじごろう伝Ⅰ 狼病編22(2021-4/29)

◆じじごろう伝Ⅰ 狼病編23(2022-1/14)

◆じじごろう伝Ⅰ 狼病編24(2023-5/24)

 

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