goo

「あばれムサシ」「忍びのヒデト」ー諏訪栄 作画ー

 「あばれムサシ」も「忍びのヒデト」も僕が小学生時代の月刊漫画雑誌「ぼくら」に連載された作品で、漫画作者は諏訪栄氏となってます。諏訪栄はペンネームで、本名とメインの作家ネームは小島剛夕です。小島剛夕氏は「子連れ狼」などなどの剣豪時代劇アクション劇画ではあまりにも有名で、昭和劇画ブームで時代劇ジャンルを担った、日本漫画史に名を刻む漫画家の一人です。

 小島剛夕氏は、抜群の絵の上手さを誇る、戦後~昭和を代表する劇画作家の一人ですが、60年代月刊児童雑誌「ぼくら」に連載された、「あばれムサシ」「忍びのヒデト」では子供向けに絵のタッチを少し柔らかくして作画してますね。特に「忍びのヒデト」の方が子供向けに絵柄をかなり柔らかくしていますね。

 60年代前半から半ばの少年雑誌の漫画の絵柄、という時代もあって、貸本で時代劇主体に劇画タッチで作画していた小島剛夕氏も、少年雑誌では当時の子供向けにだいぶ絵柄を柔らかくして描いてますね。

 「あばれムサシ」の月刊誌「ぼくら」の連載期間は、新連載が1967年新年号(66年12月初め発売)で、最終回が67年7月号になってます。内容は、同時期、65年から67年に掛けて週刊少年サンデーに不定期連載されて人気を博していた、白土三平氏の「カムイ外伝」と同じテイストの作品ですね。絵柄も似てるし。この時代の、サンデーの「カムイ外伝」の作画は白土三平氏と小山春夫氏が描いていたと思われますが。似たテイストと言っても、「あばれムサシ」の主人公ムサシは、別に終われる抜け忍というキャラクターではなかったと思います。悪い浪人たちを叩き斬ってまわる剣豪アクション漫画ですかね。

 白土三平のライフワーク、代表作となる、大史劇「カムイ伝」シリーズの中の、「カムイ伝」第一部の後半部のメイン作画者は、小島剛夕氏であった、というのは有名な話ですが、「あばれムサシ」の絵柄は、「カムイ伝」第一部の半ば、絵柄が変わって来た頃とタッチがよく似てますね。「カムイ伝」第一部の前半部は白土三平氏自身と小山春夫氏がメイン作画者として描いてたんでしょうね。
※(小島剛夕氏は『カムイ伝・第一部』の最初からメイン作画者として関わっていたというご指摘がありました。)

 「忍びのヒデト」の月刊誌「ぼくら」連載期間は、新連載が1964年の3月号で最終回が64年6月号となってます。連載はわずか四回で連載漫画としては短いですね。この連載の前に「ぼくら」64年新年号(63年12月初め発売)と2月号に「忍者ハヤト」という二回だけの中編作品を、やはり諏訪栄名義で掲載しています。時代劇忍者漫画「忍びのヒデト」は、当時、光文社の月刊漫画誌「少年」に長期連載されて大人気だった、白土三平作画の少年忍者漫画「サスケ」と似たような作風の子供向け時代劇アクション漫画ですね。

 僕は小学生時代、ずーっと講談社の月刊少年漫画誌「ぼくら」を購読していて、「あばれムサシ」は当時、面白いと愛読してたのははっきり覚えてるんですが、「忍びのヒデト」の方は、間違いなく読んではいるんでしょうがあんまりよく覚えていません。その前に「ぼくら」に二回掲載されたという「忍者ハヤト」なんて全く記憶してません。

 「あばれムサシ」の方は、東考社という貸本漫画出版社からホームランコミックスとして全2巻にまとめられて「ムサシ」というタイトルで67年内に発刊されてますね。ホームランコミックスというレーベルだから新書判コミックスでしょうね。末期の貸本も66年頃から、出版主体をA5 ソフトカバー130ページ前後の形式から、新書判コミックス200ページくらいに変えて来てましたからね。

 66年頃は各貸本出版社も、まだ新書判コミックスをポツポツと発刊してるくらいで、A5 単行本が多かったけれど、67年には貸本出版の漫画単行本はほとんど新書判コミックスになりましたね。また67頃には従来の貸本出版から撤退する貸本出版社も多く、68年頃にはもう貸本出版も消滅したのかな。

 50年代末から60年代初頭に最盛期を迎えた、戦後貸本屋はこの最盛期に全国で3万軒の貸本店舗があったと言われますが、65年66年頃から全国各地で店じまいする貸本屋が出て来て、従来の貸本屋は67年から70年頃までにはほとんどなくなりましたね。

 69年70年以降も残って商売を続けてた数少ない貸本屋は、秋田サンデーコミックスや朝日ソノラマのサンコミックスや虫プロ商事の虫コミックスなどなどの新書判コミックスの貸し出しで貸本屋を営んでいましたね。1950年代に築き上げた“貸本”の流通システムは67年か68年頃に完全になくなったんでしょうね。

 昭和時代から平成前期の時代劇分野の劇画の大家、レジェンド·小島剛夕先生は、ホームグラウンドだった「貸本」から、65年から66年頃に少年漫画雑誌に進出し、67年68年頃から青年コミック雑誌に進出する。貸本時代はペンネームに本名の“小島剛夕”を使って描いてたが、市販雑誌に寄稿するようになってからはペンネームに“諏訪栄”を使ってますね。この時代は末期の貸本にも、貸本オムニバス誌に多数、時代劇の短編漫画を寄稿してるのですが、この貸本漫画でも“諏訪栄”名義で描いている。同時に60年代後半というと白土三平のライフワーク「カムイ伝」第一部の作画を手伝ってるときですね。手伝ってるというかその内「カムイ伝」第一部のメイン作画者になっちゃうんだけど。

 白土三平の「カムイ伝」第一部の青林堂刊行の月刊漫画ガロの連載が終了(カムイ伝第一部の終了)するのが1971年で、70年代に入ってから小島剛夕先生は“諏訪栄”のペンネームを使ってないですね。70年代以降は青年コミック誌や総合週刊誌の長編連載や短編掲載の時代劇·劇画で活躍するけれど、多分全作小島剛夕名義ですよね。

 

子連れ狼 Lone Wolf and CuB 全20巻完結 【コミックセット】 コミックス小池 一夫 (原著), 小島 剛夕 (著), 1 その他

 

COMIC魂 別冊 子連れ狼 六道無辺編 (主婦の友ヒットシリーズ) ムック – 小池 一夫 (著), 小島 剛夕 (イラスト)

華別れ―小島剛夕遺稿集 大型本 – 小島 剛夕  (著)

半蔵の門 全15巻完結 [マーケットプレイスセット] コミックス 小島剛夕 (著)

子連れ狼 1 子を貸し 腕貸しつかまつる編  単行本 小池 一夫 (著), 小島 剛夕 (著)

子連れ狼 2 お末無情編 単行本 – 小池 一夫 (著), 小島 剛夕 (著)

首斬り朝 1 鬼庖丁哭くとき編 単行本 – 小池 一夫 (著), 小島 剛夕 (著)

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする