goo

●漫画・・ 「超犬リープ」..(1)

Photo

 「超犬リープ」は秋田書店発行の児童雑誌「まんが王」に、1965年10月号から67年8月号まで長期連載された、当時の「まんが王」の看板漫画の一つです。桑田次郎お得意のSF探偵漫画ジャンルの秀作で、この作品は原作付きで、原作を平井和正が担当しています。桑田次郎先生にはSFものや探偵ヒーローものの作品が数多ありますが、「超犬リープ」は桑田次郎SF漫画の代表作の一つと言えると思います。僕が子供の当時の月刊児童雑誌は、本誌に付録がいっぱい付いていて、ペーパークラフトみたいな厚紙製組み立て付録の他に、B6判で32ページから64ページくらいの別冊付録が、だいたい3冊から5冊くらい付いていました。「超犬リープ」は本誌巻頭カラーで掲載されるような看板漫画でしたが、だいたい毎月本誌32ページから40ページくらいで連載が続く漫画で、本誌のカラー8ページくらいから別冊付録へ続いたり、分厚い別冊のみで連載されることはなかったですね。僕は連載当時の「超犬リープ」で別冊付録のヤツを見たことはないです。当時の「まんが王」もだいたい毎月B6別冊が3冊か4冊付いてましたが、たまにB5や変形B5判の別冊が付くことがありました。過去の連載漫画や、兄弟誌「冒険王」に掲載された漫画を、大型別冊にして付録で付けたりすることもありました。まあ、作品そのものは再録になる訳ですが。

 著者の作画担当の漫画家、桑田次郎先生は、後に改名して“桑田二郎”となりますが、僕が熱中愛読していた時代を含む、少年漫画を作画していた時代は、ペンネーム“桑田次郎”でした。僕が最初に、桑田次郎氏のシャープな線で描かれるSFアクションシーンの虜となったのは、当時の週刊少年マガジン大人気連載の「-8-エイトマン」からでした。「-8-エイトマン」を初めて読んだのは僕が7歳のときですね。週刊少年マガジン購読で僕はずっと「エイトマン」を愛読し続けていたのですが、突然「エイトマン」の連載が終わる。あまりにも急に連載が終了してしまったので、子供の僕には不思議感がありました。そうしたら、その理由が後に解ったのですが、どうして理由が解ったのか?多分、周囲の大人から聞いて知ったんじゃないかと思うのですが、著者の桑田次郎氏が「拳銃不法所持」で逮捕された、ということでした。このとき10歳(いやまだ九歳か)だった僕は、この事件で「本物の拳銃を一般人が持っていたら犯罪になる」ということをはっきりと認識したんじゃなかろうか、と思います。僕の小学生時分、全てと言っていいくらいの、ほとんどの子供雑誌の裏表紙のその裏側には、世界中の拳銃のモデルガンがカタログ様でびっしり写真が載っていました。写真でずらーっと本物そのものに見える拳銃が載ってるんですね。僕は拳銃に憧れました。値段的にとても手が出ませんでしたが、もう欲しくてたまらず、垂涎状態でうっとり写真を眺めていたものです。特にワルサーP38とルガーP08に憧れましたね。モーゼル96とかもカッコイイ!と思って小さな写真を眺めてました。それもあって、その作品から大好きだった漫画家、桑田次郎先生の逮捕事件は衝撃的でした。もうこの先、桑田次郎先生のSF活劇漫画は読めないんだろうか、と心配してました。

Photo_2

 「-8-エイトマン」の週刊少年マガジン誌上での連載終了の最終回が、1965年の13号でしたから、65年の3月か4月ごろか。それから雑誌各誌上で、桑田次郎作画の漫画は読めなくなりました。何処にも載っていない。「超犬リープ」が秋田書店の月刊誌「まんが王」で連載が開始されたのが65年10月号からですから、桑田次郎氏の事件のみそぎ期間は約半年間だったのでしょう。打ち切り状態で終わった「エイトマン」も後に、週刊少年マガジンや季刊誌「別冊少年マガジン」誌上に読みきり短編作品が掲載される。復活「エイトマン」第一作の短編て、別冊少年マガジン65年11月号の「超振動砲」の巻か、週刊少年マガジン65年47号の「サイボーグPV1号」のどちらか、かな。

 あ、そうそう、「超犬リープ」が大人気連載されていた頃の、秋田書店の月刊誌「まんが王」ですが、一時期だけ、付録を全部廃して、本誌一冊のみにしていたことがありました。付録が付かない分、値段を安くして、ページ数をちょっとだけ多くして。65年66年当時の月刊児童誌の値段て、だいたい一冊180円から200円だったのかな。「少年」とか「冒険王」。僕が月刊誌を購読し始めた63年では、一冊160円だった。それからだいたい一年に10円づつ値上がって行ってたように思う。65年3月号から「少年画報」が付録を全廃して、値段を130円から140円にして発行した。それを半年間くらい続けて、また元の付録付きにして値段も180円に戻した。「まんが王」も「少年画報」に倣って付録全廃をやってたけど、同時期だけど、その期間の詳細はよく解らないですね。66年くらいから月刊誌の別冊付録は、それまでB6判冊子が3冊から5冊くらい付いていたのが、変形B5判の分厚い一冊本に、本誌から続く看板漫画などが4本から5本収録される形に移行した。その後、別冊付録の大きさを本誌と同じB5判で2冊付けたりしてましたね。そこからの、68年から70年代初頭は、戦後創刊の、往年の月刊児童漫画雑誌の終末期ですね。「超犬リープ」の連載期間は「まんが王」の付録全廃本誌一冊本のみ、の時代の巻頭カラー看板漫画ですね。

 あ、そういえば、思い出した。「まんが王」が付録全廃して本誌一冊本発行にしていた期間、巻頭オールカラー掲載で、昔々の「沙漠の魔王」を連載してました。「まんが王」の兄弟誌、「冒険王」の前身、「少年少女・冒険王」に戦後、連載されていた同誌の看板漫画ですね。「沙漠の魔王」は、福島鉄次氏描く、戦後昭和20年代の子供向け大人気絵物語ですが、65年66年当時の「まんが王」掲載は再録ですね。まあ、余談ですけど。

 2013年10月2日に入って来た訃報ニュースで、克美しげるさんが2013年2月に亡くなっていたことが解った、というのがあって、驚きましたが、75歳、脳梗塞からの脳出血が死因なんですね。克美しげるさんは当時の大人気TVアニメ、「-8-エイトマン」のテーマソングを歌っていたプロ歌謡歌手ですね。NHK紅白にも出場した、もともとは当時の流行歌の人気歌謡歌手ですが、訃報ニュースのBGMで流れているのはどの局の番組でも「エイトマンのテーマ」でした。「エイトマンの主題歌で一世を風靡した克美しげる‥」と言われるように、アニメの歌とはいえ、当時のエイトマンの歌は大人気で、誰もが知っているというような、流行したテーマソングでした。とはいえ、紅白にまで出た元プロ歌謡歌手の訃報ニュースのBGMや代表曲扱いの曲が、当時の子供向けTVアニメ「エイトマン」の主題歌とは何とも‥。僕自身も当時の歌手の克美しげるさんのことは、起こした事件のこともあってよく知ってましたけど、代表曲となると「エイトマン」の歌くらいしか思い浮かばない。昔、一時期、小林幸子の代表曲のひとつ、♪「もしかして」のデュエット相手が出所後の克美しげるか?とか思ってましたけど、美樹克彦さんですね(失礼しました)。克美しげるさんも出所後は再起を目指していたみたいですが、何せ起こした事件が殺人事件でしたからね。知らなかったけど、85年か、そのくらいの頃出所して後、89年にまた、今度は覚醒剤で逮捕されてるんですね。晩年はカラオケを教えたり、歌の関係の仕事をしてたみたいですが。

 克美しげるさんの事件で思い出すのは、僕がまだ若い頃、僕が羽田空港で働いていた当時の思い出ですが、まあ、何ていうことないエピソードですけど、あの事件当時、僕は川崎に住んでいて、毎日、羽田空港に勤務で、蒲田からバス通勤していましたが、一日の仕事を終えた夕方、同じシフト勤務だった先輩方と一緒に帰路に着くため、空港前のエアポート駐車場の中を通って空港バス停まで歩いてました。広い駐車場の中を横切るのが、バス停までの早道だったのです。その日は、空港駐車場内に停めてある、ある乗用車のトランクの中から、女性の死体が見つかって大騒ぎのニュースになった、翌日か翌々日かというときでした。女性の死体とは元銀座ホステスで、人気歌手で妻子ある克美しげるの愛人女性で、克美しげるが殺害したものでした。帰り道を歩く僕らが見掛けたのは、とあるスターでした。当時はバラエティー番組で大人気の、もともと俳優の大スターでした。「チョメチョメ」という流行語を作り、流行らせた人です。山城新伍が調度、高級乗用車のトランクから荷物を出している最中でした。山城新伍というと僕にとっては、子供時代の「風小僧」と「白馬童子」の人ですが、この当時はバラエティー番組の爆笑MCとして大人気でした。僕自身は18歳から30歳までTVを持たず、TVを見るのは外食の飲食店のTVか、友達の家に遊びに行ったときくらいでしたが、僕も当時の山城新伍の、爆笑MCとしての人気はよく知ってました。一緒に歩く先輩方の一人が山城新吾を見つけ指差すと、みんなで山城新伍さんを確認して、一斉にゲラゲラ笑いました。同じく僕も笑ってました。すると、当の山城新伍さんはビクッとしたようにして、何だか身体を強張らせ、肩をそびやかし、緊張した面持ちでせかせかと荷物を取り出していました。隣にもう一人、マネージャーのような男性が居たように思います。まあ、随分、昔々の記憶ですが。あの時は、僕たちがあからさまに笑っていたので、山城新伍さんは怒ったのかも知れません。

 それから少し経って、職場仲間の部屋で一緒にTVを見ていたら、例の山城新伍爆笑MCのバラエティー番組が始まり、番組冒頭、山城さんが人気歌手・克美しげるの愛人殺害の事件に触れ、北海道に飛行機で巡業に発った克美しげるの、羽田空港駐車場に残した克美所有の乗用車のトランクから、女性の死体が発見された話をした。そして、エピソードは自身の話へと導かれる。自分(山城自身)も、羽田空港の駐車場に自動車を停めてトランクを開けていたら、駐車場を通り掛かる会社員らしき一団に指差されて、「見ろ。山城新伍が居るぞ。あいつもトランクに愛人の死体入れてるぞ」と言って笑われた。というようなエピソードを番組の中で話した。僕はTV画面を見ながら「あっ!」と驚いた。僕がその時「あっ」と声に出したかどうか憶えてませんが、とにかく驚きました。あのシーンじゃないか、と。

 そのとき、自分(山城)は気分を害した、というような感想を述べていたが、別に僕らは、山城新伍の自動車から愛人の死体が出て来る、なんて言っても思ってもいない、ただ、TVで大人気の旬なお笑い芸人を街中で見つけたような感じで、思わず笑いが出てしまっただけだ。そのとき一緒だった職場の先輩方も同じだったろうと思う。山城さんの被害妄想か、番組を面白くするために冒頭ツカミで一発話した“ネタ”だったのかも知れない。まあ、そういう昔々の、ワシの若き日の、ン十年前のエピソードを思い出した、ということです。まあ、何ていうことのない僕の記憶ですけどね。

 と、いう訳で、話はほとんど「超犬リープ」自体とは関係のない事柄が続いて、「超犬リープ」の漫画の内容にはちっとも触れずに、Kenの漫画読み日記。タイトル「超犬リープ」の第一回の書き込みを終えようとしています。ということで、漫画・・「超犬リープ」..(1)は終わりです。この記事は「超犬リープ」..(2)へと続きます。待たれよ、次回。漫画・・「超犬リープ」..(2)へ続く。

 

漫画・・2013-10/20 「超犬リープ」..(1)

漫画・・2016-12/28 「超犬リープ」..(3)

 

コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●音楽&漫画・・ 「僕とフリオと校庭で」

 もうけっこう前の話になっちゃうけど、NHKの番組「仕事ハッケン伝」の2013年9月12日に放送された回では、俳優の六角精児さんが、タワーレコード渋谷店でバイヤーという仕事を体験して見せていた。知る人ぞ知る、という音楽マニアらしい六角精児さんは、60年代70年代のロックやポップス、フォーク、日本の歌謡音楽まで詳しく、曲選びにもマニアックさも垣間見える。タワーレコード・スタッフの皆さんと協力しながら、バイヤーの仕事や、シチュエイション別選曲や店頭掲示ポップ、イベント準備の仕事などなど、四苦八苦しながらも頑張ってこなしていた。


 六角精児さんが番組の中で、タワレコのバイヤーとしての仕事の一環で、シチュエイション別に選曲する仕事で、つまり目的別でアルバムを選んで店頭に掲示する作業で、シチュエイションの場所を「公園」と設定して、芝生や池のある、都会のオアシスのような、のどかで美しい景色の公園で、リラックスした気分のときに聴く音楽はどういう曲か?というのを考案、選曲するのだが、その選曲アルバムの中に、ポール・サイモンの1972年のソロアルバム「ポール・サイモン」があったので、懐かしく、ちょっと感激して嬉しかった。僕が70年代後半、アパートの六畳一間の部屋で日夜熱中して聴いていたアルバムである。発表は72年だけど、僕が買い求めたのは76年頃だ。


 アルバム「ポール・サイモン」はどれも良い曲ばかりだったけど、アルバム冒頭の「母と子の絆」も好きだったけど、次の曲「ダンカンの歌」が特に印象深い。勿論、僕は大好きだったけど、この曲が番組の中での「ポール・サイモン」アルバムCDを選んだときのBGMで流していた。何だか物悲しいような雰囲気もある牧歌的な調子の癒される曲で、しんみりじんわり心に響く。ペルー・ボリビアが発祥の地だといわれる民族楽器的縦笛、ケーナで綴られる間奏がたまらない。名曲「コンドルが飛んでいく」で使われている楽器だ。何というか素朴で哀愁を帯びた音色を奏でる。ケーナとチャランゴが入ると本当に、曲がフォークロアっぽい。フォークロアというかフォルクローレというか。超久々に「ダンカンの歌」を聴いて、70年代80年代、ワシの若き日々を思い出した。


 あの時代、サイモン&ガーファンクル後のソロの、ポール・サイモンのオリジナルアルバムは良い曲がいっぱい入ってた。75年発表の「時の流れに」も良いアルバムだったなあ。調度同じ頃、買い求めたんだろうけど。久々にアート・ガーファンクルと一緒に歌った「マイリトルタウン」も入ってた。「ワンダフルワールド」の入った、アート・ガーファンクルのソロアルバム「ウォーターマーク」も良かったなあ。ジェイムス・テーラーとポール・サイモンと三人で歌った「What A Wonderful World」が入ったアルバム。あの時代、若き日の、ハートが傷付きまくってた僕は、アパートの六畳一間の部屋で、そんなアルバムを種々、独りで聴いて癒されてた。

 ポール・サイモン72年発表のソロアルバム「ポール・サイモン」には、「僕とフリオと校庭で」という楽曲が収録されているが、このタイトルが着いた漫画がある。ポール・サイモンの曲、「僕とフリオと校庭で」は、フォークといえばフォーク的だがアップテンポで、ややビートの利いた楽しい楽曲だ。漫画の方の「僕とフリオと校庭で」は、何というか、ちょっとホラー雰囲気のある、少年の日の幻想のような不思議な漫画作品だ。少年の日のトワイライトゾーンの思い出。果たして現実だったのか幻想だったのかというような、あいまいな調子のホラー風味。作者のタッチが怪奇漫画的で怖い、ファンタジー。まあ、ちょっとダーク・ファンタジー風味。作者の諸星大二郎さんは70年代、調度、星野之宣さんと同時くらいにジャンプで登場したSF漫画家。SFはダーク・ファンタジーや風刺SFぽい。タッチ・描写が怪奇漫画風で、ちょっと不気味な雰囲気を醸し出す。伝奇漫画や、昔の中国を舞台にした妖怪ものとかも描きますね。独特の不思議な魅力のある作品を紡ぎ出す、異色の漫画作家さんでした。「僕とフリオと校庭で」は白泉社の少年ジェッツに83年初出掲載され、91年、双葉社発行のコミックス単行本、諸星大二郎短編集「僕とフリオと校庭で」に収録されました。

 

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする