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●音楽・・ 「君がいない ...ZARD」

 Photo_120 ○ メリー・ホプキン
Photo_123  天使のような歌声と可愛らしさ。僕がメリー・ホプキンの透き通った美しい歌声の曲を、初めて聴いたのは中学生の時です。当時のクラスの友人たちが、自分らの持っている洋楽ポピュラーのドーナツ盤レコードを何枚も貸してくれて、家にあるチンケなレコードプレイヤーで毎日、何度も聴いていましたが、その中にメリー・ホプキンの代表的なヒット曲、「悲しき天使」や「ケ・セラ・セラ」などがあり、フォークソング調の歌の中にもポール・マッカートニーによるポップな仕上がりのプロデュースが光り、思春期頃の僕はうっとりしながら何度も聴いたものである。いや、実は携帯の、NET検索でWikipediaのポール・マッカートニーについての解説を読んでいたら、ポールがビートルズ末期、当時アップルレコード所属だったメリー・ホプキンの曲をプロデュースしていたことを思い出し、今度は、Wikipediaのメリー・ホプキンの解説を携帯で読んでいたんだけど、そこの初めの来歴の生年‐没年らんに、1950年5月5日-2007年5月17日、と表記されていた。何と、ついこの間、メリー・ホプキンは亡くなっていたのである(この時点でのWikipedia書き込みは間違ってたみたい)。1942年生まれのポール・マッカートニーがプロデュースして何曲か世界的に大ヒットさせた、イングランドはウエールズ出身のシンガー、美女メリー・ホプキンは1950年生まれで、57歳という若さで亡くなってしまったのだった。57歳というと没年齢がジョージ・ハリスンと同じではないか。(ジョージの享年は58歳でした。)

Photo_121 Photo_122  僕は76年頃にメリー・ホプキンのベスト盤を買っていて、その当時も他のポピュラーやロックの名盤と共に何度も聴いているが、勿論LPレコード盤アルバムであるが、この時、ポール・マッカートニー作詞作曲の「グッドバイ」という名曲を知る。作詞作曲の名義はビートルズ曲同様レノン=マッカートニーになってますけど。「グッドバイ」は良い曲でしたねえ。大好きでした。「ケ・セラ・セラ」は、元々はドリス・ディの1956年頃の大ヒット曲のカバーなんですが、メリー・ホプキンの「ケ・セラ・セラ」は、プロデューサーのポール節が効いておりポップに仕上がった実に良い曲です。「ケ・セラ・セラ」も大好きで何度も聴いていました。メリー・ホプキンの天使のような金髪の美しい容姿と、天使のような透き通った美しい歌を思い浮かべると、何だか、あの頃、東京に出て来ていて都内の映画館を、タウン雑誌のピアで調べて、あちこちの名画座を捜しては電車を乗り継いで、二館落ち三館落ちの映画を見て回っていたのを思い出したりします。別に特に僕は映画青年だった訳ではありませんが。あの若き日々を思い出すと、何だか胸がキュンと来るような、ちょっとした痛みみたいなほろ苦さがありますね。フォークロア出身のメリー・ホプキンは、いつでもアコースティックギターを抱えて、ビートがあってもフォーク調の美しい歌を歌いあげ、清楚な雰囲気の可愛い美しいシンガーでした。全然知らなかったけど、日本でも人気のあった歌手、メリー・ホプキンは1970年の大阪万博に来日していて、万博ホールでライブをやってるんですね。美人シンガー、メリー・ホプキンさん、あの頃の青くさい僕たちに夢を与えてくれて、どうもありがとう。合掌。
※(2013年現在、メリー・ホプキンさん、ご健在のようですね。ここの記事を書いたときに読んだ、その時点での、Wikipediaの書き込みが間違ってたようです。メリー・ホプキンさん、記事を読んでくださった皆さん、失礼しました、どうも済みませんでした。)

Photo_124  ○ZARDの死
 まさかのニュースでした。あの、ZARDが‥。もう40歳にもなっていたなんて。いや、びっくりしました。突然の死亡ニュースですから。癌で入退院を繰り返されていたそうですが。今度は子宮癌が肺に転移‥。それで、最初、ひょっとしたら癌苦で自殺かな?とも思いましたが、入院していた病院の避難用スロープの手すりを乗り越える形での、3メートル下への転落死で、27日の事故であるらしい。判らないものですね。40歳は早死に過ぎる。事故は運命みたいなものだからなあ。90年代の人気はすごかったですよねえ。僕はZARD=坂井泉水とずっと思っていました。一応、演奏メンバーが流動的なバンドなんですね。「負けないで」や「揺れる想い」がデビューくらいの曲と思っていたんですけど、「負けないで」でシングル6枚目なんですね。売れない下積み時期もあったんだ。シングル7枚目「君がいない」、という曲もありましたね。シングル8枚目、「揺れる想い」は大塚ポカリスエットのCMが印象的だった。あの頃の歌はみんな良い歌ばかりでした。好きでしたねえ~、「負けないで」「揺れる想い」。「負けないで」は励まされる歌詞でしたね。「きっと忘れない」もよく憶えてるなあ。中でも僕は「心を開いて」が一番好きな曲だったなあ。「サヨナラは今もこの胸にいます」も好きだった。当時はカラオケで歌ってみて、けっこう男の声で歌えた。90年代のZARDは大ヒットの連続でしたね。93年のミュージックステーション以降、後は一度もTVに出てない。何だか控え目そうなおとなしげな方という印象が強かった。結局、未婚だったんだろうな。あまりにも若い死。ご冥福をお祈りします。※(1950年生まれのメリー・ホプキンさん、2013年現在、生存されてます。当時覗いたWikipediaの書き込みが間違ってました。失礼いたしました。)

Photo_125  ZARDのボーカリスト、坂井泉水さんは本名は別で、蒲池幸子さんといわれるんですねえ。音楽関係者などは、身辺整理などはしていないし、詩作するなど復帰に前向きだったから、自殺はありえない、と言ってますが、入院していた慶応病院サイドは、高い手すりを乗り越えての転落死は不自然で、自殺しかない、でないと病院側の安全策を疑われ管理責任を問われる‥、と語っているそうで、目撃者の誰も居ない謎の死、にはいろいろな憶測が飛び交っている、ということです。親交のあったタレントたちのコメントでは、やはりイメージどおりに物静かな方で控え目なおとなしいタイプの人だったようですね。メディアに全くといっていいくらい姿を現さない人だから、謎の多い孤高のシンガーであったということです。僕は今でもですが、そういう面が好きだったなあ。勿論、その持ち歌も、シンガーとしても抜群の人でしたが。手持ちのアルバムCDを2枚持っていたので、捜して掛けてみたのですが、「負けないで」からのシングルCDはいっぱい持ってたんですけど、BESTアルバムから久しぶりに「心を開いて」「サヨナラは今もこの胸にいます」「君がいない」「揺れる想い」等々、続けて何曲も聴いたのですが、懐かしくも、やっぱり良い歌ですね。癒される歌です。やはり最高に良い曲です。「心を開いて」。

 ○ 政治と金
 この半年間、TVのニュース番組内で映している国会の場面は、現内閣の厚生労働大臣と農業水産大臣の何がしかの言い訳現場ばかりだったような印象がある。後半部は特に「ナントカ還元水」ですっかり有名になった松岡農相の、いつも全く同じ、一行で足りる文言の、言い訳の説明だった。柳沢厚労相の方はともかく、半年間の結果にこんな事態があろうとは。無論、この疑惑の全ての結果だと、いわば幕引きのように言ってはならないのだが、幕引きにしてしまっては当然ならないのだが、まさか、当の大臣、松岡さんが自殺をしようとは思いもしなかった。本当に驚いた。国会中継場面で野党の攻撃を、たった一言で退け続けていた松岡さんは、見た目、表情・態度が鉄面皮のふてぶてしい厚顔政治家と映ったものだから、すっかりダークなイメージで見ていた。何でも、死の数日前に、前々から親交のあった鈴木宗男代議士に語ったところでは、「国対の指示があり、上の方から言われているから‥」と、自分の思うようにはならないのだと話していたらしい。与党内や評論家のコメントでは、本人は大臣を辞職して早くラクになりたいのに、首相が辞任をさせず、庇い続けたことが裏目に出た、という意見が多いようだ。

 国会では、いつもいつも巨額の水道光熱費計上問題で、野党に攻め続けられ、「現行の法令に則って行っています」の一言の答弁一点張りで、何とか乗り切ろうとしてきていたが、ここに来て重ねて、独立行政団体緑資源機構の官製談合に絡む、巨額の政治資金献金問題で検察の身辺の捜査が入って来たことが決定的となって、自分の政治生命の終わりを悟って自殺という方法を考えるに至ったのか‥。「政治と金」という問題で身の回りに黒い霧がたちこめて来て、「悪い政治家」というイメージがついてしまったけど、政治家としての実務は有能な人であるらしく、農林畑ひとすじ、日本の農林分野のエキスパートとして活躍してきた人らしい。政治には金がいる‥、という、実務能力とは別な、相克する、不透明なダークなイメージ。難しい問題だが、結局、「政治家としての有能な辣腕」を台無しにして「しがらみ」や「黒い金」に負けてしまったのだろう。結局、自殺はこの方の敗北でしょう。自殺は悲しいですね。どんな理由であれ。松岡さんの自殺の後、渦中の緑資源機構の、今ある官製談合のシステムを作り上げたと言われる人物で、影のドンと目される、前身の緑資源公団の理事を務めていた山崎氏76歳が、自宅マンションから飛び降り自殺をしてしまった。この問題も根が深そうですね。嫌ですね、いつ聞いても。政治家たちの利権がらみの汚れた話は。松岡前農相の自殺に対するコメントで、石原慎太郎都知事は「責任を取って自害した彼は立派なサムライだ」というようなことをおっしゃっていましたが、さすがは太平洋戦争の敗北が決定的になっている末期に、犬死させられた特攻隊の若者を賛美する映画を作って悦に入っている、時代錯誤もイイトコの御仁だなあ、と感心しました。

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●漫画・・ 「めぞん一刻」

 去年から、伊藤美咲さんが主演で、「めぞん一刻」の実写化があると、何かの情報で知っていたが、僕はずっと、劇場用映画だとばかり思っていた。それが、先月末くらいに、TV放送だと知り、多分1クールの実写ドラマだと思っていた。それが5月に入り、TVでの予告やバラエティー番組での伊藤美咲さん等の出演の番組宣伝で、2時間ワクの1回だけのスペシャル番組だと知った。2時間で、コミックス全15巻分のドラマは語れないだろう、と思っていたら、調べると、どーも、今回の分は、「第1回・浪人編」ということで、続編が作られるらしい。「めぞん一刻」は、アニメ化で、86年から2年間放送されているし、実写版も既に1度、劇場用映画で東映で作られ、86年に公開されている。僕は「めぞん一刻」の原作漫画の方は、ビッグコミック・スピリッツの連載をリアルタイムで全編読んでるし、コミックスでも再読を果たしている。しかし、アニメ版はほとんど見たことがない。ちょっとは見たことありますけど。劇場映画実写版「めぞん一刻」も、見たい見たいと思いながらとうとう見ていない。当時大人気のトレンディー女優、石原真理子さんの主演だった。麗しのヒロイン美人女優、石原真理子さんは当時、プッツン女優とも呼ばれていた。最近、自分が昔、主演したトレンディードラマのタイトルをもじって「ふぞろいな秘密」という、自分の半生告白エッセイで芸能界暴露本のベストセラー本を売って、物議を醸した石原真理子さんだが、86年のこの映画で共演した石黒賢さんとも関係があったらしい。しかし、あの本は、僕は読んだ訳ではないんだけれど、週刊誌やTVのワイドショーで何度も取り上げられ、16歳で清純派としてデビューして、芸能界で過ごした十数年間の間に、他に、時任三郎、中井貴一、玉置浩二、田原俊彦、明石家さんま、郷ひろみ、木村一八、吉川晃司、近藤真彦、等等の有名男性芸能人たち、錚々たるメンバーとの男女の交際事実があったことを、告白・暴露した内容の、衝撃のタレント本でした。確か全部で13人だったんだっけかな(?)。石原真理子さんは、その後、渡米していろんな体験や苦労をし、白人男性と結婚をしたりして、その後離婚、単身日本へ戻り、それから一本の執筆と、一個の日本女性としては波乱の人生を送っているようです。確か、この自分の本を原作に、監督業に挑戦して映画化を試みているようですね。撮影は順調に進んでいるのかな(?)。

 話が大きく、「めぞん一刻」から外れてしまいました。「めぞん一刻」は、こんな石原真理子さんのような、遊び人としては豪傑といえる凄まじい男性遍歴の話とは、全く違う、打って変わる、正反対の純愛ストーリーです(もっとも芸能界そのものが、そーいう、ひどい乱交な世界なのかも知れませんけど‥)。一本の純愛を基軸にしたギャグ満載のラブコメです。作者の高橋留美子さんというと、「うる星やつら」や「らんま1/2」「犬夜叉」に代表されるようなSF味をふんだんに含んだギャグ調ファンタジーものが多い作風ですが、「めぞん一刻」というドラマは等身大の現代劇で、一般的生活の中の恋愛模様や人間関係を面白おかしく描いたラブコメで、高橋留美子さん得意のストーリー漫画とギャグ漫画の融合世界でもあります。この、ストーリー漫画とギャグ漫画の融合という作風を、少年漫画・青年漫画で開拓したのは、高橋留美子先生が先駆者だということです。生活感あふれる普通一般の人々のやり取りに、絶妙のギャグを随所に仕掛け、微笑ましくもおかしく読者は良い気持ちで笑わされる。美女の若き未亡人で、女性らしく優しいが正義感が強く頑固で、気丈な常識人で、かなり鈍感な主人公、老朽アパート一刻館管理人、音無響子さん。やる気があり、けっこう行動的だが、いつも貧乏くじを引いてるように運が悪く、ヒトに騙されて利用されるような憂き目に合うことの多い、頼りなげな青年、五代裕作君。いつも空廻りする五代君は可愛げがあり、からかわれながらもみんなに愛されるキャラですが。その他の、非常識でムチャクチャな一刻館の住人たち。うまく配置された個性的で面白いキャラの、他の登場人物たち。等身大の生活空間での、個性的キャラたちのからみに仕掛けられた、たくさんのギャグがテンポ良く弾んで、進行するストーリーは絶品です。高橋留美子氏がデビューしたての頃、小学館漫画誌編集者が「二十年に一人の天才!」と称賛したというだけのことはある、抜群のセンスですね。高橋留美子氏が少年・青年漫画ゾーンで開拓・開花させた独自の作風と、その抜群にうまい綺麗な絵柄。この絵柄は、少女漫画の絵ではない、女流が少年漫画世界で開花させた、亜流を許さぬ独自の才能でしょう。

 『永遠の恋愛教科書』‥。80年代、一世を風靡した感のある、恋愛コメディ漫画「めぞん一刻」は、僕は雑誌連載最初から、ずう~っと読み続けて、多分、雑誌連載の最終回まで、1回も欠かさず読んでるんじゃないだろーか、と思うんだけど、漫画「めぞん一刻」が小学館ビッグコミック・スピリッツの創刊号からの掲載だとは、憶えていなかった。僕は、ビッグコミック・スピリッツは創刊号から15年間くらいは、ずう~っと続けて購読し続けて来ていたけど、「めぞん一刻」の新連載は、スピリッツが80年に創刊されてから4、5ヶ月くらい経ってから連載が始まったものと思い込んでいたからだ。僕は、スピリッツという雑誌は、創刊号からしばらくは隔週刊だと思い込んでいたが、スピリッツは創刊当初は月刊誌であった。記念すべき、「めぞん一刻」の連載第1回は、ビッグコミック・スピリッツ80年11月創刊第1号になる。スピリッツは81年の6月より、月2回刊になるんですね。スピリッツは86年4月から週刊誌となって、今日に至っている。少年・青年も(ガールズ読者も)楽しめて大人気だった、超ヒット・ラブコメ「めぞん一刻」は雑誌スピリッツに、何と7年間も連載が続いたんですねえ。コミックスで全15巻。後に刊行されたワイド版、文庫版で全10巻。ビッグコミック・スピリッツは、世代対象誌としては、70年代からあるビッグコミックやビッグコミック・オリジナルよりも、読者対象年齢層をもっとずっと下に持って来ていて、青年誌でもヤング誌に近いクラスかなあ。小学館には、他に、ヤング誌で、週刊ヤングサンデーが刊行され続けていますけど。ヤングサンデーについていえば、創刊は87年で、しばらくは月2回刊、95年より週刊化ですね。我らが「鉄腕バーディー」が大人気連載中の週刊漫画誌です。スピリッツもヤンサンも青年誌の範疇ですが、ヤンサンの方が出自の元々が、今は無き「少年ビッグコミック」だっただけに、読者対象年齢層が少年方向に近いですね。スピリッツの方がだいぶお兄さんかな。週刊化された後のスピリッツの「めぞん一刻」の連載は、2週に1回掲載が多かったように記憶している。つまり、月2回の掲載。でも、週刊化された時分の「めぞん一刻」はもう物語末期に近く、スピリッツが週刊誌になって一年程で、大長編ラブコメ大作「めぞん一刻」の、7年に渡った長期連載は幕を閉じたんですねえ。

 僕が、「めぞん一刻」を読み始めたのは、創刊号のビッグコミック・スピリッツの連載第1回からで、この当時僕は、東京都下保谷市(現・西東京市)のアパートの一室に住んでいた。ビグコミ・スピリッツの創刊当時は月刊誌で、何故か、表紙絵が、宇宙空間を激走する宇宙船のイラストだった、ように記憶している。80年の11月号だ。創刊何号かまでは、表紙は、そういうイラストだったように思う(?)。それから少しして僕は、会社の転勤で、群馬県太田市-埼玉県熊谷市と引っ越した。太田や熊谷の営業所の同僚には若い男性独身者が多く、会社の借り上げているアパートで、僕がスピリッツを毎号読んでいると、影響されてか、みんな読むようになった。特に回し読みではなく、当時の、地方の独身サラリーマンはけっこう、金に不自由してなくて、雑誌などは、みんな自分で買って読んでいたように思う。連載の中でも、「めぞん一刻」は話題になり、よく、老朽アパートの美人管理人、音無響子さんに憧れ熱愛する五代君の真似をして、「管理人さん!」とかセリフを喋ってみたりしていた。職場は、20代半ばの青年が多くて、みんな他愛もないことをギャグにして話して喜んでいた。その後、サラリーマンの僕は東京都内の営業所に戻って来る訳ですが、地下鉄通勤の車内でも、帰路、駅の売店で買ったスピリッツを読んでいた。若い頃の僕の漫画読書は、コミックスで読むのが多かったが、雑誌で購読していたのは、ビッグコミック・オリジナル、ビッグコミック・スピリッツ、週刊漫画アクション、別冊アクション、スーパーアクション、の毎号だった。どうしてか、本家ビッグコミックそのものは読んでいなかったと思う。二十歳を過ぎてから、少年漫画誌を読むことはほとんど無かった。ただ、「がきデカ」や「ブラックジャック」や、子供の頃読んだ懐かしい少年漫画の復刻は、コミックスで買って読んでいた。

 

 12日土曜夜9時からの、テレ朝系ドラマ「めぞん一刻」を見ました。う~ん、はっきり言って僕にはそれ程は面白いドラマでもなかったなあ。原作のプロットをていねいに追って行っているストーリーですが、やはり、全然、別モノですよ。80年代ラブコメ漫画の金字塔を打ち建てた名作漫画、「めぞん一刻」とは全く違うモノですね。お話は漫画原作そのものです。スト-リーに一つの違いも無い。全く同じお話でも全然違う別モノです。仕様が無いですけどね。僕は、高橋留美子さんの「うる星やつら」「らんま1/2」「めぞん一刻」は大好きでしたから、漫画原作に対しての思い入れも大きいし。これが原作漫画がスピリッツ大好評連載中のオンタイムだったなら、ファンから大ブーイングが出るところでしょう。あれ?86年劇場映画ではブーイングは出なかったのかな?「めぞん一刻」は90年代までもコアなファンが多かったろうしなあ。主人公の管理人さん、音無響子さんに、伊藤美咲さんは無理があるなあ。タイプが違うよ。酒好きで踊り回る、悪意おせっかいおばさんの一の瀬さんの、岸本加世子さんも、センスを二つ持って踊るのには無理がある。岸部一徳さんの怪人・四谷さんはイイんだけど、岸部さんが歳をくい過ぎだね。高橋由美子さんの朱美さんもちょっと違うなあ。ちょっと厳しい見方になるけど、だいたい、ギャグが全然面白くない。笑えない。漫画原作ではあんなに面白くて笑ったギャグが、ドラマではつまんないんだよね。あんまりコキ下ろしても何なのだけど。漫画原作と比べるからいけないんであって、これが原作を全然知らずにドラマを見ていたら、けっこう面白いのかも‥。でも僕は恋愛テーマのドラマは苦手で、どっちかっつーと見ない方の人だから、ドラマ、見てないかも‥。今回も時々「エンタの神様」に入れ替えたりしてたし。「エンタ」のにしおかすみこさん、見れて良かった。僕はにしおかすみこさんのファンなのだ。朱美さんの定番ユニフォームの、ブラとパンツにシースルーの下着だけという、いつもの格好をどうするんだろう?とネットで話題になっていたが、一刻館内では似た格好だけど、全くスケてなかったし、ブラとパンツも下着モノではなく、スポーツ用か水着みたいなカラフルな厚いモノをつけていた。このドラマ、若者たちは面白く見たのだろうか?何か、すべったような気がしているのだが、視聴率が気になるドラマではある。

    

 伊藤美咲さんは素敵でしたけどね。響子さんとは違うけど。まあ、面白かったですよ。これ、仮に今回の視聴率が芳しくなくても、中途半端な終わり方だったから、続編は必ず作るんだろうな。次、見るかどうか、見れるかどうか、ワカんないけど。あのね、86年の劇場映画版「めぞん一刻」は、「しっとりとやや暗いイメージの不思議なラブコメディに仕上がっている‥」ということなんだけど、一刻館4号室の怪人、四谷さん役を演じた伊武雅刀さんは、当時、「伊武雅刀が四谷のモデルなのではないか、と言われたくらいのはまり役」と絶賛されたんだそうな。まあ、僕はこの映画を見てないんで、何とも意見を言えませんけど。伊武さんも岸部さんも怪優と呼びたいくらい、個性的な俳優さんですが。しかし、石原真理子さんは先ず、響子さんじゃあ無いよなあ。一の瀬のオバハンは、岸本加世子さんよりも、藤田弓子さんの方が近いかも。TVドラマ版の、響子さんの飼ってる、真っ白い愛犬、惣一郎さんはグレート・ピレニーズ(ピレネー犬)ではないよなあ‥。物語の舞台、時計坂駅とは、作者・高橋留美子さんが本作執筆当時、住んでいた西武池袋線・東久留米駅なんだそうな。僕はその昔、西武池袋線沿線に住んでいたが、東久留米駅は一度も降りたことないなあ。

   

 僕は今でもそうですが、ずっと高橋留美子さんの絵柄が大好きで、高橋さんの可愛くセクシーな女の娘キャラの、美麗なカラーイラストなんか、惚れ惚れしてうっとりするくらいイイですねえ。ホント、大好きです。僕は、昔、高橋留美子さんの絵柄とタッチに憧れてました(今でも憧れてますけど)。ああいう絵柄を、サササッと軽く簡単にイラストが描きたい、と、昔、一時期、「めぞん一刻」や「うる星やつら」の漫画の絵を見て、早描きで写していたことがあります。水性ボールペンでらくがき帳みたいな真っ白い紙のノートに、毎日いっぱい描いてた。無論、高橋さんのようなあんな素晴らしくうまい絵を、しっかりきちんと描こうと思っていた訳ではなく、とにかくああいうタッチの絵で、簡易イラストが、いつでも何処でもササッと描けるようになりたくて練習していた。そんな日々もありましたねえ。高橋留美子さんというと、お互いにリスペクトし合う、SF作家の大御所、平井和正氏との対談本があり、昔、面白く読んだ記憶があります。ウルフランドVSルーミックワールド、とかいう‥。僕は、僕独自の日本のギャグ漫画史観というのを持っていて、独断・偏見になりますけど、戦後日本漫画のギャグ部門の流れは、代表的作家と作品名で、山根赤鬼「よたろうくん」→ 赤塚不二夫「天才バカボン」→ 山上たつひこ「がきデカ」→ 高橋留美子「うる星やつら」、だと思っています。「めぞん一刻」も漫画史に残るような名作ですよ。

 

 

Photo ※(08年7/31)テレ朝のスペシャル放送のドラマ版「めぞん一刻」完結編が、08年7月28日夜9時から二時間スペシャルドラマで放送されました。続編のキャスティングは主演の伊東美咲さん、五代君は演出で素人っぽい方が良いということで、公募オーデションで選ばれた中林大樹さん他、07年5月放送の「浪人編」とほとんど同じでした。ただ、絶対本命響子さん以外に、もう一人の主人公である五代裕作君が心動かされるガールフレンド、七尾こずえ役が、第1回の最後の方で登場したときには、今やNHK朝の連ドラ、あれ、テレビ小説っていうんだっけ(?)、僕は昔から、NHK朝のテレビ小説と大河ドラマはまともに見たことありませんが、08年夏現在の朝ドラ「瞳」で主役を張る、榮倉奈々さんでしたが、「完結編」では南明奈ちゃんに代わっています。南明奈ちゃんは、二年くらい前までフジのめざましテレビの朝の星占いコーナーのバック映像で、本当にキュートで可愛い女の娘だなあ~、と感心して見てたんですが、本格的タレントとなって、今や、バラエティーや再現ドラマとかワキの女優で、毎日のようにTVで見ますねえ。可愛いなあ。めざましの頃の方がもっと可愛かったけど。お父さんがトラック運転手の家庭で育った、というのが良いよなあ、庶民的で。クイズヘキサゴンⅡでは、オバカタレントの一人に数えられそうな部類に入っているけど。あの大長編恋愛コメディーの原作を、たった2回の二時間スペシャルで語るのは、本編ストーリーをメチャクチャはしょり過ぎの感は否めませんが、まあ、原作漫画とドラマは別ものですからね。「完結編」にはスペシャルキャストで、五代裕作君の田舎の実家の、食堂を営む両親の役を、大物俳優(歌手・女優)である二人、宇崎竜童さんと浅野温子さんが演じていました。

 

 本当言うとね、ドラマは正直イマイチでしたね。原作漫画のあの面白さは、二十分の一も再現出来ませんでしたね。初回「浪人編」は視聴率、12パーセントだったんですね。僕は、あのドラマでよく取った方だと思いますよ。1年後の二回目「完結編」が、どのくらいの視聴率取れたのか解りませんけど‥。


 実を言うと、僕は、初回の「浪人編」はドラマを、初めからエンドまで余すことなくちゃんと見たんですが、第二回の「完結編」は、裏番組のフジの年中行事の局一大スペシャルイベント番組、27時間テレビと、チャンネルを交互に変えて見たので、今回の二時間ドラマの正味1時間も見ていなくて、まともには全然見てません。雰囲気的に、あんまし面白いドラマ作りではなかったなあ。フジ系の27時間テレビは、部分的ですが、80年代のあの「俺たちひょうきん族」の大ファンだった僕としては、懐かしさが手伝ってけっこう面白く、番組を楽しめました。無論、27時間通して眠らず見ていた訳ではないので、全編通して面白かったということでもありませんが、往年のギャグの帝王たちが次々と昔のギャグで笑わせてくれるのは良かったですね。楽しかった。やっぱり、さんまは面白い。ベテランと若手たちのギャグのコラボが面白かったですね。たけしの驚きのギャグも、凄まじささえ感じられる笑い取りもすごかったし。ああ、ひょうきんオールスターズの話ではなかった。80年代に原作漫画を激愛読した僕としては、音無響子さんは伊東美咲さんでは違うし、五代君も中林大樹さんでは全然無かった。「めぞん一刻」は漫画史に残る、生活青春ラブコメの不朽の名作ですね。

 

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●漫画・・ 「あしたのジョー」

Photo_92 Photo_93  ○ あしたのジョー
 
確か4月の22日だったと思うが、昼の午後、NHKのETV特集の再放送で、3月24日の夜に本放送した分を流していた、「あしたのジョーのあの時代~団塊の世代-心の軌跡」というタイトルの番組で、今年あたりからの大量退職で社会的に大きな影響があると、今話題になっている団塊世代の、青春時代を、同世代の有名文化人たちをゲストに据えて、団塊世代の末席あたりに位置する作家、夏目房之介さんを司会進行に置き、名作「あしたのジョー」と照らし合わせて、時代を懐かしくも思い出し、風俗も含めて一つの文化的な歴史として語っていた。漫画「あしたのジョー」は僕の少年時代、週間少年マガジンに大人気連載されていた。その時代の少年マガジンの、「巨人の星」と「あしたのジョー」は二大看板漫画で、無論、僕が毎週欠かさず、マガジンを購読していたのは、お目当てが、その二大熱血スポーツ根性青春漫画なのだが、僕が小学校高学年の頃のマガジンは、他にも、「ウルトラマン」や「ウルトラセブン」、「ミサイルマン・マミー」「黄色い手袋X」「コマンドJ」「ゲゲゲの鬼太郎」「無用の介」「丸出だめ夫」「天才バカボン」etc.etc.‥という他の、SF、探偵、時代活劇、怪奇、ギャグのたくさんのオモシロ漫画陣が目当てだったことは間違いない。小六から中学生くらいになって、「巨人の星」「あしたのジョー」やシリアスな時代劇「無用の介」などが俄然面白くなって、毎週楽しみにしていた。「巨人の星」はやはり『魔球』に憧れて、惹き付けられましたねえ。大リーグボール、1号、2号、3号。

Photo_94  マガジンの歴史的2大名作、「巨人の星」「あしたのジョー」は共に、あの時代の劇画原作の帝王、梶原一騎氏の原作ですが、氏は、「巨人の星」連載開始の折、当時のマガジンの編集長から、「少年マガジンの佐藤紅緑になってください」とお願いされたそう、らしい。それから、元々は文学青年で小説家志望の梶原一騎氏は、漫画原作に本腰を入れ、「巨人の星」の連載を始める。そして2年後、マガジンで新たなヒーローの大作漫画を開始する企画が立てられ、編集者たちと協議の結果、今度のヒーローはニヒリストにしよう、ということになる。ニヒルで不良のヒーロー。68年から、マガジンで、ボクシング漫画「あしたのジョー」が始まった。作風を変えるということで、原作ペンネームは梶原一騎を使わず、本名に近い名前の高森朝雄とした。高森朝雄氏の「あしたのジョー」開始の原稿に、作画担当のちばてつや氏が、ストーリーを大幅に変えた。漫画のちばてつや氏もこの新作には思い入れが大きかった。原作ストーリーを大幅に変えられた高森氏は、当初、激怒したが、編集者らの説得と、ちば氏のストーリー・アレンジのうまさに、徐々に納得して行き、ここにお互いの才能の相乗効果が生まれた。高森氏、ちば氏の優れた才能が合い混ざって、抜群のハーモニーを奏でて、空前の名作漫画を生み出すこととなった。ある意味、両氏の最高傑作ともいえるような作品「あしたのジョー」である。

Photo_95  よく言われるエピソードが、物語前半の宿命のライバル、力石徹の葬式。少年院で出会ったボクシングエリート力石徹。力石のテクニックの前では赤子同然であったジョーが、力石に対する唯、勝ちたい執念が故に、興味の無かったボクシングの練習にやる気を出し始める。少年院での死闘の決着はプロのリングへ。プロの試合では、体格が大きくて階級が上の力石は、想像を絶する無理な減量を自分の肉体に強いる。過酷なまでの減量でぎりぎりの肉体でリングに上がった力石は、ジョーとの試合に臨むが、試合に勝った極限状況の力石の身体は、試合終了後命を奪われる。こうして、宿命のライバル、力石徹は死んでしまい、ジョーは精神的な大打撃を受けて、全面的に調子が狂ってしまい、大袈裟にいうと、廃人のような状態になってしまう。この時の、マガジン誌上の漫画物語で、力石徹が死んだのを受けて、作家で詩人の寺山修二さんとかが発起人となって、会場を設けて、実際に力石徹の葬式を行った。ちゃんと坊さんを呼んでお経も上げたらしい。数多くのファンが葬儀に集まった。有名な「あしたのジョー」のエピソードである。数年前に週間発行部数100万部を突破していた少年マガジンは、子供ばかりでなく、大学生などの若者にもよく読まれていた。全共闘の学生たちのバリケードの中には、少年マガジンが読み捨てられていた。70年3月の、よど号ハイジャック事件で、ハイジャック犯が出した声明に、「我々は『あしたのジョー』である」と言った、というエピソードも有名ですね。何が言いたかったのか、僕には見当も着きませんけど。力石徹の葬式は、マガジン誌上の記事で読んだけど、当時の僕は、まだ子供だったからか、特に大きな印象は無かったなあ。

 何でも、力石徹の、ジョーよりもぐんと大きい体格は、高森朝雄氏の原作原稿をちばてつや氏が読み違えたか何かで、漫画の力石をジョーよりもかなりでかく描いてしまった。それで、結局、シャバに戻って、いざプロのリングで決着を、という時に階級が違うことになってしまった。だから、作者は身体のでかい力石に、すごいキツイ減量をさせなければならなくなった‥。ということらしい、というウワサもあるみたいですね。つまり、作画のちば氏がうっかり大きく描いたことが、力石を殺すことになってしまった、と。ストーリーの流れがそういう方に行ってしまった(行かざるをえなかった)、と。しかし、何らかの形で、力石徹とのエピソードが完全決着がつかないと、次のステップへお話が進みませんもんね。カーロス・リベラから王者ホセ・メンドーサへと。失調を来たし、廃人の如き状態にまで落ち、どん底に居るジョーを、再び生き返らせるのが、次のライバル、カーロス・リベラの出現。確か、ジョーは、見せ物興行みたいな露天試合のドサマワリ、賭けボクサーにまで成り下がってるんですよね。無冠の帝王と呼ばれるカーロス・リベラの圧倒的強さが、ジョーを甦生させ、プロのリングに戻す。そこから、いろいろと強敵のライバルが居ましたね。ウルフ金串とか韓国の金龍飛とか、野生のジャンピングボクサー、ハリマオとか。ウルフ金串って力石戦の前だっけか?TVの番組、ETV特集の司会やゲストの文化人の方たちはみんな、団塊世代の方たちで、ジョーとその時代を熱く語っていたが、マガジン連載当時の「あしたのジョー」に一番熱くなってたのは、やはり、当時、青春期青年時の団塊世代だったのかも知れない。僕たちはもっともっと下の世代になるもんね。梶原一騎の最高傑作は「巨人の星」と「あしたのジョー」というのが定評らしいが、僕に取って、梶原一騎先生の原作漫画作品で一番面白く一番熱血感動して、一番印象に残っているのは、荘司としお氏作画による「夕やけ番長」だ。それは勿論、確かに、マガジンの「あしたのジョー」は毎週ワクワク面白く、楽しみにしていたけど、僕に取ってはそれ程、印象に残っていない。むしろ、「巨人の星」の方が、まだ脳裏に印象深くあるような気がする。あれ?カーロス・リベラってメキシコだっけか?ベネズエラだっけか?ホセ・メンドーサは?ブラジルだっけか?彼がベネズエラ?

Photo_97  NHKのETV特集の中で、作家の夢枕獏さんは、「あしたのジョー」は、力石徹が死んだ後からの方が、漫画が面白かった、と話していた。僕も、そんなに強烈に、漫画「あしたのジョー」に影響受けた方では無いので、そう思います。そういえば、僕は、多分、「巨人の星」はコミックスで読み返しているが、「あしたのジョー」は、連載は多分、一週も読み落とさず続けて、毎週全部読んでると思うんだけど、コミックスの再読はしていないと思う。「新・巨人の星」は2回くらいコミックスで読み返してるんだけどね。番組の中で、団塊世代の末席くらいの女性ゲストの文化人が、多分「あしたのジョー」をきちんと読んだこと無い人なんだろうけど、ジョーの生き様を読み間違い(勘違い)していて、「あたしは、男性のヒーローが一つの成功に向かって頑張り続け、苦難を乗り越えて努力し、精進して成功を掴む、サクセスストーリーには、あの時代に生きる、社会に出たばかりの若い女性としては、興味が持てなかった」というような意見を言ったのだが、それを聞いたもう一人の男性知識人ゲストが、その意見の内容をすぐさま否定し、ジョーの生き様は、サクセスストーリーなどではなく、破滅に向かって突き進むような、死に向かって全身全霊で全力で走って行くような、破滅型ストーリーだ、というような、そんな意見を言った。僕も確かにそうだと思う。結局、ジョーは死に場所を探していたようなものだった、と。燃え尽きて真っ白な灰になる‥。あるいは、真っ白な灰になるまで燃え尽きる‥。このジョーの言葉は、成功を夢見て、夢と希望に向かって全力で頑張る者の言葉ではない。ジョーは、努力の結果の、富と名声とか、幸福で安定した生活、とか、そういうものは全く眼中に無かったのだ。そういうものへの興味は皆無であった。そういう意味では、ジョーはやはり、徹底したニヒリストだ。ジョーの夢は、自分が見初めた強敵のボクサーと、それこそ心底惚れてしまったような強敵と、人間の全身全霊を出し尽くして戦い、燃え尽きてリングの上で真っ白な灰になることなのだ。そういう意味では、力石が死んだ後、自分もリング上で後を追って死のう、と決めていたのかも知れない。番組の中でも話されていたが、ドヤ街の中か近くの、乾物屋だっけか八百屋だかの、素朴な美女の娘の、林紀子から、えーっと、涙橋っていうんだっけか、橋の上で、「ボクシングを止めて平凡で安定した幸せな家庭に入ろうとは思わないのか?」と、愛の告白を受けるが、全否定して、「燃え尽きて真っ白な灰」という、激しい自滅への道を話す。「あしたのジョー」の二人のヒロインは、好対照のキャラの、白木葉子さんと、結局、ボクサー止めたマンモス西と結婚した、この紀ちゃんでしたね。

Photo_101  漫画「あしたのジョー」は週間少年マガジンの68年1号から、73年までに渡って長期に連載されました。最終回も有名なシーンで、王者ホセ・メンドーサとの死闘の後、試合では判定で負けるんですけど、既にパンチドランカーの徴候が見えるジョーが死力を振り絞って戦い抜き、王者メンドーサを恐怖のどん底まで追い込み、メンドーサの相貌を老人のそれにまで変えるほど苦しめた結果、試合終了後、ジョーは自分のコーナーで満足したような表情でじっと座っている。最終回、最後の大画面の一コマ、まるで、燃え尽きて真っ白な灰になったように、一面、白い画面でジョーが動かず座っている。真っ白くなったジョーが‥。この終わり方は後にいろいろと説が語られました。死んでしまった。いや、生きている‥。読者の想像に委ねられる結果となった訳です。でも、結局、ジョーのボクサーとしての生命はここで終わったのでしょうね。結局、最終的には世界王座の栄光は掴めずに終わった、と。あれは、73年だったんですねえ。もっとずっと前だと思っていた。アニメ化もされていて、70年4月から71年9月まで放送されている。僕は確かにアニメでやってたのは知ってたけど、あんまり見てないですねえ。「巨人の星」のアニメは見てたと思うけど、「あしたのジョー」のアニメはたいして見ていない。全然知らなかったんだけど、アニメは続編で、「あしたのジョー2」が80年10月から81年8月まで放送されてます。どうしてまた10年も間空けてから続編作って放送したんだろ?ああ、そうか。80年の3月に、70年の分の放送アニメを編集しなおして、劇場用アニメ映画「あしたのジョー」として公開してるんだ。その映画分が未完だから、それで、その続編を第2期アニメで作ったんだ。劇場アニメ映画の「あしたのジョー2」は81年7月公開。アニメ放送のラストと、劇場公開が同時期で重なるなんて珍しいやり方ですね。実写映画も70年の7月に公開されている。

Photo_102  「あしたのジョー」が、団塊世代に影響を与えたといえば、番組の中で語られてましたが、力石徹が体制でジョーは反体制である、と当時の全学連・全共闘世代はバリケードの中で「あしたのジョー」を読んでいたと、いうことですが、僕ら世代からすれば、何かこじつけっぽい気も持ちます。確かに、ジョーは孤児であり、若き浮浪のホームレスであり、不良であり、現社会を憎み恨み、牙を剥くような存在でしたよね。勿論、体制側からは一番外側にはみ出している、アウトローです。でも、「あしたのジョー」の物語そのものに、政治思想は見えないですよね。無理やりいえば、現体制の社会に対する怒りを、ボクシングという場所で牙を剥いた、というようなものか‥。ちょっと無理がありそうな。ジョーは死に場所を求めて、破滅に向かって突き進んでるんですからね。無論、この社会を作り変えようとユートピアを目指す考えなんて、全く無い。ジョーは自分のことだけしか考えてないニヒリストですよ。バリケードの中の若者が、ジョーのカッコ良さに自分を重ねて、ヒロイズムに浸ってみたのか(?)。よど号を乗っ取った赤軍派テロリストたちが、我々はあしたのジョーである、と言った意味は、やはり僕にはさっぱり解りません。結局、バリケードの中の若者たちは、こんなことやってても何も変わりはしないんだ、と諦め感は持ちながらも、ただほとばしる若さのエネルギーに任せて、反体制運動を自爆的自滅的にやっていた、という自分らの姿を、ヒーローとしては新しいタイプの、アンチヒーローに映るジョーに投影していたのか‥。

Photo_98  ○ 愛染恭子さん
 女優の愛染恭子さんが、14歳少女に暴行をはたらいた、とニュースで言っていた。かつて日本ポルノ界で一世を風靡した感のある、愛染恭子さんはもう49歳にもなっていた。何でも、14歳少女は中三の実の姪で、話によると、愛染さんの知人の40代男性と、この姪の女の子が男と女の関係になってしまい、愛染さんは「しつけのため」に、説教とせっかんをしたものらしい。愛染さんと実母と実兄と三人で、「しつけのため」に、殴る蹴る、プラスティックハンガーで叩く、という暴行をはたらき、4時間に渡る暴行から逃げ出した少女が近所のコンビニに駆け込み、通報され、愛染恭子さん等三人は逮捕されたものらしい。取調べで、愛染さんはあくまで「しつけのため」の説教と主張し続け、少女の親である愛染さんの実兄は「しつけとはいえ、やり過ぎてしまった」と反省してるそうな。で、渦中の、愛染恭子さんの知人の40代男性は、愛染さんがちょくちょく実家に一緒に連れて来ていた人で、何でも、交際相手との見方が強いそうな。まあ、これはその、下世話な話ですが、自分の男を若い女に寝取られた、というのが、ちょっと親子どんぶりにも似た、寝取った女が年端も行かぬ姪っ子であった、という話みたいですね。自分のイイヒトを寝取った泥棒猫にヤキを入れた、という構図みたい。しかし姪の女の子は14歳中学生。40代男性は対児童の条例に違反する疑いが濃いですよねえ。児童である少女を相手に性的関係を持ったのなら、当然、子供の少女よりも、責任は成人男性にあり、悪いのは愛染さんの知人の方だから、この男を責めるのが筋ですよね。ワイドショー番組の文化人コメンテーターたちも口を揃えて、そう言ってました。愛染さんも惚れた弱みで、自分のイイヒトを責めることが出来なかったのだろうか?推測ばかりで勝手なことばかり言うのはよくないでしょうけど、この姪の少女が、札付きの不良娘でもあったのでしょうか?よく解りませんけど、警察官のお父上に若い頃勘当された身の、愛染恭子さんの血をしっかり受け継いでいる、という気もするんですが‥(?)。

 愛染恭子さんというと、懐かしいです。若い頃、よく知ってました。日活ロマンポルノの映画作品にも何本も出ているし、当時、映画の本番女優として話題にもなりました。でも僕は愛染さんが出演した映画は、何故か1本も見ていません。映画デビューは、何と、谷崎潤一郎の名作文芸が原作の、芸術性の高いポルノ作品だったんですねえ。本番というのでは、日本初の本番女優らしい(?)。81年デビューからの80年代、ポルノ映画やストリップで一世を風靡した美人女優でした。そのプロポーションも見事なら、ルックスも可愛さを含んだセクシーな美女。そうか、新入社員だった僕が、職場の上司や同僚と新橋でしたたか飲んで、ひやかしに入ったビニ本屋で、愛染恭子さんのビニール本を買って帰ったのは、70年代末だ。映画デビューの前に、ヌード写真本を出してたんだ。まだビデオが普及する前に、短い期間でしたが、ビニール本という薄い写真集が流行した、ポルノ文化があったんです。まだまだ日活ロマンポルノが隆盛の時代で、AV女優が出現する以前です。家庭用ビデオ機器が普及する前の、短期間の性文化ですね。ビニ本は、10ページから16ページくらいしかなかったんじゃないかなあ。当然、全部見せてる「裏」モノもあったんだと思う。ビニ本専属のモデルおねえさんもいっぱい居た。ロマンポルノ女優やピンク女優と共に、AV女優の前身みたいなものかなあ。ロマンポルノはけっこうしっかりした映画作品だったから、ビニ本モデルのゾーンが、次世代的にAV女優へと繋がって行ったんだろうなあ。と思う。

 僕は、新橋のビニ本屋で、愛染さんのヌード写真集を買って数年後、愛染恭子さん本物自身と直に握手できました。当時、サラリーマンの僕は、東京築地の営業所から群馬太田の営業所へと飛ばされ、その当時、群馬県内にはいくつか、地方のストリップ小屋(劇場)があったようで、太田市内の外れにもあった筈ですが、何処だったかもう忘れちゃってるけど、群馬の外れの田舎にストリップ小屋があり、ドライブがてら何人かで興行を見に行ったことがあります。その時の、そこの劇場の興行のメインに、愛染恭子さんのストリップダンスがあり、演目終了後、その当時歌っていたらしいご自分のレコードを即売していて、僕は綺麗で可愛い愛染恭子さんが好きだったから、歌は全然知らなかったけれど、レコードを買って握手してもらいました。その時は、嬉しかったと思います。あの時、踊りの後に、ご自分の持ち歌を歌ったのかどうか、よく憶えてません。ただ、握手した時のことはよく憶えてます。ちなみにこの時のことは、後は、誰の自動車でどんなメンバーで行って、他にどんな場所に寄ったのか、そういうことは一切、記憶していません。多分、その時のメンバーの誰かが言い出して、劇場だけでなく、多分、あちこちドライブで回ったのでしょうが‥。ストリップ見物だから、メンバーはみんな男でしょうけど。5人は居たような気がする。昔々の話です。愛染恭子さんは綺麗な方でした。今でも写真で拝見する限り、アンチエイジングな美貌のようですが‥。

 そういえば、愛染恭子さんて、若い頃にも公然ワイセツ罪で逮捕されてるんですねえ。多分、ストリップ興行でのことでしょうが、当時のストリップ興行では、公然ワイセツにひっかかる演目は当然の出し物だったでしょう。バンッともろ全部見せないと、お客は入らないですよ。昔、サラリーマン時代、下請けの会社の人や職場の同僚としたたか飲んで、ベロベロに酔っ払って、渋谷道玄坂にあった道頓堀劇場に2回程入った覚えがあります。いづれも酩酊していてふらふらしながら見物したんですが、モロ出しは当たり前、舞台に男性が上がって、いわゆる本番をやってたように記憶しています。警察も時折、抜き打ちで手入れに入っていたようですが。愛染さんも多分、そういうショーで突然、警察の手入れを受け、逮捕されるに至ったんでしょうね。今は、ストリップ劇場ってまだあるんでしょうか?昔に比べればもうほとんど存在しないんじゃあないのかなあ。でも、AV女優さんでストリップの踊り子もやってる、っていうのは聞くから、ストリップ興行はあることはあるんでしょうね。温泉街のストリップ小屋ってあるんだろうか?昔は温泉では必ず付きものだったけど。愛染恭子さんは、日本の性文化の一時代のスターでしたよねえ。

Photo_103  あ、それから、いくら自由恋愛の時代だといったって、大人の、子供相手の性愛は厳しく取り締まってもらいたいです。14歳は子供ですよ。近頃、援交狩り、という新手の青少年による恐喝暴力犯罪が増えているようですが、最近、殺人事件も起こってます。援交狩り、というのはいわゆる昔でいう美人局ですね。青少年のグループが、仲間内の未成年の少女に電話で、客となる男を呼び出させ、寂しい待ち合わせ場所で多人数で、恐喝と暴行に及ぶという、強盗犯罪です。これは、売春の一種といえば、売春に準ずるものの一種なのでしょうが、相手の女が児童に値する少女だと解って行くのは、被害に合う男の方も悪く、自業自得ともいえると思う。成人男子の少女好きも解らないでもないんだけれど、とにかく、児童に値する少女相手の性犯罪は、厳しく取り締まってもらいたいものです。少女を性の相手に遊んだり買ったりするのは、大人の男が絶対悪い。よく、1兆円射精産業、といわれますが、表に出ていない、犯罪性の高いようなこれらの種類の商売も、影に隠れて多いでしょうから、実際の数字は1兆円どころではないのかも知れません。やはり最低18歳以下は駄目ですよ。子供が犠牲になるのは絶対にいけません。18歳以下の少年少女なんて、まだ全然、考えはしっかりしてないんですから。悪い大人に簡単に騙されちゃうし、見せ掛けの派手さや、見せ掛けだけの中身の無いカッコよさ、虚飾に、すぐに全面的に影響されてしまう。子供は大人が守らなければいけないと思います。愛染恭子さんの話から外れてしまってるけど。愛染さんはもう十年も前に、女優業もストリップダンサーも引退しているらしいですね。

 

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