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●漫画・・ 「赤い風車」..(2)

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 「赤い風車」は月刊誌「ぼくら」の67年11月号から連載が開始され、68年の9月号まで連載が続きました。僕が小学生時代の月刊誌は本誌に別冊付録が3冊から5冊くらい付く形で漫画が掲載され、人気のある看板漫画は本誌から別冊付録へと続く形でした。ストーリー漫画はほとんどが連載の形の続きもので、ギャグ漫画はだいたい一話完結形、他に読みきり漫画が30ページくらいで1、2本掲載されてました。66年くらいから月刊誌の4、5冊付いていた別冊付録は、大判の、そうですね変型B5版くらいの大きさの厚い一冊にまとめられました。本誌の付録にさらにもう一冊、漫画が4、5本収録された大型別冊が付いた訳です。「ぼくら」も66年、67年頃からこの形を取っていましたが、この時代、他の月刊誌のように本誌から別冊へと続く漫画はありませんでした。大型別冊にはだいたいTVアニメ化されたような作品が何本か掲載されていました。またこの時代の「ぼくら」にはB5版か変型B5版の「ウルトラマン」や「ウルトラセブン」の大型別冊が付いてました。

 そんな中、「赤い風車」は第1回から最終回まで本誌掲載で連載が続きました。月刊誌「ぼくら」の連載漫画企画で、65年(66年かも)くらいから「ぼくら名物50ページ3本立て連載」というのがありまして、毎号3本の漫画は1作品が50ページ掲載されました。堀江卓先生の「赤い風車」も毎月50ページの掲載で、お話は毎号1話完結形でした。だから短編連作の形ですね。この時代の大判付録の「ウルトラマン」や「ウルトラセブン」も50ページの付録でしたね。正確には中身はモノクロ48ページですが。「赤い風車」が「ぼくら」67年11月号から連載が始まり、その前の10月号からの新連載が一峰大二の「ウルトラセブン」、68年新年1月号からは梶原一騎・原作で漫画・辻なおきの「タイガーマスク」の連載が始まります。「タイガーマスク」は大長編熱血プロレス巨編で毎号お話が続いて行きますが、「タイガーマスク」はすぐにこの時代の「ぼくら」の看板漫画となり、毎号50ページくらいの掲載となります。「タイガーマスク」は途中からオールカラー連載となり、扉だけ4色カラー、漫画内容部は48ページ全編2色カラーと豪華に掲載されていました。「赤い風車」はだいたい扉だけ4色カラーか巻頭8ページか4ページのみ2色カラーの連載でしたね。65年(66年くらいか)あたりから月刊誌ストーリー漫画の掲載ページが増えて来ていて、月に1本50ページ読めるのは嬉しかったですね。

 少年漫画誌は62~63年くらいまでは月刊誌が王座に居た時代ですが、64年頃になりますと週刊漫画誌が勢いを伸ばして来て、65~66年にはもう完全に週刊漫画誌の時代になっていたと思います。大長編の続きものストーリー漫画は週刊誌で連載され、月刊誌ではSFや時代劇のヒーローものなどは1回掲載分のページ数を多くして月1話完結形の短編連作が増えたように思いますが。まあ、月刊誌各誌の、あの時代の編集方針にも寄るでしょうが。堀江卓さんの歴代「ぼくら」連載漫画は、TV実写のコミカライズ「スパイキャッチャーJ3」などは本誌からB6版の別冊付録へ続く回もありましたが、「少年ハリケーン」は毎月毎号50ページ1話完結連載でしたね。調べてみましたが、「少年ハリケーン」は「ぼくら」66年6月号から連載が始まってますね。とすると、「ぼくら名物50ページ連載3本立て」の企画は66年頃からのものなんですね。「ぼくら」の堀江卓先生執筆連載漫画には、「スパイキャッチャーJ3」の前だったか後だったか記憶がはっきりしないのですが、アメリカ輸入アニメTV放送ものの雑誌連載(まあ、言ってみればアニメのコミカライズ)で、「冒険少年JQ」という漫画作品があったように思うのですが。「冒険少年JQ」とはジョニー・クエストという、正義の科学者の息子が悪の組織と科学兵器で戦う、といったようなお話の、アメリカ輸入アニメで、この当時、毎週1回30分TV放送されていたように記憶ししてるのですが。これを堀江卓先生が「ぼくら」で漫画で描いていたような‥。

 「赤い風車」は江戸公儀隠密忍者もの漫画で、江戸の町の治安というか、江戸幕府の安泰そのものを脅かす悪の組織に立ち向かう、江戸幕府の公儀隠密忍者のスペシャルエリートが“赤い風車”と名のるスーパー忍者ですね。公儀隠密忍者の一人ですが、群れていず、戦うときはいつも単独ですね。仲間は居ません。江戸幕府の大老、松平伊豆の守直属の隠密エリートですね。単独エリート忍者。僕、松平伊豆の守って、江戸時代の江戸幕府の重鎮だとは知ってましたが、歴史的に江戸時代を通して一人だけの固有名詞だと思っていたのですが、「伊豆の守」というのは“役職”なんですね。江戸幕府のいわば大幹部の役職名。歴史的に江戸時代を通して松平伊豆の守はいっぱい居るんです。“松平”は家の名で苗字ですが、松平の系統で「伊豆の守」職に就いた人は何人も居る。勿論、その中でも一番有名な「松平伊豆の守」も居る訳ですけど。僕は「赤い風車」を読んでいて、物語の雰囲気から江戸幕府が安定している江戸時代中期頃、元禄時代前後頃が舞台になってるのかなあ、とか思っていました。しかし、「松平伊豆の守」中で一番有名な、「松平伊豆の守」の代名詞的な存在は、三代将軍徳川家光に仕えた、俗に“知恵伊豆”と呼ばれた松平信綱を指しますから、時代は江戸時代でも前期になりますね。まあ、昭和の子供向け雑誌の忍者漫画の時代考証ですし、そんなに深くは考えずに連載しているんでしょうからね。

 「赤い風車」の対敵は、幕府転覆までも図る大きな悪の組織や、もう少し小規模な強盗団組織、超人的忍者ワザを使う単独怪盗、後、連続TVドラマ「水戸黄門」でよく見られるエピソードの諸藩のお家騒動、これの解決に松平伊豆の守が乗り出してたった一人の実行役で“赤い風車”が戦う、などなど、「赤い風車」を苦戦させ苦境にまで追い込む、趣向を凝らしたスーパー悪役が毎回出て来ますが、50年代後半からの「矢車剣之助」などなどの得意のアクション時代劇で、当時の超売れっ子漫画家、堀江卓が漫画連載で毎回駆使した奇抜なアイデアが、いってみれば“巨大超からくり”ですね。何といっても堀江卓はこのアイデアが絶対的得意ワザだった。荒唐無稽といってしまえばそれまでですが、石油、石炭、電気といった近代エネルギー機械機関を使用せずに人力などアナログな仕掛けだけで、いわゆる“からくり”で、戦車や現代エネルギー動力的な大仕掛けなどの、途方も無い巨大な兵器や仕掛けを繰り出す。例えば、一つの小お城が動く戦車だったりだとか。そういう巨大からくりがお話の中によく出て来るんですね。この時代にそんな大仕掛け到底出来る訳がない、というような忍者屋敷だとか。堀江卓時代劇漫画の特徴で真骨頂ですね。

 「赤い風車」の対敵する悪役の中には、この時代の、厳しい階級社会・激しい格差社会の惨状から、もともとは優しい心根や正しい信条を持ちながらも非常に貧しく苦しい環境にあるため、心ならずも悪の一味に加担してしまい、その後も正しい心と悪に手を染めた我が身の間で葛藤し、結局、悪賢くずる賢い悪党の首魁の罠から逃げられず、悪の手先の一人として“赤い風車”に挑み、“赤い風車”の正義は非情にもこれを切り捨てて成敗する、というような考えさせられるエピソードも、中にはありますね。また、厳しく非情な階級社会の中で、幼いときに父親が、猟師か百姓を生業として生きる父親ですが、この平民の父親が上級武士に無残に切り捨てられる。理不尽に一刀の下、簡単に殺される。そこから武士階級に恨みを抱きながら育った少年が大人になり、自分の一党を築き上げ、これはこの時代の犯罪集団ですが、この忍者組織を使って次々と武士たちを殺戮して行き、幼い頃の復讐を続ける。これも“赤い風車”に成敗される訳ですが、当時の子供向け雑誌の忍者漫画の題材としては考えさせられる内容です。まあ、しかし、この時代の子供の僕は、のほほんと何も考えずにただぼーっと生きていたから、たいして何の影響も無論衝撃も受けず、考えさせらることなぞ微塵もなく、ただ「カッコイイ」だけで読み捨てて行ってたんでしょうけど。何しろ僕は、かなりデキの悪いガキだったから。

 例えば僕が子供の時代、児童漫画で超大人気だった、週刊少年サンデー連載の忍者漫画、「伊賀の影丸」なんかを毎回ワクワクしながら子供ながら熱狂的ファンとして、何の疑問も持たず、「伊賀の影丸」は絶対正義の忍者と信じて漫画を読み耽っていた訳ですが、無論、子供向け漫画として勧善懲悪ものに描かれている訳ですけど、この時代の徳川幕府が果たして正義だったか、歴史的に俯瞰すれば、到底、きっぱりとは正義だと断定なんか出来やしないでしょう。だいたい長い長い間、一握りのごく少数の貴族や武家・武士という支配者階級が居て、あとの大多数ほとんどの人民は百姓という農奴だったという、絶対階級社会だった訳ですから。時代に寄っては少数の町人も居たんでしょうが、これも大部分は貧しかったでしょうし。徳川政権が安定期に入ってからも、国民の大多数を占める農民の暮らしは悲惨と呼んでいいくらいに極貧だったんだと思います。多分、実際は毎年毎年毎回毎回、多くの餓死者が出ていたというのが現実でしょう。徳川幕府が安定してからは武士たちは、特にキツい仕事もせずに農民たちが作ったコメをただで食べていた。まあ、武士たちの中も階級が細かく分けられて、何の労働も微塵もせずに遊んで暮らしてタダ米をたらふく食べて贅沢していた武士たちもいたんでしょう。そういう社会、そういう時代だったんですね。

 江戸の平和を守る、徳川幕府の重臣・松平伊豆の守の直属のたった一人の機動部隊、「赤い風車」が果たして絶対正義だったのか。また、幕府転覆を企む一党が本当に悪そのものだったのか。これはひと頃言われていた、「アメリカの正義」という問題にも通じる事柄ですね。今の時代は、国際ジャーナリズムの主題は、特に日本に取っては、アメリカよりも中国の方がクローズアップされていますけど。しかし、子供向けの漫画作品などの中にも秘かに、複雑な子供が困惑する内容のエピソードも、そおーっと潜り込ませておく、というのも僕は良いことだとは思ってるんですけどね。人間は悩んで考えて大きくなって行く。一見単純な子供向けヒーロー活劇漫画の中に、サブリミナル的な感じでそおーっと複雑な命題を潜ませる。読後感の何かすっきりしないところから個々の子供が独自に何かを考えて行くのではないか、と期待したいです。もっとも僕は馬鹿なガキだったから、あの時代の子供漫画に仮に複雑な命題が潜ませられてたとしても、僕はちっとも気付かず微塵も影響は受けなかったでしょうけど。デキの悪い子はいつの時代でも居ますからね。これは仕様が無い。

◆(2010-09/30)漫画・・ 「赤い風車」..(1)
◆(2010-10/18)漫画・・ 「赤い風車」..(2)

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