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「ファイティング番長」作画·水島新司-原作·梶原一騎

 「ファイティング番長」は梶原一騎氏の原作で作画を水島新司氏が担当して、少年画報社の週刊少年キングに連載されました。

 「ファイティング番長」の週刊少年キング連載期間は1967年第38号から68年第40号の一年ちょっとの間です。

 雑誌連載のときに「ファイティング番長」だったタイトルは、連載分をまとめて単行本化されたときタイトルを変えて「泣き笑い番長」として刊行されました。でも単行本は1巻のみの発刊で、連載分全編は収録されておりません。

 実を言うと、週刊少年キングに「ファイティング番長」が連載されていた時代、僕はあんまりキングを読んでいなくて、それでもタマにキングを読む機会があって、ときどき「ファイティング番長」を読むことができました。でも断片断片で連載漫画を読んでるだけで、ストーリーを通して読んだ訳ではありません。

 まぁ、ときどき断片断片で連載漫画を読んでても、何となくお話の主体的内容とストーリーの流れは解っていたのではないかと思います。何とかストーリーの流れみたいなものは把握してたのかな。

 本当は梶原一騎原作の熱血スポーツ根性漫画の「ファイティング番長」を読みたくてたまらなかったんだけど、キングの毎週毎週の連載を読むことができなかった。

 僕が6歳のときから通ってた家の近くの貸本屋さんが僕が11歳の春に店終いしてしまって、貸本漫画も少年雑誌も一泊二日1冊10~20円で借りて読むことができなくなった。大通りの向こう側にも貸本屋はあったのだが、何だか当時の小五の僕の気持ちとして、ナワバリではないというような気持ちがあってそこの貸本屋には行かなかった。後に中一くらいのとき何度か雑誌を借りに行ったことはあったんだけど、そこの貸本屋へはあんまり行かずに終わった。

 近所の貸本屋さんの一泊二日1冊10~20円というのは、毎日通っていた四年半の間に借り賃が値上がりして行ったのだ。その貸本屋さんでは最初、少年週刊誌は扱ってなかったのだが、僕が小四くらいの頃から少年週刊誌のサンデー·マガジン·キングを貸し出しし始めた。そして小五の春、多分ゴールデンウィーク前頃に突然、その貸本屋さんは閉店してしまった。

 貸本屋さんで借りて漫画本はいっぱい読めてたのだが、少年漫画を熱狂的に大好きな子供だった僕は、漫画本はできれば自分の所有物として手元に持っておきたかった。だから母親のくれる小遣いで買える限りは、普通の市販の本屋さんで少年雑誌を買って来ていた。週刊誌は毎週「週刊少年マガジン」、月刊誌は毎月「ぼくら」か「まんが王」と「少年」。小遣いに余裕があれば他にも少年漫画雑誌を買って来る。

 「少年マガジン」は毎週購読してたし、ときどきというかまあまけっこう「週刊少年サンデー」も購読してた。しかし「週刊少年キング」は滅多に買って読むことがなかった。それが近所の貸本屋さんで少年週刊誌を扱うようになって「少年キング」も毎号読めるようになってた。

 しかし近所の貸本屋さんが閉店してしまって、「週刊少年キング」はまた滅多に読めない漫画本になった。

 

 「ファイティング番長」=「泣き笑い番長」の大まかなストーリーは、勉学にもの凄く力を入れてる名門進学校に転校して来た主人公少年が、その中学校が進学のための学校の勉強にはメチャクチャ力を入れてるが、ことスポーツ教育に関しては無視·無関心のような方針で、主人公少年はこれでは駄目だと、スポーツ部活動のない学園に、スポーツ全般を網羅するオリンピック部を作る。

 超絶進学校内に作ったオリンピック部の先ず手始めは野球部。主人公少年を冷ややかな目で見ていた学校の生徒たちだが、主人公少年の情熱に共感を覚える生徒がポツポツと出て来る。何とか9人ギリギリが揃った野球部が対校試合を行う。

 対校試合の開始時間に8人しか集まれなかったり、学校側や大多数の生徒たちが通う進学塾のオリンピック部の活動に対するさまざまな妨害があって、主人公少年は苦労するが、戦前のオリンピック選手だった主人公少年の父親の協力などで、学園内の障害を乗り切る。対校試合をやる相手中学校も暴力学園でスポーツの試合に暴力的反則行為を持ち込むとても荒っぽい学校で、主人公少年たち野球部は苦戦する。

 野球部のあとは主人公少年のオリンピック部は、ボクシング部を作り熱血部活動を行う。そのあとは剣道部を作り、いずれのエピソードにも主人公少年の行動を妨害する連中や、スポーツ関係のライバル·強敵が登場する。

 といった熱血感動のスポーツ根性と友情のストーリーですね、「ファイティング番長」=「泣き笑い番長」のお話は。

 少年雑誌界における梶原一騎氏は、1950年代後半からスポーツものの記事や絵物語の文章、少年小説などを月刊少年雑誌に書いていて、勿論それは1959年に創刊された少年週刊誌にも書いていて、1961年から少年マガジンに連載した「チャンピオン太」がプロレス漫画として実写テレビドラマにもなってヒットし、少年雑誌上で漫画原作を幾つも手がけるようになった。

 そして少年マガジンに1966年春から連載した野球漫画「巨人の星」が大ヒット、これを契機にと言っても過言でないように、少年雑誌の看板漫画はスポーツものが占めるようになった。

 中でも梶原一騎氏が原作を担当する、熱血スポーツ根性漫画が少年雑誌界で大ヒットを続け、60年代後半から70年代の少年雑誌の人気を誇る主力漫画は、熱血スポーツ根性漫画ばかりになり、梶原一騎氏原作作品はどの少年雑誌でも看板作品として雑誌の売り上げに貢献した。

 実際、66年連載開始の「巨人の星」が大ヒットしてから先は、数多ある少年雑誌は月刊誌も週刊誌も全て、と言ってもいいくらいに看板漫画は梶原一騎氏原作作品となった。梶原一騎原作漫画は1冊の雑誌の中に二つも三つも連載されるということがザラになっていた。

 この時代の漫画原作の帝王だった梶原一騎さんは、メチャクチャ相当な忙しさだったろうと思う。60年代末の全ての漫画雑誌の看板漫画、1冊につき2作品くらいは原作ストーリーを担当していた。60年代末近くから雨後のタケノコのようにニョキニョキと創刊が始まった青年コミック誌の連載漫画の原作も書いていたし。60年代後半から70年代の梶原一騎氏の熱量と馬力とスタミナは凄いものですね。

 僕は小六の後半くらいから中学生時代、梶原一騎原作の漫画に熱中してましたね。熱中よりも熱狂と言った方がいいかも知れない。梶原一騎氏の原作漫画はほとんどが熱血スポーツ根性漫画ですが、野球ものもサッカーものもプロレスものもキックボクシングものも空手ものも柔道ものも大好きでした。

 「夕やけ番長」のような学園ものも熱狂的に大好きだったですね。「愛と誠」や「朝日の恋人~太陽の恋人」みたいなテーマに恋愛を持って来た熱血漫画もあったけど、僕は「愛と誠」や「朝日の恋人~」はあんまり響かなかったな。熱中して読むということもなかった。やっぱり梶原一騎作品の真骨頂は格闘技劇画かな。

 梶原一騎氏原作の漫画作品の作画担当の漫画家さんは当時の売れっ子漫画家が多く、代表的な漫画家で「巨人の星」「男の条件」の川崎のぼる、「あしたのジョー」のちばてつや、「タイガーマスク」「ジャイアント台風」の辻なおき、「キックの鬼」「カラテ地獄変」の中城けんたろう、「虹をよぶ拳」「空手バカ一代」のつのだじろう、「夕やけ番長」「剣は道なり」の荘司としお、などがいますね。

 他にも「柔道一直線」「挑戦者トリプルA」の永島慎二、「赤き血のイレブン」の園田光慶、「ケンカの聖書」の石井いさみ、「柔道賛歌」の貝塚ひろし、「キック魂」の南波健二、「ゴッドアーム」の桑田次郎、「朝日の恋人」~「夕陽の恋人」のかざま鋭二、「甲子園の土」の一峰大二、「格闘王V」のみね武…。

 70年代後半~80年代での劇画では、「プロレススーパースター列伝」「男の星座」の原田久仁信、「若い貴族たち」の佐藤まさあき、「俺とカネやん」の古城たけし、「昭和一代女」の上村一夫などなどいっぱい。

 古城たけし氏は60年代の「ぼくら」に連載されたプロレス漫画「吹けよカミカゼ」が面白くて好きな作品だった。

 貸本漫画専門の大阪の出版社、光伸書房=大阪日の丸文庫で専属的に貸本漫画を描いてた漫画家·水島新司氏が、メジャーの市販雑誌に連載デビューしたのは少年画報社の週刊少年キングで、1966年、サッカー漫画の「下町のサムライ」でした。コミックス単行本で全3巻だから67年くらいまで連載が続いたんだろうか。

 

 週刊少年キング67年の夏場から「ファイティング番長」の連載が始まる。僕のあやふやな記憶だと「下町のサムライ」の終了と「ファイティング番長」の間に、隻腕の貧乏少年がど根性で頑張る卓球漫画がキングに連載されてたような気がするのですが…。記憶がはっきりしません。

 水島新司先生が梶原一騎先生の原作で漫画を描いたのは「ファイティング番長」=「泣き笑い番長」一作だけですね。水島新司氏の原作付き漫画は後に「男ドアホゥ甲子園」の佐々木守氏、「エースの条件」「銭っ子」の花登こばこ氏などがありますが、70年代以降は原作付きで漫画を描くことは見られませんでしたね。特に70年代後半以降は野球漫画に特化した漫画家のように、ほとんどの作品がオリジナルの野球漫画ばかりになってしまいましたし。

 「男ドアホゥ甲子園」の週刊少年サンデー連載期間は1970~75年だし、「エースの条件」は週刊少年キング1969年の連載だけど後のコミックス単行本で4巻にまとめられているから、70年まで掛かっている可能性は大きいですね。「銭っ子」は週刊少年チャンピオンの1970~71年の連載ですね。

 1962年秋~66年春に掛けてほとんど毎日、貸本屋に通っていた僕に取って、大阪日の丸文庫発刊の水島新司先生の貸本漫画作品も忘れられない、郷愁の名作漫画でしたね。水島新司漫画は短編作品が、日の丸文庫の短編集「オッス」や「影」に掲載されてたし、水島新司先生個人単独のシリーズ単行本もありました。

 日の丸文庫の水島新司先生の単独単行本は「水島新司爆笑シリーズ」や「水島新司出世シリーズ」とか単に「水島新司シリーズ」とかがありました。「水島新司シリーズ」の方は貸本単行本で20巻以上も続いていると思う。

 貸本時代の水島新司漫画には野球ものはほとんどなくて、僕は貸本の水島新司作品で野球を扱った漫画は見たことないです。貸本時代の作風は、まんまギャグと言うよりもコメディのストーリー漫画がけっこう多かったですね。50年代末から60年代前半の関西のコメディ舞台ドラマのような内容のお笑い漫画。「番頭はんと丁稚どん」「スチャラカ社員」「てなもんや三度傘」ふうな味の内容かな。あとは東宝の「駅前シリーズ」や「社長シリーズ」みたいなコメディ映画ふうな味の内容かな。

※(日の丸文庫が1963~68年に発行していたB5判漫画雑誌『まんがサンキュー』~『まんがジャイアンツ』には水島新司氏の野球漫画『どんちゃん』と『だぶだぶワンちゃん』が連載されてました。)

 日の丸文庫の短編集「影」には犯罪-刑事ものの短編も描いてたと思う。短編集「オッス」には少年の友情や家族愛ものの短編かな。貸本時代の水島新司漫画には人情ものも多かったですね。時代が時代だけに貧しくて辛く悲しい生活の中にも貧乏に負けない根性で苦しい生活と闘い、それを助ける周囲の人たちの人情を描いた感動漫画とかが多かった気がしますね。

 貸本時代の水島新司漫画は面白くて良い思い出だなぁ。って漫画の感じだけで内容はほとんど忘れてますけど。何しろ55~60年も前の思い出だし。漠然とした作品の雰囲気は覚えてますね。

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 「ファイティング番長」が連載されてた頃の週刊少年キングの連載ラインナップ。この時代の少年キングを読めなかったけど、凄い面白そうな連載ラインナップだな。まぁ、ときどきこの頃のキングも読めることもあったから、知ってる漫画はけっこうあるけど。後にコミックス単行本で読んだ漫画もあるし。

 永島慎二氏作画の「柔道一直線」、藤子不二雄A氏「怪物くん」、望月三起也氏「秘密探偵JA」、一峰大二氏「黄金バット」、園田光慶氏「怪獣王子」、貝塚ひろし氏「ゼロ戦行進曲」、荘司としお氏「魔球の王者」、小沢さとる氏「丹下左膳」…。

 少年キングも昭和の面白漫画の名作·人気作揃いでこの時代の少年マガジン·少年サンデーに連載ラインナップでは全くひけを取ってはいませんね。この当時の僕はキングが読みたくて読みたくてたまらなかったな。

 辻なおき氏作画の「ジャイアント台風」の連載が始まるのが1968年キング28号からだから、「ファイティング番長」の連載期間とは重なってますね。原作者クレジットは「ジャイアント台風」が高森朝雄、「ファイティング番長」が梶原一騎だけど同一作家ですね。梶原一騎さんは作品によっては高森朝雄のペンネームを使ってた。梶原一騎さんの本名は高森朝樹だからペンネーム高森朝雄の方が本名に近い。この当時の少年キングでは一時は梶原一騎氏は「柔道一直線」「ファイティング番長」「ジャイアント台風」の3つの連載の原作を書いてたのか。

 1963年創刊の週刊少年キングも面白い少年漫画雑誌で、59年創刊の週刊少年マガジン·週刊少年サンデーに負けず子供に人気があり、売れ行きも好調で発行部数では3番目だったでしょうが、そこまで大きな差を開けられていた訳ではないと思います。

 少年キングの面白さと売れ行きが失速して行ったのは、1970年代に入ってから、71年72年頃からかなぁ。

 月二回刊の少年ジャンプが週刊誌になったのが1969年、月二回刊の少年チャンピオンが週刊誌化したのが1970年。週刊少年ジャンプも「男一匹ガキ大将」「父の魂」「トイレット博士」などの連載漫画の人気から売り上げを伸ばして行ったし、週刊少年チャンピオンも73年頃から売り上げを伸ばして行った。特に70年代半ばからのチャンピオンは「ドガベン」「ブラックジャック」「ガキでか」などの連載漫画の人気が高く、爆発的な売れ行きを続けて行った。

 1970年代に入ってからは、少年週刊誌の市場はマガジン·サンデー·キング·ジャンプ·チャンピオンの5誌の販売競争となった。5誌もの熾烈な売り上げ競争だとやはり1誌くらいは取り残されるものが出て来る。70年代半ばから80年代アタマくらいにはチャンピオンが群を抜いてメチャクチャ売れていた。そしてジャンプ·マガジン·サンデーも続いてかなり売れて行ってたけど、キングだけ置いてかれた。

 ついに週刊少年キングは1982年に休刊(事実上の廃刊)になってしまう。僕は70年代以降の週刊少年キングは全くと言っていいほど読んでないんですね。だから70年代のキングを支えていたヒット連載漫画「銀河鉄道999」や「超人ロック」も後にコミックス単行本で1、2冊程度読んだくらいしか知らない。60年代末から連載が続いた人気アクション劇画「ワイルド7」も連載では最初の方しか読んだことなく、「ワイルド7」は大半読んでるけど全部コミックス単行本で。僕はほとんど読んでないから70年代から82年までの少年キングの漫画を知らないから語れない。長期連載が続いた荘司としおさんの「サイクル野郎」も知ってたけど読んだことなかったし。

 70年代の週刊少年キングには、小池一雄原作で松森正作画の「木曜日のリカ」が連載されてて、僕はこのアクション劇画が大好きだった。僕は当時から松森正氏の描く美少女の絵柄に魅了されてた。後々ずっと松森正氏の劇画の絵が大好きでしたね。

 「木曜日のリカ」のキング連載期間は1971年1月から72年4月の間となっている。僕は中学卒業と高校入学の間に家を引っ越ししていて、それが71年の3月で、僕の記憶だと「木曜日のリカ」の連載のだいぶ進んだ、もう終わりに近いエピソードを一週分だけキング誌上で読んだが、前に住んでた(中学生時代まで住んでた)家でのことだったと思っていたが、「木曜日のリカ」の連載開始が71年に入ってからということになると、僕のこの記憶は間違っていたということになる。

 僕が一週だけ読んだ週刊少年キング連載中の「木曜日のリカ」のお話はもう連載が終わる4ヶ月くらい前の一回で、エピソードのタイトルは「白夜のフーガ編」だと思うんだけど(間違ってた。『聖夜の訪問者編』の終盤だった。)。僕の記憶が間違ってたということなのかな。

 まぁ、僕の昔々の思い出の記憶が間違ってるかどうかという非常に個人的な、他の人たちには全くどうでもいい話なんですけど。

 絵柄が大好きで小池一雄氏のストーリーも非常に面白かったアクション劇画「木曜日のリカ」はキング誌上で読むことはほとんどできなかったけど、後々コミックス単行本で全編読んでます。違うレーベルのコミックスで二、三回は読んでるな。

 週刊少年キングは漫画狂だった少年時代に、マガジン·サンデーみたいに毎週毎号といつもいつも読めずに、キングはあんまり読むことができなかったから、少年の日の渇望みたいな意味で、逆に印象深く思い出に刻み込まれていて、少年雑誌·キングに深い郷愁を覚えるんだよね。あの時代の面白かった数多の連載漫画陣に。

 

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