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「日の丸くん」「ごろっぺ」

  僕の子供時代、集英社からは「少年ブック」という月刊児童雑誌が刊行されてて、この時代の月刊児童漫画雑誌の特徴で、ペーパークラフトのような紙製組立付録などと、三冊から五冊の本誌より小型のB6判別冊付録が着いてました。

 「少年ブック」の前身は、戦後1949年に集英社から創刊された月刊児童雑誌「おもしろブック」で、この時代の児童雑誌は漫画作品よりも少年向け小説や絵物語、子供向けの記事や読み物が主体でした。そこから年を追うごとに漫画作品の占める割合が増えて行く。もう55年頃には児童漫画誌と呼んだ方がいいくらいに、漫画作品主体の雑誌になってましたね。

 「おもしろブック」は59年1月に雑誌名を新たに「少年ブック」と変更して、更に60年代刊行を続けて行きます。戦後「おもしろブック」創刊の後、集英社は53年に子供の低年齢層向けに、「おもしろブック」の弟雑誌の位置着けで月刊誌「幼年ブック」を創刊する。この「幼年ブック」は58年に誌名を「日の丸」に改題しました。

 集英社の児童月刊誌「日の丸」は、同じ集英社刊行の月刊誌「少年ブック」の弟雑誌的な位置着けでしたが、雑誌の内容はそんなに変わりはなかったかな。幼児期の僕が漫画本を読み始めて直ぐ、雑誌「日の丸」は休刊(事実上の廃刊)をしてなくなりました。兄貴分の「少年ブック」の方は、69年の休刊まで60年代刊行されましたけど。

   

 僕が漫画を読み始めたのは62年の暮れ頃か63年初頭で、多分62年終わり頃には漫画を読めていたと思うんだけど、僕の六歳時の記憶ではっきりしない。63年に入ってだったのかも知れない。まぁ、そんなに差違はないけど、幼稚園とか保育園に通ったことがなく、学校大嫌いだった僕がひらがなが読めるようになったのが、おそらく小学校一年生二学期の終わり頃だったんだろうと思う。

 僕は、月刊児童雑誌「日の丸」の62年8月号を、近くの商店街の本屋から自分で買って来たけれど、小一の僕はひらがなが読めなくて、「日の丸」の収録漫画の絵だけ眺めてて、本は7、8歳年上の兄が読んでいた、という記憶ははっきりしている。この「日の丸」の収録漫画に、当時のモノクロテレビで大人気だったアメリカ輸入の西部劇ドラマ、「ララミー牧場」の漫画版が載っていたのもはっきり覚えている。作画は松本あきら氏、後の日本漫画界の巨匠の一人、松本零士氏だ。

 集英社の児童月刊誌「日の丸」は、63年の3月号で終わってしまった。62年の暮れ頃から漫画を読み始めた僕は、「日の丸」の62年12月号を読んだ記憶がある。しばらく僕は「日の丸」の最終巻は、この62年12月号だと思い込んでいた。後々、「日の丸」は63年3月号まであったんだと知った、というか思い改めた訳だけど。

 当時の月刊児童誌は表記月号の1ヶ月前に本屋さん店頭発売だから、僕が「日の丸」62年12月号を読んでいるということは、僕は小一の年の11月初旬にはひらがなが読めるようになっていて、11月には漫画を読んでいたということか。まぁ、僕が漫画本を読み始めたのが、62年の11月からでも12月からでも63年の1月からでも、どっちでもイイ話ですけど。

 僕の記憶にある「日の丸」62年12月号は、当時毎日通っていた近所の貸本屋から借りて来て読んだものだけど、とすると、僕は62年の晩秋頃から毎日、貸本屋通いを行って、必ずなにがしか漫画本を借りて来てるから、多分「日の丸」も63年1月号から最終号の3月号まで借りて来て読んでる筈ですね。でも僕の記憶には「日の丸」62年12月号しかない。まぁ、早生まれの僕の小学一年生当時の記憶ですからね。

 63年3月号で休刊になった月刊誌「日の丸」ですが、漫画雑誌「日の丸」というと誌を代表される有名どころは、横山光輝·作画の「少年ロケット部隊」や手塚治虫·作画の「ナンバー7-セブン-」ですね。他には当時の大人気テレビ西部劇のコミカライズ、松本あきら·作画の「ララミー牧場」とかですね。

 益子かつみ·作画の「サイコロころ助」や石森章太郎·作画の「テレビ小僧」は、僕は「少年ブック」で読んだ記憶しかないけど、この二作品も、もともとは「日の丸」の連載漫画なんですね。「日の丸」休刊からスライドして「少年ブック」に移って連載が続いた漫画です。

 僕が雑誌「日の丸」を初めて読んだときに、といっても直ぐに「日の丸」は休刊(事実上の廃刊)になる訳ですが、「日の丸」に掲載されてた漫画作品で後々まで記憶に焼き付いてた漫画があります。大友朗·作画の「日の丸くん」と山根一二三·作画の「ごろっぺ」です。まぁ勿論、「少年ロケット部隊」も「ナンバー7」も「ララミー牧場」も記憶してたんですけど。

   

 「日の丸くん」も「ごろっぺ」もギャグ漫画ジャンルの作品です。この時代にはまだ“ギャグ漫画”という呼び方はなく、こういう作風の漫画ジャンルは総じて、“ゆかい漫画”と呼ばれていました。“ギャグ漫画”という呼び方が使われるのは、64年か65年頃からです。64年はまだ“ゆかい漫画”かなぁ。

 大友朗氏の「日の丸くん」は、もう“ゆかい漫画”というよりは“ギャグ漫画”と呼ぶ方が相応しいような、キテレツな“ゆかい漫画”です。もうSF ジャンルといっても良い、何でもありみたいな痛快ギャグ漫画ですね。ロボットも出て来るし、UFO みたいな空飛ぶ乗り物で自由自在に飛行するし、変ちくりんな形態のロケットや円盤で空中バトルする、SF ギャグ漫画ですね。

 山根一二三氏の「ごろっぺ」は「日の丸くん」とは対照的な地味な“ゆかい漫画”です。「ごろっぺ」は時代劇のゆかい漫画で、のんびり·のほほんとした素朴な作風ですね。

      

 大変なことが解りました。「日の丸」「ごろっぺ」を調べていて、僕の重大な間違いに気付きました。「ごろっぺ」は1956年頃にはもう、既に雑誌連載されていた古い漫画ですが、「ごろっぺ」の連載されていた雑誌は「日の丸」ではありません。「ごろっぺ」が長年連載されていた雑誌は「おもしろブック」です。

 「日の丸」も「おもしろブック」も同じ集英社の刊行してた児童雑誌ですけど、僕が「日の丸」誌上で「ごろっぺ」を読んだというのは記憶違いです。「日の丸」にも山根一二三氏作画の漫画は載っていましたが、こっちのタイトルは「ごんちゃん」で、僕は「ごんちゃん」を読んだ記憶はありません。

 僕が「ごろっぺ」を読んだ記憶は、実は「少年ブック」誌上だったみたいですね。「おもしろブック」は59年1月に誌名を「少年ブック」に改題します。僕はそのまま「少年ブック」誌上で引き続き連載されてた「ごろっぺ」を、62年暮れ頃か63年の「少年ブック」誌上で読んで記憶してたのでしょうね。申し訳ないのですが「ごろっぺ」が何年頃まで雑誌連載されていたのか、僕にはよく解りません。63年内には連載終了したんじゃないかと思うけど、よく解りません。ほのぼの時代劇ゆかい漫画「ごろっぺ」は、56年には雑誌連載されてて63年まで連載が続いたとしても、八年間くらいは継続して雑誌連載されてた訳ですから、僕は地味な漫画と評したけど随分長く連載が続いたんですね。「おもしろブック」連載中は、けっこう人気のある漫画だったのかも。

 「ごろっぺ」は、僕が読んだ当時はまぁ、ダジャレで笑いを取ることの多い、呑気でほのぼのした感じの、時代劇舞台のゆったり·ゆかい漫画でしたね。時代劇といっても武士や武家とかサムライ剣士ものじゃなくて、農民とか町民主体のギャグ漫画かな。「おもしろブック」連載当初は別冊付録版の表紙絵とか見てると、割りとストーリー漫画性も強かったのかも、ですけど。

 まぁ、戦後児童漫画は62年くらいまでは、ストーリー漫画とギャグ漫画の境界線ってあいまいでしたからね。ストーリー漫画でもかなりデフォルメされた丸っこい絵柄で、随所にギャグ要素を入れてたし。手塚治虫のSF 漫画でも昔の作品は、けっこうギャグ要素を入れてますよね。

 大友朗氏作画の「日の丸くん」はキテレツなギャグ調SF 漫画です。主人公の日の丸くんが発明少年で、友達みたいな少年ロボット·かんづめ太郎とかも日の丸くんの発明品だし、ゴムナガ号っていう長靴のでっかい乗り物に乗って、空を飛んで何処でも行っちゃう。勿論このゴムナガ号も日の丸くんの発明品。妙ちくりんな変な物をいっぱい作って、敵の宇宙人とか悪い奴らをやっつけちゃう、ギャグ調・痛快SF 漫画。かんづめ太郎の両腕がビョーンと伸びてでっかくなるし、敵の飛行兵器も変ちくりんな格好してるし、とにかく何でもアリ感な驚きキテレツ漫画ですね。

 「日の丸くん」も随分古い漫画ですねぇ。申し訳ない、「ごろっぺ」の雑誌連載期間が僕にははっきり解らないのですが、「日の丸くん」の雑誌連載期間はネットを回って調べて解りました。「日の丸くん」は集英社の月刊誌「日の丸」の58年4月号から始まり、雑誌「日の丸」休刊後に同じ集英社の月刊誌「少年ブック」に連載がスライドし、「少年ブック」63年12月号で終了したようですね。足掛け五年の長期連載ですね。大友朗氏作画のキテレツ·ギャグのSF ·ゆかい漫画、「日の丸くん」も連載当初は雑誌「日の丸」の人気漫画だったみたいですね。あの時代の漫画にしては、自由自在の発想力で読者の子供たちを驚かせ、痛快な気分にして楽しませた、人気漫画だったんだと思います。

  「日の丸くん」のコミックス·単行本は、1981年にサン出版から全4巻で発刊されたみたいですね。この分は今は電子書籍で読めるみたいです。「ごろっぺ」は昔、貸本のB 6判ハードカバー単行本が、貸本出版社のきんらん社から出たみたいですが、コミックス単行本の方は、89年にペップ出版から全10巻で刊行された「ペップおもしろまんがランド」の第4巻に収録されているみたいです。「ペップおもしろまんがランド」は50年代後半から60年代前半に人気のあったギャグ漫画を、一冊一冊全10巻に収録したシリーズです。ここには赤塚不二夫作品や本来ストーリー漫画主体の漫画家が描いたギャグ漫画は入っていません。「日の丸くん」も多分、50年代前半から60年代初め頃に、貸本の単行本で発刊されてたでしょうね。

ごろっぺ (ペップおもしろまんがランド 4) 単行本 – 山根 一二三  (著) 

日の丸くん 1~最新巻 [マーケットプレイス コミックセット] コミックス 大友 朗  (著)  

  山根一二三さんの「ごろっぺ」が集英社の「おもしろブック」で連載が始まったのは1954年ですね。  はっきりした年は僕には解りませんでしたが、その少し前に同じ「おもしろブック」誌上で「まんが·そんごくう」という作品でデビューしてますね。福井英一さんが「イガグリくん」で大人気だった時代、当時の児童漫画の描き手たちのやり取りの中に、山根一二三さんの名前も出て来るし、昭和30年代前半の雑誌の別冊付録や、当時のB 6 ハードカバー貸本にも、作品数がいっぱいあるので、ストーリー漫画·ギャグ漫画両方で、1950年代後半の時代にはけっこう売れっ子の人気漫画家だったようですね。ネットの何処の記事でも、ギャグ漫画のその作風は“ダジャレ”が多かったとありますね。

 1961、2年頃の雑誌「日の丸」の表紙をあれこれ見ていたら、当時の月刊誌の表紙には付録名が表示されてたんですけど、その中に「綴じ込み付録-ごろっぺ」とあったから、ひょっとすると僕の「日の丸」の中で「ごろっぺ」を読んだという記憶は間違っていないのかも。ひょっとしたら「おもしろブック」が「少年ブック」に改名した際に、「ごろっぺ」は同じ集英社の漫画誌「日の丸」に移籍してたのかも。まぁ、はっきりしたことは解りませんが。

  「日の丸くん」の大友朗さんは1927年生まれなんですね。1927年は昭和2年です。僕の母親と同い年になります。大友朗さんのデビューがいつで何という作品だったのか調べたけど僕には解りませんでした。大友朗さんも代表作の「日の丸くん」が昭和30年代前半に大人気漫画だったように、他にもいろんな作品で人気を得て、1950年代後半に児童漫画界で活躍されたようですね。ただ僕が児童漫画に熱中し始めた1963年以降は、大友朗先生も山根一二三先生も作品を見なくなりましたね。僕は64、5年以降は、両先生の作品は見たことがありません。66年には「巨人の星」が登場し、劇画の時代へと入って行き、60年代後半に入ると児童漫画の作風もガラリと変わってしまいますからね。


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コメント
 
 
 
Unknown (無名)
2024-02-01 00:49:47
 日の丸、幼年ブックの流れが復活したのが最強ジャンプなのかな。幻の児童誌としてのブイジャンプの発刊、最強ジャンプと出版社的に幼年ブック→日の丸→断絶→(ブイジャンプ、Vジャンプもあるが)最強ジャンプになるのか。
 現在の最ジャンのご先祖誌。
 
 
 
Unknown (ken-mortima)
2024-02-05 09:19:20
無名さま、コメントありがとうございます。
最強ジャンプは読んだことありませんが、集英社の主に小学生男児向けの比較的低年齢層読者対象の月刊誌ですね。やっぱり雑誌は10年前に比べると発行部数がかなり落ちてるみたいですね。
 
 
 
Unknown (ken-mortima)
2024-03-13 10:57:43
ココの本記事には集英社の月刊児童雑誌「日の丸」は1963年3月号までで刊行終了したと書き込んでありますが、事実は1963年2月号が「日の丸」の最終刊のようですね。1963年2月号で休刊(事実上の廃刊)のようですね。このとき何本かの連載漫画が同じ集英社の月刊誌「少年ブック」に連載が引き継がれました。
 
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