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「鉄腕アトム」-赤いネコの巻-

 「鉄腕アトム」のレギュラー登場人物、ヒゲオヤジが2000年の東京の街を歩いている。ヒゲオヤジは国木田独歩の有名な著作の「武蔵野」を暗誦しながらビルの谷間を歩いている。

 ちなみに国木田独歩が「武蔵野」を著したのは1898年、このお話、「赤いネコの巻」を手塚治虫が描いたのは1953年。このお話で、手塚治虫が描く、ビルが林立しなおもそこかしこでビル建設の工事が行われてる2000年の東京を、漫画の原稿用紙に描いているのは1953年なんですね。

 国木田独歩が「武蔵野」の著作の中で、文章で表現する、山々と谷と林と草原の武蔵野の風景と、そんなものがほとんど失われたコンクリートとアスファルトと高層ビルだらけの東京の街を、ヒゲオヤジに「武蔵野」を暗誦させて皮肉を籠めてユーモラスに描いている。

 ヒゲオヤジが子供の頃はまだ東京にもあちこち雑木林があったものだが、今の東京には山の手の方にわずかに残っているだけで、そこもやがてビル街に開拓しようとしている、とヒゲオヤジは嘆く。

 ヒゲオヤジは山の手のわずかに残る雑木林を歩くのが好きで、そこに向かって散策している。

 アトムのクラスメートのタマオ君が友達と路地でメンコをしている。描写はまだ舗装されてない土面の路地ですね。向かいの家は木造家。メンコは僕の生まれた地域ではパッチンと呼ばれてました。

 遊び続けるタマオたちに朝から何人もの子供がある住所を訊いて行く。ヒゲオヤジにもその住所の行き先を答えるタマオたち。ヒゲオヤジはアトムやタマオやシブガキのクラスの担任の先生だよな。

 ヒゲオヤジはタマオたちとその住所に行って見る。そこはたくさんの木々の繁る森の中で、古びた洋館がポツンと立っていた。タマオがヒゲオヤジに、この家はお化け屋敷と呼ばれる廃屋なんだと言う。

 暗い洋館の中には、朝からタマオたちに住所の行き先を訊いた何人もの子供たちがいた。古びた洋館は空き家のようだ。ヒゲオヤジが訊ねると、彼ら五人は都外の地方県から来ていて、各人ハガキでこの住所に呼ばれたのだという。

 五人の少年たちは、今度、山林を切り崩して都市開発する地域、笹谷に会社を作るビジネスオーナーの子息たちだった。彼らはみんな、地方の山林で不思議な“赤いネコ”を見掛けていて、ハガキの差出人も“赤いネコ”になっているのだという。

 ヒゲオヤジが空き家の部屋の中の様子を覗いている者の気配に気付くが、誰もいなくて、この場面はここで終わり、場面はパンして、その後、ヒゲオヤジがアトムと共に、カギとなる謎の“赤いネコ”捜索に山に登るシーンとなる。

 山の斜面の丘に立つ“赤いネコ”を発見する、アトムとヒゲオヤジ。崖をよじ登るヒゲオヤジは赤いネコに襲われて崖を転落する。アトムに救われるヒゲオヤジ。アトムの反撃に逃げる赤いネコを追って行くと、丘の斜面に洞窟がある。

 アトムとヒゲオヤジが洞窟に入ると、人間の白骨があった。岩の上から隠れて赤いネコが怒って見ている。白骨のちぎれた衣服に縫い付けた名前は「Y良太郎」。洞窟には菓子箱があった。

 シーンがパンして科学庁のお茶の水博士の研究所。「Y良太郎」氏はお茶の水博士の友達で高名な動物学者だった。お茶の水博士によるとY教授は「自然界を愛し、武蔵野がどんどん切り開かれて都会になって行くのをとても嘆いていた」という。

 菓子箱の中の写真には、お茶の水博士とY教授のスナップがあり、そこに赤いネコが一緒に写っている。赤いネコは“チリ”といってY教授の可愛がっていた飼い猫だった。

 自宅で眠るヒゲオヤジの元に赤いネコが現れ、ヒゲオヤジに人間の言葉で話し掛け、「洋館の立つ一帯の森林を切り崩してビル群を建てるのをやめるように」お願いする。「主人のY教授は美しい野山がビル街にされてしまうのを悔しがりながら死んでいった」から、主人のためにも「森林の都市開発をやめさせて欲しい」と続け「でないと猫の私はヒゲオヤジさん、あなたを呪い殺す」と脅迫する。

 不気味に思ったヒゲオヤジはピストルを取り出して猫を撃ちまくるが、猫は逃げてしまう。怖がるヒゲオヤジ。

 ヒゲオヤジは日比谷の建設省のビルに入り、土木課の役人に会う。土木課の担当者はY教授が亡くなったことを知らず、ヒゲオヤジにY教授が生前何度も建設省に訪れて「一帯の森林を壊してビル街にすることをやめてくれ」と懇願していたことを話す。

 一旦は教授の願いに役人は工事をしないと約束したが結局、開発工事を進めて森林を切り崩して行った。

 約束を破られた教授は怒って「この怨みは忘れないぞ、大自然が許さないぞ、呪われるがいい」と捨て台詞を吐いて去って行ったらしい。

 担当課の責任者は「Y教授が亡くなったのは気の毒だが都市開発は決定したことで仕方がない」と冷たく言い放つ。ヒゲオヤジは「Y教授の愛猫が主人を哀れに思って化け猫となって敵討ちに出るのでしょうな」と捨て台詞を吐いてビルを出る。

 とうとう廃屋の洋館のある森林、笹谷の開発工事が始まった。学校では生徒たちに森や草原には行くなと達示が出る。アトムのクラスメート、シブガキが自分らの遊び場であり自分の縄張りだからと工事に腹を立てる。

 シブガキが自分の宝物を埋めてあると笹谷に行くと野犬の群れが襲い掛かって来る。アトムに助けられるシブガキ。二人の前に今度はただの猫ではなく、赤いネコの顔をした人間が現れる。野犬の群れは猫人間が操っていた。

 赤いネコの猫人間は「この土地へ来るな」と警告する。

 アトムとシブガキが猫男を追って捜すが見つからず、地下へと落下する。笹谷の草原の地下には赤いネコの秘密の隠れ家があった。地下屋敷にはさまざまな動物がいっぱい飼ってある。

 一度は捕らえられたアトムとシブガキだが、アトムの力で逃げ出す。何と赤いネコの猫男はY教授だった。Y教授は生きていた。Y教授の元にはさまざまな動物たちと一緒に愛猫=チリもいる。

 Y教授逮捕に乗り出す警察に待ったを掛けて、親友だったお茶の水博士が説得に行くが、Y教授は力ずくで笹谷の都市開発をやめさせると宣言する。話し合いは決裂し、Y教授は期限を決めてこの日までに工事を止めないと恐ろしいことを起こすと犯罪予告する。

 高名な動物学者であるY教授はさまざまな動物たちを操ることができた。

 建設省は山林の切り崩し工事を続けてやめない。Y教授の予告の日が来て、犬·猫·馬·牛·豚はおろか猛獣から鳥にいたるまであらゆる動物たちが反乱を起こす。工事現場だけでなく都市のビル街にまでもの凄い数の動物たちが押し寄せて人間を襲う。

 動物の大群に襲われ、街は孤立し、ビル街に住む人たちは動けず兵糧攻めにされる。アトムが小さな子供たちだけでも逃がそうと空を運ぶが、鳥の群れに襲われて子供たちは落下し、生きてはいるが誘拐されてしまう。

 アトムも動物たちを止めようと追い払うよう尽力するが、鳥たちの撹乱によりビルに頭から突っ込み壊れてしまう。

 動物の大群は統制の取れた動きをしていて、決して動物どおしは争わず、人間のみを襲撃する。

 お茶の水博士によって修理されたアトムは超高熱を発する、電気を帯びた身体になり、動物たちが近付けない。アトムはY教授を捜す。

 高層ビルの一室に隠れていたY教授は、超短波催眠装置という大掛かりな機械で動物たちを自由に操っていた。Y教授を見つけたアトム。飛び掛かるチリもアトムの高熱にやられてしまう。

 誘拐した子供をY教授は殺そうと企むが、高熱を発するアトムには強い電気も流れていて感電したY教授は自爆してしまう。

 超短波催眠装置が壊れ、動物たちを操り誘導できなくなると、動物どおしが勝手に争い始めた。動物が動物を襲い合い自滅して行く。動物たちの暴動が納まったところで動物たちは人間に捕獲されて行く。

 建設省の笹谷一帯の森林の都市開発は、建設省土木課の担当者が自分の利益誘導のために働いていた悪事だとバレて、笹谷森林開発が取り止めになり豊かな森林は残る。

 猫のチリはアトムの高熱と共に発していた高電圧で感電死したが、Y教授はまだ命があって病院に担ぎ込まれていた。虫の息のベッドでお茶の水博士に笹谷の森林が守られて残る朗報を聞きながら「チリの元へ行ける」とY教授は亡くなった…。・・・・

 というのが手塚治虫先生の代表作の一つ「鉄腕アトム」の、光文社の雑誌「少年」に15年間に渡って長期に連載の続いた作品の中の、早期のエピソードの1作「赤いネコ」の巻のストーリーです。

 鉄腕アトムの「赤いネコ」のお話は、初出、雑誌「少年」1953年5月号から11月号まで連載。

 雑誌「少年」1952年4月号から始まった「鉄腕アトム」の第4話になります。その前の第3話が「フランケンシュタイン」の巻。アトムのエピソードの中で一番人気の高かった「地上最大のロボット」の巻は第54話目で、1964年の作品です。

 「鉄腕アトム」は、雑誌「少年」の1951年4月号から52年3月号まで連載された「アトム大使」という手塚治虫先生の漫画の中に出て来る、ロボットのアトムをピックアップして、また別個のストーリー·世界観で新たに描き始めたSF作品ですね。

 「赤いネコ」は、僕が生まれたのは1956年だから僕の生まれる3年前の作品ですね。僕が雑誌「少年」を読み始めたのは1963年初頭頃だと思うから、連載「鉄腕アトム」をリアルタイムで読み始めた10年前に描かれた作品。

 どうしてか解らないんだけど、僕の中学生頃から30代くらいまでかなぁ、もっと中年になってもかなぁ、子供の頃読んだ訳でもないのに、僕が漫画を読み始めた1962年の暮れ頃よりも以前、1962年からさかのぼる昔の児童漫画に、読んだことないのに何か“郷愁”を覚えて、ああ読みたい読みたいと思った。

 若い頃は、ムック本というのか、昔の漫画の紹介グラフィック本をよく買って来てた。昔の漫画の簡単な紹介をいっぱい収めたグラフ誌ですね。ああいう本を見て昔の漫画を知るのが楽しくて楽しくて。1970年代80年代にはそういう懐かしの漫画紹介本みたいのがけっこういっぱい出たんだよね。本屋で見つけるたび買って持ってた。B5グラフィック誌ばかりでなく、B6単行本や文庫版でも昔の懐かしの漫画1作品8~16ページくらいを何作も収録した本とか。爺さんになって引っ越したとき全部捨てちゃったけど。

 「鉄腕アトム」は僕は二十歳頃には朝日ソノラマから出てた新書判·サンコミックスの「鉄腕アトム」全21巻+別巻1冊を購入して持ってた。後々、光文社文庫版全15巻と講談社文庫版全13巻の内、何冊かは購入して持ってた。さらに後、電子書籍版から何冊か買って読み返してる。

 昔々の古い古い漫画作品ばかり取り上げてあれこれ書いてますが、古い漫画は昔々の僕の少年時代やそれからの青年時代を思い返して自分が書いてて楽しいので古漫画ばかり題材にしてます。今の新しい漫画もよく読んではいるんですけどね。別に僕が今の漫画の読後感想書き込んでも自分が楽しい訳でもないし。老齢になってそこまで感動-感激する漫画も特にない感じだし。僕の青年時代も、もう今から40年50年も前の記憶になりますが。

 小学館が新書判サイズのコミックス単行本、ゴールデンコミックスの刊行に乗り出したのは1966年5月。

 小学館ゴールデンコミックスの「手塚治虫全集」の中の「鉄腕アトム」全20巻の初刊行は1968年10月から1970年3月まででした。

 「赤いネコ」の回が収録されてるのが、ゴールデンコミックス「鉄腕アトム」全20巻の内、何巻だったのかよく解らないのですが、多分、早い巻でしょう。1巻とか2巻くらいではないでしょうか。まぁ、3巻かも知れないけど。

 ちなみに秋田書店サンデーコミックスの刊行開始は1966年7月からです。集英社がコンパクトコミックスを刊行始めたのも、何月かまでは解らなかったけど1966年ですね。コンパクトコミックスはジャンプコミックスの刊行開始のときには廃刊になりました。

 1966年67年には各出版社が、最初の新書判サイズのコミックス単行本の刊行を始めています。そのとき刊行されて21世紀(2000年代)に入った時点で残っているレーベルは希少ですけど。秋田書店のサンデーコミックスだけかも知れない。

 1966年頃は、大手出版社だけでなく、1950年代60年代の貸本専門出版社までもがA5判サイズの貸本単行本をやめて、新書判コミックスの刊行に乗り出しています。このコミックスシリーズも遅くとも80年代くらいまでには廃刊しています。

 大手出版社は60年代末や70年代初めに、自社定期刊行の漫画雑誌に沿った新書判コミックスを刊行開始してますね。小学館の少年サンデー·コミックス、集英社のジャンプ·コミックス、秋田書店の少年チャンピオン·コミックスなどなど。秋田書店はサンデーコミックスもそのままずーっと現在までレーベルを維持して発刊を続けてますけど。

 当時、毎週読んでいた週刊少年サンデーの広告ページに、ゴールデンコミックスの既刊本の紹介が載っていて、そこにゴールデンコミックス版「手塚治虫全集」があって、その中の「鉄腕アトム」も載っていた。中学生の僕はもうこのコミックス本が欲しくて欲しくてたまらなくて、かといって近所の本屋には置いてない。遠くにある貸本屋にもない。

 小学館から直接買えないか、と考えたが、中学生の僕は書留とか為替とか解らなくて、母親や兄に訊いたのか、多分訊いても知らないだろうと訊ねなかったのか、僕は1人で悩み、確か何かの雑誌に郵便切手をその本の値段分送ったら買える、と書いてたような…、と自信なかったけど、コミックスの出版社まで送って見ることにした。

 小学館も、サンデーコミックスの「鉄人28号」を買った秋田書店も、普通の白色封筒に当時はまだ存在した百円札を2枚入れてOKだったし、コミックス1冊の値段分切手を入れてもOKだった。(無論、新書判コミックス1冊の送料分の切手も同封してた。当時は1冊分送料60円だったように記憶する。)

 小学館も秋田書店もコミックスの「鉄腕アトム」「鉄人28号」を送ってくれた。コミックス単行本を手にした当時中学生の僕は本当に嬉しかったと思う。

 一度、普通の白色封筒に百円札と小銭の現金を入れて出版社へ送った。これは郵便局から送り返されて来た。法律違反とのことだった。郵便局の係員が出版社の担当者に封筒を開けて中身を見せるよう要請したが、出版社の人が拒否したため送り返した、というメモ書きが封筒に貼り付けてあった。

 それからは僕は現金書留を使ったと思う。高くついたけどしょうがなく。

 中学生のときに直接出版社から郵送して貰って手に入れたコミックス単行本は、ゴールデンコミックスの「鉄腕アトム」3冊くらいと「カムイ外伝」2冊、サンデーコミックスの「鉄人28号」2冊、「虹をよぶ拳」2冊、「のら犬の丘」1冊くらいかな。

 こういう本は近所の本屋になかったんだよね。

 後に、中三になって、歩いて行ったら30分以上掛かる、ちょっと遠くの貸本屋が新書判コミックスを扱っていると知って、そこに自転車で漫画本を借りに行くようになった。

 それからは多分、新書判コミックス単行本は買ってないと思う。高校生になると大貧乏生活に入るから漫画本購入する余裕なんてなかったし、高二からは昼飯抜いて作った小遣いでは小説の文庫本買ってたからなぁ。今から考えると高校生時代はもっと図書館利用すればよかったなぁ。学校の図書館でなくとも市の図書館でも。市の図書館なら大衆小説も豊富にあったろうになぁ。

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 膨大な「鉄腕アトム」作品群の中でも、僕が中学生時郵送で買ったゴールデンコミックス版「鉄腕アトム」の3冊程度の中の、アトム初期作品には何か思い入れがあって、アトム第2話「気体人間の巻」や第4話「赤いネコの巻」は特に記憶に残り続けている。

 中学生時だと、中学校の図書室で借りた、少年少女ミステリ全集みたいな本の中の1冊、エドガー·アラン·ポー短編集がとても怖いのを怖いもの見たさの面白さで読んで、中でも短編「黒猫」が印象に残っていて、手塚先生の「赤いネコ」と猫繋がりで覚え続けていたのか…。

 ポーの短編集はどれも怖くて面白くて、中学生時一回読んだだけなのに大まかなあらすじをよく覚えている。「落とし穴と振り子」や「アッシャー家の崩壊」「黒猫」「黄金虫」「モルグ街の殺人」「盗まれた手紙」などを記憶に残してるなぁ。「黄金虫」は内容をちょっと忘れたかなぁ。「アッシャー家の崩壊」は中学生時にテレビで映画版の放映を見て凄く怖かったのを覚えてるから、余計に印象深い。「落とし穴と振り子」は自分がその置かれた立場になって読んだので、そのときの恐怖感でそのまま記憶し続けてる。一種のトラウマかな。

 「鉄腕アトム」で他に記憶に残り続けているお話は、小五の春に小一から通い続けた家の近くの貸本屋が店じまいして、中学生時、大通りを挟んだ隣町の貸本屋へ行って借りた、光文社B5判カッパコミックスの「鉄腕アトム」シリーズの「ホットドッグ兵団」上下巻は何故か感動して読後何かロマンチックな気分になって、「ホットドッグ兵団」の巻を印象深く覚えている。

 少年時に読んでるのだが何のレーベルで読んだのかはっきりしないけど「スリーゼット総統」や「ブラックルックス」のお話も印象深く覚えてるなぁ。でもストーリーはあやふやにしか記憶してないけど。この2作品も光文社カッパコミックスかも知れないな。

 雑誌「少年」の増刊号に掲載された読み切り短編だけど「ロボット流しの巻」と「植物人間の巻」も印象深く覚えてる。この2作品は小学館ゴールデンコミックス版で読んだんじゃないかなぁ。この2作品も何かロマンチックな気分に浸らさせられた。

 

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Unknown (ken-mortima)
2024-01-26 13:50:00
鉄腕アトムの誕生日は公式には2003年4月7日になってるらしいけど、1953年に描かれたこのお話の中では、ヒゲオヤジが歩くビル街は2000年の東京と書かれている。2000年にアトムはヒゲオヤジが担任の小学校のクラスにいる。小学校に通うアトムって学年は小学4年か5年くらいかなぁ。人間のタマオやシブガキと同じクラス。
 
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