goo

リ・インカーネーション

 BIGLOBEウェブリブログ-BIGLOBEの提供するブログサービスのウェブリブログが2023年1月31日13:00時をもって終了するということで、僕が自分の書き込んでアップしてたブログ「断片日記。」の各記事を、削除されるというか消滅してしまう前に、僕の別のブログ「Kenの漫画読み日記。」と「うろ覚えライフ。」に「断片日記。」のアップ記事を全部移しちゃおうと、記事移行を果たした訳ですが、「断片日記。」のウェブリブログ内部の記事作成サイトには、幾つか書き掛けて途中でやめてアップほど遠いものもあって、それも、書き掛け分をそのまま移行して、その続きを移行したブログで書いて、記事を完成させて、「Kenの漫画読み日記。」や「うろ覚えライフ。」でアップしようと考えた次第です。

 
 ウェブリブログの完全終了は来年1月末ですが、ウェブリブログ事務局のサイトに「2022年1月18日以降新規記事投稿のないブログについては2022年12月1日に閲覧を終了させていただきます」とあるから、もうウェブリブログのブログでは、つまり僕の場合「断片日記。」ではとっくに新規記事はアップできなくなってたんだ。「断片日記。」では僕の投稿記事アップは2020年3月10日が最後の記事アップだもんね。だからウェブリブログの「断片日記。」は今年の12月1日にネットから消滅してしまう。
 
 しかしまぁ、「断片日記。」にはあんまり文章書き込んでないけどね。文章って記事のことだけど。僕の「文章を書く」というのは僕の大きな趣味だから。ウェブリブログの「断片日記。」開設は随分前で、はっきりは解らないんだけど、2010年~2013年頃だったのかな?よく解らない。2015年頃までにまばらに細々書き込んでた記事を、一度全部FC2ブログの僕が書いてるブログ「雑想バラエティーライフ」に、どういう訳か全部移した。多分、2015年のことなんだろうな。そこで一度ウェブリブログの「断片日記。」は空になった。
 
 空になった「断片日記。」を再開したのが2015年の10月13日で、新規一発目の「断片日記。」の記事のタイトルは「断片の再開」でした。
 
 で、次に、下の行から、その新規「断片日記。」一番最初の記事「断片の再開」をここに掲載します。
 
 「断片日記。」の再開です。もともとは、僕は2005年から他のサイトですが、ブログを書き続けていて、ブログだと、何というか、記事文をちゃんときちんと、一つのエッセイ文みたく構成しなきゃいけないじゃないですか。記事の始まりから文章の終わりまで、ちゃんとまとめて一つの構成された文章にしなくちゃならない。これが面倒で、言いたい事をくどくど説明しながら、詳しく書き込む長文の記事ではなく、その、2005年から始めてたサイトのブログで、途中で、「Short&Danpen ‐ショートアンドダンペン-」というカテゴリを作って、思い付きを短い文で簡潔に書き込む、そういう趣旨のワクを作って、幾つか短い記事を書いたんだけど、これが続かない。やはりそのサイトは、そのブログの特色は、詳しく説明を入れた長文の記事のブログで、いつの間にか「Short&Danpen」は我ながら忘れ去ってしまった。そこのブログの記事内容の傾向で、どうしても詳しく説明した文章の長文記事になってしまう、というのも大きかった。
 
 
 その内“Twitter”が始まって、最初、Twitterには抵抗があったんだけど、始めてみれば、Twitterは使い勝手が良い。僕みたいに、記事文を書き込み出すと、放っておけばどんどん長くなってしまう者に取って、「140字制限」というのは非常に良いんですね。140字で強制的に止めてくれる。やたらくどくど長くならずに済む。
 
 
 でも“Twitter”だと140字制限が掛かるから、やはりものたらない。言いたい事を140字で言い終えないときは、どんどん回を重ねて書き込み続けて行くか、最初の書き込みをメインとして、それにどんどん続けて自分でコメントして行く。自分自身で、メイン書き込みに返信を重ねて行くんですね。言いたい事が長文でしか表せない場合は、そうやって同じ件で何度も何度も投稿してた。
 
 
 でもやっぱり“Twitter”じゃなあ~、ツギハギを続けて行くよーな感じだし。と、Twitterではなく、短文書き込み要旨でブログを書こう、と思って始めたのが、ここのウェブリグログの「断片日記。」だったんですね。Twitter書き込みの不満を解消するために、簡潔に言いたい事をごく短く書き込むブログ、事柄の断片でも良いから、Twitterよりも、もう少し長い文章を書き込んで行こうと、ウェブリグログで開設して「断片日記。」始めたんですね。
 
 
 でも、一度、このウェブリグログの「断片日記。」を閉鎖して、全記事をFC2ブログへと引っ越した。ごく一部だけは、例の2005年から続けてるブログへと記事を移して。
 
 
 “Twitter”よりも長い文章で、言いたい事を短く簡潔にを要旨として、開設した「断片日記。」だったのですが、僕の文才の無さか、頭そのものが悪いからか、僕の悪癖で、最初は短く簡潔に書こう、と思って書き始めた記事文が、書いてる内にどんどん長くなって行く。やたらくどくどした言い回しと、「連想」ですね。連想から思い付いた事柄まで書いて行ってしまう。つまり頻繁に横道にそれる。書いてる物事を詳しく説明してしまう。そんなこんなで、短く簡潔に事柄を表現しようと思って書き始めた文章が、どんどん長くなってしまう。
 
 
 で、書き込んでる記事が、タイトルの「断片日記。」に相応しくなくなってしまった。やはり僕の文才の無さと頭の悪さでしょうね。情けなかあ~、情けなかあ~。
 
 
 けどまあ、やはりTwitterよりも長く、あんまり長文にならない程度で、ブログで表現したい。言いたい事の断片、断片でも良いから。というコトで再開しました。「断片日記。」です。
 
 
 上記文中で、2005年から続けている他サイトの僕のブログを、ちゃんときちんと構成して書いて行ってるような言い回しで書いてますが、あそこの記事はほとんどが長文ですが、そんな出来映えの良い記事文ではなく、あそこの長文記事も、思い出し思い付きでどんどん継ぎ足し書き込んで行ってる記事文で、そんな、ちゃんときちんと構成して書いているような長文では、そんな立派な文章記事では、とんでもないです。いやいや本当に、文章書くのがヘタクソで恐縮してます。
 
 
 FC2ブログに移した記事群、元の「断片日記。」の記事たちですが、おいおいこっちに戻して行こうかな、とも思っています。カテゴリ「思い付き断片エッセイ」とかですね。
 
 
 まあ、僕の勝手な思いばかりで、他人様からすれば「好きにやれよ」ってコトばっかりなんですけど。それにしても「断片日記。」と言いながら、また、くどくどと長くなってしまった…。
 
 
 以上の上記がリニューアル「断片日記。」の再開第1回目の記事でした。2015年10月ですね。ワシは59歳くらいかな。もう爺さん域に入ってますね。FC2ブログに移行した記事を戻そう、とか書いてるけど結局戻さないままでした。
 
 続いて、ここの記事のタイトル「リ・インカーネーション」の記事。これも「断片日記。」からの移行記事です。2018年5月に書いた記事ですね。そっくりそのままアップです。
 
 
 
 

 ユーミンの14枚目のオリジナルアルバム「REINCARNATION」の発売は1983年なんですね。僕の記憶の感覚的にはこのアルバムを聴いていたのは保谷市(現在の西東京市)在住の頃だったような気がしてたんですけど、83年ならもう熊谷·行田に住んでた頃ですね。勿論この当時、ユーミンオリジナルアルバムの「REINCARNATION」は当時のレコード屋さんに並ぶや否やの勢いで買って来て聴いてると思う。

 
 

 ネットであちこち見るに「REINCARNATION」のタイトルはカナ表記では「リ·インカーネーション」と呼んでますが、当時のアルバムLP 盤レコードの紙ジャケットに掛かった長ひょろいオビには大きくカタカナで「リ·インカーネイション」と表記してありますね。まぁ本来英字の日本語読み表記だからどっちでも良いんでしょうが。

 
 

 1975年公開のアメリカ映画に「リーインカーネーション」というタイトルのスリラー映画があって、僕は当時劇場でこの映画を見てるんですが、内容を全く覚えてない。ただ映画の舞台によく湖が出てたなー、ということだけは何か覚えてる。当時のロードショー公開で、休日の僕が街をぶらぶら一人歩いていて暇つぶしに映画館に入ったものだと思います。別に見たくて見た映画ではなかったように思う。

 
 

 後で当時の親友だったKY 君にこの映画の話をしたとき、僕が「リーイン カーネーション」とリーインとカーネーションを区切って発音すると、KY 君もその発音と違うイントネーションで「リーイン カーネーション」な、とやはりリーインとカーネーションを区切って発音して僕の発音を正した。だがこれは二人とも間違っていた。「RE」と「INCARNATION」を区切って発音しなければいけなかったのだ。正しい発音で書けば「リ·インカーネーション」になる。

 
 

 まぁドーデモイー話ですけどね。歌でも映画でも「REINCARNATION」と聞くと、この、当時の親友KY 君との何でもないやり取りを思い出す。

 
 
 
 
 

◆REINCARNATION 松任谷由実 形式: CD

 
 

◆リインカーネーション(初回生産限定盤B)(DVD付) CD+DVD, Limited Edition パナシェ! 形式: CD

 
 

◆NO SIDE Limited Edition 松任谷由実 形式: CD

 
 

◆松任谷由実40周年記念ベストアルバム 日本の恋と、ユーミンと。 (通常盤) Original recording remastered 松任谷由実 形式: CD

 
 タイトル「リ・インカーネーション」の記事はすごく短い。この記事は書き掛けですからね。だから「断片日記。」ではアップしてなかった。途中で記事書くのやめて放っておいたままの記事です。
 
 
 
 若い頃に都会のロードショー映画館で見た、洋画「リーインカーネーション」ですが、多分、僕が20歳前後で見た洋画だと思いますが、だいぶ前にネットで洋画の「リーインカーネーション」を調べたら、けっこう詳しく内容が書き込んでありました。
 
 記憶している内容を述べて行くと、主人公の若い男は毎晩怖い同じ夢を見る。ボートに乗って湖に出てそこで誰か女性に物で頭を殴られ、湖に落とされて沈んで行く。夢のその場面が気になってしょうがない男性。
 
 偶然、夢の中の舞台である湖を現実に知る。男はその湖を訪ねて行って見る。男は湖で撲殺される男性のことが気になり、湖周辺でその男が実在するのか捜す。男は捜索の中で若い女性と知り合う。
 
 男と若い女性は恋に落ちる。男は女性の家に行くと美人の母親が出て来た。母親は男の話を聞いている内に血相を変える。男の話す内容は、母親が昔、湖で恋人の男を殺した場面そのままだった。
 
 母親は内心慌てふためく。この若い男は、あの自分が撲殺して湖に突き落とした恋人の男なのか?しかし顔や姿は全く違う人間だ。勿論、年齢も違う。
 
 男は昔、恋に落ちた若い女性の母親が殺した恋人の生まれ変わりだった。ここがリーインカーネーションなんですね。主人公の男は自分が湖に沈んで死んだ男の生まれ変わりだって気付くんだっけかな?だいぶ前に調べて読んだ内容なので忘れました。(調べ直さないでごめんなさい。)
 
 結末は、母親がこの男は、年齢や容姿は全く違うけれど、自分が昔殺した恋人の男に違いない、と思い込み、過去の犯罪の隠蔽のためにもう一度殺害を企て、湖のボート上で、今度は銃殺されるんだっけかな?哀れ、主人公の若者は殺されて湖に沈む。
 
 つまり昔殺された男の魂がリーインカーネーションにて生まれ変わり、その生まれ変わった若い男も、魂としては二度殺害される。そこで終わるのか、その後、母親が殺人罪で捕まるのか、母親は逃げおおせたのか、結末を記憶してません。
 
 ネットで調べるまで、僕はこの洋画を若い頃、20歳前後に見たことと湖が舞台で湖のシーンがいっぱい出て来てたことしか覚えておらず、内容は全く忘れてました。ネットで内容読んで、ああ、そういうストーリーだったのか、と思った次第でして。
 
 「リーインカーネーション」という題名が着いていても、リーインカーネーション=生まれ変わりという現象について科学的に探って行くとかいうSF的な物語とは全然違っていて、生まれ変わりをテーマに取ったミステリー映画ですね。ジャンルとしてはミステリー·サスペンス。
 
 ただ、若い頃、多分平日の昼間、都会の街のロードショー館で一人で入って、この映画見たなぁ、そしてその後、その日の夜か次の日くらいか、当時の親友のシモにこの映画のことを話したなぁ、という何でもない思い出を、ユーミンの歌の♪リ・インカーネーション のタイトルから思い出した、とそれだけの話で。
 
 
 松任谷由実さんの14番目のオリジナルアルバム「リ・インカーネーション」は1983年のリリースで、僕は27歳の年齢ですね。埼玉県の熊谷市~行田市に在住していた頃ですね。
 
 このアルバムで好きで印象に残り続けた曲は、最初の♪REINCARNATION と二曲目の♪オールマイティー ですね。アルバムではこのレコード冒頭二曲はメドレーみたく繋がって演奏が続く。勿論、1983年ですから僕はLPレコード盤で買ってます。多分、熊谷駅近くの商店街で買ったんでしょうね。
 
 ♪REINCARNATION も♪オールマイティー も好きな曲でしたが、松任谷由実初のベストアルバム「ノイエ·ムジーク」にはこの二曲は収録されてませんね。「ノイエ·ムジーク」の前にユーミンのベストアルバムは1976年に「ユーミンブランド」がリリースされてます。「ノイエ·ムジーク」は二枚組CDで、「ユーミンブランド」初リリース時は勿論レコード盤です。
 
 僕が購入したユーミンのベスト盤は、1998年リリースの「ノイエ·ムジーク」と2000年リリースの「スーパーベストオブYumi Arai」だけですね。
 
 荒井由実~松任谷由実のオリジナルアルバムは1974年リリースの2番目のアルバム「ミスリム」から85年リリースの17番目の「ダディダ」までだいたいずっと続けて買って来て聴いてましたね。5番目の「孔雀」と11番目の「水の中のアジアへ」は買ってないかな。この中には好きなアルバムは幾つもありましたね。
 
 しかしユーミンの才能は凄いなぁ。凄いを3乗しても足らないくらい凄い才能ですね。70年代から何とおよそ50年間も日本の女性シンガーソングライターの女王の座に君臨し続けてるんですから。一貫してタッグを組んで来たアレンジャー、ご主人の松任谷正隆さんの助力もあるでしょうが。あらゆる曲調の楽曲を紡ぎ出して仕上げて来た才能は、音楽の超天才ですね。(音楽プロデューサー·編曲者としての松任谷正隆さんの才能も超凄い。)
 
 ネットに松任谷由実の楽曲数は、全55アルバム、642曲とありました。
 
 ここのブログのタイトルが「Kenの漫画読み日記。」ですから、漫画のことも書かないといけません。
 
 ここの記事のタイトルが「リ・インカーネーション」だから、漫画でも輪廻転生=生まれ変わりがテーマの漫画作品ですね。
 
 ネットで調べたら、輪廻転生=生まれ変わりがテーマの漫画作品はもの凄くいっぱいありました。ほとんどが比較的新しい時代の漫画で、僕はほとんどの作品を知りませんでした。勿論、知らないんだから読んだことありません。
 
 
 何十とある、輪廻転生=生まれ変わりがテーマの漫画の中で題名だけ知っていた作品はたった二つだけでした。一つは日渡早紀さんの「僕の地球を守って」。この作品は白泉社の少女漫画誌「花とゆめ」に80年代後半から90年代前半に10年近くも連載が続いた人気漫画で、僕はこの漫画を知ってはいましたが読んだことはありませんでした。「花とゆめ」誌上でパラパラと絵を見たくらいです。ストーリーも知りません。
 
 当時から「僕の地球を守って」はSFだと知ってたんですが、子供の頃からずっと少女漫画が苦手で敬遠して来た僕は、ほんの一読もしてませんが、ネットにある解説でストーリーのざっとしたあらすじ見ると面白そうですね。ちょっと読んでみたい気もするけど、何しろ新書判コミックスで全21巻もあるからなぁ。目の悪い爺さんの身としては敬遠したまんまになりそうだなぁ。
 
 あとの一つはあまりにも有名なあの「火の鳥」です。“神様”手塚治虫先生の言わずと知れた代表作です。
 
 僕は子供の頃から「鉄腕アトム」「ビッグX」「マグマ大使」他、数多の手塚治虫作品を愛読して来て、ずーっと大ファンで、70年代からの青年コミック誌に連載された、大人向けの手塚治虫作品もいっぱい愛読して来ました。少年漫画·青年コミックの短編作品もみんな大好きで、手塚治虫先生は“神様”と崇めて来ました。
 
 その僕なんですが、どうした訳か、「火の鳥」だけは読んでない。何故でしょう。僕は基本、馬鹿だから難しそうで敬遠したのかな。「火の鳥」は雑誌·COM掲載分を何回か読んだことはあると思うけど、作品を通して読んだことはないんですね。「火の鳥」は舞台背景がいろんな時代に移り代わって行ってるから、輪廻転生=生まれ変わりものといえばそうなんでしょうね。
 
 “神様”手塚治虫先生の代表作の一つ「火の鳥」に関してのことを何も書けませんね。ほとんど読んでないんだから。
 
 僕は正直言って“輪廻転生”なんて信じてません。まぁ、漫画のテーマでも面白いのかも知れませんが、そんなに輪廻転生には興味はないですねぇ。よく、昔から雑誌の記事なんかで、前世の記憶を持つ少年·少女の話なんて載ってて読んで来ましたけどねぇ。何か眉唾で読んで本気で信じてはいないなぁ。
 
 10歳満たない少女が見知らぬ土地の話をするので、そこを探して行って見ると、少女の述べたとおりの地形や景色があったとか。それがアメリカの少女で話す内容の実際あった土地はインドだったとか何とか。ホントかよ?と眉唾で読んでましたねぇ。
 
 何か輪廻転生とか生まれ変わりとか宗教くさくて嫌いですねぇ。宗教とか、今のあなたが不幸なのは前世で悪行を働いたからで、その悪行を払拭するには神様にお願いするしかありません、とか言いそうじゃないですか。神様へのお願いとはすなわち御布施だったり。
 
 何か前世とか来世とかを言う宗教って多そうですよね。特定の宗教に帰依していなくとも前世とか来世とかを本気で信じている人もけっこう多そうですね。
 
 
 輪廻転生といえば、少年時代、僕がそういうものを信じていたことがあったのを思い出しました。
 
 中三のときですね。音楽の時間です。僕は小学1年生の頃から、からっきし音楽が駄目で、ずーっと音楽の授業がさっぱり解りませんでした。あの、よく、先生がオルガンの鍵盤の音弾いて、今のは何の音か?って訊くでしょ、あれ、一度も当たったことありません。
 
 音楽はもう、勿論、楽譜は最後まで全く読めないし、音階だの記号の意味だのさっぱり解りませんでした。高校生のとき、音楽の授業は多分、選択科目で受けたことないんで、義務教育まで受けた音楽の授業、さっぱり解らずでした。とうとう楽器は何一つ演奏のエの字もできず終いでした。
 
 そのくせ、高校生になって、吉田拓郎や泉谷しげるが登場するとシンガーソングライターに憧れてなりたいと思った。本当にアホーな少年でした。
 
 中三のある日の音楽の授業で、音楽担当の女性の先生が、レコードプレイヤーで昔の邦楽を懸けました。多分、江戸時代頃の和楽器の音楽で、何かよくテレビや映画の時代劇で、お殿様とか高級武士のお屋敷や、江戸の大店(オオダナ)の大金持ちの商人の豪華な座敷で奏でられる、昔の邦楽の曲ですね、琴とか三味線とか尺八など和楽器の笛とか、そういう楽器で演奏される江戸時代からそれ以前を彷彿させる曲、これのレコードを懸けて生徒に聴かせてた。
 
 僕は、その時間、耳を塞いで聴かないようにしてたんですね。そうすると、音楽担当の女性の先生が怒って僕を注意した。当たり前ですね。多分、僕はしぶしぶ耳に突っ込んでた指を外したんじゃないかな。それから多分、なるべく聞こえないように両耳に手を当てたり外したりしてたんじゃないかな。
 
 このとき女性の音楽の先生は、僕が授業ボイコットの反抗的態度を取ってる、として怒ってました。割としつこく怒られたから、先生も女性だといってナメられてはいけない、というのもあったんじゃないかな。
 
 僕は黙ってて、どうしてそんな態度を取ったのかは、先生に話さなかったんだけど、僕自身はこの江戸時代頃の上級国民~富裕層が聴いてたであろう演奏曲が、自分が聴いてると何か悲しいような、気持ちがずーんと落ち込むような、とても嫌な気持ちになって、とにかくこういう昔の邦楽がひどく嫌だった。
 
 だから聴きたくなくて耳を塞いでた。
 
 僕としては、自分がどうしてこういう和楽の楽曲を聞くと嫌な気分になって、こういう曲が非常に嫌いなのか、いろいろ考えてた。そして思い至ったのは、僕は前世でこの楽曲が演奏されてた頃、そういう現場に居て、とても嫌な思いをしたのだ。
 
 つまり、自分は前世で、江戸時代の何処かのお屋敷に居て、豪華な座敷で演奏される催しの場で、非常に嫌な目に合っていて、その前世の記憶が、今回生まれ変わって来た昭和の自分の脳ミソに断片的に、嫌な記憶のイメージとして非常に嫌いなメロディーが残ったのだ、と思ったんですね。昭和の中学三年生の少年はそう思い込んだ。
 
 そういう理由で授業ボイコットみたいな真似をした訳だけど、決して先生や級友に自分のボイコット理由は話さなかった。多分、先生に、どうして耳を塞いだりするの!と怒られて割りとしつこく理由を訊かれただろうけど、とうとう話さなかった。
 
 僕はアホーな少年だったけどある面賢くて、そんな前世の嫌な記憶がそうさせる、とか話したら、教師たちにも学校の友達にも、頭がおかしいと思われるぞ、と解ってたので前世の嫌な思い出だとか絶対言わなかった。多分、先生に対しても下を向いてただ黙り通したんだと思う。
 
 でも、この当時、江戸時代からそれ以前の邦楽の曲がかなり嫌いだったというのは事実です。そういう昔の邦楽を聴くと何とも嫌な気分になっていた。少なくとも気持ちがずーんと落ち込んでたまらなかった。
 
 後々、大人になってそうでもなくなったけど。でも昔の邦楽は好きではないですね。大人になってからも今も。
 
 ということで、14歳15歳頃の僕は、まぁ、ボヤッと輪廻転生=生まれ変わりを信じてたんですね。アホーな少年がファンタジーぽく前世とか生まれ変わりとか信じてたんでしょう。
 
 勿論、はっきりと前世の自分はいつの時代の何だった、とか脳ミソの中で解ってた訳ではないでしょうが。ボヤッと江戸時代頃、身分の高い武家や大金持ちの商人とかのたいそうなお屋敷で、何か屈辱的な目に合う、何か役目をしてて、壮絶な苛めか何かに合ってたのかも知れない、とか14、5歳の頃の僕は、思い込んでたのでしょう。
 
 前世とか生まれ変わりとかは子供の頃から青年時代まで、ボヤッと信じてたのかも知れないけど、今は全く信じてません。
 
 僕は6歳から11歳までほとんど毎日、近所の貸本屋に通っていて、毎日のように当時の貸本漫画を借りて来て読んでたけど、その中には時代劇漫画も多くて、当時の貸本時代劇漫画には残酷描写の劇画も多かった。
 
 
 平田弘史さんや臣新蔵さんなどの時代劇劇画には、武士の時代の城中で凄絶な苛めに合い、虐待され、残酷なリンチや屈辱的な目に合わされ、その後、復讐の鬼となって、苛めた主君など身分の高い鬼畜のごときカタキを、残酷な目に合わせて復讐を遂げる、残酷描写満面の作品があって、そういう時代劇劇画も読んでたので、そういうイメージが頭に残ってたのかな。
 
 平田弘史さんの「つんではくずし」とか、その残酷さと凄絶さで当時の貸本漫画で有名だったけど。
 
 「カムイ伝」「忍者武芸帳」とかでも当時の武家階級の、自己中心的で残忍で鬼畜な面とかを、地方の藩など地域の城の殿様とかを鬼畜キャラクターとして描いてたから、そのイメージもあったかな。
 
 
 楳図かずおさんにも時代劇の中·短編で、城中で壮絶な苛めに合い、鬼畜殿様に残酷な復讐を果たす漫画もありましたね。
 
 何かそういう武家時代のお城の中の嫌なイメージが頭の中にこびりついてて、昔々の邦楽のメロディーを聴くと、嫌なイメージがよみがえって来て気分悪くなってたのかも。
 
 まぁ、僕は一貫して封建時代って嫌いですからね。
 
 こういう子供の頃読んだ、貸本漫画の時代劇劇画で残忍·残酷に描かれた、封建時代の厳しい主従関係や身分制度とかは、後の僕の思想的な部分に大きな影響を残したと思う。基本的に僕は主従関係は嫌いですもんね。
 
 時代劇好きやNHK大河ドラマ·ファンの人は多いけど、僕はあの時代の農民の方の立場で考えるので、武家階級は嫌いだし、本当は信長も秀吉も家康も大嫌いですね。当時の殿様とか武家階級を描いた時代劇も嫌いだし。
 
 こういうふうなことを書いてると、僕がまるで左翼青年であったかのようですが、どっちかというと、僕は思想的には左側だったと思う。理想的には左側的ですが、今の僕は現実的に考えるので愛国保守ですね。まぁ、現実的というのは難しいですけど。愛国保守を突き詰めるのも現実的でない気がするし。まぁ、第一に日本人であり、第一に国益かな。日本人が豊かに生活して幸せになって欲しい。それに尽きる。
 
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夜空の星/君といつまでも

 

 僕が初めて、加山雄三主演-ヒロイン星由里子の「エレキの若大将」を見たのは小学校四年生のときで、その後も大人になって、名画座での「若大将シリーズ特集」の三本立てや五本立て、あるいはテレビの映画放送などで三回くらいは見てる。70年代後半から80年代に、やはり名画座みたいな劇場でだったと思う、大都会の映画館のオールナイト興行で、「若大将シリーズ」の八本立てとかやっていたことがあった。深夜10時頃から始まって明け方5時くらいまでえんえん「若大将シリーズ」を写していた(映画八本では時間が合わないな。記憶あやふや)。今となっては、僕の見た「若大将シリーズ」の劇場再映が、昼間の何本立てだったのか夜中ぶっ通しのだったのかよく覚えてない。オールナイトで見たような気もするし暇な休日に昼間の映画館で見たような気もする。もしかしたら両方だったのかも知れない。ただ若い頃でウイークデーはフルに仕事してて残業もあったから、オールナイト八本立てとかだったらまともに見たのは三本くらいで残りは多分寝ていたろうと思う。

 
 初めて若大将シリーズの「海の若大将」を見た小学四年生の夏から中一か中二の頃まで、加山雄三には憧れ続けていた。若大将シリーズの主人公、加山雄三演じる田沼雄一が、爽やかな大学生で正義感が強くて男らしくてバンカラ味も持ちながら礼儀正しく女性に優しく紳士であり、運動神経抜群でスポーツ万能、劇中でアコギやエレキギターを弾いて歌を熱唱する。とにかくカッコ良過ぎた。劇中で歌い世間で大ヒットする歌々は加山雄三本人が作曲していると知ってその多才ぶりにも痺れた。非の打ちどころ一点もない完璧カッコ良さでしたね。もう小学校高学年時は加山雄三に憧れまくってた。
 
 この間、ネット動画で、というか配信購入ダウンロードして、映画「エレキの若大将」を見た。懐かしかったな。「エレキの若大将」は1965年12月の最初のロードショー公開も、当時住んでた家の斜め前に建ってた映画館で見たし、後々、東京の名画座で見たし、TV 放送の分も見た。細部は忘れてたが、見ている内に、あぁそうそう…、と思い出し思い出し見た。やっぱり年寄りになって見ると、あんまし感激みたいのはないな。懐かしいけど、そこまで面白い映画だとも思わなかった。やはり自分が歳を取り過ぎて、登場人物に感情移入できないからだろう。ただ懐かしいだけの映画だった。
 
 加山雄三さんももうおん年82歳で、4月には83歳だもんなぁ。少年時代の憧れの若大将、永遠の若大将には長生きして貰いたいもんだ。昨年11月に脳梗塞で入院したというニュースが出て心配したが、幸い直ぐに退院して後遺症もないということだった。いつまでも健康で元気で長生きという手本になってくれたら本当に嬉しいね。
 
 僕が小学校4年~6年生時代にヒットした、「若大将シリーズ」の主題歌や挿入歌には「夜空の星」「君といつまでも」や他の加山雄三の歌々に、みんな思い出の小さな一場面がある。何でもない一場面でいろいろな人たちを思い出すな。あの時代、自分の周りに居た人たち。「夜空の星」も「君といつまでも」も大好きで他の加山さんの歌も大好きで、よく鼻歌で歌ってたな。
 
 

◆エレキの若大将 [DVD] 加山雄三 (出演), 星由里子 (出演), 岩内克己 (監督) 形式: DVD

 

◆若大将キャンパス DVD-BOX 加山雄三 (出演), 有島一郎 (出演), 杉江敏男 (監督) 形式: DVD

 

◆若大将 サーフ & スノー DVD-BOX 加山雄三 (出演), 星由里子 (出演), 福田純 (監督) 形式: DVD

 

◆加山雄三のすべて“幸せだなぁ”ベスト&レア音源集 加山雄三 形式: CD

 

◆加山雄三 ベスト40 CD Yuzo Kayama 加山雄三 形式: CD

 

 
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

地下鉄にのって

 

 ♪地下鉄にのって という曲は作詞は岡本おさみさんだったんだな。70年代は吉田拓郎の曲で作詞·岡本おさみの黄金コンビだった。「地下鉄にのって」は70年代の人気フォークグループ「猫」の一番ヒットした曲だった。吉田拓郎·作曲の曲で後にアルバムで自身がセルフカバーしている。
 
 
 「猫」の曲はその前にヒットした、同じく吉田拓郎が作った曲♪雪 で、「猫」というフォークグループを知った。「雪」は吉田拓郎の最初期のアルバムに入ってたんで知ってたけど、印象的に覚えたのは「猫」が歌ったバージョンだ。
 
 
 「猫」は吉田拓郎の作った曲ばっかり歌う印象だったので、多分音楽仲間なんだろうなと思っていたが、拓郎初期ライブのバックバンドだった。吉田拓郎のライブアルバム「LIVE 73」の録音の中で拓郎が喋ってる「田口なんか手だけ動かしてギター弾いてませんが」というセリフの“田口”は、「猫」のメンバーの田口清だ。
 
 
 ♪雪 も♪地下鉄にのって も好きな曲だったなぁ。70年代後半も聴いたけど、この二曲を特によく聴いたのは90年代かな。どっちかというと吉田拓郎版でよく聴いたかな。猫バージョンも良いんだけど。
 
 
 「地下鉄にのって」を聴くと東京で生活していた若き時代を思い出すなぁ。文字どおり、毎日国鉄や地下鉄の電車に乗ってたからなんだけど。毎日の通勤で乗り換えて国鉄と地下鉄と羽田空港勤務時代はモノレールも利用してた。特に保谷駅前徒歩5分のアパートで暮らしてたときは、私鉄·西武線で池袋に出てから、勤務地によって山手線か丸ノ内線か有楽町線を利用してた。
 
 
 「地下鉄にのって」の歌詞を改めて読み返すと、一人称で語る自分に取っての“君”は、僕はずっと電車の中で近くで見掛けた、知らない女の娘、だと思ってたんだが、車内で向かい合ってる付き合ってる女の娘、とも取れる歌詞だな。どっちなんだろう?付き合ってる娘だったら別れ話でも出てるのかな?やっぱり知らない女の娘に対しての一人称自分の妄想かな?妄想というか甘い空想(?)。
 
 
 僕も、勿論個々の詳しいエピソードなんて覚えてないし、ないけど、東京勤務の若き時代、都内の電車や地下鉄の中で、自分の近くに可愛いとか綺麗な女の娘が立っていたら、無論話し掛けるとかはしないけど、その娘をチラ見しながらも、イロイロ空想したりしてたんだろうな。妄想っちゃ妄想だけど。何か懐かしいね。朝の通勤ラッシュのギュウギュウ詰め満員電車も。疲れて乗る帰路の夜も9時10時の電車も。酔っ払って乗る終電も。
 
 
 「地下鉄にのって」の歌詞に出て来る駅から、この路線は地下鉄·丸ノ内線ですね。僕の若かりし頃、旧保谷市に住んでいて、当時の勤務地が羽田·新橋·芝浦·築地と変わって行き、よく丸ノ内線を利用していたので、「地下鉄にのって」を聴くと当時を思い出して懐かしいです。
 
 
 まぁ今の時代、電車の中で自分ら女性をチラチラ見ながら妄想してる男なんて、電車利用してる女側からしたら、気持ち悪い存在だろうけどなぁ。
 
 
 直木賞他数々の文学賞を受賞している紫綬褒章巨匠小説家、浅田次郎氏に同名の小説作品があり映画化もされてますが、あちらはタイトル「地下鉄に乗って」で地下鉄を“メトロ”と読ませて“メトロに乗って”ですね。
 
 
 僕自身は浅田次郎さんの小説は一編も読んだことがなく、浅田次郎さんの作品を原作とした「地下鉄に乗って」や「鉄道員-ぽっぽや-」とかの映画やTV ドラマ化された映像作品も一つも見たことはありません。“メトロに乗って”は設定がタイムスリップものなんですね。
 
 
 食わず嫌いみたいなもので、読めば浅田次郎作品も面白かったり感動したりするのかも知れませんが、何か感じとして何となくだけど、僕の趣味に合わないような気がして、今まで一編も読んでないし映像化作品も見ていない。まぁ、古今東西の小説作品はもの凄い数ある訳だから、誰の作品も読むって不可能ですしね。ましてや僕は遅読マンだし。自分で選んで読んでいるようで本も人生のめぐり合いかな。
 
 
◆地下鉄(メトロ)に乗って THXプレミアム・エディション [DVD] 堤真一 (出演), 岡本綾 (出演), 篠原哲雄 (監督) 形式: DVD
 
◆鉄道員(ぽっぽや) [Blu-ray] 高倉健 (出演), 大竹しのぶ (出演), 降旗康男 (監督) 形式: Blu-ray
 
◆THE BEST Neko 猫 形式: CD
 
◆吉田拓郎 THE BEST PENNY LANE SHM-CD, Double CD 吉田拓郎 形式: CD
 
◆永遠の フォーク ニューミュージック 旅の宿 今日までそして明日から 地下鉄にのって 秋でもないのに 時には母のない子のように 白いブランコ 竹田の子守唄 冷たい雨 酒と泪と男と女 初恋 恋人よ SACHIKO DQCL-2014 Compilation, Special Edition よしだたくろう (アーティスト), & 10 その他 形式: CD
 
 
 僕が上京して会社に就職し独身寮に入ったとき、都内の同じ勤務地配属で同じ寮住まい、同期同年代にK 君という職場仲間が居た。彼は吉田拓郎の熱狂的なファンでギターが得意で、暇さえあれば寮内で吉田拓郎の曲をポロポロやりながら歌っていた。
 
 
 吉田拓郎は高校~大学と郷里の広島でバンドをやってたのだが、大学最終年くらいの頃、広島のアマチュアバンド三つを集結させて、吉田拓郎が東京でプロのポピュラー音楽家デビューする前に、またそのきっかけとなった“広島フォーク村”というのを結成した。この“広島フォーク村”は吉田拓郎がプロになったことで弱体化して少しして解散した。その後も何度か復活して活動したらしいのだが。
 
 
 この“広島フォーク村”のムーブメントは全国的に広がり、各地でフォークソング愛好の若者たちがバンド活動をやって、各地域の「フォーク村」を名乗っていた。K 君も高校生時代、故郷の田舎でフォークソング愛好の友達とバンドをやっていて、自分たちの基地を作り地元の「フォーク村」と名乗っていたらしい。
 
 
 K 君はギターもうまく、吉田拓郎の歌を器用に歌いこなしていた。けどプロになりたいというまでの気持ちはなくて、いつもいつも故郷を思い返して「田舎に帰りたい」と嘆いていた。ホームシックが強くときには故郷への思いで泣いてることもあった。
 
 
 結局、K 君は半年くらい経って会社を辞めて故郷へ帰ってしまった。
 
 
 あの時代は本当に吉田拓郎ブームで当時の若者はみんな、と言ってもいいくらいに吉田拓郎のレコードを持っていた。特に♪結婚しようよ が収録された「人間なんて」、♪旅の宿 が収録された「元気です」、それと「ライブ73 」「伽草子」「人生を語らず」くらいまでのアルバムは持ってたなぁ。「元気です」はあの時代の大ベストセラーアルバムだった。当時の若者はみんな、吉田拓郎の何枚かと井上陽水の「氷の世界」のアルバムは買って持っていた印象。
 
 
 井上陽水の曲は少し難しかったのか、当時のギター趣味の知人でも吉田拓郎のコピーを練習してる若者は多くても、井上陽水の曲をコピーで練習してる人は見掛けなかったなぁ。まぁ、プロを目指していたような若者は別だろうけど。
 
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Overlap Stargazer Mistone

 

 

 

 昔の話だが、ひと頃、杉真理の曲が大好きだった。

 
 

 一番最初に魅せられた曲は♪Catch Your Way 。この頃の乗用車のCM で使われていて、僕はこの時代TV を持ってなくてほとんどTV を見ない生活をしていて、昼間乗ってる車のカーラジオで聞いた。

 
 

 ♪Catch Your Way が欲しくて駅近くの商店街のレコード屋へ買いに行ったがシングル盤がなくて、Catch your Way の収録されたアルバムを買った。OVERLAP 。

 
 

 調度この頃、大瀧詠一と佐野元春·杉真理のコラボアルバムからのシングルカット、♪A面で恋して が流行ってて、A面で恋して の収録コラボアルバム、ナイアガラトライアングルVol.2 もLP 盤で買った。

 
 

 OVERLAP とナイアガラトライアングルVol. 2 とどっちを先に買ったのか憶えていない。どちらのアルバムも大好きだった。

 
 

 僕が杉真理の音楽に凝っていたのは80年代前半だな。調べたら「Catch Your Way」の発売が1980年10月。まぁ僕が買い求めたのは81年の初め頃だろうな、多分。と、するとまだ東京都保谷市(現在の西東京市)在住の最末期頃かなぁ。81年3月には僕は会社の転勤で群馬県太田市に行った。♪Catch Your Way の印象は群馬県の方が強い。太田市に在住していた頃によく聴いていたという記憶があるな。好きな曲だったなぁ。

 
 

 僕の東京-関東圏サラリーマン時代によく聴いていた音楽は、洋楽もJ‐Popも自分の応援歌として聴いていた曲が多い。だから洋楽ポピュラーもロックも、J-Popやフォークもバラードよりもアップテンポの陽気な曲調のものが多い。まぁ、タマにはゆっくりした比較的静かなバラード調も聴いてたけど。でも、自分を「負けるもんか」と奮い立たせるために叩き付けるような激しい曲調のロックや、明るくポップな曲調の楽曲が多かったな。

 
 

 若いときの僕は、何か心躍らせるような元気の出そうな曲が好きだったな。

 
 

 続けて杉真理のオリジナルアルバム「Stargazer 」「Mistone 」と、発売されると同時くらいで買って来て毎日聴いていた。「Stargazer 」の中の♪スクールベルを鳴らせ が何か“少年SF ”ぽくて好きでこの曲に当時ご執心だった。アルバム「Stargazer 」がリリースされた頃、音楽専門雑誌で杉真理の特集が載ってて、これも本屋で見つけるやいなや直ぐ買った。

 
 

 この雑誌は、特に新譜アルバムの「Stargazer」のことが多く書かれていて、アルバム解説ですね、杉真理本人の写真もいっぱい載ってて、杉真理さんのSF趣味から、杉真理をサングラスに紳士帽に黒背広(トレンチコート?)の怪しい男四人くらいが取り囲むスナップがあった。まぁ、多分、インベーダーに拉致されようとしている杉真理さんのイメージなんでしょうね。「スクールベルを鳴らせ」のコンセプトが宇宙からのUFOとかのイメージなんでしょう。はっきり書いてる訳じゃないけど、歌詞のイメージが“少年SF”的だから。

 
 

 「Stargazer 」「Mistone 」を買って聴いてたのは、埼玉県熊谷営業所に勤務してて行田市の会社借り上げアパートに住んでた頃。営業所が熊谷の一番端っこにあり、住居から車で三分くらいで通えた。

 
 

 「Stargazer 」1983年、「Mistone 」1984年の制作か。次のアルバム「Synphony ♯10」の発表は1985年6月か。杉真理のオリジナルアルバムは「Synphony ♯10」まで買った。85年6月はまだ行田市在住だな。懐かしい。仕事でよく行ってた、太田工業団地とか熊谷工業団地とか思い出すな。

 
 

 アルバム「Stargazer 」に収録されてる、♪バカンスはいつも雨(Rain) という曲はシングルでも82年10月発売で、当時のグリコセシルチョコレートのCM タイアップソングとして大ヒットし、僕もドーナツ盤でも買って聴いていた。テレビのCM は当時の人気アイドル·堀ちえみが出演していて人気があった。当時の僕はテレビを持たないし見ないので、この曲のサワリは自動車のラジオで聴いて気に入ってドーナツ盤を買ったのだろう。良い曲だったなぁ。ちなみに、当時はほとんどテレビを見ない生活してたので堀ちえみとかよく知らなかった。勿論、大ヒット·ドラマ「スチュワーデス物語」も見たことない。でも早見優はよく知っててアイドルとして好きだったし、早見優のヒット曲「夏色のナンシー」はシングル盤で買って来て、当時何度も聴いていた。♪夏色のナンシー は当時のコカ・コーラのCM 曲で、多分僕はカーラジオで聴いて気に入ってレコード買ったのだろう。

 
 

◆STARGAZER/OVERLAP Masamichi Sugi 杉真理,レッド・ストライプス 形式: CD

 
 

◆GOLDEN☆BEST/杉真理杉真理 & フレンズ Masamichi Sugi 杉真理,レッド・ストライプス 形式: CD

 
 

◆STARGAZER Masamichi Sugi 杉真理,レッド・ストライプス 形式: CD

 
 

◆杉真理WORKS オムニバス (アーティスト),‎ 飯島真理 (アーティスト) 形式: CD

 
 

◆THIS IS POP 杉真理 形式: CD

 
 

 1984年発表のアルバム「Mistone 」に収録されてる「いとしのテラ」は同年シングル盤で発売されて、僕はこの曲も好きだったんだけど、この「いとしのテラ」は当時、味の素が出してた清涼飲料水「テラ」のCM タイアップソングだった。ネットで調べると「テラ」のことはスポーツ飲料とかアイソトニック飲料とか説明してるけど、僕の記憶だと、何かコカコーラが出してたアンバサだとかカルピスソーダみたいな乳酸菌飲料で炭酸の入ったヤツだったよーに思うんだけど、違ったかな…(?)。炭酸の白いジュースだったよーな…。自信ないけど、炭酸の乳酸菌飲料だったよーな記憶があるが、はっきりしない。

 
 

 味の素「テラ」は昔あった丸い小型瓶に入ってた。あれは300mlかな。当時はコカ・コーラもあの300mlボトルがあった。背の低い丸いずんどうなガラス瓶で。あの時代、あの小型瓶に入った清涼飲料水はいっぱいあった。あのサイズが流行ってたな。味の素「テラ」を僕が飲んでたのは行田市在住の熊谷時代で、コンビニとか店で買って飲んだんじゃなくて、当時仕事で回ってた行田市の工業団地か問屋町(?)かに設置されてた自販機にあって、しょっちゅう飲んでた。味の素「テラ」は何かあんまり売れてなかったのか、コンビニとかスーパーとか食料品店で「テラ」は見なかったように思う。僕はいつも同じ自販機で買って飲んでたけど、だいたい自販機でも見掛けなかったな。まぁ昔々の記憶だからあいまいではあるけれども。

 
 

 Youtube に昔の味の素「テラ」のテレビCM の動画があるんだけど、「テラ」には缶もあったんだ。僕はこの時代ほとんどテレビ見ない生活だったから、このCM も見たことなかった。

 
 

 アルバム「Mistone 」の中では「いとしのテラ」の他にアルバムA 面二曲目の「二人には時間がない」もお気に入りの曲だったな。80年代の杉真理の曲には好きな曲がいっぱいあった。

 
 

 サントリーウイスキーのCMソングで、石川さゆりが歌っていて有名になった「ウイスキーがお好きでしょ」は、作曲が杉真理さんだとは長年知りませんでした。石川さゆりさんが歌ってたこのバージョンのCMは90年代前半なんですが、この曲の作曲者が杉真理さんだと知ったのはつい数年前です。

 
 

 ハイファイセットが歌ってヒットした「素直になりたい」は杉真理さんの作詞・作曲ですね。この曲はドーナツ盤を買って聴いてました。僕の熊谷時代か。ハイファイセットはこの曲と「メモランダム」が好きだったな。

 
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

嵐からの隠れ場所

 
 
            
 

 2016年10月13日、スウェーデンアカデミー・ノーベル賞選考委員会は、2016年のノーベル文学賞はアメリカのシンガーソングライター、ボブ・ディラン氏に授与される、と発表しました。ノーベル文学賞をミュージシャンが受賞するということは、史上初の異例のことで、全世界が驚きました。もともと、ボブ・ディラン氏の名前は、数年前から、噂では候補に挙がってはいましたが、まさか、本当に文学賞をミュージシャンが取るとは、世界中の大半の人は夢にも思っていなかったでしょう。ボブ・ディランの生み出すポピュラー音楽の、その作詞の「詩」の文学性が卓越して高かったということでしょう。一方では、激動の時代に民衆を動かした反戦ソングなどの功績から、本来はもっと早くにノーベル平和賞を貰うべきだった、などとも言われています。

 

 ボブ・ディランの名曲、「嵐からの隠れ場所」、英語原題♪Shelter From The Storm は、オリジナル初発表は、ディランのオリジナルアルバム第15作目にあたる、1975年公表のアルバム「血の轍 -Blood on the Tracks-」に初収録されていますが、このときのオリジナル版の曲はアコースティックギター中心で、後はハーモニカの音が目立つくらいで、昔ながらのフォークソング調の曲なんですが、翌1976年に発表されたライブアルバム、「激しい雨 -Hard Rain-」に収録された、ライブ版「嵐からの隠れ場所 -Shelter From The Storm-」は、もう正にロックそのものの曲調で、このライブは全曲、バックはロックバンドでがんがん叩きつけるようなロックそのもののような曲調が多く、まあ、中にはアコースティック調で奏でたバラード曲もあったのかも知れませんが、ロックで叩きつけるように演奏される♪Shelter From The Storm は印象的でした。このアルバムの中のロック版♪ Stuck Inside Of Mobile With The Memphis Blues Again も最高だったな。

 

 当時、都会のサラリーマン時代の僕は、男のくせにだらしがない、傷付きやすく、とにかく落ち込みやすくて、ガラスみたいなハートに毎日ヒビが入ってました。まあ、こういう性格はこの時代もこの後の時代でも変わらないんですが、この頃特に毎日バリバリとガラスのハートにヒビが入りまくってた。でも傷付いて落ち込んだからって、部屋で独り塞ぎ込んでばかりでも居られない。翌朝には会社に出勤しないといけない。傷付きまわってヒビだらけのメンタルを何とか元に戻さないとならない。でないと翌朝会社に行けないから。

 

 会社から帰ってからの毎回の僕の心の修復作業が、夜遅くアパート周辺の空き地を探してそこまで走り、その空き地でナワトビを跳ぶこと。若い頃の僕はナワトビ跳ぶのが大好きでした。僕はナワトビ-ハイになったことが何度もあります。それと、これ、洋楽ロックやアップテンポのポピュラーを、大音量で聴くこと。夜遅いとヘッドホンで聴いてましたが。

 
 

 僕が70年代後半から80年代前半頃はボブ・ディランが大好きで、その当時出るアルバムは出たら即買ってたし、アルバム・The Freewheelin' Bob Dylan を初め、60年代から70年代前半に出たアルバムも遡って購入して聴いてました。ディランの曲は、僕は、アコースティックバージョンよりも60年代後半からのエレキギター主体のロックバージョンの方が好きでしたが、アコースティックなフォーク、The Freewheelin' Bob Dylan の中のシンプルな曲も好きでした。

 
 

 世の中に出て行って傷付き回ってアパートに帰って来て、僕の心の修復作業では、ボブ・ディランのロックなナンバーは最高でした。「嵐からの隠れ場所-Shelter from the Storm-」は、ロック調も素晴らしかったけど、アコースティック版も良かったな。ザ・バンドとの共演ライブ版の「偉大なる復活-Before the Flood-」で演奏される、ロック版の「風に吹かれて」と「ライクアローリングストーン」も良かったなあ。こっちも最高だった。ディランのロックにビシビシ、ハートを叩かれて、「しっかりしろよ」と声掛けられてるみたいで。あの時代は、随分、ディランの曲を代表とする、洋楽ロックやアップテンポのポピュラーミュージックに救われました。折れて潰れてしまいそうなハートを何とか修復して貰っていた。「お入りと彼女が言った。あなたにあげる、嵐からの隠れ場所を」-フォーク版の♪Shelter from the Storm には癒されました。♪Don't Think Twice, It's All Rightなんて曲はズバリ、邦題「くよくよするなよ」だしね。

 

 若い時代にボブ・ディランの曲々に出会えたことは幸せでした。

 

 ボブ・ディランも、もう75歳になるんだなあ。

 
 

 僕が若い頃、何度も経験したナワトビ-ハイですが、いわゆるランニング-ハイと同じもので、古館伊知郎さんなんて若い頃、アナウンスの実況中継で、早口で長々喋っている内に、トーク-ハイを経験したと、昔TV番組の中で話してました。ランニング-ハイは有名ですね。僕は若い頃はナワトビ跳ぶのが大好きで、特に深夜、一人でナワトビ跳んでると楽しくて止まらなくなっちゃって、30分とか40分以上も一人で跳び続けてました。多分、一時間以上もあったろうな。断続的にですけどね。このとき、何度もナワトビ-ハイを経験しましたね。条件は、必ず深夜で、誰も居ない空き地ですね。深夜の広々した公園とか。そこで一人だけで黙々とナワトビを跳ぶ。ナワトビ-ハイになると、もう楽しくて楽しくてたまらなくて、ビュンビュン跳びながら、一人でゲラゲラ笑ってるんですね。何だか知らないけど嬉しくてたまらない。それで一人でゲラゲラ笑っている。独り爆笑を長々続ける。もしこのとき端で見ている人でも居れば、頭のおかしい人と映ったでしょうね。ナワトビ-ハイを経験してたのは、せいぜい30過ぎくらいまでかなあ。昔は良かったなあ、いくらでもナワトビが跳べて。楽しかった。

 
 
 

※Kenの漫画読み日記。2010-03/21「Like a Rolling Stone」

 

※Kenの漫画読み日記。2015-11/27「BROTHERS-ブラザーズ-」

 
 

◆激しい雨(紙ジャケット仕様) Limited Edition ボブ・ディラン 形式: CD

 
 

◆血の轍(紙ジャケット仕様) Limited Edition ボブ・ディラン 形式: CD

 
 
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 前ページ