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●漫画・・ 「喜劇新思想大系」

 山上たつひこの代表作といえば、文句なく「がきデカ」ですが、山上たつひこ先生が「がきデカ」を週刊少年チャンピオンで執筆を始める前に、山上たつひこがギャグ漫画を描くきっかけとなった漫画作品が、この時代、マイナーな成人漫画誌だった「漫画ストーリー」に連載されました。山上たつひこの長編連作コメディー漫画、「喜劇新思想大系」です。この漫画はジャンル的には、ストーリー漫画とギャグ漫画の中間のような作風の、コメディー漫画ですね。それまでの“ギャグ漫画”とはまた違う作風の、勿論、“笑い”が主体なんですが、コメディーとして描く、等身大の青春群像劇、といった漫画ですね。下ネタの多い低俗ギャグ味を盛り込んだ、ユーモア青年劇画、かな。爆笑のストーリー漫画、と言っても良いと思う。

 「漫画ストーリー」は、双葉社が1962年から刊行していた成人向け漫画誌で、何て言うのか、いわゆる“B級雑誌”ですね。60年代末頃に雨後の筍のように、たくさんの青年劇画誌が誕生しますが、その前までにあった、大人が読む、何て言うか、低俗味と言うと怒られるかな、まあ、B級雑誌ですね。双葉社の「漫画ストーリー」が定期刊行されていたのは、62年から74年までで、山上たつひこ氏の「喜劇新思想大系」が連載されていたのは、72年7月から74年3月までの二年弱です。「喜劇新思想大系」は、姉妹誌の「別冊漫画ストーリー」でも掲載されていたようですね。

 僕が「ビッグコミック」や「漫画アクション」などの、青年劇画誌を読み始めるのは、76年くらいからですから、この「漫画ストーリー」や「別冊漫画ストーリー」は読んだことがありません。もともとあんまり、俗に言う“エロ漫画雑誌”は読まない方だったし、はっきり言って「漫画ストーリー」が売れていた時代は、僕はまだ子供から少年期ですからね。

 「漫画ストーリー」の休刊(事実上の廃刊)と「喜劇新思想大系」の連載終了が同じ、1974年三月頃ですから、掲載誌廃刊と同時に、一緒に漫画も終了したのかも知れないですね。60年代には成人漫画雑誌がいっぱいありましたが、60年代末頃の貸本終焉でたくさんの貸本漫画家が、青年劇画誌とエロ漫画誌に移って行きました。60年代にあったB級成人漫画誌は廃刊になったか、エロ劇画誌化して行きましたね。70年代は、青年劇画誌とエロ劇画誌の黄金時代でした。まあ、80年代も続いてはいましたが、勢いは落ちたかなあ。80年代後半頃には、エロ劇画誌は衰退して行きましたね。70年代には、“三流エロ劇画ブーム”というのがありましたしね。

 もともと、貸本出版の日の丸文庫の社員だった山上たつひこ氏は、日の丸文庫が定期刊行していた貸本劇画オムニバス誌、「影」などに短編作品を載せていました。貸本終焉と共に、週刊少年マガジンなどのメジャー少年誌に移って作品を描きます。中でも、1970年の週刊少年マガジンに連載された、ポリティカルロマン大作「光る風」は、当時話題になった佳作です。この時代の現代が、軍国主義体制になったなら…、というシリアスな怖さを描く、やはりSF かなあ。連載当時は一部で話題になったけど、マガジンの毎週連載は後ろの方だったから、ちょっと難しくてあんまり読者人気は得なかったんじゃないかなあ。けど、名作の誉れ高く、何度も復刻されて刊行されてる漫画ですね。

 正直言うと、僕は頭の悪い子供でしたから、この漫画はあんまり熱心に読んでないなあ。頭の悪い中学生にはちょっと難しかったのかな。60年代末から少年雑誌で描き始めた頃は、山上たつひこさんの作風は、貸本時代もそうですが、SF やスリラーとかサスペンスものが多かったですね。たまに実験作のように、ストーリー漫画の体裁で“笑い”を描いた短編なんかも発表してた。これも、ギャグとしては“ドタバタ”でしたね。「光る風」は長編漫画ですが、少年雑誌デビュー当時はストーリー漫画の短編作品が多かったですね。

 貸本出身で、それまでSFやスリラー、サスペンスものを描いていた、ストーリー漫画家、山上たつひこ氏が初めて長編で描いたギャグ漫画、「喜劇新思想大系」はマイナーな雑誌の連載だったから、連載中はそれ程話題にもなりませんでしたが、氏のストーリー漫画の“絵”で描いたギャグ漫画の作風は、その後「がきデカ」で開眼する。開眼というか、あの作風は既に「喜劇新思想大系」で開眼し出来上がっているのだが、メジャーな少年誌で同じ作風で描くことに寄り、洗練される。貸本出身でまだ線が太くて荒い「喜劇新思想大系」に比べて、「がきデカ」は全体的に絵が整ってタッチが綺麗になる。

 少年チャンピオン連載の「がきデカ」は大人気・大ヒットするけれど、世間的にはPTA からやり玉に揚げられる。子供の読む漫画としてはあまりに下品・下劣と、良識的な世間から大バッシングを受ける。

 「喜劇新思想大系」のギャグ味は“ドタバタ”ですね。成人向け雑誌連載だから、下品・下劣度は、少年誌連載の「がきデカ」よりも過激です。もう、いっぱい性交シーンが、まんま出て来ますしね。無論、局部は描きませんけど、自慰シーンも性交シーンも多いし、ヒロインはよく襲われそうになるし、ヒロインの性交シーンもあるし。まあ、何度も言いますが、局部は描いてませんが。下品性では、モロ、下ネタ・ギャグ漫画とも言えます。

 「喜劇新思想大系」は74年の春の連載終了後、最初にコミックス単行本として刊行されたのは、「漫画ストーリー」の出版元の双葉社ではなく、元々貸本出版社だった、コアな漫画専門雑誌「ガロ」を定期刊行している、青林堂からでした。青林堂からは全6巻でコミックス化されてますが、調べたら、雑誌連載中からコミックスとして刊行されてたようですね。僕が読んだのは、秋田漫画文庫版で、1978年か79年頃ですね。勿論、秋田文庫版で全編読みました。山上たつひこ最初の長編ギャグ漫画も、調度この時代、「がきデカ」「快僧のざらし」同様、大爆笑の内に読みました。この時代、僕は「がきデカ」と「快僧のざらし」の大ファンでしたが、タッチは荒いけれど、「喜劇新思想大系」も面白くて、声を上げて笑いながら読んだと思います。

 評論家の呉智英さんが、以前あるTV 番組で「山上たつひこは天才」と断言していました。呉智英さんは最近では水木しげる先生が93歳で亡くなられた折り、高名な国民的漫画家ということで、メディアでニュースとして大きく取り上げられましたが、その中のあるワイドショー番組で解説ゲストとして出演されてました。漫画評論家でもある呉智英さんは、若い頃、水木しげる先生の水木プロで資料整理の仕事をアルバイトでやっていたのだとか。呉智英さんは漫画評論の本も含めて、数多くの著作物を上梓されてますね。



 角川グループが刊行する月刊誌、若者向け体裁のあんまり難くない、総合文芸誌「ダヴィンチ」に、90年代末から2000年代初めに連載されたエッセイを、まとめて加筆修正して単行本として2002年に刊行された、呉智英氏の漫画評論本「漫画狂につける薬21」を、調度この当時読んだのですが、この中の一章に「喜劇新思想大系」が取り上げられていて、この評論エッセイの趣向は漫画を一作品取り上げると同時に、呉智英氏が件の漫画作品と共通するものを見出した、文芸小説作品一編を取り上げて、ジャンルの異なる二つのメディア芸術作品を比較しながらも、文芸も含めたメディア芸術としての、同じ“味わい”や“ツボ”を解説して行く、という試みの文芸評論エッセイ集です。



 評論本としては漫画一作品と小説一作品を、単行本のわずか4ページ弱で解説するので、当該作品を未読の読者には解りにくい部分も多いと思いますが、僕がこの本を読んだ当時は、漫画と文芸小説を同時に取り上げて共通項を示しながら、二つを評論する、という斬新な試みが新鮮で、面白く読みました。02年か03年頃に読んだとして、今から十何年も前ですけど。



 僕はそれほどの読書家ではないし、この本で取り上げている小説は、娯楽小説よりも純文学方面の文芸小説が多かったので、取り上げられている漫画の方は知ってる漫画ばかりだったのですが、これまで娯楽小説主体に本を読んで来た僕には、読んだこともなければ題名さえ知らなかった小説作品も多かったです。

 そんな中で、漫画作品「喜劇新思想大系」の対象作として挙げられた小説作品が、「吾輩は猫である」という小説で、これは僕は読んだ覚えのある文芸小説でした。というか、かの有名な夏目漱石の代表作の一つです。漱石の、日本文学のレジェンド作品ですね。

 僕が、漱石の「吾輩は猫である」を読んだといっても、中学生の頃の話で、しかも作品全編ちゃんと読んだ訳ではない。どういうことかと言うと、僕が中学生になって直ぐ、この当時は教育熱心だった母親が、小学生時代にあまりにもひどい成績だった僕に家庭教師を着けてくれた。もともと英語教師の年配の先生は、英語と数学を教えてくれて、集中力や根気のない僕も、家庭教師とのマンツーマンだとけっこう良く理解し、中一から英語と数学の点数がぐんと上がった。まあ、もともと頭が悪いから学年のトップクラスまでは到底行けなかったけど、英語と数学だけは、中の上か上くらいまでは成績が上がった。

 中二まで僕が家庭教師として習った年配の先生は、本来英語教師なので数学は実は疎い。数学も中一の三学期や中二になると、教えきれなくなった。数学の教科書の問題を一緒に考えてると、僕の方が先に問題を解くようになって来た。この先生の教え方はほとんど教科書に沿った予習で、学校行くと、英数の授業は家で一度習ってるから、もともと授業を聞かないガキなのに、ますます授業は聞かなくなった。解ってるからもうイイと、授業中は落書きしてるか窓外の景色見てるか。まあ、僕は幼少時から高校生まで、だいたい授業中は落書きか妄想か、だったけどね。

 僕自身、もともと英語専門である先生の、この年配の先生に数学を習っても、あんまりよく解らないから仕方がないな、と思って、母親から「数学はもうイイです」と言ってもらった。だが、後々考えるにこれは間違いだった。学校の勉強大嫌いな僕は、放っておいたら家庭学習なんて全くやらないのだ。問題の解けない先生でも一緒に数学の問題を考えることで、とても大きな家庭学習になっていたのだ。

 もともと家で勉強するの大嫌いだった僕は、英語の成績も上がったので、中二になってから母親に話して、この年配の家庭教師の先生を解任してもらった。つまり、家庭教師を辞めてもらった。これ、いつ頃だろう?よく憶えてないけど、中二だったことは間違いない。中二の夏ごろだろうか?憶えてないなあ。もともと放っておいたら全く勉強しない僕が、その後どうなったか、火を見るよりも明らか。英数の成績はぐんぐん落ちた。だから、中二の半ばまで学年成績で割かし良かったのに、中二の後半からは事情が変わった。

 英数を家で習って勉強着いたら、けっこう他の教科もそれなりにやるんだよね。定期試験前とかね。でも、家で全く勉強やらなくなると当然、英数以外は全くやらない。中二後半以降の成績はだだ下がり。

 でも、中二の途中で、家庭教師の先生に辞めて貰って良かったと思ってる。というのも、中二の終わり頃から、僕の家庭はかなり傾いて来たからだ。僕が中学上がったとき既に、家には借金があったけど、そこまで生活レベルは落ちてなかった。僕が中三になった頃から、しょっちゅう借金取りが家に来始め、中三の夏場くらいからは、明らかに闇金のヤクザな取り立てが来て、逃げ回っているオヤジが家に帰って来なくて、オヤジを待つという理由で、ウチの家にヤクザな取り立てが泊まり込むようになった。その後、刃物をかざして取り立てが来たりする。中三の夏以降は、家で頻繁に、夜を徹して債権者会議や親族会議が開かれる。オヤジは家に帰って来ないし、母親は憔悴し、時にはパニック状態で号泣するし、もう家の中がメチャクチャだった。当然この頃になると、家庭教師料なんて払えなかっただろうし、次々と借金取りが来てるのに家庭学習どころじゃないだろう。憔悴した母親や、家の中のただならぬ雰囲気も、家庭教師の先生は解ったろう。

 だから後々考えて、家庭教師の年配の先生に、家の中の修羅場や、ただならぬ雰囲気を感じさせずに済んで良かったな、と。やっぱり子供として恥ずかしいよ。家の中が壊れて行ってるの見られるのは。それに、しょっちゅう債権者が家に来てたから、子供が家庭教師雇って教え受けてるとか、そんな金があったら借金払えと文句言われるだろうし、それ以上に、家庭教師代が払えなかったかも知れないし。まあ、オヤジの籍が電力会社にある内は、母親が何とか遣り繰りしていたけど。

 僕が家庭教師の先生から逃げたのは、この先生は毎週日曜日の昼間に来てたんだけど、中二のある日、僕は、裏庭の板塀ごしに生えてる渋柿の木に登って降りて来なかった。日頃から母親に家庭教師やめたいと言ってたので、この日、母親が話してやめることができた。先生は最後に、柿ノ木の樹上の僕に向かって庭から見上げる格好で、挨拶してくれてサヨナラした。年配の英語教師、S先生とはそれが最後だった。まだ家が傾く前で、オヤジのド外れた放蕩も、僕にはまだよく解らない時期だった。オヤジが家に帰って来なくなるのは、僕が中三になってからだな。オヤジは、僕が中学卒業するまで電力会社に籍はあったが、あの当時、会社へは行ってたのかなあ。バーの女と遊びまわってて、まともに行ってなかったという気がする。

 で、この、家庭教師の先生に習ってた話がどうして、「吾輩は猫である」に繋がるのかと言うと、この年配の先生は来る度に、イロイロと古本を持って来てくれた。たいていは、僕よりも10歳下になる妹に、幼児向け雑誌を持って来てくれてて、みんな古雑誌だった。妹は生まれ着いて股関節脱臼していて、もう生後直ぐから石膏ギブスに入ってた。この、先生が妹向けに「めばえ」や「よいこ」などの幼児雑誌を持って来てくれてたのは、調度、妹のギブスが取れて、やっとヨチヨチ歩きができるようになった頃だ。

 そんな、S先生が持って来る古雑誌の中に、「中学生時代」や「中学生コース」の付録の小冊子があった。勿論、古雑誌の付録だ。これが「吾輩は猫である」だった。確かに夏目漱石の「吾輩は猫である」で間違いないんだけど、薄くて、途中をだいぶはしょって編集されたものだった。小学生時代は漫画しか読んだことなく、中学生になってやっと「名探偵ホームズ」のシリーズをほんの一、二冊読んだ程度の僕も、この薄い冊子の小説は読んでみた。多分、このとき、意外に面白かったものと思う。けど、これをきっかけに文学を読もう、などという気持ちにはならなかった。でも「名探偵ホームズ」のシリーズは、中学三年間で、学校図書館で借りてけっこう読んだ。ホームズものはあらかた読んでる気がする。

 ダイジェスト版という程は短くないけど、真ん中はしょった短縮版「吾輩は猫である」を読んで、最後は主役というのか、語り役の“猫”が水に落ちて死ぬところは、何とも言えないものを感じたのを今でも覚えています。漱石は青年時に他の長編も読みましたが、結局、「吾輩は猫である」完全版は未だ読んでいません。「吾輩は猫である」は小学生時代、僕の家の斜め前の屋敷に住んでた幼馴染みのMM君が、「吾輩は猫である」を読んで冒頭の十行くらいを暗誦できる、と言いに来たのを憶えています。彼は、僕にホームズものの「バスカヴィル家の犬」を貸してくれて、ホームズものの面白さを教えてくれた友達でした。

 中学生になって剣道部に入ったのも、MM 君の誘いだし、中一でもう、剣道をやめたかった僕を部活にとどまらせたのも、MM 君だったし、中一の担任のNS先生も家庭訪問のとき、僕の母親に「MM 君は非常に良い友達」だと言ったそうです。MM 君は学業成績も優秀で、必ず学年で10番以内には入ってました。本気で勉強したらトップも取れる頭だったでしょう。MM 君は、中一三学期が終わった春休みの間に引っ越して、僕を剣道部に引き留める者が居なくなったので、僕は中二の一学期までで剣道部を辞めました。中二で家庭教師もやめて成績が下がり、オヤジの放蕩も、僕が中三に上がる頃には、かなり激しくなり家の借金も増え、何か、僕の周囲の何でもが、悪い方へ悪い方へと転がって行ったような、この時期、そんな感じでした。

 僕の中三時、オヤジの放蕩は激しくなり、オヤジは嘘を言ってあちこちから金を借りて回り、オヤジの作る借金は膨れ上がり、オヤジは家に帰って来なくなり、バーの女に貢いで一緒に遊び回り、僕の中三の一年間はひどい状態でした。夜っぴて借金の債権者会議や親族会議は頻繁にあるは、次々と借金取りは来るは、ヤクザ者の取り立ては家に泊まり込むは、オヤジは人が変わってしまって、家の状態がおかしくなって、毎日の、その悪い雰囲気に反応して、頻繁に大泣きする幼児の妹を、オヤジは一度、怒鳴りながら布団にまるめてしまうは、精神的に疲れきって泣き続ける母親に、カッとなったオヤジが暴力を振るおうとするは、オヤジの変わりようはひどいものでした。まるで狂ったように人が変わってしまってた。後年、母親が、兄貴が居なければ、母親も妹もオヤジに殺されていた、と言ってたのは、高校で空手、大学でボクシングをやっていた兄貴が、オヤジの暴力を止めたからです。兄貴の足刀を喰らったオヤジはもう、何もできませんでした。母親がパニック状態で泣き叫んでるときに、オヤジにパイプ椅子を投げ付けて追い払ったのも、兄貴でした。このシーンは、オヤジも兄貴も身長180センチ以上もあって体格が良いので、まるでプロレスの場外乱闘を見ているようで、よく憶えてます。

 この辺りの話は、以前一度、当Blog、2013年3月の記事、漫画・・「虹をよぶ拳」..(2)で詳しく書き込んでますね。まあ、僕と我が家の黒歴史ですけど。ひどい黒歴史。

 まあ、昔の話ですからね。あの小冊子の「吾輩は猫である」は、中学生が読めるように書き下していたのかなあ?確かに“あれ”は読んだけど、文庫本でもけっこう厚い本編は未だ読まず、です。「坊っちゃん」とかに比べれば厚いよな。

 呉智英先生は、「吾輩は猫である」に出て来る、猫が居すわる屋敷の主人を、毎日のように訪ねて来る、知識人的な、いったい何をしているのかよく解らないような、理屈ばかり吐いて、世の中や人を批判ばかりしてる、暇人たちを、“高等遊民”と呼んで、漫画「喜劇新思想大系」の中の、これもまた何をして糧を得ているのやら、毎日昼間からブラブラしているような登場人物たちと、毎日遊んで暮らしているような、フワフワした人々、として、よく似た「同様の登場人物たち」と論じているのですけど。

  「吾輩は猫である」の猫の、やっかいになってる先生の屋敷に、毎日やって来る、教養があるが遊んで暮らしてるような連中もそうだけど、例えば「姿三四郎」とかにも出て来るけど、明治や大正の時代を舞台にした物語によく、「書生さん」て出て来ますよね。あの“書生”という若者たちは、食い扶持はどうしてたんだろう?“書生”というのが存在してたのって、戦前までかな?戦後も居たのだろうか?昔の「徒弟制度」が生きてた頃の、師匠に着く弟子ですよね。昔は、専門的な職業は学校に行くんじゃなくて、一人の“師匠”的な先生に着いた。だいたい、あれが「書生」かな(?)。昔は、小説家も徒弟制度でしたよね。「のらくろ」の田河水泡にも弟子が居たから、昔は漫画家も徒弟制度だった。学校の先生は師範学校があったからなあ。落語家の弟子も、書生っつうたら書生みたいなものですね。画家の世界も徒弟制度だったのかな(?)。

 「書生さん」は、師匠(先生)の家に住み込みかなあ。住み込みなら、先生が食べさせてたのか?それとも、実家が幾ばくか払っていたのか?昔は武道とかに「内弟子」ってあったしな。「姿三四郎」に出て来る内弟子は、住み込みかなあ?武道を習ってても「書生さん」だったのかな?「書生」という存在は、昭和30年代頃で消えたような気がする(?)。書生は、徒弟制度の中の存在ですよね。昭和の時代まで、漫才などお笑いも徒弟制度だったけど、今は、芸能プロダクションの経営するタレント養成所みたいな学校、高い入学金払って通って、卒業するスタイルになってしまった。演歌歌手はどうなのかな?昭和まではビッグネームの演歌歌手の付き人になったり、作曲家の家に住み込んだり、あれは徒弟制度でしたよね。

 「徒弟制度」を調べたら、もともとは、西洋史の中の、中世ヨーロッパの“ギルド”の、職人養成制度のコトなんですね。そこに端を発するけど、意味合い的には、専門的な職業の師匠と弟子の関係も、ちょっと似たようなもんですよね。落語家の一門の弟子とか、掃除から雑用、付き人みたいなコトしますよね。あの、弟子は何だろう、食事は食べさせてもらってタマに小遣いとか貰えるのかな?弟子が多いと師匠は大変だろう。まあ、山上たつひこ先生のギャグ漫画の名作、「喜劇新思想大系」とは書生も徒弟制度も関係ないんですけど。漫画家の「弟子」っていうのは、今はもう“アシスタント”ですね。売れっ子の量産態勢のプロダクションに入るか、ですね。

 「書生」も調べてみたら、モロに明治時代の学生ですね。明治の時代背景に於ける学生。当時は地方から出て来て学問を志す者は、先生とか学者や事業家や、お金持ちの商人なんかの屋敷に住み込みで雑用したり、イロイロ手伝ったりしながら、学校に通って高等な学問を勉強したんですね。大正時代には学校が寄宿舎など、学生寮を整備したりして、「書生」はなくなって行ったらしい。まあ、「喜劇新思想大系」の登場人物は今で言えばフリーターみたいな人たちで、一歩間違えばニートみたいな人たちかな。書生は関係ないです。思わず、僕の疑問を書いてみただけでした。失礼しました。

 山上たつひこ先生の漫画作品は、僕に取っては、僕の子供時代·少年時代に親しんでリスペクトした、手塚治虫先生をはじめ、横山光輝、桑田次郎、両·藤子不二雄、水木しげる…、などなどの往年のレジェンド大家たちの作品に匹敵するような、そんな素晴らしいフェバリット作品群です。漫画の内容は、下品·下劣味が強いかも知れないけど。60年代の貸本短編からメジャー雑誌に移行してからの70年代前半までの、山上たつひこさんの短編作品も、SF やスリラー·サスペンスなどのストーリー漫画も、先鋭的な作風で面白くて好きでしたが、70年代半ばからの「がきデカ」や「快僧のざらし」を代表作とする、独自の革命的ギャグ漫画は、僕は70年代後半から90年代まで大好きで大ファンで、いやあ~、青年期から三十代、ゲラゲラ声を出して大爆笑させてもらいました。短編ギャグ漫画も、どれも可笑しくて面白かったなあ。

 「喜劇新思想大系」とは全然関係ない、全くの余談ですが、ちなみに僕の中一·中二途中までの家庭教師だったS先生ですが、かなり老けて見えたんだけど、多分あの当時まだ現役の英語教師で、多分、中学校の英語の先生だったんだろうと思うんだけど、息子さんが大学受験生で、と言うより、東大目指す浪人生で、もう何度も東大受験するが合格できずにいて、S先生も息子さんの受験や浪人生活にお金が掛かっていて、それで家庭教師のアルバイトを何件も掛け持ちしていたようです。僕の一コ歳上の従兄もS 先生に家庭教師で習ってた。従兄は金曜か土曜の晩で、僕は日曜の午後。多分、他の曜日にも他の生徒を持ってたんでしょうね。多分、母親から後で聞いた話でしょうが、東大目指して何浪もしていた息子さんは、一橋大に切り換えたら、一回ですんなり受かったんだとか。このときは僕も、雲の上のような話ですが、ああ、同じ国立の名門でも、東大は別格で難しいんだなあ、と思ったものでした。もう数十年前の話だから記憶がどうか。もう一つ、オヤジの会社の先輩か上司の話で、息子さんが何度も東大受験して受からず、京大に切り換えたら一回ですんなり上がった、という話もあったし、ひょっとすると混同してるカモ。何しろ昔々の話だし。「喜劇新思想大系」と全く関係ないけど、S 先生のコト書いたら、S先生のエピソード思い出して、つい書きました。関係ないし何でもない話で済みません。

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