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●小説・・ 「じじごろう伝Ⅰ」 長いプロローグ..(4)

4.

 愛子と和也は、吉川家のダイニングに居た。二人は食卓を挟んで向かい合い、和也は椅子に座り、愛子は立ったまま不機嫌な態度で、コップでウーロン茶を飲んでいた。二人とも、部屋着と寝巻きを兼ねたスウェットの上下姿で居る。

 「あんたのお陰で、あたしまで一緒にガミガミ、文句言われちゃったじゃないのよォ!」

 愛子が荒々しく和也に突っ掛かった。昨夜、母親に怒られたことを言っているのだ。

 「まったく、義行兄ちゃんは全治2ヶ月で入院しちゃうしさ」

 本田義行は失神している時に、通り魔に二回、横腹のあたりを強く蹴られた傷で、肋骨を2本骨折していた。

 「高校柔道の県大会予選にも出られないってよ!」

 語気荒く、愛子の和也への叱責は続く。和也は、どうしていいのか解らなく困った顔をして、黙ったまま、目の前のコップいっぱいに注がれたウーロン茶を見詰めていた。それを飲もうともせず、両手でコップを弄る。

 「まったくもう!」

 愛子はテーブルを離れ、ダイニングの中をうろうろし、シンクまで行き、手の中のコップのウーロン茶を一気に飲み干して、シンク台にコップを置いた。和也は頭の中では、昨夜からのことをあれこれと思い出していた。

                 *           *

 公園グランド奥、林の中の荒れ果てた遊歩道で、倒れたままだった義行が失神から息を吹き返して目覚め、半身を起こしたところに、林の藪を掻き分けて、和也の母親・智美と姉・愛子、それから義行の父親・隣家の本田忠行が現れた。智美と愛子は先ず和也を認め、和也の名を叫んだ。そして、座り込んだままうなだれて、首筋をさすりながらもうろうとしている義行を見て、二人から二間程離れた位置で、うつ伏せに倒れたままの通り魔の姿を見た。

 智美も愛子も、倒れているパーカーのフードを被り、覗いている横顔が覆面で被われている姿を見て、すぐにあの時と同じ通り魔の男だと解った。智美は現状を見て、金切り声で叫びを上げた。そして、ぽかんと突っ立ったままの和也に駆け寄り、和也の片頬を一発平手で叩き、和也を抱き締めて号泣し始めた。

 本田忠行は、我が息子の名を鋭い声で読んで駆け寄り、「どうしたんだ、大丈夫か!?」 と声掛けながら、ぼんやりしたままの義行の肩を両手で持って揺すった。

 座り込んだままの義行は、父の両手での揺さぶりに、「ううっ‥」 と呻いて苦悶の表情を見せた。そのまま身体を曲げて、左の脇腹を押さえ苦しそうにしている。

 「義行兄ちゃんは、通り魔のヤツにお腹を蹴飛ばされたんだよ」

 母に抱きすくめられたままの和也が喋った。

 「こいつ、気絶したままなの?」

 和也を心配そうに覗き込んでいた愛子が、体勢を変えて何歩か近付いて、そおーっと、倒れたままの通り魔の様子を窺った。

 「愛子、よしなさい、危ないわよ!」

 智美が、和也を抱きすくめた腕を緩めながら、愛子に向かって叫んだ。

 「早く警察を呼ばなきゃ!」

 「俺が呼ぼう。救急車も呼ばなきゃ。義行の傷が深そうだ」

 本田忠行は、左脇腹を押さえて苦悶の表情で唸っている、息子の元から立ち上がって、ズボンのポケットから携帯電話を出した。

 「お母さん、ごめんなさい!」

 ようやく正気に戻ったように、和也は母・智美に抱き着いて泣き始めた。

 「ちっ。ここは圏外になっとるよ。智美さん、悪いが俺はグランドの方まで出てみる」

 右手に携帯を持ったまま、小走りに遊歩道メインロードの方へ駆け出した本田忠行を、愛子が呼び止めた。

 「待って、おじさん。あたしが電話掛けに行く。おじさんは残ってて。こいつが、いつ気が付かないとも限らないもの」

 愛子が、倒れたままで全く動かない通り魔を指して言った。

 「それもそうだな。じゃあ愛子ちゃん頼むよ」

 「わかった」 返事するが早いか愛子は駆け出して、忠行が行こうとした遊歩道メインロードへと出て行った。

 「大丈夫なの、愛子? 気を付けるのよ!」

 母・智美が大きな声を掛けた時は、もう愛子の姿は遊歩道メインロードの角を曲がって見えなくなっていて、「はーい!」 という返事だけが聞こえて来た。

 「義行、しっかりしろ!」

 本田忠行は再び義行の元へ寄って腰を降ろし、後ろから、今度は優しく両手を肩に回して息子を軽く抱いた。義行は相変わらず苦悶の表情で唸っている。手負いの義行も、父親を確認しているらしく、初めて言葉を出した。

 「父ちゃん、痛てえよ‥」

 「大丈夫だ。今、救急車呼びに行っとる。心配するな、もうすぐだ。我慢しろ、義行。柔道二段が泣くぞ!」

 本田忠行の、愛息を激励し力付ける言葉に済まない気持ちが強まって、吉川智美は息子・和也をまた怒って見せた。

 「ほら、隣のお兄ちゃんをごらんなさい、あんな大怪我しちゃって。あんたが、こんな危ないことに義行君を連れ出すから悪いのよ!まったくもう」

 しばらく沈黙が続いたが、本田忠行が、うつ伏せ状態のまま倒れている通り魔の方を凝視しながら、一つの疑問を口にした。

 「そういえば、この通り魔はどうして倒れているんだ? 義行は、そいつの手元に転がっておる、何とかいう防犯用の電気ショック機械でやられてしまったんだろ? 通り魔は、誰かがやっつけたのか? 和也君は見てないのかい?」

 独り言のように喋り始めた忠行の後半の言葉は、和也に問い掛けられていた。泣き止んでいた和也は応えた。

 「ううん、知らない。僕も、通り魔にさんざん脅されて気を失っちゃってたんだ」

 「まあ。じゃあ、この間の‥」

 智美が思い出して言った。

 「あの時、あんたたちが言ってた、白いワンちゃんというのが、また助けてくれたのかしら?」

 「智美さん、ワンちゃんって?」

 「いえ、この前一度、愛子と和也がこの市民公園の先の一本道で通り魔に襲われたでしょ。その時、白くて大きな犬が現れて、二人を助けてくれたって言うのよ」

 「へええー。そんな話は知らなかったなあ。不思議な話だねえ。まあ、この通り魔のヤツを、警察で取り調べて貰えば解ることだろうが。まったく死刑にして貰いたいくらいだよ。ロープでもあればふん縛っとくんだが」

 そう言って、本田忠行はキョロキョロあたりを見回した。そこへ、駆け足で愛子が戻って来た。

 「電話して来たよ!どっちもすぐ寄こすって」

 愛子は息を切らせながら言って、智美と和也の傍まで行った。

 「和也、あんた。義行兄ちゃんは怪我してて病院行くから、あんたが警察の事情聴取受けることになるよ。大丈夫、あんた?」

 義行がこちらを見て、何か言いたそうだが苦しそうな顔を向けるだけだった。代わりに父親が詫びた。

 「ごめんな、和也君。義行はけっこう重症みたいだ。まあ、明日には義行も警察にいろいろ訊かれることになるだろう」

 「いいえ、本田さん。和也が悪いんですもの。義行君をそそのかして、晩、こんな寂しいところに連れ出して。ホントにもう、あれだけ行っちやいけないって言ってたのに!」

 智美が、忠行の言葉を引き取って済まなさそうに言い、後半は我が子和也に対して、怒りの言葉として向けられた。和也は、既に泣き止んでいた。上目遣いにそっと、智美と愛子の顔を窺う。怒りの表情の二人はどちらも、まだまだ決して許してないという意志が見て取れる。しばし沈黙が訪れた。

 本田忠行は座り込んだまま、苦悶の表情の義行に寄り添い、和也には智美が寄り添い、その傍らに愛子が立っていた。林の中の遊歩道を覆う、木々の枝葉の間から覗く夜空は、雲が晴れていて半月が見えていた。あたりは静寂そのものだ。

 やがて、遠くでパトカーのサイレンの音が聞こえて来た。少し遅れて救急車のサイレンが聞こえて来た。二つのサイレンはだんだんと近付いて来た。そして、公園グランドの脇に、救急車が一台とパトカーが二台、到着した。遊歩道の中には車両が入れないので、グランド沿いの通路から、愛子が、警官や救急隊員を現場まで先導し案内した。

 それからは、被害者の一人、本田義行は救急車に担ぎ込まれ、父・忠行が同乗して救急病院へと搬送された。被害当事者である和也と、母・智美、姉・愛子は事情聴取のため、パトカー先導で、智美の車で警察署まで行くことになった。失神したままの通り魔は、刑事や警官が声掛けたり揺すったりしたが、意識を取り戻さないので、もう一台救急車を呼び、警官二名同乗で警察病院へと搬送した。

 智美ら親子三人は一応警察署まで行ったものの、その時点で既に午後10時近くになっており、被害当事者が小学生であり、もう時間が遅過ぎるということで、事情聴取は明日行うことになり家に帰された。三人が帰宅すると、父・和臣が勤めから帰っており、随分心配していたが、翌日は仕事で、どうしても外せない業務があると言って、早朝いつもの時間に会社へと家を出て行った。翌日、智美は、小学校へ電話を掛けて事情を話して和也を休ませ、自分もパートの仕事を休んで、午前中の内に再度警察署へ出向いた。愛子はいつも通り中学校へ登校した。

 警察署での事情聴取は、署内の応接室で、二時間近く掛けて行われた。被害者への事情聴取に当たった刑事は、事件の経過というか、時系列に事の流れを仔細に訊ねて来て、主に母・智美の方が質問に応えた。被害当事者が小学三年生ということもあり、担当刑事もそれで納得した。時折、確認のためか、和也本人の短い返事だけもらっていた。

 やはり疑問は、どうして通り魔が昏倒失神していたのか? ということだったが、この件に関する刑事の質問にも、和也が、逃げ場のない追い詰められた恐怖心から、気を失ってしまい、それで、その後のことは何も覚えていない、という回答で、刑事の方も相手が小学三年生であるということで納得して、それ以上この問い掛けを続けることはなく、却って和也の様態を心配していた。この件については容疑者の通り魔本人に訊く、という話だった。通り魔は、この日の朝には意識を回復しており、警察病院内で朝から尋問が始まっており、犯人の容態を見て、こちらの本部へ身柄を移送するということだった。

 午後一時過ぎには智美と和也は帰宅し、少し遅い昼食を取った後、和也には今日は一日、施錠して家からは絶対出ないように、ときつく言い置いて智美は、また車で何処かへと出掛けて行き、夕方近くに家に戻って来て、夕飯の仕度に取り掛かった。

 夕方、愛子が学校から帰って来ると、智美は、今回の市民公園での通り魔の事件のことで寄合があるからと、愛子に、和也を絶対に家から外へ出さないように、と留守を頼み、近くに設けられている地区の集会所へと、愛子と入れ替わりにまた出掛けて行った。何でも、この住宅街地区の各役員や、市役所の児童課の職員から少年野球チームの監督やコーチまで、会合に出席するらしい。それ程、今度の通り魔事件は地域として問題視されていた。今後の対策を話し合うらしい。

 そして、吉川家の家には、愛子と和也・姉弟が残された訳である。時刻は午後八時を回った。先に子供たち二人で夕食を済ませといていい、ということだったが、愛子は母・智美の帰りを待って食事には手を着けていなかった。相変わらず父の帰宅は遅いらしく、今晩もまだ家には帰って来ていない。この頃は父が帰って来るのは、午後10時を過ぎることが多い。時折は11時を回ることだってある。

 「まったく、お父さんはこんな時も遅いんだからね! 昨晩、あんな事件があったばかりだというのに。自分の息子が心配じゃないのかしらね」

 愛子が、自分の方を見ながら、怒ったように強い語調で言ったのに反応して、それまで頭の中で、昨夜からの一連の動きを追って回想し、見た目はボーッとしていた和也は、はっと気付いて我に返り、姉を見て訊いた。

 「え? どうしたの、何か言った?」

 「父親が父親なら、息子も息子よね。処置ないわ」

 愛子が、手振りを入れて大袈裟に呆れて見せた。和也は黙ったままで、愛子の様子を窺っている。ヘタに口を挟むと、また怒り出しそうな気がして凝っとしているのだ。和也は、それまで両掌で弄んでいたコップのウーロン茶を一口啜った。愛子はシンクまで戻り、シンク台のペットボトルからコップにウーロン茶を並々注いで、和也の座るテーブルまで、またやって来てコップを置いた。

 「お母さん、まだ帰って来ないのかなあ。お腹すいたなあ。先、食べちゃおうかなあ‥」

 立ったままで、テーブルのウーロン茶を取って一息飲む。またコップを音をたてて置いて、愛子は独り言のように喋り出した。

 「もう、この頃お父さん、ずーっと遅いよね。あたし、最近お父さんと一緒に夕飯食べたことないよ。朝だって、お父さんとは時間差になるしさ」

 愛子と父・和臣の朝、家を出る時間帯が少々違い、朝食を取るのにテーブルに着く時間が前後することが多かった。

 「ねえ、お父さん変だと思わない? この頃は日曜でもいつも出掛けて行くでしょ。そうそういつもゴルフはないわよねえ‥」

 和也は、頭の中では別の思いでいっぱいだった。公園奥の森の怪人、じじごろうや、とても賢そうで可愛い犬、ハチ。そして白くて大きな犬。あの三人は、あそこらへんに棲み着いて暮らしてるんだろうか? あの、大きなお爺さんは裸で居て寒くないんだろうか? いつも裸で生活してるんだろうか? 三人は食事はどうしてるんだろう? 今日は何か食べたんだろうか‥?

 「ねえ、ひょっとしたらお父さんて‥」

 愛子の話には上の空で居て、天井を見上げたまま、ぽかんとしている和也に、愛子は気が付いた。和也は、心ここにあらずといった有り様だ。

 「ねえっ、ちょっと和也、聞いてるの!?」

 愛子が怒鳴った。はっと我に返った和也は、驚いた顔で愛子を見た。和也の頭の中は、公園の森の、異様な三人のことでいっぱいなのだ。和也は、明日、自分の小遣いを使って三人に何か食べ物を買って持って行こう、と考えていたところだった。

 「えっ? どうかしたのお姉ちゃん?」

 愛子は、怒りと呆れ顔を交えて和也を馬鹿にした。

 「どうかしたの、じゃないでしょ。もーう、ちょっとあんた。何、いつもいつもボオーッとしてんのよ! これが我が弟かと思うと悲しくなるわよ」

 愛子の、和也への非難はまだやまない。ぷんぷん怒った顔で続ける。

 「大丈夫なの? あんたも男の子でしょ、しっかりしなさい!」

 怒った愛子に責められても、反発して言い返したり、めげて落ち込んだ様子を見せたり、ということもなく、和也は、特に反応せず黙ったままだ。和也の頭の中はもう、公園の森の、あの三人ともっと近付きたい、できれば友達のように仲良くなりたい、ただそればかりだった。正直、今は、愛子の話していることなぞどうでもいいこと、という気分が本音だった。

 実は、愛子が言おうとして口に出掛けて思いとどまったのは、近頃、父親の帰りが遅く、仕事が休みの日でも何かに付け一人で出掛けて行くのは、父・和臣に愛人が居るのではないか、と疑っている、そのことだった。その疑問を口にしようとしたが、小学三年生の弟に話す事柄ではない、と中学生の姉として分別を持ったのだ。一人、天井を見上げて何事かもの思いに耽る幼い弟を、無邪気なものだと思い、何か、腹立たしい気分も納まって来た。そうこうしている内に、母・智美が寄合から帰って来た。

                 *           *

 翌日からは、総合市民公園内は毎日、時間割で警察車両がパトロールするようになった。公園付近の通りも含めて、朝昼晩と日に何度かパトカーが巡回している。少年野球チームの練習時は、公園駐車場にパトカーが一台待機体勢を取った。また子供たちが練習プレイするグランド周辺には、地域や役所の係員など、大人の男性が二人くらい、安全を守るために立った。特に、通り魔事件からの一週間は、公園内は厳戒体制のような状態で、パトカーの待機や通路パトロールだけでなく、実際に警官が園内を歩いて巡回したりしていた。市内の小中学校では、子供たちだけでは極力、公園内には入らないことが言い渡された。また、公園内を散策や歩行訓練などで利用する老人たちもめっきり減った。特に、事件から一週間は、老人たちの姿もほとんど見なくなっていた。また、通り魔の証言で、野良犬が突然現れたという供述があったので、保健所の職員が、害獣駆除パトロールに回ったが、犬猫一匹捕らえることはなかった。和也は、保健所が犬捕りに入ると聞いてとても心配したが、後で、保健所の動物捕獲は一匹もなかった、という話を聞いて胸をなで下ろして安心していた。

 和也自身、もう一度公園奥の森の中に居るであろう、あの不思議な三人に会いに行きたくて仕方がなかったが、どんな時間も、パトカーは必ず園内の何処かに停まっているは、警官や地域役員の大人などが公園内をパトロールで歩いているはで、少年野球の練習時間以外で、とても子供が公園内に入って行ける状況ではなかった。ましてや和也は、少年野球チームのコワモテ監督に練習終了時の挨拶時に、一人さらし者のようにみんなの前でこってりと怒られた。大人の言うことを聞かず、大人の目を盗んで、暗くなってひと気のない夜の公園内の、しかもとりわけ寂しい場所に、子供だけで入るという勝手な行動をした、という理由でだった。日頃から練習の積極性に欠け、戸外よりも家の中を好む、青白きTVゲーム子供と思われており、また妙に反抗的雰囲気も持った和也を、いつも監督は睨みを利かせていた。ここぞとばかりに強烈に、和也は叱られた。勿論、体罰はないが、チーム全員の前で吊し上げにされ、さらし者としてガミガミ怒られるのはキツかった。和也は、もう少しで泣きそうになったくらいこたえた。必死でこらえたが、実際、涙ぐむまでしていた。

 それからというもの、練習には二度と行きたくない気分であったが、母の強制で車で連れて行かれ、やむなく練習には参加を続けていた。また、和也には他の気持ちもあった。少年野球の練習で公園内に入り、少しでも、あの三人の近くへ行きたい、あわよくばうまく行けば、何とかしたい、と願っていた。実は、隙を見て折りあらば、林の中へ入って行って、三人を探したいという思いは強かった。しかし、とてもそんな真似ができる状況ではなかった。

 まるまる一週間は、厳戒体制ともいえるような公園内の管理状態だったが、一週間の間、別に何も起こらないと少しづつ緩くなり、パトカーが公園内や周辺を巡回する頻度も減って行き、10日を過ぎた頃には、午前・午後・夕方の日に三回だけに落ち着いたようだ。時々、深夜にも回っているようである。公園内を、警官や明らかに地区の保安担当役の大人が、パトロールで歩き回る姿も見掛けなくなった。昼間や夕方頃の散策や歩行訓練の老人たちも戻って来た。少年野球チームの練習の時だけは、グランド周囲に保安役の大人が二人ほど立った。

 結局、和也は、通り魔事件からとうとう、公園奥の林の中へ不思議な三人を探しに行けないままで、10日以上も経ってしまっていた。

 ある日の夕方の市民公園内、自転車に乗った少年が通路を、野球グランドの前までやって来た。少年は、黒色の詰襟の制服、いわゆるガクラン姿で、背格好はあまり大きくなく、頭髪は中くらいに伸びた髪がボサボサにされていて、前髪でおでこが隠れていた。ガクランは既製服のままだ。普通に真面目な生徒らしい。

 グランド前の通路で自転車を停め、サドルから降りると自転車を押して、その先に続く遊歩道への入口に向かった。自転車の荷台には、高さが50センチくらいの短い脚立が寝せて積まれており、その上に大きな薄っぺらいバッグが乗せられて、ゴムロープで括られている。

 グランド前の通路を、自転車を押して10メートルくらい行くと遊歩道への入口になり、車両が入って行けないように、進入禁止のU字形金属車止めが二本、埋め込み設置されていた。その、二本のU字車止めの間を、自転車を押してすり抜けて少年は遊歩道へと入った。遊歩道に入ると、周囲の高い木々の枝葉が覆い、夕方といえどまだ陽があるのだが、このあたりに来ると薄暗く感じられた。

 遊歩道は、舗装された狭い通路で、林の中を走り、両サイドには季節季節で見頃のある、ツツジや桜の木やその他、いろいろな植え込みが続いていた。途中、細長く花壇が続く区域もある。遊歩道は掃除され整理されており、両側の景色は手入れが行き届いていた。昔はちょっとした深い山林だった場所を、山々を切り開いて作られ整備された市民公園の中は、全面積はかなりの広さを有し、昔の山跡も残されており谷も各所にあって、長い遊歩道は高低差も楽しめる。園内の、二面グランドや遊具公園の他にも、多目的なちょっとした広場や山跡のこんもりした高台や小山、山林跡の林などが縦横にあり、その中を、遊歩道は枝分かれしてくねくねと何本も伸びている。この遊歩道は、全長にするとかなりな距離があり、公園初心者にはちょっとした迷路になっているくらいだ。

 自転車を押す少年は遊歩道を進むと、やがてメインロードから枝分かれした、引き込み路に入って行った。引き込み路の方は、メインロードのように整理や掃除がされておらず、一応舗装された路面の上は枯れ葉の跡や泥が覆っていて汚く、荒れ放題だった。何年も掃除されておらず、人も滅多に踏み込まないのだろう。少年は、悪路をガタガタと自転車を揺らしながら、ひたすら押して進んだ。高い木々の枝葉が上空を覆う、遊歩道引き込み路は薄暗くて寂しい。ガタガタと自転車を押して行って、一本の外灯が立つ下まで来て、自転車を停めた。やがて、チカチカと外灯が点滅を始めた。

 公園内の外灯は、夕方の定刻に点灯するように設定されているのだ。少年の頭の上の外灯と、向こうに見えるメインロードとの境い目角に立つ外灯が同時に灯った。まだまだ陽が落ちてはいないので、灯りはぼおーっと点いている。外灯が立つ少し奥の右手に、太い横枝の張り出した大きな樹木があった。林の木々の中でも特に幹が太くて、何本も出た枝も立派だ。特に大きな枝がほぼ水平に、一本張り出していた。

 このあたりの遊歩道の周囲は、深い林だ。片側の林の中をしばらく行ったら、野球用グランドの外野の奥になる。ここまでやって来るのは、少年が最初に自転車を停めた通路からは、直線距離ではグランドを横断して林の中を歩いた方が近いだろう。だが、自転車を押しては林や茂みの中は通って来れない。少年は、停めた自転車の荷台のゴムロープを解いて、バッグと短か目の脚立を降ろした。少年は脚立を抱え、バッグを持つと、先程の横枝の立派な樹木の下まで行った。そして、地面に降ろしたバッグのジッパーを開けると、中から太いロープの巻き束が出て来た。少年は、脚立を、大きな樹木の、横に張り出した太い枝の下に設置し、束のロープを解き、伸ばした。

 

※長いプロローグ..(5)へ続く。

◆(2012-01/01)小説・・ 「じじごろう伝Ⅰ」 長いプロローグ..(1)
◆(2012-01/19)小説・・ 「じじごろう伝Ⅰ」 長いプロローグ..(2)
◆(2012-01/26)小説・・ 「じじごろう伝Ⅰ」 長いプロローグ..(3)
◆(2012-02/06)小説・・ 「じじごろう伝Ⅰ」 長いプロローグ..(4)
◆(2012-02/10)小説・・ 「じじごろう伝Ⅰ」 長いプロローグ..(5)
◆(2012-03/02)小説・・ 「じじごろう伝Ⅰ」 長いプロローグ..(6)
◆(2012-04/02)小説・・ 「じじごろう伝Ⅰ」 長いプロローグ..(7)
◆(2012-04/25)小説・・ 「じじごろう伝Ⅰ」 長いプロローグ..(8)
◆(2012-06/01)小説・・ 「じじごろう伝Ⅰ」 長いプロローグ..(9)
◆(2012-06/16)小説・・ 「じじごろう伝Ⅰ」 長いプロローグ..(10)
◆(2012-07/06)小説・・ 「じじごろう伝Ⅰ」 長いプロローグ..(11)
◆(2012-08/04)小説・・ 「じじごろう伝Ⅰ」 長いプロローグ..(12) 

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