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「ブラック9-ナイン-」-江原伸・作画-

 今回のお題、タイトル「ブラック9-ナイン-」ですが、実は僕はこの漫画「ブラックナイン」を読んだことはありません。多分、少年時代リアルタイムもこの漫画は知らなかったと思います。

 でも作者の漫画家、江原伸さんはよく知ってました。よく知っていたというのは、子供時代は当時の各少年雑誌で江原伸先生作画の漫画作品をいっぱい読んでたからです。

 60年代は各少年雑誌に江原伸先生の漫画が長編·短編、掲載されててしょっちゅう読んでました。70年代になると、僕はあんまり少年漫画を読まなくなったし、江原伸先生は70年代からは学年誌などで描いていたようですね。

 「ブラック9-ナイン-」の雑誌連載は小学館の学年誌-小学五年生の1970年10月号からの連載です。「ブラックナイン」の連載がいつまで続いたのかよく解らないのですが、小学五年生3月号まで続いて、その後、持ち上がりで1971年の小学六年生へと連載が続いてますね。一年間くらいは多分、続いてると思いますが小六の連載終了号は解りませんでした。

 1972年の小学六年生には江原伸さん作画の「紅のナイン」というタイトルの作品が連載されています。済みません、僕にはこの漫画の内容は全く解りません。原作付きで原作者は「ブラックナイン」と同じく夏木信夫さんとなっています。“ナイン”とあるから多分同じく野球漫画なんじゃないかなぁ。

 江原伸さんが週刊少年サンデーに野球漫画「スター9-ナイン-」を連載したのは1966年第25号から67年の10号まで。この時代の連載漫画としては割りと長期の連載ですね。僕も「スター9」は覚えています。ただストーリーまでは記憶してないですね。“超人野球チーム”みたいな感じだったかな(?)。あやふやで済みません。主人公の野球少年(青年)が野球能力がメッチャ凄くて似たような仲間を集めて一つの野球チームを作るまで、じゃなかったかな(?)。違ってたらゴメンナサイ。

 ネットで調べたら、あるサイトに「沢村栄治の意思を継いだボール型の痣を持つ九人が集まって来る」とありました。そういうベースストーリーのようですね。「スター9」は読んでる筈ですけどストーリーは全く記憶してないですね。この時代、僕は10歳か。

 週刊少年マガジンの1972年春から73年春までの一年間、本宮ひろし氏作画で「群龍伝」という野球漫画が連載されてたのですが、同じようなテーマの野球漫画でした。

 「群龍伝」の方は九人の青年の背中に生まれつき竜の部分部分の痣が入っていて、九人背中を揃えると一匹の竜になるというものでした。この漫画は雑誌連載リアルタイムで読んでたのでよく覚えてます。

 ボール型の痣とか竜とか南総里見八犬伝みたいな感じかな。

 1963年の週刊少年サンデーに「まぼろし分隊」という戦記漫画を連載してますがこれは全く覚えてないですね。サンデー63年28号から41号までの短期連載。僕はまだ7歳だもんなぁ。多分、太平洋戦争中の陸軍が舞台なんだろうと思うけど。

 調べたら、どーも、「まぼろし分隊」は太平洋戦争中の南太平洋の島々で暗躍した日本軍の秘密精鋭分隊の数名の活躍を描いた漫画みたいですね。詳しくは解りませんが、敵·米英軍の戦闘機や潜水艦が出て来るようです。

 漫画家-江原伸さんが主に活躍したのは50年代末から60年代の少年漫画雑誌でした。江原伸先生の漫画作品は60年代の漫画雑誌でけっこうよく掲載されてました。

 大ヒット漫画という作品には恵まれませんでしたが、60年代の少年漫画雑誌では、全ての月刊誌·週刊誌で長編連載や短編読み切りを掲載されてました。僕は、特に短編読み切り漫画をどの雑誌にも描いていたという印象が強いですね。

  

 けっこう長編連載もあったのですが、大ヒットした作品というのはなかったかなぁ。少年雑誌ばかりでなく少女雑誌にも作品を描いていたようですね。少女漫画の作品もけっこう多いようです。僕は子供時代から少女漫画誌はほとんど読んで来てないですから、後々、作品記録などで知ったのですが。

 

 当時の少年月刊誌6誌、少年週刊誌3誌全部で江原伸氏の作品を長編·短編、読んだ覚えがありますから、大ヒット作品はなくてもけっこうな売れっ子漫画家だったのではないかな、と思います。

 1966年の東宝正月映画「怪獣大戦争」のコミカライズを当時の「少年ブック」お正月増刊号の別冊付録に描いてますね。

 1965年12月下旬公開の東宝特撮「怪獣大戦争」は僕は小四の冬休み、劇場に見に行ってます。水野久美さんのX星人が印象的でした。

 70年代は小学館の学年誌の長編連載が多く、少年野球漫画が多いみたいですね。「あばれ千太郎」とか「泣くもんか ガッツでGO」など。1972年の小学五年生に、当時のバレーボール-スポ根テレビアニメ「ミュンヘンへの道」のコミカライズを描いてますね。

 70年代に小学館の学年誌に連載された江原伸先生の長編作品は、元々は貸本出版社だったひばり書房が新書判でひばりコミックスとして刊行しているようですね。

 僕は子供時代、あんまり小学館の学年誌を読まなかった上に、70年代は僕はもう少年後期から青年の時代ですし、小学館の学年誌に掲載された江原伸さんの漫画は読んだことないです。

 戦後、光文社の少年雑誌「少年」の1963年例月号に連載されていた江原伸さんのSF漫画、「新人間大介」は覚えています。僕は小学生時代、雑誌「少年」を毎月購読していたので、多分、連載分は全編読んでると思います。

 ただ、江原伸先生が描いていたそういう漫画があったとは覚えているものの、何せ60年以上前のことですからストーリーなど詳細は全く記憶していません。

 「新人間大介」は多分、超能力者や改造人間などの超人を扱ったSF漫画だと思いますが、済みません、詳しいことは全く解りません。

 SFといっても科学冒険漫画というよりは、超人的能力を持ってしまった少年(青年)が、スポーツなど現実社会でどう生きて行くか、みたいなもっとヒューマンな内容みたいですね。当てずっぽうで書いてて済みません。

 江原伸さんの漫画というと、僕の記憶に印象的に残り続けている漫画作品が一つあって、この漫画は短編読み切りのホラー作品なんですけど、僕の小学生当時読んだ雑誌の掲載漫画です。

 多分、小学校四年生くらいの時代の、秋田書店の月刊児童誌「冒険王」の短編読み切りで、夏の号だったか冬の号だったか、「冒険王」本誌の真ん中くらいにカラー扉なしで掲載された怪奇漫画です。

 この冒険王は当時ほとんど毎日通っていた近所の貸本屋から借りて来た雑誌で、一泊二日そのとき読んだきりなんですが、どういう訳かこの冒険王でこの短編読み切りだけを印象深く覚えている。

 江原伸先生の作品で、お話は、とある田舎の村の人里離れたところに湖沼があって、ある少年がこの湖沼で白い着物姿の若く美しい女性に出会う。

 

 今から60年近く前に一泊二日で一度読んだきりの短編漫画なので印象しか覚えてなくて、細かいストーリーなんて全然記憶してないです。

 何か伝説のある沼で、少年の友達や周囲の人たちは、その沼には近付くなと警告する。

 少年は沼に現れる若い美しい女性に恋してしまって、毎夜、沼まで女性に会いに行く。

 友達や周囲の者たちはみんな必死になって少年を止める。しかし、少年は周囲の人たちの制止を振り切って沼に、白い着物の女に会いに行く。

 ラストのクライマックスは、ある夜、少年が沼に行くと、美しい若い女は正体を現し、少年の前で見る見る醜い老婆になって行く。

 老婆はこの沼で百年前とかの昔に死んだ妖怪だった。とかいうお話だったと思う。

 沼の怪奇伝説の主の醜い老婆の話だったか、大昔に悲しい死を遂げた幽霊だったのか、若い美しい娘の姿で夜な夜な沼のほとりに現れていた。

 その妖怪か幽霊かに恋した少年の悲恋のホラー短編でした。

 どういう訳か僕はこの江原伸さんの怪奇短編読み切りを印象深く覚えているんですよね。勿論、この九歳か十歳頃に一度読んだきりで再読したことはありません。60年前の記憶だからストーリーなどはだいぶ間違っているのかも知れませんけど。

 画像探したけど当然のように解りませんね。掲載誌も昭和39年か40年頃の「冒険王」の何月号かも解らないし。

 

 1959年創刊の週刊少年マガジンの最初期60年連載のギャグ漫画「崑ちゃん」の作者は江原伸さんでした。当時の少年漫画家はストーリー漫画主体でも、少女漫画もギャグ漫画も描いてました。

 50年代後半~60年代のテレビ·コメディ劇で、関西のお笑いスター-大村崑さんは大人気でした。「とんま天狗」「番頭はんと丁稚どん」「やりくりアパート」などの大村崑さんの出演するコメディ劇はみんな視聴率が高かった。

 当時は大村崑さんを主役に持って来た漫画がいっぱいありました。コミカライズといえば、まぁ、そうかな。大村崑さんは子供たちの人気も高かったですからね。少年誌、貸本、少女誌にも崑ちゃんを描いた漫画が載っていた。無論、それぞれ別の漫画家が描いてました。

 僕が少年マガジンを読み始めるのが1963年の春からですから、江原伸さんの「崑ちゃん」は読んだことはないです。

 江原伸先生は、学年誌に少年野球漫画などスポ根ものを何作も描いていますが、60年代初期から少女誌に少女漫画を長編·短編、何作も描いています。少女漫画はスリラーものが多いようですね。

 また、70年代以降は成人·青年コミック誌に作品を描くこともあったようです。

 僕が江原伸先生の作品を愛読したのは60年代の少年時代で、60年代でも少女漫画作品は読んだことないし、江原伸先生の大人向け漫画も読んだことはないですね。僕の少年時代後期や青年時代に江原伸先生の大人向け漫画も読んで見たかったですね。

 少年時代は江原伸先生の絵柄も好きで、作品はけっこう好きで愛読しました。江原伸先生の漫画作品は、子供時代にたくさん楽しませて貰いました。

◆ブラックナイン 江原伸·作画 マーケットプレイス コミックセット

◆泣くもんか ガッツでGO! 江原伸·作画 マーケットプレイスコミックセット

◆黒い白鳥 A5貸本 少女ミステリー漫画 江原伸·作画

 僕が江原伸先生の漫画作品を愛読したのは60年代で、70年代に入ってからは読んだことないのですが、ここの記事のタイトルに「ブラック9-ナイン-」を持って来たので、「ブラックナイン」は1970年~71年の作品なので、ブログカテゴリ分けは“70年代漫画作品”としました。

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☆最近読んだ比較的新しい漫画

 「め~てるの気持ち」1巻・・引き籠り版ラブコメ。奥浩哉·作画

 禿げ頭に黒淵メガネのサエナイ中年サラリーマンには30歳童貞の長年引き籠り息子がいて、二階家の一軒家に、引き籠り息子と二人暮らし。女房とは早くに死に別れてる。職場では裏で馬鹿にされてるような影の薄い存在の中年サラリーマンだが、同じ職場にこのサエナイおっさんを慕う若きOLの可愛い女の子がいた。そして二人は秘密裏に男女の交際をしていた。

 やがて禿げ頭のサエナイ中年サラリーマンのおっさんは、不可思議にも、可愛い可憐なOL女子と結婚する。だが石垣島への新婚旅行で、バラ色に楽しい天国のような地で、サエナイおっさんサラリーマンの新郎は本当に天国へ行く。つまり急死する。

 親父は引き籠り息子を部屋から出すために若い彼女を紹介するが、結局部屋から出て来なかった。実は末期ガンだった親父は息子を部屋から出すためにも若い彼女との結婚を決意したのだった。

 禿げ頭のサエナイおっさんと結婚した本編の主人公の1人、23歳のはるかは若き未亡人となるが、30歳の引き籠り息子もいる(義理だけど)。主人公の1人、引き籠り歴15年の慎太郎は父親の葬儀でも部屋から出て来ない。

 親父は若き嫁に自分が死んだ後、関係ないから息子はそのまま放っておいてまた新たに自分の人生を歩むよう、遺言していた。悩みに悩んだ挙げ句、はるかは夫のいなくなった二階家に残り続け、30歳の遺児を部屋から出すことを自分の目標とする、と決意する。

 ここから、二階家の一階で暮らす20代前半の未亡人カワイコちゃんと、二階の部屋に籠る30歳無職童貞の奇妙な攻防が始まる。

 亡き夫のために義理の引き籠り息子を何とか部屋から出そうと四苦八苦する若い未亡人と、その若き義理の母に恋する童貞30歳。

 勘違いとすれ違いのドタバタコメディ。息子は部屋から出ることができるのか、若き義理母は部屋から出すことができるのか。

 義理息子に対する恋愛慕情は全くないはるかに、無職30歳の恋心の気持ちが届く日が来るのだろうか…。・・・

 2023年の公表で全国の引き籠り者の推計は146万人いる、と出ていた。随分前から引き籠り者の年齢が上がって行っている、と問題視されていたけど、40代50代の引き籠りの人たちも多いようですね。

 一度引き籠るとなかなか出て来れない、というか社会復帰が難しいし、年齢が上がれば上がるほど困難になって行く。

 60代以上になっても引き籠りと言うのかな。労働してないから年金とかないだろうし、だいぶ前から言われている、50-80問題というのもあるし。親の収入が生きて行く費用になってる人は親が亡くなった後、どうやって生きてるんだろ?

 もう、引き籠りっていうのも珍しくなく、何処にでも普通にあるような社会事象の一つですね。

 家が資産家で働かなくとも楽々食べて行ってる人たちは引き籠りとは呼ばないのかな。

 籠ってるけど投資とか何らかの方法で収入を得て1人で暮らして生きてる人は引き籠りではないのかな。現代は仕事の種類もいろいろあるだろうし、端から見て籠り生活してるけどちゃんと収入持ってる人もいるんだろうしな。

 たかたけしさん作画の漫画「住みにごり」は2025年1月現在既刊7巻の面白い作品だけど、この漫画作品の一つの大きな問題テーマに引き籠り者がありますね。

 この作品は引き籠りだけを重大テーマに描いている訳ではないけど、引き籠り登場人物は作品の大きなキーパーソンです。

 引き籠りは本人の人生という意味でも現代の大きな社会問題でもありますが。

 人生という意味では、端から見て引き籠り生活してるけど、何か目標とか目的とか自分の意思でもって、ある種情熱を持って日々やってることがあるのなら、例えそれで収入を得てなくとも、親の収入や資産で生きてても、人生的には何かOKな気もする。

 昔なら小説家目指して売れなくていつまで経っても中年になっても文学青年やってて、一緒に住んでる女に食わせて貰ってる、とかあったろうし。昔は司法試験浪人とかけっこう多かったですよね。かなりイイトシになっても親の金などで食べて司法試験に落ち続けてる、とかいう人。

 例え収入に繋がってなくとも自分のけっこう強い意思で何事か情熱持って続けてやってることがある人は、端から見て引き籠りに見えても、人生的には良いようにも思うけどなぁ。

 まぁ、労働と納税は国民の義務って言うからなぁ。資産のある家は家の中の誰かが納税してる訳か。

 引き籠るのは持って生まれた性格もあるしな。病気や障害に認定されるまではないけど、職場など集団の中で生きにくい性格というのもある。軽い社会不適合とか。入った職場がブラックだとか、おかしな上司や同僚連中がいて退職して社会トラウマになったとか。

 やっぱり性格は変わらないしな。内気とか俗に言う陰キャ·ネクラとかは集団社会では不利だしな。心配性、気を使い過ぎる、メンタルが弱い、とか。引き籠りに陥りやすい性格はある。

 150万人近くも引き籠り者が存在する社会は大きな問題だよな。引き籠ったり、もっと軽くてニートになったりでも、また、そんなに長期間経たなくても社会復帰できる、何かそういう世の中の仕組みが欲しいよなぁ。

 引き籠りはある種精神的な病気みたいなものだからなぁ。その治療方法とか治療施設とか、何らかの立ち直りの仕組みが社会に欲しい。

 漫画「め~てるの気持ち」の方は、ギャグ漫画に近いよーなラブコメだから、漫画の中身はそんなに深刻ではない。引き籠り男性30歳の恋、を描いたものだし。この恋の先には恋が成就すれば、希望とやる気が生まれ、社会復帰できるかも知れない訳だし。

 まだ1巻しか読んでないので、この恋がどうなって行くのか今の僕には解らないけど。まぁ、ラブコメのギャグ調だからね、そんなに深刻なことにはならないだろうし。社会復帰できればハッピーエンドだし。

 でも、長期の引き籠りの間に、ただテレビ見たり漫画や雑誌読んだり、ゲームしたりと、結局長い長い時間、月日をただ単に暇潰しだけしてたのなら、社会スキルが多分ないから、単純労働や肉体労働しかできないよな。無論、単純労働や肉体労働を馬鹿にはできないけど。

 まぁ、それでも引き籠り生活から抜け出て何か仕事に就ければいいけど。しかし30代とかならまだ良いけど、40代や50代の引き籠りから出て来て直ぐの人は、なかなか仕事に就けないだろうなぁ。雇用する側も雇わないだろうからなぁ。

 引き籠りは長引かないに越したことはなく、中年になって引き籠るのならある程度の貯蓄が必要だな。中年になって無職になるのなら結婚しといた方が絶対良いなぁ(無職になって嫁に逃げられる人生もあろうけど)。

 引き籠り期間に何か自分のスキルを磨いて能力アップなんてできるかというと、これはできない。日々だらだらして過ごしていて時間が腐るほどあるくせに、実は精神的余裕が全然なくて、とてもそんな前向きな行動はできない。やっぱり引き籠るなんて精神的な病気だもんな。毎日どうしようどうしようと苦悩して一日終わる生活を繰り返している。

 高学歴ニートという人たちもいるが、彼らは有名な名門大を出てるというプライドが許さなくて、低賃金単純労働になんて就けるか、って感じがあるのかな? そもそも名門大に行っただけあって家が裕福で無理して働かなくても食べて行けるのか?

 親の収入でも家の資産でも、何とか食べれてる内はなかなか働こうという気持ちが起きないものかも。何か収入を得ないと明日から生きて行けないと切羽詰まれば仕事捜すものかも?

 ろくに漫画作品「め~てるの気持ち」の感想などにならず、現代の引き籠り者問題についてのことばかり書き込んでしまった。人は誰しも生きて行くのは大変だ。

 「パンプキンナイト」1巻・・スプラッタ·サイコホラー漫画。外薗昌也·原作-谷口世磨·作画

 中学生時代に苛めていた、障害持ちなのか赤ちゃん言葉を使うかなり変わった同級生を苛めていたグループ、男子3人·女子2人が高校生になり、もともとだいぶおかしかったのが苛めによって精神的に狂った苛められていた女の子が、病院を脱走し高校生になっている苛めていた同級生に復讐を行うという内容の漫画。

 苛められていた女の子が最終的に狂った原因がハロウィンのかぼちゃにあるらしく、復讐のため戻って来た苛め被害者の子は不気味なかぼちゃのお面を被っている。

 病院脱走時も数多くの病院スタッフを惨殺し、復讐目標の最初の女の子の家に侵入し、女の子を身体損壊のように惨殺する。

 その後も復讐目標の同級生たちを追って学校に現れ、もう一人の女の子を襲撃して重傷を負わせる。そのとき男性教師も血祭りに上げる。

 次に、殺された女の子の葬儀場に出没して、まだ生きている女の子を、損壊死体の女の子の棺に一緒に閉じ込める。

 弔問に来ていた男子生徒たちは、いなくなった女子生徒を捜す内に、かぼちゃ仮面の病院脱走生徒が、襲撃した女の子を棺に一緒に閉じ込めたに違いないと推理して、霊柩車を追って火葬場に向かう。

 かぼちゃ仮面の殺人鬼少女は自らをパンプキンナイトと名乗って、最初から復讐目標の同級生5人のSNSにサインを送っていた。

 病院脱走少女-パンプキンナイトは復讐目標の同級生以外にも、病院スタッフから高校教師から婦人警官やタクシー運転手まで、とにかく残酷に殺しまくる。

 とにかくメチャメチャ残酷描写の漫画。ひどい人体損壊シーン満載の、見る人によってはメッチャ気持ち悪い漫画。けっこう迫力ある残酷描写で描いてるけど、漫画絵だから見れる。これがもしも仮に実写だったらとても目にできない、スプラッタ·ホラーもの。

 ワシも若い頃なら気味悪くて読めなかったかも。

 今のコミックには、この、学生時代の壮絶な苛めに対する、大人になった被害者の加害者らへの復讐、というテーマの作品がメッチャ多いですね。

 本当にこの、苛めに対する復讐の漫画はいっぱいある。学生時代の苛め方もそれはひどいもんだけど、大人になった被害者の復讐も凄絶な仕返しになっている。

 学生時代の苛めはだいたい中学校か高校のときのもので、大人になってる複数人の加害者たちは苛めのことは忘れきってる。

 学生時代の苛め仲間は、大人になってみんなだいたい独身だけど普通に日常生活を送っていて、付き合いが続いている。

 そして突然、仲間内の1人に不幸が訪れ、過去の苛め加害者たちは1人、また1人と連続して不幸な目に合って行く。

 学生時代の苛め被害者の復讐が始まり、復讐行為は凄惨なものになる…。という内容のものが多いですね。

 本当に復讐コミックはいっぱいある。

 森田まさのりさん作画の漫画「ザシス」とかは、謎解きサスペンス味が強くて面白い復讐コミックですね。全3巻。

 「家政婦のブキミ」1~2巻。サイコホラー漫画。半田畔·原作-伊藤あんよ·作画

 自分の小学生年齢の長男·長女兄妹の二人の子供を失って家庭が壊れた1人の女が、狂ったサイコな精神性の持ち主で、再び、以前の自分の二人の子供が存在する幸福な家庭生活を取り戻すことを夢見て、他所の家庭の、失った自分の二人の子供と同年齢の兄妹のいる家に侵入したり、その家の兄妹を誘拐したりする。

 女は、入った家や誘拐した子供を、自分の失った子供として見なすから、少しでも自分の実の子と違うところがあると、サイコな性格が出て監禁したり暴力を振るったりと児童虐待する。

 一軒目は両親の旅行中、子供だけの留守番の家に家政婦になりすまして家の中に侵入、子供たちを脅し続けるが、隙を見て兄妹が二階から飛び降り、小学校上級くらいの兄が何とか母親と連絡を着けており、両親の通報した警察のパトカーがやって来て、子供たちは助かる。

 二軒目は、両親の留守宅にやって来た家政婦を始末してなりすます。女は小学生の兄妹を誘拐して自動車で山中に連れて行く。

 まるで人気のない山中に木造の小屋があり、連れて来られた兄妹はそこに軟禁でも外出は決して許されず、家政婦を騙るサイコ女に、サイコ女の描く家庭の子供役を強制される。

 この小屋には父親役もいて、この男性は両足首から下がなく車椅子だった。

 実はこの父親役の男は、過去に誘拐犯罪疑惑のある女を追っていた刑事で、罠に嵌まり捕えられ、そこから逃げようとして小屋の周りに仕掛けられた獣罠に嵌まり、連れ戻され逃亡しないように両足首切断された哀れな姿なのだった…。・・・

 「ハッピーファミリー」という船木涼介さん作画の漫画も主役は“お手伝いさん”だけど、あちらの謎の家政婦さんの真の目的は“復讐”で、復讐ターゲット女性の現在の一見幸せそうな家庭破壊→粉砕にある。こちらの漫画「家政婦のブキミ」の主役のお手伝いさんは“サイコ”ですね。狂ってる怖い怖い女性。スティーブン·キング原作の映画「ミザリー」とか彷彿とさせますね。

 「ハッピーファミリー」は“復讐のレンタルお母さん”か。

「不死と罰」1~2巻 ゾンビパニック-サバイバルホラー漫画。佐藤健太郎·作画

 主人公青年は少年時代に女性惨殺事件を起こして収監された過去を持つ問題男性。過去のトラウマに捕らわれていて時折思い出しては錯乱状態のような気分になる。過去に自殺未遂有り。心を許した恋人がいる。

 青年は歌舞伎町ラブホテルで女性客相手に売春バイト(ママ活)をしていた。ゾンビパンデミックが街中で起きて、ゾンビ感染者がどんどん増えて行く。このゾンビは全員、素早く動けて力もかなり強い。

 青年はホテルに閉じ込められたお蔭でゾンビ襲撃を受けずに助かっている。ホテル内の幾室かには他に利用客がいて、ゾンビ襲撃を受けたり生き延びたりしている。清掃スタッフでスタッフルームに避難したまま生き永らえている二人もいる。

 新宿繁華街はゾンビだらけでウヨウヨ跋扈している。ホテル内もゾンビで溢れている。テレビでは都知事や首相の緊急メッセージが流れ続ける。

 都市の街中に凶暴ゾンビがウヨウヨ跋扈して、素早く力強いゾンビが襲撃し続けどんどん怪物ゾンビが増える中で、それぞれの一般人はどうやって行くか、を個々の人たちの過去とかプロフィルも描きながらの、都市のゾンビパニック-サバイバル漫画。スプラッタホラーでもあるし、パニックの中の人間模様でもある。

 現代コミックではゾンビものは多いですよね。噛み(咬み)つき感染や血液飛沫感染でゾンビ人間がどんどん増えて行くゾンビパニックもの。ゾンビの大群に追われて、どう逃げてどうやって感染せずに生き延びるかを描くゾンビ禍サバイバル漫画。

 繁華街内、ホテル内、大規模スーパーマーケット内、アミューズメント施設内、などなどの閉鎖空間がゾンビだらけになって、主人公らがどう逃げてどう生き延びるか。けっこう主人公ら登場人物たちの過去やパニック前のふだんの生活までも描いて、パニックにどう立ち向かうかの個々の人間性までも描くサバイバル漫画。

 学校内にゾンビ患者が入り込んで、そこから一人二人と感染者が増えて行って、どんどん増えて学校内がゾンビだらけになって、主人公の生徒らがどう逃げてどう生き延びるかを描く漫画もある。主人公の親友や恋人が感染してしまったとき、主人公少年がどういう行動を取るか、までも描く緊張感溢れる展開のコミック。

 ゾンビものはみんな同じような展開のものでも、やっぱ読んじゃうんだよなぁ。ハラハラドキドキ、サバイバル漫画。大画面で迫力あるゾンビ襲撃や残酷シーンを描いて、映画のように画面で見せ(魅せ)ちゃう。

 どれも、どうしてゾンビのような怪物が誕生したのかは描かれてなくてそこは漫画の中では問題視されてない。

 ただ、無限に増えて行くゾンビ化物群の中をどうやって生き延びるか。サバイバルのゲーム感覚を刺激されて読んじゃうのかな。

 ゾンビものは次々いっぱい出ても、どれも一定の人気を得ますね。

 「ベアフェイス -公安を去った男-」1~2巻。コメディタッチのヒーロー·クライムアクション漫画。狛犬はやと·作画

 公安最強と謳われた、ずば抜けて能力の高い超人的な公安職員の男が公安に辞表を出して退職し、私立探偵業を営む。

 その男の真の退職理由など男のことをいろいろ探りに記者を装って近付く、公安から命を受けた女。

 女は、その最強の男に公安へ戻る気がないのなら、始末しろとまで司令されている。女は男とある程度打ち解けたことにより命令を拒否し、最強の男も探りに近付いた公安の女も、両方とも公安幹部から始末の対象になる。

 二人していとも簡単に危機から脱して、公安幹部も始末を諦め、一般世間で一般人として生活することを許す。公安に嫌気が差した女も公安を退職し、行き場がないので取り敢えず、最強の男の助手として私立探偵事務所に勤める。

 二人だけの探偵事務所として仕事をするが、ごくごく平凡な、逃げ出したペット猫捜しや子供のクワガタ取り、浮気調査などのありきたりな普通の仕事ばかり。

 しかしその中で絡まれる暴力ざたには二人の元公安職員はもの凄く強い。

 やがて、公安最強の男は公安時代に恨みを買っていた犯罪組織やスパイ組織から報復のための刺客が次々と送り込まれて来るが…。・・・

 狛犬はやとさん作画の「ベアフェイス-公安を去った男-」は、何というか漫画全体を覆う雰囲気が、大人気を得て二度の実写劇場版映画になった、南勝久さん作画の大ヒット漫画「ザ·ファブル」シリーズに似てますね。

 勿論、物語の設定やストーリーの内容は全然違うのですが、主人公キャラの持つ雰囲気がファブル主人公と似てるし、助手役バディの若い女性キャラの雰囲気もファブルの妹役バディと似てるし。絵柄もちょっと似た系統ですね。どちらもユーモア味付けのクライムアクション劇画です。

 今回の記事タイトル「最近読んだ比較的新しい漫画」ですが、上記に上げた作品の他にも、新しい漫画作品はけっこういっぱい読んでるのですが、紹介を詳細に書くのは、5作品だけにしておきます。

 他にも、2025年1月現在雑誌連載継続中でコミックス続刊発行中の面白い漫画に、うめざわしゅんさん作画の「ダーウィン事変」や、高橋ツトムさん作画の「ジャンボマックス」など、読むたび続きが気になるメッチャ面白い漫画作品ですね。

 

め〜てるの気持ち 1 (ヤングジャンプコミックスDIGITAL) Kindle版

め〜てるの気持ち 2 (ヤングジャンプコミックスDIGITAL) Kindle版

家政婦のブキミ (1) (COMIC ヤミツキ) Kindle版

家政婦のブキミ (2) (COMIC ヤミツキ) Kindle版

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「せかいイチ」ー美少女レスリング漫画ー

 日本の女子レスリングはムチャクチャ強いですねぇ。2021年開催東京五輪で女子レスリング4階級-金メダル、2024年パリ五輪で女子4階級金メダル&2階級銅メダル。

 だいたい、女子レスリングは2004年のアテネ五輪でオリンピック公式競技になってから、日本代表は総ナメと言っても過言ではないくらい、金メダルなど上位を獲得して来ています。

 日本女子レスリングには、オリンピック4連覇-伊調馨や、オリンピック3連覇&銀の“霊長類最強女子”-吉田沙保里の二大レジェンドがいますからね。

 だいたい、日本のレスリングは昔々から“お家芸”と呼ばれていたくらい、世界大会やオリンピックで強かったですからね。まぁ、昭和-平成前半とずーっと五輪レスリングは男子だけだったけど。

 女子レスリングの世界大会が初めて行われたのは1987年でそこからほぼ毎年、女子の世界大会は場所を変え世界各地の都市で開催されて来てます。日本女子レスリングは世界大会でも強くてほとんどの大会で金や銀を取ってますね。

 日本のレスリングはこんなに強いのに、男子でも女子でもアマチュアレスリングの世界を舞台にしたコミックって非常に少ないんですね。

 僕の子供の頃には、1964東京オリンピック~68メキシコオリンピックの間に、川崎のぼる先生作画の「アニマル1」が大人気漫画でアニメ化もされて有名でしたが、それ以降はプロレスの漫画はいっぱい描かれて来ましたが、アマチュアレスリングの漫画は本当にないですね。

 今回は女子レスリングが舞台の漫画がお題です。「せかいイチ!」はアマレスに奮闘する女子高校生が主人公の熱血アマレス学園コミックです。

 小さな頃からとにかく何事でも一番になることが大好きで、とにかく一番になるために何事にも挑戦し、一番になれなければ死ぬほど悔しがる女の子、愛野せかい。

 愛野せかいは高校一年生になり、高校入学初日目に朝早く登校して一番乗りしたつもりが、幼なじみの男の子、啓一が前夜から高校入学祝いのパーティーを徹夜でやって、眠らずにそのまま登校していた。

 一番乗りできなかったせかいは、一番を邪魔された啓一を誰もいない校門で逆エビ固めで攻(責)める。

 愛野せかいには幼少の頃からライバルがいた。富裕層家庭の二階堂聖火だ。幼少時から二人とも並外れた負けず嫌い性格で、何事も競い合い、特に駆けっこなど運動競技はどちらか勝負が着くまでいつまでも続ける執念で臨む。

 しかし、お嬢様育ちの二階堂聖火は小学生時代にいつの間にか、海外へと去ってしまった。ここで一旦は愛野せかいと二階堂聖火のライバル関係は終わった。

 しかし、高校生の年齢になり、二階堂聖火は日本に戻って来ていた。高校入学し、高校先輩たちの部活入部勧誘の騒がしい並びの中で、愛野せかいは二階堂聖火に再会し驚く。

 愛野せかいと二階堂聖火は奇しくも同じ高校に入学していた。

 新入生歓迎のカルタ取り大会を会場でやっていて、愛野せかいも二階堂聖火もカルタ取り大会に挑戦することになり、超負けず嫌いの二人が残り、決戦となる。

 勝負が着かず、愛野せかいと二階堂聖火はカルタほったらかしで取っ組み合いになるが、二階堂聖火は愛野せかいを手玉に取り押さえ込む。

 取っ組み合いの喧嘩では愛野せかいは二階堂聖火に子供扱いされた。二階堂聖火は海外生活の中でアマチュアレスリングの英才教育を受け、レスリングの腕前はメチャクチャ強かった。

 二階堂聖火に手玉に取られたことが悔しくて悔しくてたまらない愛野せかい。

 せかいは、ひょんなことからアマレスの町道場を開く鷲尾コーチと出会う。

 鷲尾コーチは裏町の汚いビルの小さな道場で子供たちにレスリングを教えていたが、元は日本代表級の名選手でトップレベルの実力を持っていた。

 複雑な事情があり、実力者-鷲尾コーチは日本レスリング協会を追放処分となり、在野に埋もれて隠れている。

 鷲尾コーチを追放したのは日本レスリング協会-会長である、二階堂聖火の父親で、聖火の父親と鷲尾コーチとは複雑な因縁があり、聖火の父は鷲尾を憎んでいた。

 愛野せかいは実力差、天と地ほどの二階堂聖火に勝ちたいばかりの気持ちで、鷲尾コーチの道場に入門する。

 毎日の稽古の中、せかいは天分の才能の片鱗を見せる。だがまだレスリングのタックルまでしか習得できない。

 その内、せかいの通う高校の女子レスリング部の対校試合があり、その中の一つの試合で相手高校の選手がヤンキー見てくれの凶暴な女子で、対する本校生徒が怖がって試合を逃げてしまう。

 部活所属選手でもないのに、せかいが代替選手に立候補し、二階堂聖火の計らいで急遽、部員でないせかいが試合に出る。

 愛野せかいの生まれて初めてのレスリング試合の相手は凶暴なヤンキー娘で、反則何でもアリで相手選手を傷付けようが知ったこっちゃない根性のねじ曲がった女子校生だった。

 愛野せかいは、それしか知らないタックルで相手を倒し得点を奪うものの、強敵反則女子の危険ワザを受け続けて、身体のあちこちを痛める。

 せかいの生まれ持った抜群の運動神経は、敵の反則ワザを受けても致命傷にならないようにはかわし続けている。

 満身創痍になりながらもレスリングの素晴らしさに気付き魅せられるせかいは、決して試合を降りない…。・・・

 

 絶対に負けたくない永遠のライバル、二階堂聖火に追い付こうとレスリングの修行に励む愛野せかいはいつしかアマレスの魅力に取り憑かれ、身も心もレスリングにどっぷり浸かり込んで日々修行を続ける。

 毎日の激しいレスリング訓練を続けて、天性の運動神経を持つ愛野せかいも、世界トップレベルの力を誇る、二階堂聖火に追い付いて行く。やがて二人の雌雄を決する試合がやって来る…。

 といった熱血青春スポーツ感動漫画ですね。国友やすゆき先生の「せかいイチ!」は。スポ根漫画の中にもギャグ風味が覆っていて楽しい学園コミックです。幼なじみの啓一のせかいに対する恋心はラブコメふうだし。

 国友やすゆき氏の美少女レスリング漫画「せかいイチ」は小学館の青年コミック週刊誌「ヤングサンデー」に連載されてました。連載期間が僕にははっきり解らなかったのですけど90年代前半だと思います。だからカテゴリも「90年代漫画作品」に入れました。

 僕は当時、国友やすゆき先生の「せかいイチ!」が大好きで、コミックス全4巻、本屋で買って来て愛読しました。僕は雑誌連載で読んだのではなくて、多分、連載終了後直ぐくらいの90年代半ば頃だと思いますが、コミックスでまとめて読んでます。

 僕は昔は日課のようにいつも市販本屋さんに寄ってたので、多分、当時のヤンサンも店頭でパラパラやったり、時には買って読んだりしたこともあったかも知れません。多分、当時のヤンサンの「せかいイチ!」の連載は知ってはいたでしょう。

 今、爺ィのワシが「せかいイチ!」愛読したのも30年くらい前の話だしな。

 女子レスリングがオリンピック正式種目に認定されて五輪大会の中で競技が行われるようになったのは2004年アテネオリンピックからです。そこからは毎年、オリンピック大会の中で女子レスリングの競技は行われています。

 女子レスリングの世界大会で山本美優が優勝してクローズアップされたのが1991年ブルガリア-ヴァルナ大会。吉田沙保里の登場が2000年前後で2004アテネ五輪·金メダル。

 だから時代的に、1990年前後の女子レスリングに山本美優が登場して活躍し、女子レスリングがクローズアップされたことに触発されて描かれた作品なのではないか、と想像されます。また、女子柔道の世界では、漫画「YAWARA」が1986年から連載が始まって人気が高まり、コミック·アニメ·実写劇場映画となって大ブレイク、実際に“YAWARAちゃん”の愛称で呼ばれる田村亮子が1990年頃から世界女子柔道で活躍して、女子柔道ブームが起きる。スポットライトを浴びる女子柔道に対抗して、まだオリンピック種目になってはいない認知度の低い女子レスリングの世界を舞台にして、新たな試みとして女子レスリングの世界で活躍する少女を描いたのではないかと思います。だから漫画「セカイイチ」の主人公-愛野せかいは物語の中でオリンピックを目指す訳ではない。

 「せかいイチ」が描かれたのは、女子レスリングが初めてオリンピックで行われたアテネ大会の10年以上前です。

 漫画「せかいイチ」の主人公-ヒロイン、愛野せかいの永遠のライバル、二階堂聖火の父親は日本の女子レスリング協会の会長なのだが、聖火が今の女子レスリング界では自分が圧倒的に強くて敵がいない。早く国際オリンピックの公式種目に女子レスリングが入るようにしてくれ、でないと自分はレスリングをやめてしまう、と父親に詰め寄るシーンがある。

 二階堂聖火の父親の会長は、協会もオリンピック種目に入るよう頑張っているのだが我々だけではいかんともしがたいものが…、とにかく女子レスリングの大会で娘-聖火が大活躍して国際協会の役員たちに注目させることが効果があるのだから、無敵の強さを見せつけるためにも聖火はレスリングの練習に勤しめ、と協会会長の父親が娘にハッパを掛ける場面が続く。

 漫画の雑誌連載リアルタイム時にはまだまだ女子レスリングのオリンピック公式種目化は遠い、という描写ですね。

 何かで読んだのですが「レスリング漫画はヒットしない」というのが業界にあるそうです。

 90年代ヤングサンデー連載、国友やすゆき先生の美少女レスリング漫画「せかいイチ!」も、僕は大好きで長編連載作品になると思ってたのですが、コミックス全4巻で物語終了してしまいましたしね。

 僕がこれまで読んで来た漫画作品で、レスリング漫画というかアマチュアレスリングが舞台の漫画って子供の頃の「アニマル·ワン」とこの「せかいイチ」だけです。多分、この何十年間の間には他にもレスリング漫画はあるんでしょうけどね。

 僕も子供の頃はいざ知らず、青年~大人になってから漫画をそれほど網羅するほどは読んで来なかったので、まぁ、けっこう漫画読んで来た方だとは思うんですけど、爺さんになって、ああ~あの時代にこんな漫画が連載されてたんだ、と初めて知る昔の漫画作品もいっぱいあります。

 プロレス漫画は昔からいっぱいあったし僕もプロレス漫画ならけっこういっぱい読んで来てる。でもアマチュアレスリング界が舞台の漫画は、僕には他には見当たらなかったなぁ。

 アマレスが題材や舞台の漫画をネットで探して見ました。けっこうありますね。ただ、やっぱりヒット作というのはないみたいですね。

 2010年代の月刊少年チャンピオンに連載されて、コミックス全10巻までのかなりの長編連載になってる、佐藤由幸さんの「弾丸タックル」。いじめられっ子がレスリングを通じて成長する、高校レスリング熱血学園漫画みたいですね。

 「レスリングウイズもも子」は週刊少年ジャンプに連載された徳弘正也さんの高校レスリング漫画でコミックス全2巻。少年向けのエッチ趣向を混めたギャグ調多めの学園漫画のようですね。

 2000年代にヤングマガジンアッパーズに連載された「アマレスけんちゃん」は、若杉公徳さんの、高校レスリング部が舞台のギャグ調の師弟レスリング漫画。ギャグ漫画味がかなり強いスポーツものですね。

 「ヒメレス」一智和智さんの青年コミックのレスリング漫画。元アマレス重量級五輪代表の青年が私立女子高校のレスリング部の部活顧問となり、問題児女子校生の部員たちにレスリング指導して、先ず素行や精神面から更正して行くコミックかな。

 他にもレスリングを題材や舞台にしたコミックはあるようですが比較的かなり少ないし、ヒットした有名な漫画作品はないみたいですね。

 

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せかいイチ!(4)そして未来へ ヤングサンデーコミックス 国友やすゆき-著

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ポパイ

 僕の子供の頃、まだまだ幼児域の頃に、モノクロテレビでアメリカ輸入アニメ「ポパイ」が放送されてました。ゴールデン帯の放送で僕はモノクロアニメの「ポパイ」が大好きでした。

 裏番組で、僕の七つ八つ年上の兄貴が大好きな、実写の輸入ドラマ「怪傑ゾロ」が放送されてて、兄貴は実写「怪傑ゾロ」を見たがり、僕はアニメ「ポパイ」を見たくてよく兄弟ゲンカしてました。

 

 僕はよく「ポパイ」を見ていた記憶があるので、兄貴はチャンネルを譲ってたのかな。小さい頃のおぼろな記憶で「怪傑ゾロ」を見た覚えもありますけどね。

 まぁ、その後「ポパイ」は何度も再放送されて、午前中や夕方とかに再放送も見てるしな。

 「怪傑ゾロ」の再放送は記憶にないな。「怪傑ゾロ」も再放送されてたのかも知れないけど。

 輸入アニメ「ポパイ」の放送期間を調べて見ると、僕が幼少期見ていたモノクロ「ポパイ」が放送されていたのは1959年から65年となっていますね。1965年までとは随分長く放送してたんですね。

 1956年生まれの僕は1959年は3歳から4歳か。多分、4歳頃から見てたのかな。1965年は僕はもう9歳だから多分、アニメ「ポパイ」は見てないと思う。まぁ、4歳からぼんやり見てたとしてもせいぜい7歳くらいまでじゃないかなぁ。

 ちなみに同時期に兄貴とチャンネル争いをしてた輸入実写ドラマ「怪傑ゾロ」の方の放送期間は、日本国内では1961年7月から66年7月までとなってますね。こちらも随分長く放送してたんだなぁ。

 兄貴とチャンネル争いしていたときの放送期間は1961年7月~63年6月の間ですね。この期間は日曜日ゴールデン帯の放送時間がかぶっている。

 アニメ「ポパイ」は当時の日曜日夜7時半から、洋菓子の不二家一社提供で「不二家の時間」として夜8時まで放送されてたんですね。懐かしい。

 1961年は僕は5歳、63年は7歳ですね。兄貴は12歳から14歳か。「怪傑ゾロ」もカテゴリは西部劇に入るのかな。「怪傑ゾロ」も覆面(仮面)ヒーローものですね。大昔のアメリカ西部~メキシコ舞台の西部劇ヒーローものは、5~7歳当時の僕にはちょっと内容が難し過ぎたのかな。その点「ポパイ」は単純明快ギャグだし。

 

 僕が当時住んでた町の貸本屋に通い始めた最初の頃、まだ6歳ですが、兄貴から当時の月刊少年誌を借りて来いと命令され、借りに行ったがよく解らず、月刊少年誌の本誌は幼児の手の届かない高い場所に置いてあり、自分の頭くらいの位置にある、月刊誌の付録小冊子を綴じたものを借りて帰って来た。

 それが、当時の人気月刊少年誌「少年画報」の別冊付録を4冊綴じたもので、どうしてそれを選んだかというと、その綴じた別冊付録の一つが「ポパイ」だったから。

 それは1962年12月号か1963年1月号の「少年画報」の別冊付録で、多分、63年1月号の付録だと思う。日本の雑誌漫画版「ポパイ」、今でいうコミカライズ日本版は月刊「少年画報」に連載されていた。

 その次の日、兄貴が自身で貸本屋に行って月刊少年誌の本誌と別冊付録を借りて来て、それから幼児の僕も理解して、次からは本誌·別冊付録綴じをセットで借りて帰るようになった。

 僕は鈍感な子供だったからなぁ。今から思えば愚鈍な子供だったかな。もっと利発な子供に生まれたかった。

 月刊「少年画報」誌上で日本版「ポパイ」を描いていたのは森田拳次さんだった。この森田拳次氏作画の「ポパイ」の連載期間は1961年から65年まで掲載されたようですね。

 僕は当時の月刊少年誌六誌は1963年初頭から66年4月頃までこの貸本屋で借りて、その期間の例月号全冊読んでます。僕の6歳~10歳かな。

 この時代の僕は当時の月刊少年誌は「少年」と「ぼくら」か「まんが王」を近所のアーケード商店街の市販本屋さんで買って、他は貸本屋さんで借りて読んでました。「少年画報」はほとんど貸本屋での借り読みですね。

 森田拳次先生の「ポパイ」も内容は全くと言っていいくらい覚えていません。多分、1963年~65年の連載の間は全編読んでるでしょうが、何しろ貸本屋からの一泊二日の借り読みだし、60年くらい前の話だし。

 森田拳次氏の「ポパイ」の当時の表紙絵などにも、ポパイの他、敵役のブルートや、ハンバーガー大好きなウインピーなども描き込まれてるし、テレビアニメのアメリカ輸入「ポパイ」と同じような内容の作風だったんでしょうね。

 毎回のエピソードごとに舞台のシチュエーションを変えてお話内容を作って行ってて、この作風は後の森田拳次先生の代表作の一つ、雑誌「冒険王」長期連載の「ズーズーC」に受け継がれて行ったのかな。

 テレビで毎回見ていたアニメ「ポパイ」のレギュラー登場人物、ウインピーがいつもいつも食べてる“ハンバーガー”が、昭和30年代の子供にはさっぱり解らなくて、想像着かなくて、いったいどんな食べ物なんだろう?と思ってた。

 マクドナルドのハンバーガーの日本上陸、マクドナルドの日本第1号店は東京銀座で1971年7月のこと。それまで、日本人ではハンバーガーがどんなものかよく知らない人は多かったんじゃないかな。

 そもそもハンバーグ自体も、小学生時分に食べたことなかったですからね。ハンバーグを挟んだパンの食べ物なんて知らないですよね。ハンバーグを挟むバンズという丸い形のパンも、60年代に見たことないし。

 バンズなんて70年代後半にハンバーガー食べるようになるまで知らなかったし、バンズという呼び名は80年代入っても知らなかった。

 ハンバーグという挽き肉料理が日本の食卓に上がるようになったのは70年代以降のことですね。

 危機に陥ったポパイが懐から出した缶詰めを片手で搾ると飛び出して来る“ほうれん草”も、昭和30年代の食卓にはほうれん草の料理もあったろうが、全く別物に見えてた。何せポパイの体力がスーパーマンみたいに何十倍も超人的に強くなる訳だし。子供時分には、ほうれん草で何であんなに強くなれるんだろう?って不思議だったろうな。

 アニメ「ポパイ」は80年代にテレ東系とNHKでカラーで放送されてるんですね。これは僕は全く知りません。勿論、見たことない。僕は1974年から86年まで全くと言っていいほどのテレビを見ない生活をしてましたからね。ときどき、友達の家や職場でテレビを見ることもあったけど。

 月刊「少年画報」に輸入アニメ放送「ポパイ」のコミカライズ日本版漫画「ポパイ」を森田拳次さんが描いていた同時期、同じ森田拳次さんが別のペンネームで同誌に他のギャグ漫画を連載してました。“芝丈二”名義の「全ガキ連」です。時代を意識したタイトルですね。

 

 「全ガキ連」は調度同じ時期の「少年画報」に連載されてたので、森田拳次先生はこの時代、「少年画報」に名前を変えて二作品執筆してたんですね。

 

 「全ガキ連」というタイトルですが、勿論、学生運動とは全く関係ありません。当時の子供たちを面白可笑しく描いた、生活ギャグ漫画ですね。この時代はまだ“ギャグ漫画”という呼び方をされてなかったので、生活ゆかい漫画です。当時のワルガキたちの、うるさい大人たちに向けた反抗的ないたずらやそれに寄り学校教師や親たちや近所のカミナリオヤジたちに怒られるさまなど、子供たちの間の抜けた行動や失敗を描いて笑いを生み出す、生活ゆかい漫画。

 森田拳次先生の「ポパイ」の月刊「少年画報」連載期間が1961年~65年ですが、芝丈二名義の「全ガキ連」もだいたい同時期に“少画”連載です。「全ガキ連」のタイトルが当時の学生運動の全学連を意識してますから、連載開始はやはり1961年頃かなぁ。「全ガキ連」が“少画”の1964年刊行分に掲載されてたのははっきりしてるんですが、65年はどうだったんだろうなぁ?

 月刊「少年画報」の昭和23年(1948年)創刊号から昭和46年(1971年)最終号までの、例月号全冊の表紙やその時期その時期の全連載漫画·読み切り漫画、絵物語や少年向け記事などを解説した、ほとんどオールカラーのグラビア·グラフ誌-1冊単行本、「少年画報大全」が2001年に発売されるやいなや即購入して愛読したのですが、僕が爺さんになって引っ越しした際に処分したか、ひょっとしたら押し入れのダンボール箱に入ってるのかも知れませんが、老齢で足腰悪いのでぎゅうぎゅう詰めに押し込んでる押し入れの中を「少年画報大全」を捜すのはキツいのでやめときます。

 「少年画報大全」には月刊·少年画報23年間の全例月号の掲載漫画の連載期間が記してあるから、この本を見れば「ポパイ」も「全ガキ連」も細かな連載期間が解るのですけど。

 昭和14年(1939年)生まれの森田拳次さんが漫画家デビューしたのが1956年で17歳のとき。1956年は僕の生まれた年です。少画で「ポパイ」を描き始めたのは森田拳次先生22歳時になりますね。

 1964年から週刊少年マガジンに連載した「丸出だめ夫」が大ヒットしテレビで実写ドラマ化された。「丸出だめ夫」は1965年に第5回講談社児童漫画賞を受賞しています。「丸出だめ夫」のアニメ版放送は90年代初めの約1年間。

 森田拳次先生は60年代はどの少年漫画雑誌にも連載が載ってるような、子供向けギャグ漫画ジャンルでは、60年代通して赤塚不二夫氏と双璧となるような超売れっ子漫画家でしたね。

 

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 「POPEYE -ポパイ-」という雑誌が1976年に平凡出版社(後のマガジンハウス)から創刊されました。雑誌名-ポパイのサブタイトルはMagazine For City Boysで、都会派の少年~青年のライフスタイル誌ですね。

 月二回刊(隔週刊)発行の雑誌で、当時の若者に人気の高い、男性ファッション誌&若者情報誌の内容でしたね。当時の、と言っても90年代までずっと若者に読まれ続けていた人気雑誌だったと思います。

 90年代後半~2000年代に入って売れ行きが失速したのか、2004年に月刊誌になりましたね。雑誌「ポパイ」はマガジンハウス社から未だ発行され続けています。

 若者男性ファッション、サブカルチャー、都会派の若者情報、若者向けのアメリカ·ヨーロッパのファッションやカルチャーなどの情報、それと若者向けのセックス関係の記事、といった内容の、都会派の十代後半~二十代の青年ライフスタイル誌。

 1976年は僕は二十歳くらいの年齢ですね。この時代は、神奈川県川崎市~東京都保谷市(今の西東京市)在住で職場はずっと東京都内だったから、正に僕にピッタシの雑誌でしたけど、僕自身はほとんど雑誌「ポパイ」は読んでなかったなぁ。

 若い頃の僕はいろんな雑誌に興味津々、雑誌が大好きで、中身をたいして読まなくてもよくさまざまな雑誌を買って来てました。でも「ポパイ」はあんまし買ったことないなぁ。平凡出版社は当時は「平凡パンチ」は毎週のように買ってたんだけどなぁ。

 若い頃は「平凡パンチ」と「週刊プレイボーイ」は毎週のように買って来てた。何か記事はろくに読んでなかったように思う。グラビア目当てで買って来てたのかな。

 集英社から当時、「月刊PLAYBOY」という、アメリカ本家PLAYBOY誌と提携した日本版の日本語情報誌が月刊誌で出てて、この本は毎月購入していた。これも中身の活字記事はそんなに読んでない気がする。ただ毎月必ず購読してた。これも都会派男性情報誌だね。

 だいたい僕は若い頃でも、ほとんどファッションや自動車に興味·関心がなかったからね。少年時代から高齢に至るまでずーっとファッションと自動車などに興味がない。だから当時も若者情報誌の記事は読まなかったんだよね。サブカルチャー記事は好きだったけど。

 多分、雑誌「ポパイ」も二、三度くらいは購読してると思う。二十代のとき、「ポパイ」のセックス関係の特集記事があって、若かった僕は買って来て、多分そこばっかり読んだんじゃないかなぁ。

 「プレイボーイ」や「平凡パンチ」も何ページか割いてそういう記事を載せることもあったと思うけど、当時の若者男性向けの雑誌ではよくセックス関係の特集記事を組んで載せることをやってましたね。

 70年代~80年代に新書判で写真など図番を多用した「ハウトゥセックス」みたいな本がけっこうベストセラーになってましたけど、あれの縮小版というか、小さくまとめて特集記事で載せたヤツ。

 何かよく、女の子の口説き方から、どんな場所に誘って連れて行くか、東京圏のデートスポット、ホテルに連れ込む方法とかまでハウツーを解説してて、エッチの行為の方法から女性器の解説や避妊具までイロイロ説明記事を載せてたと思う。そんな記事を読んだのも昔々のことだからあんまりよく覚えてないけど、図解入りで親切に教えてくれてたんじゃないかなぁ。

 平凡出版~マガジンハウス社からは、類型の雑誌で、若い女性(十代後半~二十代の女性)向けに月二回刊(隔週刊)でOlive -オリーブ-という雑誌が発行されてましたね。 

 雑誌「オリーブ」は1982年創刊、2000年に休刊した後、月刊誌となって復刊されたけど2003年に事実上の廃刊されたみたいですね。

 雑誌「オリーブ」は若い女性向けのファッション誌&都会派の若い女性向けの情報誌という内容だったようです。「ポパイ」の女性版ですね。

 僕はね、若い頃はとにかく雑誌好きだったから、一回「オリーブ」は買ったことがある。勿論、二十代半ば頃のことだから、その号の特集記事とか内容は全く記憶してないけど。若い頃は創刊当時の集英社の女性誌「MORE」を三回くらい買って見てる。当時の「MORE」は単にファッション誌ではなくて、都会派の女性向けの記事が充実してて面白かったような印象を覚えている。勿論「MORE」も当時の誌面の内容なんてほとんど記憶してないんだけど。

 集英社の「MORE」の創刊は1977年か。当時の僕はテレビ見ない生活してて、その代わりしょっちゅうラジオ聴いてた。当時のFM東京でよく新雑誌「MORE」の広告してて、それ聞いてて買ったんだったな、女性誌「MORE」。

 当時の若者って、スポーツカーみたいな感じの最先端国産車をマイカーとして持つ(持たなきゃ!)というのがあったから、みんなローン組んで200万~300万の国産車を買ってたように思う。それが当時の若者のライフスタイルだったように。そして、何処かの女の子を口説いてその新車に女の子を乗せて海山の行楽地や景勝地へドライブに向かう。そういうのがイケテルというか、カッコいい若者のスタイルだったよーな。

 だから当時の若者向け雑誌にはみんな、乗用車の特集記事が載ってましたね。新発売の新型乗用車のあれこれ。写真や図解の形から性能から解説した記事が載ってて、若者たちはさまざまな自動車(乗用車)の話で盛り上がってた。

 僕はほとんどと言っていい程、自動車に興味なかったから、当時の同世代と話が合わなかったなぁ。運転免許は仕事上必要なので25歳頃に取ったけど、買ったのは乗れればいい中古車だったし。

 当時の若者雑誌の自動車記事なんて読んだことなかったな。

 あの時代の僕は、自動車に興味なかったし、ファッションも何か着れればいいや、みたいな感じで服着てたし、でも何処か都会派の若者の生活みたいのに憧れがあって、何か若者向けの雑誌いっぱい読んで、若者向けのカルチャー情報みたいのを頭に仕入れて、形格好は全然イケてなくてイモそのものだけど、頭の中身と気持ちは最先端を行く都会派青年、みたいのを気取っていたのか、気取って見たかったのか、何かそんなふうに生きていたのかな。今から考えるとアホみたいだと思うけど。

 歳取ってから若い頃のことをイロイロ思い返すと、ホント馬鹿だったなぁ、とか、アホそのものだったなぁ、とか、メッチャ恥ずかしいことやってたなぁ、恥ずかしいこと喋ってたなぁ、とかいうことがもう山ほどありますね。

 マガジンハウス社から、1980年に「ポパイ」「オリーブ」の類型雑誌で、「BRUTUS -ブルータス-」という雑誌が創刊されました。月二回刊(隔週刊)発行の男性向け雑誌で、現在も刊行され続けてます。

 平凡出版が社名をマガジンハウスに変更したのは1983年だから、「ポパイ」「オリーブ」「ブルータス」が創刊された当時は、まだ平凡出版ですね。

 雑誌「ブルータス」は「ポパイ」の年上版というか、対象年齢層を「ポパイ」よりも上に設定してる、同型の雑誌ですね。やはりライフスタイル誌。「ブルータス」読者の中心年齢層は30代半ば~40代半ばだそうです。読者の七割は男性だけど、3割は女性読者もいるということです。

 内容は都会派男性に向けての、映画·本·音楽·ファッション·インテリア·建築·食·旅の情報を細かに提供する、生活情報誌みたいですね。

 みたいですね、って、実は僕は「ブルータス」という雑誌は、多分、一度も購読したことがありません。だから僕は実際、「ブルータス」の内容はよく知りません。

 ライフスタイル誌「ポパイ」「オリーブ」と来て、雑誌「ブルータス」も勿論、アメリカの歴史あるアニメ「ポパイ」から取ってて、由来は、ポパイに出て来る悪漢ブルートからです。

 雑誌「ブルータス」の誌面内容から、都会派のイケてるオヤジというか、オヤジって年齢でなくとも、知的でスマートな大人の男性をイメージさせますが、まぁ、言っても、ちょいワルおやじ、くらいでしょうが、アニメ「ポパイ」の悪役のならず者-ブルートはイメージがだいぶ違います。

 「ポパイ」に毎回出て来る悪役ブルートは、でかくて悪役怪物プロレスラーみたいな姿形で、無法者·ならず者でずる賢く自分勝手な悪漢です。メチャメチャ怪力で強くて、初めはポパイも負けるけど、ほうれん草食べた正義のポパイに退治される。

 知的な都会派男性情報誌のタイトルをどうしてブルートから取ったんだろう。でもまぁ、それで雑誌が何十年も存続して売れてるんだから良いんでしょうね。

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「歌え!! ムスタング」-川崎のぼる·作画-

 川崎のぼる先生作画の「歌え!! ムスタング」は僕が子供時代に愛読していた週刊少年サンデーに連載されてました。子供時代といっても僕はもう中一の年齢ですね。

 「歌え!! ムスタング」は川崎のぼる先生オリジナルの作品だとばかり思い込んでいたのですが、原作付き漫画で、原作者は福本和也氏ですね。

 この時代の熱血青春漫画には珍しく、作品のテーマや舞台は“音楽”です。主人公少年がドラマーだからロック系かな?まぁ、日本のポピュラー音楽の世界ですね。

 少年漫画の世界で作品土台のテーマに“音楽”を持って来た“初めて”の漫画作品なんじゃないかな?漫画作品の中では、多分最初だろうと思う。手塚治虫先生が描いてるだろうか?

 手塚治虫先生にはベートーベンの生涯を描こうとしていた遺作「ルードウィヒB」があるけど、1987年制作の作品だしな。ただ、手塚先生の膨大な数の短編の中には“音楽”テーマの作品がけっこうあると思う。それも「歌え!! ムスタング」が描かれた1967年以前に幾つも。

 「歌え!! ムスタング」の週刊少年サンデー連載期間は1968年第30号から69年第19号まで。週刊誌の30号はだいたい6月頃で、19号は4月頃の発行ですね。僕は中学一年生で、連載終了は僕が中学二年生になったばっかりの頃ですね。

 この時代の週刊少年サンデーは、当時住んでた町の近所の幼なじみになるFT君が買った少年サンデーで、毎週、僕が週刊少年マガジンを買って来て、FT君がサンデーを買って、翌日か翌々日かにお互い交換して読んでた。交換することで僕もFT君も毎週二冊の週刊漫画誌が読めた。

 僕やFT君やもう1人の幼なじみMM君の住んでた家があった通りは、今は見る影もなく無残な空き地だらけの通りとなっているけど、当時は地方の町としてはかなり賑やかな商店街だった。

 「歌え!! ムスタング」は少年サンデー連載中はリアルタイムで全編読んでいるけど、その後の単行本での再読はない。

 そもそも「歌え!! ムスタング」は連載終了後はコミックスや文庫の単行本にはなっていないんじゃないかな。

 僕が「歌え!! ムスタング」を連載リアルタイムで読んでから、もう55年くらいも年月が経っていて再読は果たしていないから、僕自身「歌え!! ムスタング」のお話の詳細などほとんど覚えていない。

 ただ、ロックかジャズかポピュラー音楽の世界が舞台で、一流のドラマーを目指す少年か青年かの熱血青春物語だった、ということとわずかな一場面を二つくらいぼやっとおぼろに覚えているくらいだ。

 それで、「歌え!! ムスタング」のことをネットを回って調べました。すっかり忘れきってましたが、主人公の少年は最初はプロ野球選手を目指す野球少年なんですね。このあたりの詳しいことは解らないのですが、野球のある試合で大ケガをするらしい。重傷のケガで後遺症が残り、もう野球のできない身体になってしまうらしい。このあたりの場面で当時の読売巨人軍の川上哲治監督が、この漫画に登場するらしい。

 らしいらしいで恐縮ですがもうほとんど覚えてないですからね。確かにリアルタイムで読んではいるのですが。巨人に入団が決まっていたのが破棄になるらしいですね。

 そこからヤケになっていた主人公少年に外国人の牧師さんかな、ジャズ音楽の素晴らしさを教える。

 音楽に興味を持った主人公少年がギターを弾いて見るが、後遺症の残る手では思うようにギターが弾けない。少年は再び絶望する。何かこのへんのシーンで素晴らしいジャズピアノを弾く黒人ピアニストが、多分ベトナム戦争でしょう、無理やり戦争に連れて行かれる場面などもある。時代ですね。

 このあたりのエピソードは、作家-五木寛之氏の短編「海を見ていたジョニー」を思い出させる。

 五木寛之さんは60年代後半から70年代は超大人気の流行小説~中間小説の作家さんでした。

 そこから今度は素晴らしいドラムを叩くオジサンに出会い、その、見た目サエナイ貧乏くさいが骨のある頑固オヤジみたいなオジサンをドラムの師匠と仰ぐのかな。

 この師匠のオヤジは、元凄腕の名ドラマーだけど今は落ちぶれたアル中の貧乏オッサンらしいですね。

 このアル中オジサンの、弟子の少年を鍛えるドラムの指導方法が、ドラムのバチ、ドラムスティックですね、少年に先端に鉛の重みを着けた重いスティックでドラムを叩かせる練習があるらしい。スポーツ根性ものみたいな描写ですけど、少年は野球のケガの後遺症で腕か手首か手そのものが少々不自由だったらしいから、そのハンデの克服方法だったんでしょうね。多分。

 野球をケガで断念した少年が、再起のために命を懸ける世界はジャズの世界で、少年がハンデを持ちながらも懸命に練習するのはドラムで、少年は一流のジャズドラマーになることを目指す。

 しかし最後は悲しい結末が待っている。一生懸命、青春の炎を燃やすけれども結局、救われないドラマですね。

 漫画の物語が進んで行く中で、この時代、GSブームの中で超大人気だった、歌謡ロックのグループ、タイガースも出て来る場面があるようです。

 途中で、クレイジーキャッツのメンバーの谷啓さんが出る場面がある。僕はこの場面は覚えてます。谷啓さんが、何か音楽イベントの司会進行係をしている。MCですね。

 主人公少年が誰か、多分ドラムの師匠と一緒に観覧している。隣の男が少年に「あの谷啓は司会をしているが実は谷啓は一流のトロンボーン奏者で演奏は抜群に上手い」とか何とかいうことを話して聞かせる。何故か僕はこのシーンは記憶している。

 あとは記憶しているシーンは最後の悲しい場面。もうネタバレしてしまうけれど、実は主人公少年は不治の難病に侵されていて、命は二年間くらいしかもたない。

 この重大な件は漫画の初めの方で明かされるのかな?本人だけが知らないんだよね。物語が進行して行くに連れて主人公少年の死期がどんどん近付いて来る。

 最終回では、主人公少年、少年って青年くらいの年齢に見えるけど、青年でもいいのかな、読売巨人軍に入団できる、野球の夢を絶たれて音楽の道に乗り出して行くのだから、そのジャズ青年が不治の病で、いよいよ病気も最終局面に来た。

 主人公青年は、ジャズドラムの道に乗り出して歩んで来た短い人生の中で知り合った、親友と呼べる仲の良い男女の数人に見送られ、浜辺だったか岸壁だったか海辺で、暗い海に浮かべた一艘の小さなボートにドラムセットを乗せて、最後の力を振り絞ってジャズドラムを叩いて演奏し、小舟はじわじわと陸から離れて行く。

 要するに、夜の闇の中で陸から離れて行く、小さなボートから、遠ざかって行くドラムの音が聞こえなくなったら、そのときが主人公青年の命の灯が消えたときなんですね。

 はっきりと主人公の死を描きはしなかったけど、そうやって遠ざかり見えなくなるボートを描いて物語はそこで終幕となります。その夜の後のことは何も描かれはしてなかった。

 悲しい最後でしたねぇ。この場面だけはけっこうしっかりと覚えています。印象的な最終回だったですね。

 「歌え!! ムスタング」の主人公青年がジャズドラムの修行をする二年間くらいの短い間の物語の、熱血感動漫画ですが、主人公は結局、ジャズドラムでなにがしかの舞台に立てるまでは行かなかったと思う。

 ジャズドラムでひとかどのドラマーと言える立場になる前に死んでしまう、救いのない悲しいドラマだった。日本国内の音楽修行の流浪だけで、別に外国に修行に渡るなんてことはなく、けっこう早く命が尽きてしまうし。

 あ、そう言えば、音楽テーマの漫画で、80年代の作品だけど、狩撫麻礼·原作で谷口ジロー·作画の「LIVE!! オデッセイ」という劇画があったな。あれはロックだったんだっけ?レゲエ?

 最近の作品で話題となった人気作品で、「ブルージャイアント」というジャズ音楽を題材とした、大長編の人気漫画がありますね。

 ただ僕はこのジャズの世界に懸ける、一青年の音楽修行の成長物語の漫画を1ページも読んだことがないので、「ブルージャイアント」に関しては何も語れませんが。この作品では本場アメリカに渡って修行するみたいだけど。

 読んで見たいとも思うけれど、僕も爺さんで目が悪くて、漫画といえど書物を読むのはけっこうしんどくてなぁ。ワシも、もっと若い頃だったらなぁ…。

川崎のぼる自選原画集

荒野の少年イサム 1

男の条件

花も嵐も 1 (ジャンプコミックスDIGITAL)

雨ニモ負ケズ(1) (モーニングコミックス)

新巨人の星(1) (週刊少年マガジンコミックス)

BLUE GIANT (1) (ビッグコミックススペシャル)

 梶原一騎氏が少年漫画の世界で大ブレイクするのが1966年、週刊少年マガジンで始まった、川崎のぼる氏作画の「巨人の星」が大人気を得てマガジンの看板漫画になってからです。

 僕が少年漫画を読み始めたのが1962年の終わり頃、6歳のときです。少年漫画に熱中するのは63年に入ってから、7歳になってからかなぁ。

 僕が貸本屋に毎日通い、購読も毎月月刊誌2冊、週刊誌1冊は必ず買ってたのは、だいたい7~10歳のとき、小一三学期~小五の初めかな。

 「巨人の星」大ブレイクからの梶原一騎氏の少年漫画界での大躍進は凄まじいもので、60年代後半からは梶原一騎氏は少年漫画原作の帝王の座に君臨してた印象ですね。

 60年代後半にも梶原一騎氏以外にも漫画原作を手掛ける作家さんはいましたが、梶原一騎氏の本数、量は他の漫画原作者とは桁違いでした。勿論、読者人気も。

 70年代に入ると、60年代末から青年コミック誌が何誌も誕生し、小池一夫氏の登場でまた事情が変わって来るのですが。

 60年代前半や50年代末頃も、梶原一騎氏は漫画原作の仕事をしていましたが、60年代前半までの少年漫画シーンでは梶原一騎氏の存在はそこまで目立たなかった。

 その当時の梶原一騎氏はどちらかと言うと、少年誌向けのスポーツ記事の読み物の書き手、という印象の方が強かったですね。

 あくまで僕の印象ですが、60年代前半の少年漫画の原作でよく見てた名前は、久米みのる氏と福本和也氏でした。勿論、他にも漫画原作の仕事をされていた方もいたでしょうけど。

 当時の漫画原作で、福本和也氏の作品で一番有名なのは「ちかいの魔球」と「黒い秘密兵器」です。どちらもプロ野球漫画で少年マガジンの連載作品です。

 久米みのる氏原作の漫画もいっぱいあったけど、久米みのる氏はどちらかと言うとSF系のものが多かったかな。柔道ものなどスポーツものもありましたけどね。

 「ちかいの魔球」はちばてつや氏作画、「黒い秘密兵器」は一峰大二氏作画ですね。

 久米みのる氏も福本和也氏も少年漫画の原作で大活躍してたけど、60年代前半の印象が強いですね。福本和也氏原作の「歌え!! ムスタング」の連載が1968~69年ように、勿論、60年代後半以降も漫画原作の仕事はされてましたけど。

 久米みのる氏の漫画原作は60年代後半以降はあんまり見なくなったなぁ。

 僕自身は漫画原作者としてしか知らなかったんだけども、福本和也氏は本業は小説家だったんですね。それも60年代から90年代まで膨大な作品数を著述した、主に推理小説ジャンルの作家さんだったんですね。こういう言い方は失礼だけどけっこう人気小説家だったようです。無論、僕は小説作品は一編も読んだことはありません。済みません。

 福本和也氏は本業の小説執筆の他に70年代までは漫画原作の仕事もしているようですね。

 福本和也氏は1928年=昭和3年生まれだから手塚治虫先生と同年代か。甲種予科練出身で戦争最末期の兵器-特攻ロケット秋水の乗員訓練を行っていたときに終戦になったそうで、戦後60年代初めに航空免許を取得してパイロットにもなってたらしい。

 パイロット経験があるということで、僕は、ちばてつや氏が少年マガジン誌上で「ちかいの魔球」の連載を終えた後、太平洋戦争の航空戦記漫画「紫電改のタカ」を同誌マガジンで描くんですが、「紫電改のタカ」も「ちかいの魔球」と同じく福本和也氏の原作だろうと思っていたら、「紫電改のタカ」はちばてつや氏オリジナル·ストーリーの漫画作品なんですね。

 ちなみに特攻ロケット秋水ですが、これは終戦間際の日本軍の最終兵器として試作されて、とうとう実戦はなかったロケットエンジンの戦闘機です。

 プロペラ戦闘機ではなくてロケットエンジンの戦闘機ですが、アメリカの、対B-29爆撃機用に開発が進められてたようです。戦争の終局面でも試験飛行で失敗したりでとうとう日の目を見ずに終わったようで。

 太平洋戦争時の日本がロケットエンジンの飛行機開発を行っていたなんて知りませんでした。驚きです。

 特攻ロケットというから、体当たり自爆用の航空機かと思ったら、解説文読んでるとそうでもなさそうです。

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