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「あばれムサシ」「忍びのヒデト」ー諏訪栄 作画ー

 「あばれムサシ」も「忍びのヒデト」も僕が小学生時代の月刊漫画雑誌「ぼくら」に連載された作品で、漫画作者は諏訪栄氏となってます。諏訪栄はペンネームで、本名とメインの作家ネームは小島剛夕です。小島剛夕氏は「子連れ狼」などなどの剣豪時代劇アクション劇画ではあまりにも有名で、昭和劇画ブームで時代劇ジャンルを担った、日本漫画史に名を刻む漫画家の一人です。

 小島剛夕氏は、抜群の絵の上手さを誇る、戦後~昭和を代表する劇画作家の一人ですが、60年代月刊児童雑誌「ぼくら」に連載された、「あばれムサシ」「忍びのヒデト」では子供向けに絵のタッチを少し柔らかくして作画してますね。特に「忍びのヒデト」の方が子供向けに絵柄をかなり柔らかくしていますね。

 60年代前半から半ばの少年雑誌の漫画の絵柄、という時代もあって、貸本で時代劇主体に劇画タッチで作画していた小島剛夕氏も、少年雑誌では当時の子供向けにだいぶ絵柄を柔らかくして描いてますね。

 「あばれムサシ」の月刊誌「ぼくら」の連載期間は、新連載が1967年新年号(66年12月初め発売)で、最終回が67年7月号になってます。内容は、同時期、65年から67年に掛けて週刊少年サンデーに不定期連載されて人気を博していた、白土三平氏の「カムイ外伝」と同じテイストの作品ですね。絵柄も似てるし。この時代の、サンデーの「カムイ外伝」の作画は白土三平氏と小山春夫氏が描いていたと思われますが。似たテイストと言っても、「あばれムサシ」の主人公ムサシは、別に終われる抜け忍というキャラクターではなかったと思います。悪い浪人たちを叩き斬ってまわる剣豪アクション漫画ですかね。

 白土三平のライフワーク、代表作となる、大史劇「カムイ伝」シリーズの中の、「カムイ伝」第一部の後半部のメイン作画者は、小島剛夕氏であった、というのは有名な話ですが、「あばれムサシ」の絵柄は、「カムイ伝」第一部の半ば、絵柄が変わって来た頃とタッチがよく似てますね。「カムイ伝」第一部の前半部は白土三平氏自身と小山春夫氏がメイン作画者として描いてたんでしょうね。

 「忍びのヒデト」の月刊誌「ぼくら」連載期間は、新連載が1964年の3月号で最終回が64年6月号となってます。連載はわずか四回で連載漫画としては短いですね。この連載の前に「ぼくら」64年新年号(63年12月初め発売)と2月号に「忍者ハヤト」という二回だけの中編作品を、やはり諏訪栄名義で掲載しています。時代劇忍者漫画「忍びのヒデト」は、当時、光文社の月刊漫画誌「少年」に長期連載されて大人気だった、白土三平作画の少年忍者漫画「サスケ」と似たような作風の子供向け時代劇アクション漫画ですね。

 僕は小学生時代、ずーっと講談社の月刊少年漫画誌「ぼくら」を購読していて、「あばれムサシ」は当時、面白いと愛読してたのははっきり覚えてるんですが、「忍びのヒデト」の方は、間違いなく読んではいるんでしょうがあんまりよく覚えていません。その前に「ぼくら」に二回掲載されたという「忍者ハヤト」なんて全く記憶してません。

 「あばれムサシ」の方は、東考社という貸本漫画出版社からホームランコミックスとして全2巻にまとめられて「ムサシ」というタイトルで67年内に発刊されてますね。ホームランコミックスというレーベルだから新書判コミックスでしょうね。末期の貸本も66年頃から、出版主体をA5 ソフトカバー130ページ前後の形式から、新書判コミックス200ページくらいに変えて来てましたからね。

 66年頃は各貸本出版社も、まだ新書判コミックスをポツポツと発刊してるくらいで、A5 単行本が多かったけれど、67年には貸本出版の漫画単行本はほとんど新書判コミックスになりましたね。また67頃には従来の貸本出版から撤退する貸本出版社も多く、68年頃にはもう貸本出版も消滅したのかな。

 50年代末から60年代初頭に最盛期を迎えた、戦後貸本屋はこの最盛期に全国で3万軒の貸本店舗があったと言われますが、65年66年頃から全国各地で店じまいする貸本屋が出て来て、従来の貸本屋は67年から70年頃までにはほとんどなくなりましたね。

 69年70年以降も残って商売を続けてた数少ない貸本屋は、秋田サンデーコミックスや朝日ソノラマのサンコミックスや虫プロ商事の虫コミックスなどなどの新書判コミックスの貸し出しで貸本屋を営んでいましたね。1950年代に築き上げた“貸本”の流通システムは67年か68年頃に完全になくなったんでしょうね。

 昭和時代から平成前期の時代劇分野の劇画の大家、レジェンド·小島剛夕先生は、ホームグラウンドだった「貸本」から、65年から66年頃に少年漫画雑誌に進出し、67年68年頃から青年コミック雑誌に進出する。貸本時代はペンネームに本名の“小島剛夕”を使って描いてたが、市販雑誌に寄稿するようになってからはペンネームに“諏訪栄”を使ってますね。この時代は末期の貸本にも、貸本オムニバス誌に多数、時代劇の短編漫画を寄稿してるのですが、この貸本漫画でも“諏訪栄”名義で描いている。同時に60年代後半というと白土三平のライフワーク「カムイ伝」第一部の作画を手伝ってるときですね。手伝ってるというかその内「カムイ伝」第一部のメイン作画者になっちゃうんだけど。

 白土三平の「カムイ伝」第一部の青林堂刊行の月刊漫画ガロの連載が終了(カムイ伝第一部の終了)するのが1971年で、70年代に入ってから小島剛夕先生は“諏訪栄”のペンネームを使ってないですね。70年代以降は青年コミック誌や総合週刊誌の長編連載や短編掲載の時代劇·劇画で活躍するけれど、多分全作小島剛夕名義ですよね。

 

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ブッキラによろしく

 「ブッキラによろしく」は、ストーリー漫画なんだけど、ギャグ漫画みたいにかなり誇張した表現で描く、コメディー調の不思議ミステリー漫画。主人公は二人、女優·タレントなんだけど、どうしようもないドジで間抜けで気の利かない、グズでノロマの女の娘、根沖トロ子と、もともと職業は三流雑誌のルポライターだが、裏稼業で金貸しやユスリ·タカリもやっている、胡散臭いチンピラみたいな間久部録郎。

 東西テレビでは何故か、局制作のドラマやバラエティーなどの番組に、ドジで間抜けで気の利かない、グズでノロマの女優·タレントの根沖トロ子を積極的に起用している。トロ子のあまりのひどさに番組がメチャメチャに壊されることもしばしば。局の番組プロデューサーにたくさんの記者たちが、どうしてあんな超ダメなタレントを各番組に使い続けるのか問うが、プロデューサーは切羽詰まった様子で、どうにもならない理由があるんだと答えるだけ。

 根沖トロ子の番組起用には、局のごく一部の番組制作陣幹部だけが知る極秘があるらしい。三流ルポライターの間久部録郎、通称ロックは、その秘密を解き明かそうとする。番組プロデューサーを脅し着けて“13号スタジオ”というヒントを得る。ロックは直接、喫茶店で根沖トロ子を問い詰めて“ブッキラ”という言葉を引き出す。

 間久部録郎とは手塚治虫作品スターシステムの常連、ロックですね。物語ではチンピラ然としてますが、サングラスに黒いスーツ姿でカッコ良いです。「バンパイヤ」他、手塚漫画によく出て来てますが、ロックはだいたい悪役で、ハンサムな都会派ワルですね。昔は良い役もやってたけど。

 ロックは東西テレビの13号スタジオを、使用してない無人のときに単身調べ、ついに“ブッキラ”に遭遇するが、その不思議な力によってロックはあえなくスタジオから追い払われる。

 実はブッキラとは妖怪で、東西テレビ13号スタジオに棲み着いており、ブッキラは中型犬程度のペット大の小さな妖怪だが超能力を持ち、いたずら好きで不思議な力で撮影の邪魔をする。テレビ局は番組制作の仕事にならなくてブッキラに手を焼いていたが、トロ子にブッキラがなつき、ブッキラはトロ子の言うことを聞いておとなしくなる。

 まるで恋人どおしのように仲の良いトロ子とブッキラの関係で、テレビ局側が根沖トロ子をぞんざいに扱うと、ブッキラが怒って不思議な力で撮影を妨害して番組制作の仕事ができなくしてしまう。だからテレビ局側は根沖トロ子を丁重に扱い、どうしようもなくダメな女優·タレントであっても、いろいろな番組に起用している。

 「ブッキラによろしく」は、秋田書店発行の週刊少年チャンピオン 1985年第20号から第33号まで連載されて、秋田·少年チャンピオンコミックスで全2巻で発行され、後に講談社の手塚治虫漫画全集で全2巻で刊行され、また手塚治虫文庫全集で文庫版全1巻で発行されました。

 現代日本漫画界の創設者と称しても過言でない“漫画の神様”手塚治虫先生が亡くなられたのが1989年2月ですから、後期も後期の作品ですね。僕は「ブッキラによろしく」を雑誌連載で読んだことはなく、読んだのはコミックス単行本で90年代に入ってからですね。

 手塚治虫先生は、ほとんど途切れることなく、週刊少年チャンピオンに創刊号からずっと連載を持ち続けてますね。チャンピオン創刊第1号の「ザ·クレーター」から、連載と連載の間をあんまり置かずに連載が続いている。月二回刊の少年チャンピオンが週刊誌になって直ぐ始まったのが「やけっぱちのマリア」。次が大長編の「ブラックジャック」。そして「ドン·ドラキュラ」から「七色いんこ」と続く。それから「ブッキラによろしく」で、何でも「ブッキラによろしく」は連載打ち切りだったという話ですね。手塚先生の都合だったのか読者人気が芳しくなく出版社側の判断だったのかよく解りませんが。チャンピオン連載最後の作品が「ミッドナイト」。これは86年から87年の連載ですから手塚先生の最晩期の作品の一つですね。

 調べたら「ブッキラによろしく」のチャンピオン連載打ち切りは、手塚先生がアニメの仕事が忙しくなったためらしいですね。でも翌年また直ぐ「ミッドナイト」の連載を始めてるんですが。

 小さな妖怪 ブッキラと恋人どおしのような仲良しになってる根沖トロ子ですが、トロ子は怪奇現象を呼び寄せる体質を持ってるようで、トロ子とロックはいつも不思議な怖い事件に捲き込まれる。トロ子は大事にしてる山羊の縫いぐるみに話し掛けて妖怪のブッキラを呼び出すことができる。たいていの奇怪な事件はブッキラの登場で何とか解決する。

 お話途中からテレビ局にはブッキラとは別の妖怪が出現して荒らし捲って、誤解からトロ子は局を放り出されて女優·タレントの仕事がなくなり部屋に引き籠り状態となる。その内、小悪党のロックの奸計に嵌まり、ブッキラは窮地に陥るが、ロックが改心してトロ子と一緒にブッキラ救出に乗り出す……。

 といったところが「ブッキラによろしく」のおおまかなストーリーですかね。上記で書いてるように連載の途中打ち切りで一応この漫画は未完の作品な訳ですが。 

 僕も「ブッキラによろしく」をコミックス単行本で読んだのは90年代くらいのことですから、物語の後半がどういう内容だったのかはあんまりよく憶えてないですね。ただ物語が連作方式で一話一話、トロ子が怪奇現象を呼び込んで、ブッキラとは別の妖怪もイロイロ登場するのですが、トロ子とロックとが怪奇現象に見舞われて窮地に陥る中、ブッキラの超能力も使って何とか事件を解決するような話が続いたように思う。終盤はロックの悪だくみからブッキラが干物にされて実験材料にされかかったりするんですが…。

 まぁ、何しろ手塚先生が途中で描くの止めちゃった未完の漫画ですしね。

 「ブッキラによろしく」の中で印象深く覚えているお話が、「猿の手」が出て来るお話。「猿の手」をモチーフにしたお話。

 

 「ブッキラによろしく」のお話の中に、イギリスの小説家·ジェイコブズの20世紀初頭のホラー短編「猿の手」をモチーフにした漫画作品があります。評論家の呉智英さんがご自分のエッセイ集の中で書かれてたんですけど、文芸仲間たちと「古今東西一番怖いホラー小説は何か?」を話し合っていて結局、短編だがジェイコブズの「猿の手」が一番怖い、と落ち着いたという逸話のホラー作品が「猿の手」です。

 「猿の手」のおおまかなストーリーは、年老いたイギリス人夫婦の元に訪れたインド帰りの軍人が、会話の成り行きからインドから持ち帰ったいわくのある“猿の手”のミイラを、老夫婦に渡してしまう。

 この猿の手のミイラは、三つの願いごとを叶える妖力があるが、ただしその願いは叶うには叶うが何か代償を伴うものらしい。何とも怪しげで不気味な猿の手のミイラだが、老夫婦は興味津々だった。老夫婦には一人息子が居て、この息子が借金を抱えてた。

 息子の抱える借金といってもそんなに大きな借金じゃなくて、確か家のローンか何かだったかな?最後の一、二ヶ月分が残ってたんだっけか?忘れた。たいした額じゃないけど、猿の手の三つの願いの内一つを、このたいしたことない額が手に入って借金を終わらせたい、と猿の手のミイラに願いごとした。

 一人息子は工場で働いていて、ある日、仕事中に大きな機械に挟まれて死んでしまった。昔のことだから労災なんてなくて、工場の会社からわずかな見舞金というかお悔やみのお金というか、お金が出た。そのお悔やみ金の額が調度、家のローンの残りの金額全部だった。

 つまり猿の手への願いごとは叶った訳ですね。調度借金の額だけ会社から降りた訳だから。ただしとても大きな代償として一人息子の命を失ってしまった。

 一人息子を溺愛していた老母は気が狂わんばかりに嘆き悲しむ。老母は猿の手のミイラの三つの願いの内、まだ二つ残ってるから、その願いごとを使って死んだ息子を生き返らせようと言う。老亭主の方はそんなことをしてはいけない、と必死になって老妻を止める。だが半狂乱の妻は譲らない。亭主はとうとう妻の尋常じゃない熱意に負けて、猿の手に願いごとをするのを承諾する。つまり、猿の手に、死んだ息子を生き返らせて、と頼む。

 「猿の手」は映画にもなっていて、僕の見た作品は怪奇もののオムニバス映画で、つまり短編のホラー映画を四つくらい合わせて、一本の劇場用怪奇映画にしているものの中の一編が「猿の手」だった。この映画の中の他の短編作品はどんな内容だったか全く記憶してないけど、「猿の手」だけは覚えている。

 映画の中で、老夫婦のお婆さんの願いで、土に埋めた死体が土の中から出て来る。海外だし昔の話だから土葬なんですね。この映画では効果的に敢えて生き返る息子の姿を見せないんですね。墓石が倒れ、湿った地面に足跡が着いて行く。やがて家の玄関の開く音がする。老夫婦の居る二階まで階段を登って来る音がする。決して人の姿を映さず背景と音だけで描写する。これがメッチャ怖かった。

 映画の方は、確か、生き返った死人がドアに手を掛けてガチャリとやったトコで終わったと思う。後は想像にお任せします、で映画は終わった。と思う。小説の方は、墓場から家に入って来て階段登って来るトコロをどう描写してたのか記憶にないが、二階のドアをガチャガチャやるのか、ドアをノックするのか、とにかく二階への階段を登り詰めて、生き返った死体がドアを開けようとする寸前、老夫婦の親父の方がストップする。

 小説の方は、死人を生き返らせるなんてこんなことをしてはいけない、と強く思った親父さんが、猿の手に三つ目の願いを言う。最後の三つ目の願いごとは、息子を墓に戻せか何か、二つ目の願いの取り消しだった。恐怖心でいっぱいのお父さんが慌てて、死体を元に戻せ、と三つ目の願いごとを叫ぶと、ドアをガチャガチャやってたのがピタリと止む。ここで物語は終わる。これがメチャメチャ怖い。階段登って来るところが本当に怖い。

 昔々のホラー短編「猿の手」はこういうお話ですね。手塚治虫先生の「ブッキラによろしく」の中の「猿の手」はだいぶアレンジされたお話になってる。「猿の手」を題材に使ったホラー風のダークファンタジー·コメディの妖怪アクションの短編漫画みたいな感じかな。

 「ブッキラによろしく」の中での「猿の手」は、猿の手のミイラが願いごとを三つ叶えてくれて、その代償に悲惨なことが起きるとこは同じですが、原作小説と違うのは、一度自分のものにした猿の手を手放すと、その人は死んでしまうということになっています。

 中国人の肥満した醜い富豪のオバハンが、ムリムリ猿の手のミイラを根沖トロ子に渡した。ボーッとしてるトロ子は何も考えずにミイラを受け取る。この時点で根沖トロ子は落ちぶれてアパートの狭い部屋で暮らしてるのかな?

 富豪のオバハンは猿の手に願いごとをして巨万の富を得たが、代償として容姿が醜くなった。そしてオバハンは猿の手を根沖トロ子に渡すことで、猿の手のミイラを手放し、東京で不慮の死を迎える。このことを知ったロックが事件に乗り出す。

 トロ子がどんなに猿の手のミイラを手放そうとしても、猿の手は必ずトロ子の元へ戻って来る。ロックはトロ子を救おうと考えるがどうにもならない。猿の手のミイラは強い妖力を持っている。ロックは小妖怪であるブッキラを猿の手にぶつけることを考えた。

 ロックによってトロ子のアパートの部屋へ招き入れられたブッキラは、猿の手のミイラと対峙する。ブッキラ対猿の手のミイラの妖力合戦が始まった。猿の手の妖力はもの凄く強い。確かトロ子の部屋での戦いではブッキラは負けるんじゃなかったかな?どうだったろう?

 僕は確かにコミックスで「ブッキラによろしく」は全編読んでるんですが、もうだいぶ前のことなんで細かい内容は忘れてますね。押し入れの段ボール箱漁ったらコミックスが出て来るかも知れないけど、背骨悪くしてから足腰悪くて、重たい本の詰まった箱々をあれこれ動かして捜すのが大変で。以前はこのブログ書くときも持ってる漫画本や資料の本を出して来て調べて書いてたんですけどね。

 ごめんなさい、「ブッキラによろしく」の第6話になる「猿の手」のお話の終盤、難問題の猿の手のミイラの呪いというか、何処に捨てても戻って来てしまって手放してしまうと死が訪れるという恐怖の掟を、いったいどう解決したのか?すっかり忘れてて解りません。妖怪対決で結局ブッキラが勝ったのか?解りません、済みません。終盤の成り行きを記憶してない。

◆ブッキラによろしく! (手塚治虫文庫全集) 文庫手塚 治虫  (著)

 

 手塚治虫漫画作品で妖怪の登場する作品というと有名なもので時代劇の「どろろ」がありますが、短編作品でも妖怪の出て来る短編漫画は時代劇·現代劇けっこうありますね。もともと手塚治虫作品にはホラー漫画も多いですからね。特にホラー漫画の短編は多い。

 手塚治虫作品に出て来る妖怪は、化け猫など有名なものの他は、キツネが化けるものもありますが、手塚治虫が考えたというか手塚治虫が創造した妖怪が多い。このあたりは妖怪漫画の大家·水木しげると違うところですね。

 水木しげるの漫画に出る妖怪たちは、昔からの地方地方に伝わる伝承のような、昔の時代の地方の田舎の伝説のような妖怪ばかりじゃないですか。民俗学的というか、各地方の民間伝承の妖怪を登場させてる。

 手塚治虫のホラー系の漫画に出て来る妖怪は、猫やキツネが化けて超自然的な力を使う以外は、手塚治虫の作った妖怪ですね。妖怪を扱った代表作の「どろろ」でもそうです。民俗学的な民間伝承の妖怪とかは使わない。

 手塚治虫のホラー系漫画には怖いばかりのものでなくて、泣かせるような感動的なお話も多いですけどね。

 手塚治虫の怪奇漫画の内、中国古来の怪談を集めて短編小説集に編んだ、17世紀頃·清代の怪奇短編集「聊斎志異」を題材に扱った、手塚治虫のホラー漫画シリーズもありますが、あれには中国の昔々の怪談だから昔の中国の妖怪話もあったかも。

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「エコエコアザラク」

 

 日本のホラー漫画界のレジェンド、古賀新一氏の数多作品の中でも、世間一般に一番有名な作品が「エコエコアザラク」でしょう。本来魔女である美少女·黒井ミサが活躍する、怪奇漫画「エコエコアザラク」は1975年9月の週刊少年チャンピオン誌上で始まり、79年4月まで大長編連載され、新書判コミックスで全19巻まで刊行されました。また続編が80年代以降、同じ秋田書店発行の、月刊少年チャンピオンや月刊サスペリアに連載されました。

 「エコエコアザラク」シリーズの主人公·黒井ミサは、ふだんは女子中学生だったり、続編では女子高校生ですが、隠された真の姿は黒魔術を操る魔女であり、黒井ミサ自体に苛めや暴力など危害を加える相手、または学校や街で不良行為を行い誰彼なく迷惑を掛けてる学生、女性に痴漢行為をする大人の男、平気で犯罪を行う奴ら、殺人も厭わない凶悪非道な連中、妬み嫉みが強く意地悪で根性のねじくれた女、または単純に自分の欲の強いエゴイストな者などが、黒井ミサの使う黒魔術の餌食になって、最後は残酷な目に合う、ある種、悪を懲らしめる痛快な面もあるホラー漫画です。

 「エコエコアザラク」の主人公、黒井ミサが黒魔術を使って悪人や不良を懲らしめる行為はある種、天罰みたいな面もありますが、特に悪人とまでは思えない普通の人が欲を出したばっかりに、黒井ミサの黒魔術の餌食になるような内容もありますね。そういう点では藤子不二雄A 先生の「笑うせえるすまん-黒いせえるすまん-」にも、内容のベースが似た面があるかも。またお話に依っては、凶悪犯に無惨に殺された若い女性の無念の霊魂が、黒井ミサの身体に乗り移り、黒井ミサの黒魔術を使って凶悪犯に復讐し、残酷な殺し方で思いを遂げる、というようなエピソードもありますね。

 黒井ミサが黒魔術を使って悪人や不良を懲らしめる、といっても懲らしめられるくらいじゃとても済まない、残虐な方法で、それこそ八つ裂きみたいなやり方で酷い死を与えられることも多い。そこがホラーなんですけど。黒井ミサは中学校や高校の正体不明の美少女転校生で、学校が舞台のことも多いのですが、お話に依っては黒井ミサは夜のガード下の闇の中で辻占い師をやっており、学校でも街中でも黒井ミサに関わった者たちには、みんな不幸が訪れる。それも残酷な目に合う、ウルトラ級の不幸が。

 古賀新一先生のペン捌きの、細い線を駆使して描く緻密な画面、背景から人物の表情まで、特に妖魔に襲われて恐怖に歪む表情や、魔物に執り憑かれて顔貌が不気味に膨れたり歪んでしまった表情、などなど本当に気持ち悪い画面を描き出す画力は、恐怖漫画のレジェンド·楳図かずお先生と双璧と言って良いくらいのものですね。

     

 古賀新一先生と言えば一番に代表作として挙がるのが「エコエコアザラク」だろうし、その次に挙がるのが貸本漫画からメジャーの少女雑誌に移った頃の、「へび少女」や「くも少女」もの、あるいは80年代90年代のホラー漫画雑誌に掲載された珠玉の怪奇短編作品かも知れない。でも僕に取っての日本怪奇漫画界のレジェンド、古賀新一は僕が子供の頃の、ひばり書房·つばめ出版が刊行していた貸本漫画の怪奇オムニバス誌、「オール怪談」「怪談」で巻頭カラーを飾っていた不思議な物語のホラー短編漫画だ。子供の頃、古賀新一先生のホラー短編漫画は本当に怖くて、だけど魅力的で、毎月「オール怪談」「怪談」収録の怪奇掌編を楽しみにしていた。

 貸本時代の「オール怪談」を出していたひばり書房と「怪談」を出していたつばめ出版は、姉妹企業だとも同じ会社だとも言われてます。両貸本オムニバス誌ともだいたい1958年から67年頃まで発刊され、だいたい月一巻発行で約10年間に「オール怪談」が84巻まで「怪談」の方が101巻まで刊行されました。

 「オール怪談」「怪談」共に怪奇漫画の短編を四、五作品収録という編集内容は全くと言っていいほど同じで、短編集に描いている当時の漫画作家さんのメンツもほとんど同じでした。内容は怪奇·恐怖·ホラー風味のSF とファンタジー、ホラー風味のアクション劇画で全てA 5 貸本誌、主に僕が愛読していた頃はだいたい128P から136P の中に、20P から50P の短編漫画が収録されてました。僕が貸本漫画を読み始めた63年より以前に刊行された両誌には、もっと分厚いのもあったみたいですけど。

 貸本誌「オール怪談」「怪談」に収録されるホラー短編は、現代劇も時代劇もあって、古賀新一(しんさく)先生は主に現代劇のホラー漫画を描いてました。当時の両誌の巻頭カラーを飾っていた漫画家は、僕の記憶する限り、古賀新一、浜慎二、小島剛夕の三氏が多く、浜慎二先生も現代劇怪談で、小島剛夕先生はほとんど時代劇だった。ひばり書房の貸本誌の巻頭カラーページは巻頭8ページで四色カラーでしたね。ちなみに東京トップ社刊の貸本誌は巻頭16ページ四色カラーで、大阪日の丸文庫の貸本誌は巻頭16ページ二色カラーだった。

 子供の頃の僕はほとんどと言っていいくらい毎日、貸本漫画を二冊借りて来て読んでたけど、好んで絵の上手い漫画を愛読していて絵の下手な漫画は読み跳ばしていた。貸本漫画は玉石混淆で絵のヘタクソな漫画家も多かった。古賀新一·浜慎二·小島剛夕の三氏は抜群に絵の上手い漫画家で、古賀新一·浜慎二の絵柄は当時大好きでしたね。

 小島剛夕さんというと、後の「子連れ狼」他の時代劇剣豪アクション劇画で一世を風靡するくらいの大人気漫画作家になる訳だけど、貸本時代の小島剛夕さんも人気が高かった。「オール怪談」「怪談」の巻頭カラー作品も時代劇の怪談掌編をよく掲載していた。貸本時代の小島剛夕作品は時代劇の悲恋ものが多くて、「オール怪談」「怪談」に載せる話も例えば「牡丹灯籠」みたいなものが多かったと思う。女の幽霊が出て来る恋愛に絡めた恨み話とか。

 僕が貸本の「オール怪談」「怪談」を愛読していた時代って、僕の6歳~11歳の頃だから、貸本漫画も絵が上手くて解りやすいお話が好きだった。古賀新一·浜慎二のホラー漫画は絵も上手いが、怖い話が単純明快で子供でも解りやすかった。あの頃の小島剛夕作品は恋愛がテーマだったから、子供の僕には解りにくかったんだと思う。小島剛夕さんは絵が上手いというのはよく解るのだが、あの絵柄に子供時分の僕は馴染めなかったなぁ。

 「怪談」「オール怪談」レギュラー漫画家陣の中では、いばら美喜氏もときどき巻頭カラー作品を描いていて、突飛なアイデアのホラー漫画も多かったが、アクション劇画調の絵もうまくて、当時は僕は、いばら美喜さんのホラー短編漫画はけっこう好きだったな。「えぇっ!?」って驚くような、怪奇ものだけど笑えるアイデアも多かったように思う。

 

  貸本時代の古賀新一先生は貸本初期の頃は作家名義を“古賀しんさく”と名乗っていて、当時の貸本漫画の人気ジャンルでは、日本国内なのに拳銃バンバン撃って活躍する若い私立探偵のアクション劇画が流行っていて、各人気貸本漫画家それぞれがヒーロー探偵を作り出していた。貸本時代後半はホラー漫画専門のような作風になる古賀新一先生も、古賀しんさく時代には独自のヒーロー探偵ものを描いていた。「新吾シリーズ」というハードボイルド探偵アクション劇画で、貸本の単行本で12巻まで続いた。

 「新吾シリーズ」は僕も貸本で読んでた記憶があります。基本、拳銃バンバン撃って悪者を退治するハードボイルド·アクション劇画なんだけど、この当時から既に作風にホラー色が出ていたと思う。そういう意味ではちょっと“いばら美喜”さんとも似たテイストがあったかな。

 漫画家名義を“古賀新一”に統一する以前の貸本時代は、“古賀しんさく”の他に本名である“古賀申策”名義で描いていたこともありますね。貸本初期のアクション劇画の時代の絵柄は後のホラー漫画のタッチとはかなり違う絵柄で描いてますね。“初期のさいとうたかを”を彷彿とさせる貸本アクション劇画のタッチですね。当時の貸本アクション劇画で人気のあった、さいとうたかを·南波健二·旭丘光志·沢田竜治·江波譲二のような、太くて力強い線でけっこう荒々しいタッチでしたね。

 2018年3月、古賀新一先生はお亡くなりになりました。2018年3月1日に81歳でこの世を退場して、手塚治虫先生、水木しげる先生他、たくさんの日本漫画界の大レジェンドたちが星となってる漫画の大星団に行かれて、その星の一つとなられました。戦後の日本独自の文化である日本コミックの世界を作り、昭和の漫画文化が花開いて最初の隆盛の時代を作った、黎明期から昭和時代の日本漫画史レジェンドたちは、もうかなりの先生方が夜空に輝く漫画の星となられましたが、日本コミック文化の創成期から昭和の隆盛期、怪奇漫画ジャンルを楳図かずお先生らと共に作り上げた古賀新一先生も、日本漫画史のホラー漫画ジャンルに名前を残すレジェンド漫画家ですね。

 エコエコアザラク(1) (少年チャンピオン・コミックス) Kindle版 古賀新一  (著)

エコエコアザラク(2) (少年チャンピオン・コミックス) Kindle版 古賀新一 (著)

エコエコアザラク 全19巻完結(ホラーコミックススペシャル) [マーケットプレイス コミックセット] コミックス

小説 エコエコアザラク (APeS Novels) 単行本 岩井志麻子 (著)

エコエコアザラク 10 (少年チャンピオン・コミックス) コミックス 古賀 新一 (著)

エコエコアザラク(19) (少年チャンピオン・コミックス)Kindle版 古賀新一 (著)

エコエコアザラク 文庫版 コミック 1-10巻セット (ザ・ホラーコミックス) 文庫 古賀 新一 (著)

エコエコアザラク (6) (ザ・ホラーコミックス) 文庫 古賀 新一  (著)

 貸本漫画から出発して、貸本誌でアクション劇画や怪奇ホラー漫画を描いていた古賀新一氏は、1964年の週刊マーガレットに少女向けのホラー漫画「白へび館」を連載し、そこから主に集英社の月刊·りぼんや週刊マーガレットに「へび少女」「くも少女」系の少女怪奇漫画を掲載し続けて、少女漫画愛読者の人気を得ます。「へび少女」や「くも少女」ものだけでなく、吸血鬼や人面疽、人喰い鬼婆などなどの恐怖の怪物から、小学校高学年から中学生くらいの美少女が襲撃され追い回され、逃げ惑うお話を数多描き上げて、当時の少女から若い女性の読者に大人気でしたね。

 また、古賀先生の作品が、60年代半ばから後半の時代、少女漫画雑誌で美少女ホラー漫画が大ウケしていた頃、少年画報社発行の週刊少年キング誌上の「人間怪獣トラコドン」や江戸川乱歩のスリラー雰囲気のサスペンス作品を、古賀新一流のホラー漫画タッチで描いた中編作品など、当時の少年漫画雑誌にも怪奇ホラー漫画の中編·短編をいっぱい掲載していました。

 80年代の半ば頃から90年代、「サスペリア」や「ハロウィン」などの、少女や若い女性を主な読者対象とした怪奇ホラー漫画専門誌がいっぱい発刊されましたが、そういった雑誌にもたくさんの怪奇ホラー漫画の短編を掲載されてましたね。

 90年代後半に発刊された角川ホラー文庫の「死霊の叫び-古賀新一恐怖傑作集」には珠玉の怪奇ホラー漫画の短編が詰め込まれてて、この短編漫画集は絶品ですね。恐怖漫画のアイデアといい細い線を駆使して緻密に描いた画力といい、この上ない恐怖感を醸し出しています。またホラー漫画には、怪奇とギャグは隣り合わせという感覚も含んでいますから、ブラックユーモア的に思わず笑ってしまう部分もあって楽しいですね。

 「エコエコアザラク」が週刊少年チャンピオンに連載されていた時代、僕は東京·羽田空港の職場に勤めていて、僕自身も若かったけど僕よりも一つ二つ三つくらいの年下の後輩社員が、よくジャンプやチャンピオンを買って来て読み捨てのように職場のロッカールームに置いてたので、当時、僕はこの漫画本、特に週刊少年チャンピオンをほとんど毎週(タダで)愛読してました。このとき雑誌連載で「エコエコアザラク」は読みましたね。

 また80年代後半、僕はもう東京の会社を辞めて生まれ故郷に帰って来てましたが、この時分、秋田コミックス·セレクトのB 6判の分厚い「エコエコアザラク」の単行本で二、三冊読み返してます。80年代後半には秋田書店発行の怪奇ホラー漫画専門誌「サスペリア」に「エコエコアザラク2」が掲載されていたので、連載を毎回読んだ訳ではないけど、「エコエコアザラク2」も読んでますね。

 漫画本編「エコエコアザラク」の雑誌初出連載は75年から79年までの間なので、本来「エコエコアザラク」の当ブログ内カテゴリ分けは「70年代漫画作品」なんですが、僕がコミックスでちゃんと読んだのは80年代だし、80年代には「エコエコアザラク2」も雑誌連載されてたし、本編もコミックスで売れ続けて人気があったし、80年代には「エコエコアザラク」の文庫版や豪華版も発行されたし、「エコエコアザラク」は90年代に入ってから何度も実写映画化され、また実写のテレビドラマにもなった。90年代も「エコエコアザラク」のコミックスは売れてたんですが、ここは「エコエコアザラク」の当ブログ内のカテゴリ分けは「80年代漫画作品」としました。

 


 
 
 

 

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●小説(ミステリー)・・ 「高校殺人事件」-松本清張作品-

  主人公の高校三年生の少年は、クラスメート内の仲良しグループの一員だった。そのグループ内の友達の一人、変わり者でポーやランボーに心酔する、少年詩人が自分の創作詩の構想を練るために近隣の山々に散策に入り、夜間の山中の沼近くで妙な笛の音を聞く。

 翌日、その話を主人公の少年にして、ちょっとした言い合いになり、笛の音の確認のために少年詩人は再び、次の夜も山の中に入り沼にまで行く。少年詩人はそのまま帰って来なくて行方不明となった。

 クラス担任の教師や仲良しグループが中心となり、警察も出動して大々的に山々の捜索を行う。友達の少年詩人は見つからず、仲良しグループや担任教師は独自に捜索を続けた。捜索の途中、沼付近の森の中で、怪しい素振りを見せる若い僧に出くわす。

 やがて警察は沼の中の捜索を行い、沼の水中から二つの死体を引き揚げ、その内一体が行方不明になっていた友達の少年詩人だった。

 担任教師の提案で仲良しグループは、寺に保管される非常に珍しい草花の写生を口実に、例の怪しい若い僧が勤める、沼近くの寺に訪問し中の様子を探る。だが何も解らなかった。

 その内、独自に事件の謎を追っていたらしい担任教師が失踪し、乗っていた自転車だけが少し離れた川で見つかる。担任教師は行方不明のままとなる。

 主人公少年は寺近くの山で浮浪者然とした中年の男と出会う。身体の悪そうなこの男は海外の戦地帰りで、寺の住職と旧知のようだ。男は少年に寺付近の山々の案内を請う。友達の死体が揚がった沼や防空壕跡の山麓の穴などを案内させる。

 寺は若い僧も不気味だが住職も態度が怪しい。少年はクラスの仲良しグループと事件について話し合いを繰り返す。その内、寺の直ぐ隣に郷土記念館ができた。住職と旧知の身体の悪そうな男は、この郷土記念館の管理役となる。管理役にはもう一人サブの男も居た。

 やがて戦地帰りの身体の悪そうな男は、郷土記念館の中で死亡する。警察は建物内部での首吊り自殺と見るが、記念館の内部を念入りに観察した少年は、自殺死因に不自然さを覚える。

 そうこうする内に夏休み中に九州の同年代の従姉妹が遊びにやって来る。この従姉妹は活発な性格で行動力もあり、探偵小説マニアだった。彼女は従兄弟や従兄弟のクラスメートたちの抱える謎の事件に興味を抱く。

 主人公少年と推理マニアの従姉妹の少女の殺人事件の捜査が始まった。沼から上がったクラスメート親友の絞殺死体、突然建立されたあまり意味のなさそうな郷土記念館、その記念館の管理役に納まっていたのに自殺してしまった戦地帰りの身体の悪そうな男、失踪したまま行方の解らない担任教師、不気味な寺の若い僧、不審な動向の寺の住職や記念館のサブ管理人…。

 少年探偵団的な様相の仲良しグループに主人公少年の従姉妹少女が加わり、怪事件の謎は一気に解決へと向かって行く…。

 というのが、日本ミステリ小説界のレジェンド、松本清張の1960年の作品、「高校殺人事件」のおおまかなストーリーです。単行本上梓は61年ですね。

    

 この間、松本清張のミステリー小説「高校殺人事件」を読んだ。この小説は僕が松本清張の作品で一番初めに読んだ小説で、高二の春に読んだ。だから実に四十年以上の間を開けた再読になる。

 「高校殺人事件」は松本清張唯一のジュヴナイルと言われる小説で、1960年当時の学研の「高校コース」に連載された長編推理小説です。

 高二の初めに転校して来た不良の文学青年、まだ高二くらいだから文学少年かも知れない、MT 君が僕に文庫本の小説を二冊貸してくれて、その内一冊は五木寛之の短編集、もう一冊が松本清張の短編集だった。

 高二の春、16歳の僕はそれまで活字の本は児童向けの本しか読んだことなかった。高一のときに学校の図書館から、新しく出てた江戸川乱歩全集の分厚いの三冊くらい借りたことがある。中のカラー挿し絵を横尾忠則が描いてたヤツ。頭のデキのあんまし良くない僕は当時三冊とも挫折して、ろくに読まずに返却してる。

 せっかくMT 君の貸してくれた大人が読むような文庫本を、頭のあんまし良くない僕がちゃんと読めるのか自信がなくて、学校の帰りに子供の頃からよく通ってた書店に行って、松本清張の小説で一番読みやすそうなのを捜した。

 光文社の新書版カッパノベルスに、少年少女用に書かれた推理小説「高校殺人事件」があった。僕はこの本を買って、MT 君が貸してくれた松本清張の短編集を読むにあたってのウォーミングアップに「高校殺人事件」を読むことにした。

 もう、このときMT 君が貸してくれた五木寛之の短編集と松本清張の短編集に、どんな短編作品が収録されてたのか覚えてはいない。松本清張の短編集は「黒い画集」だったか「黒地の絵」だったか、それとも他の短編集だったかはっきりしない。

 もともと頭のデキがあんまり良くなくて活字本の読書慣れができてない僕は、ジュヴナイルである「高校殺人事件」でさえ読むのに手間が掛かってた。だから借りた二冊を読み上げるのにかなり時間が掛かって、MT 君に本を返すよう言われて、まだ読み終わらないのかと呆れられながら文句を言われたのを覚えている。

 その後、もう一回くらいMT 君から文庫本を借りていると思う。やはり五木寛之と松本清張の短編集だと思う。長編の大人の読むような小説本を読み上げる自信がなかったのだ。MT 君から小説の文庫本を借りて読んだのはせいぜい二、三回で、後は自分で本屋で買って読むようになった。文庫本は買っても割りと安価だと気付いたのだ。

 しかも文庫本の中に五木寛之の作品も松本清張の作品もいっぱい出ていた。頭が悪くて遅読だからせいぜい一週間に一冊ペースだ。これなら安価な文庫本は買って読める。また、不良の文学少年 MT 君と学校で毎日話す内に、いろんな作家の話も聞いた。太宰治の話などもしていたが、当時の流行作家のエピソードが多かった。だから、そこから五木寛之·松本清張以外の作家の文庫本を買って来て読み始めたのもある。

 高校生時代、僕の家は大貧乏だったから、当然のように小遣いなどなく、途中から母親手作りの弁当持って行くのをやめて、昼食代として月曜から金曜まで毎日百円を貰うようになった。高校生時代は昼飯を抜いて百円を貯めて文庫本を買ってた。当時は文庫本なんて二百円台くらいであったから週に一冊読み上げるとして充分だった。通ってた高校は家から近かったから、別に昼食べなくても帰宅部で4時頃家に帰れば、朝の残りの味噌汁と生卵がある。家帰って直ぐ、毎日のようにどんぶり飯に味噌汁と卵掛けて掻き込んでた。

 後々から思えば、この時代、市の図書館を利用すれば良かったのにな、と思った。歩き通学だったし学校と家からだと反対方向に遠回りになるが、距離的にはいつもの通学路の二倍半くらいの歩きになるだけだし。

 高校の図書館で借りた本は高一のときの江戸川乱歩全集の中の二、三冊と忍者の解説本と漫画の「のらくろ二等兵」くらいだけだったな。多分、高二·高三時は学校図書館で借りてない。乱歩全集の二、三冊はろくに読んでないし。ただ忍者の解説本は、エンターテイメントの忍者ではなくて、戦国時代の実際の忍者について実在した上忍の名前と共に、階級社会や道具や鍛錬などあれこれ解説していて面白い本だった。

 僕が高校生時代読んだ本、特に文庫本は当時の流行作家のものばかりだったから、多分当時通ってた高校の図書館にはあの時代先端の流行作家のものは置いてなかったんじゃないかなぁ。文庫本くらい昼飯抜けば買えたし、途中からもう昼飯抜いて帰宅して4時頃味噌汁ぶっかけ飯を食うのに身体が慣れたんだろうな。

 松本清張が「高校殺人事件」を執筆したのは59年末頃から61年の初春くらいまでで、初単行本化は光文社の新書判、カッパノベルスで61年の12月。

 当時の高校生の少年が主人公で、1960年当時の高校生や大人の生活が背景に描かれてるけど、2019年から考えて今から60年近く前に書かれた小説といっても、読んでてそこまで違和感はない。まぁ、昭和の風景感はあるけど。僕は四歳五歳の時代だけど、僕は昭和を知ってるもんな。パソコンもネットも携帯電話もスマホもSNS もない時代の現代を描いてると、今の若者が読めば、やはり大昔感があるのかもな。僕が高校生だったのは70年代前半だから、物語中の高校生たちと特に変わりは感じないもんな。ただ物語中には、まだ戦後感が残っていて、太平洋戦争中に海外の戦地に行っていて敗戦後日本に帰って来た大人たちのエピソードとか出て来るけど。

 カッパノベルス版の1961年初版本の定価は230円で売り出されてるけど、ネット画像で見た73年版カッパノベルスの定価は430円だった。僕がこのカッパノベルス版で購入したのが71年だから値段は410円くらいだったのかな?あの時代の僕がよくこんなお金持ってたな。60年代~70年代の雑誌や書籍って毎年だいたい10円づつくらい値上がりして行ってたもんな。

 この僕の拙ブログ、「Ken の漫画読み日記。」は、僕の読んだことある漫画作品のコトゴト、仮に読んだことなくても知っている漫画作品のコトをイロイロ書いて行ってるブログなんですが、松本清張の小説作品のコトを書き込むにあたって、基本「漫画読み日記」だから、もし松本清張作品にコミカライズされた作品があれば、建前にそれを挙げて、主要内容は小説「高校殺人事件」の話を書いて行こうとしたんですが、調べても、松本清張の小説で漫画化された作品はありませんでした。だから、まぁ、カテゴリを小説(ミステリ)にして記事アップすることにしましたが。

 僕は高二の春にクラスメートの MT 君から、五木寛之と松本清張の短編集の文庫本二冊を二回くらい借りて読んで、後は商店街の本屋で買って、五木寛之も松本清張も主に文庫本で次々と読んで行きました。松本清張作品は高校生時代にけっこう多数読んだのですが、当時面白かった作品を順位付けでいうと、1位「影の地帯」2位「蒼い描点」3位「ゼロの焦点」4位「黒い樹海」といったところですかね。

 「高校殺人事件」はTVドラマ化されてるそうで、1977年にNHKで、ドラマタイトル「赤い月」で、夕方6時台の20分ワクで全20回で放送されたようです。無論、僕はドラマ版を見たこともないし知りませんでした。小説で読むとそこまで長く感じなかったけど、20分を20回というのは随分長い時間掛けてドラマを描いたんですね。当時の「少年ドラマシリーズ」という番組ワクの中での放送で、このシリーズは当時、夕方に毎週3、4回(日)放送していたようですね。

 

高校殺人事件 (光文社文庫) 文庫 松本 清張  (著)

影の地帯 (新潮文庫) 文庫 松本 清張  (著)

蒼い描点 (新潮文庫) 文庫 松本 清張  (著)

黒い樹海 (講談社文庫) 文庫 松本 清張  (著)

高校殺人事件 (光文社文庫)Kindle版 松本 清張  (著)

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黄色い風土 (講談社文庫) Kindle版 松本清張  (著)


 「高校殺人事件」が初出連載されたのが、1959年から61年までの学研発行の「高校コース」。昔は学習·学年誌という教育系児童雑誌は、小学館の「小学一年生」から「小学六年生」まであり、学研発行の「一年の学習」「一年の科学」から「六年の学習」「六年の科学」まであった。また中学生以上向けの教育系雑誌になると、学研からは「中一コース」から「中三コース」が出ていて、旺文社からは「中一時代」から「中三時代」が出ていた。

 高校生向けには旺文社から「高一時代」から「蛍雪時代」、学研からは「高一コース」から「大学受験·高三コース」が刊行されていた。

 子供の頃の僕は、小学館の学年誌はタマに買うことはあっても、中学生からの「時代」や「コース」は、中学·高校とも一冊も買ったことはない。僕が小学生や中学一年生頃、親戚の家に泊まり掛けで遊びに行ったとき、親戚の家の僕より三つ四つ歳上の従兄弟の「時代」だったか「コース」だったかがあって、パラパラ捲って見たのは記憶している。

 僕の小学生時代は、学研の「学習」「科学」は小学校の中で予約販売していて、僕は「学習」の方はタマに購読することはあった。購読ってあの頃の馬鹿ガキの僕は活字はほとんど読まず、一本だけの何ページかの漫画と綺麗な図版(写真)を見てただけだったな。

 小学校時代の「学習」「科学」の購読って、発売日に小学校に雑誌が来てたけど、支払いってどうしてたんだろうな?どういう支払い方法してたのか全く記憶してないな。

 松本清張作品は、高校生時代にけっこう読んで行ったし、特に短編集はいっぱい読んでると思う。長編も読んで行ったけど、「波の塔」と「けものみち」が当時、読み上げるのは最後まで読んだけど、小説があんまり面白いと思わず、その辺から松本清張は読まなくなったのかな。松本清張をいっぱい読んでたのは高二までで、高三になってそんなに読んでないと思う。高三は野坂昭如·遠藤周作·柴田翔·庄司薫·北杜夫·柴田錬三郎とかかなぁ。五木寛之は高二までは短編集をいっぱい読んでて、高三は五木寛之の長編小説を読んでたな。

 あ、高三時は吉行淳之介の長編小説も何作か読んだな。エッチな内容で驚いたが文章表現がとても綺麗だった。こういう“文学”もあるんだなぁ、って思ったな。松本清張は高校卒業して大人になってからは、読んだのは「Dの複合」と「湖底の光芒」の二冊だけだな。

 「Dの複合」は浦島太郎伝説になぞらえた現代の謎解きの面白さが光る長編推理小説で、当時楽しく読み上げたと思うが、「湖底の光芒」の方は下請け中小企業の経営の苦悩を描いていて、謎解き部分があんまりなくて、当時は僕は小説がそんなに面白いと思わなかったと覚えている。まぁ「Dの複合」も「湖底の光芒」もあらすじも内容はほとんど忘れてしまってますけど。

 

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「キングコング」「ミスター巨人」-伊東章夫-

 

 東宝怪獣映画の「キングコング対ゴジラ」の初上映が1962年、同じく「キングコングの逆襲」の初上映が1967年、連続テレビ·アニメ「キングコング」の放送が67年4月から10月。幼少時、僕がモノクロ·テレビで見たアメリカ映画の「キングコング」は、1933年制作のアメリカ実写映画です。日本で67年に放送されたアニメ版は、東映動画も参加した日米合作。伊東章夫さん作画の「キングコング」は、このアニメ版のコミカライズで、当時の講談社の月刊誌「ぼくら」に連載されました。

 アニメ版「キングコング」は昭和30年代40年代のアメリカ輸入アニメがみんなそうだったように、連続放送の一回の内、二本のお話があって、真ん中に別のギャグものアニメが挟まれていた。あの時代のアメリカ·アニメはみんな10分もない短編動画で、「キングコング」も30分放送の内、一回目のコングが約10分、次に「親指トム」というギャグ·アニメが約10分、そして二回目のコングが約10分という放送でした。CM やオープニング·エンディングがあるから一本正味7、8分かな。

 67年はこのアニメ放送「キングコング」に夏場の東宝実写特撮「キングコングの逆襲」、週刊少年マガジン連載の一峰大二版「キングコング」、月刊誌「ぼくら」の伊東章夫版「キングコング」と、キングコングの年でしたね。週刊少年マガジンの「キングコング」は原作を梶原一騎氏が担当し、一峰大二さんが劇画タッチで描いた、いわば劇画版「キングコング」でした。アニメ版やそのコミカライズの伊東章夫版は、見るからに児童向けにデフォルメされた漫画·アニメ絵柄でユーモア仕上げでしたが、一峰大二版の「キングコング」は梶原一騎が脚本書いてるだけに、ユーモアを廃したシリアスタッチだった。

 僕は小学二年から中学二年くらいまで、毎月、月刊児童雑誌「ぼくら」を購読していたので、伊東章夫さん作画の「キングコング」もリアルタイムで全編読んでます。伊東章夫さんの見るからに当時の少年漫画の絵柄で描かれた「キングコング」も毎月楽しく読んでましたが、漫画の内容までは記憶していません。

 伊東章夫さんの絵柄は、まだ劇画が少年漫画に浸透して来る前の、手塚治虫ストーリー漫画に由来する、デフォルメされた丸っこい、可愛い優しい絵柄でしたね。伊東章夫さんの作品はユーモア味も存分に入ってるけど、ストーリー漫画が多かったですね。少年マガジン連載の「モン吉くん」とかギャグ漫画もありましたけどね。

 伊東章夫さん作画版「キングコング」の月刊誌「ぼくら」連載は67年5月号から12月号までの間ですね。たいてい「ぼくら」のB5判か 変形B5判 の大型別冊付録で掲載されてました。 ひと月の一回一話でお話が終わる連載形式で、内容は子供向けに、勧善懲悪のシンプルなストーリーだったように思います。

    

 「ミスター巨人-ジャイアンツ-」は当時の秋田書店の月刊少年誌「冒険王」の、1962年後半頃から63年~64年に掛けて連載されて人気を博した少年野球漫画です。小さく可愛らしい牛若太郎という少年が、プロ野球·球団の巨人軍に入団して、長嶋選手·王選手と共にクリンナップを打って、プロ野球で活躍するという、まぁ痛快少年野球漫画かな。

 当時は「冒険王」巻頭付近のカラーページから続いて、B6判別冊付録で連載されていた、誌の看板漫画扱いの人気作品でした。

 見た目小学五、六年生かせいぜい中一くらいの子供が、プロ野球の世界に入って活躍するとか、あり得ない突飛なストーリーでしたが、50年代後半から60年代の児童漫画では、この、大人の世界に入って子供の主人公が活躍するお話は、普通にありました。50年代後半から60年代前半のストーリー漫画の代表作の一つ、「鉄人28号」の主人公、金田正太郎は半ズボン穿いたモロ子供でありながら拳銃バンバン撃って、警察と一緒に大量殺人も厭わない犯罪組織と戦ってましたしね。

 僕が伊東章夫さんの作品で思い出深く記憶に残ってるのは、64年65年頃の秋田書店の月刊誌「まんが王」に連載されてた「ピンチくん リリーフくん」。もう細かなストーリーなんて覚えてませんが、好きな漫画でした。双子の中学生少年、ピンチくんとリリーフくんが犯罪に巻き込まれて、活発なピンチくんが悪人に捕まるもリリーフくんが助けに回るような、双子の特性を活かして犯罪解決に協力する、少年探偵漫画でした。

 ネットを回って調べると、どーも「ミスター巨人」は冒険王62年9月号から連載が始まって、連載終了がいつかよく解らないのですか63年いっぱいは連載されてたようですね。「ピンチくん リリーフくん」の連載はまんが王65年1月号から5月号となってます。何かぼんやりした記憶に64年12月号のまんが王にも掲載されてたような気がするんだけどなぁ。意外と短期間の連載だったようです。

 伊東章夫さんを調べるとデビュー作は1954年の児童雑誌「漫画少年」掲載の「子熊物語」となってますね。伊東章夫さんは1937年生まれだからこのとき17歳くらいかな。ここから「漫画少年」誌上での発表が続いてますね。57年58年から59年くらいまで当時の貸本の単行本で多数作品を出してます。59年から児童雑誌で作品を描き初め、この年、初期の代表作の一つ「モン吉くん」を週刊少年マガジンで連載する。

 59年から60年代前半の伊東章夫先生は、当時の売れっ子漫画家の一人と言っていいと思います。この時代の月刊·週刊の少年誌や少女誌·学年誌のそれぞれに、ストーリー漫画·ギャグ漫画の連載や読み切り短編を発表し続けています。冒険王連載の「ミスター巨人」もこの時代の代表作の一つですね。ギャグ漫画の作風は、等身大の小学生たちを面白おかしく描いた生活ゆかい漫画が多いかな。

 伊東章夫先生の60年代の代表作は、何といっても、この時代にテレビ放送のアニメで大人気だった「狼少年ケン」のコミカライズかな。月刊誌「ぼくら」の64年6月号から65年9月号まで、だいたいアニメの放送期間中連載が続きました。

 伊東章夫さんの絵柄は50年代~60年代児童漫画のデフォルメされた丸っこい可愛い絵柄だったから、少年漫画雑誌が週刊誌の時代になり劇画が台頭して来ると、68年頃からは少年誌で見なくなったかな。少年誌では月刊ぼくらの「キングコング」が最後頃の作品になるかな。

 60年代後半に入ると、伊東章夫先生の作品は小学館の学年誌でよく見るようになりますね。講談社の幼年向けのウルトラセブンのコミカライズ本とか。

 70年代に入ってからは、学習漫画シリーズのような書き下ろし単行本が多くなりましたね。伊東章夫先生のデフォルメされた丸っこい可愛い絵柄は、少年少女向けの漫画で解説された、科学や歴史の子供向け教養書の漫画絵にピッタリだったようですね。学者や専門家が著者で、原作脚本の担当に着いて、伊東章夫氏が漫画を作画したシリーズと、学者や専門家が監修に着いて、ほとんどの作画を伊東章夫氏がこなしたシリーズとありますね。伊東章夫氏の学習漫画シリーズは、科学分野や日本の歴史を細かく解説した分野や、古代の様々な恐竜に関して細かく解説したシリーズなど多岐に渡っています。

     

 伊東章夫氏の「ミスター巨人-ジャイアンツ-」は1963年頃の作品ですが、この時代、一時は少年雑誌の王者だった光文社の月刊誌「少年」の末期、67年頃にもう一つ「ミスター·ジャイアンツ」という作品が連載されます。こちらの作者はギャグ漫画家の森田拳次氏。

 こちらの「ミスター·ジャイアンツ」の主人公、ミスター·ジャイアンツは物語中、プロ野球·巨人軍の選手で他の実在する長嶋選手や王選手らと共にプロ野球の試合で活躍するんですが、実際に、この時代の読売巨人軍のマスコット·キャラクターでもあります。

 森田拳次さんは本来ギャグ漫画専門の売れっ子漫画家ですが、この「ミスター·ジャイアンツ」という作品はコテコテのギャグ漫画ではなく、野球少年たちとミスター·ジャイアンツや実在する巨人軍選手たちとの交流を描くような、ほのぼのしたゆかい漫画ですね。ちょっとイメージ的には作風は同じく「少年」に連載されてた、わちさんぺい氏の「ナガシマくん」に近いような。

 元·巨人軍スタープレイヤーであり巨人軍のレジェンド監督だった、今でも身分は終身名誉監督ですが、長嶋茂男さんは、読売ジャイアンツ現役選手時代に“ミスター·ジャイアンツ”と呼ばれてました。今でも長嶋茂男さんを“ミスター”の愛称で呼ぶ人は多いですね。長嶋さんはいつ頃から“ミスター·ジャイアンツ”と呼ばれるようになったんだろうな?児童漫画の世界では「ミスター巨人-ジャイアンツ-」は牛若太郎だし、モリケンの漫画では“ミスター·ジャイアンツ”ってキャラクターが居るし。

 

 

まんが 冒険恐竜館〈5〉大絶滅をこえて 大型本 伊東 章夫 (著), 真鍋 真 (監修)

◆狼少年ケン-マンガショップシリーズ単行本 伊東章夫·著

◆講談社テレビコミックス·ウルトラセブン(上)KC デラックス 伊東章夫 他·著

◆まんが冒険恐竜館(1)恐竜の世界へ 大型本 伊東章夫·著

◆まんがとカメラで歩く奥の細道(1)伊東章夫·著

◆学研まんが人物日本史 北条時宗-元寇のあらし 伊東章夫·著

◆学研まんが人物日本史 武田信玄と上杉謙信-川中島の戦い 伊東章夫·著

◆恐竜まんが·ファイトくん(1)よわむし恐竜の巻 伊東章夫·著

◆恐竜まんが·ファイトくん(2)冒険の旅への巻 伊東章夫·著

◆まんが冒険恐竜館(3)鳥になった恐竜 伊東章夫·著

◆講談社テレビコミックス·ウルトラセブン(下)KC デラックス 伊東章夫 他·著

原始・大和・奈良時代 (まんが日本史年表) 単行本 うめだ ふじお 伊東 章夫 立木 じゅん

先祖をたずねて億万年 (科学まんがシリーズ)単行本  伊東 章夫 (イラスト)

いきなり長嶋茂雄―名作マンガで読むミスターの怪演! 単行本 長嶋マンガを発掘する会 (編集)


 1933年アメリカ制作の映画「キングコング」を僕がモノクロテレビで見たのって、僕が4歳5歳6歳のときだろう。「キングコング」は当時何度もテレビで放映された。終盤、コングがニューヨークのエンパイアステートビルに登ってアメリカ空軍の戦闘機に攻撃されて、最後はビルから落下して死んじゃうヤツ。今調べたらエンパイアステートビルって本体381メートルもあるんだな。1931年によくそんな高いビル作れたな。「キングコング」の制作年が33年だからコングはできて直ぐに登ったことになる。まぁ映画だけど。

 日本の東宝特撮映画「キングコング対ゴジラ」を見たのは僕が小一の夏休み。六歳ですね。円谷特撮映画·ゴジラシリーズの三作目。キングコングが正義サイドでゴジラが悪役でした。夏休みということもあって僕はこの映画を7回見てる。当時住んでた家の斜め前が邦画ロードショーの映画館で三回か四回見に行って二度くらいは映画館に残って同じもの二回見てる。それで「キングコング対ゴジラ」は7回見た。

 当時の邦画の新作封切りはほとんど二本立てで、調べると塀映がザ·ピーナッツ主演の「私と私」っていう映画になってるけど、この同時上映の映画、全く覚えてない。一回映画館に入って「キングコング対ゴジラ」二度見てるということはこの「私と私」も見てる筈なんだけどまるで記憶にない。まぁ僕も六歳だし興味のない映画だからただぼんやり見てただけだろうけど。ザ·ピーナッツ主演だから若者向けの青春映画か何かだったんだろうし。六歳じゃなぁ…。

♪ ウッホウホウホ ウッホッホ~ 大きな山をひと跨ぎ キングコングがやって来る 怖くなんかないんだよ キングコングは友達さ 火山も津波も恐竜も キングコングにゃ敵わない 戦えキングコング ぼくらの王者

♪ 頭を雲の上に出し キングコングがやって来る 逃げなくって良いんだよ キングコングは友達さ 嵐も地震も怪獣も キングコングにゃ敵わない 負けるなキングコング 世界の王者

 67年当時テレビ放送されてたアニメ「キングコング」の主題歌は、今でもYouTube とかで聴けるけど、僕はずっと覚えてたから、当時は多分僕は毎週「キングコング」の放送を見てたんだろうな。でも僕にはそこまで好きなアニメ番組でもなかったと思う。この時代の僕のご執心テレビ番組はやっぱり「ウルトラマン」~「ウルトラセブン」だろう。ただ「キングコング」の主題歌は今でも好きだから当時も好きでよく口ずさんでいたんだと思う。

 「キングコング」の主題歌の作詞·作曲は小林亜星さんなんだな。

 

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