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●漫画・・ 「DEATH NOTE -デスノート-」 ...⑨⑩⑪巻

408874041601  いやあー、面白い漫画です。「DEATH NOTE -デスノート-」、大場つぐみ原作・小畑健漫画、ジャンプコミックス。11巻まで読みました。少年ジャンプ連載は既に今年5月に終了しています。ここ二十年くらいは少年雑誌を読む事は先ず絶対無い、といっていいくらいの僕は、当然のように、この最高おもしろ物語の結末は知りません。12巻は今年7月の発売予定ですが、多分12巻で終了だと思うんですけど、ひょっとすると、13巻まであるのかも知れません。解りません、僕には。でも、1巻から続けて読んで来ました。久々に本当に面白い漫画に行き当たった気持ちです。漫画は面白いのが、絶対の命です。面白くない漫画なんて読まなくていいし、読まれません。面白くなくても読まなくてはいけないものは、小説、随筆、ハウツー本、専門書などの、活字の分野です。漫画は在りようの意味が違います。僕は子供時分は全く本など読まず、少年時代、活字は苦手でした。面白い小説に当たると嬉しいですが、今でも、前半は苦行です。でも、漫画はもう、初めから最後まで、ただ単に面白いです。そろそろ、「デスノート」の内容の話に行きます。もう、全て、ネタバレのバレバレで説明します。

408873887x  退屈な死神、リュークが人間界に落としたデスノート。このデスノートに名前を書き込まれた人間は必ず死ぬ。このノートを拾い、死神リュークが憑いた一人の学生が、夜神月(ライト)。超名門東応大学受験生ライトは、自分の考える理想社会実現のために、凶悪犯罪者の粛清に掛かる。つまり、重犯罪者の名を片っ端からノートに書き込んで、始末して行く。夜神ライトは、謎の殺人犯キラと呼ばれ、粛清を続け、天才的な知能犯として何度も危機を乗り越えて、自分の理想の実現を確実なものへとして行く。一方、世界中の数々の難事件を解決して来た、影の名探偵L(エル)が現れ、キラ逮捕を宣言する。二人の天才の、火花を散らす頭脳合戦が繰り広げられる。この熾烈な頭脳戦の間に、第二のキラとなる美少女ミサミサや、ライトの父で刑事局長、夜神総一郎、リューク以外の死神、レムやシドウ、そして日本警察捜査官たち、FBI捜査官、謎のL(エル)の代理人ワタリ等の人物達が複雑に絡んで行く。

Deathnote02_004_1  やがて夜神ライトは名門東応大学学生から大学院生となり、社会人としても日本警察の刑事となり、父総一郎の下で働いている。そして影の存在キラとしても、正体知れず、粛清の殺人を続けている。その悪の天才としての頭脳を駆使し、傀儡の如く、別キラたちを使って。凄絶な知能戦の後、ついにエルが敗れ、代理人ワタリともども、葬り去られてしまう。キラや第二第三のキラの殺人は、全てデスノートへの書き込み、からである。Lの死後、世界正義を守るLの意志を継ぐ者、ニアとメロが登場する。ニアを嫌うメロは独自の行動で、キラ捕獲に乗り出し、アメリカマフィアを利用する。しかし、メロは一度は手にしたデスノートを再び、ライト他日本警察に取り返される。ニアもFBI選抜のキラ捜査特別チームを組んで、事件に乗り出すが、捜査チームの大半を殺され、アメリカ政府の協力も得られぬ状態にまで追い込まれる。キラ対、Lの意志を継ぐ新たなる、影の天才探偵ニア。正義側は選手を変えて、凄絶な頭脳戦が第2ラウンドへと持ち込まれた。しかし、形勢はキラの有利性が徐々に増して行く‥。

Dn_3  やがてキラの支持者、キラの信奉者が増大して行き、世の中はキラ社会なるものになりつつある。そんな中、TVのキラ世界推進番組に集うキラ信者の群れから、ライトはTVモニター越しに、ミサの交替要員の、一人の傀儡キラを選び出す。名門京土大学卒の秀才の検事、魅上照の元へデスノートが届き、魅上は影のキラとなり、ライトに代わり、世の犯罪者の粛清を続ける。ニアの推理は、夜神月(ライト)がキラであるとの確信まで辿り着き、魅上照までも見つけ出したニアは、尾行を着けて、デスノートの存在を確認する。キラは、ライトの東応大学当時の同級生で、国営放送局アナウンサーの高田清美を味方につけ、魅上を使い、キラ社会を不動の確立された世界とするよう、影の存在として、操作する。キラ社会の盟主、キラ教の教祖、一つの神となったキラに、ニアは最終決戦を挑んで行く…。といったお話の流れですね。ジャンプコミックス11巻までは。

Note_promo01_2  この長編漫画の物語のテーマは、キラの考え方ですよね。世の中に害をなす犯罪者は、裁判も何も無く始末して行く。主に凶悪犯や、社会的地位を持ちながら闇に紛れて私利私欲のため、私腹を肥やす悪人達を、ターゲットに粛清という大量殺人を重ねて行き、悪い心を持つ人間を全て削除し、キラが神となり、キラを頂点とする理想社会を作ろうとする。悪い心を持つ人間は一人も居なく、従って犯罪も無い理想社会。悪いことを行えば、キラに粛清されると知る全人間は、もう悪事悪行は絶対働かなくなる。心優しき善人だけが生きる理想社会。勿論、これが現実なら、そんな単純なものではないでしょうが。物語中では、正義感の強い者達はキラに共鳴する。自分の意志、自分の思想からのキラ信者。付和雷同者たち。粛清されるのが恐ろしい信者。キラ世界は増大し、確立されて行く。この粛清審判はキラが単独に決めて来た訳ですが、これはメディアの報道や、ネットのハッキングでの警察等公的機関の資料等からの、キラの独断選別からの粛清執行です。キラの存在について探る者、キラの行動の邪魔をする者も全て始末されて行く。

 こうやって考えると、キラの行為とは、独裁者や独裁体制のやる事と同じと思えますね。一国の独裁者、独裁体制が、自分が正義だと確信したら、自分(ら)に反発するもの、自分(ら)のやる事を邪魔する者を、粛清して行くでしょう。独裁国家で、独裁者のやり方に反論する者や、反体制運動をする者は、皆、重ければ死刑、死を免れても収容所送りを受ける。これはもう人類の歴史に数限りなく、いくらでも例のある、歴然とした事実です。スターリン、毛択東、ヒトラー、フセイン、織田信長…。十万百万単位で、殺戮を行った独裁者は、歴史にはいっぱい居るでしょう。あまたの独裁者達は、自分の体制を守るため、発展拡大するため、異宗教、異宗派、異民族、反体制者たちを排斥して、殺戮を繰り返して来ました。「デスノート」の中の、キラのやっている事も全く同じです。体制側であった筈の、キラを追う警察は、キラ体制が出来て行く中で、キラ体制が確実なものとなると、いつの間にか、レジスタンスとなってしまった。アメリカ大統領までも手中に収められ丸め込まれてしまったアメリカで、そのアメリカを本拠とする、孤高のニアは反体制レジスタンスの最重要人物な訳です。

 僕が、確か中学二年生の時の夏休みの課題で、夏休み中の日記を書いて提出しろ、というものがあったのですが、その中で、僕はこの「デスノート」の中のキラみたいな考えを書き込んだのを、今でも憶えています。幼い時からTVドラマや漫画誌の中の正義の超人たちに憧れて育った、馬鹿丸出しの僕は、その日記の文中で、もしも僕に超能力があったなら、僕はその超能力を使って、世界中の悪人達を倒して行き、排除して、僕は優しくて良い人ばかりの世界(国)を作り、そこに君臨すると。おお、キラ世界そのものではないですか。この僕が実は未来に於いて犯罪者の方になるかも知れないのに。幸い、未だ僕は過去現在、犯罪者ではありませんけど。でも、こんな13歳か14歳になろうかという、新聞も読まない、世の中の事なぞほとんど解っていない頭の悪いガキが、考えつくような理想なんですね。まあ、幼稚な夢想でしょう。正義感を持った考え方をしたことのある少年少女たちは、誰も一度はこういう幼稚な理想的な考えをめぐらせたことはあるものだと思います。メチャクチャ面白い漫画、「デスノート」ですが、そのお話のテーマの命題は、実は幼いものだった。だからこそ、少年ジャンプという、少年雑誌に掲載されたのかも。

 でもまあ、キラ対L(エル)、キラ対ニアという凄絶な頭脳戦は、ドラマとしてとても面白く、楽しめるものです。少年少女たちがこの作品を読んで、悪とは、正義とはいったい何か?どういうことか?というのを考えさせられるということは良い事だと思います。また、軽くノートに、名前書いただけで、ポンポン死んで行く命、というものを考えさせられるのも良いのかも知れない。不完全な人間というものがいつも起こしている過ちの、その過ちの種類によっては殺され、世の中から削除されてしまうとは、どういうことなのか?と考えるのも良いでしょう。天才の如き頭脳を持って生まれたエリートだからといって、簡単に他の人間を削除して行くことは、許されていいことなのか?とかね。殺戮して行く命には、一人一人の個々の人生がある、という事まで考えると良いと思います。正義と命について、深く考えてみるということは良い事だという気がする。これ(デスノート)のゲーム化の話があると、いうことですけど、これのゲーム化は、どうしても危険なような気がするなあ。ゲームに於いて、人の命を扱うんだからなあ。僕はゲームソフト化は反対しますねえ。無論、ゲームしたからビデオ見たからで実際に殺人はしない、論はもう十年以上前からありますし、何度も論議されている話ですけど。

File0884  原作の大場つぐみさんが謎の作家であるという話は前回書きましたけど、漫画の作画の方の、小畑健さんですが、この方は、あの「ヒカルの碁」の作画をされた漫画家さんなんですね。僕は全くといってもいいくらいに少年漫画誌は読まないので、「ヒカルの碁」については全然知りませんでした。コミックスでも、少年誌連載ものは格闘技ものくらいしか読みません。それも青年誌連載ものに比べて圧倒的小数です。「ヒカルの碁」は、確かシンガー宇多田ヒカルさんのライブの第5回公演のタイトルに、「ヒカルの5」と名づけていたので、そこから、そういうタイトルの漫画があり、少年ジャンプに連載されたものだと知りました。漫画「ヒカルの碁」は作画は小畑健さんですが、原作者がいるのでしょうが、それにしても少年漫画の題材に囲碁を持ち込んで、その物語漫画をヒットさせたというのはすごいですね。主役が少年達で、舞台は囲碁の世界だもんなあ。オドロキ。TVアニメ化もされてヒットしましたよね。後は、僕は少年漫画を読まないので、小畑健さんについてはよく知りません。

 小畑健さんの絵は洗練されていて、細かく描き込んだリアルな絵柄で、大変うまい絵の漫画だと思います。この絵柄は、昔なら、「キャッツアイ」「シティーハンター」の北城司さんなんかをルーツとする絵でしょうか。このリアルな絵柄は、もう劇画と呼んでいいんだと思いますが、さいとうたかをを主流とする劇画とはまた異なる絵ですよね。こういう小畑健さんのような絵を描く漫画家さんは今はけっこう多いように思う。今の時代の、ていねいできれいでリアルに描き込んだ、うまい絵柄の主流のような気がする。劇画といっても勿論、昔の荒々しい線で描かれた劇画絵ではなく、リアルという意味での劇画的絵ですね。僕はもう漫画絵なんて随分長い間描いてないし、考えたこともないけど、今の漫画作家さんて、Gペンカブラペンスクールペン丸ペン等といったペン軸ペン先ではなく、ロットリングのような製図用ペンを使用して描いているのだろうか。僕もここ十五年はこういったものに触れる機会が無かったから、今の漫画作画の現状は全然知りませんけど。でも、小畑健さん、ていねいできれいな絵ですよねえ。ミサミサも南空直美もハル・リドナーも高田清美も、きれいでセクシーですね。

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●漫画&映画・・ 「丹下左膳」

 2004年公開豊川悦司版の映画、「丹下左膳 - 百万両の壷」をDVDで見ました。僕は面白かったです。主演の豊川悦司扮する、日本時代劇史中の代表的ヒーローの一人、丹下左膳もトヨエツ版としてそれなりになかなか良かったと思います。丹下左膳は、今の人たちには知らない人もかなり多いでしょうけど、昔の人なら知らない人は居ないというくらいの、時代劇のアウトロー的無頼のヒーローですよね。でも、2004年に日本テレビ系列で、人気俳優、中村獅童主演でTV放送されているから、今の若い人達でも知ってる人はけっこう知ってるかも。このTV放送版の方も、お話は同じ、こけ猿の壷エピソードだったようです。2004年映画版「丹下左膳」は、往年の名監督と誉れ高い、山中貞夫監督の1935年の「丹下左膳余話 - 百万両の壷」の完全リメイク作品なんだそうです。勿論、僕はこの山中貞夫監督版は見ていない、どころか他の全山中貞夫監督作品も、多分見たこと無いと思います。


 丹下左膳は、片目片腕で酔っ払いの、見た目不気味な無頼漢だが、正義の味方という、昔のヒーローとしては正統派では全然無い、変化球的なヒーロー像ですよね。

050220tange  「丹下左膳」というとね、漫画では、思い出すのは、小沢さとるさんの作画の週間少年キング連載版。60年代後半の連載で、後に秋田サンデーコミックスで全2巻にまとめられて刊行された。この少年キング連載に合わせて、TBS系列で30分番組として、松山英太郎さん主演でTV放送された。いや、TV放送に合わせての、少年漫画誌での連載だったのかも、知れませんが。この分のTV放映版は、明らかに子供向けの番組作りでした。松山英太郎版左膳は、30分ワクの1967年10月から68年の4月までの放送となってます。僕も子供時分に見ているんですけど、そうはっきりとは記憶してないです。少年キング漫画版は、小沢さとる先生作画の時代劇活劇漫画で、連載を読んだ記憶ははっきりしていますが、ストーリーまでは覚えていません。「丹下左膳」のお話というのは、時代劇小説家、林不忘さんの原作に基づく何作かの定番エピソードがあるのですが、一番有名で、一番映画化ドラマ化されているお話が、「こけ猿の壷の巻」エピソードです。だから多分、この60年代後半漫画版もそれだったんじゃあないかなあ(?)と。はっきりとは解らないんですけど‥。

Tangesazen  小説家、林不忘先生は、1900年生まれで、没年が1935年ですから、もう随分昔の作家さんですね。いろいろなペンネームを使い分けて文壇で活躍された、主に大衆小説で人気を博した戦前の作家さんです。戦前というよりも、昭和初期といった方が相応しいかもしれない。享年35歳は、若死にした人気作家だったんですね。文豪林不忘の一番有名な小説は、やはりこの「丹下左膳」でしょう。10年位前か、テレビ東京系で放映されてた、杉良太郎、萬田久子主演の時代劇、「喧嘩屋右近」は、林不忘さんの時代劇小説「魔像」が原作ですよね。余談ですが昔懐かしい貸本時代に、日の丸文庫出版の時代劇アンソロジー集「魔像」という本があった。僕は幼少期ですけど。平田弘史や臣新蔵が懐かしい。まあ、それはいいんですけど。60年代後半の小沢さとる版の他にも、漫画「丹下左膳」は多分いっぱいあるんだろうと思います。情けないですけど、僕は他には、昔、手塚治虫版があったのくらいしか知りません。

 この手塚治虫版は講談社の手塚治虫全集全400巻の中にも収録されましたが、初出掲載は何と、1955年の集英社の漫画誌「おもしろブック」です。ものすごい古い。無論、僕は見た事もありません。全集版でも知りません。これも原作エピソードの中の一つ、「けん雲こん竜の巻」という、宝刀をめぐるお話のようですね。あ、そういえば、2004年トヨエツ版映画の冒頭、ちらっと、丹下左膳がどうして片目片腕になるのか?のエピソードが入っているんですが、二十人から居る敵剣客達と太刀舞う丹下左膳の背中に、一本の刀があるんですね、後生大事に高価そうな布でくるまれた刀が。あれが、けん雲こん竜という宝刀ではないのかな(?)。けん雲こん竜の巻のエピソードを知らないので、当てずっぽうな推測ですけど。豊川悦司の丹下左膳は、ちゃきちゃきの江戸っ子風な明るい浪人、でしたね。昔は可愛いアイドルだった荻野目慶子も、女房役の勝気な、櫛巻お藤をよく演じています。喧嘩ばかりしてるけど本当は仲の良い江戸の下町夫婦のような。元々、丹下左膳というキャラクターは姿こそグロテスクですが、明るく陽気できっぷのいい、ユーモラスなおっさんの浪人でしたね。

 少年時代に見たTV番組で印象深く記憶にあるのが、緒方拳が扮した丹下左膳。この左膳の記憶にある印象はやたら汚かったという格好。何だかいつも汚れていたという印象がある。殺陣シーンが雨の中とかで必死で刀を振り回して戦っていたような、あやふやなイメージの記憶が‥。何時の間にか放送が終わっていたので、後に、てっきり人気が無くて放送打ち切りになったものだと思っていたが、調べたらちゃんとワンクール13回は放送されているらしい。何か、子供時代、緒方拳の前に見ている別の丹下左膳のあやふやな記憶のイメージで、酒に酔っ払ってふらふらしながら酔拳みたいにして殺陣をやっている、左膳のおぼろなイメージ記憶がある。丹下左膳はいつも腰に提げたひょうたんの酒をあおっていた。丹下左膳物語の時代設定は、八代将軍徳川吉宗の時代で、映画によっては大岡越前守も出ているようですね。
(個性派俳優緒方拳さんの丹下左膳の主題歌は、第1回レコード大賞受賞者の水原弘さんが歌っていて、今でもメロディーも一番の歌詞も憶えている程、シビレルカッコイイ歌でした。最後の決め、♪姓は~丹下~、名はさあ~ぜえ~んー。)

S01  僕は漫画版「丹下左膳」は小沢さとる作画版を、少年キング連載時で読んだことしかなく、再読していないので、子供時代の記憶だけしかないのですが、その中でも印象に残り記憶にあるワンシーンは、三重塔か五重塔で敵と戦い、落ちそうになって屋根の端に片手でぶら下がる左膳。口に刀をくわえて、片手一本で屋根に這い上がる左膳を見て、敵剣客の一人が言うセリフ。「恐ろしい腕だ。あれで両手があったら、ゾッとするぜ‥」とか何とか言う。このシーンは何かカッコよくて憶えています。相当昔の記憶だから細部は違うかも知れないけど。


 漫画家小沢さとるさんというと、横山光輝の弟子筋というより、横山光輝の弟分という扱いで語られることが多いですね。少年漫画で活躍した時代がほぼ同じですから。僕の子供時代では、潜水艦漫画が有名でした。やはり代表作は当時の少年サンデーに連載された「サブマリン707」「青の6号」でしょうか。月刊少年誌「少年」には海洋冒険漫画「少年台風」が連載されていた。子供の時の僕はこういった船や潜水艦の漫画に興味がなく、「サブマリン707」も「少年台風」も読み飛ばしてました。「青の6号」は読んでいたような記憶がある。小沢さとる作品で、僕が好きだったものは、月刊少年誌「ぼくら」のSF探偵漫画「サイピート」や、同じく月刊誌「まんが王」の忍者漫画「二つ伊賀」とかかな。あと、冒険王か、まんが王に連載された、「冒険日本号」とか、ね。

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●漫画・・ 「DEATH NOTE -デスノート-」

Deathnote_1  思いついた一つのアイデアから、物語世界の地平を拡げて行く、そんなものの典型のような作品ですねえ。一つのアイデアとは、死神が持つ予定死亡記載帳面。未来の死亡通知が記帳されている‥、という事から翻案して、その帳面に記載されると、やがてその者は死んで行く‥、とする。ここを話の端緒として、死神の落としたノートに、誰か人間の名前を書き込んだら、その名前の者はやがて必ず死ぬ‥、ここからお話を紡いで行き、現実の細かな人間社会の中でこんなノートを手にした普通の人間が、もし存在したらいったいどうなるのか。その一人の人間はどう行動し、周囲の世界はどう反応するか?こういう、たった一つのアイデアから生まれた、傑作ストーリーの漫画です。少年ジャンプに連載されて以来大人気。大評判でコミックも大ベストセラー。ついに実写劇場映画化、もうすぐ公開。前後編、一気に作られて、前編6月、後編10月という新たな試みの半年内連続公開。考えましたよね、退屈な死神がワザと落とした、大事な死亡決定ノート。デスノート。

  「DEATH NOTE -デスノート-」は週刊少年ジャンプに、2003年12月から2006年5月まで連載されて、ジャンプコミックスで全10巻にまとめられ(全12巻みたい‥)、物語は既に完結している。コミックスの総発行部数は今現在で、1400万部を越える。雑誌連載は終了しているが、実写映画化を始め、ゲーム化等さまざまなメディアミックスが予定されている。アニメ化の予定もあるのだとか。将来が約束され、一流名門大を目指し軽く受かって、名門大学生となる、退屈をしている大秀才少年。退屈をしている死神が、一冊のノートをこの少年の下に落とす。そこからこの超秀才少年の野望が始まる。この死神のノートの持ち主となった少年は、死神にとりつかれる事となるが、とりつかれるといっても、死神とある種、契約を果たしいつでも、死神リュークが傍に居て、共に行動する事となる。世界の凶悪犯罪者を葬り去り、世界をこの手で変えようと策謀し、行動に移す、大秀才少年、一方の主人公、夜神月(ライト)。

 日本の凶悪犯達が次々と死んで行く事に疑問を抱いた、世界の迷宮入り事件を解決して来た実績を持つ、謎の人物が不可思議な連続突然死事件に乗り出す。この天才少年が、もう一方の主人公L(エル)。死神も驚く、デスノートの使い方を発見していき、キラと名乗り、連続殺人を重ねるライト。TVを通じ、犯人を絶対捕まえると宣言したエル。二人の天才少年同士の知能を駆使した壮絶な戦いが始まった…。というところから話は進み、展開して行く訳です。デスノートを使って、凶悪犯を葬るだけではなく、エルの要請で捜査に来日して来ていたFBI捜査官12人も葬り去る、殺人鬼キラことライト。デスノートを操るライトは、キラの正体を暴こうとする者は例え犯罪者ではなくとも、不可解な死を遂げさせる。命を懸ける勇敢な警視庁刑事数名と共闘する事となったエルは、全知を搾って、キラ解明のため、ライトに挑み続ける。一応、ストーリー的には、悪側がライトで、正義側がエルとなりますが、どっちも主人公です。むしろデスノートを操る世直し殺人鬼、ライトの方が主役といえるかも知れない。

 劇場映画は6月17日より公開。え~と、夜神月(ライト)役が、もう名のある若手俳優の藤原竜也さん。ライバル、L(エル)役に新人の若手俳優、松山ケンイチさん。それから、キラが始末する12人のFBI捜査官の一人、レイ・ペンバーの婚約者役に、もうけっこう大物女優の域にある瀬戸朝香さん。瀬戸朝香さんが演じる役にしては、原作漫画を読む限りではけっこう簡単に始末されてしまう。漫画のストーリーとは変えて、瀬戸朝香という女優の存在感から、映画のストーリー上ではもう少し、映画画面内でクローズアップされて活躍するのかも(?)。個人的には、稲垣五郎が主演したTVドラマ「催眠」出演以来、瀬戸朝香はイイ女だよなあ~、と僕は思っています。それと原作漫画には無いキャラで、夜神月の恋人役の女の娘がいるらしい。高校生とか大学一年だからガールフレンドという設定だろうか(?)。いずれにせよ最近公開では、この映画と、「フィフスエレメント」「バイオハザード」のミラ・ジョボビッチ主演のSF近未来活劇映画「ウルトラ・ヴァイオレット」は見たい映画ですねえ。「デスノート」の死神リュークの映像はどうやっているのか?興味あります。

408873671009_1  僕は勿論、映画版「デスノート」は見てないし、漫画の方も、少年ジャンプ連載時は評判は聞き知っていたけど、一回も読んだことありません。コミックスでは、全10巻(全12巻になるみたい‥)のまだ4巻までしか(正確には4巻途中)読んでいません。第4巻からは、第二のキラが登場して、新展開です。面白いストーリーです。面白い娯楽漫画。常識ではありえないもの、死神というものを常識的現代社会に絡ませる。勿論、Lなんて登場人物は常識的には考えにくい人物ですけど。昔、藤子F不二雄のSF短編の傑作漫画集本の巻末解説文で、SF作家、筒井康隆氏が、世間ではよく、藤子不二雄や筒井康隆の作る作品なんて、単なるちょっとしたアイデアだけじゃないかと、批判的に言う人がいるが、実はそのちょっとしたアイデアを膨らまし、想像力でそこから一つの物語を紡ぎ上げる作業こそ、大変なのであり、才能なのである、ということを書いておられた。僕も本当にそうだと思います。ちょっとしたアイデアは誰にでも浮かぶ。そこからきっちり構築された物語を作り上げて行く想像力、これがすごいんですね。死神の死亡人別帳というシンプルなアイデアから、これだけの娯楽ストーリーを編み上げた実力はすごい。面白い漫画です。

 映画は前編が6月17日から劇場公開。後編は10月公開予定。漫画作品は、原作・大場つぐみ、漫画・小畑健。集英社ジャンプコミックスで全10巻完結(ど~も全12巻みたいな‥)。いったいこのお話はどうなるんだろ?5巻以降読んでいない僕としては楽しみです。この原作者、大場つぐみさんという人は、本作品以外に活動実績がなく、謎の作家なんだそうです。実は、もっとぐんと有名な作家の隠れ別ペンネームだと、いろいろな作家名が推理されているのだとか。

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●漫画&映画・・ 「黄金バット」

 よく行くレンタルビデオ屋さんで、昔の「黄金バット」の実写映画のDVDを見つけて、レンタルして見ました。僕がこれを見たのは、幼少時、当時近所の映画館です。朝早くから見た覚えがあります。記憶のイメージではカラーだったのに、実際はモノクロ作品でした。記憶に残っていたシーンは一つ、最後頃のシーン、悪の怪人ナゾーの片腕の金属のハサミが飛んで来て、黄金バットの首を絞める‥、このシーンも記憶のイメージとは違っていました。だいいち本当はモノクロだったし。ヤマトネ博士役の主演、千葉真一も髭ぼうぼう顔は記憶どおりだったけど、記憶イメージではもっと貫禄あったけど、実際のこの映画ではもっとずっと若かった。小さい頃驚きの感激した映画だったものが、大人になって見ると、子供だましの映画だって、苦笑と共に思う。単純でちょっとアホらしく思うストーリー、プラモデルを吊る透明紐が見える特撮。大人が見たら馬鹿馬鹿しいと一笑にふす映画ですけどね、当時の僕には震えるくらい興奮する、感激の仮面ヒーロー映画だったんです。幼少の僕は当時はもう、等身大の仮面ヒーローに憧れまくっていました。

1313186_img1  このモノクロ映画は1966年の作品ですねえ。子役のかわゆい高見エミリーが出演している。高見エミリーさんて、鳩山さんて国会議員と結婚されて、鳩山エミリーさんになったんじゃなかったっけ?「キャプテンウルトラ」って当時のTBS系列の実写特撮ドラマで、宇宙ヒーローに扮して主演している、中田博久さんが脇役で出ていた。まあ、調度40年前の映画だしなあ。カラーだとばかり思っていたけど、モノクロだったとは‥。当時はもう映画もカラー作品ばかりになっていただろうし。だって昭和41年、映画も全盛期はとっくに過ぎ、斜陽期を迎えている時代だよ。この映画の出演者の皆さん方も、今はけっこう高齢だろうなあ。敵役の怪人ナゾーも、もっと恰幅がよく貫禄ある覆面怪人のイメージが、耳の付いた黒い布袋被っただけみたいに、首がくびれてしょぼかった。四つ目もアップリケ付けたみたいだったし、カッコ悪かった。地球を破壊するのが目的の宇宙怪人て、何なんだよ!ってストーリー。

Piba9017  怪人ナゾーは、小惑星の軌道を変えて、地球に衝突させて、地球を破壊してしまおうとしている。まあ、最近でいえば、「アルマゲドン」「ディープインパクト」ですね。小惑星ったって、大きさは月くらいありそうです。地球衝突前に、月も半分ドカッて壊して半分削る。この、人間そのものみたいな姿形の子分をいっぱい連れた、宇宙怪人という覆面のオッサンが、地球壊して無くして、いったいどんな得があるのだろうか?と考える映画でした。征服支配ではないんだよねえ。無にするんだよねえ。しかもナゾーの基地も、計画の規模に対しては小さなロケットだし。ナゾータワーと呼ぶ基地は東京タワーよりも小さそうなロケット。それに格納された小型の飛行する潜水艇が一つ。あとは銃器類。兵器武器はそんだけ。ナゾータワー内部の仕掛けも、昔の時代劇の忍者屋敷ばりに、廊下を沢山の剣が飛び出たり、牢獄で鎖につながれたり‥。でも、当時の子供達にはハラハラドキドキで、カッコイイ驚きの憧れ映画、だったんだよね。

2005071900000030rbbentthum000  この映画公開が66年で、翌67年春から、TVアニメの「黄金バット」が放送される。で、主題歌は同じ曲です。きっと、映画製作時点で、アニメ放送も企画されていたのでしょうね。アニメ版「黄金バット」は1年間52話放送されているらしいです。この放送枠は、アニメ「巨人の星」が始まった時間帯だったらしい。「黄金バット」終了後にあの大ヒットアニメ「巨人の星」が長期放送されたんですね。アニメ「黄金バット」放送と同時に、漫画版は、少年雑誌「少年画報」「少年キング」で連載されています。この分は僕は、当時、どちらも読んでいます。完璧全編読んでいるとはいい難いけれど、少年キングの方の、一峰大二さん作画分の方が印象が強い。少年画報版の方は、井上智さんの作画で連載され、両方とも、敵役がナゾーの巻です。だから、TVアニメも両漫画も3つとも、ストーリーは同じですね。アニメも漫画も悪の怪人ナゾーの、ナゾータワーが出て来て、実写映画と違い、ナゾーの部下の大幹部マゾーというのが出て来る。漫画の方がアニメより少し、先だったのかも‥?悪の覆面怪人ナゾーが、いつも「ローンブローゾォ~」って奇怪な声を上げるんだけど、あれは何の意味があったんだろうか?未だに解りません。以前、何かのエッセイか何か、読物の中で、この「ロンブローゾ」という言葉を見つけた記憶があるが、意味までは解らなかった。

1313185_img1  「黄金バット」の歴史を調べてみると、先ず一番最初は、「黄金バット」登場は何と昭和初期なんですねえ。びっくり。昭和5年頃の紙芝居だって。ものすごい古い歴史です。それから、戦後の昭和22年から、雑誌少年画報の前身、「冒険活劇文庫」に絵物語として連載、子供達に人気を得る。僕は、「黄金バット」のルーツは紙芝居だと知っていたし、何かの情報で、「少年画報」最初期の絵物語掲載というのも、知っていました。けど、まさか、昭和5年とはなあ‥。その後、昭和25年頃、紙芝居の方になりますが、加太こうじさんの制作らしいけど、「黄金バット-ナゾー編」というのが紙芝居で人気を博したらしいです。これは何でも、ナチスドイツの残党と戦うお話だったんだって。その後に、1950年、「黄金バット-摩天楼の怪人」というのが、映画制作されているらしい。この辺り、僕は全然知りません。勿論僕は生まれてないけど。で、漫画が先か、映画が先か、66年制作映画の千葉真一主演、「黄金バット」ですね。いや、「宇宙快速船」といいこの「黄金バット」といい、日本ヒーロー映画史の歴史を知って、面白い映画でしたよ。
※『宇宙快速船

0126_pic02  「少年画報」の方の漫画は井上智さんですが、この方は手塚治虫先生の弟子筋ですねえ。というか、虫プロでメインでアシスタントをされていた漫画家。漫画版「マグマ大使」の後期などは、この井上智さんの手による部分が大きいらしい。「冒険王」の「魔神バンダー」も確かこの人の作画だったと思う。この少年画報版は絵柄が、アトム的な手塚治虫少年漫画風な絵であったけれど、少年キング版の方は、この頃、劇画風に迫力のある画風に変わってきていた一峰大二さんの怪奇ムードあふれる絵柄で、迫力があって良かった。一峰大二さんというと、「コミカライズの帝王」と呼ばれるほどの漫画家で、もう、TV実写特撮番組の漫画化作品は、「ウルトラマン」から「宇宙猿人ゴリ」から何からきりがない程多数。古くは雑誌「ぼくら」の「ナショナルキッド」という作品もある。古くから雑誌第一線でヒーロー漫画を描き続けた、巨匠児童漫画家さんです。黄金バットというと、全身黄金色、頭部はガイコツ、黒いマントに、金色のステッキ。あ、ステッキは名前がシルバーバトンだから、銀色なのかも。あのバトンが武器で、バトンの先の球部分から光線とか出るんだよね。昔々の紙芝居とか、昭和20年代の少年画報の絵物語では、顔はドクロだけど、格好は黒い衣服マントに包まれて、悪魔の被る如きとんがり帽子、悪役そのものの姿形。昔々は見るからに不気味なヒーローでした。

Hinomaru_02  「黄金バット」は貸本出身の劇画家、篠原とおるさんも描いている。多分、同時期頃だろうと思う。66年とか67年頃。貸本漫画出版の大手、大阪日の丸文庫が通常販売出版で出していた、雑誌「まんがサンキュー」に連載。ナゾーの巻ではなくて、オリジナルストーリーだったように思う。「まんがサンキュー」は、日の丸文庫が出版している貸本向けの、A5厚紙単行本タイプでなく、雑誌形式のB5タイプで、漫画雑誌そのものの月刊誌。当時、貸本専門出版社がこういう通常出版雑誌も同時に手掛けることは、先ず例が無かった。他には、それまで貸本を扱っていた青林堂が雑誌「ガロ」を出したというのはある。「まんがサンキュー」は少しして、もうちょっと豪華な、「まんがジャイアンツ」に変わったけど、長続きしなかった。「まんがサンキュー」「まんがジャイアンツ」の執筆陣は、当時の日の丸文庫他貸本劇画の作家達でした。僕は、貸本時代の篠原とおるさんのは、当時「万能屋錠シリーズ」が大好きだったですけどねえ。「オッス!」に「アイアン太郎」という短編シリーズを描いていたという記憶があるけど‥。


Hinomaru_06  篠原とおる版「黄金バット」は、昔の絵物語時代の不気味な格好をしていたと思う。第一話のラストで、巨大ロボットと戦っている時か(?)、ドクロの仮面が割られてしまい、第二話からは、その下の忍者覆面みたいな顔になる。黒い幅広帽子に黒い忍者覆面。第二話、面白そうだったけど、最後まで読めなかったもんなあ。何だか、超高速で走るハリケーンロボットが敵のお話。もう一度、全編、読んでみたいなあ、超レアもの、篠原とおるの黄金バット。
(劇画家、篠原とおる先生というと、有名な作品は、『ズベ公探偵ラン』『さそり』『0課の女』『ワニ分署』がありますね。)

Ougonbat2  僕は、もうホントに、幼少の、というか、ものごころついた時から、いわゆる等身大ヒーローに憧れ続けていましたから、「黄金バット」みたいのは、少年時代は大好きの3乗くらいの憧れで居て、郷愁は何よりも深いです。僕は5歳くらいから鉛筆かきなぐりで、落書き漫画をかきはじめ、6、7歳にはB4西洋紙という紙を二つ折りにしてホチキスで綴じ、雑誌漫画を真似て、鉛筆で、ちゃんとワクとコマで、漫画を描いていましたが、当然最初はかきなぐりのヘタクソでしたが、年齢を重ねる毎にそれなりにうまくなって行きました。そりゃ、少しはうまくもなりますよ、だって、毎日描いてるんだから。鉛筆描き漫画は12歳くらいまで描いてましたが、そのほとんどが、SFヒーロー漫画でした。13歳くらいからは、インクつけペンに挑戦したり、ボールペンとサインペン描きに変わって行くんですけどね。本当に、小学生時代ってのは、SFスーパーヒーローに憧れて、子供だから雑誌人気漫画のモノマネのヒーロー漫画ばかし、毎日描いていました。勉強なんて全くしないで。今思い起こしても、最高に楽しい日々でしたねえ、正義の超人に憧れ続けた、馬鹿ガキの日々。僕がこの人生で一番幸福だったのは、正義の超人ヒーロー漫画を描き続けて憧れ続けていた、5歳から12歳頃までだという気がします。何か変な話で締め括りになっちゃったけど、これで、黄金バットの巻を終わります。はい。

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●映画・・ 「オーメン」

Omen 雑誌などの広告で、よく映画「オーメン」の予告を目にします。雑誌の裏表紙一面使ったものなど多い。オーメンといえばもう、6・6・6ですから、劇場公開は、全世界同時ロードショーで06年6月6日なんだそうです。悪魔の子、ダミアン。僕は多分、劇場には見に行かないでしょう。この「オーメン」は知ってのとおり、リメイク映画です。僕は旧作も見た事ありません。でも、元作公開当時、有名なホラー映画だったから、だいたいストーリーは知ってます。昔の当時、僕が劇場やTV放送、あるいは名画座で見ていないのは、多分僕が怖がり、だったからでしょう。今はそうでもないから見れるけど、昔の僕は本当に怖がりだったから。昔、劇場でキューブリック監督の「シャイニング」を見た後は後悔したものでした。元作「オーメン」は1976年制作の映画なんですねえ。ダミアンて名前や、悪魔の数字だという6・6・6って有名になりましたもんねえ。

 映画「オーメン」も「エクソシスト」のシリーズも、キリスト教文化圏の映画ですねえ。キリスト教宗教圏といった方がいいのか。「オーメン」には聖書の「ヨハネの黙示録」からの引用が多いらしいです。日本人にはビジュアル面の怖さは「オーメン」も「エクソシスト」も嫌という程解るけど、その内容は今ひとつピンと来ないのではないでしょうか。勿論、僕はクリスチャンではないので、聖書のことはほとんど知りません。クリスチャンではなくとも、キリスト教の聖書というのは世界的な教養の一つではあるのでしょうけど。どーも、だいたい悪魔というものは実体の無いもので、人間に悪行を起こさせる者のようですけど。多分、誘惑かなあ。欲望の誘惑をするもの。そういうものなのだと思う。映画の中のダミアンそのものは、悪魔らしいんですけど。まあ、76年版映画も、その続編映画も見た事ないですから、僕には、はっきりした事はいえないんですけど。日本人て一般的には、キリスト教的知識があまり無いから、悪魔といってもピンと来ないですよね。ホラー映画だと、日本人にはやはり悪霊、妖怪。やっぱ幽霊でしょうね。悪魔って、西洋人には何か精神的に深いものだという感じがある。高尚にいうと哲学というか‥。

 

B000a0d92q09  ジョージ・ハリスンがジョン・レノンの追悼曲として歌った「All Those Years Ago」の歌詞の中に、確か、射殺犯を「悪魔の最高の友人」と呼ぶくだりがあるけど、あれなんかいい例ですよね。射殺犯自体が悪魔ではない。まあ、別にここで僕が悪魔の意味を深く考察なんかしなくて、いいんですけど。でも、ミッキー・ロークとロバート・デニーロが共演した「エンジェルハート」なんて怖い映画でしたけど、あれなんか、西洋の契約社会というのがよく解りますねえ。それと、記憶たどり続けますけど、「6・6・6」というのは、聖書的には、「獣の数字」というんだそうです。ダミアンの母親が真っ黒い犬であった、というのと関係があるのかな(?)。昔、SFの歴史的大巨匠R・ハインラインの最晩期の小説が、本屋で分厚いハードカバーであったのですが、そのタイトルが「獣の数字」で、ケダモノの数字っちゃ、何のこっちゃ?と不思議に思ったものですが、いや、ハード作品も書くSF作家の作品名ですから、難解な理科系の命題か何かだろうか?とか考えちゃって。無論、そんな難しそうな本は読みはしませんでしたが、今になって、「オーメン」映画に触れて、やっと知りました。実に20年以上ぶりくらいで。アメリカ人ハインラインも、キリスト教圏の人ですからね。(『獣の数字』は80年ハインライン73歳頃の作品。モチ、僕は読んでなく、内容も知りません。)

 キリスト教関連といえば、公開前から話題沸騰、記録的ヒット上映中「ダビィンチ・コード」ですけど、あの物語のキーポイントは、イエス・キリストとマグダラのマリアの関係、ですよね。イエスとマグダラのマリアは実は夫婦で、その間に子が出来、代々と子孫が続いて行った‥。その子孫を守ってきた組織があった、とか、そんな事ですよね。ダビィンチが自分の作品にその事を暗号化して隠している‥とかいう、ね。あまり詳しくはストーリーは知りませんけど、ロードショーは見に行かないだろうけど、DVD出たら見るつもり。原作は、アメリカの作家ダン・ブラウンさんの世界的ベストセラー。日本でも、ハードカバーと文庫で、相当な部数、売れている。公開前の話題沸騰で、前人気は爆発的だったが、意外にも、観賞後の見た人たちの感想はあまりパッとしない。評判ほどではない‥、という感じらしい。まあ、「ダビィンチ・コード」には悪魔は出て来ませんけど。

 新作「オーメン」のキャッチフレーズの中に、「人類はダミアン最後の遊び相手」と、「未来が終わる」という二言が書いてありますし、TVのコマーシャルでは、人類滅亡の危機‥、というような言い方も宣伝文句に入っていたと思いますが、悪魔に取っては、人間が滅んで居なくなってしまうのは、相当に都合悪いんではないかと思えますけど。人間が滅んでしまおうと、神様は別に困らないだろうが、悪魔には、人間あっての悪魔、という気がします。悪魔って存在は、いじめの事そのものだという気がする。悪魔のやる事は、いじめ、ですね。チョコチョコ一人、二人に災厄を浴びせて死に追いやる。死という結果をもたらす過激ないじめを、人間相手にやり続けているんだ、という気がします。だいたい、子供の中のいじめ、毎日いじめに合い続け、登校拒否せざるをえないまでに追い込む、という、実は無邪気な筈の子供たちのいじめは、悪魔の所業に思えますね。とにかく悪魔にとっての仕事とは、人間いじめなんですから。人間そのものが全部居なくなっちゃうと、悪魔自らの存在意義がなくなっちゃう訳で、人類滅亡まで持って行くのは、おかしいと思うし、悪魔は絶対しないと思う。

 ここまで考えると、僕はある短編漫画作品を思い出します。漫画の神様、手塚治虫先生の短編作で、しかし、手塚先生というのは、本当にストーリーテリングの天才だと思う。短いページ数の中にきっちり起承転結を着けたドラマを作り上げている。そしてその短編のお話の数が尋常ではない。どれもが感動感激のある優れた短編です。手塚治虫漫画全集全400巻、といいますが、優れた長編作もいっぱいあるけれど、数多くの短編ドラマをきっちり作り上げている、その才能はなまなかなストーリーテラーではないですね。以前、僕は小池一夫さんが、稀代のストーリーテラーといいましたが、その小池さんがかすんで見える。で、話は戻って、新作「ダミアン」の人類滅亡‥?から思い出す手塚感動ドラマの掌編。ファンタジーというか、寓話ですね。「すべていつわりの家」というごく短い短編。初出「月刊少年マガジン」76年9月号。

 この30ページの短編のお話は、ぶっちゃけいうと、人間は環境汚染と核戦争でついに滅びてしまう。人類はたった一人の子供だけしか残らなかった。悪魔が神に、この最後の一人の人間の子をどうしますか?と問うと、神は答える。もうそんな出来の悪い人類の生き残りのことなぞ、知らん、と。神はここまで愚かな人類は、最後まで見捨てる。人間あっての悪魔であると、悪魔族たちは、この一人の子供を育てることを決意する。この一人からまた人間が繁栄するまで。お話の中では、いずれ魔女とでも結婚させようと、いうセリフがあります。僕はこのお話が大好きです。完璧完全絶対な神ではなく、最後には悪魔が助ける。ここに手塚先生の優しさと人間性がある。手塚治虫のドラマは、そのSFや幅広いジャンルを描ける、頭脳の優秀さではない。感動感激を与えるドラマが描けることです。僕に取って、「すごい人」は未だに、手塚先生が世界一の「すごい人」ですね。

 しかし、今回は結局今までの、最終的には漫画に持って行き、漫画でオチを着ける、という以前の「Kenの漫画読み日記。」スタイルになってしまった。何か今回は、戻っちゃったなあ、形式。「オーメン」は半年後、DVDが出たら見ようっと。

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