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●小説・・ 「じじごろう伝Ⅰ」 長いプロローグ..(3)

3.

 和也は、一歩また一歩と後ずさる内に、背中がどんと当たって、これ以上後ろへ退がれないことを知った。和也の背は、大きな樹木の幹に当たり、退路は阻まれていた。和也を追い詰めた通り魔の男は、右手に持つスタンガンを今一度、バチバチと電流発火させて見せた後、上着のポケットに突っ込んだ左手を出し、自分の顔の前にそれをかざし、左手に持った折り畳み式ナイフを、器用に片手で開いて見せた。

 泣き顔で、恐怖に慄いたままの和也は、退路を阻まれた樹木の幹を、無意識に背をずらせて横滑りに動いた。地表に浮き出た樹木の太い根っこに、足を捕らわれ転けそうになる。

 男の表情は、覆面から覗く両目部分でしか解らないが、笑っているようだ。卑劣な通り魔の男は、追い詰めた小さな子供の恐怖に駆られた姿を、猫が鼠をいたぶるように楽しんでいるのだ。

 「おい、ガキ。どっちがいいんだ? スタンガンの高圧電流でビリビリやられるのとよォ、こっちのナイフであっちこっち、切り刻まれるのとさあ」

 男は覆面の下で、ぐふぐふと声を出して笑った。しかし、すぐにどちらかの凶器で、和也に襲い掛かって来る気配はない。片手のナイフをひらひら遊びながら、また喋り出した。

 「あの転がってる長いライトはよう、アメリカ映画でよく見るヤツだろ? あっちの警察とか兵隊とかがよう、肩に乗っけて使って、いざとなれば武器にもなるヤツ。それがよォ、転がったまんまだ。ザマあねえな」

 ひとしきり喋ると、またくぐもった笑いを始めた。蒼白の顔で涙を流し、しゃくり上げ、全身で震えている小さな和也を、いたぶり続けるのが、楽しくて仕方がないという様子だ。

 「おっ。このガキ、漏らしたのか。汚ねえな。」

 和也は、今晩は公園の林や叢の中に入るので、長ズボンを履いて来ていたが、ズボンの股間から右側が濡れてしまっていて、靴下を履いていない足首部分から、靴に水が流れ落ちていた。和也は恐怖に、失禁してしまったらしい。

 「小便漏らす悪い子は、ちんちん切っちまった方がいいかもな」

 通り魔が、一歩二歩近付く。恐怖に失禁までしてしまった和也は、ついに、樹の幹に当てた背中をずるずると滑らせて、腰を抜かしたように、地面から浮き出た太い根っこの上に座り込んでしまった。そのままひくひくと、痙攣するように泣き続けている。

 「よし。おい、ガキ、座ったままでいいから、裸になりな」

 和也は泣き顔を上げて、覆面から覗く通り魔の目を見た。一瞬、何を言われたのか解らなかった。

 「おら、ぐずぐずするんじゃねえよ!」

 男は苛立って怒り、またスタンガンのスイッチを押して、バチバチと電流を飛ばして見せた。和也は言われたことの意味を理解した。裸になれ、と命令している。これからさらに、いったい何をされるんだろう? と、恐怖心はさらに強まった。心臓が停まりそうなくらい怖い。

 和也は視線だけを動かし、倒れたままの義行を見やった。ああ、目を覚まして、起き上がってくれないだろうか。和也は小さな胸の内で、一心に祈った。だが虚しい祈りだった。相変わらず義行はピクリとも動かない。義行兄ちゃんは死んでしまったのだろうか。和也は自分のことを置いて、ふと義行の身の心配をした。

 通り魔の男は、しばし動きを止めて何事か案じていた。

 「予定変更だ。おまえは一端、ここで眠らせて連れて行くことにする‥」

 通り魔がスタンガンを前に構えて、和也に一歩近付いた。和也の顔が再び、恐怖に歪む。

 その時、ガサリと叢の、笹の茂みで音がした。木々の間から、一匹の犬が出て来た。先程、義行と和也が居た外灯の下あたりだ。外灯の灯りの下だから、はっきり見える。やや小さめの中型犬。毛色は茶色っぽい。和也は声を上げそうになった。あの時の犬だ。幽霊の大きなお爺さんと一緒に居た、あの犬だ。和也は何だか心の中に、絶望の縁で、一縷の望みの光明を見いだしたような、そんな気持ちが起こった。犬が静かに近付いて来た。

 「ちっ。何でえ、脅かしやがって。貧相な野良犬じゃねえか。そういえば、思い出したぞ。俺はこの間の、体当たりされたワン公にも、仕返ししてやらねえと我慢ならねえんだ」

 通り魔の男は、ゆっくりとこちらへ歩いて来る、茶色の犬を見ながら独り言のように喋った。

 和也も、こっちへ近付いて来る、あまり大きくはない犬を見ていた。この間助けてくれた、白い大きな犬に比べれば、随分小さく見える。しかし、この犬には、あの時の白い大きな犬と似た雰囲気がある。同じ仲間のような雰囲気。何だろう、オーラとでも呼ぶものだろうか。何だか、何をも恐れぬふてぶてしさのような、そんな感じを発散しているように思えた。和也は、犬の目を見た。まるで人間のような目だった。知性の宿る目。和也は確信した。このワンちゃんは、あの白い大きな犬の仲間だ。

 通り魔の男も、近寄って来る犬に違和感を覚えていた。何か、いつも見る他の犬たちとは違う。まるで、誰か人間を前にしているような錯覚さえ起こしそうになる。

 「この野良犬の野郎、こっちへ来るなっ! ぶっ殺してやる」

 近付いて来る犬に、何とも知れぬ不気味さを覚え、男は焦燥感に駆られ、慌てて右手に持つスタンガンをバチバチいわせて、犬を威嚇した。

 「このクソ犬があっ! おまえもあの白い犬も、胴体切り裂いて内蔵ぶちまけてやるっ!」 

 男はもう、何か言い知れぬ恐怖感に駆られてしまい、自分の顔の前で、左手のナイフを振り回し始めた。だが、スタンガンの火花も振り回されるナイフも、近付く犬には何の効果もない。小さな犬は平然と、近付いて来ている。犬が、荒れ狂うように興奮状態の通り魔の手前、2メートル近くまで来た。そこで犬はピタリと歩を止めた。

 「ん?」 男が、犬の停止に不思議に思い、自分の動作を止め、じっと犬を見た。瞬間。

 ゴンッ というような鈍い音がした。突然、通り魔が前のめりに倒れた。和也の目の前に倒れ込んだ、通り魔は背中を見せたまま動かない。声一つ上げない。

 和也には、いったい何が起こったか、理解出来ずに頭が真っ白になり、呆然とした。

 和也は、今、目の前で倒れたまま動かない、通り魔の背中から、視線を動かし、2、3メートル程離れた位置で、じっとしている茶色い犬の目を見た。犬が、頷いて見せたように思える。助かったのかも知れない。和也の心の底から、喜びの感情が湧き起こって来始めた。思わず、和也の顔に笑みが吹き零れる。

 視線を戻した目の前の、通り魔の背中は微動だにしない。静かなままだ。きっと助かったんだ! 和也はもう一度、犬の方を見て目を確認した。また頷いたように見える。優しい目だ。まるで、思いやりのある優しい友達のような目だった。その犬が首を少し回した。それに連られ、犬の視線の先を、和也も追った。腰抜け状態で、地べたにへたり込んだままの和也からすれば、前のめりに倒れて動かない、通り魔の背中から、視線を上げた位置になる。

 「あっ!」  和也は思わず叫んだ。目が飛び出さんばかりに驚いた。口をあんぐり開けたまま、呆然とした。目の前には、怪物が立っていた。

 正に怪物だった。和也は少し前に読んだ、『世界の七不思議』という、子供向けのオカルト情報風の図鑑のような、カラーイラスト本を思い出していた。その中の図解イラストには、UMA(ユーマ)=未確認生物についても、多くのページ数を割いて解説されていたが、その中に中央アジアヒマラヤ山脈のイエティや、北アメリカ大陸山間部のビッグフットについて書かれた箇所があった。その記事とイラストを思い浮かべた。いいや、こんな日本の田舎の公園の奥なんかに、そんなものが現れる訳がない。アフリカのマウンテンゴリラだろうか。動物園から逃げ出して来た‥。いや、違う。やっぱり信じられないが、原始人か何かだろうか。

 不思議と、和也には恐怖心は湧いて来なかった。通り魔を相手にさんざん恐怖感に浸され、心の底から恐怖を感じた後だから、そういう感覚が麻痺したのか、ただただ驚きがあるばかりだった。和也は思わず叫んでしまった。

 「キングコング!」

 和也は、姉の借りて来たレンタルDVDやTV番組で、アメリカ映画の想像上の、巨大類人猿の怪獣を思い出し、つい叫び声となって、その名前が口から出てしまったのだった。

 「何じゃと? 失礼なやつじゃな」

 目の前の怪物が喋った。

 「あ‥」 目を凝らし、落ち着いてよく見ると、和也は、はっと思い出した。

 裸の大きな身体、大きな顔に禿げ頭。ようやく和也は気が付いた。あの、“幽霊のお爺さん” だ。髪は、おでこのずっと上まで禿げ上がり、側頭部にしかない髪の毛は、粗雑に切って揃えてあり、大きな両耳はちゃんと見えている。大きな耳といっても、動物のような形の耳ではなく、ちゃんとした普通の人間の耳だ。大きな顔の中にある鼻も口も大きいが、普通の人間の顔をしている。ただし、やはり皺の多い老人の顔だった。目だけが小さくて、上下の皺の間にショボショボしてある。しかしその眼光は鋭い。

 数日前、林に入る手前で見たときは、4、5メートル離れた位置で、昼間の中、薄ぼんやりしてボーッとしか見えず、姿形が見る見る消えてしまったが、今、離れた外灯二つの間だが、和也はしっかり、“幽霊のお爺さん” の姿を捉えていた。

 「ごめんなさい! 幽霊のお爺さんだ」

 目の前の老人は大きかった。全身裸で居て、お祭りの時に神輿を担ぐ、威勢のいい大人の男性たちがしているふんどしという、白い一枚布を腰に当てている。顔は老人だが、体格の良い体つきは強靭な肉体に見える。ぶ厚い胸板にはゴワゴワと胸毛が生えていた。

 和也は今度は、目の前の爺さんを人間なのだと認めた。そして、TVで見知っていた、外国人の大きなプロレスラーや格闘家を思い浮かべた。このお爺さんは幽霊なんかじゃなくて、格闘家の強い人なんだろうか?

 「そうじゃな。ワシのことを、幽霊なんぞと呼ぶ者もおるみたいじゃな。まあ、何でもいいんじゃけどな。別にな‥」

 大きなお爺さんは、そのいかつい容貌とは裏腹に穏やかに喋った。和也は、はっと気付いて、叫ぶように訊いた。

 「ねえっ! 義行兄ちゃんは死んでしまってるの?」

 老人は半身を回して、うつ伏せに倒れたままの義行を見下ろした。

 「いいや。どっちも気絶しているだけじゃ」

 「助かるんだ!?」

 「ああ。今、ハチに起こしてもらおうか」

 「ハチって誰?」

 老人は身体を回して、離れた位置の、茶色の犬を見た。犬は先程停まった地点で、じっと座っている。

 「ああ、このワンちゃんはハチっていうんだ」

 裸の老人は一歩動き、片手に長い棒を持っていた。杖代わりに使っているんだろうか。随分、丈夫そうな棒だ。大きなグリップで握っている、長さが百七、八十センチはある棒で、倒れた通り魔の尻のあたりをつついた。和也は初めて、老人が、この手に握る太い棒で通り魔の頭を殴って、気絶させたのだ、と理解した。

 「お爺さん、やめて。悪いヤツの方は起こさないで! お願い。義行兄ちゃんだけ、起こしてあげて」

 和也が老人を見上げて、懇願するように言った。そして、へたり込んだままの地べたから、おもむろに立ち上がった。よろよろとしながら前に歩き出した和也は、駆け出して、倒れたままの義行の元に屈み込んで、義行の背に手を置き、心配そうに顔を覗き込んだ。

 「義行兄ちゃん、ごめんね‥」

 ハチと呼ばれる犬が、和也と義行の元まで、ゆっくりと歩いて来て近寄った。ハチも、うつ伏せの義行の横顔を、覗き込もうとした。

 「待て」 老人が言った。

 犬がピクリと顔を上げた。和也も顔を上げて、老人を見ていた。訝しげな目で、訴えていた。

 「助けてくれないの!? どうして」

 「約束がある。坊やが約束をしてくれるなら、すぐにそのアンちゃんを起こしてやろう」

 「え、約束? 何なの? 何でも守るよ」 

 「ワシらのことは絶対に、他に喋らんで欲しい。坊やだけの胸の内にとめておいてくれ。ワシたちは静かに暮らして居る。人間どもにザワザワ騒がれるのは嫌なんじゃ。出来ればこの犬のこともあまり話さんでくれ。な、頼むよ、坊や。ワシらのことを秘密にしてくれ。それが約束ごとじゃ」

 「解ったよ。僕は何にも見てなかったことにする。僕も気を失ってたことにするよ。約束する。だから早く、義行兄ちゃんを起こして。でも、兄ちゃんが目を覚ましたら、お爺ちゃんとハチさんのこと知っちゃうんじゃないの」

 「それは大丈夫じゃ。すぐにワシらは消える‥」

 そして、大きな裸の老人は、グランド方向に首を向けた。

 「どうかしたの?」

 「坊やのお迎えが来たようじゃ。多分、坊やのお母さんだろう。それとお姉さんかな。ン? もう一人、大人の男が居るのう。グズグズ出来んの。ハチ、起こしてやれ」

 老人が犬に向かって指図をした。犬が、眠ったままの義行の顔を、舌を出してペロペロと舐めた。すると突如、義行の背中が振動した。ピクピクと何回か背中が、痙攣のように動くと、横を向いている義行の顔の口元から、小さく呻き声が漏れ出した。

 老人はグランド方向を気にしていた。

 「三人はこっちに来ておるみたいじゃの。坊や、じゃあな」

 老人はくるりときびすを返すと、木々の間の藪の中へと入って行こうとした。

 「待って」 慌てて、和也は老人の、裸の広い背中に呼び掛けた。

 「お爺さんの名前は何ていうの?」

 「そうじゃな。子供らの中にはワシのことは、“じじごろう” と呼んでおる者もおるな。じじごろうで良いよ」

 怪人じじごろうは叢の茂みの中に入って行った。

 「じじごろうさん、ありがとうっ!」

 老人の姿が茂みの中を数歩進むと、闇の中でフッと消えた。それは夜中の林の中の闇に紛れて姿が見えなくなった、というよりも、本当に突然フッと消えてしまった。

 和也は驚きと不思議さで、しばし呆然と真っ暗い林の中を見つめていたが、ハッと我に返り、犬のハチを探した。犬も、もう何処にも居なかった。和也はつっ立ったまま、首だけキョロキョロ回して周囲を探ったが、犬の気配は何処にもなく、離れた二本の外灯の明かりの間であたりは薄暗く、ただただ静かだった。しかし、義行は相変わらず背中が痙攣のように微動し、時折、呻き声を上げている。

 和也と義行とがやって来た、グランド方向の林から、自分を呼ぶ声が聞こえて来た。母親と姉・愛子の声だ。もう一つ、男性の声は、義行兄ちゃんの名前を呼んでいた。義行兄ちゃんのお父さんの声だ。ガサガサと藪を掻き分け叢を踏む音をさせながら、呼び声が聞こえて来た。確かに三人くらい居る音がする。呼び声が近付いてくる。

 「う~ん」 とひときわ大きな呻き声を上げて、気付いた義行が腕を立て首を上げた。まだ、うつ伏せ状態のまま、上げた首をぶるぶると振った。義行はふらふらしながら、体勢を起こして、立ち上がろうとしている。うまく行かず、どすんと尻餅を着いて、その場に座り込んだ。まだ呻き声を上げながら、掌で首筋をさすっている。スタンガンを押し付けられ電撃ショックを喰らった箇所だ。

 真っ暗い林の中から、幾つかのハンドライトの明かりが漏れて来ると、ガサガサと音を立てながら、三人の人間が遊歩道に出て来た。各々、懐中電灯を手に持った、吉川智美、吉川愛子、本田忠行の三人だった。  

※長いプロローグ..(4)へ続く。

◆(2012-01/01)小説・・ 「じじごろう伝Ⅰ」 長いプロローグ..(1)
◆(2012-01/19)小説・・ 「じじごろう伝Ⅰ」 長いプロローグ..(2)
◆(2012-01/26)小説・・ 「じじごろう伝Ⅰ」 長いプロローグ..(3)
◆(2012-02/06)小説・・ 「じじごろう伝Ⅰ」 長いプロローグ..(4)
◆(2012-02/10)小説・・ 「じじごろう伝Ⅰ」 長いプロローグ..(5)
◆(2012-03/02)小説・・ 「じじごろう伝Ⅰ」 長いプロローグ..(6)
◆(2012-04/02)小説・・ 「じじごろう伝Ⅰ」 長いプロローグ..(7)
◆(2012-04/25)小説・・ 「じじごろう伝Ⅰ」 長いプロローグ..(8)
◆(2012-06/01)小説・・ 「じじごろう伝Ⅰ」 長いプロローグ..(9)
◆(2012-06/16)小説・・ 「じじごろう伝Ⅰ」 長いプロローグ..(10)
◆(2012-07/06)小説・・ 「じじごろう伝Ⅰ」 長いプロローグ..(11)
◆(2012-08/04)小説・・ 「じじごろう伝Ⅰ」 長いプロローグ..(12) 

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