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●漫画・・ 「ワンサイド特急」 ..(2)

 亡命科学者がS国で開発した最新鋭潜水艦には、将来、大規模破壊殺戮兵器となりうる99X00線の設備が搭載されていた。大掛かりな悪の犯罪組織、スマイルは、潜水艦ごとS国の海洋基地から盗み出してしまう。潜水艦奪還に躍起になっているS国首脳部の会議に、突如現れた探偵チーム、その名もワンサイド特急は、世界中に支局を持つ、メンバーはみんなも元海賊というツワモノ揃いの探偵チームだ。会議を秘かに窺う、犯罪組織スマイルのスパイを発見追跡し、高層ビルの屋根上でアクロバットな格闘を見せる、ワンサイド特急の若き局長、ミスター嵐。捕らえたスマイル末端隊員から、組織支部基地の場所を聞き出すことに成功した、ミスター嵐らワンサイド特急メンバーたちは、S国より正式に潜水艦奪還依頼の仕事を受け、世界征服を企む謎の犯罪組織、スマイルの基地へと向かう。

Photo_2  世界最強の最新鋭潜水艦を手にした犯罪組織スマイルはやりたい放題で、A国軍事基地を襲撃し、潜水艦の無敵の性能を使い、A国基地を破壊すると共に武器弾薬を略奪した。一方、ワンサイド特急の面々は組織スマイルへの潜入工作を実行し、秘密裏に急募されている組織の末端戦闘隊員の中に紛れ込み、スマイル支部基地へと潜入する。数々の危険に遭遇し、敵隊員たちと格闘し、敵の銃弾を掻い潜り、何とか敵首脳部までたどり着いた、ミスター嵐。超兵器を備えた最新鋭最強潜水艦の、内部にまで潜入することに成功したが…。ワンサイド特急は、潜水艦奪還に成功するのか?はたまた、大量殺戮兵器へと転換できる超装備を施した潜水艦を破壊し、世界征服までも企む大型犯罪組織、スマイルを倒すことが出来るのか?・・・

 と、いうのが、スパイ・アクション劇画「ワンサイド特急」のお話です。前回書き込んだように、「ワンサイド特急」は、秋田書店発刊の少年月刊誌「冒険王」の、1965年11月号から翌4月号までの掲載となっています。貸本劇画界で第一級の売れっ子作家となった、さいとうたかを氏の漫画メジャー雑誌界への転身の最初の頃の連載で、この「ワンサイド特急」以前には、さいとうたかを氏が初めて、出版メジャー誌に連載を持った、小学館のポスト青年誌「ボーイズライフ」に63年(さいとうプロ作品年譜に寄る)から長期連載した、アメリカスパイ活劇映画の大ヒット作のコミカライズ、「007シリーズ」があります。さいとうたかを氏をはじめ、貸本界を主戦場とする漫画家たちも、メジャー少年誌に読みきり短編作を載せることはありました。月刊誌例月号の連載作品の、漫画家の急病や多忙などに寄る原稿落としで、本誌の予定総ページ数の穴が開いてしまった場合とか、あるいは別冊付録数を増やしたいときとか、急遽イレギュラーに、貸本作家に原稿依頼が来ることがあったようです。また、50年代末頃から既に、貸本と雑誌で、器用に両方に作品を出していた漫画家さんも、数少なくですが中には居ました。

Official_small  さいとうたかを氏は、「ボーイズライフ」誌で、アメリカスパイアクション映画の大作、「007シリーズ」のコミカライズ劇画のヒットで成功し、次にまたも、アメリカ制作のスパイもののコミカライズ劇画を描きます。これが少年月刊誌「冒険王」に連載された、「0011ナポレオン・ソロ」なんですが、この作品は、原作は、アメリカ制作のスパイアクションもののテレビドラマで、本国アメリカNBC系列で1964年から68年に掛けて長期放送されヒットし、日本でも日本テレビ系列で66年から68年に掛けて放映されて大評判となった、輸入テレビドラマ「0011ナポレオン・ソロ」の、さいとう氏が劇画化した作品です。日本では、50年代末から60年代は、まだまだアメリカからの輸入ドラマが大人気で、特に60年代前半までは、アメリカの、当時の日本国民から見ればたいそう富裕に見える、白人家庭のホームドラマや、拳銃アクションの西部劇、警察・探偵ギャングもので日本中が沸いていましたが、映画作品の「007ジェームズボンド」シリーズのヒットで、スパイアクションものにも注目が集まり、アメリカ制作のTV連続ドラマ、スパイアクション巨編「0011ナポレオン・ソロ」の放送も、日本のお茶の間で大人気となりました。当時、日本では、僕の記憶の限りでは、けっこう遅い時間の放送だったと思うのですが、あの時代の子供たちも、見ていた子は多かったみたいで、それこそ洋画好きな中年世代から子供にまで人気があったようですが、やはりドラマ理解は内容に寄り、子供でも、せいぜい小学校上級から中学生でしょうね。当時の僕の、学業成績の良かったクラスメイトが、夜遅いけど宿題や予習をやりながら親御さんと一緒に、「0011ナポレオン・ソロ」を見ている、と言っていたのを何故か、今でも憶えています。学業成績極めて不振な僕は、当時、見てませんでした。

 ボーイズライフ誌に連載された「007シリーズ」は後に、小学館ゴールデンコミックスに、冒険王連載の「0011ナポレオン・ソロ」は後に、秋田書店サンデーコミックスで全3巻にまとめられました。いづれもコミックス化は60年代末ですね。「007シリーズ」は各話ごとにコミックス4冊で発刊されているみたいですね。その後に小学館文庫でも文庫コミックスとしても復刊されています。この「007シリーズ」に関して、大変詳しく解説されたサイトを見つけました。2002年11月29日更新となっている、古い記事のようですが、この「さいとうたかを 007シリーズ」というサイト記事は、当時のコミックス表紙や連載カラー扉絵も、図版が充実していて、ここを読めば一発で、さいとうたかを氏の「007シリーズ」が全面的に解ります。すごいなあ、よく知ってるなあ‥。と、僕も驚きです。

 さいとう氏の劇画版、「007シリーズ」も「0011ナポレオン・ソロ」も70年代以降、ずうーっと復刻にならないのは、外国映画・ドラマの著作権があるからでしょうね。残念ながら向後も、復刻版で読める、というのは難しいでしょうね。だからこそ、60年代末頃の古書は、相当な値になっているでしょうね。

 さいとうたかをさんは、ボーイズライフ誌での4編の「007シリーズ」、アメリカ映画007シリーズのショーン・コネリーが主演する、シリーズ初期作などのコミカライズですが、これを終えると、ボーイズライフ誌では、オリジナルの冒険アクション劇画、「挑戦野郎」を連載し、やがて、小学館ボーイズライフ誌が青年向け漫画専門誌としてリニューアルして、「ビッグコミック」へと生まれ変わり、この時代雨後の竹の子のようにニョキニョキと、各出版社から青年漫画誌が創刊されるんですけど、その一方の代表格、「ビッグコミック」もボーイズライフからの転身という恰好で誕生する訳です。さいとうたかを氏は、新生「ビッグコミック」誌で、「捜し屋はげ鷹登場」を連載しますが、やがて「ビッグコミック」に、劇画界の巨匠・さいとうたかを氏の代名詞となる、代表作のスーパーヒット・ギネス級ロングラン作、「ゴルゴ13」の連載が始まります。ネットのさいとうたかを氏作品年譜を見ると、「挑戦野郎」「捜し屋はげ鷹登場」共に、1969年となっているんですが、おかしいな、「挑戦野郎」の方はもっと前だと思うんですけど。多分、初出雑誌掲載は69年よりも前で、67年頃じゃないかと思うんですけど。

Photo  上記で書いたように、アメリカ制作TVドラマ「0011ナポレオン・ソロ」が日本で放送された時期は、66年から68年なんですが、さいとうたかを氏のコミカライズ「0011ナポレオン・ソロ」が少年月刊誌「冒険王」で連載されたのは、前出の作品年譜では65年となっていますね。後の秋田書店サンデーコミックスでは、「0011ナポレオン・ソロ」は全3巻にまとめられていますから、月刊誌で少なくとも2年は連載が続いている筈です。どうなんでしょうね?「ワンサイド特急」は冒険王の65年から66年の連載です。この時期、さいとうたかを氏は、一つの月刊誌に二作の連載を持っていたのか?それともどちらかが前後するのか?一つの雑誌に一漫画家が同時期に2作連載を載せることはあまり無いことなんですが、全く無い訳ではありません。これより過去、少年月刊誌に於いて、手塚治虫、桑田次郎、堀江卓などの各先生方が、1冊に同時に2本の連載を持っていた例はあります。「ワンサイド特急」が先で、その後、「0011ナポレオン・ソロ」のような気がしないでもないんだけど。「0011ナポレオンソロ」が連載がいつ頃終わったのか、申し訳ない、僕には解らないのですけど、普通なら、TV放映が終わった68年ですよね。だいたいTVのコミカライズは、本放送終了とだいたい同時期に、掲載を終えますからね。まあ、これより過去には、漫画人気が高くて、TV放送終了後も漫画の連載が続いた例もありますけどね。

 マンガショップ刊の復刻版「ワンサイド特急」は、内容の漫画ページが全部、コマ面が3段ですね。「ワンサイド特急」は冒険王という雑誌掲載作品なのに、コマ面が全部3段です。今では漫画はページ面のコマ割は特に決まってなくて、作家により、いろいろなコマ割を自由自在に使いますが、昔の漫画は、だいたい、B5の雑誌はコマ面が4段、A5の貸本は3段、B6の付録は3段とほぼ決まってました。連載時の「ワンサイド特急」は、連載当初の頃は、冒険王本誌のカラーページから別冊付録へ続く形式もあったと思うのですが、復刻版を見ると全部3段組コマで描いてますねえ。65年当時はまだ貸本界はありましたし、さいとうプロダクションも、まだまだ雑誌以外に貸本も精力的に出版してたので、冒険王掲載分を連載終了後、一度まとめてA5単行本化して出したのか?連載漫画を単行本で出すときに、編集で描き直すことは昔からあることですからね。解りませんけど。本誌掲載分も3段組コマで描いたのかも知れないし。まあ、別にどうという大きな問題でもないんですけど。僕は当時の月刊誌なんて持ってませんから解りませんが。僕はコレクターという程ではありませんしね。

 さいとうたかを先生は、1970年に週刊少年サンデーに「グループ銀」を連載します。サブタイトルに「奪回屋」と着いていたと記憶します。奪回屋グループ銀。冒険探偵アクション劇画、「グループ銀」は週刊少年サンデーで人気を博し、長編のお話が3話続きます。週刊誌で1年半は連載が続いたんじゃないですかねえ。この頃のさいとうたかを先生は、貸本消滅後で、雑誌界に進出し、当時の月刊誌週刊誌で連載をいくつも持っていましたし、また各誌に短編読みきりもたくさん提供していました。貸本からメジャー雑誌に移行して最も成功した漫画家が、さいとうたかを氏ではないでしょうか。勿論、楳図かずお氏も水木しげる氏も白土三平氏も居ますけど。

 この70年の作品、「グループ銀」のね、作品のアウトラインが、65年の作品、「ワンサイド特急」に似てるんですよね。同じプロットの作品を、絵柄を緻密に描き込み、ストーリーをさらに詳しく細かくして、もっとリアリティーのある内容にしたものが、70年の週刊少年サンデー連載の「グループ銀」ですね。折りしも70年代は劇画ブームの時代ですからね。60年代後半は、梶原一騎氏の登場と、貸本劇画作家の雑誌への移行で、70年代劇画ブームの下拵えをしていました。60年代末から、少年漫画誌は、よりリアリティーのある漫画作品を追求し、またこの時代は青年漫画誌が続々と誕生した。かくして70年代に入り、小池一雄も登場して、70年代劇画ブームの時代が到来した。この劇画ブームは80年代まで続きます。「グループ銀」は、65年の「ワンサイド特急」を、リアリティーある劇画とするために内容を全て緻密に詳細にした、いわば「ワンサイド特急」の焼き直しですね。第1話の「船影を追え」なんて、もうほとんど「ワンサイド特急~組織スマイル編~」そのものみたいなものですからね。水木しげるさんなどもそうですが、貸本出身の漫画作家さんは、昔粗雑に描いている作品を、雑誌でリアルに緻密に描き込んで、焼き直しリメイクされた作品例が、けっこう多いようですね。

  

◆(2009-02/15)漫画・・ 「ワンサイド特急」 ..(1)
◆(2009-03/03)漫画・・ 「ワンサイド特急」 ..(2)

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