60~90年代名作漫画(昭和漫画主体・ごくタマに新しい漫画)の紹介と感想。懐古・郷愁。自史。映画・小説・ポピュラー音楽。
Kenの漫画読み日記。
●漫画・・ 「九番打者」~「ミラクルA-エース-」
「九番打者」と「ミラクルA-エース-」は、かつて週刊少年サンデーに連載された、同じ野球漫画です。貝塚ひろし先生の作画で、昭和の週刊少年サンデー、1964年第27号から「九番打者」として始まり、毎週連載が続き、途中、1965年19号からタイトルを「ミラクルA-エース-」と改題して、さらに連載がサンデー66年21号まで続きました。週刊雑誌、調度満二年くらいの長期連載ですね。「九番打者」のタイトルは、主人公の青年野球選手が、プロ野球・読売ジャイアンツのピッチャーだったからでしょう。プロ野球の「投手」が必ず九番を打つ、とは限りませんし、そういう決まりがある訳でもないですが、当時のプロ野球ではピッチャーが九番に入ることがほとんどだったからでしょうね。まあ、これは今のセントラルリーグでも、そういう状況がほとんどなんじゃないかと思いますが。僕はこの当時、ほとんど毎週、週刊少年マガジンと共に週刊少年サンデーも読んでいたんで、「九番打者」の始まりから「ミラクルA」の終わりまで連載リアルタイムで読んでいると思いますし、また、後にまとめられた秋田サンデーコミックスでもコミックス完読しています。60年代末か70年代アタマ頃刊行された、秋田書店のサンデーコミックス版では全4巻でしたね。
プロ野球・読売巨人軍の秘密兵器的な新人投手、郷姿郎選手は若き豪速球ピッチャーだ。折りからのこの当時、少年野球漫画の“魔球”ブームで、「九番打者」の主人公、郷姿郎も魔球を投げ、それを他球団のライバル強打者に打たれると、次々と新しい“魔球”を開発して行く。巨人軍の秘密兵器ピッチャー、郷姿郎は、持ち前の豪速球にとどまらず、“魔球”である「ジェット快球」を編み出し、ジャイアンツの勝利に貢献する。「ジェット快球」って、マウンドからジャンプして空中から投げて、ホームベース近くでドカッと土を跳ね上げるんじゃなかったっけな(?)。そこまで派手じゃなくて、ただ砂煙を舞い上げる程度だったっけか(?)。忘れた。やがてジェット快球が他球団のライバル超人選手に打たれ、主人公・郷姿郎は新たな魔球を編み出す。二番目の魔球が「スモーク快球」だったと思う。「魔球」って呼んでたのか「秘球」って呼んでたのか、忘れたけど。マガジンの「黒い秘密兵器」は「秘球」だった。少年画報の「どろんこエース」では確か「超球」。後のまんが王の「太陽に打て」では「魔投」。で、郷姿郎のスモーク快球で僕の記憶に残るシーンは、新魔球開発特訓中にたまたま投げた姿郎のボールが消える。練習後、撮影したフィルムを回して見ると、姿郎の投げたボールは消えたのではなく、なんと投球フォームの郷選手の真後ろに飛んでいた。前方に投げた筈のボールが後方へと飛んで行って背中を回っていた、というのがヒントになって、新魔球「スモーク快球」が開発される。確かそういう場面があった。ああ、そうそう、「スイッチ投法」というのもあった。投球モーションに入って両腕で投げる動作をする。後ろから両腕が回り降ろされながら交差し、どっちの手で投げたのか解らない、というボールの投げ方。右で投げたか左で投げたか解らないから打者が困惑する、というピッチング。
ストーリーの流れで、どのあたりからタイトルが「ミラクルA-エース-」に変わったのか、済みません、よく憶えてません。「九番打者」では主人公・郷姿郎は素顔を出してますが、「ミラクルA」では謎の黒覆面投手となっている。「ミラクルA」では出だしでは正体不明の謎のマスクマン選手ですけど、まあ、途中で「ミラクルA」が郷姿郎だとバレる。「スイッチ投法」のときはもう「ミラクルA」だったんだろうか(?)。「スイッチ投法」って、投球モーションの最初に上げる足が右か左かで、いくら両腕が振り下ろされようと、どっちで投げたか解りそうな気もするけど。ま、漫画の詳細は忘れてますけど。まあ、こういう一連の投球フォームでコントロールの良い豪速球を投げるのは、現実には絶対無理だろうけど(漫画の“魔球”は全部無理ですけどね)。郷姿郎=ミラクルAの投げる魔球(秘球)が、ジェット快球とスモーク快球と、スイッチ投法と、あと他に何かあったのか、現在の僕は記憶してません。漫画の詳細、ほとんど憶えてなくて済みません。
僕は6歳から漫画を読み始めて、小学生時は学校の勉強なんて全くと言っていいくらいやらなくて、もう漫画が第一、漫画が全てとでも言えるような、漫画中毒の子供時代を過ごしてましたが、漫画読書の最初の方は、というのか、小学校四年生くらいまではプロレス以外のスポーツにほとんど興味が無く、従って野球漫画にもあんまり興味がありませんでした。実際、野球漫画を面白いと読み始めたのは、週間少年マガジン連載の「黒い秘密兵器」の途中からと、この「ミラクルA-エース-」くらいからでしょう。しかも「九番打者」の頃はそれほど興味のある漫画でもなく、タイトルが「ミラクルA」に変わって、主人公の魔球投手が覆面を被ってからでしょうね。覆面被って魔球投げると、何か「忍者」選手みたいでカッコ良くて。プロレスか忍者ものみたいで。だから同じ頃の講談社の月刊誌「ぼくら」連載の野球漫画、「なげろ健一」も初めはそれ程興味なく読んでたけど、途中からだんだん面白いと思うようになって来た。「なげろ健一」の主人公の所属球団は“少年ジャガーズ”でしたが、僕が子供の頃、少年時代の野球漫画の主人公はほとんどが読売ジャイアンツに所属する選手で、ピッチャーで魔球を投げてました。甲子園を目指す高校野球や少年野球が舞台の野球漫画は別ですけど。で、主人公が巨人軍に所属するから、王・長嶋といった実在のレギュラー選手が漫画に登場して、主人公に絡んでました。そしてこの当時の巨人軍の監督は実際にも漫画の中でも、川上哲治一軍監督でした。
子供の頃の僕は、実際の本当のプロ野球自体にも、ほとんど興味や関心がありませんでした。だから野球選手も知らなかったのですが、漫画を読んでるから、8歳くらいからは、王、長嶋、柴田、国松、森、土井とかいう選手名だけは知ってました。野球漫画の主人公は必ずと言っていいほど巨人軍に所属していて、漫画にこういった選手が出て来るからです。でも、顔を知っているのは王選手と長嶋選手だけでした。投手で知っているのは、八時半の男、城之内投手だけ、かな。国鉄スワローズから巨人の金田正一投手は知っていたかも。で、僕の読んでる野球漫画にいつでも登場する監督といえば、川上監督。どの漫画でも川上監督が登場して、主人公の投手に厳しいことを言う。あ、今調べて驚いた。違ってた。「八時半の男」とは城之内邦雄さんではなかった。八時半の男とは、巨人の宮田征典投手の当時の愛称だ。勘違いしてた。随分長いこと勘違いして覚えてた。城之内さんもあの時代を代表する名投手ですね。
漫画に登場する川上哲治監督で一番有名なのは「巨人の星」でしょうね。週刊少年マガジン往時の絶対看板漫画にして、一大スポ根ブームを巻き起こした伝説的野球コミック、「巨人の星」。その「巨人の星」のマガジン連載開始第一回目から川上哲治さんは登場してる。長嶋茂雄三塁手巨人軍入団会見の式場から、その後の星一徹一家の住むオンボロ長屋の裏の空き地まで。「針の穴をも通すコントロール」を獲得するための訓練で、まだ小学生の星飛雄馬の投げている長屋板壁の小さな穴から出て来て、向かいの樹木幹の一点に当たって跳ね返り、また戻って来て壁穴を通って飛雄馬の手元に戻るボールを、樹木の前に立った川上監督は、バットを構えて、バットだったか棒切れだったか忘れたけど、とにかくバッターボックスに立つように構えて、板壁の穴から出て来たボールを見事に打ち返して、また長屋板壁の小さな穴を貫き、家の中にボールを飛ばす。部屋に入って来た加速の着いた、豪速球みたいなスピードの球は、酔っ払って寝そべる星一徹の顔面目掛けて飛んで来る。パッと忍者の如き俊敏さで起き上がった一徹が、素早くボールを掴み取る‥。今でも記憶してる、「巨人の星」最初の頃の一場面。この少しあと、巨人軍入団以前の、まだ高校生の王貞治とも、飛雄馬は少年野球で対決するんですよね。
大人になってから、まあ、もう30代に入ってましたけど、柳田理科雄さんの「空想科学読本」の2巻だったか3巻だったかで読んで、飛雄馬の「針の穴をも通すコントロール」を会得する訓練、は、物理的に無理、と知り、また納得しました。地球重力の影響で投擲された物が飛ぶとき描く放物線、ですね。
2013年10月29日、28日夕方に元読売巨人軍監督で「打撃の神様」と称された、球史に残る戦後プロ野球のカリスマ的大スラッガーだった、川上哲治さんが亡くなったという、訃報ニュースを受け、メディアでは、各界からの、その生前の功績に対する賞賛と死を惜しむコメントが相次ぎ、我ら中高年世代も衝撃を受け、僕は何よりも「打撃の神様」川上哲治さんは、もう93歳というお歳になられていたんだ、とその高齢にも驚いた。それはそうだろうな、監督時代のチームの主砲、長嶋茂雄さんが2013年現在77歳、王貞治さんが73歳になられるんだから。僕にとっては川上哲治さんは、漫画「巨人の星」中のエピソードで、主人公・星飛雄馬の実父、星一徹の若き時代、日本プロ野球黎明期巨人軍・戦前戦後のチームメイトで盟友だったということが一番かな。創作世界の作りごとエピソードだけど。そして、僕の子供時代に読んだ数多くの野球漫画に登場していた、主人公が所属するプロ野球チーム、ジャイアンツの、厳しくも慈愛に満ちた、人格者キャラクターの名監督。逝去されて一ヶ月余り経った12月2日には、都内のホテル会場にて「お別れの会」が開かれ、日本野球界の錚々たる顔ぶれが集まり“打撃の神様”川上哲治さんを追悼した。王、長嶋他V9選手の面々から、2013年日本一の栄冠を取ったイーグルス・星野現役監督他、昭和平成の日本プロ野球界を背負って来たかつての名選手たちが一堂に会し、“打撃の神様”で奇跡のV9を成した唯一無二の名監督、故・川上哲治さんに別れを告げた。
とにかく僕が小中学生時代に接した野球漫画では舞台が先ず、ほとんどが読売巨人軍チームで、3番4番の主砲に王貞治と長嶋茂雄が居て、監督は川上哲治だった。描かれるキャラクターは真面目・実直な人格者で自他共に厳しい野球人。本当に僕が少年時代読んだ野球漫画全て、と言っていいくらいに、漫画の主人公の所属するプロ野球チームは巨人軍だった。あとは高校野球が舞台の漫画くらいですね。月刊誌「ぼくら」に昭和30年代末から40年代頭に連載された「なげろ健一」くらいかなあ。「なげろ健一」は舞台が高校野球からプロ野球界に移ったときに、架空の球団「少年ジャガーズ」で活躍しますが、プロ野球チームで名称が「少年ジャガーズ」というのも、どうもなあ‥、とは思うけど。まあ、僕の子供時代の漫画にもプロ野球舞台の他に、甲子園を目指す高校野球漫画や少年野球漫画がありましたからね。当時の週刊少年キングに掲載された、古城武司さん作画の「ホームラン太郎」が、所属チームが巨人以外のチームでポジションがキャッチャーだったように思うが、どうか。当たっているか、記憶違いかどうか(?)。70年代に入ると、「おれとカネやん」とか「野球狂の詩」とか「ドガベン」「あぶさん」など、主人公がジャイアンツ以外のチームで活躍する漫画がけっこう出て来ますけどね。
川上哲治さんというと現役時代の「赤バット」が有名ですが、僕が小学生時代の秋田書店発行の月刊誌「冒険王」に、つのだじろう氏作画で「赤バットのうた」という野球漫画が掲載されてました。この頃のつのだじろう氏の冒険王連載の野球漫画といえば、「ライバル左腕」の方が記憶に残ってますが、「ライバル左腕」連載の前後に「赤バットのうた」が連載されて、「ライバル左腕」は純粋に少年野球漫画でしたが、「赤バットのうた」は僕は内容をあまりよく覚えてません。プロ野球漫画ではなくて、伝説の“赤バット”にまつわる奇妙な、一種“呪い”みたいな不思議っぽいエピソードみたいの‥だったかな(?)。何か、お話の毎回、伝説の“赤バット”を所持した者が見舞われる悲劇っぽいよーなエピソード‥(?)だったよーな気がするけど。済みません、よく憶えてない。また、実際、僕自身、赤バットを使う川上哲治はリアルタイムでは見たことありません。僕がTVで野球中継を目にするようになったときには、もう既に川上哲治さんは巨人軍監督でした。戦後直ぐの日本プロ野球界で、当時の東映フライヤーズの大下弘の「青バット」、川上哲治の「赤バット」というのは有名でした。後に使用禁止になるのですが。知らなかったのですが、昭和20年代半ば早大野球部から巨人へ上がった、南村侑広という外野手が“黒バット”を使っていたそうですが、これも同時に一緒に使用禁止になったそうです。
(『赤バットのうた』は68年の『まんが王』連載のようですね。)
“打撃の神様”と称された、日本のプロ野球で黎明期といってもいいような戦後プロ野球時代を代表する名スラッガーであり、監督時代では空前絶後の日本シリーズV9という偉業を達成して見せた、読売巨人軍元クリーンナップ強打者で元名監督、川上哲治氏の伝記漫画が、昭和の週刊少年サンデーに連載されてました。「伝記」漫画といっても描かれていたのは川上哲治氏の少年時代、主に旧制中学の部活少年野球、現代でいう高校野球を舞台にした、川上哲治実名モデル熱血感動野球コミックですね。戦前戦中・戦後も旧制中学・新制高校も、同じく全国から甲子園を目指した訳ですが。タイトルは「弾丸児」で、作画は、“タツノコプロ”三兄弟の三男、九里一平さんですね。この作品が連載されていたのは1967年68年当時だから、僕は小六から中一の時代ですね。無論、当時の週刊少年サンデーで毎週欠かさず読んでました。“魔球”とか出て来ない等身大の少年野球漫画でしたが、けっこう面白かったと記憶してます。「弾丸児」は後に、小学館のゴールデンコミックスで単行本として全2巻で発刊されてます。僕は多分、コミックス再読をしているとは思うのですが、読んだのはもう何十年も昔のことで、内容の詳細は申し訳ありません、ほとんど憶えてません。伝記漫画といっても、まあ、川上哲治実名モデルの、少年向けの熱血感動娯楽コミックです。大まかな流れは史実に忠実に、細部は創作の娯楽少年漫画ですね。「弾丸児」は週刊少年サンデー誌上に1967年28号から68年14号まで連載されました。ゴールデンコミックス発刊も68年になってますから、この当時としては直ぐにコミックス化されたんですね。連載時の人気はけっこう高かったんでしょうね。
「九番打者」~「ミラクルA-エース-」の作画・著者、貝塚ひろし先生については、また「1.2-ワンツー-作戦」の折にでも書こう。貝塚節。