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「忍法秘話」-大摩のガロ・編-

   

 山地に身を隠す、凄腕の抜け忍、人呼んで“大摩のガロ”。追っ手の忍者たちは、抜け忍は始末する、掟の実施のために山地の森林や草原でガロを追う。

 追っ手忍者群はついにガロを追い詰めていた。だがガロは凄腕の忍者であり、一筋縄では行かず、強い。二十人から居ようという追っ手忍者たちは、森林の木々の中で、草原の高い草むらの中で、一人、また一人と返り討ちに合って行く。

 体術に長け、妖術のような不思議な術も操るガロには、追っ手の忍者の誰一人として歯が立たず殺されて行った。

 枝木·薪を背負う百姓姿の男が一人の忍者の死体を見つけ、自分の慕う兄者だと解り、殺されたことを嘆き、殺したに違いないガロを憎悪し復讐を誓う。

 自分一人では到底ガロは倒せないと知る、死体の弟分の忍者は、山小屋に一人で暮らす、凄腕の忍者、四貫目を訪ねる。

 兄者の敵討ちをしたいので、相当な腕利きの忍び、四貫目に協力を求めた。だが四貫目は「忍者が敵討ちなどおかしい」と断る。

 四貫目は、四貫目ほどの腕利きの忍びでも、ガロと戦えば運が良くて相討ちだと言う。四貫目は全く乗り気でない。

  

 ところがこの四貫目の山小屋に、四貫目ら伊賀忍者の頭領が現れる。ガロに返り討ちされた数多くの忍者も四貫目も、忍者組織の最下層で兵隊の下忍だ。忍者のほとんどは兵隊の下忍である。現れた頭領は中忍か上忍であろう。

 階層社会 - 忍者組織の上下関係は絶対で、上司となる同じ組織の中忍·上忍の命令は絶対だ。頭領は四貫目に直接、抜け忍·ガロを始末せよと命令する。

 どういう事なのか頭領が「これから先、奴が居ては何かと都合が悪い」と言い、四貫目が「するとガロめ、信長に着いたのか」と独り言のように言う。頭領は音もなく消える。

 「ニオイもなく音もなく羽毛の如く軽い風のように動くガロ。おそらく奴の穏形の法を破る者はなかろう」と、頭領の命令に否応なく従い、ガロと戦うこととなった四貫目は戦慄しながらつぶやく。

  

 いつの間にか四貫目の周りには五人の忍者が居た。四貫目と共に“大摩のガロ”を掟のために始末する、追い忍の新部隊だ。作戦を練る追い忍たち。

 四貫目の提案した術“やませの法”を全員で、ガロに仕掛けるため、忍者たちはガロの住まいの四方で結界を張る。

 結界の中で先手をうたれ、追い忍たちは逆に次々とガロに始末されて行く。

 四貫目以外で最後に残った追い忍の一人、枯木兵庫も既に始末されたらしく、ガロは山小屋で大きな木彫り人形を幾つも作って過ごし、名を枯木兵庫と名乗っていた。

 枯木兵庫は8歳か9歳くらいの小さな男の子の面倒を見ながら、毎日丸太をノミと金づちで削って木彫り人形を作り続けている。

 ガロの周囲7箇所に結界を張る追い忍は6人までガロに始末され、この6人は他の追い忍6人に補充され、7人目枯木兵庫はガロがなりすましている。そこに四貫目が使用人として入る。

 小さな子供はもともと枯木兵庫が面倒を見ていた孤児で、四貫目はいきだおれをガロに助けて貰った態で使用人としてガロの懐に入った。

 使用人に化けた四貫目は子供の元にさまざまな森の鳥獣を連れて来る。子供は毎日毎日、鳥や小動物と遊び続ける。鳥や小動物の毛がどんどん抜けて行き、その空気を子供が呼吸し続ける。

 

 やがて子供は咳込んで熱が出て寝込んでしまった。子供は毎日咳込みながら寝たきりで衰弱して行く。

 子供は死に、枯木兵庫にぜんそくが移り、枯木兵庫はしきりに咳をするようになる。枯木兵庫の彫った木彫りお面を売りに町へと山を降りる使用人だったが、森の中で、使用人の正体を見破っていた枯木兵庫ことガロが襲撃する。

 使用人に化けた四貫目はあっけなくガロに倒される。が、ガロのぜんそくは慢性の持病となっていた。四貫目に化けてなりすまし、追っ手の組織を内側から壊滅しようと企む、大摩のガロ。

 ガロを追う伊賀忍者組織の中で巧妙に裏切り行為を働き、組織の忍者たちを次々と始末して行くガロ。だが、四貫目に化けたガロの正体を見破る者が現れた。

 ガロの前に現れた四貫目は、ガロが倒した四貫目は、四貫目の影武者だと暴露した。本当の四貫目は桁違いに強い。

 ガロと四貫目が1対1の死闘を繰り広げるが、ガロの得意ワザ“穏形の法”は、ガロの持病となったぜんそくの咳のため、効力がない。何処に隠れようと咳が出るために、居場所が解ってしまい、四貫目得意の手裏剣術“カブトワリ”が飛んで来る。

 ついにガロは四貫目に敗れ、四貫目に山中の川に水死体で発見される。

 水中に隠れたものの、水中でぜんそく発作に襲われ、心臓が破裂したのだろうと死因を判断した四貫目はその場を去る。最後に作者のぜんそくとアレルギー反応の解説が文字で語られる。

 “やませの法”という術は、鳥獣の羽毛や体毛をアレルゲンとして病気に懸かりやすい子供に故意にぜんそくを起こさせ、子供を通じて一緒に生活するターゲットにもぜんそくの慢性病に罹患させることなんですね。

 その後、山地の森に雷が落ち、木々が燃える中、土中からなのか黒焦げの長身の男が立ち上がり「まだ生きていたか」と一言喋って裸のまま歩き出す。説明は何もされてないがガロは生きていた。

 伊賀の頭領の元に腕利き忍者4名が集められた。頭領が「ガロが生きている」と告げる。部下たちは「ガロは四貫目が始末した筈」と疑問に思う。頭領がガロの今の根城を告げ始末を命じる。

 得意の忍術を持つ腕利き4名も瞬く間にガロに返り討ちに合う。頭領は再び四貫目を呼ぶ。四貫目は長い間、下忍として最前線の兵隊として戦って来て、高齢になり年季明けのように隠居を許されていた。つまり忍者社会の下層奴隷から解放されていた。

 頭領は四貫目に再びガロの襲撃を命じる。四貫目は引退を許された身と頭領の命令を断る。四貫目には隠し子が居た。子供を人質に取られ否応なしに四貫目は再びガロ討伐に向かう。

 ガロは甲賀忍者にも狙われていた。数人の甲賀者の死体を見つける四貫目。そしてガロと相対した四貫目は、見た目の姿こそ同じだがガロが何処となく変わったと感じる。ガロは四貫目に殺意がないことや子供を人質に取られていることを察知する。

 ガロは四貫目に子供は助け出すことを約束して去る。ガロは人の心が読めるようになったらしい。

 手下の下忍たちにガロの始末を命じるのは、伊賀組織の首領、百地三太夫。顔つきはよく似てるが髪型·服装が違う、前半に登場していた“頭領”とは別人なのかな?首領と頭領は別人か?

 行間を読むみたいに推理すると、物語場面として描かれてないが、もしかすると四貫目の子供を救い出すために頭領はガロが始末したのかも知れない。そのため、頭領の上司の、伊賀組織の一番上の首領手ずから下忍たちにガロ始末を命令してるのかも?

 

 伊賀の首領が送る手練れの暗殺忍者は、ギバチの術を使うハンザキ兄弟、川や湖沼の魚群を自由に操る水鬼。両忍者とも、人の心が読めるガロには敵わない。返り討ちにされる。

 ガロの人の心を読む能力は“他心通”と呼ばれる。伊賀のどんな術者を送っても敵わぬガロに対して、伊賀の首領が考えた次なる一手は同じ“他心通”が使える術者。首領の命で他心通の使い手の元へと使者が飛ぶ。

 百地三太夫にスカウトされた、要するにテレパシー能力の使い手、露木道人が平原でガロと相対する。お互いに直ぐに他心通の使い手だと解る。どちらも互いの心が読めるので動けない。二人を多数の伊賀忍者が囲む。

 丘の上から現場を見下ろす百地三太夫が、ガロを始末しても露木道人が残ることを危険視する。ガロが死んだ後、今度は自分が伊賀者たちに狙われると察知した露木道人は、ガロと戦うのをやめた。露木の思考を読んだガロ。

 二人は互いに戦わず、周囲を囲む無数の伊賀者を二人がかりで、あっという間に始末する。露木を銃で狙った百地三太夫は手裏剣で銃を落とされ、丘の上から退却する。露木とガロは仲直りして、露木は去る。

 伊賀忍者組織の首領、百地三太夫はとにかく抜け忍·ガロを始末したい。しかしガロ暗殺の刺客はことごとく返り討ちに合い、ガロは生き残る。ついに伊賀の首領は外部委託することにした。暗殺の外部委託。というか、僧衣に身を包む根来忍者の1人が、自分を雇わないかと伝えて来た。

 根来忍法·言霊の術を使う僧衣姿の根来忍者を雇ったが、取り敢えず百地三太夫は、ガロの他心通というテレパシー能力ほどの力はないが、観相·察相の術を使う、多少は相手の考えが読める忍者を4名集め、ガロを襲撃させる。

 だが4人の観相·察相の術を使う忍者が囲んでも、テレパシー能力の他心通と並々ならぬ忍者の体術·剣術を使う、ガロの敵ではなかった。

 そしてガロは、面倒を見てる子供たちが待っている、ガロの住まいの小屋に帰る。ガロは、孤児なのか訳ありな子供たち数人と一緒に暮らしてるようだ。

 しかしガロの面倒を見る子供たちは、根来忍者·ワラワの言霊の術に掛かっていた…。・・・

 というのが白土三平の「忍法秘話」というシリーズのカテゴリの中の、連続したストーリーで漫画作品8回に分けて掲載·連載された「大摩のガロ」のお話のシリーズですね。まあまあ割りと詳しく話の流れを綴って来ました。はしょってる部分も多いですけどね。

 白土三平先生のリアルな忍者活劇漫画シリーズ「忍法秘話」は、貸本漫画からスタートしました。貸本漫画出版界で青林堂から刊行されてた時代劇オムニバス誌「忍法秘話」の中の、毎号のメイン作品が白土三平氏のリアルな忍者漫画で、その他に水木しげる氏なども時代劇短編を寄稿してました。

 長井勝一氏が1959年に起こした貸本漫画出版社-三洋社で白土三平氏のリアルな忍者漫画「忍者武芸帳」全17巻を刊行してこれが大ヒット、長井氏は1962年に新たに青林堂という出版社を起こす。

 青林堂というと1964年夏場から刊行が始まった月刊雑誌「ガロ」が有名ですが、多分、1963年からの刊行だと思われる貸本漫画オムニバス誌「忍法秘話」に初めて「大摩のガロ」シリーズの第1話「やませ」の第1回が掲載されたのが貸本誌「忍法秘話」の64年初頭頃発刊の号だと思います。ちなみに月刊雑誌「ガロ」は貸本屋さんでも扱ってたけど、B5判の市販流通雑誌です。

 「大摩のガロ」シリーズ第1話「やませ」第2回も貸本「忍法秘話」収録です。短編集誌「忍法秘話」には白土三平忍者漫画メインに全部で4編くらいが収録されてたのかな。3編のときもあったかも知れませんが。

 「大摩のガロ」シリーズは時系列的に不思議なことですが解決編の、つまりこのストーリーの流れのお話の最終回的な一編が、1965年の光文社の児童月刊誌「少年」のお正月大増刊号の読み切り掲載で寄稿されてます。解決編「因童-よりわらわ-」です。「因童」の一編の中には、このシリーズの主人公·ガロは出て来ません。「因童」の主役は伊賀の下忍、四貫目です。四貫目が因童の術を破り根来忍者たちを倒す。

 白土三平さんの作品は全て、作品一作一作の最終ページ枠外に、日付が記載されてます。この日付が作品脱稿日なのか作品の貸本誌·市販雑誌の初掲載時(初発表時)なのかよく解りませんが、とにかく原稿が出来上がった日かその近日ですね。

 「因童」の最終ページ下に記載された日付は1964年11月。作品掲載誌の「少年」お正月大増刊号の発売は多分64年12月15日頃の日。

 「大摩のガロ」シリーズは青林堂発行の貸本誌「忍法秘話」の中の掲載で連続して行きます。第3話「ガロの復活」の最終ページ日付は1965年1月。第4話「ギバチ」の記載日付が65年2月。第5話「他心通」が65年2月。第6話「言霊」が65年3月。第7話「ガロの宿」が65年3月。

 貸本オムニバス誌「忍法秘話」の刊行ペースは月に1冊だったと思うのですが、多分「大摩のガロ」シリーズの、赤目プロでの原稿が仕上がったのがだいたいひと月に2作品だったのでしょう。発表は月1作品掲載だと思われます。

 第7話「ガロの宿」で抜け忍·ガロは、伊賀組織の首領·百地三太夫が外部の忍者団に依頼して、根来忍者の怪術“因童-よりわらわ-”にて殺される。実はこれが「大摩のガロ」シリーズの最終回なんだけど、ガロシリーズが始まる前に別作品として描かれた「因童」を物語上で最終回にくっ付けて、「大摩のガロ」シリーズ全8作品となった。

 この時代は白土三平先生は超忙しかったでしょうね。雑誌連載作品も多かったし。光文社「少年」の「サスケ」、集英社の「真田剣流」~「風魔」、講談社「ぼくら」の「死神少年キム」などなど。

 「大摩のガロ」シリーズ8作品は、B5判·市販雑誌用に四段組改稿して内容は同じ作品を全部、光文社の「少年」に再掲載します。再掲載って雑誌「少年」では初めての発表ですが。ただし最終話の「因童」のみ再掲載になりますが。月刊児童誌「少年」の1966年4月号から11月号までです。

 この「少年」連載分は覚えてます。ただし僕の記憶ではもっと後のつもりでした。68年3月号で休刊(事実上の廃刊)した「少年」の最後も最後、67年~68年の連載と思い込んでました。ネットで調べて記憶は間違いで、もっと早かったと解りました。

 ネットの中には Wikipedia だけでなくともいろんな事柄をけっこう詳しく書き込んでる方のサイトがあれこれありますからね。漫画作品や漫画家のコトゴトをやけに詳しく書き込んでる方のサイトがけっこういっぱいあります。個人で研究したり深く詳しく調べたりしてる方や、多分、漫画関係の仕事をされてたんだろうな、と思われる方とかの個人サイト。

 

 僕もね、昭和漫画の資料となる本や雑誌をけっこうイロイロ所持してたんだけど、もうみんな廃棄してしまいました。まぁ、今や、そういう資料に載っていた情報も、あまねくネットに誰かが書き込まれてますからね。

 1964年11月脱稿の「因童」にはガロは登場せず、子供たちが根来忍者たちに掛けられる催眠術は「因童-よりわらわ-」の術だけど、65年3月脱稿の「ガロの宿」で子供たちが根来忍者に掛けられる催眠術は「言霊」の術ですね。もともと「因童」のお話は大摩のガロとは関係なく描かれた単独作品だったのが、後に結局、ガロが死んだ後の「大摩のガロ」シリーズの、ガロの出て来ない解決編とされた訳ですからね。

    

◆「忍法秘話」1巻 kindle版 白土三平·著 大摩のガロ編

◆「忍法秘話」2巻 kindle版 白土三平·著 イシミツ編

◆「忍法秘話」3巻 kindle版 白土三平·著 シジマ 他

◆「忍法秘話」4巻 kindle版 白土三平·著 スガル編

◆「忍法秘話」5巻 kindle版 白土三平·著 剣風記 他

 僕の子供時代に愛読した児童雑誌、月刊「少年」の1966年4月号から11月号に、白土三平氏の傑作忍者漫画「大摩のガロ」シリーズ全8作が掲載された訳で、僕が6歳からほとんど毎日通っていた近所の貸本屋さんが、この66年の春に店閉いして、この春僕は11歳でした。

 子供時代の僕は、戦後創刊された月刊児童雑誌がどれも大好きで、特に「鉄人28号」と「鉄腕アトム」が看板漫画として連載されている、月刊「少年」が超大好きでした。だけど、1956年に連載が始まった、大長編連続巨人ロボットバトル探偵漫画「鉄人28号」は「少年」66年5月号で最終回を迎え終了します。1956年は僕の生まれた年です。

 月刊「少年」5月号まで行き付けの貸本屋で借りて読んだから、「ガロ」シリーズの「やませ」の巻までは普通に読んだが、続きは多分、行き付けの散髪屋とか、友達の家で読んだりとかしたと思います。でも、その前に「大摩のガロ」シリーズは7話まで、青林堂の貸本誌「忍法秘話」の収録で一度読んでますが。

 記憶してなかったけど、週刊少年マガジンの増刊号扱いで「白土三平傑作短編集」という雑誌が講談社から発行されてたんですね。これに「大摩のガロ」全8話が収録されたらしい。このB5判臨時増刊雑誌は1967年11月の発行になってますね。僕は小学校6年生ですね。67年10月から円谷特撮実写連続巨人ヒーロードラマ「ウルトラセブン」が放送されてます。

 

 「大摩のガロ」とは関係ないけど、中学校に進級してから必ず何かクラブ活動(部活動)に入らなくてはいけなくて、友達の誘いがあって剣道部に入部した。68年3月までは毎週「ウルトラセブン」が普通に見れたけど、当時の剣道部所属生徒は、中学校の近所にある、この当時多分、市の管理だったと思う武道場でやってた、大人の趣味活動の剣道の道場稽古に参加しなくちゃいけなくて、中一の僕もほとんど毎日、市の武道場に剣道稽古に通った。

 多分ね、この武道場の剣道稽古は日曜日もやってたと思うんだよね。だいたい武道場稽古は夕方5時か5時半頃から、遅い時は夜8時まで稽古をやってた。「ウルトラセブン」の放送は毎週日曜日夜7時からだったから、僕が中学生になった68年4月から見れなくなったんだと思う。

 このプレハブみたいな造りだった武道場は、もともとは大きな炭鉱会社の持ち物だったけど、炭鉱の衰退期、軒並み炭鉱会社が地域から撤退して、残った炭鉱会社の各施設は多分、市が管理することになったんだと思う。剣道の稽古に余暇の趣味で参加してる大人はけっこう多く、当時は毎晩剣道の練習は活発盛況だった。

  

 僕は中二の一学期までで中学部活の剣道部を辞めた。一番大きいのは、僕を剣道部に誘った、幼なじみで小一後半か小二頃から一緒に遊んでた斜め向かいのお屋敷のMM君が転校して居なくなったからだけど、部活動で毎日毎日、夕方5時頃から夜8時頃まで時間を取られるのが、ずっと不満だった。

 毎日、子供が見たいテレビ番組を放送してる時間が剣道の練習で取られて、ずーっと子供番組がほとんど見れないし、僕は小さい頃から独り遊びが好きで、小一の頃から毎日、鉛筆殴り描きの自分オリジナル漫画を描いて来てたのが、その時間が削られる。それが毎日凄く不満だった。

 剣道部を辞めた中二の二学期からは逆に暇をもてあそぶようになったけど。僕の漫画描きも中学生年齢になってからは凝ったものになってたし、自分独自のプロレス新聞を毎日書いてたし。自分の頭の中で架空のプロレス団体を作ってスター選手を作って、プロレス限定のスポーツ新聞を毎日、記事と写真代わりのイラストを描いて作ってた。

 前日の試合内容をイラスト入りで記事を書いて独りで楽しんでたんだよね。別に誰に見せなくても良いんだ、僕には常に空想の友達が何人か居て、その子たちに見せて感想を聞いてたから。前日の試合内容ったって創作で、勿論実際にそんな試合は行われてないし、そんな選手も敵対する外人レスラーも実在しない。

 中二の夏休みからはずーっと独り遊びしてたな。プロレス大好き少年だったから、プロレス新聞書いてた他にプロレス漫画も描いてたけど、手で握って手の中に入るくらいの各種瓶容器に割れないように透明からカラーまでビニールテープ巻いてプロレス選手にして、その瓶たちをガチガチぶつけて闘わせて独り遊びしてた。

 僕は15歳くらいまでは空想の友達が何人か居て、毎日独り言会話しながら独り遊びしてたけど、学校行けばクラスに実在の仲の良い友達も居た。

 白土三平先生の忍者漫画の話が自分のミドルティーン時代頃の話になってる。白土三平忍者漫画に戻そう。「忍法秘話」は後にコミックスや漫画文庫で刊行されるとき全6巻になった。

 そもそも「忍法秘話」ってタイトルは長井勝一氏が貸本出版社·青林堂から刊行してた貸本短編集の単行本の名前で、後にコミックスや文庫にそのタイトルに収録された白土三平氏の短編作品は一つ一つは別に「忍法秘話」として描かれたものでもなかった。確かに「大摩のガロ」のように貸本誌「忍法秘話」に最初収録された連作短編もあるけど。

 短編集「忍法秘話」に収録されるシリーズ漫画の中に「イシミツ」のシリーズがあるけど、これは初出が週刊少年サンデーですよね。

 

 「イシミツ」のシリーズは全6話で小学館·週刊少年サンデー1963年暮れの51号から翌64年5号までの6回掲載。これは雑誌掲載をリアルタイムで読んでるなぁ。後に何度もコミックスや文庫で再読したけど。

 「イシミツ」はテーマが不老長寿。平安時代~江戸時代のお殿様たちが高齢となり死にたくない。そこで不老長寿の妙薬を探しに行かせる。結局、そういう何処にあるのか、本当にあるのかないのかも解らん謎の妙薬を深山幽谷、全国津々浦々探して回るなんて仕事は、昔の社会の末端に存在する体術の超人、忍者に回って来る。

 忍者が体力·体術と知恵を絞って、あらん限りの能力を使って、不老長寿の妙薬を探し、その存在を知るきっかけになるもの、巻物でも何か入った小瓶でも何でも、何か情報の欠片が見つかれば忍者対忍者の死闘で奪い合うけど、結局そんなものは存在しない…、という皮肉かな。

 あの時代の週刊少年サンデーには、「スガルの死」とか白土三平先生の短編忍者漫画がよく掲載されましたね。サンデー·マガジン·キングは月一回、厚くなってページ数が増える特大号が出る。年末には新年特大号が二週か三週続いたりする。増ページの特大号にはたいてい読み切りの短編漫画が掲載された。

 白土三平氏の読み切りの短編忍者漫画は、月刊誌か週刊誌の特大号に増ページ分に収録された。それが後にコミックスの「忍法秘話」に収録されたものも多い。また、この時代の週刊少年マガジンには大長編の「ワタリ」が連載されてましたね。

 白土三平らしいと言えばらしいのは、ガロが活躍する地域の殿様が弓での鹿狩りか何か鳥獣狩り遊びを楽しんでて、田植えを終えたばかりだったか、百姓の命の田畑に、逃げる鹿を追って馬でどんどん入って行って田畑をメチャクチャに荒らしてしまう。

 百姓はひどいことをすると収穫を考えて嘆く。収穫が潰れてしまい年貢にも影響する。殿様と家来の武士の一行は百姓のことなぞ何も考えていない。それでも年貢は重いままだ。

 ガロは子供たちを使って一計を案じるのだが…。

 白土三平は、自分勝手で傍若無人で、年貢の米や野菜などを生産する、実は重要な百姓たちを奴隷として見て人間扱いしない、武士階級をまるで今で言えば鬼畜のように描きますね。憎むべき、昔の時代の上級階級として描く。

 また、ガロが面倒見てる子供たちと一緒に灌漑工事の土木作業を行う。というか村どおしで水争いしないように、水不足で農民が困ったときのために、ガロと子供たちで自然の川から人力で溝を掘って、農地まで小川(溝)を作って水を引く。

 子供たちが武士は自分たちよりも偉いと言うと、ガロは、本当に偉いのは汗を流して作物を作ったり工事をしたりする働き手の人間なのだ、と説く。この辺は実に白土三平らしい。

 

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